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17. Juni 10

【アート】惑星探査衛星「はやぶさ」のラストショット~地球か、何もかも、皆懐かしい……

Hayabusa
JAXAが公開した「はやぶさ」最期の写真

 この写真は、先日宇宙での7年間の観測を終え、地球に帰還した惑星探査衛星「はやぶさ」が大気圏に突入して燃え尽きる前に撮影した最後の一枚である。ここに映っているのはまぎれもなく故郷・地球である。
 さて、この1枚の写真をどう評価するかで「はやぶさ」という観測衛星に対する見方がかなり異なってくる。この写真を単に記録写真、報道写真としてとらえた場合、「はやぶさ」は人間の手によって製作された観測装置にしかすぎない。いわば、レーダー装置や防犯カメラの様なものだ。特段にそれ以上のものでもなければそれ以下のものでもない。
 しかし、この1枚の写真に記録写真を超越した想念を感じ、これを「作品」と認識した瞬間に、「はやぶさ」という存在がまったく異なった姿で我々の前に立ち上がって来るのである。この写真は地球の管制室で待機するスタッフが打ち込んだコマンドを「はやぶさ」が実行して撮影したものではある。これを「作品」と呼ぶならば、その所在はコマンドを打ち込んだ人間のもとにある。つまり、宇宙をまたにかけた壮大なアースワークス、またはメディア・アートであるといえるのである。バックミンスター・フラー、ハンス・ハーケ、クリスト等が果たせなかったアートだ。だが、多くの人々がこの写真を見て胸を振るわせたのは、それが壮大なアートであるからではなく、それが、ただ「はやぶさ」自身による作品に見えたからなのである。
 では、「はやぶさ」自身による作品とは一体何を意味するのかと言えば、それは、あたかも「はやぶさ」が人間から独立した意思と感情を持ち、それを1枚の写真に焼きつけたのではないか、と想像する事である。多くの人々が、大気圏に突入して燃え尽きていく「はやぶさ」に儚さ、愛おしさを感じて涙を流したのは、この感情から去来するものだ。

 「はやぶさ」帰還の前々日、NHKの『クローズアップ現代』で放送された「はやぶさ」の特集では、ある子供からの手紙が紹介された。そこには、「はやぶさ君が燃え尽きてしまうのが、かわいそうです」と書かれていた。これは、幼児が発達過程において様々なモノに感情移入してしまう事の一例として認識できる。そして成長過程において、生命を持った「生き物」と、そうでないモノとの区別がついてくるのである。しかし我々日本人は、しばしば生命を持たないモノに対しても感情移入する事がある。それは、古くは八百万神(やおよろずのかみ)信仰に始まり、それがモダニズムで分断される事なく民俗的、習俗的気配を保ちながら、近代以降の様々な物語、即ちわが国が世界に誇る数多の物語、SF、漫画、特撮怪獣文化に継承されることにより、我々は今でもこの幼児期の豊かな記憶を失わずにいられるのである。
 「はやぶさ」が大気圏に突入していく姿に『鉄腕アトム』や『火の鳥』の姿を見た者もいれば、「はやぶさ」が最後に撮った地球の写真に、『宇宙戦艦ヤマト』のラストで沖田艦長がヤマト艦内の窓越しに見た地球を思い起こした者もきっといるだろう。だからこそ、このような感情が相まって多くの人が涙するのである。

 このような、モノに「魂」や「生命」が宿るという概念は、欧州人にはなかなか理解できないと言われてきた。しかし私は今回の事を機に、必ずしもそうではない、と認識を新たにした。「はやぶさ」の地球帰還は世界中の人々から注目されたわけで、私の友人の欧州人達も例外ではない。彼らは日本の科学技術の高さを評価し、それに携わった研究者にも労いの言葉を惜しまなかった。そして、「はやぶさ」が最期の瞬間に送ってきた地球の写真に、何かとてつもない霊的なものを感じたという。それは、彼らの言うところの、いつも自分の傍らにいる「神」ではなく、人智をはるかに超えた何らかのもの、という意味でである。
 若干ノイズが入り、けしてクリアな映像ではない地球の写真は、一瞬の記憶の中に時間と空間を焼き付ける写真という表現媒体にもっとも相応しいものであり、わずかに補足された地球の姿そのものに、最期の時を迎える間際の「はやぶさ」の身体性が表出されているのである。そして、画面の中で欠けて映らなかった余白の部分に、我々は様々なものを想像し得るのである。
 このような感覚を共有できる欧州人には、ある共通点がある。それは、自国の文化、歴史を長い記憶の中で断絶せずに認識している者たちである。例えば英国やドイツは、かつては近代産業、工業を長きにわたり牽引してきたという歴史的経緯がある。その記憶の多くは戦争とモダニズムによって、まるで神経ブロックのように意識的に分断されてしまっているが、中にはそうではない者たちもいる。
 象徴的だったのは、先の英国総選挙で台頭した若い2人のリーダーである。保守党のキャメロン首相は、選挙演説の第一声の空間として廃墟となった発電所を選び、首相就任直後の全英視察では、かつて産業革命で栄えた街を積極的に回った。これは人々の記憶から歴史的に分断された伝統文化の断片を再構築していく行為に他ならない。また、Lib Dems(英国自民党)のクレッグ副首相は、就任挨拶の席で、「地域の伝統、コミュニティ、家族を大切にするように」と英国民に語りかけた。これもキャメロン首相同様、身体的に記憶されているであろう村落共同体の歴史、文化を紡ぎ、モダニズムを超えていく行為なのである。そしてそれには歴史、文化と身体的に関わる必要があり、例え目の前のツールがアナログの工具からi-Padに変わったとしても、それは同様に拡張された身体となり得るのである。これを意識できる人間は、愛着のある伝統工具と同様に、夜空の探査衛星にも万感の思いを馳せる事ができるのだ。

 今回、「はやぶさ」地球帰還の瞬間を現地で実際に見守ってくれたのは、落下地点付近の高速道路沿いに集まった多くのオーストラリア市民達である。CNNの現場特派員のインタビューに答えた彼らは「一生で一度のチャンス」、「はやぶさが着陸するのをこの目に焼き付ける」と興奮気味だったが、最後は歓声とともに祈りを捧げながら「はやぶさ」の帰還を見守った。そして、「はやぶさ」から放たれたサンプル採集用カプセルは、あたかもそれが「はやぶさ」の「魂」であるかのように、アボリジニの聖地へと消えていったのが、何とも象徴的であったのである。

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