メディア・ジャーナリズム

25. Mai 11

【メディア】女川『うみねこタイムズ』創刊

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 5月12日に,東日本大震災の被災地である女川に,地元女川町民の手による地域紙『うみねこタイムズ』が創刊された。
 女川を始めとする東北地方で購読されている新聞として最もよく知られたものは『河北新報』である。その他には役場が発行している機関紙『女川広報』が地区長を通して女川町の全世帯に配布されている。
 このたび創刊された『うみねこタイムズ』は,現在も被災地で避難所生活を続ける女川町民の為の生活情報を伝えるものである。紙面はB4一面で,活字は写植ではなく全て手書きだ。これが現在『河北新報』に織り込みされて,各地区の避難所に届けられている。
 内容は,まず女川の地理に沿って細かく書かれた避難所マップがある。指ヶ浜地区の「かっぱ農園」避難所から,塚浜地区の「女川原子力発電所」避難所にかけて,自治体に指定された全17個所の避難所と,その収容人数が記されている。さらに,移転,他府県への疎開のために閉鎖,再編された避難所があれば,異動人数も明記されている。
 この避難所マップは,これからも逐次情報が更新されていくと思われ,避難所再編や収容人数の変化により,町の復旧の様子が手に取る様に分かるであろう。つまり,町内のたった数人の異動であっても,そこには人の営みがあり,今まで名も知らぬままであった人口1万の小さな漁撈集落の存在を,身体的なリアリズムをもって認識できるであろう。
 この他にも,ボランティア活動報告,営業再開情報,満潮時刻表,在宅避難地区・物資配給情報,避難所レポートなど,読者も記者も発行者も地元町民ならではの生活情報が網羅されている。これらは,被災の大きさをことさらに伝えようとするアウトサイダー(部外者)である中央メディアではけして伝えきれないものだ。そして集落の中で分散した町民らのライフラインとなっているのである。

■『うみねこ』とは伝統的漁撈集落の象徴
 平安『三代実録』,『女川町誌』,『女川町震嘯誌』など,過去千年の集落の歴史を文献で辿れば,かつて女川町は,東北の経済を支える先進的な漁業基地であった事がわかる。古くは日本水産創始者の岡十郎が当時最先端だったノルウェー捕鯨を創業し,その捕鯨基地を女川港に開き,加工工場を石浜に作った。一方で大洋漁業の中部幾次郎と極洋捕鯨の山地土佐太郎は鮎川に捕鯨基地を開く。
 これにより女川湾には大型船舶が多く往来するようになり,三陸を代表とする一大前線基地となっていったのである。そしてこの豊かな魚場の上には,いつも無数のうみねこ達が舞っている。
 この状況を見たスペイン使節のビスカイノは,慶長16年の『金銀島探検』の中で,石浜、竹ノ浦などを指して“良港”と言っているのである。

■在宅避難地区・物資配給情報
 『うみねこタイムズ』第2号には在宅避難地区の情報も掲載されている。
 現在女川では,復興後の都市計画案として,高台移転と集落統合という難しい問題が出てきている。これは,再び津波で被災しないようにと自治体側が考えている復興計画の一つである。ひところ町作りで提唱された,いわゆる「コンパクトシティ」という概念だ。
 しかし,この案について多くの町民から異論が出た。町民にとっては効率化,即ちそれは今まで脈々と伝承されてきた独自の漁撈民俗やそこでの常民文化の解体を意味するからである。
 平安『三代実録』を紐解けば,女川は藩政時代の女川組二十浜の頃から今日まで,貞観,慶長と再三にわたる大津波で被災し,また,外部からの軍勢に苦しめられたが,一度たりとも女川の名が地図から消えた事がなかった。平成の町村合併においても,女川よりも人口が多い隣町との合併も受け入れず,独自の村落共同体を守ってきた土地柄がある。
 この強い結びつきの土地柄ゆえ,自治体が指定した公的避難所ではなく,集落内の民家などで避難生活を送っている町民も多くいる。その被災者のライフラインをカバーするのが在宅避難地区情報なのである。ここでは集落ごとにルールが決められ,その取りまとめ役が救援隊の窓口となる。大都市ならば行政からこぼれ落ちてしまいそうな人々を,いわば「女川方式」ともいえる今日的な「講」組織により支えているのである。

■営業再開情報
 今回の震災による地震,津波により,女川町は町の実に80%近くが甚大な被害を受けた。被災地から送られてくる多くの写真を見た限りでは,無傷で残っている建物はほんの僅かであり,その被災地の様相は,あたかも広島型の核爆弾が投下された様な状況なのである。そんな中でも立地上,奇跡的に大きな被災を免れた商店,水産加工会社が,震災直後から徐々に操業を開始している。
 その中でも不自由な避難所暮らしをする被災者を勇気づけたのは,テレビ東京の番組『ガイアの夜明け』でも取り上げられた老舗蒲鉾屋の「高政」である。「高政」は,震災直後から工場を操業し,揚げたての温かい蒲鉾を,避難所にいる町民に配って回ったのである。集落喪失の危機にある中,この女川のソウルフードは,人々に震災を生き抜く力を与えた事であろう。
 この『うみねこタイムズ』では,そうした商店の営業再開情報を詳細に掲載している。食堂,理髪店,新聞販売所など,まだ数えるほどしかないが,やがてこの欄の賑やかになり,復興の狼煙があがっていくのであろう。
 
※なお,『うみねこタイムズ』は,公式webページにてpdfファイルで閲覧する事ができる。
http://web.me.com/onagawa/Site/Umineko_Times/Umineko_Times.html

