アート

02. Oktober 08

【アート】AACサウンドパフォーマンス道場

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 名古屋で開催されるパフォーミングアーツのコンペティション。私の大学での講義を受講している音楽学部の学生も参加する。
 今日のアートシーンを語る時,ややもすると東京中心になってしまうが,近年では各地方都市が東京とは差別化を図った新たなアートシーンの構築を試みていることが見受けられる。その中でも名古屋は,これまでにもメディアアートのコンペを開催するなど,アートシーンのエッジの部分で東京にはない表現媒体を見ることもできる。
 今回のパフォーミングアーツのコンペは「音」に特化したものだが,その「音」とは,音楽はもちろんのこと,電子的にサンプリングされた「音」,人間の肉声なども表現媒体に含まれる。また展示方法も,インスタレーションから演奏によるパフォーマンス,DJという具合に多岐にわたっている。
 「音」というものをくくりにしたことで,様々な表現媒体が寄り集まっているわけだが,それがかえって普段はあまり同じ空間に顔を合わせないクリエイターたちのコラボレーションを生んでいるわけである。“道場”と銘打っているところも,どことなくアンデパンダン的な雰囲気があり,それは例えば代々木のB-Boy ParkなどのDJバトルのような混沌とした様相を見せている。かつて凄腕のMCたちが出会って奇跡的に結成されたHIPHOPユニット「KICK THE CAN CREW」も,こんな場所から生まれたのであろう。

第3回ACCサウンドパフォーマンス道場公演
2008年10月4日(土)
開演15:00 終演17:30 (開場15:00)
公開審査・受賞者発表・表彰式 18:00~19:00
場所:愛知県芸術劇場小ホール(愛知芸術文化センター地下1階)
入場料 1000円(全自由席)

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28. September 08

【アート】加島祥造墨彩画展 『山河に還る』(10月2日~8日・丸善名古屋栄店)

Photo 加島祥造墨彩画展 『山河に還る』
信州伊那谷の自然の中に暮らし,現代の文人画を目指し,詩を作り,画を描く。
墨彩で描かれた伊那谷の心象風景,および書の新旧作品約40点を展観いたします。
平成20年10月2日(水)~10月8日(水)(最終日16:00閉館)
丸善 名古屋栄店4階ギャラリー
http://www.maruzen.co.jp/corp/shop/nagoya.html
〒460-0008 名古屋市中区栄3-2-7

【加島祥造トークショー】
『求めない』から『受け容れる』へ
10月5日 13:30開場 14:00開演
定員100名
料金2500円(丸善名古屋栄店4階ギャラリーで販売中)
Map_nagoya_01

