アート

07. August 11

【写真】『LIFE~父の眼差し,娘の視線~』佐々木厚・鈴木麻弓2人展(東京ミッドタウン・富士フィルムフォトサロン)

Life

 女川出身の写真家・鈴木麻弓と,その父・佐々木厚の2人展である。
 3月11日の大震災と津波で,鈴木の実家であった佐々木写真館は跡かたも無く流されてしまった。そして写真館を営んでいた鈴木の両親も未だに鈴木の元へと帰って来ない。それ以来鈴木は,まるで亡き両親を捜すかのように,瓦礫に埋め尽くされた女川の地に立ち,震災後もそこで生きる人々のポートレートを取り続けている。
 今回その様な状況下の中で撮られた鈴木麻弓によるポートレートと,父・佐々木厚が残したオリジナルプリントをコラボレーションしたのが本展である。

 まず2人展入口に入ると,1台の泥と傷だらけのカメラがアクリルケースに入れられて鎮座している。フジフィルムGF670モデルとキャプションがある。想像するに,まるで中東の紛争地帯から戦場カメラマンの遺品として持ち帰られたようなこのカメラは,女川で写真館を営んでいた父・佐々木厚の物である。未だ行方不明の両親の身の代わりに,娘の写真家・鈴木麻弓の手元に戻ってきたのは,このカメラといくつかのオリジナルプリントだけである。かつて佐々木写真館があった場所はほとんど更地になって建物の面影も無い。しかしその背景には超然とした美しい海と青空が広がっている。
 この断片的ともいえる郷土の喪失は,女川町という人口約1万の小さな漁撈集落のいたるところで起こっている事実である。写真家・鈴木麻弓の震災をきっかけとした今回の仕事は,その失われた郷土の記憶の断片と父の手触りを求めてシャッターを切り続けたルポルタージュであると言っていい。ここに登場するポートレートの被写体は,その背景に様々な人生の来歴を持ち,フレームの中で最も力強い瞬間が焼き付けられている。
 同様に,父のオリジナルプリントを焼き起こしたモノクロームのポートレートも,今一度ここに並べてみると,圧倒的な迫力を持つ写真インスタレーションとして蘇って来る。写真館でポートレートをライフワークとした父・佐々木厚がかつて手がけた作品は,まるで彫塑の様に量感がある。近年はデジタル画像に感覚が補正されてしまっている我々からするとノイズやイレギュラーとして映ってしまう背景や影,逆光がもたらす複雑な反射も,相当に時間をかけて描きこんだ1枚のデッサンの様にも見える。そこはおそらく,長年父の仕事を見てきた鈴木麻弓なら,1枚のポートレートが完成するまでの,父の仕事の足跡を追う事も可能であろう。
 そして父のポートレートと対するかたちで並べられた鈴木麻弓の作品は,冒頭でも説明したように,震災後も女川で暮らす人々の生活誌を捉えたものだ。だが,生活誌と言っても現在の女川町には,その生活の基盤となる支持体が無い。では,家だけではなく,集落の「日常」まで津波で流されてしまった人々を,鈴木麻弓はどう撮ったのかというと,かつて人々の「日常」があったであろう空間,つまり,見渡す限りは空と海と瓦礫の山の空間に立たせて,シャッターを切ったのである。
 そこに映し出されたものは,まるで戦禍の中に佇む人々の様ではあるが,ただ1点だけ異なるのは,この人々は郷土を捨てずにここに留まった人々なのである。そして自分の足で立ち,ここから郷土再生をしていくであろう人々なのである。

 女川町千年の歴史を辿れば,藩政時代には方々の軍勢に攻め込まれ,また,貞観,慶長,昭和三陸と,幾度となく大きな震災に見舞われながらも,人々がここの集落を捨てる事は一度も無かった。入江で形作られた各浜の集落も,それぞれに独立した「講」と伝統的漁撈文化を持ち,近代以降は村民自らが軍港誘致,そして鯨王と謂われた日本水産創業者の岡十郎がノルウェー式捕鯨や遠洋漁業の重要基地としてここを選んだ。伝統を継承しつつ,常にその時代の先端産業と共存してきた逞しさは,平成の町村大合併でも「女川」という町の名を絶やす事は一度もなかった。
 このような土地に育った佐々木厚と鈴木麻弓という2人の写真家を繋いでいるのは,幾重にも地層の様に集積された女川の民俗と,郷土の記憶であり,彼らによってフレームに収められた人々は,その文化を継承してきたアーカイヴを骨格に持った人々なのである。今,その村落共同体の記憶は,父から娘へと伝承されて,この町の復興とともに,一度は喪失した生活誌と「日常」を,再び蘇らすであろう。

■】『LIFE~父の眼差し,娘の視線~』は8月18日(木)まで開催。
(10:00~19:00)最終日は16:00まで
http://fujifilmsquare.jp/detail/11080501.html

鈴木麻弓公式ツイッター
http://twitter.com/#!/monchicamera

鈴木麻弓公式web
http://monchiblog.exblog.jp/

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23. April 11

【アート/写真】田中茂『避難所になった宮城・女川原発』(「週刊文春」4月14日号巻頭グラビア)

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 厳重な警備がなされている通用門と、緩い勾配の坂道を登っていく大型車両。そこに、警備の人間とは対照的に軽装のいでたちの2人の人物が、日用品を手に持って同じ坂道を登っていくというなんとも不思議な光景。そして、その坂道を登った先の高台には原子力発電所がある。
 この光景をとらえたのは、「週刊文春」4月14日号を巻頭グラビアで飾った1枚のモノクロのドキュメンタリー・フォトである。撮影者は田中茂記者となっている。
 私は田中茂記者の他の作品は見た事はなく、この作品も連作の中の1枚なのかも定かではない。しかし、非常に緊張感あふれる構図の中で、まるで“家路”へ向かって歩いて行く様な2人の人物の後ろ姿が、他の多くの被災地とは隔絶された一瞬の日常的雰囲気を作っている点に強い印象が残る作品である。
 この作品で作られるコントラストはシュルともやや異なる。私がこれまでに感じた似たようなものの記憶を辿れば、それはデイヴィッド・リンチが『ツインピークス』で描いたパッカード木工所周辺の辺境のスモールタウンといったところか。