【付記】
 今回の大きな震災で,事あるごとに比較される2つの発電所,即ち,東京電力の福島第一原子力発電所と,東北電力の女川原子力発電所。そのあまりのコントラストの違いに驚くのであるが,それにも増して複雑で,尚且つ興味深かったのは,しばしば“原発”と言われて人々に忌み嫌われ,本来は人間を寄せ付けないはずの原子力発電所という空間が,自然発生的に住民の避難所となっている事である。この事実をどう評価するかは人それぞれであるが,まだまだ考察の余地が多々ある。少なくても私が知る限り,このような空間は世界においてここだけにしか存在しない。そしてこの発電所は,女川という伝統的な漁撈集落の一角をなす村落共同体の一部となっている事はまぎれもない事実である。

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21. März 11

【コラム】「東北関東大震災」,その呼称をめぐる「言葉」と「身体」

 2011年3月11日に発生した戦後最大級の大地震と津波は,東北,北関東という広い地域に甚大な被害をもたらした。この大地震は今のところ,「東北関東大震災」,「東日本大震災」,「東北地方太平洋沖地震」と呼ばれている。かつての阪神大震災や中越地震とは異なり,あまりにも被害地域が広い。それゆえにこのような名称が付与されたのであろう。
 その中で,私がこのコラムの表題で主にNHKが採用している「東北関東大震災」を使用したのは他でもない,この震災を,当事者性を持って受け止める為である。

 日本国内で大災害が起こった時,それが東京から離れていれば離れているほど,東京人にとっては他人事に映る。日本の中枢機能が集結した帝都東京は,どんな事があっても潰れないという神話的な都市伝説に覆われている。それを一瞬だけ覆したのが1995年に東京都心で同時多発的に起こったカルト集団オウム真理教による「地下鉄サリン・テロ」であるが,これも,まさに喉元過ぎれば熱さ忘れるという状況で,今現在も当時の様に防災グッズを枕元に置いて寝ている人は少ないであろう。こういう状況の中で起こったのが今回の「東北関東大震災」なのである。

 かつて阪神大震災が起きた年,パロディストのマッド・アマノが今見ても非常にインパクトの強い作品を制作した。それは東京23区の地図の作品である。一瞬見ただけでは何の変哲も無いただの地図であるが,よく見ると,23区の江東区,江戸川区あたりのエリアが,阪神大震災で最も被害が甚大であった灘区,長田区,御影町の地図と部分的に入れ替わっているのである。
 私はこの作品を見た時に,一瞬だが背筋の寒い思いをした事を今でも身体的に記憶している。江東区周辺は海抜ゼロメートル地帯であり,もし今回の様な大津波が来たとしたら,おそらく今のままの防災体制では町全体を防衛できないであろう。マッド・アマノの作品は,今思うとそれを予見するような作品であった。

 そして今回の大地震を,「東日本大震災」,または「東北地方太平洋沖地震」ともし呼ぶならば,停電と,東北地方と比べて僅かな死傷者だった東京は,まだ幾分だが感覚的には他人事でいられたわけである。しかしそれを「東北関東大震災」とあえて呼ぶ事で,途端にこの震災の大きさが身体性を持ってのしかかって来るのである。
 津波で集落の2つ3つが一瞬にして消失するなど,まったく想像し難い。あまりにも多くの死者の人数は,それをリアリズムを持って捉える事も困難である。
 この大地震が来る一週間前,私は長年懇意のあった知人を癌で亡くしたが,この知人と同様に,震災で亡くなった1万人以上の方々にはそれぞれの人生模様があり,歴史があったわけである。しかし,それを理解し,知ろうとするにはあまりにも数が多すぎて,1人の人間の頭で想像する許容量を超えてしまっているのである。
 そして何よりも,首都東京の下層を神経の様に複雑に這うインフラが,電力も含めてかなり多くの部分で近隣他県からも享受されていた事にあらためて気づく。
 特に,原子力発電所の被災による幾多のデマでパニックになった都民を見ていると,マッド・アマノの作品を突き付けたくなる。テレビでは原子力発電所の被災の様子を刻々と伝え,それを見て右往左往する都民が多くいるが,彼らの口からは,“原発の町”とともに生きてきた地域住民の気持ちや,復興後の原発界隈の地元経済,観光について心配するような意見はなかなか聞かれない。
 今まで他所に多大なるリスクを負わせて享楽的に発展してきた「東京」というインテリジェンスが,まるで「病」に侵された箇所だけを切除して,自分だけは生き残ろうとするような,ある数の冷たさを感じてしまったのも事実である。それに対し,私に何ができるかと考えた時,せいぜい以前から所有していたガイガーカウンターで朝晩の放射線量を測定し,そのデータをネットにあげて近隣の友人達を安心させる事。それから,原発の修理が終わって被災地が復興したら,そこを観光で訪れる事ぐらいしか出来ない。

 ということで,最後に,近年熱海の町づくり,町興しに関わってきた者として,“原発の町”女川(宮城),双葉町(福島)の復興を願い,観光案内をして終わりにしたいと思う。
 
 宮城県女川町は,風光明媚なリアス式海岸に囲まれ,牡蠣,ホタテ,銀鮭などの養殖が盛んな漁師町である。町のいたるところには良質な温泉がたくさんあり,この眺めは熱海の伊豆多賀の風景を彷彿とさせる。また,眼下に広がる海は全国のアングラーにとっても絶好の釣りスポット。釣りビギナーでもアイナメ、メバル、タナゴを釣って楽しむ事ができ,町内にも多くの釣具店がある。
 観光スポットとしてお薦めなのは,水産観光センター「マリンパル女川」。ここでは女川の水産業のPRの他に,海洋をテーマとした生物多様性について広い知識を得る事もでき,夏休みの自由研究には最も相応しい場所である。また,ここに併設されたフードコーナーでは女川の水産加工品を食べる事もできる。

