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Juli 2009

31. Juli 09

【訃報】 演出家・山岸達児氏,逝去(2009年7月29日,享年80歳)

 去る7月29日,わが国を代表する演出家,山岸達児氏が入院先の病院で亡くなったとのご連絡をいただいた。享年80歳。密葬は8月2日に親族のみで行われる。
 山岸氏は,『東京オリンピック』(1964年)や『大阪万博』(1971年),そして後にはマルチビジョンを駆使した『ポートピア81』などの演出を手掛けるなど,わが国の映像文化に多大なる貢献をしてきた人物の一人である。
 山岸氏の訃報についての連絡を下さったのは,昨年,山岸氏の半生と今日を追ったドキュメンタリー映画『半身反義』を撮った竹藤佳世監督。竹藤監督のお話によると,山岸氏の最後を看取ったのは,ご親族,竹藤監督,そして日本大学芸術学部の宮崎氏。皆さんが病室に集まり,山岸氏を囲んで会話をしている中で,穏やかに旅立たれたとのこと。
 昨年の試写会で竹藤監督から,山岸氏が脳梗塞の後遺症で体が不自由になりながらも,またかつてのように創作活動を続けたいという気持ちがある事を直接伺っていただけに,残念な気持ちでいっぱいである。今日いたるところで目にするようになったマルチメディアという概念の基礎を映像において築いたのは他でもない山岸達児である。彼のことを知らない世代でも,皆なんらかの形で山岸達児が遺した仕事の断片を享受しているということだ。
 本日は,そんな演出家・山岸達児の仕事ぶりを振り返るために,昨年掲載したレビューを2本,改めて再掲する。一つは,山岸達児の半生と今日を追った竹藤佳世監督の映画 『半身反義』について,そしてもう一つは,山岸達児が演出を手掛けた市川崑監督の『東京オリンピック(1964)』ディレクターズ・カット版についてのレビューである。この2本の記事を再掲し,ご冥福をお祈りしたい。

(再掲)竹藤佳世監督 『半身反義』
 竹藤佳世監督の最新作『半身反義』をTCC試写室で見る。監督の作品を見るのは2002年の『彼方此方』以来だ。
 今回の作品『半身反義』は、『東京オリンピック』(1964)、『大阪万国博』(1971)などの演出を手掛けた演出家・山岸達児へのインタビューを中心に構成されたドキュメンタリー作品である。

 山岸達児は1929年に上野で生まれ、日大芸術学部を卒業した後に毎日映画社に入り、そこで数多くの展示映像の演出を手掛けてきたパイオニア的存在である。特に、展示映像や映画の世界に「企画」という概念を持ち込んだのは当時としては非常に画期的なことであり、それが当時はただちにビジネスモデルとして成り得なかったとしても、後の映画界や、また映像表現を志すものに対して多大な影響を与えていったことは間違いないであろう。その山岸は、2003年に脳梗塞で倒れ、一命は取り留めたものの半身不随となり、現在も施設で療養中である。そこで山岸と以前から個人的に親交のあった監督の竹藤は、ほぼ寝たきりになってしまった山岸の病床へと通い続け、4年かけてこのドキュメンタリーを完成させた。

 試写の前に、監督から次のような舞台挨拶があった。
 まず、この作品を撮ろうと思った経緯について、自分が今まで生きてこれたのはいろいろな人々との出会い、支えがあったからであって、創作活動を通して出会った人々にも“縁”のようなものを感じている。自分は山岸達児の世代が作ってきた戦後、昭和の日本というものの上に立って生きてきたことは否定できないことであり、自分とは縁も所縁もなさそうな山岸の世代の人々とも、“縁”やつながりのようなものを感じている。戦後の日本を作ってきた人々への感謝の気持ちも込めて、自分は何ができるだろうかと考えた時に、今回の作品の構想が生まれたそうである。

 私は監督のこのコメントに多々共感する部分があった。特に、何かの“縁”により自分の日々の営みが続いているということや、昭和という時代へのこだわりや自分との関わりである。
 監督の竹藤のこういったコメントからも現れるように、今回の作品『半身反義』は、山岸へのインタビューを中心に昭和の断片を映像で切り取りながら、山岸が見てきた昭和と、竹藤の見聞きした昭和という時代が、まるで今まで深い地層の中に埋もれていたかのように、その巨体を持ち上げてくる。
 まず冒頭では、山岸の少年時代と思われる役の人物が、場所が明らかでない海岸を彷徨っており、やがて穴の明いたポリタンク様の漂着物を見つけ、その中を覗き込むシーンから病床の山岸へのシーンへと移行していく。冒頭の海岸のシーンはラストにも登場する重要なシーンで、人が誰もいない海岸に放置されて朽ちた家電等の廃棄物、あるいは漂着物は、まさに「高度経済成長時代」という地層の中から顔を出した匿名の堆積物に他ならない。あるいは、老いて朽ちていく、今ではかつての著名なクリエイターから一個人となった山岸達児の骨格にも見える。
 私があえて、一時代を築いてきたクリエイター、山岸達児に対して「一個人」という言葉を使ったかと言えば、それは、竹藤がこの作品の中で掲げる「老い」というもう一つのテーマを受けてのことである。

 竹藤がインタビューのために通いつめた山岸の病室は、著名人らがしばしば利用する差額ベッド代がかかるような個室ではなく、一般病棟の大部屋であった。したがって、竹藤が山岸に対して回しているカメラの中にも、当然のことながら他の患者の見舞客の声、遠方で響く医療スタッフの声なども入っている。また、おそらく竹藤や周囲の関係者から話を聞かない限り、他の入院患者や見舞客、そして医療スタッフまでも、かつて日本で「東京オリンピック」や「万国博覧会」があったことは知っていても、山岸達児がどんな人物かを知らないであろう。つまり医療スタッフからみれば、山岸が過去にどんなに偉大な功績をあげようとも、その一線を離脱してしまった後、今は医療空間にいるのだから、「一患者」として均一化されてしまうのは当然である。もちろんこれは、「生・老・病・死」という宿命を等分に持って生まれてきた我々にもいつか必ず訪れることではあるのだが、山岸のようにかつて栄華を極め、市井の市民とは異なった華やかな人生を送ってきたように見える人間であればあるほど、一人になって「老い」を迎えた時の落差は、あまりにも大きい。
 竹藤もそのようなことを感じてなのか、映像の中では病床の山岸との対話と並行して、山岸に所縁のある人物を訪ね歩くフィールドワークの様子も出てくる。ここで竹藤が訪れたのは、毎日映画時代の同僚や大学関係者、『東京オリンピック』や『万国博覧会』の制作に一緒に関わった当時のスタッフなどである。そして彼らの話の断片から山岸達児像を構築していく。ここで興味深かったのは、山岸を語る人々よりも、むしろ山岸が現役時代に残した膨大な資料の数々である。その資料を竹藤自ら倉庫から出すシーンがあるが、軽く1000は超えるであろう蔵書、自著、台本、コンテ等の数々は、竹藤が「1人の人間の(もちろん山岸のことを言っている)のキャパシティーを超えている」と感嘆の声を上げたように、それは圧倒的な質量である。
 また、竹藤のフィールドワークはこれに留まらず、山岸が1964年、つまり「東京オリンピック」の年から住まいにしていた松原団地の部屋なども訪れている。かつての空間はほぼ空き部屋状態となっているが、それでも、膨大な資料や蔵書で底が抜けかけていた床や、部屋の随所に残る生活臭のあるシミなどは、その時代から生きてきた山岸の痕跡などがはっきりとうかがえる。そしてもうひとつ重要なのは、この団地に今も住んでいる壮年の夫婦が登場することである。彼らはいわば市井の市民として山岸と関わってきた人々であり、したがって、クリエイターとしての山岸のことはよく知らなくても、そのかわりに山岸の日常と等身大でつきあってきたような人々である。言いかえれば、このような名も無き人々も山岸とともに戦後の昭和を作ってきた人々ともいえる。冒頭で監督がコメントした一連のメッセージは、このようなところからも良く伝わってくるのだ。

 それにしても、山岸の一番の代表作といえる『東京オリンピック』が、人類の肉体の究極的表現の場であり、それに相応しいアスリートの姿をフィルムに焼き付けた山岸の肉体は今、「老い」と「病」で自由を失い、さらにそれは、「人類の調和と進歩」というテーマを掲げた『万国博覧会』からすでに30年以上経過した現在でも、その「老い」と「病」から救われることはない科学の限界を見せつけられる思いである。
 1981年の『ポートピア81』でマルチビジョンのブースを手掛けた山岸は、来るべき情報化社会とそれに象徴されるマルチメディアの台頭をすでに予見していた。その14年後に、その人工の埋め立て地が阪神淡路大震災で液状化現象を起こす。美しく舗装されたフィールドの下からは、まるで内臓のように、あるいは地層の堆積物のように泥や液体が染み出し、かつての未来都市が脆くも崩壊していった。
 山岸の一連の仕事を時系列で見ていくと、この未来都市の足元に露出したものは、今まで地下に封印されていた昭和の身体の一部そのものではないかと思えてくる。映像でもそれを感じさせるように、山岸のインタビューとともに、「東京オリンピック」、「マンモス団地」、「新幹線」、「万博」、「高層ビル」、「モノレール」といった昭和の象徴が次々と挿入され、その映像の彼方に、これらのものを作ってきた名も無き昭和の人々の姿が群像になって浮かんでくる。それに対し我々は、何事もなかったように「平成」を迎え、そこで“失われた10年”に行き詰まるのだが、私はむしろ、山岸達児のように戦後の昭和を作ってきた人々の姿を胸に刻みながら、“失われなかった10年”の中に、「昭和」との“縁”を求めてみたい、と思える作品であった。(2008年4月19日)

(再掲)市川崑監督『東京オリンピック(1964)』ディレクターズ・カット版
 折しも、長野で北京五輪の聖火リレーが行われるこの日に、少々へそ曲がりの私はあえて、市川崑監督の『東京オリンピック(1964)』ディレクターズ・カット版をDVDで見る。
 この作品を見ようと思ったきっかけは、先日、試写で演出家・山岸達児の半生を追った竹藤佳世監督の『半身反義』(7月5日より、シネマ・ロサにて公開)を見たことがもともとの発端である。すでに先日の最新レビューでも内容にもふれたが、山岸達児は「東京五輪」(1964)や「大阪万博」(1970)、「神戸ポートピア博」(1981)などの演出を手掛けた草分け的存在で、特に博覧会や企業展などの映像展示、つまり今日的にいうと、マルチメディアや映像インスタレーションの分野で、斬新な仕事を次々に手掛けてきた人物である。
 実際に、『半身反義』の本編中にも、市川崑が撮影した『東京オリンピック(1964)』の映像が随所に挿入されている。そこで、2016年に再び五輪を迎える(かもしれない)に当たり、改めて『東京オリンピック(1964)』を見てみようと思ったわけである。

 『東京オリンピック(1964)』は、単なるスポーツ記録映画ではない。監督の市川があえて後からディレクターズ・カット版をDVDに焼き直したことも考えると、これは、「国民体育」としての象徴の昭和のスポーツ──即ち、力道山、読売巨人軍、大相撲などをポピュリズムの頂点として──の集大成と、日本の復興と来るべき産業大国・ニッポンへの夜明けを明示した映画であると言ってよい。その意味でも1964年という年は、新幹線やモノレールが開通し、また、当時日本人向けの住宅としては初めて「LDK」という概念を取り入れたマンモス団地も登場したという象徴的な年なのである。

