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April 2011

23. April 11

【アート/写真】田中茂『避難所になった宮城・女川原発』(「週刊文春」4月14日号巻頭グラビア)

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 厳重な警備がなされている通用門と、緩い勾配の坂道を登っていく大型車両。そこに、警備の人間とは対照的に軽装のいでたちの2人の人物が、日用品を手に持って同じ坂道を登っていくというなんとも不思議な光景。そして、その坂道を登った先の高台には原子力発電所がある。
 この光景をとらえたのは、「週刊文春」4月14日号を巻頭グラビアで飾った1枚のモノクロのドキュメンタリー・フォトである。撮影者は田中茂記者となっている。
 私は田中茂記者の他の作品は見た事はなく、この作品も連作の中の1枚なのかも定かではない。しかし、非常に緊張感あふれる構図の中で、まるで“家路”へ向かって歩いて行く様な2人の人物の後ろ姿が、他の多くの被災地とは隔絶された一瞬の日常的雰囲気を作っている点に強い印象が残る作品である。
 この作品で作られるコントラストはシュルともやや異なる。私がこれまでに感じた似たようなものの記憶を辿れば、それはデイヴィッド・リンチが『ツインピークス』で描いたパッカード木工所周辺の辺境のスモールタウンといったところか。

 撮影の舞台となっているのは、今回の地震と大津波で最も甚大な被害を受けた宮城県の女川町という小さな漁撈集落にある女川原子力発電所である。この震災では、一般家屋はもとより、多くの公共施設、他の発電所、インフラが甚大な被害を受けるなかで、この女川の発電所だけは大きな事故を起こすこともなく無事だった。そのために、震災直後から近隣住民の避難所となっている。「週刊文春」の記事によれば、他の避難所よりも暖かく、しかも津波も来ないから安心だとして、この発電所へと移動してくる被災者もいるとのことである。
 極めて大衆的な心情として、わが国が被爆国であるという事から、原子力技術そのものが、それを口に出す事も憚れるように忌み嫌われてきた経緯がある。そしてその技術を擁するこの空間も、本来は人間を絶対に寄せつけない。にもかかわらず、今家を失った多くの避難民たちがこの修羅の門をくぐり、ここに辿り着いたのである。
 田中記者が写した1枚のドキュメンタリー・フォトは、この状況を目にした時に多くの人々が抱くであろう複雑な心境すら静かに洗い流してしまう様な、小さな漁撈集落の人々の生きる強さを感じさせる作品である。
 “家路”を急ぐ2人の道の先には何があるのか、そういった想像力をかきたてるのだ。

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17. April 11

【舞台】シアター・ブロック公演Vol.31『昔話と狂言 オマージュTOSHIHIRO HAYANO』(2011年3月27日,ザムザ阿佐ヶ谷)

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 シアター・ブロックによる秋田の民話と狂言を題材とした舞台である。言葉はあえて全編ネイティヴな秋田弁により上演された。
 まず上演に先立ち,この舞台の演出家である新城聡から異例の口上があった。要約すると次の通りだ。
「今回の事は我々にとっても大変な事態であるが,この事態がきっかけで,世の中で誰が偽物の人間で,誰が本物の人間かがよくわかったと思う。これでかえってすっきりした。むしろ,この時期だからこそ上演する意味が我々にはある。」
 この“大変な事態”とはもちろん今回,東北,北関東を襲った大地震の事である。それを踏まえたうえで新城聡は,震災の影響で被災地以外の地域でもイベントが相次いで自粛される中で,今回あえて予定通り公演に踏み切ったのは,どんな批判に晒される事も厭わない舞台に立つ人間の覚悟であるとも語った。
 そして,都内も計画停電などで大混乱の中,この舞台に方々から駆け付けた来場者とこの「場」を共有し,連帯できた事を喜んだ。