 福島県双葉郡の浜通りは,JRが「グルメ街道」として売り出すほどの,知る人ぞ知る食べ歩きスポット。カレイ,ホタテ,その他港で水揚げされた海産物が並び,この光景は熱海網代の干物銀座の様な賑わい。そしてもちろん周辺には良質の温泉が限りなくある。特に,近年映画『フラガール』で有名になったいわき市界隈には老舗旅館が立ち並び,毎年開催される町の観光プログラム「いわきフラオンパク」では,多岐にわたる体験プログラムで町の歴史,伝統,民俗まで見聞を広げる事が出来る。

 ここに紹介した施設,イベントは,現在は多くが被災している。しかし,復興した町の姿を想像しつつ,あえてこのような文章を書いてみた。
 原発の修理が完了し,安全宣言が出て,町に人々が戻って復興が始まったら,私は大勢でこの原発の町を訪れ,震災復興「福島・宮城温泉巡り+釣り・食い倒れ+女川原発見学」オフを決行し,かつての被災地で豪遊する予定である。

女川町公式
http://www.town.onagawa.miyagi.jp/maintop.html

マリンパル女川
http://www.marinepal.com/

女川原子力PRセンター
http://www.tohoku-epco.co.jp/pr/onagawa/index.html

双葉町商店街公式
http://www.newcs.futaba.fukushima.jp/futaba/guide/shop/

にほんブログ村(福島県双葉郡)
http://chiiki.blogmura.com/fukushimaken/07545.html

福島県浜通り日帰り温泉
http://www.nextftp.com/terasawa/fukusima-hamadori-spa.htm

いわきフラオンパク
http://iwakihula.onpaku.com/

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05. März 11

【映画】 齊藤潤一監督『平成ジレンマ』(2011年,配給・東海テレビ)

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 かつて1980年代に社会問題となっていた校内暴力,非行,登校拒否の未成年達を,厳しいヨットの訓練で更生させる施設として注目されていた戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長の半生を追ったドキュメンタリー作品。
 この作品は,昨年東海テレビの制作でテレビ放映されると大きな反響を呼び,今回はテレビ放送では未公開だったシーンを加え,新たに再編集して1本のドキュメンタリー映画として公開された。
 冒頭で私があえて“戸塚宏校長の半生を追ったドキュメンタリー”と書いたのは,この作品が,単に戸塚ヨットスクールと戸塚宏の教育論に「是・非」を問うだけの作品ではないからだ。
 まずファーストカット導入部では,いわゆる戸塚宏と数名のコーチが「犯罪者」として裁かれた戸塚ヨット事件の当時のニュース映像が挿入される。当時この映像を見た記憶がある者は,恐らくは戸塚宏という人物がこの世の「鬼」か「化け物」に見えたであろう。報道番組で連日繰り返し流されるセンセーショナルな体罰シーンだけを見せられた我々は,そこに至るまでの理由も知る事もなく,戸塚宏をマスメディアの中で「化け物」に仕立て上げて,一方的に批判してきたともいえる。

 これは意外に世間ではあまり知られていないようであるが,戸塚ヨットスクールは,開校当時から今のような更生施設であったわけではない。もともとは世界的ヨットマンであった戸塚宏が,地元市民や子供たちにヨットの楽しさを教えるために開いたヨット教室が前身である。そこにたまたま不登校や非行などの問題を抱えた子供が入校してきて,ヨットの厳しい訓練を受けるうちに立ち直っていったという口コミが全国に広がり,やがて非行の子供達だけの更生施設となっていったのである。
 映画の中で戸塚宏は再三にわたって「こんな子供にしたのは誰なんだ?どんな世の中がこういう子達を作ったんだ?」と問いかける。
 金属バット殺人事件を象徴とする家庭内暴力や校内暴力という言葉がしばしば聞かれるようになった70年代後半から80年代にかけて,様々な教育評論家や,今でいうプロ教師達がテレビに出る中で,ひと際異彩を放っていたのが戸塚宏である。親にも学校の教師にも制止する事ができない問題児の暴走はいったい誰が止めるのか。それは「社会で育てましょう」などと言う評論家の生ぬるい言葉に託すより,当時の世の中は戸塚宏を待望したのではなかったのか。

