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30. Juli 09

【海外ドラマ】 『メンタル:癒しのカルテ』 #2「美しき妄想」(FOXチャンネル)

 毎週火曜日の夜10:00~11:00にFOXで放送中の精神科医療の現場を描いた海外ドラマ『メンタル:癒しのカルテ』の第2話に登場する患者は,感応性妄想性障害から想像妊娠になったメリッサと,その夫のリチャード。
 彼らの治療にあたるDr.ギャラガーは優れた精神科の臨床医だが,その型破りな診療方法で同僚の医療スタッフを困惑させてしまう。しかしギャラガーの精神科医療における理念は,「常に患者側に立脚する」ということで一貫している。その姿勢や意志の強さは説得力があり,最初は懐疑的であった他の医療フタッフも次第にギャラガーの治療方針に理解を示すようになるのである。

 「常に患者側に立脚する」という理念は,精神科医療に関わらず,どんな臨床学の教科書にも当たり前のように必ず出てくるが,実際の医療現場では,言葉は存在すれどもその実は形骸化してしまっていると言っていい状況である。この理念を今もっとも実践的に行っていると見えるのは,介護福祉現場に従事する介護士やヘルパーではないだろうか。彼らは,医師や看護師のような医療従事者ではないので患者や利用者に対して治療や投薬はできないが,その他の生活全般をサポートしている。その中でも近年福祉教育現場でも特に力を入れているのは「傾聴」である。
 この「傾聴」というのは,介護者が患者の話に対して耳を傾けることである。その患者の話は何も診断の判断になるような病状のことだとは限らない。天気の話かもしれないし,昨日のプロ野球の結果の話かもしれない。また介護者との会話が成り立つような内容のものではなく,ひたすら家族に対する愚痴をしゃべり続けるかもしれない。それでも,その話を遮ることはしないで,患者や利用者の話に耳を傾けるのが「傾聴」である。
 人間は誰でも自分の話を他人に聞いてもらいたいもので,人の話を聞くよりも,自分の事を話したがる人間も多々いるわけである。しかも,世の中がこれだけ殺伐として,自分の弱みも迂闊に他人に見せられないような状況では,自分の話を親身になって聞いてくれる人間を探すのも大変なのである。こんな状況で病を患った人々は,なおさらに社会から孤立していくのである。

 今や,介護現場に取って変わられた「傾聴」であるが,もともとは内科臨床で大切とされたムントテラピーの精神の源流はここにあるのである。患者のどんな些細な会話の中からでも,診断の材料となることを掘り起こす基本的な作業であり,聖路加の日野原重明氏が「生活習慣病」というものを提唱してからは,個々の患者の生活スタイルをサーベイするという観点から改めて見直されるようになってきた。これが精神科領域の診断であれば,患者の心の闇を探るのには絶対に必要不可欠な行為なのである。
 Dr.ギャラガーの診断術,治療方針も,この「傾聴」に立脚している。しかも彼の場合は「心」だけではなく,さらに,身体的領域にも一歩も二歩も踏み込んでいることが斬新なのである。例えばこの第2話では,朝のカンファレンスの代わりに医療スタッフ全員を外の芝生の庭に呼び出し,患者と一緒に運動会をさせたのである。最初はギャラガーの命令で仕方なく参加していた医療スタッフも,だんだんと雰囲気に溶け込んで,最後には楽しそうな良い笑顔を見せていた(ここの一連のシークエンスの演出部分は見事だ)。ギャラガー曰く,患者と一緒に真剣に体を動かす事で,患者から信頼を勝ち取るのだという。
 運動会という空間では,「医師」-「患者」という関係性は無くなり,皆それぞれが「一個人」という立場で並列化されてコミュニティが形成されてく。ここで初めて,「医師」-「患者」間にあった硬直化,固定化された関係性が解消されていくのである。その彼らが実際に芝生の庭で興じていたのは医師と患者が組みになった二人三脚の競走である。二人三脚というモティーフは,ここでは医師+患者の共同作業を象徴しているが,そればかりではなく,この第2話の伏線にもなっている。
 前回のレビューでも触れたが,ギャラガーがウォートン記念病院で試みている数々のことは,かつてパリ郊外のラボルド病院で精神分析学者のフェリックス・ガタリが挑んだことでもある。その創立者のジャン・ウリも,精神病患者たちの余暇の時間に音楽やダンスなどの即興芸術を取り入れ,患者の「心」と「体」の赴くままに自由にそれを楽しませることで,身体性の回復と精神の解放を試みたのである。