 撮影の舞台となっているのは、今回の地震と大津波で最も甚大な被害を受けた宮城県の女川町という小さな漁撈集落にある女川原子力発電所である。この震災では、一般家屋はもとより、多くの公共施設、他の発電所、インフラが甚大な被害を受けるなかで、この女川の発電所だけは大きな事故を起こすこともなく無事だった。そのために、震災直後から近隣住民の避難所となっている。「週刊文春」の記事によれば、他の避難所よりも暖かく、しかも津波も来ないから安心だとして、この発電所へと移動してくる被災者もいるとのことである。
 極めて大衆的な心情として、わが国が被爆国であるという事から、原子力技術そのものが、それを口に出す事も憚れるように忌み嫌われてきた経緯がある。そしてその技術を擁するこの空間も、本来は人間を絶対に寄せつけない。にもかかわらず、今家を失った多くの避難民たちがこの修羅の門をくぐり、ここに辿り着いたのである。
 田中記者が写した1枚のドキュメンタリー・フォトは、この状況を目にした時に多くの人々が抱くであろう複雑な心境すら静かに洗い流してしまう様な、小さな漁撈集落の人々の生きる強さを感じさせる作品である。
 “家路”を急ぐ2人の道の先には何があるのか、そういった想像力をかきたてるのだ。

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17. Juni 10

【アート】惑星探査衛星「はやぶさ」のラストショット~地球か、何もかも、皆懐かしい……

Hayabusa
JAXAが公開した「はやぶさ」最期の写真

 この写真は、先日宇宙での7年間の観測を終え、地球に帰還した惑星探査衛星「はやぶさ」が大気圏に突入して燃え尽きる前に撮影した最後の一枚である。ここに映っているのはまぎれもなく故郷・地球である。
 さて、この1枚の写真をどう評価するかで「はやぶさ」という観測衛星に対する見方がかなり異なってくる。この写真を単に記録写真、報道写真としてとらえた場合、「はやぶさ」は人間の手によって製作された観測装置にしかすぎない。いわば、レーダー装置や防犯カメラの様なものだ。特段にそれ以上のものでもなければそれ以下のものでもない。
 しかし、この1枚の写真に記録写真を超越した想念を感じ、これを「作品」と認識した瞬間に、「はやぶさ」という存在がまったく異なった姿で我々の前に立ち上がって来るのである。この写真は地球の管制室で待機するスタッフが打ち込んだコマンドを「はやぶさ」が実行して撮影したものではある。これを「作品」と呼ぶならば、その所在はコマンドを打ち込んだ人間のもとにある。つまり、宇宙をまたにかけた壮大なアースワークス、またはメディア・アートであるといえるのである。バックミンスター・フラー、ハンス・ハーケ、クリスト等が果たせなかったアートだ。だが、多くの人々がこの写真を見て胸を振るわせたのは、それが壮大なアートであるからではなく、それが、ただ「はやぶさ」自身による作品に見えたからなのである。
 では、「はやぶさ」自身による作品とは一体何を意味するのかと言えば、それは、あたかも「はやぶさ」が人間から独立した意思と感情を持ち、それを1枚の写真に焼きつけたのではないか、と想像する事である。多くの人々が、大気圏に突入して燃え尽きていく「はやぶさ」に儚さ、愛おしさを感じて涙を流したのは、この感情から去来するものだ。

 「はやぶさ」帰還の前々日、NHKの『クローズアップ現代』で放送された「はやぶさ」の特集では、ある子供からの手紙が紹介された。そこには、「はやぶさ君が燃え尽きてしまうのが、かわいそうです」と書かれていた。これは、幼児が発達過程において様々なモノに感情移入してしまう事の一例として認識できる。そして成長過程において、生命を持った「生き物」と、そうでないモノとの区別がついてくるのである。しかし我々日本人は、しばしば生命を持たないモノに対しても感情移入する事がある。それは、古くは八百万神(やおよろずのかみ)信仰に始まり、それがモダニズムで分断される事なく民俗的、習俗的気配を保ちながら、近代以降の様々な物語、即ちわが国が世界に誇る数多の物語、SF、漫画、特撮怪獣文化に継承されることにより、我々は今でもこの幼児期の豊かな記憶を失わずにいられるのである。
 「はやぶさ」が大気圏に突入していく姿に『鉄腕アトム』や『火の鳥』の姿を見た者もいれば、「はやぶさ」が最後に撮った地球の写真に、『宇宙戦艦ヤマト』のラストで沖田艦長がヤマト艦内の窓越しに見た地球を思い起こした者もきっといるだろう。だからこそ、このような感情が相まって多くの人が涙するのである。

 このような、モノに「魂」や「生命」が宿るという概念は、欧州人にはなかなか理解できないと言われてきた。しかし私は今回の事を機に、必ずしもそうではない、と認識を新たにした。「はやぶさ」の地球帰還は世界中の人々から注目されたわけで、私の友人の欧州人達も例外ではない。彼らは日本の科学技術の高さを評価し、それに携わった研究者にも労いの言葉を惜しまなかった。そして、「はやぶさ」が最期の瞬間に送ってきた地球の写真に、何かとてつもない霊的なものを感じたという。それは、彼らの言うところの、いつも自分の傍らにいる「神」ではなく、人智をはるかに超えた何らかのもの、という意味でである。
 若干ノイズが入り、けしてクリアな映像ではない地球の写真は、一瞬の記憶の中に時間と空間を焼き付ける写真という表現媒体にもっとも相応しいものであり、わずかに補足された地球の姿そのものに、最期の時を迎える間際の「はやぶさ」の身体性が表出されているのである。そして、画面の中で欠けて映らなかった余白の部分に、我々は様々なものを想像し得るのである。
 このような感覚を共有できる欧州人には、ある共通点がある。それは、自国の文化、歴史を長い記憶の中で断絶せずに認識している者たちである。例えば英国やドイツは、かつては近代産業、工業を長きにわたり牽引してきたという歴史的経緯がある。その記憶の多くは戦争とモダニズムによって、まるで神経ブロックのように意識的に分断されてしまっているが、中にはそうではない者たちもいる。
 象徴的だったのは、先の英国総選挙で台頭した若い2人のリーダーである。保守党のキャメロン首相は、選挙演説の第一声の空間として廃墟となった発電所を選び、首相就任直後の全英視察では、かつて産業革命で栄えた街を積極的に回った。これは人々の記憶から歴史的に分断された伝統文化の断片を再構築していく行為に他ならない。また、Lib Dems(英国自民党)のクレッグ副首相は、就任挨拶の席で、「地域の伝統、コミュニティ、家族を大切にするように」と英国民に語りかけた。これもキャメロン首相同様、身体的に記憶されているであろう村落共同体の歴史、文化を紡ぎ、モダニズムを超えていく行為なのである。そしてそれには歴史、文化と身体的に関わる必要があり、例え目の前のツールがアナログの工具からi-Padに変わったとしても、それは同様に拡張された身体となり得るのである。これを意識できる人間は、愛着のある伝統工具と同様に、夜空の探査衛星にも万感の思いを馳せる事ができるのだ。

