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Dezember 2009

28. Dezember 09

【映画】 泉水隆一監督 『凛として愛』(2009年12月27日,九段会館で自主上映)

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(写真は,上映開始前から多くの人々が並んでいる様子)

 わが国の中で年間に制作される映画の数は,インデペンデント作品も入れたら1000本は軽く超えるであろう。映画館以外の空間で自主上映される作品などは,スタッフ,関係者以外の人間にはなかなか情報が上がってこないので,正確な実数は不明である。
 そしてこの中から劇場公開にまで漕ぎつけることができるのは僅かに一握りである。特にインデペンデント映画は制作の段階でスポンサーを探せても,映画の完成した後に配給元が決まらず公開できずにいる作品も相当数ある。我々が幸運にも劇場で目にすることができる映画はまさに氷山の一角である。

 映画は完成したものの,いわゆる“お蔵入り”となってしまったものの中には,冒頭で述べたスポンサーや配給元の問題だけではなく,政治的圧力で上映禁止になった作品も存在する。
 先日九段会館で自主上映された泉水隆一監督の『凛として愛』もそんな作品である。
 『凛として愛』は,明治開国から大東亞戦争までのわが国の近代史を,戦没者遺族,元兵士,元従軍看護婦,そして列強からのアジア独立のために日本民族とともに戦った南方の少数民族らのインタビュー,それに歴史史料で綴ったドキュメンタリー作品である。例えれば,列強との戦争を戦い抜いた日本民族の視点で制作された「NHKスペシャル」といったディテイルの作品である。
 監督の泉水隆一は,アニメ『新造人間キャシャーン』や『うる星やつら』の制作スタッフとしてのほうが一般的には著名であるかもしれない。ドキュメンタリーとアニメ制作との間には,途方もない距離を感じてもしまうのだが,泉水隆一の生きてきた人生,年代を考えれば,止むに止まれずに制作したのが,この『凛として愛』という作品であろう。
 泉水隆一はいわゆる戦中派に入る監督であろう。この年代のクリエイターは,戦前,戦中,戦後と時代に翻弄されてきた戦争実体験者である。そして戦争実体験者と,それを歴史的に定義づけようとする後世の批評家とでは,視点や主張が異なって当然なのである。しかし我々はややもすると先の大戦を,後世の批評家視点でしか見てこなかったのかもしれないと,いろいろと考えさせられるのがこの作品である。後世の批評家視点というのは即ち,戦後の多くの日本人が歴史教科書で学ばされてきた見方,ということである。そこでは戦争の悲惨さは詳細に語られるが,なぜこのような事態に至ってしまったのかという事については,多角的視点からは述べられていない。
 私は子供時代からいろいろな国の教科書で学ぶ機会に恵まれたが,一つの事象についてもまったく視点が異なるのが他国の歴史教科書である。本来はこのような様々な視点から歴史は学ぶべきものであるが,わが国の多くの歴史教科書は,その視野狭窄ぶりをもってして,まるで共産主義者の指導書のようで気持ちが悪い。

