« 【メディア】 メディア・パトロール・ジャパン、遂に始動 | Start | 【書評】 上田篤著 『都市と日本人―「カミサマ」を旅する―』(岩波新書) »

28. Februar 10

【バンクーバー五輪】 世界女王対決・浅田真央VS安藤美姫、超絶技巧的空間と身体

 バンクーバー五輪、注目の女子フィギュアは、2人の世界女王、浅田真央と安藤美姫の頂上決戦の場となった。同じ名古屋出身のこの2人の世界女王たちは、名実ともに世界最高峰である全日本女子フィギュアにおいて、ジュニア時代からの宿命のライバルである。今回2人の女王がショートプログラムで見せた作品は、いずれも「死」が大きなテーマとなったもので、このような重いテーマを作品として完成させることができるのは、高い技術に裏打ちされた表現力があるものだけである。
 フィギュア・スケートというものを「競技」と銘打って五輪種目に加えている以上、我々が求めるのは歓楽街の大衆芸能ではない。持てる肉体の極限を尽くした超絶技巧的な身体性のせめぎ合いで表現される芸術である。男子ではその空間でプルシェンコと高橋大輔が戦い、女子では浅田真央と安藤美姫が持てるポテンシャルの全てをかけて戦った。彼らこそ一流のアスリートであり、真のチャンピオンである。
 それでは、浅田の作品「仮面舞踏会」と安藤の作品「レクイエム」が、技術はもとより、いかに芸術的であったのかを振り返る。

安藤美姫「レクイエム」
 まずこの作品の中には、安藤と個人的に近い存在の様々な人々の思いが込められている。その一人が亡くなった安藤の身内であり、それから、安藤の事を敬愛していた重病の少年である。フリースケーティングで演じたクレオパトラと比べても非常に抑制的な表現は、いつもの情念的な安藤美姫に比べると、やや物足りなく思えるかもしれない。しかし、密度や質量がフルオーバーの演技よりも、指先の扱いまでもが丁寧な今回の作品を見て、スケーターとしてまた一段上のレベルに上がったという印象である。つまり、目まぐるしい動きで全てがフェイクに見えてしまうものよりも、動きに余韻、余白を残すことで、安藤がこの作品のために構築してきた物語が収まる余地があるというわけだ。
 安藤がこの作品を完成させるにあたって、彼女に非常に影響を与えたという人物の存在がある。それが、安藤の事を敬愛してやまなかった病気の少年である。この少年は先天的な多臓器不全で、渡米して移植手術をしたのにも関わらず、安藤の晴れ舞台を見る事もなくこの世を去ってしまったのである。そして生前は安藤と交流を持っていた。
 一見するとスポーツ選手や芸能人にありがちな美談である。そして大抵の凡庸なスポーツ選手や芸能人ならば、ただの美談としてここで終わるのである。しかしそれを美談とせず、自分の作品にまで昇華させることができるのが、安藤美姫のような一流のアスリートなのである。
 安藤と交流を持っていたこの少年は、胃腸、肝臓がほとんど機能しない難病である。それゆえに自分の口から物を食べる事が一切禁じられている。そこで少年は、自分の家族や見舞に来た友人たちに、自分の好きな物を代わりに食べてもらうという行為で、自分の身体の辛さを表現していたように思う。そして安藤が練習のため遠方へ発つ日に少年は、安藤にあるプレゼントを渡したのだ。
 安藤がタクシーの中でそれを開けると少年が安藤のために作ったというおにぎりが1個入っていた。安藤はそれを無言で食べる。この死に際における「食」という行為が、安藤美姫という人物が先天的に持っている「闇」における麗しさ、耽美的なるものを感じさせるのである。余命少ない体力の衰弱した少年が必死に作ったおにぎりは、単なる美談という領域を超え、それは臨死の身体表現として浮かび上がってくる。本来ならば少年自らが食したであろう、いわば少年の身体の一部のようなおにぎりを安藤が様々な思いを込めて体内に取り入れ、自らの血や肉としていくという行為自体に、古くは叡智の継承として存在していたアントロポファジーとしての儀式性があるのだ。まさに安藤が死にゆく少年から「勇者」として選ばれた瞬間なのである。
 安藤美姫が「闇」の中で踊るような「レクイエム」は、このような伏線をもって完成されたものであろう。ジャンプの天才と言われる安藤が、ただ単にサイボーグのような正確なジャンプをしただけでは、ここまで芸術性の高い作品にはならない。もちろん安藤の「レイクエム」に込められたこれらの伏線は、国家予算並みの莫大な金を使ってロビイングでもやらない限り、審判団には伝わらないであろう。しかし、フィギュア・スケートという競技に芸術性を求めていくならば、それはそこで演じられた作品が、審判団だけではなく、芸術作品として後世の人々の記憶にも残っていかねばならない。安藤美姫や浅田真央のプログラムは、技術もさることながら、まさにこのような点においても至高の芸術作品といえるのである。

