特撮・アニメ

09. Januar 10

【特撮】 ジミンガーZ(作者不詳)

Photo

 特撮界隈で仕事をしている知人が,また何やら得体のしれないものをネットで拾ってきた。こちらも気になって仕方がない。
 その名も「ジミンガーZ」。
 何となくどこかで見たことのあるキャラクターなのだが,けしてマジンガーではない。「ジミンガー」なのである。昔,どこの町でも学校の帰り道に必ずあった駄菓子屋で売っていたウルトラ怪獣のプロマイドやライダーのメンコのような雰囲気である。これは世に言う“パチモン”キャラといわれる類のものだ。地域によってはバッタモノとも呼ばれている。ようするに,版権をとらずに有名キャラクターに似せて作られたニセモノキャラである。
 これらのパチモノは,近年では近隣特亜三国などで,主に車や電化製品ではよく見られるようになった。有名どころでは,「SONY」ではなく「SQNY」とか。
 我々はこれらのものを見て今は笑っているが,昭和の昔はこのようなものが駄菓子屋にたくさんあったのである。例えば,なぜか角があるゴジラとか,羽が2枚しかないガイガンとか,聞いたことのないウルトラ怪獣風の絵がついたメンコなど,誰でも一度は見た記憶があるであろう。そして子供心に何か騙されたような微妙な気持ちになりながらも,このようなものどもを大事にガラクタとして机の中にしまっていたりしたのだ。
 現在では,あえてこのようなパチモン怪獣をコレクションしている愛好家サークルもたくさん存在する。

 そして,「ジミンガーZ」である。ベースになっているのはもちろんマジンガーZだ。しかしその顔が微妙に変だ。実はこれ,何でもかんでも世の中の悪い事や,自分の身に起こった良くないことを自民党のせいにするミンス党支持者たちの負の想念が異形として実体化したもののようだ。
 “就職できないのは自民が悪い”
 “給料が安いのは自民が悪い”
 “結婚できないのは自民が悪い”
 “自分がモテないのは自民が悪い”
とこのように,何かにつけ年がら年中“だって自民が~”,“だって自民が~”と言っている人たちは私の周囲でもたまに見かける。そのうちに,“うちの猫が布団の上にウンチをしちゃったのも自民が悪い”と言っても私はまったく驚かない。この人たちの会話を聞いていると,そこには当事者性がまったく感じられないのである。つまり,「給料が安いこと」や「結婚できないこと」には社会的要因もあるのであろうが,自分にも何か問題があるであろうという発想には絶対にならない。
 実はこれはとても恐ろしいことである。なぜなら,物事において当事者性を失うということは,自分の人生を100%他者に移譲してしまうことだからである。そして目下のところ,ジミンガーたちの人生移譲先の「他者」とは,ミンス党なのであろう。これは自分の全財産を全てファンドマネージャーに渡して資産運用してもらうようなものだ。半分ぐらいは自分の手元に置いておけと思う。そこにはリスクヘッジという発想もないのだ。ミンス党がコケたら人生お終いである。
 私はこのような母集団を,「無党派層」に対抗して「浮遊層」と既定することとする。「無党派層」というのは,自分自身のポリシーは持ちつつ,その結果あえて「支持政党無し」という態度を明確に提示している人々である。それに対して「浮遊層」は,当事者性と身体性が極端に欠如した状態の人々である。「気体」「気圧」の変化によって,あっちに行ったりこっちに行ったりする浮遊体だ。この「気体」「気圧」というのが,まさにマスメディアによって作り出される世の中の「空気」ということになる。
 これも一種の社会病理が生んだ現象であろう。いわゆる「自己責任」論から大きく振り子が振れた状態だ。

 もし仮に,ヤプールみたいな輩が日本のどこかにしのび込んでいたならば,その負のエネルギーから超獣ジミンガーが誕生するだろう。ミンス党支持者の家の箪笥や押し入れの中に,ジミンガー妖怪が棲んでいるかもしれない。
 なんなら私も「ジミンガーZ」にならって一度だけ言ってみたいことがある。

 “阪神が優勝できなかったのは自民が悪い!”

 これで私も立派なジミンガーの仲間入りだ。パイルダー オ~~~ン!

Twitter_logo_header
----------------------------------------
【お知らせ】
twitterをはじめました。こちらでは政治家、経済専門家、医師、ジャーナリストらの皆さんと、わが国の外交、防衛、政治・経済、医療行政について討論をしています。

http://twitter.com/JPN_LISA
----------------------------------------

| | Kommentare (0) | TrackBack (0)

08. Januar 10

【特撮】 シー・シェパードの超高速抗議船アディ・ギル号が沈没

01

02

 環境保護団体を名乗るシー・シェパード所有の自称“超高速抗議船”アディ・ギル号が,わが国の調査捕鯨船「第二昭南丸」に衝突したのち沈没した。この船は100万ドルもするそうで,なんとも金のかかるオモチャを海賊たちに渡したものだ。“海の警察”または“海の番犬”を自ら名乗ってしまう彼らの純化したヒロイズムの矛先は,目下のところわが国の捕鯨に向けられている。
 この船の艤装を見るかぎり,何か特殊装備でもしているのかと思ったら,ただ単に見た目だけのハリボテだった模様。
 シー・シェパードの面々は,さぞかし007の秘密兵器に乗り込むように“ぼくたちのかんがえた,さいきょうのせんかん”というノリで,得意満面になっていたようだ。しかし,当の我々日本人から見たら,このヘタレぶりは残念ながら,どこか出来損ないの“今週のビックリドッキリメカ”にしか見えない。呆気なく壊れてしまうのも『ヤッターマン』のマヌケキャラにそっくりではないか。こんな事ではドクロベエ様におしおきをされてしまうぞ。

 捕鯨をめぐっては,これまでにもわが国は欧米から理不尽な圧力を受けている。環境保護団体や動物愛護団体の言い分は,どれもこれも情緒的なものだ。彼らは道徳的優位に立つことにより,わが国古来の食文化を語ることすら許さないのである。彼らは,クジラは知的生物で人間に近い動物だから虐殺は許さないという。しかし我々日本人は,単にクジラを食用にするだけではなく,かつて化石燃料が台頭する以前はその油を資源として利用していたという歴史的経緯もある。そんな我々が,なぜUSSエンタープライズ号の言うような資源大国のグローバリズムに批准しなければならないのか理解に苦しむ。
 我々日本人が鯨漁をやるのは,例えば,わざわざ食べる必要もなく殺す必要もないのにレジャーとして野生動物をハンティングして楽しむ欧米貴族文化とは明らかに異なるのである。わが国の捕鯨文化は,資源もなく国土も限られた中で連綿と続いてきたものだ。
 幕末に長崎に居留していたイギリス商人トーマス・グラバーの「グラバー商会」から暖簾分けした「ホーム・リンガー商会」のオーナー,フレデリック・リンガーは,わざわざノルウェーから捕鯨の道具と一緒に技師も招聘し,わが国に近代的な捕鯨の技術を伝えたという記録も残っている。捕鯨をただ単に動物愛護という一面的な観点から語ることはできない。

 意外にも,欧米人ながらこのことを非常によく理解している人物を私は知っている。マシュー・バーニーという現代美術作家だ。彼は現・森美術館の南條史生によりキュレーションされた『人間の条件』展(1994年・青山スパイラル)の出品作家である。昨年は映画美学校でマシュー・バーニーのこれまでの活動を記録した映画『マシュー・バーニー:拘束ナシ』が上映された。
 この映画の中でメインとなっているのが,マシュー・バーニーによる工業用樹脂を素材にした巨大なインスタレーションである。彼は,調査捕鯨船「日新丸」にカメラとスタッフを携えて乗り込み,そこで「日新丸」の乗組員らとともに寝食をともにしながら,船の甲板や船室でわが国の捕鯨文化にインスパイアされたインスタレーションやパフォーミングアーツを展開する。
 船の甲板上で金属の型で拘束された巨大な樹脂の固まりは,その金属の型を外すと同時に自重でその安定した構造を失って甲板全体に流れ出てくる。この樹脂はまさしく鯨の脂のメタファであり,マシュー・バーニーは捕鯨船で横たわるクジラの身体を,生き物としてではなく巨大な資源として描いたのである。
 このインスタレーションを完成させたマシュー・バーニーは,今度はクジラの皮やヒゲで作った装身具を身にまとい,捕鯨文化の中で伝承されてきた民俗芸能演示の中に自ら加わるのである。
 この記録映画の中では,ナレーションとして“かつて資源が少なかった日本は,化石燃料が台頭する以前は捕鯨も重要な資源確保の手段であった”という文言が語られる。マシュー・バーニー自体が,まず日本の捕鯨という伝統文化に興味を持ち,それを欧米の環境団体のように感傷的に捉えるのではなく,異国の文化としてありのままを受け入れる姿が非常によく表現されているのである。だからといって彼がわが国側に立ち,捕鯨を擁護しているのかといえば,そうではない。
 このような態度こそ異文化,多文化理解であって,反対に,シー・シェパードのようなテロ行為は,ますます双方の立場,意見を対立させるだけである。