 実は,『平成ジレンマ』が制作される以前,過去に戸塚ヨットスクールを題材にした映画がもう一つある。西河克己監督『スパルタの海』(1983)だ。これは当時,『東京新聞』に連載されていた同名のルポルタージュを同名映画化したもので,伊東四郎が戸塚宏の役をやって当時から話題になった。
 そして数年後,ヨット訓練生が事故死するという戸塚ヨット事件が起こると,この作品はいつのまにか封印されてしまった。それ以降,ほぼ全てのメディアが掌を返すように一斉に戸塚宏を叩きだしたのだ。今のようなネットの無い時代である。当時の我々は戸塚宏の生の声を直接聞く機会もなく,彼を「化け物」にしてしまったのである。
 『平成ジレンマ』では,これまで当時のマスメディアによって長らく封印されていた戸塚宏の「言葉」を少しずつ紐解いていく。その言葉一つ一つは戸塚宏によって肉体言語化されたものであり,非常に重い。あの事件後“戸塚被告”,そして“戸塚受刑者”となり,刑期を終えて再びヨットスクールに戻ってきた戸塚宏は現在70代である。そして,かつて「暴力」「体罰」とまで言われた厳しい訓練法は封印されてしまっている。70代になったこの「化け物」は,両手の手錠こそは外されたが,再び暴れないように見えない足枷がつけられている。
 しかし,この手負いの「化け物」戸塚宏のもとにやってくる者は後を絶たない。マスメディアと世論と権力によって抹殺されたかにみえたこの空間は,現代の教育の歪み――即ち,ニート,引きこもり,不登校,薬物依存,そして集団での協調性がなく問題を起こす情緒障害児の漂流地点となっていたのである。
 入学金は315万円で月々の月謝は寮での生活費込みで11万円。一度卒業しても社会復帰出来ず,再びここへ戻ってきた時は新たに入学金を取る事はない。コーチ,スタッフの年金や退職金ももちろん無く,現在は赤字経営である。そのうえ,スクール内で少しでも問題が起きるとどこからともなくハエの様なマスコミが一斉にたかってくる。そして故意に「化け物」を挑発し,「化け物」が狂って暴れ出すシャッターチャンスをうかがっているのだ。
 こんな状況について戸塚宏は,先日の公開討論会の中でこのように述べている。
「情報にはインフォメーションとインテリジェンスの2種類ある。何らかの意図をもって編集されたものがインフォメーションである。」
 これは日本のマスメディアが長らく抱えている問題そのものである。当時,戸塚ヨット事件にふれた我々は,編集されたインフォメーションによって,訓練生や訓練生の親,そして戸塚宏自身からこぼれ落ちた声を拾い集める手段を持っていなかった。今回『平成ジレンマ』という作品を通してその断片を拾い,海に面した「化け物」のアジトを,外と中から見る機会を得た。
 現在,新生・戸塚ヨットスクールには常に10名程の訓練生が寝泊まりしている。脱走する者,卒業しても何度も戻って来る者,鬱が治りかけたとたんに屋上から飛び降りて自殺する者がいる一方で,1人では何もできなかった引きこもりの少女が,寮生活でヨットの楽しさに目覚め,「将来の夢は五輪選手」とまで言うようになる。
 私はこのような状況も踏まえても,戸塚宏を無批判に是認するつもりはない。しかし,戸塚宏と同じく長い間ヨットやウインドサーフィンをやってきた人間の立場から言うと,世の中で生き抜いて行けない人間が海の上に出たら,確実に死ぬ,という事である。
 かつて戸塚宏という「化け物」を生んでしまった現代社会を構成する一人として,誰もが一度は見ておくべき作品である。

■『平成ジレンマ』ポレポレ東中野で現在上映中
http://www.mmjp.or.jp/pole2/

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シアターの正面には中央総武線「東中野」駅構内からも見える大きな垂れ幕がかかっている。

■『平成ジレンマ』公式web
http://www.heiseidilemma.jp/

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22. April 10

【パーティー】日本発,「ティー・パーティー」は草の根保守のムーブメントを起こせるか

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写真は4月18日,池袋の猫カフェ貸し切りで開催された「猫もふ」ティー・パーティーの様子(撮影=井上リサ)

 5月6日に投票日を迎えるイギリス総選挙は,ここへきてじわじわと盛り上がりを見せている。その主役はイギリス自由民主党党首のニック・クレッグだ。
 これまでの自民党は,労働党と保守党の二大政党の陰に隠れた第3政党のポジションであった。しかしその前身の歴史は古く,産業革命時代に王位継承問題でトーリー党と対立したホイッグ党が自民党の前身である。シンボルカラーは金,黄,黒。TVの党首討論でクレッグ党首は必ず黄色や金色のネクタイを着用して登場する。
 自民党は,先日の3党首による第1回TV討論でも高いポイントを得て,これ以降支持率が急増し,4月21日現在,遂に労働党を蹴落として保守党に迫る勢いである。今まで政治に無関心だった英国民たちの中には“I agree with NICK”というTシャツを着たクレッグ・マニアなる人たちも登場した。
 このムーブメントを起こしているのが,いわゆるティー・パーティーと言われる草の根保守運動だ。そして保守党もこれに負けじとロンドン郊外にまでティー・パーティーを展開しており,労働党の票田の切り崩しに出ている。各党が国民と対話するオフラインの場でもアグレッシブな政策論争を展開しており,今までは安定した二大政党制の下で今ひとつ政治に無関心だった英国民をも巻き込んでいるのだ。
 ティー・パーティーの歴史は古く,その発祥は,1773年にイギリスが制定した茶税に関する法律に反対したボストン市民が行った一連の抗議行動から名づけられた市民運動である。それが現在では草の根保守の市民運動に対し、このように呼ばれるようになった。パーティー(Party)とはある共通する属性の集まりのことで、もちろん政党の事もパーティーと呼ばれる。最近では米共和党の反オバマデモ全米キャラバンで注目を集め,それが総選挙を控えたイギリスの保守党,自民党のオフライン活動にも波及したかたちだ。