 まずイントロで、朝焼けを背景に、やや半円の昇りかけた太陽が映り、次のカットでそのイメージは解体工事用の鉄球に引き継がれる。この鉄球を見た時に、年代によって何を想像するかは様々であろうと思う。この場面では、古い建物を破壊する様が映し出され、そこで戦後の焼け野原から復興していく日本の姿を演出していることがすぐに理解できる。そして、タイトル・カットインの後、日本へ聖火が到着して、各地を縦断していく聖火リレーパートへと向かう。
 『東京オリンピック(1964)』は、男子マラソンの円谷、女子バレーの東洋の魔女、体操ニッポンなど、競技パートでも見どころが盛りだくさんであるが、一番印象に残ったのは、実は聖火リレーなのである。
 この聖火リレーは静かなナレーションとともに、日本の名所を通過し、最後は“聖地”国立競技場の聖火台へと向かう。この中で非常に興味深かったのが、聖火ランナーが日本の名所だけではなく、古い木造の民家の路地を駆け抜けるシーンである。そこには、「式典」といった厳かな雰囲気とは対極をなす、日常の普段着の日本人の姿があった。つまり、このような市井の市民もフィルムに焼きこむことで、日本という国が、戦後、底辺からも確実に復興していく姿を表現しているのだ。
 そして、この聖火リレーでもっとも印象的だったのは、被爆地ヒロシマを背景にして駆け抜ける聖火ランナーの姿である。ヒロシマの原爆ドームに到着した聖火は、ランナーとともにドームの広場から直線通路を駆け抜けるが、この時にはドーム前の広場だけではなく沿道にも数千、あるいは数万人の群衆がいて、時折、小さな日の丸や五輪旗もはためいている。その代わりに視界を遮る政治的横断幕は一切ない。しかも聖火ランナーと沿道の群衆は至近距離であるのだが、コースを誘導する警備人員以外は、ランナーをガードするような警備は行っていない。聖火リレーを見るために集まった人々も、適度に遠慮がちな距離を保ちながら、聖火ランナーに近づくといった程度で、外国人観光客も含めて皆とても楽しそうである。聖火に集まる群衆の表情も含めて撮影されたこのような演出には、あえて政治的メッセージなど必要ないということか。
 このようなシーンを原爆ドームを背景にして俯瞰で撮影していて、群衆の中を割って入る聖火ランナーが、画面下方へと駆け抜けていくシーンが実に壮観である。手に持った聖火の燃え具合も良く、ほど良い白煙をたなびかせている。その白煙が聖火ランナーの軌跡を描いていくのも実に美しい。こんな素晴らしい映像を見てしまうと、本日長野で行われた北京五輪の聖火リレーの滑稽さがより際立つ。こちらの方はというと、沿道で起こっている流血の騒乱も画面から意図的にフレームアウトさせているばかりか、メディア総出で白々しい虚構の友好ムードを演出していて、まるで茶番劇にしか見えないのである。画面からトリミング処理でデリートされた日本人やチベット人たちも、それぞれ言いたいことはたくさんあっただろう。これは民主主義のジャーナリズムのやることではない。

 五輪が商業的スポーツイベントとなり、それによって優れたアスリートの育成のために運動生理学などが発展したのは喜ばしいことではあるが、同時に五輪ビジネスモデルの構築による企業スポンサーのグローバル的展開が、本来はアスリートと市民のためにあったはずの五輪を、どこか遠くへ持って行ってしまたようにこの頃は感じるのである。

 一方、東京五輪の聖火はやがて国立競技場へと向かう。近年ではサッカー日本代表の聖地となっているこの場所が、長い祭壇状に設けられた聖火台と並んで、あんなにも奥行きのある空間であったのかとあらためて気が付かされる。それはおそらく、東京五輪の点火式、および開会式が夜ではなく日中の開催であったこと。これによって、普段はサッカーの試合で夜の風景の方が見慣れている空間のディテイルが、日中の方がよく見えること、そして、会場に入った各国の群衆の顔やしぐさを一人一人克明にフレームに収めていることが、空間の奥行きを生んでいる。また意外にも観客席が急勾配なのも確認できた。これも山岸の演出の妙なのか、ランナーが一段一段駆け上がりながら聖火台へと向かうシーンは、ロス五輪以降、過剰で奇をてらった演出が主流となった点火式を見慣れているせいなのか、非常に臨場感あふれるものとなっている。つまり、クライマックスに向けての“タメ”が十二分にあるのである。
 そして聖火が点火されると昭和天皇の開会宣言があり、そのあと鳩が空へと放たれる。柔らかい日差しの中で会場では日の丸や五輪旗に加えて、各国の万国旗が一斉に振られている。この万国旗の中には当時もそして現在も、わが国との関係があまりよくない国々もあるのだが、この世界との一瞬の一体感が、当時の日本人たちの万感の思いを表しているようでならない。
 来るべき2016年、聖火が再びこの地へやってくることを願う。(2008年4月26日)
 

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30. Juli 09

【海外ドラマ】 『メンタル:癒しのカルテ』 #2「美しき妄想」(FOXチャンネル)

 毎週火曜日の夜10:00~11:00にFOXで放送中の精神科医療の現場を描いた海外ドラマ『メンタル:癒しのカルテ』の第2話に登場する患者は,感応性妄想性障害から想像妊娠になったメリッサと,その夫のリチャード。
 彼らの治療にあたるDr.ギャラガーは優れた精神科の臨床医だが,その型破りな診療方法で同僚の医療スタッフを困惑させてしまう。しかしギャラガーの精神科医療における理念は,「常に患者側に立脚する」ということで一貫している。その姿勢や意志の強さは説得力があり,最初は懐疑的であった他の医療フタッフも次第にギャラガーの治療方針に理解を示すようになるのである。

 「常に患者側に立脚する」という理念は,精神科医療に関わらず,どんな臨床学の教科書にも当たり前のように必ず出てくるが,実際の医療現場では,言葉は存在すれどもその実は形骸化してしまっていると言っていい状況である。この理念を今もっとも実践的に行っていると見えるのは,介護福祉現場に従事する介護士やヘルパーではないだろうか。彼らは,医師や看護師のような医療従事者ではないので患者や利用者に対して治療や投薬はできないが,その他の生活全般をサポートしている。その中でも近年福祉教育現場でも特に力を入れているのは「傾聴」である。
 この「傾聴」というのは,介護者が患者の話に対して耳を傾けることである。その患者の話は何も診断の判断になるような病状のことだとは限らない。天気の話かもしれないし,昨日のプロ野球の結果の話かもしれない。また介護者との会話が成り立つような内容のものではなく,ひたすら家族に対する愚痴をしゃべり続けるかもしれない。それでも,その話を遮ることはしないで,患者や利用者の話に耳を傾けるのが「傾聴」である。
 人間は誰でも自分の話を他人に聞いてもらいたいもので,人の話を聞くよりも,自分の事を話したがる人間も多々いるわけである。しかも,世の中がこれだけ殺伐として,自分の弱みも迂闊に他人に見せられないような状況では,自分の話を親身になって聞いてくれる人間を探すのも大変なのである。こんな状況で病を患った人々は,なおさらに社会から孤立していくのである。

 今や,介護現場に取って変わられた「傾聴」であるが,もともとは内科臨床で大切とされたムントテラピーの精神の源流はここにあるのである。患者のどんな些細な会話の中からでも,診断の材料となることを掘り起こす基本的な作業であり,聖路加の日野原重明氏が「生活習慣病」というものを提唱してからは,個々の患者の生活スタイルをサーベイするという観点から改めて見直されるようになってきた。これが精神科領域の診断であれば,患者の心の闇を探るのには絶対に必要不可欠な行為なのである。
 Dr.ギャラガーの診断術,治療方針も,この「傾聴」に立脚している。しかも彼の場合は「心」だけではなく,さらに,身体的領域にも一歩も二歩も踏み込んでいることが斬新なのである。例えばこの第2話では,朝のカンファレンスの代わりに医療スタッフ全員を外の芝生の庭に呼び出し,患者と一緒に運動会をさせたのである。最初はギャラガーの命令で仕方なく参加していた医療スタッフも,だんだんと雰囲気に溶け込んで,最後には楽しそうな良い笑顔を見せていた(ここの一連のシークエンスの演出部分は見事だ)。ギャラガー曰く,患者と一緒に真剣に体を動かす事で,患者から信頼を勝ち取るのだという。
 運動会という空間では,「医師」-「患者」という関係性は無くなり,皆それぞれが「一個人」という立場で並列化されてコミュニティが形成されてく。ここで初めて,「医師」-「患者」間にあった硬直化,固定化された関係性が解消されていくのである。その彼らが実際に芝生の庭で興じていたのは医師と患者が組みになった二人三脚の競走である。二人三脚というモティーフは,ここでは医師+患者の共同作業を象徴しているが,そればかりではなく,この第2話の伏線にもなっている。
 前回のレビューでも触れたが,ギャラガーがウォートン記念病院で試みている数々のことは,かつてパリ郊外のラボルド病院で精神分析学者のフェリックス・ガタリが挑んだことでもある。その創立者のジャン・ウリも,精神病患者たちの余暇の時間に音楽やダンスなどの即興芸術を取り入れ,患者の「心」と「体」の赴くままに自由にそれを楽しませることで,身体性の回復と精神の解放を試みたのである。

