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19. April 09

【フィギュアスケート】 浅田真央VS安藤美姫~今季最後の女王対決~

 フィギュアスケート国別対抗戦で、浅田VS安藤の今季最後の女王対決を見た。浅田は3A(トリプルアクセル)を2回入れたプログラムで挑み、対する安藤は4S(クワドサルコウ)を入れたプログラム。ともに男性スケーターでも難しいとされる超難度の技である。
 結果は浅田がやや回転不足でダウングレードをされたものの、3Aを2回決めて200点超えという驚異の高得点で安藤の上をいった。一方安藤の方は4Sの失敗がプログラム全体に響き、思った以上に得点が伸びなかった。しかしこの2人の選手たちは、現行のルールの中でも難度の最も高い技に唯一チャレンジし続けたというだけでも十分に尊敬に値する。
 “現行のルール”とわざわざ書いたのは、これがまだまだ発展途上のものであり、必ずしもフェアな判定基準になっていないという問題を数多くはらんでいるからだ。その現行ルールの問題とは、フィギュア・スケートをスポーツと定義していながらも、人跡未踏の技にチャレンジする選手を正しく評価しようとしない部分である。浅田や安藤のように男子でも難しい技を試みた時、少々のミスでも大きく減点される。その一方で、ジャッジの主観ひとつで得点が左右される曖昧な「加点」方式が加わった。
 それによってここ近年フィギュア界で何が起こったかと言えば、本来、浅田や安藤のように高いポテンシャルを秘めた可能性のある主に欧米の若い世代の選手が、リスクを恐れて大技に挑まなくなったり、一方で、まるでジュニア構成のような何の変哲もない容易なプログラムを滑る凡庸な選手が高得点を得るというような好ましくない事態が起こっているのである。
 国際スケート連盟としては、浅田や安藤のような突出した選手以外にもチャンスを与えて興行的に盛り上げようという政治的な意図があるのだろうが、このような方向性は、おおよそスポーツとは言えない。
 競技としてのフィギュアスケートと、ショービズとしてのプロ・アイスショーを明確に差別化している以上、五輪や世界選手権を競う、“競技”としてのフィギュアスケートにおいて、ジャッジの下した得点にわだかまりが残るようなことをしてはいけない。またこの場に「芸術性」などという荒唐無稽なクリティークを持ち出すのもナンセンスである。
 しかしこのような状況の中で一つだけ朗報がある。来季より、一部採点について再びルール改正がなされるのである。今回改正されるのは、ジャンプでダウングレードの判定を受けた時、現行ルールよりは減点を少なくするというものである。これによって考えられるのは、浅田や安藤はさらに高いレベルのプログラム構成に挑むモティベーションが高まり、今期よりもさらにパーソナルベストを伸ばしてくるという期待が持てる。一方で、凡庸な技と要素しか持っていない選手は、ジャッジによる不可解な裁量によっていくら加点を得ても、もともとのポテンシャルに格段の差がある浅田や安藤、そしてこれから2人の女王のライバルとなっていくであろうジャン(米)やナガス(米)には追いつけないだろう。
 これが本来のスポーツのあり方である。彼らが我々から尊敬されるのは、人類の持つ究極の身体性をさらけ出し、選ばれた人間しか到達できないもっとも高いレベルで競い合うからである。そこで初めて“美”というものが、その究極の身体によって体現されるのである。
 せかっくなので、今期のしめくくりに2人の女王の作品についても少しふれておきたい。

浅田真央『仮面舞踏会』
 この作品は、浅田真央がただ“かわいい”と言われていた時代から確実に脱皮するに至った作品である。衣装もさることながら、後半のステップは、苦しみながら踊り狂う主人公の気持ちがこちらにも伝わってくる。浅田真央は、男子でも難しい技を軽々とやってしまうので、今までならば全体的に明朗で爽快なイメージしか作り出せていなかったのだが、この『仮面舞踏会』に限っていえば、そこにあるのはただただ「狂気」である。西洋絵画におけるカリカチュアで表された魅惑的な「死の舞踏」だ。それが浅田真央という究極の身体によって「エロス/タナトス」の領海を行ったり来たりするのである。
 当初、他の楽曲に比べると「緩」/「急」の抑揚に乏しいこの楽曲は、プログラム構成でも“サビ”の部分を作るのが困難とされていた。しかし、一定のリズムに乗って、後半怒涛のように押し寄せる「狂気」のステップは、ジャンプよりもむしろ高く評価されてもいいぐらいである。そしてこの時の浅田の表情も良い。ここは無理に笑顔を作る場面ではない。何かに憑かれて「死」の瞬間まで踊り続ける苦悶の表情こそ必要なのである。1年かけてようやく完成の域に達した実にすばらしいプログラムであった。

安藤美姫『オルガン』
 安藤美姫のサルコウは美しい。このプログラムではついに4回転のサルコウが見られなかったのは残念だ。劇伴に使用された『オルガン』は、サンサーンスの交響曲第3番の最終楽章である。この最終楽章の途中からオーケストラにパイプオルガンが加わるのでこのタイトルがついている。しかし残念なことに編曲がややぶつ切りであまりよくなかった。安藤の持つ、可憐かつ豪快な特徴を表現するには、オーケストラにパイプオルガンが加わって大フーガが展開されていくサビの部分を大々的に使って欲しかったのだ。そうすれば、もっと格段に安藤美姫の持つ良さを引き出せたであろう。そのような意味で、各要素のスケーティングは実に美しいのだが、プログラムとしては未完成に終わってしまったように思う。
 やはり安藤美姫には、前季にショートプログラムで滑った『シェヘラザート』のように、「緩」/「急」が明快で、途中、キャッチーな“サビ”がある楽曲がふさわしいのではないか。
 これは私の個人的希望だが、例えば安藤美姫には宮川泰の作曲したピアノとオーケストラ編成の『ゴルバのテーマ』などが似合うと思う。『ゴルバのテーマ』とは『宇宙戦艦ヤマト~新たなる旅立ち』に登場する敵要塞のテーマ曲である。威圧的にして死の香りのする魅惑的なイントロは、安藤の「動機」にぴったりだ。そして羽田健太郎が超絶技巧的に奏でる速いピアノパートは、安藤の高速スピンと合わせたら実に美しいであろう。衣装も敵要塞のゴルバの質感を引用して、偏光性のある限りなく黒に近い緑や藍をベースにシースルーの素材を重ねた衣装が作れるだろう。
 もっともこれは私個人の空想の域をでないものだが、安藤美姫の魅力とは、こういった想像力で人を楽しませてくれるところにもある。来季のルール改正が、安藤のような一流のアスリートにとってアドバンテージとなることを願っている。

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