 一方で日本はというと,今年になって,この英米発のティー・パーティーと言えるような草の根保守運動が,にわかに広がりだしている。そのきっかけとなったのは自民党の企画した『みんなで行こうZE!』という国民集会であろう。これは自民党の国会議員が地元の産業や文化,あるいは自分の活動と関係の深い施設などを一般国民とともに散策し,そこで食事やお酒を楽しみながら政治経済に限らずいろいろな会話をして連帯を広げる,というものである。対象はあくまでも一般日本国民であって,党員に限られたものではない。先月,馳浩衆議院議員が主催した『プロレス的政治論~日本のスポーツ振興を考える』と題した全日本プロレス観戦ツアーも盛況であった。
 実はこの『みんなで行こうZE!』という企画が立ち上がった時に私は,米共和党党員とドイツ自民党党員の友人,それからイギリスの大学で国際政治を研究している知人に向けて,「日本でもこんな事をやる政党がでてきた」と情報を送ったところ,彼ら全てが「それはやがて政党の手を離れたティー・パーティーに発展していくだろう」と予測していたのだ。
 そして彼らの予測通り,このティー・パーティーは草の根保守運動として緩やかな連帯を築きながら広がりだしている。まずその象徴的だったのは,池袋サンシャイン・クルーズで開催された経済評論家・三橋貴明の後援会発足パーティーである。ここに集まったのは,まさしく“一般国民”であった。

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写真は3月21日に両国国技館で開催されたプロレス・ティー・パーティー
http://ringer.cocolog-nifty.com/kunst_und_medizin/2010/03/321-172a.html
(撮影=自民党広報部)


 従来,このような集まりは地縁,血縁,利権などで結ばれた者たちが義理で集まり,大抵は名刺交換と後援会パンフレットを配って終わるのだ。規模の小さなタウンミーティングにしても,あらかじめ自分のシンパに声をかけて“仕込み”を済ませておく。しかし,このサンシャイン・クルーズで開催されたパーティーに集まった人々は,自分で情報を集めて自由意志で来たわけである。パーティー会場にはもちろん著名な政治家,文化人の顔も散見されたが,その彼らが驚くほどに,従来の政治パーティーとは様相が異なっていたのである。
 そしてこれが後の「コスプレ・アキバ・パーティー」や,先日行われたばかりの「猫もふ集会」へと発展していくのである。この経緯をたどると,まず,『みんなで行こうZE!』という政党が企画したオフィシャルなものが存在する。そしてこれに参加した者たちが,自分たちでも何か面白い事をやりたいと思って自然発生的に始まったのが,「コスプレ・アキバ・パーティー」や「猫もふ集会」なのである。特に先日,池袋の猫カフェで,国際政治アナリストの藤井厳喜氏主催で行われた「猫もふ集会」の方は,twitter上で自然発生的に企画が生まれたものである。告知も4,5日前であったが,遠方から新幹線に乗って駆けつけた参加者もいたほどだ。
 そしてここに集った面々は,特に特定政党支持者でもなければ党員というわけでもない。政治志向としてはコンサバという人々である。これまでコンサバの人々の声を“国民の声”として正しく伝えるメディアが無かったのと,一同に集う場所も無かった。そこにこのような集会がきっかけで今回初めて顔を合わせたという状況である。

 先日のCNNでは間もなく投票日を迎えるイギリス総選挙特集で興味深い分析をしていた。米,英でティー・パーティーという草の根保守運動が成功をしたのは両国とも選挙の戸別訪問が制度として認められているので,ネットやTVのオンラインの世界と,戸別訪問でのface to faceのオフラインの世界がスムーズに繋がっているからとのことである。
 では,戸別訪問制度が認められていない日本ではどのような可能性があるかといえば,「コスプレ」,「プロレス」,「猫もふ」,といった極めてコアな属性で,緩やかな草の根保守の連帯が拡大していくことではないのか。しかもこれらのものは利権がからんだNPOや支持母体である各種組合に言われて義理や義務で集うものとは明らかに異なる。参加者みずからが楽しめるティー・パーティーは毎回リピーターが増えて,これが次第に各地に拡散,伝播されていくのである。
 そして何よりも,この日本発のティー・パーティーに集う者たちは総じて高いメディア・リテラシーで完全武装しており,既存マスコミが悪意のあるスピンをかけても,もうこの草の根保守のムーブメントを止めることは出来ないであろう。
 現在twitter上では「コスプレ・パティー」第2弾,「プロレス・ティー・パーティー~ローカル・プロレスの世界から沖縄問題を語る」,「農業ティー・パーティー~農業から政治経済・国防を語る」といったプランが自主的に立ち上がっており,これもおそらく実現するであろう。

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【お知らせ】
twitterをはじめました。こちらでは政治家、経済専門家、医師、ジャーナリストらの皆さんと、わが国の外交、防衛、政治・経済、医療行政について討論をしています。

http://twitter.com/JPN_LISA
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08. März 10

【書評】 三橋貴明×八木秀次 『テレビ政治の内幕』(PHP)