 今回、「はやぶさ」地球帰還の瞬間を現地で実際に見守ってくれたのは、落下地点付近の高速道路沿いに集まった多くのオーストラリア市民達である。CNNの現場特派員のインタビューに答えた彼らは「一生で一度のチャンス」、「はやぶさが着陸するのをこの目に焼き付ける」と興奮気味だったが、最後は歓声とともに祈りを捧げながら「はやぶさ」の帰還を見守った。そして、「はやぶさ」から放たれたサンプル採集用カプセルは、あたかもそれが「はやぶさ」の「魂」であるかのように、アボリジニの聖地へと消えていったのが、何とも象徴的であったのである。

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17. Mai 10

【アート】格闘写真家・齋藤陽道の空間と身体

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鶴園誠(ドッグレッグス所属)=撮影・齋藤陽道

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霊子(ドッグレッグス所属)=撮影・齋藤陽道

 昨年、新人写真家の登竜門である『写真新世紀』で齋藤陽道という写真家の作品が入選した。作品は日常の心象風景を撮影したものだった。そして先日、その齋藤の新作が、あるプロ格闘技団体の会場にポストカードとして並べられていた。この2点の作品が齋藤の作品である。
 写真家・齋藤陽道には、実は写真家とは別の格闘家という顔もある。そして現在も創作活動と平行し、格闘家・「陽ノ道」として障害者プロレス団体ドッグレッグスのリングに上がっているのだ。彼は聴覚障害者である。リングに上がる時も他の選手たちのような派手な入場テーマもなければ実況解説もない。それは陽ノ道自身が、観客も自分と同じ静寂な空間で肉体と肉体がぶつかり合う情況を体感して欲しい、という意図から考えたものでる。
 これまで3度ほどリングサイドで陽ノ道の試合を観戦したが、そこにはたしかに静寂の中で広がった創造力をかきたてる空間が存在した。「音」が無い空間は他のものに注意が向けられる。それは選手がマットに倒れた時の振動や、打撃で赤く腫れあがっていく選手の身体などだ。陽ノ道が他の選手とタッグを組む時は、タッグの選手もマットを必死に叩き、その振動によってリングの上にいる陽ノ道に様々な情報を伝え、レフェリーも小さなホワイトボードで試合の経過を伝える。
 この空間にはいわゆる健常者といわれる我々には計り知れない未知の身体性が広がっているのである。ドッグレッグスの試合はいつも様々な工夫を凝らし、その面白さを伝えている。例えば、立位が可能な選手と下肢に障害がある選手が試合をやる場合、立位が可能な選手の下肢は拘束具で固定され、全く同じ条件で戦う事となる。この場合双方足を使って移動ができないため、必然的に接近戦でのノーガードの殴り合いになるのだ。それは見た者でないとなかなか伝わりにくいとは思うが、ボクシング・ヘビー級の様な迫力なのである。選手たちの身体の中で僅かに残された健常な部位が究極なまでにビルドアップされ、まさに人間凶器となった彼らがギリシャ兵の如く戦うのである。これはもはや“ハンディキャップ”として我々の目に提示されるものではなく、異能の身体を持った者どもの究極のバーリトゥードなのだ。
 聴覚障害者の齋藤陽道は、格闘家・陽ノ道として毎回このようなリングに上がり続けてきた。ここに紹介した2点の作品もドッグレッグス所属の格闘家達を被写体にしたものだ。
 車イスに片足で乗っている鶴園誠は、世界障害者プロレス・スーパーヘビー級障害王のタイトルを持つレスラー。実は鶴園は、昨年開催されたドッグレッグス「8・1成城ホール大会」で、ここで紹介する陽ノ道と無差別級選手権試合を戦って、なんとこの王座は陽ノ道に譲り渡してしまったのだ。現在ドッグレッグスの中では一番のライバル関係である。そしてもう1点の作品は、同じくドッグレッグス所属の女性レスラー霊子である。彼女は昨年の「4・25北沢タウンホール大会」で初めてリングに上がった新人レスラー。40代で筋委縮症を発病し、子育てをしながら格闘家活動を続けている。
 『写真新世紀』でデビューを果たして以来、齋藤陽道の被写体は専ら彼らの様なマイノリティと言われる人々である。齋藤は兼ねてから、このような人々を被写体に収めたいと言っていた。彼はそこに「尊厳」を焼き付けたいと言う。しかしそれはいわゆる社会的弱者の尊厳を意味するものではなく、もっと普遍的なものである。音の無い世界にいる齋藤は、リングでは無言で相手と殴り合う。自分よりも強い相手との指名試合も積極的に行うのだ。この行為は文字どおり、齋藤にとってのプロレス的「肉体言語」の帰結であり、言葉を交わす事のできない相手との唯一のコミュニケーション手段なのである。
 そんな齋藤陽道にとって写真という表現媒体は、相手を殴る事ではなく、別の方法論で、言葉を交わせない選手の「言葉」と「身体」の内部に肉薄するための新たな試みである。そして齋藤は、身体障害、精神障害、知的障害、性的マイノリティといったあらゆるマイノリティと写真表現の現場で向き合っている。リングの上で殴られるのと同様に、被写体からは相当なリアクションが当然あるであろう。聴力と言語を持つ我々は、そのようなリアクションは全てノイズとして処理してしまいがちであるが、齋藤は逆に、そのノイズとして日常空間にこぼれていく声無き「声」を一つ一つ丁寧に拾い上げて被写体に焼きつける。そうして焼きあがった作品は、もはや“ハンディキャップ”とは到底言う事は出来ない超然とした彼らの姿を映し出すのである。

