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05. Oktober 09

【書評】 三橋貴明 『マスゴミ崩壊~さらばレガシーメディア~』 (扶桑社)

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 作家で若手経済評論家の三橋貴明によるメディア論である。メディア論と言うと,一時期ポストモダニズム領域でもてはやされた現代思想史における身体論,時間論を連想される方もいるかと思うが,この論集の中にはドゥルーズもデリダも登場しない。では何かというと,ビジネスモデルから実数字をもとに分析されたメディア論なのである。
 タイトルにある挑発的な「マスゴミ」という文言は,文字通り,ゴミのような今日のマスメディアのことを言い表している。このような皮肉と嘲笑を込めた言い回しは,近年は三橋自身もそう呼ぶように,“ネット・スラング”として数多く存在している。
 例えば,読売巨人軍のことを「ゴミ売り虚塵軍」,NHKを「犬HK」(または日本反日協会),テレ朝(テレビ朝日)を「テロ朝」(テロリストのような報道局),民主党を「ミンス党」(「民主」を朝鮮語風で読んでいる。実際に日本の民主党は「永住外国人参政権付与」や「東アジア共同体」を党是として掲げるなど,幸か不幸か親韓親北政党というイメージが定着してしまった),といったものをしばしば見かける。誰が最初に言い出したのかは分からぬが,総じて言いえて妙なのである。
 さて今回,三橋貴明が本書で袋叩きにしているのが,今日の翼賛的マスメディアである。単にそれが翼賛的であるとか,巨悪の象徴であるというのならば,こういう評論を書くのは本来は立花隆あたりの仕事であろう。しかし事はそんなに単純ではなく,三橋が言うことろの“マスゴミ”が,経営悪化の一途を辿っているのにもかかわらず,相変わらず現体制を改善する様子が見られないところに,この巨悪の病理が存在しているのである。
 作家の三橋貴明は,経済評論家でもあり,中小企業診断士というライセンスも持っている。中小企業診断士というのは,企業の財務状況を,まるでDr.Houseのような厳しい臨床医の視点で隈なく精査し,改善すべき点を挙げて,ただちにそれを「根治」に向けて指導するという役割を持っている。その中小企業診断士でもある三橋の目から見ても,地上波テレビの軒並みの視聴率の低下,新聞の売り上げ部数の減少,そして広告費売上はネットに猛追されるという状況の中にあって,何らビジネスモデルを変えようとしない旧態依然とした“マスゴミ”の存在が,不思議でしょうがないのであろう。
 例えば,現在ほぼ横並びのニュース番組を見て,異様に思うのは私だけであろうか。テレビ局は電波は自分たちの所有物と勘違いをしているようだが,あれは国民の財産であり,各テレビ局はそれを国民から借り受けているだけである。それを独占している民放が,どれも横並びの同じような論調のニュースを流すという状況がまず異常なのである。
 そのような理由から私は,余程の事――(たとえば阪神タイガース日本シリーズ優勝,金本涙の現役引退,浅田真央金メダル,東海地震で熱海水没,テポドン大阪に着弾,その他大災害,有事など)がない限り,ばかばかしいし,何ら緊急性もないので日本の放送局の番組はほとんど見ることはない。そのかわり有料チャンネルで海外ニュース,海外ドキュメンタリー,海外医療ドラマ,海外マイナー・スポーツ中継三昧の日々である。最近はテロ朝がどこのチャンネルかも忘れてしまった。(でも全然困らないが)
 一方で,私が毎日見ているアメリカの放送局は,例えばCNNやABCはややリベラル色が強いのに対してFOXは堂々と共和党支持を表明しており,視聴者に対してあらかじめそのようなアカウンタビリティを表明することで,健全性,透明性を確保している。日本の放送局のように,一見すると中立・公正を装いながら,あざとい印象操作やカット&ペーストをやってごまかすよりも,よほど健全である。
 ひとつの放送局が堂々と特定の政党の支持表明を行うというのは,日本の放送法では考えられないことであるが,少なくても米メディアでは,必ずそれに対抗するメディアも存在するので視聴者は各自のメディアリテラシーに基づき,取捨選択すれば良いのである。もしスポーツ新聞が報知新聞だけであったならば大変なことになってしまうが,阪神極右プロパガンダ紙「デイリースポーツ」も存在するからいいのである。