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 経済評論家の三橋貴明と、ラジオ日本『ラジオ時事対談』のコメンテーターとしても知られる高崎経済大学教授の八木秀次による政治とメディアをテーマとした対談本である。同様のテーマでは昨年、三橋貴明が単著で『マスゴミ崩壊~さらばレガシーメディア』を上梓している。こちらの方は、メディアと政治の関係性をビジネスモデルという観点から批評したものだ。
 今回の対談本は、今現在、実際に起こっている情況とインタラクションして書かれたもので、昨年に民主党政権が誕生した直後から、小沢一郎の秘書であった石川知裕議員が逮捕される今年1月まで、全5回に分けて対談されたものが収録されている。
 これを読むと恐ろしいのは、三橋、八木の両論客が政局を分析しながら、当時あらかじめ予想していた事がほぼ的中していることである。例えば現政権は、デフレが進行しているのにも関わらず財政出動もせずに緊縮財政に舵を切った点、また、「夫婦別姓法案」、「外国人参政権」といった近代的な国民国家の形態を根本から変えてしまうような法案、そして将来的にはネット言論規制にもつながっていくであろう様々なネット・メディア関連法案、言論・表現の自由を規制しかねない「人権擁護法案」などを上程しようとしてる点なども見事に予想が的中している。
 このように書くと、まるでこの本がノストラダムスの預言書か、『20世紀少年』の「よげんの書」よりも恐ろしいということになってしまうが、何ていうことはない。新聞・テレビ等のマスメディアが、普段から国民に対して正しい情報を正確に伝えていたならば、これらの事は誰でも簡単に予測できた事なのである。
 例えば現在問題となっている北教組(北海道教職員組合)と民主党・小林千代美議員の事にしても、選挙の前に民主党という大衆政党が、どんな支持母体で成り立っているのかをマスメディアがきちんと正確に国民に伝えていれば、国民も今さらこんな程度の事で大騒ぎはしなかったのであろう。つまり、「子供手当」、「母子加算」、「農家戸別補償」、「高速道路無料化」のからくりも含めて正確な情報が与えられたうえで国民が民主党を選択したというのならば、そこで初めて「民意」によって政権交代がなされたということができる。今になって“こんなはずではなかった”と言っても、それは全部自分自身で選択してきた結果なのである。
 最近になって私の周囲では、先の衆院選で民主党に投票した方々が、“なぜ選挙の前に本当の事を教えてくれなかったんだ”、“本当は自民党に入れたかったが、自民党がだらしがないからいけないんだ”と言って私のせいにしているが、こういう方々は、一生かかってもデモスクラティアの理念を理解できないのであろう。
 ではなぜ、同じ日本という国に住み、自由に情報を享受できる環境にいながら、本書 『テレビ政治の内幕』の論客と、その他多くの大衆との間に、このような情報格差が生じてしまったのであろうか。それは何度も言うが、メディアリテラシーと情報検索スキルの差に他ならない。マスメディアから日夜流れる情報に疑いを持って行動をしてきた集団と、マスメディアの情報に疑いを抱くこともなく、ポピュリズム政治に煽動された集団との間に差異や落差が生じたのである。だから、この点においては民主党には罪はないのである。

●ポピュリズム政治の功罪
 現在の大衆的な政治状況を予見していたともいうべき本がいくつか手元にある。その一つが渡辺恒雄の『ポピュリズム批判』と、もう一つが西部邁の『貧困なる過剰』だ。『ポピュリズム批判』は、ちょうどパソコン通信に代わりネットの登場によって、徐々にネット論壇が形成されていった頃に「This is 読売」掲載コラム集としてまとめられたもので、『貧困なる過剰』の方は、西部が論客としてテレビ朝日の『朝まで生テレビ』に出ていた頃に上梓されたものである。
 この2つの著書の中で、知識階級以外の多くの国民は「大衆」、あるいは「愚民」と定義され、この愚民が世の中を跋扈するようになれば恐ろしいことになるという、大胆な論陣を展開しているが、今あらためて読み返してみると、納得せざるを得ない部分も多々あるのである。西部はしばしば、デモスクラティア自体が制度疲労をおこしており、少々語弊があるかもしれないが、「バカにも1票、賢い者にも1票」という制度自体が如何なものかと言っている。これはなかなか思っていても口にはできない言葉だが、現在パーソナリティーを務める東京MXテレビの『西部邁ゼミナール』でも同様の事をしばしば主張しているから驚いた。
 では、西部が言うところの「バカ」から「賢い者」になるにはどうしたらいいのかというと、それは三橋貴明らが著書で何度もふれているとおり、メディアリテラシーを身につける事なのである。現在の情況をフィードバックしてからあらためて当時の西部邁の著書を読み返してみると、これが単に選民的知識階級至上主義の本ではないことが分かってくる。西部邁がこの世で最も醜いものとして忌み嫌っているのは「バカ」そのものではなくて、煽動された「バカ」がとる喧騒たる行動なのだ。

●「民主人権党」と「友だち民主党」のゆくえ
 冒頭で、本書 『テレビ政治の内幕』は、まるで『20世紀少年』の「よげんの書」のようであると書いたが、実は三橋貴明は、もっと以前にこれよりもさらにスリリングなかたちで未来を予見した本を書いている。それが三橋の人気ブログのタイトルにもなっている『新世紀のビッグブラザーへ』である。これは全くのフィクションではあるが、登場人物や国や政党は、我々がよく知る実在のものが全てモデルとなっている。ここに登場する国家社会主義政党である「民主人権党」や、『20世紀少年』に登場する「友だち民主党」とはまさに、民主党的なるものを感じるのである。
 物語の中で、「民主人権党」や「友だち民主党」は、マスメディアを味方につけて大衆心理を巧みに操り、テロや革命ではなく、あくまでも憲法に基づいて合法的に政権の座につくのである。そして一度政権の座についてから、徐々に国家を解体していった。『新世紀のビッグブラザーへ』の世界では、すでに「日本」という国号さえこの世に存在しないことになっている。
 この本が上梓された時、多くの読者は荒唐無稽なSF小説として読んだであろうが、今もう一度読み返してみると、きっと背筋が寒くなるだろう。何しろ、我々が子供の頃に特撮番組の世界で見ていた「ショッカー」やら「死ね死ね団」やら「ヤプール」やらが、政治家となって“大人帝國”にも存在しているのが『新世紀のビッグブラザーへ』の世界なのである。
 しかしこの物語でも最後に風穴を開けたのは、やはりメディアリテラシーを身につけた若者である。これは現在の愚衆政治の中で、唯一国民が武装できるツールなのである。
 一方で、昭和の残滓で生成されたキメラ的大衆政党は、もうデモスクラティアを党名に名乗るのは辞めにして、一層のこと「テレビ党」とでも名乗ればよかろう。