 今回の患者メリッサは,自分は妊娠していると7ヵ月もの間思い込んでいる感応性妄想性障害の患者である。彼女は一人で外出中に容態が急変し,Dr.ギャラガーのいるウォートン記念病院に急患で運ばれてくる。ウォートン記念病院は内科,外科,産婦人科に加え,ギャラガーが部長を務める精神科も併設されている総合病院である。メリッサは,外見上はまったく妊婦とは変わらないので初診では産科の医師が診察をした。しかし子宮内に胎児がいる形跡はまったく見られなかったので想像妊娠を疑ってギャラガーのもとへ回されたわけである。
 メリッサの肉体はまさに,その空想上の胎児を育てるために暴走を始めた模様で,妊娠を判定する様々な生化学検査でも陽性反応を示し,しかもその下腹部は本物の妊婦のように膨張している。その膨満化された下腹部に膀胱も圧迫されて,まるで破水した妊婦のように大量の尿を勢いよく放出してしまうほどだ。だが肝心の胎児の姿はどこにも見当たらないのである。
 胎児が存在しない空の子宮が,空洞のまま肥大化しているという状況はやはり異様な光景だが,メリッサをこのような状況にしてしまった病因は夫のリチャードにある。リチャードは離婚経験のある産科医で,実はメリッサのことを自ら診察していたのである。リチャードは前妻との間に子供が恵まれず,それが原因で離婚をした過去があり,2人の子供を求める気持ちが強すぎるあまり,次第にメリッサが妊娠しているという妄想に取り付かれるようになってしまったのである。産科医のリチャードを信頼していたメリッサも,そのリチャードの言動で,自分が妊娠していると思い込むようになったのだ。つまりリチャード自身が「二人組精神病」という複雑で厄介な精神病を患っていたのである。
 「二人組精神病」とは,共通する妄想概念を持った人間同士が,その妄想を共鳴し合い,肥大化させていく病である。メリッサとリチャードに共通して存在する妄想はメリッサが妊娠しているということであり,メリッサはたまたま産科医の夫を持ってしまったばかりに他の医師の正しい診察を受ける機会がなく,リチャードによって形成された妄想概念の中に長らく監禁されていたというような状況だ。
 この2人の妄想概念によって閉じられた空間でギャラガーがどんな治療を施したのかというと,まさに“外科的”治療なのである。患者の話すことを全て肯定して聞き入れる「傾聴」という行為を外科的にアプローチしたならばこのようになったのである。
 まずギャラガーは,ウォートン記念病院の中にいる麻酔医,産科医,MEらを招集した。これはリチャードに対して,彼の診断に従いメリッサに“帝王切開”を施すという行為を示威するためである。だからこれはあくまでも示威行為であって,実際にメリッサの身体にメスを入れる事が目的ではない。そして手術室に夫のリチャードを呼び,彼自らにメスを握らせ,妻であるメリッサの腹部を切開するように命令するのである。この行為は,情緒不安定な精神病患者に鋭利な刃物を持たせることでもあり,非常にリスクをともなう。したがって,ギャラガー以下医療チームは不測の事態にも備えていたのであろう。
 リチャードは,仮想の胎児の生育によって膨満化したメリッサの腹部にメスを入れようと彼女の前に立つが,なかなかそれができない。そして今まで自分が作ってきた妄想がフラッシュバックしていき,その妄想空間の中で胎児の姿が消滅した瞬間に,ようやく現実の世界と向き合おうとするのである。
 ギャラガーが今回2人に施した治療とは,2人の共同作業によって作られた閉じた妄想空間を切開することであり,その切開口から,あたかも胎児を取り上げるかのごとく,リチャードとメリッサを救いあげたのである。
 今回も斬新すぎるギャラガーの治療法には驚かされたが,精神科医療領域において,ウリやガタリの言うようなことを実際にやるには,これぐらいのダイナミズムがないと,精神科医療における「制度」そのものが変わることはないであろう。

『メンタル:癒しのカルテ』
毎週火曜日 夜10:00~11:00 FOXチャンネル

■『メンタル:癒しのカルテ』 これまでのレビュー■
【海外ドラマ】 『メンタル:癒しのカルテ』#1(FOXチャンネル)

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