« 【アート】デジタル・カリカチュアの時代 | Start | 【アート】格闘写真家・齋藤陽道の空間と身体 »

29. April 10

【映画】パク・シンホ(朴信浩)監督『かん天な人』、『てんせいな人』~韓流アンダーグラウンドのハードエッジ(2010年4月26日、渋谷UPLINK)

Photo

 今からちょうど10年ほど前、イメージフォーラムでキム・ジウンという韓国人監督による問題作『Bad Movie』が試写で上映された。スラムにたむろする不良たちがおやじ狩りや障害者狩りをして盛り上がる、というとてつもない内容である。しかもどこまでがフィクションなのか、そしてどこからがドキュメンタリーなのか分からないようなメタ構造となっており、映画撮影中に警察に捕まったり行方不明になるスタッフも続出という触れ込みの作品であった。これを契機に、アジアに新しいアンダーグラウンド・シーンが起こるのではと少々期待はしたのだが、その後に押し寄せた、かつての大映映画の焼き直しの様なメロドラマに席巻されて、韓流地下映画はすっかり影も形も無くなってしまったのだ。
 あれから実に10余年。こんな前衛的な監督が、日本という地の地下に潜伏していたとは、世の中まだまだ知らない事ばかりだ。このような作品と出会うたびに、人生とはまさに楽しむべきものだとつくづく思うのである。

 今回、話題になりながらもなかなか上映の機会がなかった『かん天な人』、『てんせいな人』(ACT FACTORY TOPIX)を手掛けたパク・シンホ監督は、いわゆる在日である。この二つの作品も、韓国、北朝鮮、日本というそれぞれの立場で揺れ動いていた頃のパク監督の心象風景と寓話からなる実験的作品だ。そしていずれも、在日の帰化問題や外国人参政権、それから韓国民潭と朝鮮総聯の長きにわたる抗争といったタブーを掘り下げている。それでいながらイデオロギー的ではない。
 パク監督自らが、「これは政治映画ではなくエンターテインメント映画。製作費がもっとあれば『レッドクリフ』みたいな殺陣もやりたかった」と言うように、政治的なものをモティーフにしながらも、それをはるかに超えたところで「作品」として成立しているのである。見ようによっては非常に前衛的な実験映画にも見えるし、あるいはブレヒトの様な不条理劇にも見えてくる。
 パク監督の作品の中にこのようなものを感じるのは、パク監督自身が、南北問題、あるいは日韓問題で起こる様々な感情を、長い年月をかけてすでにアウフヘーベンしているからに他ならない。反対に言えば、ここを超えなければアートの領域には一向に達しない事を監督自身がよく認識している。もともとは舞台が活動の中心であったパク監督は、脚本だけでも3年間煮詰めたそうである。その煮詰まったテクストは禁欲的な装置を背景にして、肉体言語として映像に現れるのである。

 『かん天な人』は、元在日で、北朝鮮による日本人拉致被害者救出運動を行っている国会議員・荒木勝竜と、彼を政治家として敬愛する藤原武雄という日本人青年の物語。冒頭で藤原が、演説中の荒木を暗殺しに来た朝鮮聯盟(明らかに朝鮮総聯をモデルにしている)の工作員の凶弾に倒れるところから物語は始まる。表題にもなっている「かん天」とは、神からのミッションを受けて地上に降りた天使の事。藤原は、ボーダー・ホスピタルという、いわば関所のような空間で、そこの番人から、このまま死を受け入れるか、「かん天」となって、自分が下界で果たせなかった事に再チャレンジするかを尋ねられる。
 このボーダー・ホスピタルという空間設定がなかなか面白い。まだ完全な死者とは言えない藤原が置かれたアンバランスな立場が、パク監督自身の心象風景や半生と繋がるのである。しかしそれは、しばしばありがちなネガティヴで憎悪に満ちた感情が充満した空間ではなく、ありのままの情況を細密に描いた素描のようなものだ。少し目の粗いキャンソン紙に木炭で描かれた様なモノクロームの空間は、それを見る我々の中にも蓄積された偏見やフィクションと、強いコントラストを持って超然と対峙しているのである。つまりこの空間は、藤原にとってもパク監督にとっても、そして我々にとっても、アウフヘーベンという行為を突きつけられた厳しい空間なのだ。例えばブレヒトは、肉体言語の集積と解体でそれをやり、ドーフマンは1本の「線」にそれを託したわけである。
 このような舞台空間で藤原はボーダー・ホスピタルの番人と、「答え」のけして出ない問答を繰り返すのである。そして藤原に与えられたミッションは、「かん天」となって、しがない会社員・平一造の身体を借り、自殺志願者を救う事なのだ。そして全てのミッションが完了したら、荒木勝竜との再会が果たせるというものである。
 藤原がミッションで出会う自殺志願者の事情は様々。中野区在住のパク監督が、自らのホームグラウンドである中野の路地裏や雑踏で繰り広げる人間ドラマは、普段我々が気にも留める事もないような無名の人々の断片にすぎない。彼らの事はしばしば「一般市民」、または「一般人」という曖昧な枠組みで括られるが、ひとたび彼らの視点に立ってものを考えた場合、皆それぞれに、当事者にとっては“一般的”とは言えない事情を抱えている。
 これは、例えば臨床医の立場から見たら全く同様の症例が手元にあるとして、だがしかし、それが個別の当事者にとってはそれぞれ異なったものに見える、という情況と同様である。この視点のずれ、差異が、舞台出身のパク監督の人間観察に表れているように考えさせられた。
 不条理な情況が反復するこのような空間で厳しいミッションをこなす藤原は、果たして荒木勝竜との再会を果たせるのかはここではあえて触れない。そのプロセスまでの出来事をも含めて藤原武雄という一人の男の人生について見て欲しい作品である。