 しばしば欧米の動物愛護団体の主張にでてくる文言で傲慢さを感じるのは,“知的で愛らしい生物だから殺して食べてはいけない”という主張である。一見まともに聞こえるが,さて,この“知的で愛らしい”という基準はどこからきて,誰が決めているのであろうか。
 フリーアナウンサーの古舘伊知郎のトークライブ『トーキングブルースVol.12~お経~』(1999年12月31日,浄土宗禅林寺・京都)の中で,こんなくだりがあったのを思い出した。ある水族館で大型魚のエサとして金魚をあげていたところ来場者から「金魚がかわいそう」という苦情がたくさん来たので,次の日から金魚の代わりにドジョウをエサにしたら誰も文句を言わなくなった,というくだりである。
 そこで古舘はこう言う。
「おいおい,ドジョウの立場はどうなるんだ! ドジョウだってかわいそうじゃないか!」
 これは古舘の話のネタなのか,実際にあった話なのかは定かではないが,ありがちな話ではある。
 古舘はここで仏教思想の理念に基づき,全ての生き物の「命」には優劣はなく,互いが生きていくために仕方なく「命」のやりとりをしているのだ,ということを説いている。これは確かにキリスト教社会の中で生きている欧米人には理解し難いのであろう。
 私が知る限りでは,食事をする前に「頂きます」という言葉があるのは日本語だけだ。この「頂きます」というのは,皿の上に盛られたものどもの「命」を「頂きます」ということである。これは,我々人間も含めた全ての生き物が「命」のやりとりのサークルの中にいるのであって,キリスト教の「神」のような絶対的な存在の裁量でそれが取り決めされているわけではないということである。

 今回の捕鯨をめぐる一連の騒動は,シー・シェパードの船が大破して,そこに積載されていた抗議用武器の化学薬品が海に垂れ流されただけである。
 南極の海を粗大ゴミと有害な化学薬品で汚したシー・シェパードは,おしおきだべー。

■文中関連コラム■
【試写会】『マシュー・バーニー:拘束ナシ』(映画美学校第2試写室)
【アーカイヴ】 古舘伊知郎 『トーキングブルースVol.12~お経~』(1999年12月31日,浄土宗禅林寺・京都)

| | Kommentare (0) | TrackBack (0)

05. Januar 10

【映画】 キムタク主演の実写版・宇宙戦艦ヤマト 「Space Battleship YAMATO」(予告編)

 年が明けてから一斉に,今年12月に公開予定の宇宙戦艦ヤマト実写版のCMが流れるようになった。私が確認したのは,大晦日にテレビ東京で放送されたジルベスター・コンサートの年が明けてからの一発目のCMである。そこでヤマト実写版の30秒の短い映像を確認した。このテレビ東京の番組自体が今回は「宇宙」をテーマにしたもので,カウントダウンの曲にはホルストの組曲『惑星』の「ジュピター」が演奏された。「惑星」で年が明けてからは宇宙飛行士の野口さんの宇宙からのライブ中継もあり,うまい番組にCMを入れきたものだ。(因みに,野口さんからはJ.シュトラウスのドナウがリクエストされた。これはウィーンフィルのニューイヤーコンサートでは定番の曲でもあり,キューブリックの『2001年』でも使われた曲でもある。)

 今回初めて公開されたヤマト実写版CMの映像には,いろいろな要素,メッセージが込められている。映画好きの人ならば,そこからいろいろなイメージが広がるだろう。ファーストカットはセピア調に赤茶けた大地に,主演の木村拓哉と思われる人物が核防護服のような宇宙服を着用して立っているシーンが遠景で登場する。そしてカメラがズームして古代進(木村)のアップ。
 遠景のシーンでもしこのままさらにカメラをズームアウトするか,もしくは左右に振れば,そこにはガミラスの遊星爆弾による核汚染で干上がった海底に埋まっている帝國海軍の戦艦大和の姿があるはずだ。一瞬映る古代(木村)の呆然とした表情は,海底に埋まる戦艦大和を発見したからではないかと想像できる。
 CMの映像は,この後すぐに,ヤマト艦内を早足で歩く古代(木村)のカット,続いて第一艦橋の様子が映り,古代(木村)の背後には沖田艦長(山崎務)の姿がある。そして戦闘シーンでは女性パイロットの黒田メイサの姿が一瞬だけ映る。この一連のシークエンスを見る限り,その暗く硬質な質感は,『バトルスター・ギャラクティカ』や,『スタートレック』シリーズにおける一連のボーグ戦のような雰囲気である。ヤマト第一作をベースにストーリーを組み立てるのであれば,我々地球人類の敵となるのはガミラス人というヒューマノイド型異星人だが,ここでガミラス人の代わりにサイロンやボーグなどの機械生命体が登場してもまったく違和感がない。ただし一点において,ギャラクティカやUSSエンタープライズ号とヤマトが異なることは,前者はまったくの空想上の宇宙船であるが,ヤマトはその前身として戦艦大和という骨格を持っていることである。ヤマトの物語は遠い未来を設定として描かれているが,物語の根幹は西暦1941年,即ち,帝國海軍に戦艦大和が誕生した時に存在しているのである。この点が極めて特異なのである。
 また,ファーストカットの干上がった大地のシーンは,色調といい,古代(木村)が着用している防護服といい,リンチが映像化した『デューン砂の惑星』の雰囲気もある。浦達也の言うところの“レトロフューチャー”な雰囲気だが,これは山崎貴の作るCGが得意とするところだ。古代(木村)が佇む赤茶けた大地も,もちろん九州南端のはずであるが,このシーンで日本の地名が唐突に登場してもさほど違和感はない。つまり良い意味でワールドワイドな世界観が作られており,後は脚本次第で長らく日本映画が苦手としてきた「宇宙」を舞台にしたSF映画の完成された姿を初めて見ることができるかもしれない。

 なんだかんだと,わずか30秒の映像について長々と書いたが,ようするに,キムタク主演の実写版ヤマトもなかなか良くなりそうじゃないか,ということが言いたかったのである。
 ヤマトには昭和時代からのうるさ方のファンがたくさんおり,その中にはアニメ第一作原理主義のものたちも多く存在する。彼らは現在劇場公開中のアニメ版新作『宇宙戦艦ヤマト復活篇』すら認めたがらないのは当然だ。またそれに加えて,我々日本人にとってはヤマトの前身である戦艦大和にもいろいろな思いがあって,それぞれの日本人の心の中に大和は眠っているわけである。“これぞヤマトだ”というものがそれぞれにあるのであるから,誰が監督をやっても,誰が脚本を書いても,誰が古代進を演じても,“それは違う!”という声は必ずどこからか出てくるのは当たり前である。
 この状況を克服するためには,二つの方法しかない。まず一つ目は,ヤマトが時を経て,バッハやシェイクスピアのような「古典」になることである。そうすれば,蜷川マクベスのような事をやっても怒る人はいない。新しいヤマトの芸術表現として認知されるわけである。そして,二つ目として,旧来のヤマトスタッフではなく,ヤマトを見て育った若いクリエイターに制作を任せることである。かつて子供時代,『仮面ライダー』初期シリーズを見て育った雨宮慶太が,後に優れた造形作家,特撮監督になっていったように,ヤマトにもこのような新たな才能の注入が必要なのである。
 このような意味では,ヤマト実写版の監督に山崎貴が名を連ねていることは,ヤマトにとっては良い選択であったといえる。何故ならば,山崎貴がその先鞭をつけてくれたことによって,今後いろいろなクリエイターたちがヤマトを制作する可能性が広がったからである。私は個人的に,庵野秀明版ヤマトも見てみたいし,なんならばリドリー・スコットやジェームス・キャメロンらの外国人監督でも良い。ヤマトの前身が戦艦大和であるという身体性さえ崩さなければ,あとはいかに表現するかは監督自身の“センス・オブ・ワンダー”次第である。

■井上リサの書き下ろしヤマト・コラム■
【映画】 西崎義展監督 『宇宙戦艦ヤマト復活篇』~昭和歌謡からハードロックへのワープアウト
【CS放送】 石破茂大臣,宇宙戦艦ヤマトを熱く語る(CS放送ファミリー劇場 『アニメ問わず語り』)
【映画】 『宇宙戦艦ヤマト』 復活篇,今度の敵は国連軍だ
【映画】 『宇宙戦艦ヤマト』 の新作「復活篇」が今年12月に公開~波動砲6連射をめぐる是非~

| | Kommentare (0) | TrackBack (0)