 今回の患者メリッサは,自分は妊娠していると7ヵ月もの間思い込んでいる感応性妄想性障害の患者である。彼女は一人で外出中に容態が急変し,Dr.ギャラガーのいるウォートン記念病院に急患で運ばれてくる。ウォートン記念病院は内科,外科,産婦人科に加え,ギャラガーが部長を務める精神科も併設されている総合病院である。メリッサは,外見上はまったく妊婦とは変わらないので初診では産科の医師が診察をした。しかし子宮内に胎児がいる形跡はまったく見られなかったので想像妊娠を疑ってギャラガーのもとへ回されたわけである。
 メリッサの肉体はまさに,その空想上の胎児を育てるために暴走を始めた模様で,妊娠を判定する様々な生化学検査でも陽性反応を示し,しかもその下腹部は本物の妊婦のように膨張している。その膨満化された下腹部に膀胱も圧迫されて,まるで破水した妊婦のように大量の尿を勢いよく放出してしまうほどだ。だが肝心の胎児の姿はどこにも見当たらないのである。
 胎児が存在しない空の子宮が,空洞のまま肥大化しているという状況はやはり異様な光景だが,メリッサをこのような状況にしてしまった病因は夫のリチャードにある。リチャードは離婚経験のある産科医で,実はメリッサのことを自ら診察していたのである。リチャードは前妻との間に子供が恵まれず,それが原因で離婚をした過去があり,2人の子供を求める気持ちが強すぎるあまり,次第にメリッサが妊娠しているという妄想に取り付かれるようになってしまったのである。産科医のリチャードを信頼していたメリッサも,そのリチャードの言動で,自分が妊娠していると思い込むようになったのだ。つまりリチャード自身が「二人組精神病」という複雑で厄介な精神病を患っていたのである。
 「二人組精神病」とは,共通する妄想概念を持った人間同士が,その妄想を共鳴し合い,肥大化させていく病である。メリッサとリチャードに共通して存在する妄想はメリッサが妊娠しているということであり,メリッサはたまたま産科医の夫を持ってしまったばかりに他の医師の正しい診察を受ける機会がなく,リチャードによって形成された妄想概念の中に長らく監禁されていたというような状況だ。
 この2人の妄想概念によって閉じられた空間でギャラガーがどんな治療を施したのかというと,まさに“外科的”治療なのである。患者の話すことを全て肯定して聞き入れる「傾聴」という行為を外科的にアプローチしたならばこのようになったのである。
 まずギャラガーは,ウォートン記念病院の中にいる麻酔医,産科医,MEらを招集した。これはリチャードに対して,彼の診断に従いメリッサに“帝王切開”を施すという行為を示威するためである。だからこれはあくまでも示威行為であって,実際にメリッサの身体にメスを入れる事が目的ではない。そして手術室に夫のリチャードを呼び,彼自らにメスを握らせ,妻であるメリッサの腹部を切開するように命令するのである。この行為は,情緒不安定な精神病患者に鋭利な刃物を持たせることでもあり,非常にリスクをともなう。したがって,ギャラガー以下医療チームは不測の事態にも備えていたのであろう。
 リチャードは,仮想の胎児の生育によって膨満化したメリッサの腹部にメスを入れようと彼女の前に立つが,なかなかそれができない。そして今まで自分が作ってきた妄想がフラッシュバックしていき,その妄想空間の中で胎児の姿が消滅した瞬間に,ようやく現実の世界と向き合おうとするのである。
 ギャラガーが今回2人に施した治療とは,2人の共同作業によって作られた閉じた妄想空間を切開することであり,その切開口から,あたかも胎児を取り上げるかのごとく,リチャードとメリッサを救いあげたのである。
 今回も斬新すぎるギャラガーの治療法には驚かされたが,精神科医療領域において,ウリやガタリの言うようなことを実際にやるには,これぐらいのダイナミズムがないと,精神科医療における「制度」そのものが変わることはないであろう。

『メンタル:癒しのカルテ』
毎週火曜日 夜10:00~11:00 FOXチャンネル

■『メンタル:癒しのカルテ』 これまでのレビュー■
【海外ドラマ】 『メンタル:癒しのカルテ』#1(FOXチャンネル)

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26. Juli 09

【アーカイヴ】 古舘伊知郎 『トーキングブルースVol.12~お経~』(1999年12月31日,浄土宗禅林寺・京都)

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 古舘伊知郎が『トーキングブルース』の舞台から去って,もう5,6年は経つであろか。
 現在,夜の報道バラエティーで番組キャスターを務める古舘伊知郎は,かつて『トーキングブルース』という非常に実験的で面白いトークライブの舞台に毎年挑んでいた。トークライブといっても,ただ和やかな客席を前にして,テレビのタレントのように台本に沿って適当に言葉を垂れ流していればいいというような気楽なものではない。あるいは,しばしば現代詩の詩人たちがポエトリー・リーディングと称して詩檀の仲間うちの人間だけを集めて行う“発表会”のような生温いものとも異なる。一つのテーマ,今日的な問題提起に沿って,不特定多数の客の前で2時間近くも喋りっ放しの即興トークで作られていくのが『トーキングブルース』の世界である。
 舞台には当然のことながら古舘伊知郎一人しかいない。その彼がプロレス実況のようにマイクを持って,2時間近く喋り続けるのである。ここで展開される世界とは果てしない言葉の実験であり,また壮大な批評空間でもあり,2時間近くの舞台を即興のトークだけであれだけ奥行のある身体的な空間を作りあげることができるのは,今のことろこの人だけであろう。
 その『トーキングブルース』シリーズの中で,私が最も秀逸にして完成度が高いと思ったのは,1999年12月31日の夜,即ちミレニアムにまたがるかたちで京都の浄土宗西山禅林寺派総本山,永観堂の禅林寺で行われた『トーキングブルースVol.12~お経~』である。タイトルを見ても分かるとおり,これは仏教思想をテーマとしたものである。仏教思想の中にある「生老病苦」などの考えに焦点を当て,ミレニアムを迎えて何故だか知らないが享楽的になっている世の中や,その世の中のトレンドに1人取り残されてしまった人々(例えば歴史的なミレニアムを迎える大晦日に,恋人も家族もおらず,一人寂しく過ごす人など)に向かって,もっと苦しめ,もっと悩め,そして世の中やメディアに騙されるな! というメッセージを送ったものである。
 仏教思想の「生老病死」とは,全ての人間が先天的に持って生まれた四つの苦,つまり「生まれること(生きること)」「老いること」「病気になること」「死ぬ事」について説いたものである。これにさらに「愛別離苦(あいべつりく)」「怨憎会苦(おんぞうえく)」 「求不得苦(ぐふとくく)」 「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」を加えると「四苦八苦」ということになる。つまり釈迦は,こんなにたくさんの「苦」に囲まれていれば,生きるのが辛くて当然であるというような事を言っているのだ。そしてその「苦」はすべて自分の身から生成されているものであり,古舘伊知郎自身も「勝ち組」「負け組」という今でいう「格差」が生まれた背景を,安易に世の中のせいにするのではなく,“全部お前らの問題なんだから,お前ら自身の問題として考えろよ”,“そして,お前ら自身で苦しめ,悩め”と正論を述べている。

 この公演が行われた1999年という年は,バブル崩壊後の混沌とした時代であり,いわゆる「失われた10年」といわれる。それをリセットするかのごとく,後に小泉純一郎が台頭して,新自由主義が幕を明ける。1999年とはちょうどその谷間のような空間に存在しているのだが,いわゆる「合コン」と称される飲み会でも,男性の花形職業として依然として人気が高かったのが広告代理店の社員やテレビ業界の人間である。さすがに「空間プロデューサー」を筆頭とするカタカナ職業が胡散臭いことには大方の人々は気がついてはいたが,広告やテレビ業界に限って言えば,今もってステイタスとされた世の中であったのである。
 「勝ち組」「負け組」という言葉がわが国にも台頭してくるのもだいだいこの時代である。私の在欧中の記憶の中では,もともとは北米のファンドマネージャーやアントレプレナーたちが,Barなどで得意げに米語のスラングとしてこのような言葉をよく使っているのを耳にしていた。それはかつて80年代にベストセラーとなった渡辺和博による「金持ち/貧乏」のカテゴリー分け本の元祖『金魂巻』のようなユーモアを持って受け入れることができるものではなかった。その中で,自分は「負け組」の方に行きかけていると思っている多くの人間に対して,“もっと悩め”,“もっと苦しめ”,そして“それを受け入れろ”と言っているのが『トーキングブルースVol.12~お経~』の舞台である。
 ここで古舘伊知郎は,“「生老病死」の思想を受け入れたら,お前たち,もう何も怖くないんだぜ”と言っているのである。そして世の中で右往左往する人間たちを何かとカテゴリー付けして商売を企んでいる広告代理店なんかに騙されるなよということも言っているのである。
 具体的には,クリスマスイブに料金の高いホテルを予約して,そこで恋人同士が過ごすというフレームをひとつの象徴として,とにかく若いうちは常に誰かと恋愛していなければならないという,ある種の恋愛市場主義経済というか,恋愛強迫神経症を煽り,金儲けを企んでいる輩がいるから気をつけろ。そんな輩の思惑に乗るなよ,というメッセージを送っている。実際のトークでは,実在の企業名も名指しで吊るしあげられているので,さすがにテレビではなかなか放送できる内容ではない。
 この舞台がどれだけすごいものであったのかというと,先日BS2のアーカイヴで放送された『詩のボクシング ねじめ正一VS谷川俊太郎』の遥か上を行くものとでも言えば分かるであろうか。『詩のボクシング』も言葉による実験的空間としてはそれなりに面白かったが,それは私小説という限定された空間とルールの中での微量な差異を破壊していく行為が現代詩としては少々面白かったのであって,その言葉の破壊力は古舘伊知郎の方が格段に上だと思ったのである。

 翻って,かつてこんなすごい舞台を踏んでいた古舘伊知郎の現在はどうであろうかと思って,普段は滅多に見ない日本の民放の番組を見てみた。
 私は余程の事がない限り,公共放送やニュースも含めて日本のテレビを見る習慣は今ではすっかり無くなったが,書斎のアーカイヴを整理している時にたまたまCS放送から録画した『トーキングブルース』のビデオを10年振りに見つけたことを契機に,現在の古舘伊知郎がキャスターをしているという『報道ステーション』なる番組を見て,その変わりぶりに言葉も出なかったのである。
 辛気臭い顔をしてぼそぼそと暗いニュースを読み上げる古舘伊知郎は,少なくても私が知っているかつての古舘伊知郎の姿ではない。トークの魔術師ともあろうものが,子供でも思いつくような与党閣僚に対する憎まれ口をきいたところで,そんなものは面白くも何ともない。メディアという看板をしょって発せられた言葉は残念ながらもはや権力の一角をなす言葉にすぎず,そこからはブルースという思想は生まれでてこない。
 しかもテレビという狭い箱の中に閉じ込められて手足をトリミングされ,まるで証明写真のようにフレームに収まっている古舘伊知郎の姿は,かつて京都の禅林寺で「生老病死」の思想をその独特のトークで説いた時の姿とはあまりにも違いすぎた。古舘伊知郎という一個人が伝わってこないのである

 しばしば,深夜に放送されて密かな愛好者を増やしつつあった番組が,ゴールデンタイムに進出したとたんにつまらなくなったり,ライブハウスで注目されていたお笑い芸人が,テレビのお笑い番組に出たとたんに面白くなくなることがある。これは放送作家やディレクターがテレビの視聴者をまったく信用をしていないか,あるいは,自分たちの方が能力の高い人間であると錯覚するあまり起こっていしまう特異な現象なのではないかと私は考える。古舘伊知郎がニュースを読み上げてコメントを入れる時に,例えば「格差社会」の問題などで『トーキングブルース』の時と同じような調子で,“「格差」はお前たち自身の問題だから,まずお前たち自身で考えろよ”“もっとお前たち自身で悩め,苦しめ”“生きていること自体が辛いことなんだから”などと言ったら,ここのところ神経が衰弱しきっている日本人にはきっと耐えられないと思っているのであろう。そこで,視聴者代表という曖昧な一人称にて,“政府の政策が悪い”“世の中は冷たい”と言わせることしかできないのであろう。
 しかし,古舘伊知郎という異才の語り部を知る者たちは,こんな暗い顔をして草食動物の檻に閉じ込められているような古舘伊知郎ではなく,ブルースの舞台に立つ言葉の格闘家として古舘伊知郎をそろそろ見たいのではないか。古舘伊知郎という異才が枯渇する前に,再び『トーキングブルース』という“戦いの大海原”へと戻ってきてくれることを願っている。私も含めてこの広大な実験的批評空間で,言葉の洪水に溺れるという快楽を一度でも味わった経験があるものにとっては,久しく飢餓状態が続いているのである。

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22. Juli 09

【海外ドラマ】 『メンタル:癒しのカルテ』#1「旋風を巻き起こす新任部長」(FOXチャンネル)

