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23. April 09

【コラム】スウェアリンジェンは,なぜインテリ・サヨクから小バカにされるのか?

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 わが街にはここをホームタウンとするプロ・オーケストラが2つもある。一つは日本フィルハーモニー,そしてもう一つは東京佼成ウインドオーケストラだ。
 近年わが街は,「トトロの家」や「ガンダム商店街」,それから区長が町興しのために肝入りで作ったアニメーションミュージアムの存在が内外に知られるようになって,すっかり“アニメの町”として有名になった。
 もともとわが街はその歴史を紐解けば,古くは数多の文豪たちが邸宅を構え,1960年代から70年代にかけてはフォークや暗黒舞踏の発祥の地としてカウンター・カルチャーをリードしてきたという文化的土壌がある。
 それに加えて現在では2つのプロ・オーケストラを区内に擁するのだから,こんな小さな街によくぞこれだけクオリティーの高いものが集まったものだと関心する。おまけに緑も多くて,まるで欧州の都市のようなので,海外から来客があった時も街の中を一緒に散策するだけでも好評なのである。
 区内にホームタウンを置く2つのオーケストラのうち,東京佼成の方は長らくわが国の吹奏楽の発展と向上に尽力してきた楽団である。ここのホームグラウンドである「普門館」というホールは,吹奏楽に携わる者にとってはまさに甲子園球場と同じだ。毎年全国の学校,団体で組織された吹奏楽団が全国コンクールの本戦で顔を合わせるのがこの「普門館」という巨大なホールである。ここでは出場者全員に,「甲子園の土」ならず,“普門館の床”という記念品を贈呈している。こういうところも極右猛虎党の私としても気に入っているところだ。

 ところで,吹奏楽と聞くと多くの人は何を連想するのだろうか? おそらくは,それこそ甲子園の応援で活躍するブラスバンドや,自衛隊や警視庁の皆さんの軍楽隊などを想起するのだろうか。
 その昔は部活でブラスバンドをやっているというと,もっぱらレパートリーは映画音楽やクラシック音楽の編曲モノが圧倒的に多かった。クラシックの世界でも,近代までは弦楽器が編成に入ったオーケストラ作品が多かったのだからこれは仕方がない。吹奏楽のために書かれた演奏会用の作品としては,私の知る限りではベルリオーズが書いた弦楽器が一切加わらない吹奏楽編成の楽曲『葬送と勝利の大交響曲』という作品があるぐらいではないか。
 これに対して現代の作曲家たちは吹奏楽編成の作品も多数書くようになったので,演奏会のレパートリーも格段に広がったのだ。最近ではコンクールの常連校などが,プロの作曲家にわざわざ作品を依頼することもある。因みに何年か前の都立西校吹奏楽部の演奏会では,天野正道が委嘱作品を書き下ろしている。
 これまでに,特にアメリカで発展してきた現代吹奏楽にも吹奏楽の楽曲を専門に書いてきた作曲家たちがたくさんいる。その王道は間違いなくアルフレッド・リードであろう。しかし,もっとも愛されている作曲家は誰かと言えば,やはりスウェアリンジェンやジェームス・バーンズではないだろうか。
 彼らはしばしば来日し,わが国の吹奏楽の普及に東京佼成とともに尽力してきた作曲家である。吹奏楽を習い初めの頃,スウェアリンジェンの『狂詩曲ノヴェナ』や『インヴィクタ序曲』などを練習した人は多くいると思う。そして,だんだん仲間が集まってきて大編成になってくると,バーンズの『アルヴァーマー序曲』でもやってみようかというはなしになる。
 彼らはいわば吹奏楽の入り口にいる作曲家であり,その楽しみを我々に与えてくれた人たちでもある。
 『狂詩曲ノヴェナ』や『インヴィクタ序曲』はコンクールの課題曲にもなるぐらいなので,練習曲としても優れているが,プロの楽団が演奏すれば演奏会用楽曲としても何ら遜色はない。こういったシンプルな構造の楽曲の方が,実は「作品」として完成させるのは難しいのである。うちには東京佼成が演奏したものと,アメリカのプロの楽団・ワシントン・ウインズが演奏したものと2種類の音源があるが,どちらも素晴らしい演奏である。

 しかし世の中どういうわけか,スウェアリンジェンを小バカにしている輩もいるようだ。その理由はだいたいのところ察しがつく。ようするに,スウェアリンジェンは弦楽器が編成に入る正式なオーケストラ作品を書いていないじゃないか,ということだろう。実はこの言葉の意味の中には,インテリ・クラシック音楽ファンから見た吹奏楽というジャンルに対する少々の偏見めいたものが含まれているのである。もっとはっきり言えば,“吹奏楽ってブラスバンドじゃん”ということだ。
 こういうことを言う輩は,黛敏郎が吹奏楽編成で書いた『トーンプレロマス55』という楽曲を一度聞いてみるといい。黛がヴァレーズにインスパイアされて書いたこの楽曲は,吹奏楽の持つあらゆる可能性,身体性を試みた作品である。黛は楽曲解説でこのようなことも書いてる。
「人間の息を利用する管楽器と,手に依る打楽器を生命とする打楽器のアンサンブルが発する音のエネルギーの集積は,トーンプレロマスという言葉に一番相応し,効果をあげてくれることだろう。」
 つまり,弦楽器のように,「楽器」と「身体」との間に「弓」という媒介を通す楽器は,そこで何らかの恣意的要素が生まれてしまうからそれは排除して,「息を吐く」,「手で叩く」という身体的行為が直接音に繋がる管楽器と打楽器を編成に選んだということであろう。これを黛が言うと,あたかも原初的男根主義に聞こえてしまいそうだが,ようするにそういうことだ。本来明快なことをあたかも難しいことのように捏ねくりまわすのが好きなインテリ・サヨクとは対極にある態度である。
 スウェアリンジェンを小バカにする輩はインテリ・サヨクとは言わないまでも,旧態依然のアカデミズムで吹奏楽というものを見ていることだけはわかる。だから歴史上の大家とスウェアリンジェンを並べて語ることなど絶対に許さない。スウェアリンジェンの,あの明朗で親しみやすいポピュリズムが許せないのであろう。しかし私は何と言われようとも聞くだけで大西洋の広大な海が浮かんでくるスウェアリンジェンは愛すべき作曲家であると思っている。葉山界隈でヨット遊びをした日には,海に沈む夕日を見るたびに彼の名曲『チェスフォード・ポートレート』のサビの部分が頭の中で鳴るのである。

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