■テレビ・新聞なしに現代人は生きていけるか
 三橋貴明が詳細なデータをもとに分析した結果,過去の遺物であるマスコミが恐竜のような最後を迎えるとして,我々は,テレビ・新聞なしで生きて行けるだろうか?
 答えは「Yes!」である。
 現在テレビで放送されている番組は,ニュース,報道バラエティー,お笑い,スポーツ中継,そして深夜の通販番組などであり,こんなものはわざわざテレビでやらなくてもいいようなものばかりだ。では,テレビ局は 「誰のために放送しているのか」という命題に行きつくわけだが,これは視聴者ではなくスポンサーに対して,費用対効果としての裏付けや,広告的価値を維持するために放送しているのである。そこで問題になってくるのが視聴率なわけだが,各局ともいろいろと手は打っているようではあるが,まったく改善される兆しがない。それは視聴者が求めているものと,放送局がスポンサーの意向を受けて制作している番組とに大きな隔たりがあるからだ。その隔たりについては本書の著者である三橋貴明をはじめ,いろいろなものが指摘しているのにもかかわらず,テレビは相変わらず死んだふりをしているようである。
 例えば過去に放送された麻生首相と鳩山代表の討論会の模様をノーカット生放送したのはネットであり,テレビ局はそれを短く編集して流しただけである。ここでもし1局でも“抜けがけ”してノーカット中継をしたならば,視聴者はその局だけに釘づけになったであろう。また毎日報道されるニュースにしても視聴者が求めているのは,今日起こった事実だけを伝えるストレートニュースである。そこにキャスターや評論家や御用学者たちが出てきて,いちいち自分の個人的なイデオロギーを語られてもこちらは迷惑だ。ワイドショーや報道バラエティ番組しかりである。我々国民は,このような方々の個人的なイデオロギー発露の装置として貴重な電波を貸してやっているのではない。
 こうした視聴者のテレビメディアに対する不満を解消する形で賑わっているのがニコニコ動画やスティカムなどのネットライブ中継である。これは,一般ユーザーが自分の部屋やペットの様子を中継した極めてプライベートなものから,選挙の街頭演説会,デモ行進,集会といった政治的な内容のものまで実に多岐にわたる。これらの膨大なコンテンツは既存のテレビ番組の内容を完全に代用するようなものであり,こちらのネット映像の方が新聞・テレビを差し置いて,一次ソースになる事もある。
 この点は三橋もすでに指摘しているが,三橋が言うところのいわゆる旧態依然とした“レガシーメディア”たるテレビ・新聞は,ネットという競合相手を甘く見ていたということなのである。ネット上で一次ソースが流れた場合,それをもとにテレビ・新聞の情報の正確さ,公正さがネット・ユーザーたちによって厳しく精査されることになる。今までは世の中を批評・論説している立場であったマスメディアが,今度は自分たちも批評の俎上に乗せられることになるのである。これは未だかつて経験しなかった事態であり,だから慌てているのである。
 私のように,普段から学問・芸術のフィールドにいる人間にとっては,こんなことは当り前のことなのだが,マスコミの人間にとっては思いもがけなかった出来事である。時折散見する,まるで議論にもならないようなマスコミ側の人間の失敬な態度は,自分が作ったものに対してディベートから逃げているというクリエイターとしてはあるまじき行為なのである。碌な番組も作らず,碌な記事も書かず,それによってネットユーザーから批判された時に発現するヒステリックな症状は,まさに前時代的である。