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08. September 08

【アート】澤田政廣記念美術館(静岡県熱海市)~人間の身体内部を想起させる,“呼吸”し,そして“代謝”する空間~

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 近年のわが国の美術館建築は,ポストモダニズムに即した非常にニュートラルで清廉な空間が多い。ややもするとこれが今日の美術館建築のスタンダードであると認識せざるを得ない感じではあるが,それとはまったくと言っていいほど対照的な建築構造を持つ美術館にも時たま巡り合うこともある。それらはやはり個人の作家の作品を収蔵したテーマ美術館であることが多い。
 静岡県熱海市にある澤田政廣記念美術館もその一つである。ここにはわが国近代具象彫刻の草分けである澤田政廣の戦前からの貴重な作品が収蔵されている。
 私などがわが国の近代美術の歴史を振り返る時,プロレタリアを基軸とした一連の戦前昭和の前衛芸術の面白さに目をひかれてしまいがちだが,この時期に高村光雲らの系譜を継ぐ伝統的な木彫と,西洋のモダニズムの狭間で,まさに孤高の領域で多くの作品を制作した澤田の作品の中にも,戦前,戦中,戦後を横断したわが国の近代美術の源流を見ることができる。
 例えば,1941年,つまり日米開戦の年に制作された「神通」という作品は,当時の日本人たちの高揚する思いが,その天空を浮揚するようなフォルムからもうかがえる。そうかと思えば,壁にレリーフとして展示されている「産業戦士」という作品は,ギリシャ時代のグラディエーターが斧を振りかざす背景に,工場の煙突から煙が上がっている様子は,当時,河辺昌久,村山和義らといった洋画家達によるムーブメントであった構成主義的なプロレタリアートの要素ものぞかせている。
 享年93歳であった澤田が生きた時代は激動の時代であり,その時代とともに産み出されていった芸術は,まさに多面体であると言っていい。その澤田の作品を収めたこの美術館も,身体内部のように有機的に入りくんだ複雑な構造である。
 澤田政廣記念美術館は,JR伊東線 「来宮」にある熱海梅園を流れる初川支流沿いの丘の上に立っている。まず美術館入り口の自動ドアには実に象徴的なフォルムのレリーフ様の装飾がなされ,若干細長い入口をくぐり抜けるとエントランスホールが開けている構造である。展示室に入ると誰でも最初に目につくのは,その壁面である。まるで絨毯の繊維のような苔状のものが全ての壁面に生えている。生えているという表現は少し変だが,これを実際に見た人にとっては,この“生えている”という表現がもっともふさわしいことがわかるであろう。この得体の知れない苔のようなものの正体は,この美術館の内装について詳しく書かれた月刊 『建築仕上技術』 という建築専門誌の151号(1988年2月)の「熱海市立澤田政廣記念館──その内外装仕上げについて──」と題した論文を読めば明らかである。
 ここの美術館を訪れた人の多くが不思議に思っていたその苔のようなものの正体とは,実はナイロン繊維でできた人工苔なのである。この人工苔を全ての壁面にコンプレッサーで静電植毛することによって,あの不思議な空間ができていたのだ。ありがたいことに,この人工苔が植毛された壁面は自由に手で触れることができる。美術館の手すりなどがところどころ禿げているのは,来場者によって触れられた跡である。しかもこのナイロンの人工苔は,この不思議な美観だけではなく,実際に防湿効果,保温効果,防音効果をもたらしているというから驚きである。まるで生きた身体内部組織のように代謝しているのである。宛ら子宮体部や消化管粘膜の絨毛組織といったところだ。
Photo_4   こればかりではない,ここの美術館に感じる独特の有機的な空気は,その構造にも理由がありそうだ。月刊 『建築仕上技術』 に掲載されている美術館の平面図を見ると,それが成人女性の子宮の断面図と非常によく似ているのである。つまり,まず美術館の入り口からエントランスにかけての細い通路は膣口から子宮膣部に相当し,左側の第一展示室と右側の第二展示室の角が子宮頚部である。そして子宮口に相当する蓮華の部屋を進んでいくと,その奥には子宮体部が広がっているという構造である。この点を考えると,壁面に植毛されたナイロン繊維の人工苔も,あたかも子宮体部の絨毛組織に思えてくるから不思議だ。しかも時折,美術館の来場者がこの“子宮体部”の空間で休憩をとり寛いでいたりする。
 熱海梅園内にあるこの美術館は,普段から熱海市民の散歩コースになっているようで,入館料も310円と安いせいか,散歩の休憩スポットとして訪れる人も多いそうである。そういう人たちも違和感なく受け入れてしまうこの空間は,まさに“母体”というのにふさわしいのかもしれない。その思いは,この建物から外へ出る時にも感じられる。採光はステンドグラスを利用するなどして最小限に留め,少し暗めの落ち着いた空間から外へ出る時に,入口の自動ドアが開いた瞬間に外界の光が一気に目に入ってくる様子は,まるで母体からこの世界に産まれ落ちる瞬間をも想起させる。これが偶然の産物なのか否かは定かではないが,間違いなくこの空間は,人間の身体内部のように呼吸し,代謝していることは間違いない。それは日頃の喧騒の中で失われがちなわれわれの五感や身体性を回復する装置としてもはたらいているのだ。

 

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25. August 08

【コラム】詩人・加島祥造さんを囲んでの夕食会(伊那谷・晩晴館にて)

8月23日 晩晴館 蕎麦と花火の会の様子(動画)

