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06. August 09

【海外ドラマ】 『メンタル:癒しのカルテ』#3「罪の意識と 神の審判」(FOXチャンネル)

 先月からFOXで放送がスタートした精神科医療の現場を舞台にした医療ドラマ。ここの物語の舞台となっているウォートン記念病院は,精神科の他に内科,外科,産科をも備えた郊外の総合病院である。緑の多いその庭は,患者にとっても市民にとっても開放的であり,この空間がまるで海と河川とをバイパスするニュートラルな汽水域のような役割を果たしている。精神科医療の制度改革を試みたジャン・ウーリによってパリ郊外に創立されたラボルド病院も,ちょうどこんな感じの病院である。森や林や庭が,医療空間を閉鎖させることなく町の中で繋がっているのである。
 ウォートン記念病院の精神科部長のDr.ギャラガーは,鳴り物入りでここの病院に移籍してきた。移籍早々,これまでの精神科医療の常識を覆すような治療を試みたり,病院経営や医療体制にも口を出しながら,あくまでも臨床の現場で医療制度改革をやろうとしている。
 例えばギャラガーは,カンファレンスの場に患者も同席させるように提案したり,患者たちを庭に出し,好きなように遊ばせたり,同僚たちを招集し,いきなり患者たちと一緒に庭で運動会をやらせたりと,やりたい放題である。しかしこれは単に思いつきでやられたことではなく,ギャラガーの臨床医としての信念と理論に基づくものなのだ。だから反発するものは当然いるが,彼のことを理解する人間もいるのである。
 そして今回のエピソードでは,おそらく日本のテレビドラマではタブーとなってなかなか触れることができないであろうと思われる製薬会社のプロパーと病院経営陣の癒着ぶりがあからさまに描かれていて,これには驚いた(日本の医療ドラマは製薬会社や医療関連メーカーが番組スポンサーになることがしばしばあるので,脚本家もここの部分には気を遣うのであろう)。プロパーとしては新薬承認のために自分のところの薬を使ってもらいたくて病院経営陣に売り込みをかけにくるのだが,なんとギャラガーはこのプロパーを追い出してしまったのである。これに激怒した経営陣は,大切な“財源”(すなわち臨床試験への見返り)が無くなってしまうではないかと大騒ぎだが,ギャラガーは簡単な始末書を書かされただけで部長として居座るのである。彼が優れた臨床医であることを経営陣も認めているので,なかなか首を切れないところが実に痛快である。

 『メンタル』第3話の患者はギデオンという初老の男性。彼は世界的に知られるノーベル文学賞クラスの高名な作家という設定である。彼は妻と外出中に落雷に遭い,その衝撃で緊張病の症状を示し,ギャラガーの所に運ばれてきた。この落雷の事故で一命はとりとめたギデオンであったが,一緒にいた妻は失った。
 ギデオンの症状は,肉体は回復して覚醒しているが,外見上は意識レベルが低下しているという奇妙な状態である。言い換えれば,実際には意識は鮮明であるが,外界の刺激に対しての反応が極端に希薄な状態であるといえる。これは統合失調症の中でも予後は比較的良好な経過をたどるので,ギャラガーは積極的な治療を試みることになる。
 しかしギャラガーの様々な試みもむなしくギデオンの症状は一向に回復する気配がない。そして手詰まりかと思われたギャラガーは,ギデオンの著書『審判』を読みながら治療の糸口をつかんでいく。
 ギデオンの最後の著書『審判』は,実は彼の長年の愛人に献呈して書かれたものなのだ。さらに,この著書はギデオンが「神」の視点に立って書かれたものであるらしい。ギャラガーはこの『審判』をもとに,ギデオンの病室を娘の反対を押し切って模様替えをしてしまうのである。それまでのギデオンの病室は家族や娘の写真であふれていた。ギャラガーはそういった家族の思い出を全てはぎ取って,何もない空間にしてしまったのだ。そこはさながら神の前に差し出された法廷のような空間である。ギャラガーはこの法廷と化した空間で,ギデオンのトラウマの核心に迫るのである。
 そもそもギデオンは,落雷も予想される悪天候の日に妻を無理矢理外へ連れだし,雷恐怖症の妻に雷の恐怖を克服させるというとんでもない行為を行った結果,落雷で妻を失ったわけである。ギャラガーはこのギデオンの行った行為について,“あなたは妻に対しても神である自分の存在を誇示したのだ”,“あなたは神ではない”と激しく責め立てる。まさに法廷と化した病室で,ギデオン自身が裁かれているのである。このシーンは,スタートレック・ネクスト・ジェネレーションのピカード艦長と宇宙の全能な生命体「Q」との対決をも彷彿とさせる。
 そして,ギデオンが一向に目覚めようとしないのは,長年自分は妻を裏切り続けてきたこと,そしてその妻を自分のせいで失ったことを認めたくないが為に,「病」から回復するのをギデオン自らが拒否しているのだと理解したギャラガーは,さらにギデオンを厳しく責め立てる。そして妻への贖罪を背負って生きていくことを選択したギデオンは,やっと自らの意思で「病」を回復させて,現実の世界へと戻ってくるのである。
 ギデオンという人物は,自分は神の目で世の中を厳しく審判する一方で,自らの家族には神に背く不貞行為を行っていたわけだ。こういう状況は,我々人間社会ではよく目にする光景である。人間が聖人たり得ない証拠である。例えば,人権や平和を謳う文学者が実は家では自分の妻を虐待していたり,「男女共同参画」などと言いながら何故か自分の家庭内がうまくいっていなかったりする職業左翼やプロ市民活動家はよく目にする。物事や世の中を俯瞰して見るのは結構であるが,その視点があまりにも現実から浮遊しすぎてしまうと,たかが人間が神にでもなったように錯覚してしまうのであろう。ギデオンに内在する「病理」とは,まさにこれである。

 ギャラガーが掘り下げた問題は,病でいることで救われている,あるいは許されている人間の存在である。これは人間社会で生成されるあらゆるストレスからの防御反応が働いてそうさせている,という好意的な見方も出来るが,同時にいわゆる“弱者”という絶対権力をも生む。この状況下でギャラガーが行ったのは,「病者」といういわゆる“弱者”としてではなく,一個人の人間として,ギデオンを裁くことである。これは実に厳しいことであるが,制度における「病者」が,固有の人格を持った「一個人」として人間性を回復していくためには必要なことなのである。
 第3話にして,いきなり精神科領域のタブーにふれてしまったような『メンタル』の世界は次週も目が離せなくなってきた。スポンサーや各種圧力団体の目を気にして腑抜けになった日本のテレビドラマ界で,このようなドラマを作ることができる気骨のあるテレビマンはもういないだろう。

『メンタル:癒しのカルテ』
毎週火曜日 夜10:00~11:00 FOXチャンネル

■『メンタル:癒しのカルテ』 これまでのレビュー■
【海外ドラマ】 『メンタル:癒しのカルテ』#2(FOXチャンネル)
【海外ドラマ】 『メンタル:癒しのカルテ』#1(FOXチャンネル)

 

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