 泉水隆一の『凛として愛』における仕事とは,共産主義者たちにかき消されたマイノリティーの声をつぶさに拾い,大東亞戦争における欠落した断片を丁寧に縫合していく作業だ。私は個人的に,泉水隆一の視点がクリエイターとして特異であるとは思わない。なぜならば,私がこれまで出会ってきた泉水隆一とほぼ同世代のクリエイターたちの多くは,少なからず泉水隆一と価値観を同じにするようなものを持っているからだ。例えば,ウルトラマンなどの特撮美術でも知られた前衛彫刻家の故・成田亨や,現在も第一線で活動している現代美術作家の浅野庚一らがそうなのである。その浅野庚一は,銀座のある画廊でのパーティーの席で私にこのようなことを話してくれたことがある。
「戦争については私も言いたいことはたくさんある。もちろん日本がやってきたことの全部を肯定しようとも否定しようとも思わない。」
「だけども,あの戦争を実際に戦った当事者以外の者が,後からあれこれと言うことに,いつも辛い思いでいた。」
 そしてこの後に浅野庚一は,「今まで誰にもこのことが言えなかった。今日あなた(井上)に初めて話したんだよ。あなたがはじめて自分(浅野)の話を聞いてくれたんだよ。」と言って,涙ぐんで手を握ってきたのである。
 この話の流れは,浅野庚一と古くから顔見知りの美術作家から,「反戦」をテーマにした美術展の出品を依頼されて,浅野がそれを断ったという話題からでてきたものだ。浅野が断るぐらいだから,これは「反戦」を普遍的に訴えるというものではなく,日本を侵略戦争の首謀者と既定して,その総括を促すようなものだったのであろう。
 同じく,生前親しく交流の機会があった彫刻家の成田亨とも,浅野庚一と同様の会話をした記憶が残っている。その成田亨はしばしば私に,「子供の頃は軍国少年でね。軍艦の絵をカッコ良く書くのが楽しみだった。」と語っている。成田亨が特にお気に入りだったのは,重巡洋艦「愛宕」。成田亨が言うには,帝國海軍の艦船が美しい理由は,その艦影と艦橋の構造にあるそうだ。戦後,成田が前衛彫刻家から特撮美術への道へ進んでからも,成田が遺した数々のデザインワーク,コンセプトワークの中には,成田が最も美しい艦といっていた重巡「愛宕」のDNAも受け継がれているといっても過言ではない。成田と良きライバルだった小田襄や堀内正和らの抽象彫刻と常に切磋琢磨していた成田亨の作品は,単に昭和の前衛彫刻として括るにはもったいない。後の数多くの異星人デザインに継承されていった曲線と直線を融合させたフォルムや,放射状の線で構成されたマチエールなどに,私は成田が愛した「愛宕」の面影が見えてしまうのである。
 そして,このようなクリエイターたちとも個人的に親交の機会があった私には, ドキュメンタリー映画作家としての泉水隆一のメッセージも自然に受け取ることができた。実は,本当にマイノリティーとして戦後に抑圧されてきたのは,『凛として愛』にインタビューで登場したような人たちなのである。彼らは戦後の“善良的”マスメディアによって形成された「世論」という圧倒的に大きな「声」の前に,その存在をかき消されてきた人たちなのである。今回,『凛として愛』という作品を通して今まで歴史の中で埋もれてきた人々の声を聞けた意義は大きい。

 今回上映された『凛として愛』は,九段会館を間借りしての1日だけの自主上映である。上映を企画したのは「日本女性の会 そよ風」という女性の市民グループだ。
 私はかねがね不思議に思っているのだが,今回の作品のように,何らかの政治的圧力により上映や公開が禁止された芸術作品に対し,本来ならば「表現の自由」,「言論の自由」という問題にもっとも敏感であるはずの左翼や市民団体がいっこうに沈黙していることである。今回の自主上映に際して協力を名乗り出たこのような団体はまったくいなかったそうである。同じような不思議な現象が他にもたくさんあって,例えば,日頃から「人権」や「平和」をアピールしている団体が,なぜか中国共産党によるチベット人やウイグル人に対する民族虐殺には抗議の声を上げなかったり,「反核」や「憲法9条」を唱える団体が,アメリカの核については文句を言うのに,なぜか中国や北朝鮮の核には何も言わなかったりする。こういう人たちは,自分と思想信条や主張を異にするものたちの「人権」,「表現の自由」,「言論の自由」などは認めないと言っていると思われても仕方がない。

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24. Dezember 09

【署名のお願い】 ノーベル賞・フィールズ賞受賞者による事業仕分けに対する緊急声明

★大学研究者の方はぜひ署名にご協力ください。
「署名簿: ノーベル賞・フィールズ賞受賞者による事業仕分けに対する緊急声明」
(現在,追加署名を実施しております)

http://spreadsheets.google.com/viewform?formkey=dEhoSnhEQUZtMnNpd0tJQkFXUm9CZFE6MA

