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10. Juni 09

【現代詩】 詩人・野間明子朗読ライブ(ギャルリー東京ユマニテ)

 詩人・野間明子が,おおよそ20年ぶりに,本格的な朗読ライブの舞台に立った。この日に読まれた作品は,野間明子の第一詩集『玻璃』(漉林書房)に収録されている「鬼」,「ヒュドラ」,「プロキオン」,「雨期」の代表作などを中心に,1時間の舞台の中で,『玻璃』の前後に書かれた作品も朗読された。
 この中で,「プロキオン」は,今から20年ほど前に,画家・梅崎幸吉が主宰する銀座7丁目の裏路地にあったギャラリー・ケルビームでの朗読ライブでも読まれたこともある思い出深い作品である。当時ギャラリー・ケルビームでは,現代アートの作品の展示だけではなく,音楽,パフォーマンス,朗読といった様々なイベントが毎日のように行われていた。その中で,主に詩人・田川紀久雄が主宰する漉林書房の同人の詩人たちが多くライブの舞台に立ち,自作詩を発表していた。
 この日,20年ぶりにソロ・ライブの舞台で読まれた「プロキオン」は,当時のものとは大分違った印象を受けた。まず,ケルビームとユマニテでは,空間の構造が大きく異なる。ユマニテは真四角に近い空間で,床がリノリウムなので,詩人の肉声が床にも良く反響されている。それがいわばアンプのような効果を生み,肉声に艶が出て有機的な音質になる。特に女性詩人の高音域に,この特徴が顕著に出るようである。
 一方で,ケルビームは細長い空間で,床が絨毯であったので,それが逆に消音効果を生むので,詩人の肉声が堅牢な質感となる。しかもユマニテの空間のように肉声がほとんど反響をしてくれないので,詩人の力量の差が圧倒的に出るのである。このような条件の中で,かつて野間明子は,非常に無機質で堅牢な質感の肉声を,ギャラリーの最後方まで飛ばし,迫力ある朗読ライブを行ったのである。この時に読まれた「プロキオン」という作品は,もう何度も私は批評で書いているが,インパクトの強い作品なのである。
 しかし,今回読まれた「プロキオン」は,ケルビームの頃に聞いたものとはまったく印象の異なるものとなっていた。ここで,ケルビームでのライブが映像資料として残っていないことが本当に悔やまれるが,まず,ひと呼吸ずつ間をとりながら読む冒頭の3行,即ち

 プロキオン
 き・おーん
 ぷろきおん

の後に,早いテンポで怒涛の如く言葉が展開していくパートが現れるのである。それがこの部分だ。

「あたしは菜っぱを食べている,曇ったステンレスの両手鍋でちぬと水菜が煮えている,強火でなければ消えてしまう錆びたガスコンロにかかっている,ビスケットの罐をひっくりかえしたガス台に金茶色の脂染みが消えない/昆布だしで煮て食べている,残り少なくなった中味にちぬの脂が浮いている,青いチェックのビニールクロスがかかっている,チェックの上の花模様にしょうゆ差しの丸い跡が消えない,花模様の向こうに煮たった薬罐を乗せたビニールの縮みが消えない」

この後もまだまだ続くこのパートを,当時の野間明子は,息もつかずに一気に読んだのである。この作品の中では菜っ葉と魚の煮物が鍋でぐつぐつ煮えたぎっており,その煮立った鍋から聞こえてくる世話しない音のイメージが,この早いテンポと非常に良く合うのである。
 それに対して,今回再び朗読された「プロキオン」は,全体的に落ち着いたテンポであり,20年前の朗読と比較するとリズムやテンポにはあまり抑揚はない。その分,野間明子は一語一語を拾うように読んでいくので,感情も声に乗ってくる。そのためなのか,以前の「プロキオン」を聞いた印象では,現代詩の非常に実験的な作品のように聞こえたのだが,今回このように改変された「プロキオン」では実験的な作品の片鱗はもはや見ないが,その代わりに,野間明子自身の私小説的寓話の世界が広がっていくので,これはこれで面白い。当時,「プロキオン」や表題作品である「玻璃」だけが突出した作品に思えていたが,今回のライブを聞くかぎりでは,その他の作品,「鬼」,「ヒュドラ」,「雨期」と並んでも,違和感はない。
 テキストはいわば音楽に例えれば楽譜と同様で,そのテキストはリズムやテンポも含めて読み手の解釈に委ねられる。同じ読み手でも,年代によって解釈が変わってくるのは珍しいことではなく,われわれは同時代に生きているからこそ,その変容を楽しむことができるのである。

 ライブが終わった後,帰りの電車の中で野間明子と一緒だったので,ケルビーム時代の想い出話しなどに華が咲いた。野間明子に言われて思い出したのだが,実は当時,私も画家・梅崎幸吉が企画した朗読ライブの舞台に一度だけ立ったことがあるのである。この時は詩人の伊藤洋子とデュオの舞台に立ち,私のドイツ語の詩「リンゲルの海」を,伊藤洋子が和文訳で,そして私は原文のドイツ語で朗読したのである。しかしこれも当然のことながら映像資料も音源も残っていないのが残念である。野間明子が当時を振り返って言うには,私の声と伊藤洋子の声がお互いに良いハーモニーになっていたそうである。
 それから野間明子からはこんな言葉も聞けた。
「詩人は世の中に相手にされていないから,自分の作品が批評の俎上に上げられることにも慣れていない」
 とのことである。
 この言葉は現在,現代詩に関わるすべてのものたちが抱えている問題なのであろう。同人活動は盛んだが,それが世の中に向かっていないことは確かである。かつて,詩人・一色真理らと一緒に現代詩のイベントをやった時も,このような話をした記憶がある。あれからやはり20年の時を経ているが,詩壇は何も変わっていない様子である。そんな中でも,かつてケルビームという,ユマニテなどとは比較にならないほどのタイトな空間で鍛え上げられた野間明子が,再び肉声の朗読ライブの舞台に帰ってきてくれたことは素直に嬉しい。

■井上リサによるその他の野間明子レビュー記事
野間明子第一詩集 『玻璃』(漉林書房)~詩人,野間明子が20年ぶりに朗読ライブの舞台に立つ~

 

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