論文紹介

27. Juli 10

【書評】『サイトカインハンティング―先頭を駆け抜けた日本人研究者たち―』(京都大学学術出版会)

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 ここ近年,相次いで日本人ノーベル賞学者が誕生したり,先頃の惑星探査衛星「はやぶさ」による世界的快挙などもきっかけで,わが国の科学技術に対する関心が高まっている。NHKが戦後の日本の半導体技術開発を追ったドキュメンタリー『電子立国日本の自叙伝』を放送したのが今からちょうど20年ほど前。この時代は日本のリベラル悲観論者達からは「失われた10年」などと言われつつも,わが国の科学技術,産業技術はグローバル・スタンダードの中で常に高い水準を保ってきた。この時在欧中だった私のもとにも,世界を席巻するジャパン・ブランドの勢いは十分に伝わってきたのである。
しかしこれは何も今日的に達成されたものではなく,例えば麻生太郎の著書『とてつもない日本』(新潮新書)の中でも述べられているとおり,古来よりわが国が連綿と紡いできた技術,伝統,文化の絶え間ない蓄積により形を成したものなのである。
 医学の分野も例外ではない。戦後直後の1950年代から,わが国は再び目覚ましい発展を遂げていく。しかし残念ながら戦時中の資料の中には紛失,焼失してしまったものも多く,この事が,多岐に及ぶ医科学研究分野を近・現代史として俯瞰する際の困難な状況を生んでいる。
 本書『サイトカインハンティング』は,免疫学の分野で世界の最先端のフィールドで戦った,いわば先駆的メジャーリーガーみたいな日本人科学者達の物語である。

 表題にあるサイトカインとは,免疫細胞から分泌されるタンパク質のことで,これまでに数百種が発見されているが,今日の研究者たちによっても新たな物が続々と発見されている。サイトカインの研究は,いわば密林をかき分けて新種の昆虫を発見しに行くような途方もない行為であり,これを追い求める医学者達の目が,時としてハンターの目に豹変するというのは容易に想像がつく。

 免疫学分野は先に挙げた産業開発技術に比べると,抽象的すぎて一般的には馴染みが薄いかもしれない。しかしその概念の歴史は古く,「牛痘法」で有名なジェンナー(Edward Jenner, 1749-1823)の時代にまで遡る事が出来る。
 1796年,ジェンナーは,生まれ故郷のグロスタシャーの農村地帯で古くから農民の間で伝わる伝承――すなわち,「牛痘に一度罹った者は,それより重い天然痘には罹らない」というものを科学的に実証するために,牛痘患者の牛痘疱から採取したリンパ液を健康な少年に接種し,その効果が確認されると,村人に集団接種を行った。そして彼が表した有名な書物が『牛痘の原因及び作用に関する研究』(An Inquiry into the Causes and Effects of the Variolae Vaccinae)である。これがワクチンの始まりである。

 興味深いのは,ジェンナーの発想の源泉が,科学とは程遠いはずの民間伝承を契機としたものであるという事である。わが国においても和名に充てられた「疫」という字は,かつて各地の村落共同体で伝承されていた疱瘡神信仰をも含む「疫病神」と同じである。村落共同体では「病」をカミサマとして祀る事で「病」封じを行った。年に一度の「祭り」では,その「病」のカミサマと交わる事が,いわば「通過儀礼」=すなわち,ワクチネーションであったのだ。それを思えば壮大な物語性をもって捉えることも可能である。

日本インターフェロン・サイトカイン学会編
『サイトカインハンティング―先頭を駆け抜けた日本人研究者たち―』
(京都大学学術出版会)
【目次】
第1章 プロローグ
第2章 インターフェロン
第3章 インターロイキン-2
第4章 インターロイキン-3,-4,-5
第5章 インターロイキン-6
第6章 IL-12とIL-18
第7章 ケモカイン
第8章 G-CSF,Fas
第9章 遺伝子改変マウス

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【お知らせ】
twitterをはじめました。こちらでは政治家、経済専門家、医師、ジャーナリストらの皆さんと、わが国の外交、防衛、政治・経済、医療行政について討論をしています。

http://twitter.com/JPN_LISA
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14. April 09

【論文紹介】 齊藤基生「カブリモノのみんぞく」(名古屋学芸大学研究紀要 教養・学際編 第5号)