 海外ドラマチャンネルFOXで,精神医療の現場を描いた医療ドラマ『メンタル:癒しのカルテ』の放送が始まった。
 現在FOXで放送中の医療ドラマでは,破天荒な天才的臨床医を描いた『Dr.House』が人気であるが,『メンタル:癒しのカルテ』に登場するDr.ギャラガーは,理知的で少し嫌みの利いたDr.ハウスとは正反対の,行動的にして表に情感があふれる人柄である。しかし情感あふれるといっても日本の医療ドラマに顕著に見られるステレオタイプのいわゆる“熱血漢”の医師たちとは少々異なる。
 Dr.ギャラガーはたしかに行動的な医師だが,それはすべて精神医療における臨床学に基づく行動であり,患者の人生に深く静かに接する事でギャラガー自身のクリエイティヴな一面も引き出されていくのである。この部分の脚本の組み立ては実に丁寧である。ただ単に熱く拳を振り上げて,医療の理想を語る医師ばかりが“患者思いの医師”として多く描かれる日本の医療ドラマとは異なるところだ。
 
 放送第1回のエピソードは,ギャラガーが精神科部長として鳴り物入りでロスの総合病院に派遣されてくるところから始まる。そして診療初日からその常識を覆すような行動で現場は閉口してしまうのである。例えば彼は,裸で騒ぎ回る統合失調症患者と対面する際に,それを制止するどころか自分も患者の前で服を脱ぎ,裸になって一緒に騒ぎ回るのである。また,絵画療法をいやいやながらやらされている患者の部屋を覗き,それを辞めさせて庭に出してしまう。そして音楽がかかると患者たちが楽しそうに踊り出し,それを見た絵画療法の臨床心理士は怒り出してしまうといった具合である。
 またギャラガーは,診療において自分流を押し出すばかりではなく,病院内の制度改革にも注文を付ける。その一つが医師が集まるカンファレンスに患者も参加させろというものである。
 ギャラガーのこういった一連の行為は,ドラマ仕立てで演出された滅茶苦茶なものにも見えるが,実はこれは,かつてフランスのラボルド病院にいた精神分析学者フェリックス・ガタリが精神医療の制度改革で長い間試みてきたような事なのである。ガタリが求めたのは制度の中で「医師」-「患者」という硬直した関係を見直し,そこの空間にいるすべての人間が何らかの役割のある共同体の住人としてコラボレーションしていく関係を作ろうとしたわけである。
 例えば院内で開かれる文化祭のようなものは,医師も医師としてではなくスタッフとして参加するのだ。その中で絵心がある医師がもしいれば,患者と一緒に絵画展を開催するかもしれないし,あるいは文化祭の告知ポスターを医師自らが作成するかもしれない。そしてそれらは誰からか強制されて役割を与えられるものではなく,自分がやりたいと思うことを自主的にやるということである。
 ギャラガーの患者に対するアプローチを見ていると,非常にガタリ的な部分を感じるのはこのためである。

 ギャラガーにとっての第1番目の患者は,統合失調症の画家だ。この患者は症状を薬である程度抑制しながら施設に入所させられていた。しかし何度も脱走を繰り返すのでギャラガーの元に送られてきたのである。彼には兄弟がいるのだが,かつて弟を工具を振り回しながら追いかけたという前例があるので,家族の身に危険が及ぶことを警戒してか,どの兄弟も彼との同居を拒んでいる。
 施設の中でのこの患者の暮らしぶりは,軽作業に従事しながら,以前は創作活動も盛んに行っていた様子である。しかし最近はまったく作品が描けなくなってしまったことをギャラガーに打ち明ける。ギャラガーは,なぜこの画家が作品を描けなくなってしまったのかを探るため,カウンセリングを繰り返すのである。
 このカウンセリングでギャラガーが導き出した答えは,投薬をいったん中止することであった。統合失調症の抑制をしている薬を一時的にも切るということは多大なリスクを伴い,当然のことながら同僚の医療スタッフからも反対されるが,ギャラガーが独断でそれを行うのである。
 そして,患者の画家は,施設に入所して暮らすうちに,作品を描く気力がなくなってしまったことを打ち明けるのである。施設でおとなしく暮らしたり,あるいは黙って軽作業に従事することで,家族の気持ちを満足させようと考えているうちに,画家である自分の存在が無くなってしまったのである。制度の中で管理された空間で,病状は改善されたように見えるが,画家としての彼は,文字通り病んでいたのである。
 内科学の臨床では,「病」が癒えたということは,いかに定義されるのかでしばしば議論になる。例えば癌患者に対して積極的な治療を行い,癌は排除できたが大きな副作用や治療による後遺症が残ってしまい,以前のような社会生活が困難となってしまった場合,またあるいは,芸術家,役者,スポーツ選手といった特殊な技能と運動能力を必要とする職業の者が,以前と同じような活動ができなくなってしまった場合,果たして「病」は完全に癒えたと言えるのか,という問題が必ず浮上してくるのである。ゆえに現在の臨床では,インフォームド・コンセントによって,患者自らが治療方針を選択できるようになっているのである。
 だからこのような場合,例えば,体にダメージを与えてまで抗癌剤治療をやるよりも,緩和ケアによって癌と共存しながら予後のQOLを高めるという選択の可能性もある。
 ギャラガーが画家である患者に与えた選択肢はまさにこれで,家族や地域社会の理解を得ながら,この画家のQOLを高めていくことなのである。そして画家にとってのQOLは何かと言えば,芸術というものに生き甲斐を感じて,活き活きと創作活動に励むことなのである。

 わが国でも,「障害者自立支援法」が制定されてから,ギャラガーが体験したような事例がたくさん見受けられるようになってきた。と同時に,地域の中で特に精神疾患を抱えた患者が自律していくことの困難さも浮き彫りになっている。全米で『メンタル:癒しのカルテ』のこのエピソードが放送されるや否や,いろいろと議論が巻き起こったのも,精神医療を取り巻く現場の困難さは,欧米社会でもわが国でも同じということなのである。

 『メンタル:癒しのカルテ』は,全13話で構成された1話完結のドラマである。毎回ギャラガーのもとには,様々な背景を持った患者たちが訪れる。それを彼は,これまでの精神医療のセオリーではちょっとあり得ないような方法も駆使して,患者の心の闇へと降りていくところがたいへんに興味深い作品である。

『メンタル:癒しのカルテ』
毎週火曜日 夜10:00~11:00 FOXチャンネル

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20. Juli 09

【プレス試写会】 脱出ゲームTHE MOVIE 『大脱出!』(渋谷UPLINK X)

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 現在モバイルサイトで話題になっている脱出ゲーム「脱出ゲーム@ガットメール」からスピンオフ企画で生まれた11本のショート・ムービーからなるオムニバス映画である。
 上映時間各10分のこの作品は,主に自主映画やコンペなどで実績を重ねてきた若手監督たちが,スピンオフの発端となった脱出ゲームの中の密室という空間を,独自のフォーマットと映像表現で描いている。
 ここに表された密室とは実に様々で,学校,幼稚園,ライブハウス,Barといった具体的空間から,霊界の想念に閉じ込められた人物,面接試験会場に通う人物,事件現場から脱出できない人物,追いかられる人物といった具合に,空間の展開は変化するものの,登場人物たちが状況的に拉致監禁されているような密室空間まで登場する。短編作品として10分というほど良い尺の中で繰り広げられる世界は,そこに一応の起承転結は存在するが,例えば,タモリがストーリーテラーを務める『世にも奇妙な物語』と同様に,実際には完結しない不条理劇という内容となっている。
 密室空間というと,我々が普通に想起するのは,事件性の高い非日常的な状況であろう。しかしこのオムニバス・ムービーを見る限り,その空間といい状況といい,特に取り立てて特異な状況ではなく,我々が普段生活している日常空間でも十分に起こり得る状況である。例えば就職の面接会場が舞台の河村康平監督の『ROOKIE YEAR』や都会のコーポが舞台の新垣一平監督の『たぶん悪魔が夜来る』などは,まさに現代に暮らす我々が,毎日特に変化もなく,しかも特にクリエイティヴでもない凡庸な日々を送っている中で,その空間のわずかな歪みに落ちた時に体験するような悪夢であろう。
 また短編の不条理劇でやはり面白いのは,そこに登場する人物や場所や物の匿名性にある。まず10分という尺の中で登場人物たちの複雑な複線を張る必要はない。この空間を舞台に例えればその構造が明快になるが,唐突に画面に現れる人物たちはタモリと同様のストーリーテラーなのである。このストーリーテラーの案内によって彼らが体験した不思議な空間を我々は追体験するのである。したがって,場所も名前もたぶんこの世界のどこかにマジョリティーとして存在する不特定多数のものであり,そこにブラックホールのように存在するその密室は,匿名としてのその広い間口から,最終的には我々個々の様々な時代・履歴・背景へと繋がっていくのである。
 連続少女誘拐事件を題材にした吉田雄一郎監督の『NO MERCY』という作品では,想像するに,北関東近辺の寂れた地方都市の新興住宅地を相対化するような空間で物語が展開されていく。日中でも人を滅多に見かけることはなさそうなこの場所は,事件が起きたとしてもそれを外に知らしめる手段もないので,高台から眼下に広がる風景も含めて,ここの場所は十分に密室と言えるのである。伊藤裕満監督の『Honey Moon』は,事件現場から逃避しようとする者たちの話だが,この場所もまた,吉田雄一郎監督の作品で描かれていたような,その場所が特定できないような匿名性のある町である。こういった空間で展開されていく物語は,そこの場所を特定できるランドマークをまったく登場させないことで,見ているものを不安にさせるのである。この感覚は,例えばNHKアーカイブや60年代,70年代のテレビドラマ,特撮ヒーロー番組などで映る過去の風景の映像を見て,ノスタルジーを感じつつも,今は変わってしまった風景やそこで暮らしていた人々の情念うずまく世界に不安をかられるのと同様である。
 ここまでふれた作品は,空間や状況で密室というものを描いてきたが,最後に上映された金子雅和監督の『こなごな』は,これとは少し異なった面白い方法で密室的状況を描いていた。
 『こなごな』は,2人の男女が目の前で顔を合わせながらも携帯電話だけで会話をするという特異なコミュニケーションをとる。画面には実際の男女の会話ではなく,携帯メールで送信されたテキストのみがセリフとして羅列されていく。この状況の中で,人間がその身体性の発露である「肉声」を持って目の前の人間と有機的かつ,様々なノイズが入ったアナログ的な関係を持つという原初的な行為まで否定しているのである。
 昨今,子供時代から兄弟ごとに個室を与えられることがスタンダードになったのを一つの象徴として,このような他者との関わりを拒絶するかのごとく,自分と部外者の境界が明確な空間を公的空間でも無意識に求めるような状況が見て取れるようになってきた。電車の中で,まるで自分の部屋にいる時と同じように堂々と化粧をする女性,同じく通勤電車の座席で菓子や弁当を食べる中高生,日中から車内で吊革につかまったまま焼酎を飲む作業服の労働者,そして友人たちと食事中も目の前にいる友人を無視して携帯電話で他の友人と会話をする人間など,こういった人々の公共空間における特異な行動の病理は,過剰なストレスから身を守る自衛手段として極端に内面に自閉した結果生まれてきたものであるか,あるいは,彼らにはもはやパブリックという概念は存在せず,その代わりにいかなる空間であっても自分のルールに即した「個室」だけを求めてきた結果生まれてきた状況とも言えるであろう。
 金子監督の『こなごな』は,一見すると若い男女のありふれた日常を描きつつも,その不安定な距離感で生じた互いのストレスがラストへの狂気の展開に繋がっていく。金子監督の作品は,これまで短編の『那美の瀬』,そして長編の『すみれ人形』を見てきたが,ここに登場する人物たちはどれもこれも他者に操られた生き人形のようであり,それがもはや簡単に身体の断片と化してしまうような描き方は金子監督の映像表現の特徴ともいえる。今回の短編『こなごな』も,ラストで密室という空間を人間の身体内部に閉じ込めたのも面白い映像表現である。人間の身体内部で青白く発光する携帯電話の光源がとても美しい。