声明文
http://www.s.u-tokyo.ac.jp/info.html?id=2009
      

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【アート】 アン・リンガーさんから来年のカレンダーとクリスマスカードが届く

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 クリスマスイブのこの日に,すばらしいタイミングでメルボルン在住の友人から来年のカレンダーとクリスマスカードが届く。送り主はアン・リンガーさん(Mrs. Anne Ringer)。名前を見てもわかるとおり,アンさんは,私が医学史領域で一貫して研究を続けているイギリスの生理学者シドニー・リンガー(Dr.Sydney Ringer, 1835-1910)の親族の方である。シドニー・リンガーは,わが国では輸液(点滴)のリンゲル液を発明した医学者としてよく知られるが,彼の医学的業績はこればかりではない。両生類の心筋を使った基礎研究をもとに,近代のカルディオロジーの基礎を作ったのもこのリンガーである。もしこの頃にノーベル賞が創設されていたならば,リンガーは間違いなくノーベル生理学賞を獲っていたであろう。

 アン・リンガーさんと私との出会いは,今から10年以上前にさかのぼる。この頃から私は,医学史研究のため,しばしばイギリスと日本を往復する生活を始めていて,向こうの大学や研究機関に少し遅れるかたちでちょうど日本にもインターネットが普及し始めていた。その時に私が一番最初に開設したサイトが,作品のデータベース・サイトとリンガー研究を中心とした医学史研究サイトである。(参照:リンガー研究ブログ[日本語版]リンガー研究医学史サイト[英語版]
 これは主に,海外の学者との研究交流,意見交換のために開設したもので,現在でもサイトを通して各国の研究者らと活発な交流がある。

 インターネットの特筆すべき点は,今さら言うまでもなく,その双方向性と集合知の構築である。自分がネット上に流したテキストは世界中の人たちが読んでいるわけである。このような状況の中で,ある日サイトを通して1通のメールが私のもとに届いた。
 「私はあなたが研究しているシドニー・リンガーの親族にあたるものです。あなたの研究に非常に興味を持ちました。日本でリンガーの研究をしている学者がいることにたいへん驚きました。」という内容のものだった。このメールを下さったのがアン・リンガーさんである。アンさんは,たまたまネットをサーフィンしていたら私のウェブページにたどりついたそうである。もしインターネットがなかったら,アンさんと出会うこともなかったかもしれない。私がネットというツールを基本的に肯定的に捉えているのは,ネット黎明期にこのようなダイナミズムを実体験したからだ。そして,そのころから,ネットというメディアはグローバルであるばかりではなく,マスメディアを含めたすべての領域をスーパーフラットな空間に作り変えていくであろうと予見していた。
 アンさんとのネットを通してのコンタクト以来,アンさん一家がたいへんな親日家であることから交流はさらに続き,アンさんからは,まだ医学史料としてアーカイヴされていないリンガー家の史料などを研究のためにご提供をいただいている。現在も,日本のある大手企業が進めている医学史関係の資料館開設のためにもいろいろとご協力をいただいているのである。