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 何年か前に行われた冬季五輪の表彰式で,日本のある若い金メダリストが帽子を被ったまま国歌斉唱をしていて,後から識者たちに“けしからん”と叩かれたことがあった。私もライブで表彰式の模様を見ていたが,会場が雪が降り注ぐ屋外で,しかもスキー競技とあって,この選手が着帽したままの姿にはそんなに違和感は感じなかった。むしろユニフォームの一部にさえ見えたぐらいである。
 先日,名古屋芸術大学の会合で同席した考古学が専門の齊藤基生氏から頂いた『カブリモノのみんぞく』という論文は,まさにそんな当世の若者の行動から見えてくる現代風俗から着想を得て,「帽子」という装身具と,またそれを身につけるという行為の中に,どんな民俗が存在するのかを歴史・民族を横断して考察したものである。
 齋藤氏は名古屋学芸大学でも大講義を行っており,講義室に入ってくる学生らの中に,室内でも着帽のままの学生もいることに着目し,全学生に対してアンケートを行った。その結果,「帽子」という装身具はファッションとして常に身体に身につけるものであり,それを室内で,しかも大学の講義中にも着帽したままの状態に対して,「礼節を欠いた行為」とは思っていない学生もいることがわかってきた。
 現代学生のこのような風俗について,どのような歴史的経緯を経て学生間にこのような風俗が成立していったのかを,「帽子を被る」という行為の意味も含めて,古代の遺跡から現代に至るまでを例に挙げて分析するものである。

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02. Juni 08

【論文紹介】松嶋 健「フランコ・バザーリアと「文化」──イタリアにおける脱制度化と民族精神医学──」

松嶋 健「フランコ・バザーリアと「文化」──イタリアにおける脱制度化と民族精神医学──」
(『こころと文化』第7巻第1号,2008,2)

 著者の松嶋は,これまでイタリア各地において,医療人類学的アプローチによる地域精神医学のフィールドワークを行ってきた文化人類学者である。今回の論文は,「バザーリア法」の名で知られるイタリアの精神科医フランコ・バザーリアの評伝を読み解きながら,彼の足跡をたどり,精神医療のグローバル化によって起こった様々な功罪を詳細に報告している。
 まず「バザーリア法」についてふれると,これは1978年にイタリアで制定された公衆衛生に基づく法律で,すなわちイタリア全土に存在する精神病院を閉鎖して,そのかわり,精神病者は地域にもどり,コミュニティの中で自律的なケアを受けて共生させていく,というものである。これは精神医学の歴史の中でも画期的な出来事ではある。しかしながら,そのことをもってこれが直ちに「反精神医療」,「反精神病棟」運動といった短絡的な政治的思想闘争と結びつけてしまえるほど,精神医療をとりまく情況は単純ではないことを松嶋も論文中で述べている。
 そのことの一つとして,まず地政学的にイタリアという国家をとらえた場合,その「国民国家」としての近代イタリアが生まれる過程において,実に複雑な民族問題を内包し,それにより地域における文化的差異が厳然として存在していることがあげられる。松嶋は自身のフィールドワークの中でこのことに特に注目し,「バザーリア法」制定以降,イタリアの精神医学において何が起こったのかに注目した。制度の中で,あるインパクトが絶大な改革が起こった場合,その改革の中心あるいは周辺にいるものは改革の主流となっていくのは言うまでもないことであるが,その「場」から少しでも離れたところに存在しているものは,切り離されるか,もしくは従属的に改革による新たな制度に編成されていくわけである。こういった状況下の中で何が起こるかといえば,従来,独自に存在していたはずの「文化的差異」が認められる機会はなくなり,それらはグローバリズムの中に埋没していくのである。
 これは,松嶋がフィールドとしている文化人類学において,旧来の,例えば「狂人」や第三世界の「未開人」を他者化していく見方にもしばしば現れることであるが,松嶋はその点を,患者サイドが苦しんでいる時に外部へとアプローチする方法論の中で,精神病患者が,必ずしも精神科医の助けだけを借りているのではなく,時には友人に話したり,酒を飲んだり,民間療法を試みたりと,精神の開放には多様なイレギュラーが存在していることを上げて,生物医学が民間療法や各地域で伝わる伝承医療などに対して投げかける優越的な眼差しにも疑問を提起している。
 公衆衛生制度のグローバル化の過程で,長らく医療人類学的なフィールドでやってきた松嶋が,このような疑問をなげかけるのは当然なことである。例えば,かつて欧米の文化人類学者が未開の地へ赴き,そこで遭遇した伝承医療などを生物医学的見地から「迷信」や奇異な「呪術」と規定し,そこの場の民俗の中でいかにそれが活き活きと根付いていたかをまったく見てこなかったのが旧来の所謂,“文化人類学”であり,そのことによって,本来は医学というものが古代から哲学,宗教,芸術,体育などと相互補完的に関わってきたというその回路を断絶させてしまったに等しい。その反省から立脚している今日の医療人類学に何か求めるものがあるとすれば,制度の外へとはみだしたもの,患者をとりまくグローバルではないもの,「制度」では計測できない微細なものにさらに注目していく必要があるのではないか。松嶋はそれを<出会い>という言葉で結んでいる。イタリアという土地はもともと,反グローバルから始まった「スローライフ」運動の発祥の地でもあり,近年の大学改革によって合理化が進んでいるとはいえ,医療人類学という学問が,地域精神医療に果たす役割はさらに大きなものになるであろう。