03. Januar 10

【訃報】 公害Gメン・蒲生譲二氏,肺がんのため逝去(65歳),ネヴィラの星に還る。

 新年早々に,とても残念なお知らせが入ってきた。1970年代に,特撮ヒーロー番組『スペクトルマン』の主役・蒲生譲二役をつとめた俳優の成川哲夫さんが1月1日に肺がんのために逝去された。まだ65歳と若かった。成川さんは近年俳優業を休業されてからは,空手の指導者として活動をされていたので,成川さんのもとへ空手を習いに行く人以外には,最近の活動の様子などが伝わってくることはあまりなかっただけに寂しい気持ちでいっぱいである。
 いみじくも,表題で“公害Gメン・蒲生譲二氏”と思わず書いてしまったのは,例えば我々の記憶の中では寅さんと渥美清の人格が一体なのと同じく,蒲生譲二と成川哲夫も一体なのである。
 成川さんが『スペクトルマン』の中で演じた蒲生譲二の役どころは,ネヴィラ星から地球に派遣されたサイボーグで,人間の姿でいる時には,東京都の公害Gメン(後に怪獣Gメンに改編)のメンバーとして都民のために公害処理の仕事を行っている。そしてそれに対する侵略者・ゴリ博士が地球に送り込んだ怪獣たちと戦う時には,スペクトルマンに変身するのである。
 人間体の時の蒲生譲二は,公害Gメンの仲間たちの中に溶け込んでいるようにも見えるが,どこか悲哀に満ちている。怪獣番組だとバカにするなかれ。この作品は,人間ドラマや当時の社会問題も深く掘り下げて描いているので,ますます蒲生譲二という魅力的な人物像が浮かび上がってくるのである。一見間が抜けた陽気な性格は,周囲を明るくするばかりではなく,誰とでもすぐに仲間になれるという社交性も持っている。その上に礼儀が正しく紳士的なのだ。
 蒲生譲二のドラマの中で設定されたこのような性格を見ていると,きっと成川さんもそんな人物だったのだろうなあと想像してしまうのである。特に,礼儀が正しくて紳士的というのは,実際には武道家としての顔もあった成川さんのイメージそのものなのである。

 一昨年,CS放送の日本映画専門チャンネルで『スペクトルマン』全話放送がされた。これは,その他のピープロ作品とタイアップで企画されたもので,この放送は大反響であった。なにしろこの作品は,今日日の小奇麗なイケメン特撮番組に見慣れている人たちにとってはかなり衝撃的である。ストーリーや登場する怪獣はもとより,まずはエンディングに流れる『ネヴィラの星』の歌詞に驚かされる。みすず児童合唱団の可愛い子供たちの歌声で,「憎い怪獣,ぶっ殺せ!」である。いたいけな少年少女たちが「ぶっ殺せ!」なのである。この一点だけをみても,当時のテレビ映画業界が,今よりもおおらかであったことがうかがえる。
 実は私も,名古屋芸術大学の芸術療法講座の集中講義の中で,2007年,2008年,2009年と続けて,『スペクトルマン』を上映している。2007年度に上映したのは第48話「ボビーよ怪獣になるな!」と第49話「悲しき天才怪獣ノーマン」である。この作品は,ダニエル・キースの「アルジャーノンに花束を」をオマージュして制作された作品と言われている名作である。この時の蒲生譲二は,一度心を通わせた怪獣を,どうしても倒さねばならないことに苦悩するのである。翌年の2008年には第23話「交通事故怪獣クルマニクラス」,そして2009年には第2話「公害怪獣ヘドロンを倒せ!」を上映した。いずれも私の講義における,「病」を社会学的メタファ,および身体表現として捉えるというテーマの中で『スペクトルマン』を取り上げたのである。(けして怪獣映画を上映して学生と一緒に遊んでいるわけではない)
 この時,『スペクトルマン』を視聴した学生のレポートは,どれもこれも非常に面白い。

 本日は成川哲夫さんのご冥福をお祈りし,これからおとそ気分でいる近隣の友人たちを急きょ我が家に集めて『スペクトルマン』全話上映イベントをレイトショーで行うことになった。このDVDコンポジットボックスには,『スペクトルマン』全話に加えて,『怪傑ライオン丸』のスピンオフ企画で蒲生城太郎というサムライ役で成川さんが出演している第3話「魔の森わくらんば」,第5話「地獄から来た死神オボ」の一部も収録されている。

 成川哲夫さん,ネヴィラの星で安らかにお眠りください。

■井上リサの『スペクトルマン』コラム■
【名古屋芸術大学・芸術療法講座】学生のレポートを読む~スペクトルマンについて
【名古屋芸術大学・芸術療法講座】第14回「スペクトルマン48話・49話」上映

Dvd_2
『スペクトルマン』コンポジットDVDボックス

| | Kommentare (0) | TrackBack (1)

12. Dezember 09

【映画】 西崎義展監督 『宇宙戦艦ヤマト復活篇』~昭和歌謡からハードロックへのワープアウト

Photo

 宇宙戦艦ヤマトの新シリーズ第1作目が公開された。この作品は,すでに先に行われた試写会で一度見ているが,2つの異なるラストシーンが設定されていたこともあって,映画としての完全なる完成品を見るのは今回が初めてということになる。
 宇宙戦艦ヤマトの世界は映画の設定書では西暦2192年,すなわちガミラス帝国が地球に向けて遊星爆弾による攻撃を開始した年からスタートしているが,ヤマトの前身が帝國海軍の戦艦大和なわけであるから,本来ならばその大和が誕生した西暦1941年からすでに物語はスタートしているといえる。
 また,しばしば映画ファン,アニメファンの間では,“ヤマトは一度死んだ乗組員が生き返る”と揶揄されることがあるが,それは映画シリーズの第2作『さらば宇宙戦艦ヤマト』と,同じキャストによるテレフューチャー版の『宇宙戦艦ヤマト-2』とを混同しているがために起こる誤解である。確かに,劇場版『さらば宇宙戦艦ヤマト』は多くの主役級の登場人物がたくさん死んだが,テレフューチャー版では『さらば-』で死んだ登場人物でも生き残る者もいる。そしてこれ以降制作されたヤマトの新作の映画やテレビシリーズは,多くの登場人物が生き残るヴァージョンの『宇宙戦艦ヤマト-2』の続編である。したがって,“ヤマトは一度死んだ乗組員が生き返る”と言われるのは言い過ぎであり,まずはこの誤解から解いていきたい。

 さて,今回制作された『復活篇』は,前作の『完結編』から26年を経た作品である。物語の中ではヤマトがアクエリアスの海に沈没してから17年後の世界として描かれている。実はこの間に,米国人スタッフをたくさん投入した『YAMATO2520』というOVAが途中まで制作されている。これはタイトルでもわかるとおり,西暦2520年のヤマトの物語であり,乗組員も馴染みの者はおらず,ここに登場するヤマトはシド・ミードによりデザインされたもので,もはや帝國海軍の戦艦大和の面影はない。いわば,『スタートレック』に登場する歴代のエンタープライズ号と同様な,ネームシップとしてのヤマトが登場する。このような理由から,ファンの中には,この作品だけはヤマトの正史に入れたがらない人も多々存在するようである。
 しかし今回,26年ぶりに制作された『復活篇』には,シド・ミード版『YAMATO2520』から受け継いだ良い要素もたくさんあり,結果的に『YAMATO2520』が劇場版の『完結編』と『復活篇』を橋渡ししたかっこうとなっているのは映画を見れば一目瞭然である。

 26年の時の流れは,スタッフの大幅な入れ替えをも余儀なくされた。当時ヤマトの制作に関わっていた方々で,すでに故人となられた方も多くいる。その中でもヤマトの音楽では絶対に欠かすことができない宮川泰や羽田健太郎がもうこの世にいないことが残念でならない。ヤマトの世界で魅力的なものの一つに,敵国の音楽的世界観というものがある。中でもパイプオルガンの大フーガで展開される白色彗星のテーマや,宮川泰や羽田健太郎がまるでパガニーニのように悪魔に魂を売って作ったのではないかとさえ思う自動惑星ゴルバのテーマは,おそらくわが国アニメ史上に残る敵国音楽の頂点に君臨するものであろう。
 今回新たに登場する敵国は一国ではなく,連合国で構成された“国連軍”だ。もし宮川泰が今も健在ならば,既存のクラシック音楽を劇伴にすることなく,一国ずつそれぞれに,素晴らしいスコアを書いたであろう。
 しかし,新たに加わったスタッフのおかげで,ヤマトの新しい世界観を楽しめる要素も十分にある。その中で特筆すべきは主題歌とエンディングテーマを歌っているTHE ALFEEの存在である。今だから言えるが,この作品が作られると聞いた時,主題歌を歌う候補のミュージシャンにTHE ALFEEの名が上がっていることを知って,正直に言って大きな違和感を覚えたのは事実である。「さらば地球よ~」で始まるあの主題歌は,絶対にささきいさおでなければダメだと勝手に決め付けていた私自身の中に眠る原理主義的な態度が表出した瞬間である。
 つまり,『完結編』までのヤマトの世界観は,言うなれば,昭和歌謡そのもなのだ。音楽スタッフの名を見れば宮川泰や阿久悠といった歌謡界の大御所が並んでいるのだから,当たり前である。ストーリーも,どこか日本人の琴線に触れる要素が随所にあった。そして金田伊功という不世出の作画師によって作られる質量のこもった動画は,密度の濃い昭和歌謡の世界観とも見事に符号していたのである。
 しかし,デジタル処理された『復活篇』を見た時に,そのスピーディーさやシド・ミード版のヤマトを受け継ぐような鋭敏な空間は,むしろロックがもつ疾走感や華やかさが似合う。これが意外に大発見であったことだ。悲哀に満ちた昭和歌謡,もしくは昭和演歌の世界から,ロックというカタルシスが生む空間にヤマトはワープアウトしたのである。