■井上リサによる書評■
【書評】 三橋貴明著 『民主党政権で日本経済が危ない! 本当の理由』(アスコム)

【書評】 三橋貴明著 『マスゴミ崩壊~さらばレガシーメディア~』 (扶桑社)
【書評】 三橋貴明著 『新世紀のビッグブラザーへ』(PHP研究所)

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27. Februar 10

【メディア】 メディア・パトロール・ジャパン、遂に始動

 2月26日、国民がバンクーバーでの女子フィギュアの2人の世界女王・浅田真央VS安藤美姫の対決に固唾を飲んでいた頃、都内記者クラブでは各界の保守論客が一堂に集まり記者会見が行われていた。本日(27日)夕方6時から始動するポータルサイト「メディア・パトロール・ジャパン」(=以下MPJ)についての会見である。
 会見の席に並んだのは、青山繁晴(独立総合研究所)、西村幸祐(評論家)、すぎやまこういち(作曲家)、三橋貴明(経済評論家)、藤井厳喜(国際問題アナリスト)らの5氏。この会見の模様は産経新聞が伝えている。(http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100226/plc1002261826014-n1.htm

 MPJはわが国初の、国民のためのパブリックジャーナリズムを目指すものである。昨今のマスメディアの悪意に満ちた偏向報道、捏造報道、プロパガンダとしての印象操作に加えて、“報道しない自由“に基づく隠蔽、報道拒否などのテロ行為に対し、国民一人一人がマスメディアを厳しく監視し、国民の側が正しい情報を共有するためのものである。
 ここで国民の側に必要とされるのが、メディア・リテラシーである。新聞・テレビから流れる情報の一次ソースを精査、比較し、メディア側の意図的なバイアスを見破るためのクリティカルなスキルだ。これに大きな役割を果たしているのがネットである。ネットというコミュニケーション・ツールが登場する以前、高等教育でメディア・リテラシーについて専門に学ぶ機会のなかったであろう多くの国民は、例えばNHKや朝日新聞が堂々と虚偽や捏造報道をするとは思ってもみなかったのであろう。報道バラエティーの中で断片的に報道される政治・経済のニュースもそのまま垂れ流されていたわけである。
 しかしネットという新しいメディアの登場により、これまで情報の一方的送り手であったマスコミが、今度は自分たちも批評の俎上に晒されるわけである。そしてそれをジャッジするのは国民たるネットユーザーであり、そのネットユーザーの中には当然のことながら各分野の市井のスペシャリストたちが控えている。彼らが報道バラエティーの雛壇に陣取る“自称”有識者やコメンテーターと言われる電波芸者たちの表層を剥離し、裸体を剥き出しにさせる。このような事はかつてなかった事なので、ネットは彼らから恐れられているのである。
 またネットコミュニティの中においては、実社会で通用している権威、肩書き、地位は無効となり、すべての人間は他の多くの市井の市民と同等の座標で並列化される。実はこれが、かつてドイツの思想家ハーバーマスがロンドンのパブ(public house)に例えて言った「公共圏」の事である。この空間は、議員バッジや社章を背広に付けたまま暖簾をくぐる「赤ちょうちん」とは異なるのである。この批評空間においては、そこで情報として提示されたテクストのみが、正しいか否かだけ精査される。その情報の確度が精査されるにあたり、誰の発言であるかという権威は通用しない。
 一方で、大学教授や評論家という肩書でテレビの雛壇に並べられた電波芸者たちは、その肩書によって自らの言説の説得力も担保されると未だに勘違いしている。いわばこの“雛壇”こそ「赤ちょうちん」的世界である。しかし今、これは揺らぎつつある。

 例えば、現在開会中の国会をノーカット生中継で見ている国民は、自民党、共産党の厳しい追及に窮地に立たされる民主党閣僚の姿を知る事が出来る。しかし、民主党を後押しする民放各局の報道バラエティー番組によって編集・加工して制作されたニュースを見れば、不思議と民主党が健闘しているように見える。このあまりにも大きな違いに違和感を覚えたならば、例えば今ならネットで「椿事件」と検索すれば、そのからくりが理解できよう。
 ここでわれわれ国民に求められるのは、情報の一次ソースを辿る技術である。これは参考文献から原典の論文に行きつく行為と同じである。何者かの意図によってバイアスがかけられる前の一次ソースを得て、それを自分で判断し、批評するのがメディア・リテラシーである。それには事実のみを伝えるストレートニュース媒体も必要だ。現在のところそれを担っているのが、Youtubeやニコニコ動画などの動画投稿サイトである。アカウントをとれば誰でも動画を配信できるこれらのサイトには、テレビでは絶対に伝える事ができない保守系市民団体のデモ行進や抗議集会、政治家の街頭演説の模様も生中継される。エンターテインメントとしてこれらのものを見ても、テレビコンテンツよりも断然に面白いのである。

 MPJは、各界保守系論客のコラムに加えて、フリージャーナリストやネットユーザーにより配信されるストレートニュースやブログと連帯し、テレビ、新聞といったレガシー・メディアに対抗し得る第三極を作り、今現在、絶対的な権力を握るレガシーメディアを国民全員で監視するものである。発起人の一人であるすぎやまこういち氏の言葉を借りれば、「日本という国が大好きな国民一人一人がドラクエの勇者となって、戦って下さい」ということである。この新しいメディアの勃興には、行動する国民の存在が必要なのである。