■齋藤陽道公式サイト■
http://www.saitoharumichi.com/

■障害者プロレス『ドッグレッグス』に関する記事■
【格闘技】コミックマーケットにドッグレッグス参上!(8月16日,東京ビッグサイト)
【格闘技】ドッグレッグス第79回興行 『きっと生きている』(2009年8月1日,成城ホール)
【格闘技】ドッグレッグス第79回興行 「きっと生きている」の対戦カード第一弾が発表される
【格闘技】ドッグレッグス第78回興行 「ここまで生きる」~究極のバーリトゥード~(4・25 北沢タウンホール)
【格闘技】ドッグレッグス第78回興行の対戦カードが決まる
【格闘技】ドッグレッグス第77回興行レビュー
【格闘技】ドッグレッグス第76回興行レビュー
【映画批評】天願大介監督『無敵のハンディキャップ~障害者プロレス・ドッグレッグス」

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25. April 10

【アート】デジタル・カリカチュアの時代

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『LOOPIES 解散』(作者不詳) 米メディアから“Loopy野郎”とまで言われてしまったわが国首相

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民主党のポスター(作者不詳) アメリカで放送されていたテレビ・ドラマ『V』をも連想させる作品


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共産党プロパガンダ風ポスター(作者不詳)

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公開前から話題になり、市民からも抗議運動が起こっている映画『The COVE』を笑い飛ばした作品(作者不詳)
イルカは可愛いと人間の都合で勝手に思い込んでいるエコ・テロリストを小バカにしている。作画タッチは70年代によく見かけた少年誌の挿絵風。

 今年で動画投稿サイトYou Tubeが開設5周年だそうだ。動画投稿サイトの果たした役割は、政治からエンターテインメントの分野に至るまで計り知れない。特に、ここ近年、偏向報道、捏造報道、虚偽報道に加えて、ニュースに恣意的で悪質な印象操作を繰り返す報道局が多い中で、You Tubeをはじめとする動画投稿サイトは、マスコミが流さなかったストレートニュースを国民に伝える事のできる唯一のツールとしてブロガーやパブリック・ジャーナリストたちが腕を振るう場所にもなっている。この中から、日本でもお馴染みのテキサス親父をはじめとするインデペンデント・コラムニストも誕生したのである。
 もしこのような動画投稿サイトがなければ、今割と多くの人がいろいろな事情で民主党に怒っている事や、沖縄県民が必ずしも反米、反日であるとは限らない事。それから、沖縄で『日米安保堅持!辺野古移設賛成!平和大行進』なる一風変わった県民平和デモがあった事も、中国から習金平が来日した時に、怒った1000人近い市民が昼食会会場を包囲した事も私は知らなかったであろう。
 本来ならば、このような事こそ国民に知らされるべきなのだが、既存マスコミはあえてそれを隠すものだから、それが真実かどうかは別に精査するとして、テレビからネットへとオーディエンスが大移動を始めているのである。

 新しい言論、つまり言論におけるポストモダニズムの役割を果たしてきたのは間違えなくネットであり、そこでは“職人”と言われる匿名のパロディストたちが、実に独創的なカリカチュア(風刺画)を自由に創作している。彼らの前身は、おそらくは人気パーソナリティの深夜ラジオ番組に面白いネタを投稿していたいわゆる“葉書職人”と言われる人たちであろう。彼らは何か面白い事を思いついたら、とにかくそれを人に披露しないと気が済まない人たちであり、先天的なクリエイター気質を持っている。
 これまでのカリカチュアといえば、新聞や週刊誌のコラムで著名なコラムニストたちが腕を競っていたわけである。もちろん紙面を飾れるのは著名な者だけである。一般投稿者も、その著名な各界の権威に目をとめてもらえなければ人の目に触れる機会はなかなかなかった。言い方を変えれば、著名な者は、その門戸を狭めることにより権威を保ち、多くの国民に対して特権的な発言力を持ってきたのである。これはジャーナリストでも同様だ。
 しかし、ネットというメディアの登場でこの力学が完全に崩れたのだ。ネット経由で毎日のように目にする匿名のパロディストたちの作品の中にはプロをも凌駕する非常に秀逸な作品も多々ある。あるいは、プロのパロディストがあえて匿名で、このレジスタンスを楽しんでいるのかもしれない。冒頭に掲載した作品はその一部だ。
 ネット上ではこのような作品が毎日どこからともなく多数投稿される。投稿サイトに集積されているものもあれば、SNSやネット掲示板に突然投下される事も多い。しかもそれは街中で見かけるガード下のグラフィティと同じように、半永久的に同じ場所で見られるとは限らない。この突発性、偶然性が、まさにネットを舞台にしたアンデパンダンを展開しているのである。そして作品の良し悪しを評価するのはそれを目にした一人一人であり、面白い作品はどんどんネット上で拡散されていく。これはトップダウン型ではなく、フラクタルでスーパーフラットなネット空間だからこそ展開が可能なムーブメントであり、かつてはラジオの葉書職人からプロの放送作家や脚本家が誕生していったように、ネット空間からは、これまでとは経緯が異なったアウトサイダーなパロディストが誕生する日も近い。

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13. April 10

【ライブ・パフォーマンス】 詩人・伊藤洋子+ナガッチョ (銀座・ギャラリースペースQ)