■SUS星間国家連合は,やっぱり「国連軍」だった
 以前は私は,『復活篇』の全容が明らかになる前に,今回の作品にはSUS(スーパー・ユナイテッド・スター)という新たな敵国が登場すると聞いて,これは「国連軍」ではないのか? という内容のコラムを書いた。(このコラムを参照→『宇宙戦艦ヤマト』 復活篇,今度の敵は国連軍だ
 スーパー・ユナイテッド・スターとは,つまり,ユナイテッド・ネイション=「国連」を想像させるということである。
 ヤマトはもともと米帝に沈められた帝國海軍の戦艦大和であったこと,それから,ヤマトも他の架空戦記と同様に,宇宙空間を太平洋に見立てて,そこで仮想の太平洋戦争を日本人視点で描く,というコンセプトも抽出できる。実際に,『さらば宇宙戦艦ヤマト』に登場する敵国の都市帝国ガトランティスは,NYの摩天楼を意識したものであるとプロデューサーの西崎義展も述べている。このような複線を考えると,どうみてもSUSは国連軍のメタファなのが容易に想像できたのである。
 そして,実際に完成された作品を見終わって思ったことは,SUS国家連合は,やはり国連軍だったということである。しかも,石原慎太郎が脚本に関わっているので,SUS司令官がマイケルムーアの『華氏911』のブッシュみたいな人殺しの悪者に描かれており,SUSから同盟を離脱する資源産出国のアマール国は,中東アラブの小国に見える。さすが,かつてシド・ミードがせっかくデザインしたエンタープライズ号みたいなヤマトを西崎義展の目の前で堂々とケチをつけた石原慎太郎だ。

■エトス軍の戦艦は大理石調のイタリアモダン
 新たな敵国「SUS星間国家連合」は,複数の同盟国から成り立つ国連軍である。美術的演出として,各国の艦船は異なるデザインで識別されている。これは単に国を識別するだけではなく,文化・文明の違いをも表現しているものだ。この要素はシド・ミード版『YAMATO2520』で試みられたことである。『YAMATO2520』では,対立する二つの文明世界が描かれていた。一つは我々地球人類を祖とする文明世界で,この世界は波動エネルギーが文明の中心となっている。そしてそれと100年以上対立しているセイレーン連邦は,モノポール文明という独自の文明と技術を持っており,生活様式も我々とは異なる。シド・ミードは,単にこれを力学的対立だけで表現するのではなく,潜在的美意識の対立として描くことに成功したのである。セイレーン連邦の居住空間は,左右非対称であり,5角形,7角形といった,我々が実生活ではあまり馴染みのない空間で構成されている。我々地球人からしたら,こんな歩くだけで眩暈がしそうな空間は,とてもじゃないが居心地が悪い。これは美意識の差異に他ならないことであり,きっとセイレーン連邦の人々にとっては落ち着く空間なのであろう。
 『復活篇』に登場する艦船も,地球文明から見れば非常に特異なフォルムをしているものばかりであるが,これは宇宙物理学に基づくリアリズムよりも,「美学」を優先させたことからくる面白さである。
 その中でも,エトス軍の艦船は白い大理石調で,今流行りのデザイナースマンションのようなゴージャスな質感をしている。その内部もまるで洗練されたイタリアモダンであり,一度でいいからこんな所に住んでみたい,というような感じなのである。

■SUS軍の連合艦隊は安藤美姫の衣装みたい
 『復活篇』では,要所のBGMは旧作からの音楽を引き継いでいるが,新たに登場した敵国SUSでは,クラシックのオーケストラ作品を多数使用している。どの楽曲も大編成の作品で華やかさもあり,SUS艦隊もそのBGMに乗って,赤と黒の色調が,刺さるような強烈なイメージを放っている。
 この雰囲気は,どこかで見たことがあるなと思っていたが,これぞまさしくフィギュアスケートの世界女王・安藤美姫のイメージにぴったりなのである。彼女の往年のライバルである,同じく世界女王・浅田真央が精錬かつ可憐なのに対して,安藤の作り出す空間は,妖艶かつ鋭敏なイメージである。SUS艦隊の雰囲気は,安藤美姫がフリープログラムで身にまとう衣装の雰囲気にそっくりなのだ。ラストに時空の壁を突き破って登場するSUSの巨大潜宙艦は,浅田真央の浮遊感あふれるジャンプとは対照的に,突き刺さるような鋭敏なジャンプを飛ぶ安藤美姫を彷彿とさせるのである。

■やっぱり白色彗星の方が強そうだ
 見どころ満載の『復活篇』だが,ふとここで,SUS国家連合の眼前にあの白色彗星ガトランティスが登場していたら,どちらが強いだろうかと,楽しいことを空想してしまった。銀河系に展開する艦隊規模から判断すれば,SUSは他国を凌駕する一大勢力であることはわかる(何しろ国連様だからな!)。しかし,映画におけるセンス・オブ・ワンダーすら持ちえている彗星帝国の方が圧倒的に強そうに見えるのは私だけであろうか。あの上空から威圧するような絶対的和声で書かれたパイプオルガンの大フーガとともに我々の頭上に現れる彗星帝国は,我々に何度も何度も絶望的な思いを抱かせてくれた。彗星帝国にあってSUSにないのは,この「絶望感」なのである。それは,『ウルトラマン』の最終話に登場したゼットンに対し地球人類が抱いた絶望感とも似ている。つまり,ヤマトでもどうにもならないという「絶望感」がSUSには今のところないのである。
 今回の『復活篇』第一部に登場したSUS軍の連合艦隊は,その尖兵部隊なのであろう。その背後には何者が控えているのかはまだ明らかにはされていないが,今度こそ我々人類を絶望の淵に叩きこんでくれるようなラスボスを26年ぶりに見てみたい。

 何かと賛否両論が予想される『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』にあえて点数を付けるとしたら,私は75点だ。
 それなりに楽しんだので,DVDが出たら買う予定である。次回作も必ず見に行くだろう。来月はメルボルンから友人らが来日するので,映画館に見に連れて行く予定である。ついさっき,この友人らにはAri Mailにて復活篇のフライヤーDVDを送ったところである。

■井上リサの書き下ろしヤマト・コラム
【CS放送】 石破茂大臣,宇宙戦艦ヤマトを熱く語る(CS放送ファミリー劇場 『アニメ問わず語り』)
【映画】 『宇宙戦艦ヤマト』 復活篇,今度の敵は国連軍だ
【映画】 『宇宙戦艦ヤマト』 の新作「復活篇」が今年12月に公開~波動砲6連射をめぐる是非~

| | Kommentare (0) | TrackBack (1)

18. Juli 09

【CS放送】 石破茂大臣,宇宙戦艦ヤマトを熱く語る(CS放送ファミリー劇場 『アニメ問わず語り』)