 そんなアンさんは,毎年この時期になると,クリスマスカードと一緒に必ずカレンダーを送ってきてくれるのである。アンさんから送られてくるカレンダーにはいろいろなメッセージがこめられている。ただ単に,新年を祝うというよりも,お互いにいろいろとあったこれまでの人生を鑑みながら,新しい年に向けての決意を表明するためのものでもあるのだ。私はアンさんのこのとても素敵な計らいに何度となく励まされてきた。失意のただ中にあった時に,ポストにアンさんからのカレンダーを見つけて救われた事もあったし,どのカレンダーも,アンさんと私の歩んできたこれまでの思い出が刻まれているのである。
 今年アンさんから送られてきたカレンダーは,オーストラリア政府のドクター・ヘリのカレンダーである。広大なオーストラリアの救命救急網をカバーするにはドクター・ヘリの活躍が必要不可欠だ。特に山火事などの自然災害が多い山岳地帯には,ドクター・ヘリでないと入っていけない場所もたくさんある。この点は,わが国の救命救急分野も見習うべき部分も多々あるのである。
 私の方からは,アンさんには「ジャパン・ナイトシーン」という,日本の観光地の夜景を集めたカレンダーを,そしてアンさんの長女で,現在大学で経済学を勉強中のアリソンには,山梨県の風景を集めたカレンダーをお送りした。アンさんにお送りした「ジャパン・ナイトシーン」の7月と8月のページは,熱海の海上花火大会の写真である。本当は全部熱海の観光カレンダーが欲しかったのだが見つからず,少しでも熱海の風景が載っているものと思い選んだのがこのカレンダーだ。現在,熱海で「農業・先端医療・アート」を連動させた熱海町づくりプロジェクトに関わっている私の苦肉の策である。
 アリソンに山梨のカレンダーを送ったのは,アリソンが山梨,特に甲府が大好きだからである。まず美しい富士が見えることと,アリソンがかつて交換留学で甲府に暮らしていたことがあって,その時にすっかり山梨を気に入ってしまったそうである。昨年は,不老園の梅園の写真と動画を送ったところ,とても喜んでいたので,今回の山梨のカレンダーも気にいってくれるにちがいない。

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12. Dezember 09

【映画】 西崎義展監督 『宇宙戦艦ヤマト復活篇』~昭和歌謡からハードロックへのワープアウト

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 宇宙戦艦ヤマトの新シリーズ第1作目が公開された。この作品は,すでに先に行われた試写会で一度見ているが,2つの異なるラストシーンが設定されていたこともあって,映画としての完全なる完成品を見るのは今回が初めてということになる。
 宇宙戦艦ヤマトの世界は映画の設定書では西暦2192年,すなわちガミラス帝国が地球に向けて遊星爆弾による攻撃を開始した年からスタートしているが,ヤマトの前身が帝國海軍の戦艦大和なわけであるから,本来ならばその大和が誕生した西暦1941年からすでに物語はスタートしているといえる。
 また,しばしば映画ファン,アニメファンの間では,“ヤマトは一度死んだ乗組員が生き返る”と揶揄されることがあるが,それは映画シリーズの第2作『さらば宇宙戦艦ヤマト』と,同じキャストによるテレフューチャー版の『宇宙戦艦ヤマト-2』とを混同しているがために起こる誤解である。確かに,劇場版『さらば宇宙戦艦ヤマト』は多くの主役級の登場人物がたくさん死んだが,テレフューチャー版では『さらば-』で死んだ登場人物でも生き残る者もいる。そしてこれ以降制作されたヤマトの新作の映画やテレビシリーズは,多くの登場人物が生き残るヴァージョンの『宇宙戦艦ヤマト-2』の続編である。したがって,“ヤマトは一度死んだ乗組員が生き返る”と言われるのは言い過ぎであり,まずはこの誤解から解いていきたい。

 さて,今回制作された『復活篇』は,前作の『完結編』から26年を経た作品である。物語の中ではヤマトがアクエリアスの海に沈没してから17年後の世界として描かれている。実はこの間に,米国人スタッフをたくさん投入した『YAMATO2520』というOVAが途中まで制作されている。これはタイトルでもわかるとおり,西暦2520年のヤマトの物語であり,乗組員も馴染みの者はおらず,ここに登場するヤマトはシド・ミードによりデザインされたもので,もはや帝國海軍の戦艦大和の面影はない。いわば,『スタートレック』に登場する歴代のエンタープライズ号と同様な,ネームシップとしてのヤマトが登場する。このような理由から,ファンの中には,この作品だけはヤマトの正史に入れたがらない人も多々存在するようである。
 しかし今回,26年ぶりに制作された『復活篇』には,シド・ミード版『YAMATO2520』から受け継いだ良い要素もたくさんあり,結果的に『YAMATO2520』が劇場版の『完結編』と『復活篇』を橋渡ししたかっこうとなっているのは映画を見れば一目瞭然である。

