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13. November 10

【映画】 岩名雅記監督『夏の家族』(2010・UPLINK X)

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 フランスを拠点に身体表現活動を続ける舞踏家・岩名雅記の第2回監督作品。作品の随所に男女の性器が明瞭に映されたハードコアな性交シーンがあるため、日本ではR18指定作品として上映された。

 監督の岩名雅記は1945年東京生まれ。暗黒舞踏集団『大駱駝艦』や北方舞踏派、土方巽らの日本の舞踏黎明期を同時代として生きてきた舞踏家である。他のジャンルとのコラボレーションも多く試みており、筆者とは、画家・梅崎幸吉が主宰していた銀座7丁目のギャラリー・ケルビームで即興演奏の舞台に立っていたチェリストの入間川正美を通じて接点がある。
 また岩名は、TVの声優としての顔もあり、その多くは『イナズマン』、『キカイダー01』、『正義のシンボル コンドールマン』、『秘密戦隊ゴレンジャー』などの特撮番組で悪の組織の首領役をやっていたという特異な一面も持つ監督だ。

 本作『夏の家族』は、ノルマンディの辺境の村に暮らす62歳の舞踏家カミムラと、2人の女性(47歳の妻のアキコ、35歳の愛人のユズコ)をめぐる物語が、ノルマンディの淡い光の中で寓話的に描かれている。物語の中には8歳の娘マユも登場するが、その姿は最後まで現さない。手、足、後ろ姿、そして声のみが断片的に描かれ、その身体性は全編を通じてのマユ視点のカメラワークで表される。冒頭の手振れがするたどたどしい歩み、階段を一段ずつ用心深く昇る様は、口はませているが足元が覚束ない少女である事がわかる。
 ここで描かれる日常とは、ノルマンディにアトリエを構える舞踏家カミムラを中心に行きかう人々の、一見するとありふれた情況ではあるが、それは閉鎖されたスモールタウン(村落共同体)の中で起こる「狂気」と常に隣接している。そして鮮やかな色彩をも感じさせるノモクロームの初夏の風景の中に投げ出されるのは、枯れ枝のように渇ききって軋む男女の身体である。
 その身体は、禁欲的なまでの機能美のみを残し削ぎ落とされた、大地への生贄の様だ。それらは渇きを癒すように交わり、僅かに残された互いの粘液によって一瞬の潤いを得る。自分のあるがままの「性」をさらけ出すことの出来るカミムラと35歳の愛人のユズコ、そして、自らの衰えた身体と、その不自由な身体に抑圧された「性」の前で苦しむ47歳の妻のアキコとのコントラストがあまりにも残酷である。
 この2人の女性の間にある静かな闘争は、不倫などという俗世間の道徳に括られるものではなく、女が女であるために向き合わなければならない根本的な問題の中で展開されるのである。
 カミムラの書斎でカミムラが撮影したユズコの性器のクローズアップ写真を偶然見つけ、動揺するのではなく、自身の身体に静かに沸き起こる性欲に困惑する妻アキコの姿は、更年期を迎えた既婚女性の、けして人には知られたくない一面を覗き見した様な感覚に陥る。

 冒頭で述べたとおり、『夏の家族』は日本ではR18指定である。性器をクローズアップで映されたハードコアな性交シーンは、ややもすれば巷に溢れるポルノグラフィよりも明瞭かもしれない。血管が浮き出た男性器と、それを受け入れる幾重にも複雑な襞を形成している女性器は、男性の指や舌や性具によって様々な形状に変容し、まるで一つの自立した人格を持つ新たな器官にさえ見えてくる。その弾力を持った生き物の様な襞は、性具として加工された西洋ナスや生牡蠣まで呑み込んでしまう。そしてその襞の奥から溢れる粘液で、枯れ枝の様に朽ちていた男性器も潤うのである。このシーンは大島渚監督の『愛のコリーダ』(1976)へのオマージュも感じさせる。
 しかしモノクロームの長回しで記録されるこれらの男女の性器は卑猥に映るものではなく、例えば、枯れ葉の透けた葉脈、植物の種子、鳥の羽根、鏡に付着した水滴、壁のシミやひび割れと同じく、風景の中で同化された静物画として存在するのである。それはカラヴァッジョの静物画に描かれた、やがて朽ちる前の潤いを貯めた果実そのものである。
 カミムラは、その果実をいつまでも愛でながら、身の上話のように唐突に東京五輪の話をするのだが、カミムラのこんな台詞。
「東京五輪のあと、円谷が命を絶った時に、潮を引くように日本人の中にあった精神の佇まいも消えてしまったように思う。」──から、かつての復興の象徴であった東京五輪に映し出された様々な近代的身体──ある意味カミムラの、あるいは監督である岩名自身の身体、すなわち僅かな代謝活動により生き存え、やがては土に還る土俗の身体とは対極を成しているものが、戦後の繁栄の残像とともに人々の忘却の中へと消えていくような侘しさが感じられる。60余年、風雪に耐えてきたカミムラの身体とも象徴的に重なるシーンでもある。

 カミムラがノルマンディーのスモールタウンで愛人を抱きながらも、この寓話的世界に唐突に割って入る東京の風景は、妻アキコの情念で満たされた郷土の呪縛そのものである。造形的には禁欲的な身体をこしらえ、それと相反するように野性のままに生きてきたカミムラは、その罰を受けるべく、村の小さな沼に身を投じる。それは見る者によってはいろいろな姿に見えるだろう。例えばイタリア・ルネサンスの磔刑図、ミレーの描いた瀕死のオフィーリア、または高山地帯に住む少数民族の鳥葬である。高所から急降下する鳥に身体をえぐられるカミムラは、無抵抗に身体を投げ出したまま朽ちた屍となっていく。
 この時初めて娘のマユが姿を現すが、それは少女ではなく、朽ちた枝で作られた醜い異形であった。この異形がみつめていたのは、2人の女、ユズコとアキコが一つ屋根の下に暮らす歪な家の中で繰り返される枯渇した日常である。その「渇き」は、男女の身体のみならず、8歳の少女すら奪っていったとも解釈がとれる猟奇的な結末であった。

■『夏の家族』公式Web http://natsunokazoku.main.jp

■岩名雅記監督来日予定
舞踏とワークショップ
2011年1月17日(月)~21日(金) 16:00~21:00
1日2500円(5日通し10000円)
舞踏公演
2011年1月22日(土)18:30会場 19:00開演
23日(日)14:30会場 15:00開演
2500円
会場
キッド・アイラック・アート・ホール
http://www.kidailack.co.jp/

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