 東京・銀座のギャラリースペースQで、詩人で画家の伊藤洋子とパフォーマー・ナガッチョの即興ライブが行われた。このライブは伊藤洋子の個展『私の8つの太陽』のオープニング・イベントとして急遽開催されたものだ。
 伊藤洋子は、1980年代から銀座、新橋、神田界隈の画廊を中心に、肉声によるポエトリー・リーディングを続けてきた詩人である。近年は現代詩の同人活動に加えて、画家としての活動も精力的に行っている。
 画家としての伊藤の作品は詩と同じく、自分の家族や自分自身の身体を題材とした寓話的な作品が多く、マイクロフォンを通さない肉声によるポエトリー・リーディングにこだわるのも、自分の身体から発した「言葉」も肉体の一部であると考える伊藤の表現を裏付けるものである。
 また近年制作されたタブローは、画面から以前のような余白が無くなり、細かい異形細胞のような模様がテクスチャーとして画面を覆っている。
 昨年、池袋の協栄ジムの近くにある伊藤洋子のアトリエを訪ねてインタビューを試みた時、この作風の変化について、昨年患った卵巣腫瘍で片側の卵巣を全摘出した事が発端となっている事を初めて知った。つまりどういう事かと言うと、伊藤が無心になって画面の余白をテクスチャーで塗り込めていく行為は、片側の卵巣を失った事による喪失感を埋めるための代替行為なのである。
 それは、片側の卵巣が無くなった事で,伊藤自身があたかもその場所が未だ空洞であるかのように感じる空間に何かを補填し,質量を卵巣摘出以前と同等に保つ事を表している。そして、伊藤が卵巣腫瘍を患った年齢が、自分の母親が乳癌を患った時と同じ年齢なのである。
 今回、パフォーマーのナガッチョと試みたライブ・パフォーマンスはこの事を念頭において見ると、伊藤洋子自身の非常に複雑な年代記が寓話となって構成されている事が分かるであろう。

 伊藤洋子がナガッチョの即興演奏をバックに朗読しているのは全て伊藤の自作の詩である。これは、若くして自分を残して乳癌でこの世を去った母に対する憎悪、悲哀、様々な感情が複雑に反復する作品である。自分を残して癌で死んだ母を自分の胎内に宿し、その母を自ら産み落とす事で母と再会して、自分が母を失った時の悲しさ、自分を残して死んでいった母に対する恨み、辛みの気持ちを母にぶつける、という寓話的な物語が展開されていく。
 「お母さん、お腹が空いたよ」、「お母さん、痒いよ」と暗がりで悲痛に訴える伊藤洋子の声は、病で床に伏した母が自分の事を十分に構ってくれなかった事に対する残酷な怒りだ。

 ライブで競演したナガッチョは、伊藤洋子と同じく1980年代から銀座、神田界隈の画廊を中心に活動を続けてきたパフォーマーで、笛、ハーモニカ、身近な小型の打楽器をリュックに詰めて、方々の美術作家の個展やグループ展会場を大道芸人のように渡り歩いてきた。その表現スタイルは、まず美術作家の展示作品からインスピレーションを得て、ライブを組み立てていくというものである。インスピレーションが降りてくるまでは相当の時間がかかる事もある。その時の会場の雰囲気、空間によっても内容が自在に変化する。
 この日のライブは告知が遅れたために、ナガッチョのライブを知らずに伊藤洋子の個展会場に来た来場者もたくさんいた。そこでライブを最初から見る機会が無かった者のために、異例ではあるがアンコールで短めのライブも行われた。私が録画で記録したのがこのアンコールのものである。伊藤洋子が肉声でぶつける母への憎悪、悲哀を、音と自らの身体で表現を試みたものである。(伊藤洋子個展『私の8つの太陽』2010年4月12日(月)~17日(土)まで。ギャラリースペースQ・銀座)

■ギャラリースペースQ
http://12534552.at.webry.info/

■伊藤洋子作品レビュー■
【名古屋芸術大学・芸術療法講座】 詩人・伊藤洋子インタビュー(芸術療法演習)
【アート】伊藤洋子個展 『卵巣の雲』(2009年8月31日~9月5日,ギャラリー代々木)

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11. März 10

【舞台公演】 慶應義塾大学公演 『土方巽 「病める舞姫」 を秋田弁で朗読する』(2010年3月9日、ザムザ阿佐ヶ谷)

 2010年3月9日、夕刻。雨から雪に変わったこの日、阿佐ヶ谷の小劇場「ザムザ阿佐ヶ谷」で、慶應義塾大学学生とプロの劇団員のコラボレーションによる『土方巽「病める舞姫」を秋田弁で朗読する』という試みの舞台が上演された。これは、原典では標準語で書かれた土方巽の幼少時代の自伝的エッセイ『病める舞姫』を、あえて秋田弁で朗読し、そのテクストから土方の身体に迫ろうとするものである。
 この企画は、先日も告知記事で紹介したが、財団法人東京都歴史文化財団が「東京文化発信プロジェクト」の一環で、学生とアーティストによる交流プログラムの中で実現したものである。これに自治体の賛同も加わり、いわば芸術文化活動における産学共同プロジェクトのようなものとして結実したものだ。
 まず、この「ザムザ阿佐ヶ谷」という空間自体が東北の古民家のような作りで、四方は土壁と年季の入った太い梁で囲まれている。板の間の床も、神経質に研磨されたものではなく、人間の顔や目玉に見える木の節が剥き出しになっている。かつて「田舎」と言われた地方に故郷を持つ人ならば、子供時代、薄暗い「離れ」や「くみ取り便所」、そして、夜になると何者かに見えてくる柱や床の木の節が怖かった事を思い出すであろう。この隠遁として、しかも湿気に満ちた内臓的空間こそが、土方巽の幼年期を育ててきたものである。
 舞台には、無造作に丸められた新聞紙が一面に散らかっており、人が座れるほどの黒い四角い炭のようなオブジェが配置されている。背面には土方巽がスイカを囓りながらこちらを凝視する巨大なポートレイト。まさに、土方巽のフォルクロア的空間である南秋田の旭川村に閉じこめられたようなモノトーンの世界だ。
 ここで作られた空間の持つ雰囲気は、私にとっては1970年代後期から80年代にかけて、現代美術作家の竹内博が神田の真木画廊で盛んに発表していた新聞紙や廃物によるインスタレーション作品を忘却の彼方から久しぶりに思い起こされるような空間である。竹内もやはり、東北、盛岡の滝沢村で、野外に廃物や日用品のインスタレーションを放置し、それがやがて朽ちて土に同化していくプロセスそのものを作品として提示した。極力自分で恣意的な動作による手を加えない禁欲的に限定された不自由な表現は、凍てつく乾いた大地に横たわる土方の姿と重なったわけである。
 