 26年の時の流れは,スタッフの大幅な入れ替えをも余儀なくされた。当時ヤマトの制作に関わっていた方々で,すでに故人となられた方も多くいる。その中でもヤマトの音楽では絶対に欠かすことができない宮川泰や羽田健太郎がもうこの世にいないことが残念でならない。ヤマトの世界で魅力的なものの一つに,敵国の音楽的世界観というものがある。中でもパイプオルガンの大フーガで展開される白色彗星のテーマや,宮川泰や羽田健太郎がまるでパガニーニのように悪魔に魂を売って作ったのではないかとさえ思う自動惑星ゴルバのテーマは,おそらくわが国アニメ史上に残る敵国音楽の頂点に君臨するものであろう。
 今回新たに登場する敵国は一国ではなく,連合国で構成された“国連軍”だ。もし宮川泰が今も健在ならば,既存のクラシック音楽を劇伴にすることなく,一国ずつそれぞれに,素晴らしいスコアを書いたであろう。
 しかし,新たに加わったスタッフのおかげで,ヤマトの新しい世界観を楽しめる要素も十分にある。その中で特筆すべきは主題歌とエンディングテーマを歌っているTHE ALFEEの存在である。今だから言えるが,この作品が作られると聞いた時,主題歌を歌う候補のミュージシャンにTHE ALFEEの名が上がっていることを知って,正直に言って大きな違和感を覚えたのは事実である。「さらば地球よ~」で始まるあの主題歌は,絶対にささきいさおでなければダメだと勝手に決め付けていた私自身の中に眠る原理主義的な態度が表出した瞬間である。
 つまり,『完結編』までのヤマトの世界観は,言うなれば,昭和歌謡そのもなのだ。音楽スタッフの名を見れば宮川泰や阿久悠といった歌謡界の大御所が並んでいるのだから,当たり前である。ストーリーも,どこか日本人の琴線に触れる要素が随所にあった。そして金田伊功という不世出の作画師によって作られる質量のこもった動画は,密度の濃い昭和歌謡の世界観とも見事に符号していたのである。
 しかし,デジタル処理された『復活篇』を見た時に,そのスピーディーさやシド・ミード版のヤマトを受け継ぐような鋭敏な空間は,むしろロックがもつ疾走感や華やかさが似合う。これが意外に大発見であったことだ。悲哀に満ちた昭和歌謡,もしくは昭和演歌の世界から,ロックというカタルシスが生む空間にヤマトはワープアウトしたのである。

■SUS星間国家連合は,やっぱり「国連軍」だった
 以前は私は,『復活篇』の全容が明らかになる前に,今回の作品にはSUS(スーパー・ユナイテッド・スター)という新たな敵国が登場すると聞いて,これは「国連軍」ではないのか? という内容のコラムを書いた。(このコラムを参照→『宇宙戦艦ヤマト』 復活篇,今度の敵は国連軍だ
 スーパー・ユナイテッド・スターとは,つまり,ユナイテッド・ネイション=「国連」を想像させるということである。
 ヤマトはもともと米帝に沈められた帝國海軍の戦艦大和であったこと,それから,ヤマトも他の架空戦記と同様に,宇宙空間を太平洋に見立てて,そこで仮想の太平洋戦争を日本人視点で描く,というコンセプトも抽出できる。実際に,『さらば宇宙戦艦ヤマト』に登場する敵国の都市帝国ガトランティスは,NYの摩天楼を意識したものであるとプロデューサーの西崎義展も述べている。このような複線を考えると,どうみてもSUSは国連軍のメタファなのが容易に想像できたのである。
 そして,実際に完成された作品を見終わって思ったことは,SUS国家連合は,やはり国連軍だったということである。しかも,石原慎太郎が脚本に関わっているので,SUS司令官がマイケルムーアの『華氏911』のブッシュみたいな人殺しの悪者に描かれており,SUSから同盟を離脱する資源産出国のアマール国は,中東アラブの小国に見える。さすが,かつてシド・ミードがせっかくデザインしたエンタープライズ号みたいなヤマトを西崎義展の目の前で堂々とケチをつけた石原慎太郎だ。