 詩人で英米文学者の加島祥造さんを囲んでの夕食会が,加島さんのアトリエ 「晩晴館」 の庭で開かれた。
 加島さんはもともとフォークナー研究の第一人者として内外に知られる英米文学者で,大学教官時代(信州大学,横浜国立大学)は,多くの英米文学の翻訳も手がけてこられた方である。近年は老子,荘子,白楽天などの中国の漢詩を自由律で和訳する一連の仕事に取り組まれている。昨年はそのような長年の仕事の集大成とも言うべき詩集 『求めない』 (小学館)が詩集では異例のベストセラーとなり,この詩集がきっかけで加島さんのことを知った方々も多いであろう。
 今回の夕食会の会場になったのは加島さんが住まいをかねて信州の伊那谷に構えた広いアトリエの庭。このアトリエ自体を 「晩晴館」 と呼ぶ。夕食会のためにここに集まったのは,新聞社,出版関係者やドキュメンタリー作家をはじめ,地元芸術家や音楽家,画廊オーナーなど総勢70名ほど。皆さんそれぞれに加島さんとは不思議なご縁のある方々ばかりである。
 私と加島さんとの出会いは今から4年ほど前になる。加島さんとのご縁は,私が 『芸術・思想家のラストメッセージ』(フィルムアート社刊)という本の中でユングの短い評伝を書いた際,ユングの晩年の心境を表した個所でどうしても老子の言葉を引用したくていろいろと文献をあたっていたところ,加島さんが翻訳した道徳径の中に素晴らしいセンテンスをたくさん見つけて,加島さんの言葉を引用させていただいたのが始まりである。
 老子を始めとする漢文は,読み方はもとより,その意味すらも抽象的で難解である。それに対して加島さんが全訳に取り組まれた道徳径全81章は,暖かい液体のように自然と心と体に入ってくるような文章である。それはユングが独文で書いた自伝に引用されていた老子の言葉にもっともニュアンスが近かったのである。私は 『芸術・思想家のラストメッセージ』 が上梓されるとすぐにこの本と,これまでの自著のいくつかを併せて加島さんにお送りした。その後,加島さんからもお礼のお手紙をいただいた。普通ならばここで終わるところだが,しばらくしてまた加島さんからお手紙をいただいた。その内容は,自分はユングの言葉について10年来探している言葉があって,その言葉が本当にユング自身が言った言葉なのかを知りたい,という内容のものであった。
 加島さんが長年探していたユングの言葉とは,これである。

“人間にとって決定的な問いとは,自分が限りなきものとつながっているかどうか,ということである”

 これは間違いなくユング自身が言った言葉で,私も独文と英文で書かれたユングの自伝を両方とも原著で読んでいるからすぐにわかった。そこで私は英米文学者でもある加島さん宛てに,英語版のユングの自伝の中からこの言葉が出てくるページをコピーしてお送りしたのである。それを受け取られた加島さんはたいへんに喜んで下さり,後に加島さんが出版された著書 『エッセンシャル タオ』(講談社)のイントロに,このユングの言葉を載せている。
 これらのことを通じて私と加島さんの交流が始まったのだが,後からいろいろと不思議なことがわかってきた。その一つは,私と加島さんがほぼ同時期に,デイヴィッド・ローゼンのユング研究書をやはり原著で読んでいたことである。もちろん私が加島さんと知り合うずっと以前の事である。まさにユングのいうところの“地下茎”とか,仏教哲学の阿頼耶識の領域にでもふれたような体験であった。そして晩年ユングが自伝に老子の言葉をいくつも引用していった心境も少しずつ理解できるようになったのである。
 おそらく私の他にも,毎年この「晩晴館」に集まる方々は,いろいろなかたちで加島さんと不思議なご縁がある方ばかりなのであろう。谷の中にひっそりと立つそのアトリエは,名も無きあぜ道や小川などに囲まれ,生命の源のようなエナジーがみなぎっている,老子のいうところの「玄」の領域そのものなのである。ここで信州の山の幸を皆で戴きながら,虫の音とともに天竜川の花火大会を見て楽しむひとときは,われわれに滋養を与えてくれる。

【加島祥造さんの最近の著書】
詩集『加島祥造セレクション 秋の光』(港の人,1890円)
『静けさに帰る(帯津良一氏との対談集)』(風雲社,1575円)
『LIFE』(パルコ出版,1575円)
『HARA-腹意識への目覚』(朝日文庫,525円)

【加島祥造さん個展案内】
10月2日(木)~8日(水) 名古屋丸善ギャラリー
(丸善名古屋栄店 4階ギャラリー)