開演前のこの会場では、すでに秋田の民謡もBGMで流れており、まるで古びたムラの公民館のようである。舞台と客席も同じ質感で繋がっており、そこに14人の朗読者が現れて、肉声による秋田弁の朗読が始められるのである。
 
この14人の朗読者の中には秋田弁のネイティヴの山谷初男がいる。その山谷初男をまるで火鉢を囲むようにその他の朗読者たちが位置に付いている。彼らのほとんどは秋田弁どころか秋田にも所縁がない。そんな彼らが秋田弁を修得するためにUstreamでライブ回線を繋げ、土方と所縁のある「場」をフィールドワークしながら秋田弁を身体内部へと取り込んでいった。今回その試みの意図が明快に理解できる舞台であった。

 今回の、原典を改編した試みについてのひとつの解釈として、土方巽が生前の身体表現活動において、自らの身体運動をすべてメソッド化していったことを考えれば答えがでよう。つまり、土方にとっては身体運動も「語学」と同様に、他の者も修得出来得るものとして理性的にメソッドが作られた。我々はそれによって土方亡き今も、土方にまつわる「言葉」と「身体」を、実はそう違和感はなく同一のものとして捉えることができるのである。原典の改編は、いわば「教本」として書かれたテクストに、14人の朗読者による肉声で色・艶を載せて再現された土方巽の肉体そのものであるということである。
 
14人の朗読者は、まるで田舎の大家族の集合写真の様に全員が客席に対面している。そこから時折ヒアリングが困難な秋田弁が飛び交い、イレギュラーとして標準語が挿入される。この秋田弁と標準語との揺り戻しがとてつもない緊張感を生んでいる。土方の誕生から生涯を閉じるまでの年代記とインタラクションして現れる秋田弁と標準語との間で繰り広げられる言葉の格闘は、肉声による朗読であるからこその迫力である。
 
圧巻だったのは、朗読者たちが一斉に立ち上がって床を踏み鳴らしながら童歌を歌うところである。

 「ツンボにメクラ、ヘビ、ねずみ!」

 このリズムで反復される童歌は、床を伝わって内臓まで響いてくる。この地の底からわき出すような土俗的エネルギーは、かつて自分が生まれた空間から乖離してしまった身体の記憶を蘇らせるものである。人間が直感的、生理的に身を乗り出すようなこのリズムは、左脳が極端に肥大化し、右脳が著しく退化した我々にはあまりに刺激的すぎる。
 
それは、作曲家・伊福部昭が北海道の辺境でアイヌの舞楽に出会った時のように、病者も虫も五穀豊穣を喜び、そしてやがては共々に土へと朽ちて帰っていくような生けるものたちの一生を垣間見た瞬間であった。その生けるものたちの中心に、確かに土方巽の肉体が鎮座していた。
 
舞台の幕が下りてからもこの日ならではの演出がなされた。土方巽の誕生日に因んで本日の舞台の朗読者14人、公演スタッフ、客席の来場者全員で記念写真を撮影したのである。土方と所縁のある雪の降りしきる武蔵野の辺境・阿佐ヶ谷の夜に、我々はまんまとこの「気配」のある空間に取り込まれてしまったのであった。

■土方巽関係レヴュー一覧■
【慶應義塾大学】 『病める舞姫』を秋田弁で朗読する(2010年3月9日、ザムザ阿佐ヶ谷で上演)

【研究会】 土方巽『舞踏大解剖2』(慶応義塾大学日吉キャンパス)
【論集】 『慶応義塾大学アート・センター 年報14』2006/07

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【お知らせ】
twitterをはじめました。こちらでは政治家、経済専門家、医師、ジャーナリストらの皆さんと、わが国の外交、防衛、政治・経済、医療行政について討論をしています。

http://twitter.com/JPN_LISA
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24. Dezember 09

【アート】 アン・リンガーさんから来年のカレンダーとクリスマスカードが届く

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 クリスマスイブのこの日に,すばらしいタイミングでメルボルン在住の友人から来年のカレンダーとクリスマスカードが届く。送り主はアン・リンガーさん(Mrs. Anne Ringer)。名前を見てもわかるとおり,アンさんは,私が医学史領域で一貫して研究を続けているイギリスの生理学者シドニー・リンガー(Dr.Sydney Ringer, 1835-1910)の親族の方である。シドニー・リンガーは,わが国では輸液(点滴)のリンゲル液を発明した医学者としてよく知られるが,彼の医学的業績はこればかりではない。両生類の心筋を使った基礎研究をもとに,近代のカルディオロジーの基礎を作ったのもこのリンガーである。もしこの頃にノーベル賞が創設されていたならば,リンガーは間違いなくノーベル生理学賞を獲っていたであろう。

 アン・リンガーさんと私との出会いは,今から10年以上前にさかのぼる。この頃から私は,医学史研究のため,しばしばイギリスと日本を往復する生活を始めていて,向こうの大学や研究機関に少し遅れるかたちでちょうど日本にもインターネットが普及し始めていた。その時に私が一番最初に開設したサイトが,作品のデータベース・サイトとリンガー研究を中心とした医学史研究サイトである。(参照:リンガー研究ブログ[日本語版]リンガー研究医学史サイト[英語版]
 これは主に,海外の学者との研究交流,意見交換のために開設したもので,現在でもサイトを通して各国の研究者らと活発な交流がある。

