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28. Dezember 09

【映画】 泉水隆一監督 『凛として愛』(2009年12月27日,九段会館で自主上映)

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(写真は,上映開始前から多くの人々が並んでいる様子)

 わが国の中で年間に制作される映画の数は,インデペンデント作品も入れたら1000本は軽く超えるであろう。映画館以外の空間で自主上映される作品などは,スタッフ,関係者以外の人間にはなかなか情報が上がってこないので,正確な実数は不明である。
 そしてこの中から劇場公開にまで漕ぎつけることができるのは僅かに一握りである。特にインデペンデント映画は制作の段階でスポンサーを探せても,映画の完成した後に配給元が決まらず公開できずにいる作品も相当数ある。我々が幸運にも劇場で目にすることができる映画はまさに氷山の一角である。

 映画は完成したものの,いわゆる“お蔵入り”となってしまったものの中には,冒頭で述べたスポンサーや配給元の問題だけではなく,政治的圧力で上映禁止になった作品も存在する。
 先日九段会館で自主上映された泉水隆一監督の『凛として愛』もそんな作品である。
 『凛として愛』は,明治開国から大東亞戦争までのわが国の近代史を,戦没者遺族,元兵士,元従軍看護婦,そして列強からのアジア独立のために日本民族とともに戦った南方の少数民族らのインタビュー,それに歴史史料で綴ったドキュメンタリー作品である。例えれば,列強との戦争を戦い抜いた日本民族の視点で制作された「NHKスペシャル」といったディテイルの作品である。
 監督の泉水隆一は,アニメ『新造人間キャシャーン』や『うる星やつら』の制作スタッフとしてのほうが一般的には著名であるかもしれない。ドキュメンタリーとアニメ制作との間には,途方もない距離を感じてもしまうのだが,泉水隆一の生きてきた人生,年代を考えれば,止むに止まれずに制作したのが,この『凛として愛』という作品であろう。
 泉水隆一はいわゆる戦中派に入る監督であろう。この年代のクリエイターは,戦前,戦中,戦後と時代に翻弄されてきた戦争実体験者である。そして戦争実体験者と,それを歴史的に定義づけようとする後世の批評家とでは,視点や主張が異なって当然なのである。しかし我々はややもすると先の大戦を,後世の批評家視点でしか見てこなかったのかもしれないと,いろいろと考えさせられるのがこの作品である。後世の批評家視点というのは即ち,戦後の多くの日本人が歴史教科書で学ばされてきた見方,ということである。そこでは戦争の悲惨さは詳細に語られるが,なぜこのような事態に至ってしまったのかという事については,多角的視点からは述べられていない。
 私は子供時代からいろいろな国の教科書で学ぶ機会に恵まれたが,一つの事象についてもまったく視点が異なるのが他国の歴史教科書である。本来はこのような様々な視点から歴史は学ぶべきものであるが,わが国の多くの歴史教科書は,その視野狭窄ぶりをもってして,まるで共産主義者の指導書のようで気持ちが悪い。

 泉水隆一の『凛として愛』における仕事とは,共産主義者たちにかき消されたマイノリティーの声をつぶさに拾い,大東亞戦争における欠落した断片を丁寧に縫合していく作業だ。私は個人的に,泉水隆一の視点がクリエイターとして特異であるとは思わない。なぜならば,私がこれまで出会ってきた泉水隆一とほぼ同世代のクリエイターたちの多くは,少なからず泉水隆一と価値観を同じにするようなものを持っているからだ。例えば,ウルトラマンなどの特撮美術でも知られた前衛彫刻家の故・成田亨や,現在も第一線で活動している現代美術作家の浅野庚一らがそうなのである。その浅野庚一は,銀座のある画廊でのパーティーの席で私にこのようなことを話してくれたことがある。
「戦争については私も言いたいことはたくさんある。もちろん日本がやってきたことの全部を肯定しようとも否定しようとも思わない。」
「だけども,あの戦争を実際に戦った当事者以外の者が,後からあれこれと言うことに,いつも辛い思いでいた。」
 そしてこの後に浅野庚一は,「今まで誰にもこのことが言えなかった。今日あなた(井上)に初めて話したんだよ。あなたがはじめて自分(浅野)の話を聞いてくれたんだよ。」と言って,涙ぐんで手を握ってきたのである。
 この話の流れは,浅野庚一と古くから顔見知りの美術作家から,「反戦」をテーマにした美術展の出品を依頼されて,浅野がそれを断ったという話題からでてきたものだ。浅野が断るぐらいだから,これは「反戦」を普遍的に訴えるというものではなく,日本を侵略戦争の首謀者と既定して,その総括を促すようなものだったのであろう。
 同じく,生前親しく交流の機会があった彫刻家の成田亨とも,浅野庚一と同様の会話をした記憶が残っている。その成田亨はしばしば私に,「子供の頃は軍国少年でね。軍艦の絵をカッコ良く書くのが楽しみだった。」と語っている。成田亨が特にお気に入りだったのは,重巡洋艦「愛宕」。成田亨が言うには,帝國海軍の艦船が美しい理由は,その艦影と艦橋の構造にあるそうだ。戦後,成田が前衛彫刻家から特撮美術への道へ進んでからも,成田が遺した数々のデザインワーク,コンセプトワークの中には,成田が最も美しい艦といっていた重巡「愛宕」のDNAも受け継がれているといっても過言ではない。成田と良きライバルだった小田襄や堀内正和らの抽象彫刻と常に切磋琢磨していた成田亨の作品は,単に昭和の前衛彫刻として括るにはもったいない。後の数多くの異星人デザインに継承されていった曲線と直線を融合させたフォルムや,放射状の線で構成されたマチエールなどに,私は成田が愛した「愛宕」の面影が見えてしまうのである。
 そして,このようなクリエイターたちとも個人的に親交の機会があった私には, ドキュメンタリー映画作家としての泉水隆一のメッセージも自然に受け取ることができた。実は,本当にマイノリティーとして戦後に抑圧されてきたのは,『凛として愛』にインタビューで登場したような人たちなのである。彼らは戦後の“善良的”マスメディアによって形成された「世論」という圧倒的に大きな「声」の前に,その存在をかき消されてきた人たちなのである。今回,『凛として愛』という作品を通して今まで歴史の中で埋もれてきた人々の声を聞けた意義は大きい。

 今回上映された『凛として愛』は,九段会館を間借りしての1日だけの自主上映である。上映を企画したのは「日本女性の会 そよ風」という女性の市民グループだ。
 私はかねがね不思議に思っているのだが,今回の作品のように,何らかの政治的圧力により上映や公開が禁止された芸術作品に対し,本来ならば「表現の自由」,「言論の自由」という問題にもっとも敏感であるはずの左翼や市民団体がいっこうに沈黙していることである。今回の自主上映に際して協力を名乗り出たこのような団体はまったくいなかったそうである。同じような不思議な現象が他にもたくさんあって,例えば,日頃から「人権」や「平和」をアピールしている団体が,なぜか中国共産党によるチベット人やウイグル人に対する民族虐殺には抗議の声を上げなかったり,「反核」や「憲法9条」を唱える団体が,アメリカの核については文句を言うのに,なぜか中国や北朝鮮の核には何も言わなかったりする。こういう人たちは,自分と思想信条や主張を異にするものたちの「人権」,「表現の自由」,「言論の自由」などは認めないと言っていると思われても仕方がない。

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