歴史・民俗

25. Juli 11

【民俗】東日本大震災復興・相馬野馬追(福島県南相馬市)~シリーズ・カミサマを訪ねる(2)

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04. April 10

【民俗】 金山神社『かなまら祭』(2010年4月4日)~シリーズ・カミサマを訪ねる(1)~

 京急・川崎大師駅から徒歩2分ほどのところにある金山神社では、毎年4月の第一日曜日には『かなまら祭』が盛大に行われる。この地域では川崎大師が外国人観光客からも最も知名度が高いが、この日だけは報道陣も外国人も、この奇祭を一目見ようと金山神社に詰めかける。
 『かなまら祭』とは、もともとは鍛冶のカミサマを祀る金山神社が、願掛けの行事として始めたものだ。それが「かなまら講」として伝承され、商売繁盛の他に、子宝、安産、夫婦和合に加え、この祭りが奇祭として海外に配信された事により、近年では病封じ(エイズ除け)の祭りとしても定着しつつある。
 小さな神社が地元の「講」として行われていた祭りが奇祭として世界的にも有名になったのは、ここの神社の御神体を見れば一目瞭然である。『かなまら祭』の御神体は、カナマラサマ(金摩羅様)という巨大な男性器のカミサマなのである。
 男性器を祀るカミサマとして他に知られるカミサマは、柳田國男の『遠野物語』に登場するコンセイサマ(金勢様)が有名である。岩手・大沢温泉にある金勢神社に祀られるコンセイサマは長さ1.4mのケヤキで出来た御神体で、毎年4月29日の『例大祭』には御神体のある大久保山からコンセイサマを下山させ、大沢温泉に入れる儀式が行われている。このカミサマも川崎のカナマラサマと同じく子宝、安産、夫婦和合のカミサマである。この他にも『遠野物語』の岩手では、山道などには石で出来たコンセイサマが道祖神として祀られている。女性が目をつぶったままコンセイサマの周囲を回ると子宝に恵まれるという言い伝えがある。

 近代までは、このような奇祭といわれる類のものは、欧米発祥の文化人類学の中では土着的なもの、衆俗的なものとして低位に捉えられてきた。これは医療人類学においてもそうであるが、西洋的学問体系に含まれないものは、オルタネイティヴ(異質)なものとしてアウトサイダー的に認識されてきたものである。特にわが国のように神仏混交でもあり、その根底に古代神道としての「八百万神」(ヤオヨロズノカミ)信仰が内在する民俗的背景は、一神教の諸国から見るとなかなか理解し難いものである。しかもキリスト教の様な経典はなく、多くはそれぞれの村落共同体(部落)の中で代々にわたり口述伝承されてきたものであり、この事においてもどこか密教的イメージをもたれてきた。
 この事からもわかるように、例えばキリスト教における「神」とわが国における「カミサマ」は、同じ神でもまったく異なるのである。

 『かなまら祭』が毎年行われる金山神社は、京急の駅から徒歩2分の住宅街の中にある。手前にはクリニックがあり、神社の敷地の中には幼稚園もある。四方は舗装された車線が走っており、周囲には中層の新興マンションが立ち並んでいる。岩手の遠野などとはまったく異なった環境なのだが、この郊外の都市の中にあっても「かなまら講」は代々伝承されてきたのである。近くにある川崎大師とは異なり、祭り以外は地元の参拝客しか訪れることはない小さな神社が、この時ばかりは「ハレ」の空間となる。
 わが国の民俗信仰が、人々の生活形態が変化してもこのように残ってきたのは、そこに「ハレ」と「ケ」の空間が息づいているからである。「ハレ」とは「晴れの日」の事だ。普段は慎ましく「ケ」の日常で暮らしている村落の人々が、一年に一度の「ハレ」の舞台には、「ケ」の空間で集積されてきた一年分の情念を外に出す日なのである。これはある種のカタルシスでもあり、「酒」と「狂気」がつきものになる。
 日本にいる800万のカミサマたちも、このカナマラサマを含めて、実に多彩、多様。その上、荒々しいカミサマも多い。わが国において「カミ」を祀る行為とは、一神教の「神」のように崇拝するのとは少々異なる。むしろ、これ以上カミサマが暴れないように、一年に一度だけカミサマのエネルギーを放出させて、「魂抜き」を行った後、静かに納める行為なのである。これは時に「災害封じ」、「飢饉封じ」、また「病封じ」でも行われた事であり、古来の日本人が、いかに生活の中でカミサマと共存してきたのかが分かるであろう。
 カナマラサマは岩手県・遠野のコンセイサマと同じく男性器のカミサマである。これが「ケ」の日常において見る限りは、どこか滑稽でいて、しかも卑猥なものに見えてしまうが、「ハレ」の空間に降りたったカナマラサマは勇猛な荒々しいカミになる。全ての障害物をもその一突きで貫通するように進むカナマラサマは、人間の持つ原初的な闘争心を呼び起こすものである。時折ローカルニュースなどでこの祭りの様子を流す時に、けしからん事にカナマラサマにモザイク処理を施した映像も散見する。これはまことに愚かな行為であり、そもそも「祀り」事の意味が分かっていない。「性」についても明るく、猛々しく、開放的なのが日本のカミサマなのである。カミサマの前では老若男女、皆が村落共同体の一員なのである。
 昨今、「多文化共生」や「地域主権」なる珍妙な言葉が世間を賑わしているようであるが、今こそ求められるのは昔ながらの「地縁」、「血縁」の「講」を中心とした「共同体社会」の復興である。そして、この「講」的空間の中には、「ネットの縁」という新たな繋がりも加えていいだろう。何故なら、800万もいるカミサマの中には、ネットのカミサマだってどこかにいるであろうからだ。

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