■エトス軍の戦艦は大理石調のイタリアモダン
 新たな敵国「SUS星間国家連合」は,複数の同盟国から成り立つ国連軍である。美術的演出として,各国の艦船は異なるデザインで識別されている。これは単に国を識別するだけではなく,文化・文明の違いをも表現しているものだ。この要素はシド・ミード版『YAMATO2520』で試みられたことである。『YAMATO2520』では,対立する二つの文明世界が描かれていた。一つは我々地球人類を祖とする文明世界で,この世界は波動エネルギーが文明の中心となっている。そしてそれと100年以上対立しているセイレーン連邦は,モノポール文明という独自の文明と技術を持っており,生活様式も我々とは異なる。シド・ミードは,単にこれを力学的対立だけで表現するのではなく,潜在的美意識の対立として描くことに成功したのである。セイレーン連邦の居住空間は,左右非対称であり,5角形,7角形といった,我々が実生活ではあまり馴染みのない空間で構成されている。我々地球人からしたら,こんな歩くだけで眩暈がしそうな空間は,とてもじゃないが居心地が悪い。これは美意識の差異に他ならないことであり,きっとセイレーン連邦の人々にとっては落ち着く空間なのであろう。
 『復活篇』に登場する艦船も,地球文明から見れば非常に特異なフォルムをしているものばかりであるが,これは宇宙物理学に基づくリアリズムよりも,「美学」を優先させたことからくる面白さである。
 その中でも,エトス軍の艦船は白い大理石調で,今流行りのデザイナースマンションのようなゴージャスな質感をしている。その内部もまるで洗練されたイタリアモダンであり,一度でいいからこんな所に住んでみたい,というような感じなのである。

■SUS軍の連合艦隊は安藤美姫の衣装みたい
 『復活篇』では,要所のBGMは旧作からの音楽を引き継いでいるが,新たに登場した敵国SUSでは,クラシックのオーケストラ作品を多数使用している。どの楽曲も大編成の作品で華やかさもあり,SUS艦隊もそのBGMに乗って,赤と黒の色調が,刺さるような強烈なイメージを放っている。
 この雰囲気は,どこかで見たことがあるなと思っていたが,これぞまさしくフィギュアスケートの世界女王・安藤美姫のイメージにぴったりなのである。彼女の往年のライバルである,同じく世界女王・浅田真央が精錬かつ可憐なのに対して,安藤の作り出す空間は,妖艶かつ鋭敏なイメージである。SUS艦隊の雰囲気は,安藤美姫がフリープログラムで身にまとう衣装の雰囲気にそっくりなのだ。ラストに時空の壁を突き破って登場するSUSの巨大潜宙艦は,浅田真央の浮遊感あふれるジャンプとは対照的に,突き刺さるような鋭敏なジャンプを飛ぶ安藤美姫を彷彿とさせるのである。