01_2
02
03

 16日深夜にCS放送ファミリー劇場で放送された番組『アニメ問わず語り』のゲストに登場した石破茂農林水産大臣が,ヤマトについて熱く語った。
 この番組は,あえてアニメの評論家や雑誌の編集者ではなく,普段は他の分野で仕事をしている各界のアニメ好き著名人をゲストに呼んで,5分足らずの短い時間ではあるが,日本アニメの魅力について語ってもらう番組である。
 今回ゲストで登場した石破大臣は,アニメと艦船模型の愛好家として知られている。部屋には護衛艦「しらね」などの自衛隊の艦船模型が並んでいるほどだ。そんな石破大臣はやはり子供の頃からこの類のものが好きだったようで,大臣が少年時代に出版されていた『少年画報』や『冒険王』などの少年誌に付録として付いてきた紙製の大和やゼロ戦の模型をたくさん作って遊んだそうである。
 石破大臣が日本アニメの中で特に大好きなのは『宇宙戦艦ヤマト』シリーズ。その中でも『さらば宇宙戦艦ヤマト』には特別の思いがあるようだ。これには大臣がもともと子供の頃から艦船模型に親しんできたという背景もあるが,もうひとつには,当時の日本の放送ネットの地域格差も多分に影響を与えているのではないかと思われる。
 石破大臣の地元である鳥取は,昔は日本テレビ系列の日本海テレビしか民放チャンネルがなかったそうである。だから『少年画報』や『冒険王』でテレビで放送中のアニメや特撮ヒーロー番組の記事を見ても,自分の家ではテレビが映らないからいつも悔しい思いをして過ごしたそうである。そんな状況の中,空前のヤマト・ブームが起こり,映画館でこの作品が見られると分かった時,喜んで映画館に通ったそうだ。特に,『さらば~』の方は連日のように映画館に通い,1日に2回も3回も見ていたら,当時の彼女から“頭がおかしいのではないか”と言われてしまったそうである。しかしこれは石破大臣の方が気の毒だ。子供時代から民放ネットの情報格差でとてつもない飢餓状態に置かれていたところにもってきて,空前のヤマト・ブームでそれが劇場で見られるとわかれば,お腹一杯食べたくなるのが人間の「性」ではないか。
 私は石破大臣のこの言われようをみて,ずいぶん前に読んだ佐藤健志の著書のことを久々に思い出してしまった。
 当時,若手論客として売り出し中だった評論家の佐藤健志の著書『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』(文藝春秋)の中で,著者の佐藤健志が当時交際していた女性と「今まで見た映画の中でどの映画が一番良かったか」との会話になり,その女性がヤマトを挙げたことについてのエピソードがでてくる。この時の佐藤健志は,“まったく理解できない”,“他にもっと違う映画はないのか”,“なぜ,よりによってこんな作品を一位にあげるのか”という具合に,この女性の回答にたいそう当惑している様子であった。しかし,当該女性の方こそ,もしこの佐藤健志の著書を読んでいるとしたら,彼女の気持ちの方もいたく傷つけられたのではないかと思うのである。石破大臣もこんなことを言われてしまったのであろうか。
 ある一つの事柄や事物に対して,突出した興味を示す志向について,その背後にある個別の状況が理解されぬまま,ただ単に「オタク」と悪意あるフレームで見てしまうのは少々早計であり,それは一種の偏見ではないのかと,今回石破大臣の話を聞いていてつくづく思った次第である。なによりも,「ある一つの事柄や事物に突出して興味を示す志向」というものを否定してしまったら,世の中からは芸術家やクリエイターはいなくなるであろう。

「さらば宇宙戦艦ヤマトには賛否両論いろいろあります」by石破茂
 『さらば~』で最後にヤマトが白色彗星帝国の巨大戦艦に体当たりをするということについて石破大臣は,安否両論ある結末だが,この物語の中でデスラー総統がかつての侵略者から心根の良い人間に変わっていくのが救いであり,その部分も含めて何度見ても感動するそうである。このくだりについては,2006年に公開された戦艦大和の実写版映画『男たちの大和』に併せて出版されたムック『僕たちの好きな戦艦大和』(宝島社)の中でも詳しく語られている。このムックはまるまる一冊,戦史家,ラノベ作家,特撮ライターなどが戦艦大和だけについて語り尽くした本だ。その中で4ページにわたって石破大臣の特別インタビューが収録されている。
 このインタビューの中で石破大臣は,祖国ガミラス復興のために恥をしのんで彗星帝国に身を寄せているデスラー総統が,これまでの漫画や日本アニメで描かれてきたような単なる悪者で終わらなかったことに,いたく心を惹かれている様子である。これには,政治家の目で見た政治家としてのデスラー総統に対する複雑な思いがよく伝わってくる。実際の政局でも,自分自らが誰かのために泥をかぶったり,火中の栗を拾わなければならない局面は多々あるであろうから,本来ならば人一倍プライドが高く,その全身が美意識の塊のようなデスラー総統が,他国に身を寄せるという状況がどれほど屈辱的であるかがよりリアルに感じるのであろう。

「美しく,強く,はかない――その生涯に一種魅了されるところがあります」by石破茂
 ヤマトについて語っていると,最終的には行きつくところは戦艦大和である。当たり前であるが,ヤマトがスタートレックやギャラクティカの宇宙船と異なるところは,その前身が太平洋戦争の正史と直接繋がっているという部分である。それゆえに,例えばシド・ミードがデザインした第18代ヤマトが登場するOVA『YAMATO2520』は,太平洋戦争の正史を継承する戦艦大和が,その船体はもはや無く,ネームシップとしてだけ存在しているという状況から,これをヤマトとは認めないという考え方もでてくるのである。
 この冬に公開される劇場版『宇宙戦艦ヤマト』(復活篇)でも,新たにヤマト級戦艦を新造するのではなく,前作「完結編」で船体が真っ二つに折れたままアクエリアスの海に轟沈したヤマトを再び蘇らすという設定にしたもの,こうしなければ,それは“ヤマト”ではなくなってしまうからだ。
 では,ヤマトの前身である戦艦大和の他に悲劇性をもった戦艦はなかったのかといえば,そんなことはない。大和の同型艦であった武蔵や,大和より一世代前の長門にしても,それなりに悲劇性を持っている。実は石破大臣は,自分の選挙区(鳥取1区)と同じ出身である猪口大佐が艦長だった武蔵の方が多少思い入れが強いということを前出のムックのインタビューでも語っている。それでも,宇宙戦艦が武蔵ではなく大和でなくてはならなかった理由は,史上最強と言われながらもその「はかなさ」にあると語っている。

「もしも開戦に「大和」「武蔵」が間に合えば,こんなことができたかも」by石破茂
 近年の架空戦記といわれるものには,大和がとてつもないスペックと強さで登場することが多々あるが,これはかつての少年少女たちが秘密兵器というものに抱いた一種の憧れやフェティシズムであろう。誰しも自分が好きな怪獣が最強でありたいと願うものである。しかし石破大臣まで,密かにこんな架空戦記のようなことを考えて楽しんでいるとは知らなかった。『僕たちの好きな戦艦大和』の中で石破大臣は,もし大和と武蔵が真珠湾攻撃に加わっていたらどうなっていたのか,ということも話している。まず正史の通り,最初は機動艦隊が敵基地を叩いて,その後に大和,武蔵が行って,艦砲射撃で徹底的に叩く。その後にロサンゼルスまで行って,一気に西海岸を陥落せしめる,というものである。たしかにこうなったならば,その後戦局は大きく異なったであろう。

 『アニメ問わず語り』では,短い時間でしか石破大臣の話を聞くことしかできなかったが,もっと長く,1時間2時間とこの人にヤマトのことを語らせたら,面白い話がたくさん聞けるだろう。先日も,某所で偶然にも大和戦史家で呉の大和ミュージアムの館長である原勝洋氏と同席する機会があり,大の大人が5,6人も囲んで,小1時間ほど大和談義で華が咲いたが,この席に石破大臣もいれば一層に盛り上がったことであろう。

■石破 茂ブログ■
http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/

■ファミリー劇場■
http://www.fami-geki.com/

■井上リサによる「宇宙戦艦ヤマト」関連コラム■
【映画】 『宇宙戦艦ヤマト』 復活篇,今度の敵は国連軍だ
【映画】 『宇宙戦艦ヤマト』の新作「復活篇」が今年12月に公開~波動砲6連射をめぐる是非~

| | Kommentare (0) | TrackBack (0)

05. Juni 09

【CS放送】 石川雅之原作の『もやしもん』 放送スタート(アニマックス)

 昨日からCS放送局アニマックスで石川雅之原作の『もやしもん』の放送がスタートした。
 この物語は,主人公の農大生・沢木惣右衛門直保とそれをとりまく研究室の仲間や,風変わりな教授をめぐるディープな人間関係を面白おかしく描いた作品である。大学の研究室という狭い空間で醸し出される人間関係は,文字通り,いい具合に“発酵”しかけた麹のようである。
 ここに登場する農大生の直保には他の人間にはないある特殊能力を持っている。それは菌類やウイルスを肉眼で見ることができる能力である。そのために,直保の視点で描かれた『もやしもん』の世界では,なんと菌やウイルスもかわいいキャラクターとして登場するのである。そしてこれらの“ゆるい”いでたちのかわいい菌類は,あの『Dr.スランプ アラレちゃん』に登場した,人格を持ったしゃべるウンコと同様に,声を出すのである。
 全話を通して登場する菌類は,乳酸菌や麹菌などのわれわれ人間の暮らしに関わりの深い菌類に始まり,O-157,ボツリヌス,インフルエンザなどの毒性の強いものたちも,ユーモラスなキャラクターとして登場する。
 このように「病」や菌類における擬人化の源流は,西洋絵画では一連の「死の舞踏」の中に求めることができよう。