 『大脱出!』は,モバイルゲームという限定的な空間から映画へとスピンオフされた作品である。ゲーム,アニメーション,漫画といったわが国のコンテンツ産業が世界から注目を集めて久しいが,モバイルゲームからインスパイアされたクリエイターが11人集まり,彼ら独自の映像表現でゲームの世界を広げていく試みは,閉塞空間を切開し,そこに新たなバイパスをインスタレーションするような行為である。そしてその新たな回路として増設されたバイパスがゲームという限定されたコンテンツの,文字通りの“脱出口”となっているのである。
 一般公開は今年の秋の予定。その際にはAプログラム,Bプログラムと二部構成で上映を分ける予定だが,私は個人的に11本このまま連続で上映した方が,このプロジェクトの企画コンセプトを満たすのではないかと考えている。つまり,日常におけるあらゆる不条理な出来事が連続して起こり,その不条理な状況が解決することもなく集積されていくわけだが,そこで全作品の上映が終わってようやくこちら側もこの迷宮から脱出できたという実感がわいてくるような,インタラクション・ムービーともいえるものだからである。それには,1時間50分というボリュームはけして長すぎるものではない。むしろこれぐらいの長さがあって,しかも全く作品の質が異なる作品が11本並ぶことは,観客を飽きさせることはない。

『大脱出!』 上映作品リスト
西山洋市監督 『勝手に逃げろ』
尾畑信輔監督 『ネオ・モラトリアム』
河村康平監督 『ROOKIE YEAR』
山田広野監督 『未完成の絵』
遅塚勝一監督 『LOST SONG』
吉田雄一郎監督 『NO MERCY』
伊藤裕満監督 『Honey Moon』
寿時利夫監督 『教室』
永澤杏奈監督 『(無題)』
新垣一平監督 『たぶん悪魔が夜来る』
金子雅和監督 『こなごな』

■モバイルゲーム『脱出ゲーム@ガットメール』■
www.gotmail.jp

■『大脱出!』 公式サイト■
www.daidasshutsu.com

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18. Juli 09

【CS放送】 石破茂大臣,宇宙戦艦ヤマトを熱く語る(CS放送ファミリー劇場 『アニメ問わず語り』)

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 16日深夜にCS放送ファミリー劇場で放送された番組『アニメ問わず語り』のゲストに登場した石破茂農林水産大臣が,ヤマトについて熱く語った。
 この番組は,あえてアニメの評論家や雑誌の編集者ではなく,普段は他の分野で仕事をしている各界のアニメ好き著名人をゲストに呼んで,5分足らずの短い時間ではあるが,日本アニメの魅力について語ってもらう番組である。
 今回ゲストで登場した石破大臣は,アニメと艦船模型の愛好家として知られている。部屋には護衛艦「しらね」などの自衛隊の艦船模型が並んでいるほどだ。そんな石破大臣はやはり子供の頃からこの類のものが好きだったようで,大臣が少年時代に出版されていた『少年画報』や『冒険王』などの少年誌に付録として付いてきた紙製の大和やゼロ戦の模型をたくさん作って遊んだそうである。
 石破大臣が日本アニメの中で特に大好きなのは『宇宙戦艦ヤマト』シリーズ。その中でも『さらば宇宙戦艦ヤマト』には特別の思いがあるようだ。これには大臣がもともと子供の頃から艦船模型に親しんできたという背景もあるが,もうひとつには,当時の日本の放送ネットの地域格差も多分に影響を与えているのではないかと思われる。
 石破大臣の地元である鳥取は,昔は日本テレビ系列の日本海テレビしか民放チャンネルがなかったそうである。だから『少年画報』や『冒険王』でテレビで放送中のアニメや特撮ヒーロー番組の記事を見ても,自分の家ではテレビが映らないからいつも悔しい思いをして過ごしたそうである。そんな状況の中,空前のヤマト・ブームが起こり,映画館でこの作品が見られると分かった時,喜んで映画館に通ったそうだ。特に,『さらば~』の方は連日のように映画館に通い,1日に2回も3回も見ていたら,当時の彼女から“頭がおかしいのではないか”と言われてしまったそうである。しかしこれは石破大臣の方が気の毒だ。子供時代から民放ネットの情報格差でとてつもない飢餓状態に置かれていたところにもってきて,空前のヤマト・ブームでそれが劇場で見られるとわかれば,お腹一杯食べたくなるのが人間の「性」ではないか。
 私は石破大臣のこの言われようをみて,ずいぶん前に読んだ佐藤健志の著書のことを久々に思い出してしまった。
 当時,若手論客として売り出し中だった評論家の佐藤健志の著書『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』(文藝春秋)の中で,著者の佐藤健志が当時交際していた女性と「今まで見た映画の中でどの映画が一番良かったか」との会話になり,その女性がヤマトを挙げたことについてのエピソードがでてくる。この時の佐藤健志は,“まったく理解できない”,“他にもっと違う映画はないのか”,“なぜ,よりによってこんな作品を一位にあげるのか”という具合に,この女性の回答にたいそう当惑している様子であった。しかし,当該女性の方こそ,もしこの佐藤健志の著書を読んでいるとしたら,彼女の気持ちの方もいたく傷つけられたのではないかと思うのである。石破大臣もこんなことを言われてしまったのであろうか。
 ある一つの事柄や事物に対して,突出した興味を示す志向について,その背後にある個別の状況が理解されぬまま,ただ単に「オタク」と悪意あるフレームで見てしまうのは少々早計であり,それは一種の偏見ではないのかと,今回石破大臣の話を聞いていてつくづく思った次第である。なによりも,「ある一つの事柄や事物に突出して興味を示す志向」というものを否定してしまったら,世の中からは芸術家やクリエイターはいなくなるであろう。

「さらば宇宙戦艦ヤマトには賛否両論いろいろあります」by石破茂
 『さらば~』で最後にヤマトが白色彗星帝国の巨大戦艦に体当たりをするということについて石破大臣は,安否両論ある結末だが,この物語の中でデスラー総統がかつての侵略者から心根の良い人間に変わっていくのが救いであり,その部分も含めて何度見ても感動するそうである。このくだりについては,2006年に公開された戦艦大和の実写版映画『男たちの大和』に併せて出版されたムック『僕たちの好きな戦艦大和』(宝島社)の中でも詳しく語られている。このムックはまるまる一冊,戦史家,ラノベ作家,特撮ライターなどが戦艦大和だけについて語り尽くした本だ。その中で4ページにわたって石破大臣の特別インタビューが収録されている。
 このインタビューの中で石破大臣は,祖国ガミラス復興のために恥をしのんで彗星帝国に身を寄せているデスラー総統が,これまでの漫画や日本アニメで描かれてきたような単なる悪者で終わらなかったことに,いたく心を惹かれている様子である。これには,政治家の目で見た政治家としてのデスラー総統に対する複雑な思いがよく伝わってくる。実際の政局でも,自分自らが誰かのために泥をかぶったり,火中の栗を拾わなければならない局面は多々あるであろうから,本来ならば人一倍プライドが高く,その全身が美意識の塊のようなデスラー総統が,他国に身を寄せるという状況がどれほど屈辱的であるかがよりリアルに感じるのであろう。

「美しく,強く,はかない――その生涯に一種魅了されるところがあります」by石破茂
 ヤマトについて語っていると,最終的には行きつくところは戦艦大和である。当たり前であるが,ヤマトがスタートレックやギャラクティカの宇宙船と異なるところは,その前身が太平洋戦争の正史と直接繋がっているという部分である。それゆえに,例えばシド・ミードがデザインした第18代ヤマトが登場するOVA『YAMATO2520』は,太平洋戦争の正史を継承する戦艦大和が,その船体はもはや無く,ネームシップとしてだけ存在しているという状況から,これをヤマトとは認めないという考え方もでてくるのである。
 この冬に公開される劇場版『宇宙戦艦ヤマト』(復活篇)でも,新たにヤマト級戦艦を新造するのではなく,前作「完結編」で船体が真っ二つに折れたままアクエリアスの海に轟沈したヤマトを再び蘇らすという設定にしたもの,こうしなければ,それは“ヤマト”ではなくなってしまうからだ。
 では,ヤマトの前身である戦艦大和の他に悲劇性をもった戦艦はなかったのかといえば,そんなことはない。大和の同型艦であった武蔵や,大和より一世代前の長門にしても,それなりに悲劇性を持っている。実は石破大臣は,自分の選挙区(鳥取1区)と同じ出身である猪口大佐が艦長だった武蔵の方が多少思い入れが強いということを前出のムックのインタビューでも語っている。それでも,宇宙戦艦が武蔵ではなく大和でなくてはならなかった理由は,史上最強と言われながらもその「はかなさ」にあると語っている。

「もしも開戦に「大和」「武蔵」が間に合えば,こんなことができたかも」by石破茂
 近年の架空戦記といわれるものには,大和がとてつもないスペックと強さで登場することが多々あるが,これはかつての少年少女たちが秘密兵器というものに抱いた一種の憧れやフェティシズムであろう。誰しも自分が好きな怪獣が最強でありたいと願うものである。しかし石破大臣まで,密かにこんな架空戦記のようなことを考えて楽しんでいるとは知らなかった。『僕たちの好きな戦艦大和』の中で石破大臣は,もし大和と武蔵が真珠湾攻撃に加わっていたらどうなっていたのか,ということも話している。まず正史の通り,最初は機動艦隊が敵基地を叩いて,その後に大和,武蔵が行って,艦砲射撃で徹底的に叩く。その後にロサンゼルスまで行って,一気に西海岸を陥落せしめる,というものである。たしかにこうなったならば,その後戦局は大きく異なったであろう。

 『アニメ問わず語り』では,短い時間でしか石破大臣の話を聞くことしかできなかったが,もっと長く,1時間2時間とこの人にヤマトのことを語らせたら,面白い話がたくさん聞けるだろう。先日も,某所で偶然にも大和戦史家で呉の大和ミュージアムの館長である原勝洋氏と同席する機会があり,大の大人が5,6人も囲んで,小1時間ほど大和談義で華が咲いたが,この席に石破大臣もいれば一層に盛り上がったことであろう。

■石破 茂ブログ■
http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/

■ファミリー劇場■
http://www.fami-geki.com/

■井上リサによる「宇宙戦艦ヤマト」関連コラム■
【映画】 『宇宙戦艦ヤマト』 復活篇,今度の敵は国連軍だ
【映画】 『宇宙戦艦ヤマト』の新作「復活篇」が今年12月に公開~波動砲6連射をめぐる是非~

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16. Juli 09

【アート】 靖国神社の 「見世物小屋」(靖国神社みたままつり,7月13日~16日)