 私がこの舞台公演について知ったのは昨年の夏ごろ,本公演で板に立つ舞台俳優の岩田真を通してである。ちょうどその頃,知人の劇作家や演劇プロデューサーらも,集落に伝わる説話・伝承から現代の舞台を作るという試みをしていたので,舞台表現,身体表現における「方言」という記号がどのように「場」に作用するのか興味深いところでもあった。
 また,このザムザ阿佐ヶ谷という空間は,まるで東北の古民家から資材を移築して作った様な空間であり,舞台天井を横断する大きな梁や,床,壁の無数の「傷」,「歪み」,「くすみ」は,たしかにこの「家」に誰かが棲んでいた気配すら感じる。舞台と客席がまったく同室の質感で繋がったこの空間は,まさに名も無き東北集落の「家」そのものである。
 一昨年はこの舞台で慶應義塾大学アートセンターが,もともとは標準語で書かれた土方巽の『病める舞姫』を秋田弁で上演をするという試みを行い,今もなお,その土方の気配が残像として残るこの空間で,再び秋田弁による舞台が試みられたわけである。

 上演されたものは,秋田民話の「へっぴりじい」,「にぎりままとじさま」,「なくてななくせ」の3編と,狂言「濯ぎ川」である。どの物語も,人間の業と我欲を面白おかしく語ったものであり,近世から口承により語り継がれてきたものである。
 舞台ではまず演者が中央に登場し,その他黒子となった左右両翼に脇を固める複数の演者たちが,様々な民具を打ち鳴らす音と肉声で物語の効果音を入れる。本舞台の効果音はこれで全てであり,いわゆる電気的に予め合成された音響効果は存在しない。そして全編にわたりネイティヴな秋田弁である。
 一昨年,慶應義塾大学アートセンターにより上演された秋田弁による土方巽の『病める舞姫』では,標準語圏の人間には聞き取りにくい秋田弁の会話の中に,ときおり標準語に翻訳された会話が挿入された。要所要所で掛け合う秋田弁と標準語がまるで即興ジャズのセッション,あるいは,言葉同士の格闘の様で,それはそれなりに面白かった。(『病める舞姫』についての批評はこちら→ http://ringer.cocolog-nifty.com/kunst_und_medizin/2010/03/post-b4d4.html http://ringer.cocolog-nifty.com/kunst_und_medizin/2010/03/post-b4d4.html

 翻って今回の舞台ではそれが一切ない。ふだん標準語圏で暮らす我々は,聞き馴染みのない秋田弁と対峙することとなる。まず,会話の内容が聞き取れるのがおおよそ60%。あとは演者の表情,身体表現により,理解できなかった秋田弁の断片を補完する。「言葉」とは意味が正確に伝わってこそ,記号の役割を果たすが,この空間ではそれは困難である。だがその事,つまり,単純明快に記号化できない「言葉」の存在があるからこそ,演者から発せられる肉声が,強い身体感覚を得てこちらに伝わってくるのである。

 実は,中央線アンダーグラウンド文化を築いてきた阿佐ヶ谷,高円寺という土地は,東北と非常にゆかりが深い。60年代,70年代にアングラが栄えたこの地に地方から集まってきた者たち,例えば土方もそうだが,寺山修司や北方舞踏派の面々,伝説の音楽喫茶『ムービン』に集った無名のフォークゲリラたち,彼らのルーツを辿っていくと東北と繋がる。東北の人間は朴訥で辛抱強いと言われるが,実はそんな単純な事ではなく,外界と一切閉ざされた冬の長い豪雪の中で,酒と肉体と唄で濃密な人間関係が熟成され,その結果,土俗的身体を獲得してきたのである。
 秋田弁の舞台に立つ演者たちは,地下足袋で板の間の舞台を踏み鳴らし,その重心は地面に限りなく近い。これはまさに「田植えの舞い」であり,舞台上で展開される幾重もの物語は,東北の名も無き集落の日常なのである。
 冒頭でこの舞台の演出家である新城聡が言った,「この時期だからこそ上演する意味が我々にはある。」という言葉は,震災と大津波で喪失した東北の集落の記憶と民俗を,その「言葉」と「身体」でふたたび集落再建していく行為と繋がる舞台であった。

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