 「死の舞踏」では,「死」,「病」,「老い」という人間の抱える苦について,それを化け物や権力者,時には宗教家,裁判官,医者としての姿で描き,我々人間は,常に,「死」,「病」,「老い」と隣り合わせなのである,というメッセージを送っている。この「死の舞踏」の歴史は実に長く,古くはキリスト教登場期の写本の中にも多く見ることができる。その後時代とともに「死の舞踏」は変容を繰り返し,かつてはペスト,コレラ,麦角といった古い時代の伝染病が多く擬人化されたのに対し,近代では「癌」が工業化社会の象徴として擬人化されたり,「公害」や「戦争」,「ドラッグ」といった今日的テーマも「死」の象徴として様々に擬人化されている。
 「死の舞踏」における「死」や「病」を理解するには,仏教思想にある「生老病苦」や「四苦八苦」の思想も助けになるだろう。つまり,人間は誰しも生まれながらにして様々な苦を抱えており,それが「生老病苦」である。そしてここにさらなる苦が加わって「四苦八苦」となるわけだが,これをけして恐れるな,あるいは自分から遠ざけるな,ということである。
 わが国では長い間,「死」について語ることをタブーとされてきた。例えば欧米の病院ではシスターや牧師が普通に廊下を歩いているが,この状況に特に違和感はない。一方で,もし日本の病院の廊下を袈裟を着た坊主が歩いていたら,それを見た多くの人は,おそらく「葬式」などを連想して,ネガティブな感情がわいてくるであろう。
 この違いは何かというと,欧米のいわゆるホスピタルは,その前身が教会の修道院であり,その空間の成立自体に死を看取るという宗教的要素があったのである。そのような歴史的背景で近代化が進んできた欧米のホスピタルは,「治療」と「看護」そして「介護」が全人的に共存しているのである。一方で仏教徒が一番多いであろうわが国の場合には,欧米的理念に基づく科学的な臨床学と,死にゆく人を送るという宗教的要素を担うものとが融合することなく分断されたままなのである。
 もちろん国内にもキリスト教系のホスピタルは数多くあり,そこでは死にゆく人の全人的ケアが実践されてはいるが,それでもここの空間に袈裟を着た坊主はなかなか入っていけないであろう。それは,何も現代の医療空間だけに問題があるのではなく,日本の仏教が,これまで人間の生活史に寄り添うものではなく,“葬式仏教”でしかなかったという点も指摘できる。

 文化人類学者の上田紀行は,この“葬式仏教”的日本仏教に疑問を感じ,都内の禅宗の寺で「仏教ルネサンス塾」という寺子屋的なトークショーやワークショップを精力的に行っている。また,僧侶で医師の対本宗訓は,かつて臨済宗佛通寺派元管長というポストを捨てて,すでに僧侶でありながら医者になるために医学部へ進学したという経緯があり,仏教の世界でも,「葬式」といった人が死んでからのことではなく,死にゆく人とも寄り添っていくことの大切さが提言される機会が増えてきてはいる。
 このような状況と関連して,近年では仏教の寺院が経営する老人介護施設やホスピスも登場するようになった。まだまだこれらは少数派であるが,ようやく欧米のシスターや牧師と同様に,僧侶が医療現場に堂々と入っていける環境が出来てきたといったところである。

 話を『もやしもん』に戻すが,西洋美術史における「死の舞踏」が,「死」や「病」を生活史の中で身近に捉えていこうとするものならば,『もやしもん』の世界もまた,菌やウイルスといった普段は目に見えないものたちの生活史に目をやるものである。これらのものたちに親近感こそわかないまでも,その活き活きとした生活史を垣間見ることで,これらのものたちも必死に毎日生きているという健気な姿も伝わってくるから不思議なのである。
 かつて,のど薬のCMで擬人化されていた「エヘン虫」や,『アンパンマン』に登場するバイキンマンは見るからに悪者だが,それでもどことなく憎めないのは,日本古来のたとえば「ツツガムシ」信仰や「疱瘡神」信仰にみられる,カミサマとして祀られた「病」の源流があるからだ。この点が,「病」を人間社会から駆除しようとした西洋世界とは異なるのである。
 普段は日本アニメを楽しんでいる欧米の友人たちも,菌類やウイルスが擬人化して登場する『もやしもん』の世界観はなかなか最初は理解しがたいであろうが,これもかたちを変えた現代における「鳥獣戯画」と思えば,ますます興味がわいてくるであろう。

| | Kommentare (0) | TrackBack (0)

07. Mai 09

【CS放送】 ウルトラマンレオ(第40話) 『MAC全滅! 円盤は生物だった!』

Photo

 怪獣映画や特撮番組の中には,いわゆる「トラウマ怪獣」といわれるジャンルがあるようで,我が家でも怪獣好きの人間が集まって映画上映会などをやる時には,なぜかカッコ良い怪獣談義よりもトラウマ怪獣談義で盛り上がるのだから不思議である。
 GW中にママゴンやパパザウルスに外に遊びに連れて行ってもらえなかった可哀想なチビッコたちのためだろうか,CS放送各局ではアニメや特撮番組のシリーズを一挙放送というのをやっていた。こういう企画自体は,昔,スーパーチャンネルで定期的に企画していた「スタートレックまるごと24時間」がもっとも馴染みがある。
 今回私が録画しながら視聴していたのはCS放送ファミリー劇場で放送していた『ウルトラマンレオ』一挙放送である。この作品は円谷プロの70年代のウルトラシリーズの後期を飾る作品である。主演は,現在民俗楽器や日本の伝統的な和楽器とコラボレーションした「語り」のライブを行っている「真夏座」の真夏竜氏。彼が「おおとりげん」という人間体で登場し,ウルトラマンレオに変身して怪獣や宇宙人と戦うのである。
 『ウルトラマンレオ』という作品を,けして子ども番組などとバカにしてはいけない。70年代の毒気満載のこの作品を何の気なしに気軽に見ていると,とんでもないものを見せられるから要注意である。

 この作品は全話を通して,第一シリーズと第二シリーズに大きく分けることができる。第一シリーズでは,その他のウルトラシリーズと同様に,防衛隊とウルトラマンが怪獣や宇宙人と戦うシリーズである。もしこれだけならば,数多あるウルトラシリーズの中でここまでもインパクトのある作品にはならなかったであろう。
 問題は第二シリーズである。ここに始めて登場する「円盤生物」なるものが最終話まで異彩を放っているのである。この「円盤生物」なるものは,レオよりも前作の『ウルトラマンA』に登場した「超獣」よりもインパクトがあるかもしれない。
 地球侵略を企むブラックスターのブラック指令が母星ブラックスターから毎回地球に召還する円盤状の宇宙生物が円盤生物である。それはクラゲ状のものから甲殻類や昆虫風のものまでいろいろいる。
 円盤生物第1号として地球に召還されたのが,トラウマ怪獣としても人気が高いシルバーブルーメという円盤生物である。なんとこのシルバーブルーメは,防衛隊隊員が誕生日パーティーをやっている基地に急襲をかけ,基地ごと体内に丸呑みして,隊員と防衛隊基地は全滅する。そして地球に降り立ったシルバーブルーメは,防衛隊隊員と地元住民の交流の場であったスポーツクラブの建物も破壊し,主人公のおおとりげんと親しい人間たちも,ほぼ全員被災して死亡する。
 ここまでがあっという間の出来事である。子ども番組でありながら,災害では女性や子どもといった弱いものが呆気なく死んでいくことをリアリズムを持って描いているところが容赦ない。

 円盤生物の奇襲を受けた後の物語は,画面全体にも隠遁とした暗さが漂っている。電気,ガス,水道といったライフラインはかろうじて確保され,交通機関や医療機関,報道機関も最低限は機能しているが,怪獣や宇宙人と戦うために特殊兵装をした防衛隊は全滅し,市民の治安は警察と自衛隊に準ずるものが守っているという脆弱な状態である。しかも,円盤生物の来襲で両親を失った孤児もたくさんいて,そういった孤児たちは,よその家庭や親戚の家に身を寄せている。人々もどことなく殺伐としていて,この状況を例えるならば,まさに戦時下の日本そのものである。
 中でも市民たちにとって大きなダメージとなったのは防衛隊の全滅だけではなく,日頃何かと防衛隊隊員と地元住民の交流の場であったスポーツクラブの壊滅であろう。これによって市民は信頼によって結ばれていた地域コミュニティを失ったのである。その結果,互いが疑心暗鬼になり,防衛隊の援護もなく一人で円盤生物と戦っているウルトラマンレオに対しても怒りや憎しみの矛先を向けたりする。
 これはスイス政府が市民のために提言して各国でベストセラーになった『民間防衛』で挙げられている他国の侵略者による様々な工作行程の手法とまさに符合する。『民間防衛』では,ただ単に武力で侵略するだけではなく,思想侵略,文化侵略,人口侵略などについても詳しく言及されているが,これは現在,国体が揺らぎかけている日本が置かれている状況ともおおいに共通する部分がある。それをやってのけるブラック指令はなかなかのものだ。
 しかもこのブラック指令は,様々な禁じ手を使うのである。その中でも,ここまでやるかと思ったのは,工作活動で孤児たちを取り込んで,この孤児の子どもを使って一般市民を襲わせるのである。これは見ていていたたまれないものがある。まるで自爆テロのために訓練された中東の少年兵のようだ。幼気な子どもが市民を毒ガスで襲うのである。バルタン星人だってここまではやらなかった。番組は異なるが,『マグマ大使』に登場した宇宙の侵略者ゴアだって,宇宙細菌をばらまく怪獣で地球を襲ったりしたが,子どもには手を出さなかった。ブラック指令はまさにビン・ラディンのような存在である。