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 東京の梅雨明けとともに靖国神社の毎年恒例の「みたままつり」が始まっている。おそらく私が知る限るでは,東京の神社で開催される夏祭りの中では一番規模が大きいものと思われる。
 もともとは戦没者供養のために行われていたものであるが,正面の大鳥居から拝殿にかけての参道にずらりと並ぶ夜店や,矢倉を建てた舞台で行われる盆踊りなどを見ていると,広く一般の来場者が楽しめる夏の祭りといった雰囲気で,会場も特に若い来場者たちで賑わっている。
 近年は夜店で並ぶ食べ物の種類も格段に増えて,広島,大阪,福岡などの各地の名物料理に加えて,タイ料理,トルコ料理,インド料理,中華料理まで店を連ね,宛ら幕張メッセ辺りで開催される「ふるさと見本市」のような様相を呈している。このような雰囲気の中,戦没者供養に来た方々が,故人の故郷の料理などを見つけた時には,感慨深い気持ちにさせられるのであろう。それを楽しんで食べている若いお客の姿もまた,「お盆」を迎えた一つの供養の形に映るのではないか。

 「みたままつり」のもうひとつの見所は,何と言っても「お化け屋敷」と「見世物小屋」である。
 正面の大鳥居から拝殿にかけての参道に並ぶ賑やかな夜店の脇にある薄暗い林の中に,何やらいかがわしい雰囲気のテント小屋が2つ並んでおり,そのテントの中からは,今にも床が抜けそうな勢いで人が走る音やカン高い悲鳴が断続的に聞こえてくる。テントの周囲は野次馬たちが取り囲み,怪しい興行師が“寄ってらっしゃい,見てらっしゃい”と客引きをやっている。これが靖国名物の「お化け屋敷」と「見世物小屋」である。
 テントの小屋に掲げられた看板には,まるでにっかつロマンポルノのようなエログロなタッチで奇形人間やらヘビ女やらの絵が描かれており,酒やつまみを手に持った野次馬たちが指差しながら興味深そうにそれを眺めている。
 その看板によく目をやると,看板の中二階に設けられたスリットの空間で,全身を金色に塗り立てた麿赤児みたいな人が,両頬に針金を刺したままゆっくりと行ったり来たりしているのである。つまり「阿佐ヶ谷七夕祭り」などでよく見る商店街の立体看板を生きた人間がやっているというわけだ。
 ここに展開されている世界は,明るく賑わう参道とは一線を画した「昭和の異界」という雰囲気に映る。

 「見世物小屋」のインパクトのある看板に魅せられたお客たちは入場料600円(子供400円)を払って,次々と怪しいテントの中に入っていく。ここの舞台に伝説の見世物小屋芸人・マメ山田が立つと聞いて駆けつけたお客も多いはずである。私もその一人である。
 中に入るとそこは昭和というよりは,むしろ江戸川乱歩や,あるいは実相寺昭雄が『シルバー假面』で描いたような大正デモクラシーの世界である。明治に独逸から流入してきた自然科学を始めとする様々な学問が,まだまだ大衆には懐疑的に映っていた時代である。その象徴がヴィルヘルム・レントゲンのX線などだ。この時代に初等教育で近代の自然科学や物理学に則した「理科」を学ぶ機会の無かった人たちの中には,X線で身体を撮影された人間は,寿命が縮むとか魂が抜き取られるといったまことしやかな噂を信じていた人々もいたわけである。だからこそ当時の「見世物小屋」には,そんな大衆心理を逆手に取った,今でいう疑似科学,偽装科学のような出し物が活き活きといきづいていたのである。
 靖国の「見世物小屋」も,そんな時代のアナログな仕掛けが人気の秘密である。「闇」が無くなった現代の帝都で,人々が密かに求めている「闇」の世界がここにあるのである。
 舞台の構造もいたってシンプルなものである。丸太で組まれた舞台には赤いテントが張られ,舞台の背面にある立て付けの悪い木の扉が開くたびに「キィキィ」と木の軋む音がする。天井には裸電球がともり,傾斜した桟敷席は足の踏み場もないほどにすし詰め状態の客でまみれている。そこで赤いスパンコールのスーツを着込んだ興行師がムチを振り上げて,次々と見世物小屋芸人たちを登場させるのである。
 この興行師の姿は,魅惑的なイカサマ師を舞台で演じる唐十郎の生き写しのようだ。このムチを振るう興行師によって舞台に登場させられた芸人たちは,所狭しと天井の梁から客席までの空間を動き回るのである。「ミシミシ」と音を立てながら天井から逆さ釣りになって振り子の様に揺れる身体は,今にもテント舞台そのものをも壊しそうな勢いである。
 しかし,テントというわずか数ミリの皮膜で覆われたこの空間は,一見すると脆弱そうな器官に見えるが実は驚くほどに弾力性のある子宮膣部や子宮体部のような堅牢にして適度に湿度の満たされた柔軟性のある空間である。1枚の大きな皮膜に覆われたこの空間では常設の小劇場よりもさらに舞台と客席との一体感が生まれるのである。この場合はむしろ一体感というよりは密着感といえるかもしれない。
 ここに集うお客たちも,こういった舞台の楽しみ方を知っているのだ。“イカサマ”興行師の放つはったりをかます口上に大喜びし,見世物小屋芸人たちを拍手喝采で迎えるのである。
 舞台背面の扉を開けて颯爽と登場する芸人たちは,テレビや常設の舞台ではけして見ることは出来ない芸人たちである。生きた蛇を噛み切るヘビ女や,“新宿の某医学研究施設から脱走してきた”という触れ込みのネコ・インフルエンザ患者,ドライアイスを喰うシベリアの野人,宇宙一小さい芸人・マメ山田といった魅惑の魑魅魍魎たちは,テレビ・スタジオの煌々と灯された明るい光の下で晒されて見るものではない。「見世物小屋」という神秘性,隠密性のある空間だからこそ面白いのである。
 本来はテレビ芸人たちも,こういう空間でこそ芸を磨けるチャンスなのであるが,現在のように芸人のプラベートにいたるまで洗いざらい暴かれてしまう状況では,芸人が本来持つべきカリスマ性や神秘性をテレビ芸人に求めるのはもはや無理なのである。テレビ番組の中で唯一,「見世物小屋」的な雰囲気を見せていたのは,土居まさるが司会をやっていた『TVジョッキー』の「奇人変人コーナー」であろう。あれはとことんバカバカしさだけを追究したものであるが,そのバカバカしさの中に,「教養」の名の下にかしこまっていた当時の公共放送に,アンチテーゼとして向けられたアナーキズムの原点があった。
 現代はむしろ,面白いものを見たいのならばテレビなんかを見ていてはダメで,自らの足で町を歩き回ることである。そこでたどりついた空間の一つがこの「見世物小屋」だ。
 ここではお客はどれだけ一緒になって虚構空間を楽しめるかで,入場料の元をとれるか否かが決まってくる。例えば“イカサマ”興行師が,「新宿の医学研究施設から脱走してきたネコ・インフルエンザ患者だよ!」,「近づくと感染するよ!」と言ったら,ここで体を大きくのけ反らせて盛大に驚かねば損をするのである。これは虚構空間において興行師と我々お客との間で取り引きされる暗黙のルールのようなものだ。つまり,心の中に箍としてある,いわゆるATフィールドのようなものを解除してこそ我々は,この「異界」で起きていることを楽しめるのである。

 「見世物小屋」の舞台は祭りの終了とともに撤収され,そこにはいつものように静寂な靖国の森が広がっていることであろう。我々が再びそこを歩く時,一瞬迷宮に迷い込んだあの時のことを思い出すに違いない。これが「見世物小屋」の楽しみ方だ。そして来年,またあの珠玉の異形たちに靖国で会えるかもしれない。

■靖国神社■
http://www.yasukuni.or.jp/


●見世物小屋の珠玉の芸人たち
「ネコ・インフルエンザ患者」

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 “新宿のとある医学研究施設から脱走してきた”というまことしやかなふれこみ付きである。彼が登場するや否や,会場は悲鳴とともに爆笑で包まれた。彼の様相はまさに土方巽の『恐怖奇形人間』や,『ゴジラ対ヘドラ』の世界で展開されるサイケデリックな「病」を体現している。
 わけの分からぬ奇病というものは,洋の東西を問わず,様々な暗喩を生成してきた。古くはコレラやペストや麦角病が,『死の舞踏』の中で擬人化され,そして今回はこの「ネコ・インフルエンザ」である。これを見るかぎり,「奇病」と「奇形」は人間の恐怖の中で見事に符号する。子供の頃に,「病」や「病原体」が暗喩された怪人や怪獣が怖かったのも,建物の下敷きになったり,怪獣に火を吹かれたりするよりも,身体内部からその「病」に冒されるかもしれないという直接的な恐怖の方がリアリティに勝ったのである。
 この「ネコ・インフルエンザ患者」の登場で,客席にいる子供たちが泣き出したのも理解できる。体内でサイトカインストームが発動したかの様にのた打ち回る「ネコ・インフルエンザ患者」は,かつて私が幼少の頃,「青血病」(『マグマ大使』第17話~第20話),や「オレンジカビ病原体」(同,第49話・第50話)を見てトラウマとなったように,強く心に残るであろう。

「シベリアの野人」
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 暗がりの舞台で突然天井から登場したのがこの怪人たちである。シベリアから連れてこられたらしいのでドライアイスが大好物。舌が特に発達しているようで,なんと扇風機の翼も舌で止められる。(良い子の皆さんは真似しないで下さい)
 天井の梁から逆さにぶら下がるこの怪人たちを見て,私は中学時代に,当時麿赤児夫人だったダダさんに招待されて観に行った麿赤児率いる「大駱駝艦」の『天賦典式―風さかしま』の舞台を思い出してしまった。

「火をあやつる台湾の怪人」
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 火や蝋燭を自由に操る怪人である。そして「シベリアの野人」の天敵である。この設定は,片や冷凍怪獣,片や火炎怪獣の二大怪獣大暴れな感じで気に入った。“台湾の怪人”というところにも妙な説得力があるのである。今でこそアジアの近代国家になった台湾であるが,その国号が醸し出すかつての神秘性はまだ失われていない。あの川口浩探検隊ですら訪れたことがないような空白地帯がまだあるはずだと,余計な想像力を掻きたてられてしまった。

「ヘビ女小雪」
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 見世物小屋界の女芸人スーパースター。生きたシマヘビをかじって食べてしまう。これはかつて土居まさるの『TVジョッキー』で,揚げたゴキブリを食べた猛者とも良い勝負だ。ヘビを噛み切る時に“プチッ”と音が客席に聞こえた瞬間,またしても子供の泣く声が聞こえたが,「見世物小屋」は「お化け屋敷」と並んで,子供が泣くぐらいでないと大人は楽しめないのである。しかもその大人たちだってどうなるかわからない。食べ残したヘビの欠片を客席に放り投げられた時には,老若男女入り混じって会場は大パニックになった。
 こういうところに,テレビのようないわゆる放送倫理規定の箍がない「見世物小屋」の魅惑的な暴力性が突然顔を出すのである。

