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03. März 09

【アート】藍画廊リニューアル・パーティー(銀座)

 3月2日、京橋から銀座1丁目に移転してリニューアルした藍画廊の開廊パーティーが開かれた。夕方の5時から始まったオープニング・パーティーには、銀座1丁目での再スタートを心待ちにしていた美術作家やジャーナリスト、インデペンデント・キュレイターらがこの日を祝って遠方からたくさん駆けつけた。

リニューアル・パーティーの様子

 このたび藍画廊が移転先として選んだこの空間は、もともとは同じく現代アートの画廊であった「ギャラリー21+葉」があった空間である。「ギャラリー21+葉」も銀座では歴史のある現代アートの画廊で、その前身である「ギャラリー21」は、タブローからインスタレーションまで、あらゆる表現に対応した空間であった。また、展覧会だけではなく、毎月『ギャラリー21コンサート』と題して、オーナーの黒田さんの芸大時代の同窓生である都響のトップ・プレイヤーを招いての室内楽のコンサートを催すなど、多面的な活動で様々な年代層から支持を集めていた空間であった。
 その「ギャラリー21」が「ギャラリー葉」とコラボレーションをする形で「ギャラリー21+葉」の時代になってからも、長らく銀座界隈の現代アートシーンで中核的存在を担ってきたが、このたびオーナーの黒田さんのアトリエがある自由が丘へ移転することとなり、この空間は新生・藍画廊の空間として生まれ変わることとなったのである。
 このタイミングは、黒田さんと、そして藍画廊オーナーの倉品さんとの間にある信頼関係と、同時代をギャラリストとして生きてきたお互いの価値観によって生まれたレアケースなのである。
 ここ10年で、実に多くのギャラリーが移転、閉廊していった。その今は無くなったギャラリーの中にも、形を変えて再出発を試みたものも多数あったが、そのほとんどはその形を成すこともなく消えていったのである。
 アートというものが東京の商業メディアによって、“理解し難いモノ”から“ポップなパブリシティ”へと価値を変換させられたことによって、一見すると市民社会からも市民権を得たように思えるが、その極端に肥大化していくポピュリズムの中で、ギャラリスト自らが、一定の役割を終えたとしてギャラリーを閉じるといった状況も生まれたのも事実である。我々がこのような状況で失ったものは、ギャラリーという単なる「箱」ではなく、アートにとって必要不可欠であるはずの「批評空間」である。

 わが国の美術ギャラリーの歴史を振り返ると、欧米のギャラリーにはない、ある特異性があることに気付かされる。その特異性とは、長らくわが国の先鋭的な現代アートシーンは、いわゆる「貸し画廊」といわれるインデペンデントな空間が担ってきたということである。その歴史は、昭和の前衛運動から始まり、60年代、70年代の反芸術運動にいたるまで、画商が取り仕切る老舗画廊や公募美術展を頂点とする権威と対角を成す形で批評空間として存在し続けてきたものだ。
 これは、画商が個別に作家と契約し、その作家を育成していく従来型のコマーシャル・ギャラリーが大多数である欧米とは異なる。現代アートの黎明期から、わが国には多く存在していたインデペンデントな空間は、その厳しい批評空間で作家を鍛えて育成してきたのである。いわばそれは、無名のボードビリアンを育ててきたオフ・ブロードウェイのような空間といえば、さらに分かりやすいかもしれない。
 現在はというと、ここにメディア・リミックスが加わり、作家がこの“オフ・ブロードウェイ”を経ずに、いわゆる“世に出る”ということも比較的可能になってきた。作家活動におけるコストパフォーマンスを考えれば、多くの作家たちがこちらに流れていくのも理解できる。だがそのような状況にあっても、藍画廊のようなインデペンデントな空間を求める人間が多くいるということは、それが批評空間として存在していく意義をまだ持っているからである。
 我々はこの批評空間において、作家が同時代的に何を感じ、何をとらえようとしているのか、といった批評性の一端を垣間見ることができる。それが即ちコンテンポラリーということであり、知性を持った人間はそれを求めずにはいられないのである。

 記念すべき開廊第1回の展覧会は、平面作家、亀山尚子のタブローである。亀山尚子は、京橋時代の藍画廊でも何度も個展を行っている作家だ。一見すると植物や果物や真菌類の胞子を連想させるそのタブローは、特に具体的にモティーフがあるわけではなく、画面の中で自由奔放に走る情動的なストロークが、そのような不可思議なフォルムを生んでいるのである。言い換えるとこのフォルムは、絵筆を持つ作家の利き手関節の可動範囲や、靱帯の柔軟性、そしてその動きを精密に制御する随意運動、つまりは作家個別に与えられた身体性によって紡ぎ出されたものであり、あらためて、いろいろな作家が描くドローイングの面白さに気付かされる作品である。

Photo

藍画廊オープニング企画
『亀山尚子』展
2009年3月2日(月)~14日(土)
http://homepage.mac.com/mfukuda2/index.html

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