 円盤生物の造形も,不可解極まりない。あの不可解さとテクノロジーを現代の映像技術で表現すると,例えば『バトルスター・ギャラクティカ』に登場するサイロンの有機細胞でできた戦闘機のようなものになるのだろう。いずれにしても,宇宙生物というからには,地球上のいかなる生物にも造形的な由来を受けない物体であるのが好ましい。人知の想像を超えたところに宇宙生物の醍醐味がある。その点を考えると,ウルトラシリーズにはこれまで多くの宇宙生物や宇宙人が登場したが,地球の重力に影響されないであろう形態をした円盤生物は,まさに宇宙生物というのに相応しい。しかも時に知性的でありながら,停戦合意や講和について話し合えるような相手でもないところが最悪なのである。
 この円盤生物シリーズで唯一の救いは,最後は子どもたちが協力してブラック指令を倒すことである。これは,防衛から治安まで,今まで何でもウルトラマンに頼ってきた市民のウルトラマンからの自立や,親からの独立を意味しているのであろう。今見ても,非常にコンテンポラリーなテーマが埋め込まれた作品である。

| | Kommentare (0) | TrackBack (0)

05. August 08

【コラム】夜が明けるまで怪獣談義 in 池袋・新文芸坐(『深海獣レイゴー』祭り)

2_3










 池袋の夜は長い! 8月2日の深夜に,落語家でインディーズ怪獣映画の監督としてご活躍の林家しん平監督の最新怪獣映画『深海獣レイゴー』(2008・インターメディア)の上映に併せて,池袋・新文芸坐でしん平監督と非常に関わりが深い皆さんでトークショーが行われた。私も末席からお邪魔させていただいた。トークショーでの内容は,さすがに営業的にもオフレコの内容が多くてここに具体的に記す事ができない。残念である。ただ確実に言えることは,来年も少なくても2本の新作怪獣映画が見れそうであるということである。しかもゴジラ,ガメラ以外の怪獣である。さらにしん平監督の次回作の制作も決定した。怪獣をデザインするデザイナーの方もすでに決まっているので,おそらく今月中には,このデザイナーの方からしん平監督へ,怪獣の第一案のスケッチが届くはずだ。
 私は以前のレビューで怪獣映画の伝統的様式美として,怪獣が日本各地の名所旧跡や新築された話題のスポットを象徴的に壊しまくることを例に挙げたが,しん平監督の次回作も,この伝統的様式美を確実に踏襲することとなろう。なぜならば,あんな場所を壊してしまう予定だからである。(あんな場所については,もちろんまだ内緒である)
 トークショーが終了したのは午前3時を過ぎた頃で,その後もパネラーの皆さんと控え室に入り,怪獣談義に花が咲く。さすがに皆さんお疲れの様子で,金子監督は午前4時ぐらいになったところで中座されたが,私は他のパネラーの方と一緒に居酒屋に場所を移動して,電車の始発が来るまで引き続き朝まで怪獣談義である。中でも特に盛り上がったのは皆さんが60年代,70年代に見ていたヒーロー番組の話題だ。『海底人ハヤブサ』,『七色仮面』,『スペクトルマン』,『マグマ大使』といった懐かしい名前が次々に出てくる。皆さん,ただ名前が出てくるだけではなく,印象的だったシーンのカメラワークまで覚えていて,どんどんヒートアップしていくからすごい。その中で非常に興味深かったのが,皆さんそれぞれ子供の頃のトラウマ・エピソードを持っているということだ。
 因みに,私が特撮ヒーロー番組で今だに一番のトラウマとなっているのは,『マグマ大使』の「青血病」と「オレンジ人食いカビ」である。「青血病」とは侵略者ゴアが地球に上陸させた怪獣ガレオンの吐く放射線の様な青い光線を浴びると,血液の赤血球が青く変色し,呼吸困難と硬直を起こして死に至るという難治性の血液疾患である。
 一方,「オレンジ人食いカビ」は,金星からやってきた宇宙怪獣キンドラの吐く宇宙カビが人間を襲うエピソードである。こちらの方は,同時期に地球に帰化した“緑の花”と言われるおそらく真菌類が天敵となり,最後はオレンジカビを退治してくれる。
 この状況をみると,オレンジカビは麹菌などの一種で,“緑の花”はペニシリンだなと,今では細菌学者フレミングの論文などを思い出しながら冷静なことを言っていられるが,子供時代に見た時は,それは恐ろしかった。しん平監督曰く,“子供の時に見て怖かったものでも,今見ると結構チャチかったりするので全然平気”ということだが,「青血病」に関しては,かの雨宮監督も,今見てもちょっとイヤかもとおっしゃっていた。特に,ガレオンの光線を浴びて全身に青い斑点が浮き出てくるシーンがやばいらしい。
 そんな雨宮監督が苦手だったのは,むしろ「人間モドキ」だそうだ。しかも,「人間モドキの歌」という歌もあったそうで,雨宮監督は苦手だったと言いながら歌詞まで覚えておられてこちらの方にも驚いてしまった。そして,その「人間モドキ」を体から吐き出すダコーダという不気味な形状をしたシュールな怪獣の話題に及んだ時,“ちょっとそこの皆さん,アキバのオタクですか”としん平監督から突っ込みが入った。これはもうホメ言葉である。雨宮監督にしてもしん平監督にしても,子供の頃から怪獣やヒーローが大好きだった世代が大人になって,今度は自分たちが怪獣を作るクリエイターになっていくというのは,わが国固有の怪獣文化が確実に継承されている証拠である。今度は我々の子供や孫の世代から,いったいどんなクリエイターが産まれてくるのか考えるだけでわくわくしてくるではないか。まさに怪獣立国ニッポンである。
 それから,俳優の螢雪次朗さんからもいろいろと役柄に対するこだわりについての面白いお話が伺えた。螢雪次朗さんは金子監督の平成ガメラ3部作や今回のレイゴーにも,ともに大迫という役名でご出演されている。この大迫という人物は行く先々で怪獣と出会ってしまうという,生まれ持ったある種の“業”のようなものを背負った人物で非常に魅力的である。それゆえに今回のようにいろいろな作品を股にかけてスピンオフしているところがなお一層のキャラ立ちを作っているように思える。
 同一のキャラクターが異なる作品にまたがって登場するというパターンは,過去にも手塚治虫,松本零士,石ノ森章太郎などがやっていたが,いずれも同じ作者の中でのことである。大迫というキャラが面白いのは,それぞれ異なる作者が大迫のキャラを大切にしながら作品に登場させていることである。この点について螢雪次朗さんは,自分としてはそれぞれの作品で独立したキャラと思って演じていたが,最近では大迫自身が役を一人歩きしていることを嬉しく思っていらっしゃるそうだ。だからなのか,螢雪次朗さんは,他の役にもまして,大迫のキャラをすごく大切に演じて下さっているようにも見える。大迫が今まで登場した作品をたどっていくと,それが即ち螢雪次朗さん自身の評伝のようなものになるのではないか。
 とにかくこんなクリエイターや役者はさがしてもそうそういるものではない。かつて日活ロマンポルノが優れた映画人を育てていったように,怪獣文化もまた,すぐれたクリエイターや役者たちを世に送り出している,ということを感じる1日であった。

【「深海獣レイゴー」レビュー】再掲2本
http://ringer.cocolog-nifty.com/kunst_und_medizin/2008/06/2008_9e74.html
http://ringer.cocolog-nifty.com/kunst_und_medizin/2008/03/post_0386.html


【トークショーに参加された皆さんの公式サイト一覧】

林家しん平監督公式サイト
http://shinpei.net/

螢雪次朗さん公式サイト
http://www.tribeca99.com/artists/hotaru.shtml

雨宮慶太監督公式サイト
http://www.crowdinc.com/

金子修介監督公式サイト
http://www.shusuke-kaneko.com/
金子修介監督公式ブログ
http://blog.livedoor.jp/kaneko_power009/
 

| | Kommentare (1) | TrackBack (0)

26. Juli 08

【トークショーのお知らせ】林家しん平×螢雪次朗×雨宮慶太×金子修介×井上リサ(司会)~池袋・新文芸坐で8月2日(土)

 落語家で,インディーズ特撮怪獣映画の監督としても知られる林家しん平監督の最新怪獣映画 『深海獣レイゴー』の上映に併せて,下記の通り,オールナイトでトークショーを開催いたします。また今回は,林家監督の作品の他に,監督が自身の作品の中でもっとも影響を受けたといわれる 『ゴジラ』(1954年版)と,平成ガメラ3部作の中でも評価の高い金子修介監督の 『ガメラ3 邪神(イリス)覚醒』も併せて上映されます。
 怪獣映画が大好きな方は,皆様ふるってご来場ください!

