建築

11. Januar 09

【建築】古代ローマ風呂はサイロンの再生船か?(熱海・ホテル大野屋)

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 昨今の原油高,不況が原因で,わが国の観光客も安くて近場の観光地を求めているようで,最近は伊豆界隈が人気である。その中でも何かと熱海が注目されているらしい。温泉地のネームバリューでは箱根と双璧の熱海であるが,70年代の歓楽街のイメージがまだところどころに残っており,箱根よりも大衆的である。
 最近は,その“70年代の歓楽街”のイメージを一掃しようと,古いホテルや旅館を改装したり,新たに建て直したりして,若い女性客や富裕層を取り込むことで,熱海のイメージの刷新と,地域経済の再生を試みていることがうかがえる。
 現在の熱海は,このような状況からか,昭和の歓楽街と,平成のポストモダニズムが混在したような混沌とした街の様相を呈している。私はこのような熱海はどこかダダ的で面白く見ているが,辛口コラムニスト諸氏からはこてんぱんに書かれている。
 例えば文芸評論家の野田宇太郎は,『伊豆の國』という文芸誌に収録された「熱海と文学」というコラムでこんなことを書いている。

「今日の熱海は毒々しい人工美の都会である。」
「大自然の恩恵である筈の温泉さえ、今日では悪どい享楽者のみの占有物化している観がある。」
「心ある人々から熱海がかえって嫌われるのもそのためで、熱海には自然の破壊があっても保護する心がないし、従って文化がない。」
「とくに戦後にひどくなった享楽本意でいたずらに騒々しいこの市街の人工化だけをみていると、こんなところによくも文化人らしい人物が住むものだと思ったりする。」(野田宇太郎「熱海と文学」より)

 このコラムが書かれたのが1958年だから,この頃にすでに“歓楽街”となっていく熱海を予見しているのである。ようするに,野田宇太郎から見て熱海という町は,昭和文学風情から安っぽい歓楽街へとなり下がった代物だということだ。例えば熱海城がそうである。あれは“城”と名がついてはいるが,実は城ではない。厳密に言えば,城の形状をした鉄筋コンクリート近代建築である。もし城と定義するならば,歴史上にそこに城が存在していなくてはならない。この点から考えると,わが国の歴史上,「熱海城」という城があった事実はない。たしかに桃山の上にある伊豆山神社の資料を読むと,いろいろな戦国武将が熱海を訪れている記録は残っている。しかし残念ながら,あの場所に築城したという事実はないのである。
 同じようなもので,熱海には古代ローマ帝国を模した大浴場がある。これは実際に「古代ローマ風呂」として観光名所になっている。劇場版クレヨンしんちゃん『嵐を呼ぶ!栄光のヤキニクロード』という作品にも登場する熱海でもっとも有名な大浴場で,老舗ホテル「大野屋」の中にある。
 ホテルのパンフレットや旅行ガイドを見る限りは,やはりどことなく熱海城と同じ匂いを感じてしまうのだが,実際に温泉入浴してみることで,この空間の面白さがわかるのである。

 「古代ローマ風呂」は,その名の通り,ローマの古代建築様式を模して,浴場は大きなアーチと支柱で構成されている。浴場の中には広大な浴槽が二つあり,一つは大人の膝上ほどの温泉で満たされ,もう一方の浴槽は大人の腰上ほどの温泉で満たされている。また浴槽の中央にはローマ皇帝の彫像があり,その他四隅にも女性像が置かれている。そこで問題なのだが,このローマ皇帝は一体誰なのかということである。わざわざ“古代”ローマ風呂と銘打っているのだから,ローマ帝国が誕生する紀元前27年から東西に分裂して滅亡するまでの395年までの間にローマを統治していた皇帝ということになり,初代皇帝ならオクタヴィアヌス,一番有名な皇帝ならばコンスタンティヌスあたりだろう。(今回は不覚にも,ホテルのチェックアウトの時に,ローマ風呂の皇帝の名前をフロントに聞くのを忘れてきてしまったが)
 この古代ローマ風呂は,実際に入ってみないと分からない不思議な感覚がある。時間によって男女入れ替え制になっている古代ローマ風呂は,当然のことながら男女混浴とは異なり裸体で入浴することができる。浴場全体は温泉の湯けむりで霞んでいるので,入浴中の女性客の身体も湯けむりの中で淡い乳白色の輪郭で認識できるのみである。そしてその女性の身体の質感が,ローマ彫刻や浴場の構造物とと同化して見えてくるから不思議である。しかも観光地の温泉の王道であるオーシャンビューの環境ではなく,窓のない完全に一つの空間に密閉されているのである。この空間がいろいろな空想を生むので何時間入っていてもまったく飽きることがない。
 例えば,巨大な浴槽の縁に同じようなポーズで腰かけて休憩をとっている多数の女性客を見ていると,まるでここはボーグシップ(『スタートレック』)かサイロンの再生船(『バトルスター・ギャラクティカ』)をイメージさせる。もっとも温泉を含めていずれも「休息」や「治癒」を目的とした空間であるから,それなりにイメージの共通点はあるのである。そして自分も裸体でこのような空間に長くいることで,次第にこの空間と同化していくような感覚すらおぼえる。腰上の位置まで満たされた濃度の高い温泉は,さながら太古の海か身体再生用の培養液である。
 このような感覚は実際にここに入ってみないと理解できない身体的感覚である。つまり何が言いたいのかというと,自分が知性で理解していることと,実際に身体で認識する感覚に,これほどまでに隔たりがあるということを最も明快に体験できるのが,「古代ローマ風呂」という空間なのである。
 熱海城と同様の,どことなくキッチュに感じてしまう空間なのだが,「脳」と「身体」の感覚の「差異」を体験するにはこれほど面白い空間はない。いい意味で期待を裏切る空間である。
 

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