■やっぱり白色彗星の方が強そうだ
 見どころ満載の『復活篇』だが,ふとここで,SUS国家連合の眼前にあの白色彗星ガトランティスが登場していたら,どちらが強いだろうかと,楽しいことを空想してしまった。銀河系に展開する艦隊規模から判断すれば,SUSは他国を凌駕する一大勢力であることはわかる(何しろ国連様だからな!)。しかし,映画におけるセンス・オブ・ワンダーすら持ちえている彗星帝国の方が圧倒的に強そうに見えるのは私だけであろうか。あの上空から威圧するような絶対的和声で書かれたパイプオルガンの大フーガとともに我々の頭上に現れる彗星帝国は,我々に何度も何度も絶望的な思いを抱かせてくれた。彗星帝国にあってSUSにないのは,この「絶望感」なのである。それは,『ウルトラマン』の最終話に登場したゼットンに対し地球人類が抱いた絶望感とも似ている。つまり,ヤマトでもどうにもならないという「絶望感」がSUSには今のところないのである。
 今回の『復活篇』第一部に登場したSUS軍の連合艦隊は,その尖兵部隊なのであろう。その背後には何者が控えているのかはまだ明らかにはされていないが,今度こそ我々人類を絶望の淵に叩きこんでくれるようなラスボスを26年ぶりに見てみたい。

 何かと賛否両論が予想される『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』にあえて点数を付けるとしたら,私は75点だ。
 それなりに楽しんだので,DVDが出たら買う予定である。次回作も必ず見に行くだろう。来月はメルボルンから友人らが来日するので,映画館に見に連れて行く予定である。ついさっき,この友人らにはAri Mailにて復活篇のフライヤーDVDを送ったところである。

■井上リサの書き下ろしヤマト・コラム
【CS放送】 石破茂大臣,宇宙戦艦ヤマトを熱く語る(CS放送ファミリー劇場 『アニメ問わず語り』)
【映画】 『宇宙戦艦ヤマト』 復活篇,今度の敵は国連軍だ
【映画】 『宇宙戦艦ヤマト』 の新作「復活篇」が今年12月に公開~波動砲6連射をめぐる是非~

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11. Dezember 09

【書評】 三橋貴明著 『民主党政権で日本経済が危ない! 本当の理由』(アスコム)

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 年末になって週刊誌や新聞の中吊りに「鳩山不況」「民主大恐慌」などという文字が躍るようになった。特に『週刊朝日』の狼狽ぶりは見ていて面白い。何を今更という感じである。
 これほどまでにデフレギャップが亢進し,経済が停滞している時に,民主党がデザインするマルクス主義をトレースしたような緊縮財政をやれば,このような事態になることは最初から分かっていたことである。それを承知で朝から晩まで“政権交代”を愚衆に喧伝しまくったマスメディアは,恐竜のようにとっとと滅びればよい。新聞社やテレビ局が2つ3つ潰れたところで困る人はいない。しかし,日本という国が無くなっては困るのである。

 このたび,経済評論家の三橋貴明が『民主党政権で日本経済が危ない!本当の理由』(アスコム)を上梓した。内閣府などの公式統計資料をソースに分析された経済書である。
 この本を読んでみて思ったことなのだが,大きく分けて2つの相対する評価が上がって来るであろうと予想される。その一つは,民主党に対する単なるネガティブキャンペーン本と捉えようとする勢力(仮にこれをタイプAと規程する)。そして,もう一つは,民主党政権になって変化した現在の日本経済の状況の詳細を知って,ただただ恐ろしい思いをする人たち(タイプB)ではないであろうか。
 この差異はどこに起因するかといえば,タイプA群の人たちはマクロ経済をまったく理解できない人であり,タイプB群の人は,多少なりともマクロ経済を理解している人である。そして,タイプB群の中には,今まで何となく平穏に暮らしてきたのだが,知らなくても良いことまで知ってしまって,今まさに戦々恐々としている人々も含まれる。
 「自民党にお灸をすえたつもりが,実は自分が大やけどをしてしまった」という状況の,潜在的「お灸」層の人たちだ。彼らは,「子供手当」に一瞬喜んでみたものの,まさか自分の配偶者の勤務先が倒産することなど想定していなかった。また,自分が関わっている文化活動や学術研究に事業仕分けで「廃止」の審判が下るとは思ってもみなかったのであろう。
 だから現在,「こんなはずではなかった!」という民主党に対する激しい憎悪の念が熟成しつつあるのである。また加えて,マクロ経済に精通している者であれば,現政権下における日本経済の絶望的な未来図を明確に想像できるので,この本を読むと,心底恐ろしい思いをするのである。いわばこれは同時代性をもって書かれた,経済版「真・よげんの書」なのである。我々はこれから,リアル「20世紀少年」の世界を体験させられるかもしれないのだ。

