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08. September 09

【アート】伊藤洋子個展 『卵巣の雲』(2009年8月31日~9月5日,ギャラリー代々木)

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 詩人・伊藤洋子の個展『卵巣の雲』がギャラリー代々木で開催された。
 伊藤洋子はこれまで約20年にわたり,ポエトリー・リーディングや他のジャンルのアーティストたちとコラボレーションしたパフォーミング・アーツなどのライヴ活動を一貫して行ってきた詩人である。詩人といっても,限定された仲間内の同人活動とは異なり,その活動範囲は複雑な神経系のように多岐に張り巡らされている。
 今回は画家・伊藤洋子としての個展である。表題にある『卵巣の雲』の構想はすでに個展開催の1年ほど前から決まっていた。その時予定していた表題は『卵巣の蜘蛛』であったが,今回の表題に変更されたことには紆余曲折の伊藤自身の身の回りの変化が多少なりとも影響しているといえるだろう。
 実は伊藤は,この個展が開催される直前に,卵巣疾患で入院中であった。卵巣疾患については伊藤の長年の慢性既往症であったが,ここへきて急性転換となり,入院,手術,加療という経過をたどったのである。
 今回出品されたドローイング作品は,1年前から制作していたものに加えて,退院直後に制作された作品も多く出品されている。興味深いのは,1年前から構想して描かれた作品,即ち,一連の『卵巣の蜘蛛』シリーズに集約される作品は,画面の余白が無いほどに細密なタッチで目,口唇,女性器などの身体パーツが断片的かつ反復的に描かれているのに対して,病後に『卵巣の雲』シリーズとして描かれたものは,以前の作品よりも,より自由なストロークを使って描かれている作品が多いのである。
 前者はこれまでの伊藤の作品に特徴的に見られる要素だ。伊藤の作品は詩にしてもそうであるが,人間の(あるいは女性の身体特有の)身体に起こり得る様々な肉体的,精神的不快感を表したような作品が多い。今から20年ほど前に,かつて銀座7丁目にあったギャラリー・ケルビームで行ったポエトリー・リーディングで朗読した作品は,納豆が自分の足に絡みつきながら追いかけてくる,という,実に不可解でいて不条理なものであった。しかし,その不可解さの中にも,納豆などの粘液質のものが自分の身体に付着するという身体的不快感はこちらにも充分に伝わってきたのである。これはホラー映画における魅惑的にして病的なエロスに通じるものがある。目を背けるほどに,その暗黒の陰圧の空間に吸引されてしまいそうなのが伊藤洋子の作品である。したがって,伊藤の作品は昼間から見るものではない。
 絵画表現に見られる伊藤の作品も,そのような要素のものが多く,これまでにも「めまい」,「発熱」といった表題のシリーズ作品を多く制作しており,それらのものは,誰もが感冒などで高熱にうなされた時に見る悪夢や全身で感じる不快感を想起させるようなものである。画面いっぱいに細密に書き込まれた身体パーツは,遠目にはウイルス感染して崩壊していく不定形の細胞膜のようにも見えてくる。この細胞,DNAレベルで起こるミクロな身体的カタストロフィーは,抗体と外部侵入者との間で日夜我々の身体内部で繰り広げられていることでもある。
 一方で,今回新たに『卵巣の雲』シリーズとして制作された作品群は,伊藤自身の身に起こった「卵巣喪失」という出来事とも大いに関わりが深い。卵巣という女性特有の臓器は,細い卵管で空洞の子宮と繋がっているだけで,不安定に子宮の両極に浮遊するように存在している。周囲に卵巣を圧迫,保定する臓器がないので,たとえ病変が出来ても早期のうちには症状がでない場合も多々ある。つまり,月経不順や不正出血といったホルモン異常でもないかぎり,その存在は日頃から他の臓器ほどは意識されない沈黙の臓器なのである。女性の下腹部で空中に浮遊するように存在している卵巣は,伊藤が言うように,まさに『雲』のようなものだ。そしてひとたび病変を抱えると,我々の意志とは別に,まるでエイリアンの胎児のように際限なく肥大化していくのである。
 伊藤が描く,下腹部で大きく展開された手術野から離脱するように空中に浮かぶ不定形の肥大化した卵巣は,ヘリウムガスが充満した風船のように今にも伊藤の身体からも去っていきそうな勢いである。片方の卵巣喪失によって容積が減少した伊藤の下腹部は,胎児の産出とバーターされたものではなく,むしろ化学者ラボアジェが提唱した「質量保存の法則」すら満たすことのない喪失感が漂っているのである。
 このような複雑な身体感覚を視覚化する行為について伊藤は,「病」やストレスによって起こる様々な身体的不快感を描くことで,それを昇華しているのだという。私は伊藤の一連の作品をドローイングと規定したが,伊藤からこのような話を聞くと,それはむしろ身体に起こる不快感という抽象的でしかも目に見えざるモティーフを,「身体」という有機端末を使ってデッサンしていく行為に見えてならない。それは,かつて古代医学で主流であった呪術性や憑依性をもって現れるものであり,身体の神秘の深部へ向かってソナーを向けて「病」を探査するような伊藤の行為は,「ことば」と「身体」という伊藤の表現世界にさらに一定の強度を持たせることになる。そのような意味では,今回の伊藤自身に起こった「卵巣喪失」という一大事は,今後の伊藤の表現活動に何らかの展開を与えることになるだろう。

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