 インターネットの特筆すべき点は,今さら言うまでもなく,その双方向性と集合知の構築である。自分がネット上に流したテキストは世界中の人たちが読んでいるわけである。このような状況の中で,ある日サイトを通して1通のメールが私のもとに届いた。
 「私はあなたが研究しているシドニー・リンガーの親族にあたるものです。あなたの研究に非常に興味を持ちました。日本でリンガーの研究をしている学者がいることにたいへん驚きました。」という内容のものだった。このメールを下さったのがアン・リンガーさんである。アンさんは,たまたまネットをサーフィンしていたら私のウェブページにたどりついたそうである。もしインターネットがなかったら,アンさんと出会うこともなかったかもしれない。私がネットというツールを基本的に肯定的に捉えているのは,ネット黎明期にこのようなダイナミズムを実体験したからだ。そして,そのころから,ネットというメディアはグローバルであるばかりではなく,マスメディアを含めたすべての領域をスーパーフラットな空間に作り変えていくであろうと予見していた。
 アンさんとのネットを通してのコンタクト以来,アンさん一家がたいへんな親日家であることから交流はさらに続き,アンさんからは,まだ医学史料としてアーカイヴされていないリンガー家の史料などを研究のためにご提供をいただいている。現在も,日本のある大手企業が進めている医学史関係の資料館開設のためにもいろいろとご協力をいただいているのである。

 そんなアンさんは,毎年この時期になると,クリスマスカードと一緒に必ずカレンダーを送ってきてくれるのである。アンさんから送られてくるカレンダーにはいろいろなメッセージがこめられている。ただ単に,新年を祝うというよりも,お互いにいろいろとあったこれまでの人生を鑑みながら,新しい年に向けての決意を表明するためのものでもあるのだ。私はアンさんのこのとても素敵な計らいに何度となく励まされてきた。失意のただ中にあった時に,ポストにアンさんからのカレンダーを見つけて救われた事もあったし,どのカレンダーも,アンさんと私の歩んできたこれまでの思い出が刻まれているのである。
 今年アンさんから送られてきたカレンダーは,オーストラリア政府のドクター・ヘリのカレンダーである。広大なオーストラリアの救命救急網をカバーするにはドクター・ヘリの活躍が必要不可欠だ。特に山火事などの自然災害が多い山岳地帯には,ドクター・ヘリでないと入っていけない場所もたくさんある。この点は,わが国の救命救急分野も見習うべき部分も多々あるのである。
 私の方からは,アンさんには「ジャパン・ナイトシーン」という,日本の観光地の夜景を集めたカレンダーを,そしてアンさんの長女で,現在大学で経済学を勉強中のアリソンには,山梨県の風景を集めたカレンダーをお送りした。アンさんにお送りした「ジャパン・ナイトシーン」の7月と8月のページは,熱海の海上花火大会の写真である。本当は全部熱海の観光カレンダーが欲しかったのだが見つからず,少しでも熱海の風景が載っているものと思い選んだのがこのカレンダーだ。現在,熱海で「農業・先端医療・アート」を連動させた熱海町づくりプロジェクトに関わっている私の苦肉の策である。
 アリソンに山梨のカレンダーを送ったのは,アリソンが山梨,特に甲府が大好きだからである。まず美しい富士が見えることと,アリソンがかつて交換留学で甲府に暮らしていたことがあって,その時にすっかり山梨を気に入ってしまったそうである。昨年は,不老園の梅園の写真と動画を送ったところ,とても喜んでいたので,今回の山梨のカレンダーも気にいってくれるにちがいない。

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13. November 09

【名古屋芸術大学・芸術療法講座】 演習 「現代の社会病理を象徴するクリーチャーを制作する」

 名古屋芸術大学芸術療法講座の講義では,「病」と「アート」の関係,「医学」と「芸術」の歴史的結びつきなどを,学生らとともに多角的に考察している。
 毎回の講義では,西洋医学史と美術史を平行して学びながら,その時代,状況によって,人類にとって「病」という存在がどのように変容をしてきたのか,という命題についても深く探っている。
 「病」と定義できるものには,大凡以下のように分類できる。
 1)内科的疾患
 2)外科的疾患
 3)精神疾患
 そしてこれに,「死の舞踏」を系譜とするメタファ(暗喩)としての美学上の「病」,それに,「社会病理的“病”」も概念として含めることができる。

 先日の芸術療法の講義では,この中で「社会病理的“病”」を取り上げた。上の動画は,その時に学生が制作した演習のスケッチをまとめたものである。

 講義ではまず,「社会病理的“病”」とはいかなるものなのかを理解するために,1970年代の日本の特撮ヒーロー番組をいくつか紹介した。
 1970年代は高度成長時代として語られることが多いが,国民全員がだんだんと豊になっていく中で,様々な社会的歪みが生まれていったという「負」の側面もある。例えば「公害」「受験地獄」「交通戦争」などという言葉が社会問題として新聞の見出しを飾るようになったのもこの時代だ。教育関係では,「ママゴン」「教育ママ」などという言葉も生まれている。
 この時代に放送された子供向けの特撮ヒーロー番組でも,この時代の社会的背景の影響を色濃く受けている作品が多々あるが,特に,『スペクトルマン』(1971~1972)や『コンドールマン』(1975)などはその最たるものである。ここに登場する数々の異形(怪獣,怪人,宇宙人,改造人間)たちは,この時代の社会病理から生まれたようなものたちが多い。
 例えば,『スペクトルマン』に登場する公害怪獣ヘドロン,交通事故怪獣クルマニクラス,地震怪獣モグネチュードン,ゴミ怪獣ダストマンなどは,同時期に放送していた円谷作品の怪獣たちとは一線を画している。
 また,ストーリーそのものがポリティカルな風刺で構成されている『コンドールマン』には,金の亡者のゼニクレージー,アラブの石油利権を独り占めにしているオイルスネーク,食肉利権まみれの政治屋の権化であるサタンガメツク,バーベQといった異色の面々が,日本国家壊滅のために暗躍する。そしてその首領であるキングモンスターはなんとアジトをNYのエンパイア・ステートビルに構えているハゲタカである。
 このような異形たちは文字通り,時代の怨念や病理が実体化したものである。

 これを踏まえて,学生らとともに『スペクトルマン』の公害怪獣ヘドロン編を視聴した後に,現代の社会病理が実体化した異形をスケッチしてもらった。怪獣,怪人のネーミングも学生自ら考えたものである。
 ネーミングをみても分かるとおり,「ニート」「ひきこもり」「鬱」「不況」「自殺」といった世相をリアルに反映したものが多く,政治家を風刺したものや,ネット環境をテーマにしたもの,行きすぎたエコロジー思想に批判を加えたものまで,実に多種多様,多彩な異形たちが勢揃いした。
 これは現代社会における「死の舞踏」,あるいは「メメント・モリ(Memento mori)」といえるであろう。