【著者経歴】
松嶋 健(まつしま・たけし)
京都大学大学院 人間・環境学研究科

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16. Dezember 07

【論集】『慶応義塾大学アート・センター 年報14』2006/07

『慶応義塾大学アート・センター 年報14』2006/07
(全86ページ、附録資料『土方巽 舞踏譜の舞踏』DVD)
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 慶応義塾大学アート・センターが2006年から07年にかけて行なった事業を詳しい資料とともにまとめた論集と報告集である。内容は、現代美術作家のインスタレーションやアースワークスのためのエスキスのアーカイヴ化から、学内で所蔵する美術作品の修復プロジェクト、学外の主に美術館などのアート施設とのコラボレーション・プロジェクト、ワークショップの記録が詳細に採録されている。特筆すべきは、単に企業や大学などのいわゆる「事業計画・報告書」とは異なり、プロジェクトが進行していく過程で記録されたメモやスケッチなど、本来は完成されたステージでは目に触れることはないであろう資料も多数採録されていることである。
 近年、わが国の歴史・文化教育においては、例えば国会図書館のオンライン化に始まり、国文学研究資料館などがアーキヴィスト養成講座を毎年開講したりと、資料の保存・管理・修復に関する事業、すなわち「アーカイヴ」事業が徐々にではあるが浸透してきた印象があったが、芸術の分野、特にモダニズム以降の芸術作品、芸術表現のアーカイヴ化については前者と比べて大きく遅れをとってきたのも事実である。
 それにはいろいろと理由は考えられるが、芸術作品は、パーマネントに完成した「作品」が表に出るのであって、そこに至るまでの経緯のさまざまな痕跡は、せいぜいデッサンやエスキス、またはドローイングぐらいにしか価値を求めてこなかったという背景もある。だから例えば、作家が何かを着想してノートの切れ端に書いたメモや、作家が作品制作のために取材に行った際の宿や交通機関のオーダーの記録といったものは、作品とは直接関係のないものと見なして、資料から除外されるか知らぬ間に紛失している場合も多いのである。
 しかし、この論集の中でも各論者がたびたび主張しているように、アートという行為そのものがトータルでみた場合、アーカイヴそのものであり、アーティストそのものがアーキヴィストであるとするならば、作品や作家活動全てにかかわるあらゆる記録が構築されてこそ、その芸術作品の背景を初めて深く理解することができるのではいかと思うのである。
 このことを広く社会に向けて理解してもらうことはなかなか難しく、時間がかかるであろう。なぜならば、今まで完成された芸術作品だけを鑑賞してきた多くの人々は、その“完成された作品”という部分の時間だけを切り取って、そこに価値を集中して見る習慣がついているからである。しかし、その悪しき習慣から脱却して、より作品と深く付き合ってみようと思った時に必要になってくるのは、アーカイヴの理念を理解することと、そして実際の作品のアーカイヴなのである。
 この論集の附録であるDVD『土方巽 舞踏譜の舞踏』は、アーカイヴというものの存在、学問的意義を初めて理解するためには非常にコンパクトに編集された良い資料である。この資料は、舞踏家・土方巽の仕事のすべてを、1959年作品の『禁色』から追っていったものである。土方の舞踏メソッドはもちろんの事、作品を構想する過程で記録されたスケッチやエスキスも収録され、それを見れば土方がフランシス・ベーコンやベルメールの作品にいかに身体的に影響を受けてきたかも一目瞭然なのである。また、土方の仕事の歴史を追うことは、わが国における暗黒舞踏の歴史や、それらの芸術表現と深く関わっていた現代美術やパフォーミング・アーツの骨子を俯瞰することもできるであろう。そしてその一連の流れの中で、土方がいかにアンチ・モダニストであったかをあらためて理解することができると思う。