「宇宙一小さいマジシャン・マメ山田」
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 昔はマメ山田のような芸人は,小人プロレスでしばしば見かけることができた。ここに登場したマメ山田は見世物小屋界きってのプロのマジシャンである。お客への突っ込みも容赦ない。相手が子供であろうが手加減することはなく,次々と毒気のある突っ込みを入れていく。最前列を陣取っている若い女性客は「お前,さっきもいただろ。他に行くところ無いのか?」などと言われてしまう。また,マジックのアイテムとしてロールパンを持たされた子供には,「お前,それ喰うんじゃないぞ!」と絶妙の突っ込みを入れてくる。
 普段は必要以上に親に庇護されて暮らしている現代の子供たちにとっては,世の中にはこんな大人がいるのを知って新鮮な気持ちになるであろう。大人たちにしても,いつ自分に突っ込みが入るか気がきではならないような緊張感が,結果的にマメ山田の芸を見ることに集中するようになるのである。こういった空間を一人で作ってしまうマメ山田には,テレビスケールの演出家などもはや不要である。

●会場の様子
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14. Juli 09

【雑誌】 『いとをかし』 の紹介

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 名古屋の老舗和菓子店「両口屋」が発行する和菓子雑誌。先月新宿文化クイントサロンで開催された,詩人で英米文学者の加島祥造さんの茶会をかねたトークショーの席で,お菓子と一緒にあみやげとしていただいたものである。
 昔でいうと,顧客や株主に向けた企業のディスクロージャー誌ということになるのであろうが,単に自社商品の紹介にとどまらず,和菓子を切り口にして,わが国日本の伝統文化全般にわたって内容の深いコラムを読むことができる。
 そのうえ,例えば金融関係のディスクロージャーなどは,財務状況,投資状況など,ひたすら数字の羅列で少々味気ないものであるが,これが和菓子屋ともなると,菓子の名の由来,和菓子作りに欠かせない道具の歴史,製法の歴史などと,とたんに味わい深いものに変わってくるのである。その他にも「和」の文化に蘊蓄のある各界の人物にもスポットを当て,その生活の中に佇む「和」のライフスタイルなども紹介している。創刊1号は先に登場の加島祥造さんである。

 今回の特集は「氷」。両口屋でこの季節に出される「室の雪」という実に美しい菓子の紹介とともに,氷にまつわる様々なコラムも読むことができる。中島満氏による『江戸のアイスロード―献上氷を運ぶ飛脚たち』は,江戸時代に金沢から江戸まで献上の氷を運んだ飛脚たちのことが詳しく書かれている。参考資料も詳しく文中に登場するので,このルートの近くを旅行した際は,資料が所蔵されている美術館や博物館も訪ね歩くことができる。
 また,雪や氷の研究で有名な科学者・中谷宇吉郎(1900~1962)のエッセイを書いているのは,中谷宇吉郎雪の科学館館長の神田健三氏。中谷宇吉郎の功績は,特にわが国の科学史や気象学といった学問に興味を持っているもの以外にはあまり知られていないかもしれないが,世界で始めて人工雪の生成に成功したのがこの中谷宇吉郎である。また一方で,中谷は雪に関するドキュメンタリー映画もいくつか制作しており,この時に立ち上げられた制作会社「中谷研究室プロダクション」は,私の縁戚にあたる写真家でドキュメンタリー作家の吉瀬昭生も所属していた「岩波映画」の前身のプロダクションである。

 巻末コラムを飾るのは,コラムニスト・谷浩志の『左党オヤジの甘口入門』。この方,男のくせに,いやオヤジのくせに,甘口ワインやお菓子の蘊蓄をたれているのがまた可笑しい。
 最近は甘い物好きの男性のことを“甘味男子”と呼ぶそうで,“この「珍獣」を世界で最初に見つけたのは自分だ!”と,まるでウォーレスの研究をこっそりいただいてしまったダーウィンみたいな事を言っているメディア風情がいるが,彼らはかつて「TVチャンピオン」を席巻していた元祖・甘味王の池田貴公子のことは多分知らないのであろうな。

■両口屋是清■
http://www.ryoguchiya-korekiyo.co.jp/

■中谷宇一郎雪の科学館■
http://www.city.kaga.ishikawa.jp/yuki/

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10. Juli 09

【アート】 中野にマイケル・ジャクソン参上!

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 偉大なミュージシャン,M.ジャクソンがこの世を去ってからすでに1週間ほどが経過したが,全米のテレビ局でも,まだまだ彼を追悼する雰囲気は止むことはない。彼はアメリカ社会が生んだ国民的ヒーローであると同時に,現代アメリカが抱える様々な「病」を内包しているともいえる存在であった。それゆえに,彼のことはすべてのアメリカ人にとって他人事ではなく,彼の音楽をどのように評価するかに関わらず,皆,何らかのかたちで彼との関係性を持っている。だから,アメリカ社会全体が国葬級のモードになるのは当たり前である。
 翻ってわが国の場合,今までは何ら,マイケルとは関わりを持ってこなかったようなタレント,御用学者,雛壇電波コメンテーターが,各局で朝から夕刻まで垂れ流されるワイドショーで,我先にとコメントを述べているのには朝から失笑した。今本当に彼の死を悼んでいる人たちは,家やクラブで音楽をかけて,静かに喪に服しているのである。ソウルの神様JBが死んだ時もそうであったが,あの時にテレビでコメントを述べる資格があったのは,わが国を代表するブルース・シンガーである和田アキ子ぐらいだ。

 さてそんな,世の中の事象になんでもかんでも便乗して,知識人たる己を世に知らしめるのに必死な電波芸者や偽装インテリゲンチャな方々は放っておくとして,これぞまさにポップ魂炸裂!というようなものを町で偶然に見かけたので,写真を撮ってきた。
 上の写真は,JR中野駅近くの,ある民間の集合住宅風建物の外壁にペイントされていたものである。これを最初に見たのはもう先週のことになるが,JR中央線の車内でのことである。電車が中野駅を出発して下り方面へと走り出した瞬間に,突然目に入ってきたものである。遠くから見ても,それはマイケルを描いているのがすぐわかる。この日は電車から通り過ぎるだけであったが,消されはしないかと気になっていたので,昨日他に用事はないものの,わざわざ中野の現場まで出かけて撮影してきたのである。
 ここに描かれたアートは,俗に言うグラフィティと言われるものだ。グラフィティの発祥はアメリカで,その精神はヒップホップ音楽とも大いに関わっている。また,バスキアやキース・ヘリングなどのアメリカのモダンアートの作家にも影響を与えたほどのストリート・アートの一角を占めるものである。グラフィティの定義には,アカデミックなアートほどの明確な様式のルールはないが,町の公共物や共有空間にペイントしたものをこのように呼ぶ。つまるところ「落書き」なのだが,これがもし公共機関の許可をとって描かれたものであれば,それはパブリック・アートとなるわけである。
 グラフィティは,もともとヒップホップ文化と連動しているものなので,基本的に「反制度」,「反体制」的要素も内包されている。法律的に解釈すれば,公共物に落書きをした場合には器物破損ということになり,法の解釈とアートをめぐって,日本の自治体でも何度か問題が持ち上がったことがある。そもそもグラフィティの面白さとは,そのゲリラ性,メッセージ性にあるのであり,それが例え屋外の公共機関であっても最初からアートのために用意された予定調和的な空間でこのようなものを制作しても,何ら面白くない。意外なところに出現するからこそ,グラフィティというアートの存在意義があるのである。
 JR中央線の車内から見える,このマイケルの死を惜しむ作品は,どういった意図で,誰によって制作されたのかは分からないが,このようなかたちで彼の死を惜しむほうが,まさしくマイケル的であるのだ。いつまでこの作品が残っているのかわからないが,これを描いた名も無きアーティストに“ありがとう”と言いたい。

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07. Juli 09

【プロ野球】 幻の球団・仙台LDフェニックス~プロ野球オールスターゲームに寄せて

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 もう間もなくすると,1年に一度のお祭り,プロ野球オールスターゲームがやってくる。毎年ファン投票で選ばれた12球団のスターたちが一堂に顔をそろえる夢の球宴である。こんなスターたちの姿を毎年見ていると,我々は,プロ野球というものが未来永劫無くならないであろうと勝手に思い込んでいるのではないか。
 かつてプロ野球で近鉄球団の合併騒動が起こった時のことは,もうはるか昔のことにも感じられるが,つい5年前のことである。球団経営が苦しくなった近鉄球団が,突然他球団との合併構想をぶち上げて,プロ野球界が騒然としたあの時のことである。なんとか近鉄球団を残そうと願うプロ野球ファンと選手たちが一つとなり,プロ野球史上初めてとなる,選手会によるストライキまで行われた。この前年,即ち2003年は阪神タイガースが久しぶりに優勝をして,球界だけではなく世の中全体が盛り上がったのに,この落差は一体どうしたことかとプロ野球ファンも思ったであろう。
 この時に,近鉄球団の新しいオーナーになると最初に手を上げてくれたのが,当時ライブドアのCEOだった堀江貴文氏であった。彼は,他球団と合併して1球団減るよりも,それだったら自分がオーナーになって近鉄球団を存続させると言ってくれた。しかし近鉄球団やプロ野球オーナー機構は堀江氏の申し出を認めず,近鉄球団は他球団と合併してしまったのである。バファローズと名前は残ったものの,それはもう皆がかつて愛した近鉄球団の姿ではなかった。巨匠・岡本太郎がデザインした猛牛のエンブレムのついたユニフォームはもう無くなったのである。
 しかしプロ野球の一連の騒動はこれにとどまることはなかった。パリーグで1球団消滅するとなると,やはり新球団が必要なのではないかという声がファンの間からもあがり,この時に最初に新球団を作ると言って手を上げてくれたのも,ライブドアの堀江氏であった。堀江氏が構想したのは東北というプロ野球不毛の土地に市民に愛される地域密着型の市民球団を作ることであった。これはファンにも受け入れられて,いよいよ球団発足かという時に,同じ東北の地に新球団を作るという構想を持って後から乗り込んできた企業があった。この企業はライブドアと同じIT企業であり,いわば商売敵のような企業ともいえる。
 この2つの球団の処遇をめぐってオーナー会議が開かれ,先に手をあげた堀江氏の球団は落選し,後から乗り込んできた企業の球団がオーナー会議に受け入れられた。その球団が現在の野村監督率いる楽天イーグルスである。
 そして本当ならば,仙台に誕生していたかもしれない球団とは,仙台LDフェニックスのことである。

 長いプロ野球の歴史の中で,今は無き東京セネターズや東映フライヤーズの存在は知っていても,仙台LDフェニックスのことを覚えているプロ野球ファンははたしてどれほどいるのであろうか。他球団と合併したバファローズも,新規参入のイーグルスも,今ではそれなりにファンに受け入れられ,パリーグの一角を担っている。それはそれで良いことである。しかし,あと一歩で誕生するはずだった仙台LDフェニックスという球団が,日本プロ野球の正史にも存在しないような状況は,一プロ野球ファンとして少し寂しい。
 今となっては,堀江氏のプロ野球構想は単なる金儲けの道具であったと思う人もいるであろう。また,堀江氏のあのユニークなキャラクターに嫌悪感を抱く人がいるのも理解できる。しかしそれが例え金儲けだとしても,火中の栗を最初に拾ってくれたのは間違いなく堀江氏なのであり,そのことは評価すべきであろう。そしてもうひとつ忘れてはならないのは,フェニックス創立に向けて,球団スタッフとして手を上げてくれた方々が,元横浜ベイスターズの球団関係者の方々であった。
 ベイスターズは,サッカーのJリーグ構想が立ち上がる以前から,地域密着ということを全面に掲げようとした球団であり,その前身である大洋ホエールズからベイスターズへと球団名が変わる時に,自らの球団名から企業名を外し,その企業名の代わりに「横浜」という地域名を入れた最初の球団である。またそればかりではなく,ベイスターズ傘下にある二軍チームの本拠地を横須賀にして,二軍チームながら独立採算型の湘南シーレックスという育成チームも作った。これも日本プロ野球史上実に画期的なことであった。今日では,このようなベイスターズに影響されるかたちで地域と球団とのつながりを意識してなのか,球団名にフランチャイズ地域名を入れる球団が増えてきている。
 このような今日的な発想を持ったベイスターズの関係者が,世論は味方についてもプロ野球機構は敵に回っているようなフェニックスに対して手を挙げるということは,非常に勇気がいることであったと思う。
 しかし我々は,ほんの一時ではあったが,その方々のおかげで一つの新しい球団が立ち上がっていく過程に“夢”を見ることができたのである。堀江氏によってネットを通して次々に発表されていく球団ユニフォーム,球団名,球場設計図を毎日見ながら,ファンたちは日本プロ野球の夜明けを見たのではなかったのか。