第2回「深海獣レイゴー祭り」
~大怪獣・オールナイトでぶっ壊せ!~

8月2日(土)22:30スタート
(★トークショーは深夜2時からスタート予定です)

東京・池袋・新文芸坐
http://www.shin-bungeiza.com/
『深海獣レイゴー』公式web
http://www.reigo.jp/

●スケジュール予定
22:30~ 『ゴジラ』(本多猪四郎・円谷英二,1954年)上映・約98分
00:05~ 休憩・約15分
00:20~ 林家しん平監督トーク・約5分   
00:30~ 『深海獣レイゴー』(林家しん平,2008年)上映・81分
01:50~ 休憩・約15分
02:05~ 上映後トークショー・約60分
03:05~ 休憩・約15分
03:20~ 『ガメラ3邪神(イリス)覚醒』(金子修介,1999年)上映・108分
05:10  終了予定

●トークショーゲスト予定
林家しん平監督 (本作品監督)
螢 雪次朗 さん(俳優・大迫登役)
雨宮慶太監督 (映画監督・深海獣レイゴーデザイン)
金子修介監督 (映画監督)
井上リサ~司会 (現代美術作家・医学史・医学概論研究者)

林家しん平監督公式サイト
http://shinpei.net/

螢雪次朗さん公式サイト
http://www.tribeca99.com/artists/hotaru.shtml

雨宮慶太監督公式サイト
http://www.crowdinc.com/

金子修介監督公式サイト
http://www.shusuke-kaneko.com/
金子修介監督公式ブログ
http://blog.livedoor.jp/kaneko_power009/

【『深海獣レイゴー』 レビュー】再掲
 自主制作映画と銘打ちながら,約1億の製作費をかけ,しかも完成までに足かけ4年を要した作品である。一言申し上げると,こんなことをやらかして,まったくバカじゃないかと思うのは私だけではないだろう。しかし,バカにならなければ怪獣映画などは撮れないという今日の映画業界の情況を理解することで,この作品が紆余曲折の末,完成に至り,商業映画として公開へと踏み切った監督以下スタッフの方々にまず敬意を表したい。

 『深海獣レイゴー』の制作の話題がちらほら聞こえてきたのは,今から3年ほど前である。詳しくは以前のエントリー(http://ringer.cocolog-nifty.com/kunst_und_medizin/2008/03/index.html)でも書いたが,ちょうど東映の大ヒット作品『男たちの大和』の公開時期と重なっていたのである。そして,それを意識するかのごとく,この作品のタイトルも当初は『レイゴー対大和』であったと思う。今回完成した作品を改めて見ると,初期の原案どおり,『レイゴーVS大和』の体は成していた。つまり,我々が子供の頃,ゴジラやガメラの映画に強そうな新怪獣が登場するたびに,この“ゴジラVS─”または“ガメラVS─”という未知の対決に胸を躍らせた怪獣映画における期待値は十分に満たしているということである。
 今回,このレイゴーなる大怪獣が戦う相手は旧帝国海軍の最大にして最強の戦艦大和である。林家監督によると,このような奇想天外なプロットが出来上がった経緯は,もともとは自分が好きなゴジラ的世界観とガメラ的世界観のミッシングリンクを仕掛けることから広がっていったらしい。つまり,この2つの世界観に何らかの接点を持たせるとすれば,設定に様々な拘束がかけられるであろう現代や未来を舞台にするよりも,ゴジラ,ガメラがこの世に姿を現す以前の近代を舞台にすることで,その空洞の空間で自由に大怪獣を暴れさせることができるのである。

 ゴジラ,ガメラは文字通りわが国を代表する二大怪獣であり,その人気も二分している。そこで2つの世界観にニアミスが起これば,必然的にゴジラとガメラは戦いざるを得なくなり,そこで展開されるであろう“ゴジラとガメラはどちらが強いのか”といった論争は,例えば「エイリアンVSプレデター」のように大人の思惑もからんだ不毛な結果になることは目に見えているわけである。そこであえてゴジラもガメラもまだ姿を表わさない近代に舞台を設定したのは正解である。しかも,全編を通して,ゴジラ,ガメラはそこにはいないが,いずれ我々の前に現れるであろうことをによわせる演出が随所になされ,この二大怪獣をあえて登場させることなく,ゴジラ的世界観とガメラ的世界観の融合を果たしている。例えば,怪獣が現れる予兆として,最初にその怪獣の餌である別の生物が現れたり,怪獣と思われる未確認生物の目撃が特定の人物に限られたりする。また,土着の住民に警告をされたり,別の場所で被害にあった人物と偶然に接触したりといったシークエンスは,怪獣映画の伝統的な様式美である。この作品でも,レイゴーに自分の艦がやられたとされる敵国の水兵が大和に救助されるという重要なシーンがある。ただ一点だけ残念なのは,この敵国の水兵からは被害にあった自分の艦や僚艦の名前が具体的には出てこないことである。ここでもし敵国の艦の名にアイオワ級戦艦の名でも上がれば,それだけでもレイゴーという未知の大怪獣がいかに強大であるのかを印象づけられたであろう。また同時に,そのレイゴーに対し,航空兵力ではなく艦に搭載された重火器のみで迎え撃つ大和が文字通り史上最強戦艦であることを揺るぎない事実として描けたであろう。

 では,今回登場するレイゴーなる大怪獣は一体いかなるものかといえば,それは監督に言わせると,“ゴジラになる前のゴジラ”である。円谷監督の初代ゴジラの設定を踏襲するとすれば,ゴジラは中生代の生物が放射性物質によって変異をきたして誕生した怪獣であるから,当然ゴジラ以前の何者かがそこに存在していたはずである。実はこの“ゴジラになる前のゴジラ”という着想は,以前にも大森一樹監督の『ゴジラVSキングギドラ』でも出てくるが,ここでは南方に展開していたはずの連合艦隊と,島に生息していたゴジラ以前の巨大な爬虫類が戦うことはなかった。そのかわりにその巨大な爬虫類は米帝の艦砲射撃によってあっけなく倒されるのである。それに比べてもレイゴーは,例え“ゴジラ以前のゴジラ”であるとしてもいささか強暴である。人を好んで喰うあたり,捕食動物として食物連鎖の最頂点に君臨している様子がうかがえる。これに対する大和も,スペック上は世界最強戦艦である。史実ではそのスペックを活かす場がなかったが,そのことがかえって,大和亡き後の今日でも,様々な所謂「架空戦記」といわれるものに幾度となく登場する経緯となっている。
 レイゴーと大和との戦いで面白いのは,大和は史実に沿った姿で忠実に登場することである。したがって巨大怪獣と対する時には当然のことながら94式三連装46サンチ砲をはじめとする重火器で戦う。ゴジラやガメラでは自衛隊のオーバーテクノロジーによる超兵器に見慣れているせいか,これは非常に新鮮であるとともに,大和に搭載された重火器の威力をあらためて感じさせるアイディアだ。
 また,この作品においておそらくは議論の俎上に上がるであろうと思われる“これは「怪獣映画」なのか「戦争映画」なのか”という問題提起であるが,私は個人的にそのどちらにも当てはまらない,まったく新しいジャンルの作品であると位置づけることにする。なぜならばこれは,一見すると怪獣映画や戦争映画に見えそうなのだが,実はその両者に通底している伝統的様式美により「日本」というものの強さと美を再構築することを試みた作品だからである。監督自身はこれをジャパネスク怪獣ロマンと呼ぶ。強いものにも“ものの哀れ”が存在するわが国独自の世界観である。
 昨今,わが国に古くからある怪獣映画にインスパイアされたと思われる外国産の怪獣映画を見る機会が多々あるが,そこに登場するものは,怪獣ではなくただの化け物である。生物的リアリズムを求めすぎるあまり,単なる嫌悪感に満ちた「魂」のない物体がそこに存在するだけだ。翻って,林家監督が作り出した世界観は,怪獣にも「魂」が宿るという世界観である。この主題は,監督がインスパイアされたという金子修介監督の平成ガメラ3部作や,また大森一樹監督の『ゴジラVSキングギドラ』にも一貫して通底している。レイゴーと大和の戦いでも,主砲で一撃を喰らわしたレイゴーに向かってなおも銃座から一斉掃射をする水兵に対し,それを制止した大和の艦長もまた,そんな美意識を持った人物に描かれている。駆逐艦の円陣の中で展開されるこのシーンが非常に凄惨であるだけに,日本海軍の伝統的なシーマンシップがより際立つ。
 ラストは,死闘の末,大和以下連合艦隊が,再び昭和20年4月7日の史実世界へと戻ってい行くという演出が違和感なくなされている。その後大和がどういう運命をたどったかということは,我々日本人なら誰でも知っているだけに,大和という艦が持つもう一つの側面,つまり悲劇性が怒涛の海に展開されていくのである。この部分はそれを感じさせるのに十分なシークエンスなので,賛否両論あると思うが歌舞伎パートの演出は,やや過剰ではないかと思った。(井上リサ)

| | Kommentare (0) | TrackBack (0)