『慶応義塾大学アート・センター 年報14』2006/07
目次
序文「アーカイヴをアーカイヴする」前田富士男
論考「建築アート・アーカイヴの可能性」渡部葉子
論考「舞踏の形式についてⅣ.1976方法」森下 隆
論考「エスノ・アートの交錯再帰的変化とオーストラリア先住民系アートの一局面」宮坂敬造
年次企画 新入生歓迎行事「舞踏公演《記憶の海》」
年次企画 研究講演会「〈わが最良の友〉たる芸術家-バックミンスター・フラーとイサム・ノグチ」
年次企画 アート・アーカイヴ資料展「ノートする四人-土方、瀧口、ノグチ、油井」
年次企画 レクチャー&ディスカッション「アーティストはアーキヴィスト!」
受託/共同事業 港区アート・マネジメント実践講座「入門編+ワークショップ」
共同事業 横浜美術館との協同プロジェクト「美術館広報ワークショップ」
講座 「アート・マネジメント・エキスパート・セミナー
    フォローアップ・セミナー2006」
研究会 アート・マネジメント教育研究会
研究会 感の生成研究会
研究会 トランス文化の位相研究会
調査 慶応義塾所蔵作品調査・保存活動
1.朝倉文夫《藤原銀次郎胸像》設置改善処置
2.岩田 健《少年像》の洗浄保存処置・移設
3.北村四海《手古奈》の修復
プロジェクト ORC
アーカイヴ 土方巽アーカイヴ/瀧口修造アーカイヴ/ノグチ・ルーム・アーカイヴ/油井正一アーカイヴ
記録 受贈資料一覧
記録 所管資料貸出一覧
記録 活動実績
記録 刊行物/人事
記録 会議
記録 研究・教育活動業績

附録DVD『土方巽 舞踏譜の舞踏』(日英バイリンガル版)
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第1章「土方巽と舞踏」
第2章「舞踏譜の舞踏の始まり」
第3章「舞踏譜の舞踏の完成」
第4章「舞踏譜と舞踏世界」
*土方巽の貴重な舞踏資料の他に、作品の構想のためのスケッチ集「なだれ飴」、「神経」、「花」なども収録されている。

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28. Oktober 07

【書籍】前田富士男編「心の探究者としてのパウル・クレー」

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 この論集は、2006年2月10日に、慶応義塾大学三田キャンパスで開催された国際シンポジウム「心の探究者としてのパウル・クレー」における、内外の研究者らの研究発表をまとめたものだ。このシンポジウムを主催したのは、慶応義塾大学の「心の統合的研究センター」である。これは文科省による「21世紀COEプログラム」に選定されたプロジェクトの1つである。
 慶応義塾大学は、このほかにもアートセンターや、特に近年では森下隆氏らがすすめている土方巽アーカイヴなどの活動を見てもわかるように、“開かれたキャンパス”づくりに力をいれている。これは、大学に帰属する知的財産は誰のものか? ということを考えた時に、それを前世紀の大学のように、自分たちだけでありがたがって独占するのではなく、“知的共有財産”として、内外、在野のすべての研究者らに門戸を開く、という学問的理念から立ち上がった結果であると思う。
 最近では、電車や駅の構内で、大学のオープンキャンパスのポスターを見かけるのは珍しくもなくなったが、慶応の場合、まだアーカイヴやその専門職であるアーキビストという言葉や概念が一般的に認知される以前から、このようなことに一貫して試みてきたわけで、10余年を経て、それがようやく少しずづ形になりつつあるのではないか。
 さて、この論集の内容だが、まず巻頭からカラー図版が豊富である。次いで、各論者の論文が続くが、論文は、そのほとんどが和文と独文併記である。ドイツ語学習者中級程度なら、楽しんで読むことができる。特に、クレーの評伝から彼の魂の領域まで迫ったケルステンの論文は、独文の原著で読むことをお勧めする。

前田富士男編「心の探究者としてのパウル・クレー」(慶応義塾大学 心の統合的研究センター)
【目次】
1)前田富士男 ゲシュタルトと連想-「心の探究者としてのパウル・クレー」のためのスケッチ」
2)行場次朗 心のデザイン」モデルに基づくクレー作品の考察
3)真壁宏幹 パウル・クレーと児童画-共感覚と“シンボルの受胎”
4)三脇康生 アート・戦争・精神医療-クレーの教えるもの
5)Reto Sorg Von der pathetischen zur kühlen Romantik.  Die Kunst der >Bewegung bei Aby Warburg, Carl Einstein und Paul Klee.
6)野口 薫 ゲシュタルティストとしてのパウル・クレー
7)奥田 修 「超次元的な根源の映出」としての芸術-パウル・クレーのオカルティズム
8)Wolfgang Kersten Paul Klee-Bilder der Seele

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