【加島祥造さんトークショー】
9月13日 北九州市民文化大学
問い合わせ=同大学事務局 090-522-5008

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11. August 08

【アート】京橋・藍画廊,今年の12月に20年の京橋時代に幕を下ろす。~来年からは銀座で再スタートの予定~

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井上リサ 「Doctor's Hand 1994」 インスタレーション
血液製剤,ヘパリン,注射器,無菌グローブ,アクリルボックス
1994年 藍画廊



 中央区京橋で,20年間現代アートのギャラリーとして親しまれてきた藍画廊が,今年いっぱいでいったん幕を閉じることになった。
 藍画廊が1980年代後半に京橋に開廊してからの20年という歳月は,現代アートの世界では実に目まぐるしく時代が過ぎて行った時期と重なる。80年代までは,東京の主要な現代アートの画廊は銀座界隈に集まり,美術記者や評論家も,京橋から新橋あたりまでを歩きながら画廊周りをする光景をよく見かけた。あの時代に何か新しいものを見たければ,銀座にいけば見られる時代でもあった。
 かつて銀座界隈にひしめくようにあった現代アートの画廊の多くは,いわゆる「貸し画廊」と称されるものであった。これは欧米のコマーシャルギャラリーと比べても特異な状況ではある。「貸し画廊」とは,1週間,あるいは2週間ほど美術作家がそのスペースをお金を出して貸し切り,そこで自分の作品の展示を行うというものである。このシステムは既存の「貸しスペース」と変わらないではないかと言われれば,そのとおりなのだが,それでも「貸し画廊」は,新人作家たちの発表の機会を得るためのアンデパンダン的役割を果たしてきたのは事実である。映画に例えれば,優れた新人監督に上映の機会を与えているミニシアターのようなものだ。
 時代は移り変わって,わが国の現代アート業界にメディアやコマーシャリズムが入ってきた時に,画廊本来の方向性を失って,閉廊,移転をしていった画廊も数多い。そして現代アートの大きなトレンドが青山,表参道,六本木といった新規参入エリアにシフトしていってからは,銀座はかつてのような画廊街ではなくなっていった。そのような背景の中でも銀座に残ったいくつかの画廊は,画廊独自で外部に向けた様々な企画展を開催するなど,その存在意義について模索を繰り返してきた。藍画廊もそのような画廊の一つである。銀座と隣接する京橋で20年間活動を続けてきたということは,わが国の現代アートにおける末端やエッジの部分を現場で見続けてきたことを意味している。藍画廊のほぼ正方形の白いニュートラルな空間は,あらゆる作家の作品とシビアに対峙してきた空間である。藍画廊自体は移転・存続するにしても,このような空間がなくなってしまうのは少々寂しい気持ちにもなる。
 この藍画廊では,まだ少し先の話だが,藍画廊閉廊に因んで,12月の15日から『京橋3-3-8』という最後の企画展が開催される予定である。この“3-3-8”とは藍画廊の現住所であり,この企画展に出品される作品も30×30×8cm以下の作品というルールも定められている。出品作家も,今まで何らかの展覧会で藍画廊と関わりのある美術作家たちの作品が出品される。そしてこの展覧会をもって京橋時代の藍画廊はいったん幕を閉じ,来年は元「ギャラリー21+葉」(中央区銀座1-5-2)があった空間に移転し,新たにスタートを切ることになる。現在の藍画廊と「ギャラリー21+葉」の空間はまったく異なる空間である。そこでどのように,新たな空間が立ち上がっていくのかを見守りたい。

【京橋3-3-8】展
2008年12月15日(月)~24日(水)
藍画廊
〒104-0031 東京都中央区京橋3-3-8 新京橋ビル1F
Webページ http://homepage.mac.com/mfukuda2/ 