■メディア・パトロール・ジャパン■(本日午後6時より始動)
http://mp-j.jp/


■「メディア・パトロール・ジャパン」概要■
(発起人・三橋貴明氏のブログから転載)

メディアパトロールジャパン! 前編
メディアパトロールジャパン! 後編
メディアパトロールジャパン! 後記 

「メディア・パトロール・ジャパン」関連記事■
【メディア】 国民によるマスメディア監視サイト 「メディア・パトロール・ジャパン」 設立へ
【トークライブ】 西村幸祐トークライブ 『ああ言えば,こうゆう!』 サブカル戦後史と反日メディア撃退作戦 (2010年1月10日,新宿ロフト・プラスワン)
【トークライブ】 西村幸祐トークライブ
『ああ言えば,こうゆう!』(2009年9月28日,阿佐ヶ谷ロフトA)

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13. Januar 10

【メディア】 国民によるマスメディア監視サイト 「メディア・パトロール・ジャパン」 設立へ

 ロンドンの下町を歩いていると,夕刻を迎えた頃から町の小さなパブが次々と店の灯りを点ける。地元のロンドン市民は馴染みのパブに集い,政治談義から芸術談義,サッカー談義で花が咲く。日本のいわゆる「赤ちょうちん」や学生が集まる駅前居酒屋のような騒がしさはない。パブでの酒の肴はそこに集う面々が持ち寄ったその日の話題である。
 ご存じの通り,パブ(Pub)とはパブリックハウス(Public House)の事である。もともとは公共の社交場という意味合いを持った空間だ。この社交場に酒場やミニ・クリケット場や,スポーツ観戦用のテレビなどが置いてあるのがイギリス発祥のパブである。
 今日では日本でもサッカーや野球に特化した居酒屋を町の中で時々見かけるようになった。わが町にも,サッカーセリエAを専門に観戦するサッカー・バーもある。近年では池袋に開店した「猪木酒場」もなかなかの人気である。これは猪木を中心とした昭和のプロレスファンが集う店である。しかし何と言ってもこのようなスポーツ・コミュニティとしての酒場の歴史を辿るならば,関西地区に古くから数多く存在する阪神ファンの店であろう。この空間は,文字通り阪神ファンしか足を踏み入れてはいけない空間であり,このような店で讀賣の話題など出そうものならば,罵声とともにつまみ出されるという,昔ながらのイギリスのような,厳しい“階級社会”が存在しているところを見ると,これぞ正統のパブの継承者だとは思う。

 さて,パブという言葉はもう一つ,パブリシティ(publicity)という言葉とも大きく関わっている。パブリシティとは公共性・社会性をもった情報媒体を通して第三者に向けて発信される素材のことだ。これが新聞・テレビといったいわゆるマスコミを通して発信されるものがニュース・パブリシティである。すなわち,パブリック・ハウスもパブリシティも,もとを辿れば「公共圏」という観点からは同様の性質を持ったものであることがわかる。
 このパブの観点から「公共圏」論を提唱したのがドイツの社会学者ハーバーマスである。彼はデリダやニクラス・ルーマンとの永年にわたる論争をしたことでも有名。同じようにアーレントが古代ギリシャの都市国家ポリスにおける市民空間を「公共領域」として提唱した“パブリック”の概念を,現代において可能性を模索したのがこのハーバーマスである。
 そして,ハーバーマスが言うように,各人の身分,階級,政治的立場によることなく自由な議論が可能な言論空間という理念から発展したのがパブリック・ジャーナリズムである。パブリック・ジャーナリズムとは,既存のマスメディアによるものではなく,国民(または,ハーバーマスが公共圏論の中で定義している市民)による国民のためのジャーナリズムなのである。

 少々前置きが長くなったが,このたび,このパブリック・ジャーナリズムの理念を担っていくであろう新しいメディアが立ち上がる運びになった。その名も「メディア・パトロール・ジャパン」である。発起人は,ジャーナリストの西村幸祐,作曲家のすぎやまこういち,経済学評論家の三橋貴明の3氏である。
 私は昨年に関係者から直接この情報を頂いていたが,先日,新宿のロフトプラスワンの西村幸祐トークライブの席で正式に発表があった。
 「メディア・パトロール・ジャパン」は,その名の通り,現在,新聞・テレビなどのマスメディアにより日々暴力的に行われている偏向報道,捏造報道,特定の政治勢力に荷担したプロパガンダ報道を国民全員で監視,検証していくサイトである。「メディア・パトロール・ジャパン」は,いかなる政治的,経済的拘束も受けない。「日本が大好き」な国民一人一人が主役である。
 発起人の一人であるすぎやまこういち氏はこのような事を述べられた。
「君たちも一人一人力を合わせて,ドラクエの勇者になって,日本に跋扈する巨悪を倒して欲しい!」
 「メディア・パトロール・ジャパン」は,まさに,日本が大好きな国民一人一人がドラクエの勇者,あるいは公安9課の草薙少佐となってレガシー・メディアたるマスゴミと戦っていくものである。このようなものが,文字通りパブ的空間であるロフトで告知されたことは,実に象徴的な出来事である。

 「メディア・パトロール・ジャパン」は2月から始動する。
 日本が大好きなドラクエの勇者たち,そして我こそは草薙少佐と思う国民は,ここに集結されたし!

■「メディア・パトロール・ジャパン」概要■
(発起人・三橋貴明氏のブログから転載)
メディアパトロールジャパン! 前編
メディアパトロールジャパン! 後編
メディアパトロールジャパン! 後記

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