 著者の三橋貴明がマクロ経済入門者に対していつも分かりやすく提示しているチャートが2つある。
 ひとつはバランスシートであり,もう一つはデフレギャップである。この2つは実に明快である。
 私は最近面白い事に気がついた。それは,マクロ経済をよく理解している人は,しばしば国家経済を人間の身体に例えて話をされることである。麻生総理がそうであるし,本書の著者,三橋貴明も同様である。
 麻生総理は昨年と今年の渋谷,池袋の街宣で,「まずはカンフル剤を投入し,その後に時間をかけて体質改善だ」と言われていた。そして日本経済が回復するには「全治3年」であると。
 仮にこれを麻生総理のいわれるように国家経済を「身体」に例えると,つまり,電解質異常を起こした血漿の電解質補正とカロリー補給をやりながら,時間をかけて循環改善していくという考え方である。これは実に明快。生理学の教科書としてスタンダードであるギャンブルの「水・電解質テキスト」に符号する。(ギャンブルについては以前に専門誌に書いたコラムを参照→http://ringer.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/7_a8b5.html
 そして,三橋貴明が経済番組や講演でしばしば提示するデフレギャップの図は,生理学者ギャンブルが作成した「ギャンブルグラム」のように分かりやすい。
 デフレになるには様々な状況,要素が複雑に影響し,その経緯も様々である。ここでその時々の状況にあった補正を適正に行うことでデフレギャップは解消される。この手法を誤ると,さらにデフレギャップは悪化するのである。
 これを生理学者ギャンブルの考えに照らし合わせると,電解質異常を起こした血漿を補正するには,その電解質異常に至った経緯,状況を冷静に分析し,適切な処置をせよ,ということである。すなわち,同じ脱水症状でも,例えばアシドーシスとアルカローシスとでは対処の仕方は異なる,ということである。これを誤ると,さらに症状は悪化するのである。

 このように考えていくと,近代的輸液のメソッドとなったギャンブルによる「体液平衡」という概念は,三橋貴明やリチャード・クーのいうバランスシートで国家経済の全体像を見ていくという考え方といくつもの共通点が見いだせる。
 本来,マクロ経済について少々苦手であった私が三橋貴明の数々の経済書に書いてあることを理解できるようになったのは,何を隠そう,ギャンブルの「水・電解質テキスト」の考え方を引いてきたからなのである。
 そして現政権が今やっていることは,日本経済を心肺停止状態に至らしめることなのだ。本書『民主党政権で日本経済が危ない!本当の理由』では,その理由が非常に詳細かつ明快に提示されている。これを単なる民主党批判本だと思っている人たちは,いずれ事の重大さに気がついた時に,どんなパニック症状を引き起こすのか,詳細に観察してみたい。

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出典:「日本経済の真の問題」(2009年,三橋貴明作成)

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ジェームス・ローダー・ギャンブルによる「ギャンブルグラム」
(上)Gamble JL, Ross GS, Tisdall FF;The metabolism of fixed base in fasting. J Biol Chem, 1932, 57: 633-695
(下)Gamble JL;Chemical anatomy, physiology and pathology of extracellular fluid. Harvard University Press. Cambridge, 1942

■井上リサによる書き下ろしコラム■
【書評】 三橋貴明 『マスゴミ崩壊~さらばレガシーメディア~』 (扶桑社)
【書評】 三橋貴明著 『新世紀のビッグブラザーへ』(PHP研究所)
【書評】 麻生太郎著 『とてつもない日本』(新潮新書)
【コラム】麻生太郎の内科身体的修辞法(自由民主党総裁選)

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