 『かん天な人』と同時上映された『てんせいな人』は、『かん天な人』から何十年も時が経過している世界で描かれるドラマである。ここでもあの藤原が、ボーダー・ホスピタルで不条理な審判にかけられる。今度は女性の番人と、長い机を隔てて問答が繰り返される。その長い机の上には2つの領域を仕切る様に布がかけられており、これは、ドーフマンの戯曲『THE OTHER SIDE/線のむこう側』で演出家・ソン・ジンチェクが作った舞台空間をも彷彿とさせるインスタレーションである。この映画のもっとも象徴的なシーンであり、実は『てんせいな人』の中には様々なボーダーラインがメタ構造で仕掛けられている。
 時代背景は近未来、しかし現代とさほど変わらない空間で、フィクションと実録が交差しているのである。ここで番人の許しを得て人間界に再び戻った藤原は、姿を変えて人間界に身を置くこととなる。この時代は一見すると南北問題や日韓問題はすでに過去のものとなり、非常に牧歌的な空気が漂っているかに見えたが、「外国人参政権」というまさに今日の我々にとっての実録的コンテクストが大きな「楔」を打ち込んでいるのである。
 「外国人参政権」に反対、賛成、双方の論客を集めての討論会のシーンでは、アンカーマンとして桜井と名乗る市民運動家の男が登場する。この桜井という男を演じているのは、実は桜井誠という実在の市民運動家自身なのである。そして、映画の中に登場する「在日特権を許さない市民の会」(在特会)という市民団体も、実在の市民団体であり、現在も「外国人参政権」反対の立場で市民デモや街頭演説の活動を続けている。ここで我々が見せられている映像は、フィクションとしてスクリーンに映し出される「在特会」の幟や桜井誠なのだが、一方で、You Tubeや、ニコニコ動画、あるいは海外ニュース映像などで実録として流される「在特会」の幟や桜井誠の姿も、デジタル映像の記憶の中ではフラット化される。つまり、映像そのものがボーダーを超えてしまっているという現象が起こるのである。
 このパク監督の、実にインタラクティヴな映像の仕掛けは、かつて、「ドキュメンタリー」という言語自体に疑いを持っていた佐藤真が、『阿賀の記憶』や『阿賀に生きる』で試みた、「ドキュメンタリー」の言語そのものを解体していく行為に通じるものがある。佐藤真は、『阿賀の記憶』の中で、かつて第二水俣病が発生して取り残された辺境の集落の人々の生活を記録しながら、最後は森の中に設置したスクリーンにその映像を投射し、それも含めて『阿賀の記憶』という映像作品に収めたのである。パク監督の『かん天な人』が肉体言語によりボーダーを超える試みならば、『てんせいな人』は、映像言語によってボーダーを超えていく試みではなかったのかと思える、前衛的にして興味深い作品であった。

■ACT FACTORY TOPIX『かん天な人』、『てんせいな人』公式ブログ
http://kantennahito.blog.shinobi.jp/

----------------------------------------
【お知らせ】
twitterをはじめました。こちらでは政治家、経済専門家、医師、ジャーナリストらの皆さんと、わが国の外交、防衛、政治・経済、医療行政について討論をしています。

http://twitter.com/JPN_LISA
----------------------------------------    

|

« 【アート】デジタル・カリカチュアの時代 | Start | 【アート】格闘写真家・齋藤陽道の空間と身体 »

映画・ドキュメンタリー」カテゴリの記事

Kommentare

先日はありがとうございました。TOPIX&在特会米田です。脚本の私以上に作品を深く分析したコメントに脱帽です。
これからも精進してまいりますので、よろしくお願いします。

Kommentiert von: 米田隆司 | 12. Mai 10 um 10:55 Uhr

米田隆司 様
朴監督の作品は非常に興味深く拝見しました。
このようなインディーズ・レーベルの作品は,映画批評をやっている私でも,なかなか情報が入ってこないので,まだまだ見逃している作品も多々あります。
貴重な作品を拝見できて良かったです。

朴監督からは,芝居と映像の世界がどのように繋がるのか,というお話もいただきました。
双方の作品ともドキュメンタリーという記号そのものを疑う実験的な試みだと思いました。
これからも作品を楽しみにしています。

Kommentiert von: 井上リサ | 12. Mai 10 um 13:28 Uhr

Kommentar schreiben



(Wird nicht angezeigt.)




TrackBack

TrackBack-Adresse für diesen Eintrag:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/204825/48215313

Folgende Weblogs beziehen sich auf 【映画】パク・シンホ(朴信浩)監督『かん天な人』、『てんせいな人』~韓流アンダーグラウンドのハードエッジ(2010年4月26日、渋谷UPLINK):

« 【アート】デジタル・カリカチュアの時代 | Start | 【アート】格闘写真家・齋藤陽道の空間と身体 »