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27. März 10

【格闘技】 格闘家国会議員によるプロレス・ティー・パーティー(3・21 両国国技館)

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 先日、アメリカ連邦議会で医療保険改革法案が可決された。強制加入が前提のこの法案は国論を二分するものであり、下院上程後の直近の世論調査でも、法案に賛成=45%、反対=48%であるとCNNの中で紹介された。
 多くの米国民が反対の声を上げているのにはそれなりに理由がある。まず米国憲法に沿って考えてみた場合、合衆国政府が権限を大きく拡大して州の自治に対し介入してくる可能性があり、これが州法に違反するという考え方がある。これはわが国でも論争になっている「子供手当法案」や「外国人参政権法案」でも言えることだが、地方自治はどこまで国に対してインデペンデンスな立場が守られるか、という問題の提起である。
 実際に、オバマ大統領が法案可決後に署名した後に、全米14州が「医療保険改革法案は憲法違反」として訴えを起こしたのである。
 またこの法案をめぐっては、そもそもアメリカという国の建国の精神そのもの、すなわち、「自由」とは何かという根本的なものを問うきっかけにもなっている。確かに、わが国の「国民皆保険制度」に比べると、これまでのアメリカの医療制度はすべての国民を十分にフォローするものではなかった。しかし、それがアメリカであると言えばそのとおりなのである。自主独立、自立自助の国、アメリカ。皆はそれが分かってアメリカに暮らしているはずだ。だから共和党支持者を中心とした保守層は、国が国民の福祉に大きく介入してくるであろうこの法案に対して、まるで社会主義的だとして生理的な嫌悪感を抱いている。
 かつてアメリカ大手の協同組合であったバークレー生協が潰れるぐらいだから、アメリカ人には社会主義、共産主義を連想させるようなものは、未だに受け付けないのである。
 そしてこの法案とともに全米で草の根的に立ち上がったのが、いわゆるティー・パーティーと言われる保守市民運動である。最初は共和党のコアな支持層だけであったティー・パーティーが、今や無党派や中道左派にまで広がり、その模様はCNNよりも早く、在米の共和党員の友人達からのメールや動画で私のもとへ届けられる。まるでスタジアムのボールパークにでも来たような楽しい雰囲気で多くの市民が集まり街宣やデモを行っている。

 ティー・パーティーの発祥とは、少し古い話になるが、1773年にイギリスが制定した茶税に関する法律に反対したボストン市民が行った一連の抗議行動から名づけられた市民運動である。それが現在では草の根保守の市民運動に対し、このように呼ばれるようになった。パーティーとはある共通する属性の集まりのことで、もちろん政党の事もパーティーと呼ばれる。
 そして興味深い事に、わが国でもこのティー・パーティーとも言うべきムーブメントが徐々に広がりつつある。発端はアメリカと同様で、政権交代によって社会主義、あるいは社民主義的なリベラル政権が誕生した事に異を唱える潜在的な保守市民による様々な市民運動がそれである。
 最近、その中でもこれぞティー・パーティーと言えるような集まりがいくつかあった。その中でも特に盛り上がったのは格闘家国会議員らによるプロレス・ティー・パーティーである。これは馳浩衆議院議員と、神取忍参議院議員とともに、『3・21 全日本プロレス両国国技館大会』を升席で観戦した後、鍋を囲んで政治談議、プロレス談議を楽しむというものである。
 当日このティー・パーティーに集まったのは全国公募から抽選で選ばれた約50名。年齢は様々だが熱狂的プロレス・ファンばかり。好きなプロレス団体の地方巡業を見て回っている人もいれば、選手と自分の人生を重ね合わせてしまっている人もいる。そんな人たちが、政治とプロレスについて熱く語り合って緩やかな連帯を深めたのがこの日のティー・パーティーである。
 ここに集った人たちは、プロレス好きというただ一点の属性で結ばれた人たちである。それ以外の日常の様々な経歴、肩書、地位などは関係ない。言うならばここはハーバーマス的なパブのような市民空間であり、誰か特定の著名人によって権威付けられたものではない。これがこれまでの日本になかった文化なので面白いのである。
 実はこのプロレス・ティー・パーティーを企画したのは自民党なのだが、蓋を開けてみれば参加者の中には自民党党員など1人もおらず、その代わりに全国から熱狂的プロレスファンがつめかけた、という図式だ。この点も全米発の反オバマのティー・パーティーと実によく似ていて興味深い。

 日本のこれまでの「公共圏」は、言ってみれば「赤ちょうちん」文化だ。つまりは、議員バッジや社章を着けたまま暖簾をくぐる文化である。この「赤ちょうちん」的公共圏では、年収の差、経歴、学歴、年齢、職業などの実社会におけるヒエラルキーがそのままスライドされる。たとえ無礼講と言われても、上司や先輩や総理大臣を批判する事はなかなかできない。
 しかし、パブの文化は異なる。個人の経歴、肩書よりも、どんな会話を交わすかに価値がある。誰が発言したのかという権威主義ではなく、その発言内容のクオリティそのものが問われる。この情況はネット・メディアとも親和性がある。なぜならこの空間ではインテリゲンチャのブランド化がまったく通用しない。このような空間において潜在的な保守市民が行動しだしたという事の方が、後々歴史を振り返った時、“政権交代”よりもはるかに歴史的な出来事であったかが分かるであろう。

 政治とプロレス。このいかにも唐突と思われるような組み合わせであるが、この両者の在り方を突き詰めて考えれば、結局は「言葉」と「身体」の関係性に行きつくのである。すなわち、政治もプロレスも、「言葉」を身体化していく行為だからだ。政治は政策をリアリズムによって遂行なされるべきものであり、その時に政治家は自身の「言葉」と「行動」を以って国民に伝えなければならない事がある。「言葉」だけで政策を語っても、国民に投げかけられた「言葉」は単なる選挙のための「記号」として空虚に空中を徘徊するだけなのだ。
 この言説をめぐってTwitter上で面白いやりとりがあった。今の政治は「言葉」を全然「身体化」できていない、というものである。ではそんな政治を担う、“「言葉」を身体化できない政治家”とはどういうものなのかというと、自分で汗をかかない。人の痛みを受け止めない。相手の立場も受け止めることができないから信頼関係も築けない、というような政治家の事であるという。
 これは全てプロレスにも当てはまる事なのである。プロレスには昨今の総合格闘技とはまた異なった美学が存在する。それは単にパワーゲームだけで勝敗が華麗に決まるものではない。リングから聞こえてくる双方の選手の肉や骨のぶつかり合う音や、積年の因縁、恨み、辛みその他の情念が、対戦相手に向かって叩きつけられる世界なのである。相手が技を繰り出したら、逃げずにそれを受けなければならない。自分が不利だからと言って党首討論から逃げて回っているような人間はこのリングに上がる資格はないのである。
 そしてそれを見る我々も、真剣に戦う者たちの痛みを感じ、偽善者の振る舞いも衆人のもとに晒されるのである。この「場」と「空間」の共有こそ、まさに今の政治にも求められているリアリズムなのであろう。国家の骨格作りはまず体育にありとした三島由紀夫もまた、今の日本の情況をもし見たら、同じ事を思ったにちがいない。

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