■“恐竜”は滅び,環境の変化に対応した身体を持つ“昆虫”は生き残る
 しかしここでただ1点だけ,そんなレガシーメディアでも有用であると思うものがある。それは独立採算型の地域新聞である。
 私は大手新聞社が発行する新聞は購読していないが,伊豆の地域新聞である『熱海新聞』は年間購読している。販売所は伊豆にあるので他の新聞のように新聞配達で届けてもらうわけにはいかない。まさか「クレヨンしんちゃん」の映画みたいに,自転車で熱海峠を越えることなどできないであろう。そこで,販売店と相談して,毎月の購読料1430円の他に1か月分の送料1000円を上乗せして払うという約束で,毎日伊豆の販売店から東京の自宅まで郵便で送ってもらっているのである。
 少々へそ曲がりと思われるかも知れないが,私が『熱海新聞』を購読しているのには理由がある。実は数年前から私は,熱海で「農業」「先端医療」「アート」の3本柱による地域活性化事業,町づくり活動を行っており,東京にいながら熱海の政治経済を含めた隅々の事について知るためには『熱海新聞』を毎日読むのが一番いいのである。この紙面には中央の大メディアがけしてフォーカスしないような町の手触り,息づかいを感じる事が出来る。
 例えば昨年,麻生内閣の「定額給付金」がマスコミから一斉に“バラ撒き”だと叩かれていたとき,2月20日付の『熱海新聞』では,伊豆半島6市6町首長会議が2月19日,「定額給付金の早期支給に関する要望書」を鳩山邦夫総務大臣に提出した,との記事を伝えている。またその「要望書」の中には,“消費喚起を促し,地域活性化が図られる定額給付金の財源を確保する関連法案の速やかな成立を”,“定額給付金のめどが立たない状況にあることは誠に遺憾”といった趣旨の意見が盛り込まれている,と詳しく報じている。そして,いわば新聞の顔であるコラム「潮の響」では,“「定額給付金」は都会では微々たる経済支援にしかならないが,そのお金を使って伊豆に来てくれるお客さんもいるだろうことを考えると,一概に「バラ撒き」とはいえない”,という主張も書いている。
 私もそれを受けて,私が個人的趣味の範囲で気楽に運営している熱海の観光PRブログで“定額給付金で熱海に行こう!”キャンペーンをやったところ,熱海市役所観光課の職員の皆さんもたくさんブログをご覧なっていて,後からとても喜ばれたのである。
 熱海の斎藤栄市長も民主党系の市長だが,政局よりも地域経済や住民の生活を第一に考えているような市長なので,このような,国会審議を邪魔するような民主党を牽制する「要望書」のとりまとめも速やかにできたのである。
 『熱海新聞』のようなきめ細かい記事のフォローは,地域新聞ならではの持ち味である。私が在欧中に愛読していたFrankfurter Allgemeine ZeitungやSüddeutsche Zeitungなどの独紙にも同じようなことがいえるわけで,三橋が本書『マスゴミ崩壊~さらばレガシーメディア』で述べているように,「需要」と「供給」が健全に結ばれれば,レガシーメディアでも生き残る余地はあるのである。
 『熱海新聞』のような地域新聞は,いわば限定された環境で身体を対応させながら生き延びてきた小回りの利く“昆虫”のようなもので,このようなものはあえてネットと競合することなく,読者の足元を大切にしていけばよいである。

■バカにつける薬
 本書『マスゴミ崩壊~さらばレガシーメディア』では,ありがたいことに,中小企業診断士でもある著者の三橋貴明が,レガシーメディアの生き残り策として,経営体質改善のための処方箋をいくつか提示している。その中でも「放送免許更新制度の撤廃」,「放送法改正」(処分規定の盛り込み)など,今すぐにでも緊急に取り組まなければならない課題もたくさん含まれている。
 しかし果たして今の“マスゴミ”が,謙虚にこのようなものに対して聞く耳を持つかどうかは疑問である。なぜなら“マスゴミ”にこのような謙虚な姿勢があるならば,ここまでひどい状況にはならなかったからだ。
 例えば,『毎日新聞』が新春企画した特集「ネット君臨」は,ネットの匿名性といった彼ら“マスゴミ”が言うところのネットの「負」の部分ばかりをクローズアップするという非常にヒステリックな内容であった。取材記者は新聞社というバックボーンに隠れることができるのに対して,取材対象には実名の開示を求めるというバランスを欠いた取材姿勢に疑問を持ったフリージャーナリストの佐々木俊尚もこの点をするどく突っ込んでいるが,毎日新聞の記者はこの疑問に真摯な態度で答えてはいない。そればかりか,ネットメディアの有用性すらも,冷静に分析することから逃げているのである。実は“マスゴミ”こそ,究極のモラトリアム人間の集合体であったのだ。
 このような状況からみても,“マスゴミ”がレガシーメディアとして衰退していくのは時間の問題である。彼らのために最良の処方箋を提案した三橋も,当然そのことは分かっているとは思うが,これは,中小企業診断士の三橋貴明の,臨床家としての良心か好奇心がそうさせたのであろう。本書『マスゴミ崩壊~さらばレガシーメディア』は,今まさに滅び行く“恐竜”に向けてのラストメッセージだ。

■三橋貴明のその他のレビュー■
【書評】三橋貴明著『新世紀のビッグブラザーへ』(PHP研究所)

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