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08. November 09

【アート】 最近,前衛美術家・秋山祐徳太子がますます面白い(MXテレビ『西部邁ゼミナール』)

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 私はこの頃NHKも民放もほとんど見ていないが(つまり,日本のテレビ局の放送全般),例外的に毎週欠かさず見ているのが東京MXテレビの『西部邁ゼミナール』である。この番組は評論家の西部邁が毎回様々なジャンルの保守論客をゲストに招いて,政治・経済,文化について鼎談する番組だ。そして,西部邁と一緒にレギュラーで出演されているのが前衛美術家の秋山祐徳太子である。
 本日の放送では,自民党の衛藤晟一参議院議員を迎えて,先月亡くなった中川昭一財務大臣を偲びつつ,これからの自民党を中心とした保守政治の再生について話されていた。

 秋山祐徳太子はもちろん雅号だ。この名前を見てもわかるとおり,彼はわが国における70年代のダダイズム運動,ポップアート・シーンの,文字通り“前衛”に居続けたアーティストである。
 “前衛”芸術家が何故に保守系の論客と親交があって,しかも,自民党の政治家と一緒にそのような番組に出ているのだろうかと奇異に思う方もいるかと思うが,これがいわゆる偏見というものだ。
 この点について,以前の放送で秋山祐徳太子はこのような事を話されている。

「おかしいんだよね。自分(秋山)と会う人,会う人,“秋山さんって,意外に「保守」ですね”と言うんだ。」
「“意外に「保守」ですね”って,おかしいでしょ。」
「自分はね,作品はアヴァンギャルドだけどね,心根はね,日本を大切に思っているわけだし,親や先祖に感謝する気持ちもあるしね。」
「これってね,当たり前のことでしょう。」

 まったくそのとおりである。実は私も同様の事を何度も経験している。一番印象深いのは,2003年のとある事件である。この年は,阪神が優勝した年で,Mが点灯した時点で私は友人,知人をうちのアトリエに大勢集めて,「阪神総決起集会」を開いた。この日はたまたま旗日だったので,玄関にはタイガースの球団旗と一緒に日の丸も掲揚していたのである。そして宴もたけなわとなったところで,来場者のうち何人かの姿が見当たらないのに気づいたのだ。どうやら黙って帰ってしまったようだ。
 後から人づてに聞いた話によると,どうやら玄関にあった日の丸が気に入らなかったようである。そればかりではなく,“井上リサは「右翼」!”などと言っていたものがいたそうだ。
 これには驚いた。タイガースの旗にケチをつける読売ファンはいるかもしれないが,多少欧州風味だが一応は日本国籍を有する日本人の私が,めでたい日本の祝日に自国の国旗を掲揚するのが「右翼」だとはいかがなものか。このような事を言う人は,もう二度と日本シリーズやオリンピックも見るなと言いたい。
 この時に感じた大いなる違和感は,先のMXテレビ上での秋山祐徳太子の発言と同様なのである。どうやら世の中では,「反体制」や「反芸術」と,いわゆる「反日」を混同してしまっている輩が多いらしい。

 私が初めて秋山祐徳太子の作品を見たのは,はるか昔,1970年代にまで遡る。まだ子供時代であるにもかかわらず秋山祐徳太子のことを知っていたのは,東京都知事選挙のポスターで秋山祐徳太子を見つけたからだ。日本のダダの先駆者である秋山祐徳太子は,グリコの看板のランナーに扮して走りまわるパフォーマンスがあまりにも有名であるが,都知事選のアートもなかなか面白いのである。
 これは秋山祐徳太子が本気で都知事を目指すというよりは,「選挙」という制度をポップに破壊することが目的であろうと私はとらえている。ここで「作品」と言えるのは,選挙ポスターそものなのではなく,まず立候補届け出から始まって,ポスター製作,街頭演説,政見放送,そして選挙という選挙制度にのっとった一連の流れ自体を「行為」として提示しているのである。あえて言うと,コンセプチュアルアートのようなものだ。子供時代にこれを見せられた私は,きっと寺山修司や麿赤児のような面白い人物なんだろうと思っていた。

 それから月日はだいぶ経って,実際に秋山祐徳太子を目撃したのは2002年の事である。この年に秋山祐徳太子は著書『泡沫桀人列伝(二玄社)』の宣伝も兼ねて,阿佐ヶ谷・青梅街道の路地裏に入ったところにある小さなギャラリーで個展を行った。このオープニング・パーティーには秋山祐徳太子と昔から親交がある芸術家,評論家などが多数集まり大変に盛り上がったのである。
 まずパーティー会場には『泡沫桀人列伝』にも登場する真島直子や坂入尚文の姿があった。真島や坂入は,今は無き伝説の画廊,神田の「真木・田村画廊」の常連作家であり,「真木・田村画廊」の主人だった故・山岸信郎の呼びかけで集まったアーティストたちによる数々の野外美術展(『現場展』,『TWO WEEKS IN THE SPRING in 館山』など)では私も何度も一緒に出品している。そして西部邁や唐牛真喜子(全学連委員長・唐牛 健太郎の夫人)の姿もあった。この混沌とした空間そのものが秋山祐徳太子的ダダイズムであり,そういう私も秋山祐徳太子に喜んでもらおうと,評論家の浦達也つながりでご縁がある島ひろ子さん(全学連書記長・島成郎夫人)と一緒にこのパーティーに出かけたのであった。

 秋山祐徳太子の系譜をこうして記憶の中でたどってみると,この混沌かつポップな空間の中で,その心根にはしっかりとした脊椎が1本通っているような感じがする。そして,現在レギュラー番組を持つ西部邁とも,こんな接点があったことを思い出して,なぜあの番組に秋山祐徳太子の姿があるのかが今ようやく理解ができた。

■MXテレビ『西部邁ゼミナール』
http://www.mxtv.co.jp/nishibe/
■R70 美術家・秋山祐徳太子氏公認ブログ
http://yutokutaishi-akiyama.blog.so-net.ne.jp/

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