浅田真央「仮面舞踏会」
 今回の五輪で浅田真央は、ショートプログラムとフリースケーティングの両方で、超高難度の技であるトリプルアクセルを計3回も入れて、自己最高得点を記録した事だけがクローズアップされているが、他の要素も見れば、浅田が単にジャンプだけの選手ではないということが分かる。
 「仮面舞踏会」はヨーロッパでは古くから戯曲や音楽劇としてモティーフにされてきたものだ。そしてどれもが暗殺、毒殺といった謀略がテーマとなっている。浅田がこのテーマを選んだのは昨シーズンからで、その時にはフリースケーティングのプログラムであった。今回はそれをさらにブラッシュアップさせて、ショートプログラムでより完成度の高い作品に仕上げてきた。ショートプログラムに男子でも難しいトリプルアクセルを入れてきたことによって、このプログラムを滑れるのは女子ではもちろん浅田だけだが、あの超絶技巧的なステップの事を考えると、男子でもプルシェンコや高橋大輔でないとこなせないという内容になっている。この一点においても、男子スケーターと比較して語ることが許されるのが、浅田真央だけであるということがわかる。
 浅田が演じるのはニーナという主人公である。夫から不貞の濡れ衣を着せられて、仮面舞踏会の席で毒を盛られて殺されるという役どころだ。浅田のこの作品から見えてくるのは、もちろん「死」と「エロス」であることはいうまでもない。悶絶の表情で難易度の高いステップをこなす浅田真央は、まさに毒を盛られて踊り狂うニーナそのものである。このシークエンスに、プログラムを作成したタラソワ・コーチの「狂気」も垣間見える。タラソワは、足がもつれるようなステップを次々と踏んでいく浅田真央に、死神と一緒に踊る「死の舞踏」を演じさせたのである。その結果、誰の記憶にも後世にわたって残っていくであろう作品として仕上がった。
 浅田が「仮面舞踏会」を2シーズンにわたってテーマにした事によって、我々は浅田真央にいろいろな新しい要素を発見することができた。この作品についてはフリースケーティングの時にも議論の俎上に乗ったことの一つとして、要素の詰め込み過ぎではないか、というものがある。他の凡庸なスケーターならば、プログラムの中に「抜き」の部分を作り、そこで体力を温存するという姑息な戦略も立てたであろうが、浅田真央にとってはそれは許されなかった。私は、終始踊り続ける浅田真央の姿に「狂気」まで感じ、まるで悪魔に魂を売ったパガニーニのような恐ろしさまで見てしまった。その氷上にいたのは、我々が昔から知っていた清廉、可憐な“真央ちゃん”ではなく、まさに「狂人・浅田真央」であったのだ。グリューネヴァルトが描く、屍を越えていく聖アントニウスのようだ。これを狂気と呼ばずに何と呼ぼうか。
 そして、浅田真央の「仮面舞踏会」という作品の中に通底する深くて麗しい欧州の「闇」の世界を、「芸術」として最も理解できるのは、やはりプルシェンコであろう。

 2人の世界女王たち、ほんとうに素晴らしいものを見せてくれて、ありがとう!

■浅田真央、安藤美姫についてのコラム■
【フィギュアスケート】 浅田真央VS安藤美姫~今季最後の女王対決~
【フィギュアスケート】  浅田真央VS安藤美姫~必殺技の美学

----------------------------------------
【お知らせ】
twitterをはじめました。こちらでは政治家、経済専門家、医師、ジャーナリストらの皆さんと、わが国の外交、防衛、政治・経済、医療行政について討論をしています。

http://twitter.com/JPN_LISA
----------------------------------------

 

|

« 【メディア】 メディア・パトロール・ジャパン、遂に始動 | Start | 【書評】 上田篤著 『都市と日本人―「カミサマ」を旅する―』(岩波新書) »

スポーツ・身体表現」カテゴリの記事

Kommentare

http://www.m-kiuchi.com/2010/02/27/asadamaoganbare/

城内みのる のブログで炎上が発生。
キム・ヨナ マンセーの代償はあまりに大きかった。

Kommentiert von: 完敗だ。 | 01. März 10 um 04:32 Uhr

完敗だ。 様

作品や表現について、誰がどのような意見を主張しようと自由です。
しかし最初の発言者にも自由があるならば、それに反論する自由も当然にあるわけです。
様々な意見がぶつかり合い、議論の俎上に乗ることこそ、芸術にとって最も幸福なことです。

城内氏が多くのネットユーザーから反発を招いたのは、不用意に自分の選挙や政治問題に議論を帰結させたことと、日本人スケーターたち(もちろん他のスポーツ選手も含む)の置かれている競技環境のことや、彼らが4年間どのように努力して、どんな表現として仕上げようとしたのか、という事を知らなすぎたことが原因だと思います。

因みにわたくしは、個人的には城内氏とは全く意見が異なります。
また、城内氏がブログでとり上げている選手にもまったく興味がありません。

Kommentiert von: 井上リサ | 01. März 10 um 07:52 Uhr

 安藤選手と浅田選手の演技についての解説、興味深く読みました。
 一般法則論のブログを読んでください。
    一般法則論者

Kommentiert von: 一般法則論者 | 04. März 10 um 23:02 Uhr

Kommentar schreiben



(Wird nicht angezeigt.)




TrackBack

TrackBack-Adresse für diesen Eintrag:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/204825/47686753

Folgende Weblogs beziehen sich auf 【バンクーバー五輪】 世界女王対決・浅田真央VS安藤美姫、超絶技巧的空間と身体:

« 【メディア】 メディア・パトロール・ジャパン、遂に始動 | Start | 【書評】 上田篤著 『都市と日本人―「カミサマ」を旅する―』(岩波新書) »