 上の写真は,仙台LDフェニックスが幻の球団に終わったことで落胆した当時の“フェニックス・ファン”に向けて,堀江氏とライブドアが限定販売してくれた球団ロゴ入りのTシャツとジャンパーである。黒いジャンパーの裏側には仙台の「仙」の文字をモティーフにしたフェニックスのロゴがプリントされている。
 このユニフォームは二度とフィールドに立つことはないが,本当にプロ野球を愛するものならば,今は無き往年の名球団とともに人々の記憶の中で生き続けるであろう。

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01. Juli 09

【映画】 古波津 陽監督 『築城せよ!』

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 築城の夢を果たせなかった戦国武将がこの世に蘇り,過疎地に住む住民と一緒になってダンボールで城を建てるという馬鹿馬鹿しい物語。しかしその馬鹿馬鹿しさの中に,コメディの王道を行くような様式がたくさん仕掛けられており,それを江守徹と片岡愛之助という実力ある二大俳優が演じることで,泣きどころと笑いどころを外すことはない。
 この類の荒唐無稽な物語の場合,演じるものが真剣になるほどに,こちらはその虚構の世界に引き込まれていくものである。今からかなり前のことになるが,1983年に日生劇場で公演が行われた『アマデウス』では,江守徹が歌舞伎俳優の松本幸四郎とともに舞台に立った。この時から,江守徹というもともとは現代劇の役者が,実は歌舞伎俳優との相性も非常に良いことはわかっていたので,今回起用された片岡愛之助とのからみも安心して見ていられる。

 本作『築城せよ!』は,広告を打った東京FMでも,戦国エンターテインメントとして売り出していたが,むしろこれは,現在岐路に立たされている自治体行政を痛烈に風刺したものでもあり,今全国の自治体でブームとなっている,いわゆる「町興し」のヒントが随所に隠されているのである。それをRPGの隠しアイテムのように探しながら見るのもまた楽しいであろう。
 この映画を撮るにあたって全面協力した猿投町は,実は実名のまま物語の舞台になっており,愛知工業大学の学生らもエキストラで参加している。パンフレットをめくれば,愛知県・神田真秋知事,豊田市・鈴木公平市長,衆議院議員の平沢勝栄氏らが作品についてコメントを寄せるほどの熱の入れようで,まさに映画というスケールの大きな「町興し」広告を作ってしまったという感じである。
 中でも興味深いのは,この物語の核になる猿投町の設定である。猿投町は,実際には愛知県豊田市の中にあり,天然ラドンの素晴らしい温泉や,糖度の高い桃や梨などの特産品が名物の風光明媚な里山を擁する豊かな集落である。しかし映画の中では寂れた限界集落のような地区として登場する。
 このような場合,見ている人間からは明らかにどこの町を題材にしたか分かるような仕掛けを作りつつも,その町はあくまでも架空の町として登場させるという方法もある。それを見る我々も,そこで起こることは物語上の世界でのことであるというルールを結び,そこで広がる世界観を楽しむのである。文学においては筒井康隆が得意としたフォーマットであり,近年の映画では,ヒグチンスキー監督の『うずまき』に登場した「黒渦町」,デイヴィッド・リンチの『ツインピークス』の世界がそうだ。
 しかし猿投町のように,実在の場所をそのまま登場させる場合には,これとはまた異なった不思議な感覚が余韻として残るであろう。例えば,猿投町へ行ったことのない人間にとってはすでに映画の世界での猿投町が存在していて,その下にレイヤーとして実在の猿投町があるといった構造である。この多重構造から受ける感覚は,シミュラクルなフィクションとも違うし,実在の良く名の知れた都市が怪獣に壊される特撮映画とも異なる。また,地方都市といっても例えば熱海のようにすでにイメージが出来上がっている場所でもこのような感覚は呼び起こされないであろう。
 猿投町という空間が,里山と隣接する地方都市の総称を表し,その箱根ほどは観光地として知られていないという適度なマイナー性が,実際には行ったことのない場所なのに特異なリアリズムを生んでいるのである。それは,アサヒカメラのような写真誌に投稿される集落の風景を見て,日本人としての土着的な郷愁を感じるのにも似ている。例えば,パロディ作家のマッド・アマノや詩人の坂井のぶこも,しばしばこのような,「場」を意識した様式を使う。
 マッド・アマノは1995年に起こった阪神・淡路大震災を題材にした作品をいくつか制作していて,その中で,東京23区の地図の上に,地震で最も被害が大きかった神戸市の長田区,須磨区,東灘区の地図をトレースした作品がある。これは,他人事のようにテレビ画面越しに地震の映像を見ている東京都民に対する強烈なメッセージであろう。また詩人の坂井のぶこは,その長大な作品『有明戦記』を書くにあたり,作品の題材となった信州の有明地区はあえて一度も訪れず,その代り部屋一面に有明の地図を広げ,その中心に自分が立って創作のイメージを掘り下げていったのである。
 猿投町にレイヤーとして存在する多重構造からは,このようにフラットに距離が縮まったような不思議な感覚を受けるのである。
 
 物語のプロットは,戦国エンターテインメントの名の通り,基本的には後半の大仕掛けで一気に盛り上がる勧善懲悪な内容である。この中で,西松建設みたいな土建業者とずぶずぶで,利益誘導型の行政を推進するのが江守徹扮する猿投町町長の馬場虎兵衛である。時代劇に例えれば,まさに悪代官の役どころだ。そして彼を取り巻く地元業者が山吹色のお菓子を届けに来るお馴染みの“越後屋”といったところである。
 そもそも城を建てるという行為自体,原初的身体性に基づく力学を象徴しているのである。それは城に限らず,近,現代の巨大建造物から地方都市に建立される地元名士の銅像にいたるまで同様である。時として田中角栄や小沢一郎を象徴とする利権誘導型の前時代的な地方政治家が,橋やダムなどの公共施設を作りたがるのも,権力者に顕著に発現するその原初的身体性が欲望となって現れたかたちだ。別の言い方をすれば,世間ではこれを“男のロマン”ともいう。
 江守徹扮する馬場町長はまさにそのような人物であり,彼は自分の“城”として重文級の城跡のある場所に工場を建設しようとする。一方,かつてその場所で築城の夢破れて散っていった戦国武将・恩大寺隼人将が蘇り,双方が築城合戦を繰り広げるのである。この築城合戦で町民たちの心を捉えたのは工場という近代建築ではなく,戦国ロマンあふれる猿投城である。この城は,今や寂れてしまった猿投町の威信をかけた象徴的なものであり,それは町民の郷土愛に再び火を着けるようなものだ。

 現在わが国の地方都市には,この物語に登場する猿投町のような地方自治体が数多く存在する。高齢化と人口減少に加え,近隣の交通の便が良くなりすぎたために,そこにわざわざ立ち寄るものもいなくなり,文字通り“陸の孤島”となってしまったような場所である。このような自治体はかつて都会から人を呼ぶために,いわゆる“箱物”といわれる音楽ホールや観光博物館をこぞって建ててみたものの,数年でそっぽを向かれ,限界集落への道を進んでいったのである。
 これに懲りた自治体では,今度は東京の広告代理店のようなやり方でさまざまなイベントを仕掛けることで集客を図ったわけである。これには一定の集客効果と経済効果は確かにあったが,一律に東京的なそれらのものからは郷土性が失われていった。実はこのことこそが,地元住民の気持ちをいたく傷つけているのである。「町興し」ブームに乗じて起業塾から派遣された東京のアントレプレナーや広告代理店のマーケッターたちに,自分たちの住んでいる町のあれこれをダメ出しされて,町の人たちはプライドも何もずたずたである。
 そのうえ,これは物語の中での話だが,猿投町に伝わる猿投玉という伝統民芸品を,金にならないという理由で小バカにする役場職員までいる始末である。こういう無知で善良な役場の公務員こそ指弾されるべき存在であり,かつて新潟や岩手の辺境の地で郷土愛を醜く異形化させてしまった小沢一郎のような人間のほうがまだ正体がわかりやすい。
 このような愛憎まみれる猿投町で展開される築城合戦は住民をも巻き込んで大仕掛けのイベントと化していく。町の人々の身体を借りて現代に蘇った恩大寺は,城を完成させることで成仏できるのだ。それに対して自分の先祖が恩大寺と因縁深い馬場町長によって派遣された全国の城郭マニアたちが城を攻め落としに来るのである。ここが物語の一番のクライマックスシーンだが,まるでTVチャンピオンの職人みたいにダンボールのパーツから柱を作っていくところなども丁寧に描き込んでいるので,見ているこちらもカタルシスが頂点に達するシーンである。
 そしてこの合戦の中で,単なる土建屋町長だとばかり思っていた馬場町長に,実に人間的で暖かい一面が見えることがこの物語の救いになっている。自分の思いを貫徹させて,あの世に帰っていく恩大寺もまた,猿投町の人々に大きな置きみやげをしていくのである。

 近年,「町興し」の一環でフィルムコミッションに参加する自治体が増えてきたが,実在の町の名や風景までも架空の物語の中核に据えたこのような手法は実に斬新である。これはかつての箱物行政でもなく,また広告代理店のような東京的「町興し」でもない。そこに昔から住んでいる人々が,あらためて自分の郷土の歴史や伝統に目を向けて,そこで誇りを持って生きていくために作られた城なのである。
 猿投城はもちろん歴史的にも存在した痕跡もない架空の城である。いってみれば熱海城のようなものだ。学術的に城や城跡を定義した場合,歴史的に築城の事実があったものだけが「城」と呼ぶことを許される。それ以外のものは,見かけは城でも城のような造作物でしかない。しかしたとえそうであったとしても,猿投町の人々は,未来永劫にわたって記憶に残る城を建てたのである。わが国において長らく続いている戦国ブームのロマンの原点は,このようなものにあるかもしれない。
(2009年6月27日,かつて熱海城のことを“あれは城ではない”と言って小バカにしたことのある城郭マニアの友人と,新宿ピカデリーで鑑賞)

■『築城せよ!』公式サイト■
http://aitech.ac.jp/~tikujo/

■猿投町観光案内■
豊田市観光協会 
http://www.citytoyota-kankou-jp.org/
あいち豊田農業協同組合 http://www.ja-aichitoyota.com/

 
 

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