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06. Juni 07

名古屋ボストン美術館『アメリカ絵画 子どもの世界』

 現在、名古屋ボストン美術館では『アメリカ絵画 子どもの世界』展が開催中である。この展覧会がスタートしたのが今年の3月17日で、開催期間は8月19日までと長く、場所も名鉄「金山」駅前とアクセスもたいへんに良い。
 一般に、アメリカ絵画、またはアメリカ美術という言葉から連想されるのは、まず第一にウォーホルを筆頭とするポップアートであろう。普段からアートにはあまり関心のない人でも彼の作品や、あるいは彼の作品の亜流といえるような広告ならば、どこかで一度は目にしているであろう。工業製品から食品にいたるまでマス・プロデュースされたアメリカの断片──社会学者ジョージ・リッツァーの言葉を借りるならば“マクドナライゼーション”された社会の断片を切り取る彼の作品は、今もって今日的でもある。一方で、アートに多少の関心のある人ならば、スーパー・リアリズムや現代アートの作家たちの名前が浮かんでくるかもしれない。たとえば、1985年にアメリカ大使館などの後援で新宿・伊勢丹美術館で開催された『スーパーリアリズム展』は、当時わが国のイラストレーション・シーンにおいてエアー・ブラシによるスーパーリアリズム(あるいはハイパーリアリズム)的技法が流行していた状況下で、絵筆も駆使したその技法に多くの興味が注がれた。しかしそのために、作品の重要な社会的背景、いわゆるベトナム戦争を経て生成された「アメリカの病」という成分は濾過されたかたちで、新しいアメリカン・リアリズムとして見た人の記憶に焼き付いている。
 現在名古屋ボストン美術館で展示されている絵画は、そのいずれでもない。ここに展示される作品は、南北戦争を経たアメリカの近代である。このような作品がアメリカ絵画という単体として一堂に集まるのは稀であり、それだけでも貴重な上に、作品のテーマを「子ども」としたこともユニークである。
 ここに描かれた子どもたちは実に様々な顔を持っている。近代という時代は、まさにアメリカという国がフォスターのフォークソングによって体現されていた農業国家から徐々に工業国家へと移行する時代であり、近代という夜明けに夢や希望を抱きつつも、現実には歴然とした格差が存在している。画家たちは、このような混沌とした状況の中で、見た目には、健康状態、発育状態ともに良好に映る子どもたちを多く描いている。技法はクリザイユなどの西洋絵画古典技法がベースになっており、画風としてはヨーロッパ中流階級のポートレイトにも見えなくもないが、実に不自然な面も見ることができる。それは、本来もっと悲惨な姿をさらけ出すはずの貧しい子どもたちも、他の中産階級の家庭の子どもたちと同様に健康的に描かれていることだ。
 たとえば、ジョン・ジョージ・ブラウンの『疲れ切った靴磨きの少年』という作品だが、暗い背景には確かにほころびのある服を着た少年が、一日の過酷な労働の後に疲れきって壁に寄りかかるようにして休んでいる。しかしその少年の身体の発育状態は良好で、顔色も良く、このような状況から、貧困層の子どもにみられる貧血やビタミン欠乏といった様子は見て取れない。これは、当時の画家たちが、富裕層からパトロンを得るために、彼らに気を使い、彼らが目を向けたくない現実──つまりは、子どもたちの間には悲惨な格差が存在し、それが長らく放置されている状況をあえて描かなかったのだという。同じリアリズム絵画でも、たとえばスーパー・リアリズム絵画がすべてのアメリカの現実・日常を公平かつ冷静に平面化することで、アメリカ社会を批評したのとは対照的である。
 当時の子どもたちの置かれた状況を医学史、公衆衛生学の点から考察するともっと分かりやすい。この時代の子どもたちを健康的に苦しめていたのはポリオなどを始めとした伝染病などである。これにより、高熱による脱水や下痢などで多くの乳幼児が死んだ。これを食い止めようと、内科ではなく小児科の分野で輸液療法(点滴)が発達していったのは必然である。現代の輸液療法の基礎を築いたアレクシス・ハルトマン、ダニエル・ダロウ、アラン・マーシー・バトラーらの代表的なアメリカ人医学者たちは、全員小児科医出身であり、彼らの祖先がこの南北戦争時代に欧州、おもにドイツ、イギリスから入植したのだ。また彼らは、小児科という診療分野に「養育」という概念も体系的に入れて、小児の発育格差の是正にも取り組んだのだが、それは困難を極めた。
 このように見ていくと、アメリカ近代絵画に描かれた世界や時代背景は、アメリカ近代医学が急速に加速しながら格差を生み、それが現在に至ってもいまだ解決されていない現実とも強く結び付いているように思う。

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