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März 2009

31. März 09

【雑誌紹介】 ロハス・メディカル

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 雑誌業界に不況の波が押し寄せているといわれて久しい。このところ毎月たくさんの雑誌が休刊、あるいは廃刊に追い込まれている。その中には何十年もの間読者にも愛されてきた老舗雑誌もあったりする。
 そんな状況とは対照的に、フリーペーパーといわれる新しい雑誌媒体が盛況のようである。フリーペーパーといえば、その創世期はタウン誌やグルメ雑誌の延長のようなもので、やけに巻末の広告ばかりが多くて、紙質も悪いものが目立った。こういう雑誌は基本的に「読み捨て」であり、家までは持って帰らず駅のゴミ箱に捨てて帰る人も多かった。
 しかし今ではフリーペーパーも相当に様変わりしていて、例えば『R25』などは既存の商業誌にはないハードエッジな特集やコラムが読めて若年層に人気である。地下鉄のラックから品切れになることもある。
 最初はタウン誌、グルメ誌の延長だったフリーペーパーも、近年では実に多様になり、医療や健康に関するフリーペーパーも見かけるようになった。この『ロハス・メディカル』もそんなフリーペーパーの一つである。
 多くのフリーペーパーが地下鉄構内などのラックで入手できるのに対して、この『ロハス・メディカル』は、首都圏の主要基幹病院の患者待合室で無料で配布している。内容も生活習慣病などの特集をするなど,読者の関心のニーズに対応したもので,この他にも毎年のように改正される複雑な医療行政について分かりやすく解説するページや,患者会を母体とするNPO主宰者や医師の連載コラムも読むことが出来る。
 その中で,放射線科医の加藤大基さんが連載している「通院ついでの歴史散歩」というエッセイがなかなか面白い。加藤さんは自分も癌を患った経験のある医師で、その著書『東大のがん治療医が癌になって』でも知られている。
 『ロハス・メディカル』3月号では、聖路加国際病院から築地界隈の歴史散策について書かれている。聖路加国際病院の敷地と所縁のある杉田玄白やシーボルトの話に始り、近隣には芥川龍之介の生地があることも紹介されている。
 「通院ついでの歴史散歩」という考え方は,なかなか楽しい。今現在も実際に通院生活を送ってる人の中には,通院生活がなかったら自分はこんな縁も所縁もない場所を訪れることはなかっただろうと思っている人もいるであろう。家と病院をただひたすら往復だけしている人もいるに違いない。しかしこの時期ならば,桜並木がきれいな場所があったりするかもしれない。少し路地裏に入れば感じの良いカフェやギャラリーがあるかもしれない。加藤さんのエッセイは,代わり映えのしない通院生活の中にも,何か新しいことや楽しいことを見つけることをガイドしてくれるものだ。
 これは加藤さんが医師でありながら自分も実際に重い病を患った経験があるからこそ出てきた,患者側に立った発想であろう。毎日患者がどんな思いで通院しているかなどということは医師にはなかなか伝わりにくい。長引く療養生活の中で,町並みの四季の移り変わりを見て元気になる人もいれば,その長患いに感慨深いものを感じる人もいるであろう。そういう時に,少し視点を変えて,いつもの通院ルートを散策するのもいいだろう。そういう人には打って付けの読み物である。
 『ロハス・メディカル』は間もなく5月号が刊行される。私は先日都内の基幹病院で癌検診を受けに行った時に,たまたま待合室で手に取った。他のフリーペーパーのように地下鉄構内のラックに置いてあるわけでもないので,次号が読みたければまた待合室までもらいに行かなければならない。
 毎月のように,どこも悪くもないのにこの雑誌をもらうためだけに病院に行くというのは,やはり変に思われるだろうか。

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30. März 09

【名古屋芸術大学・芸術療法講座講義】 広告批評 「IMAGINATION」(2002年・AC制作)

 私が講義を行っている芸術療法講座では、学生に様々なワークショップを取り組ませるために、それの動機付けとなるような映像資料もたくさん見せている。映像資料は上映時間が1時間を超える長いドキュメンタリー映画の場合もあるが、1、2分程度の広告を見せる場合もある。
 今回学生に見せた広告は、AC(公共広告機構)が2002年に制作した「IMAGINATION」という作品である。この作品は、人間の本来持つ表現欲求と、それを「表現病理」として捉えようとした時に浮上してくる精神医療の偏見、固定観念を訴えかけた広告である。ACは、これまでにも覚せい剤、DV、育児放棄などといった社会問題を数多く扱い、その映像広告は強烈なインパクトを持って、それを一度でも見たことのある人の記憶の中に焼き付いているであろう。その中でも、私の講義の内容と関わりの深い「表現病理」について扱った「IMAGINATION」という作品は、そのインパクトでは群を抜いている。
 「IMAGNATION」はストーリー仕立ての広告である。まず小学生たちが教室で絵を描いているシーンから始まる。多くの児童は、花や風景や動物といった、いわゆる大人から見て“子供らしい”といわれる絵を、“好ましい”とされる明るい色調で描いている。しかしその中に一人だけ、画用紙を黒いクレヨンで必死に塗りつぶしている児童がいて、担任の教師はその児童を奇異の目で見ているのである。その児童は来る日も来る日も、ひらすら画用紙を黒く塗りつぶすことに熱中しているので、他の児童とは明らかに様子が違って変だと思った担任は、カウンセラーに相談したようである。その児童は彼の意に反して精神科病棟のようなところに連れて行かれて、彼を取り囲んだ精神科医たちから様々な尋問を受ける。
 これが、「IMAGINATION」の前半部分である。もしこのまま終わってしまっても、それなりにいろいろなメッセージを残す作品となるのだが、後半のラストに思わぬ展開がある。その思わぬ展開というのは、誰もいない放課後の教室で、おそらく精神科病棟に隔離されてしまったであろうあの児童の残した黒い画用紙を見つけた担任が、それを床の一面に並べると、大きなクジラの絵が完成するというものである。そして「子供から、想像力を奪わないで下さい」というメッセージが最後に挿入される。
 この広告は、このようにアートにおける「表現」と、心理学・精神分析学・精神医療、そして近年になってメジャー領域に台頭してきた「病跡学」における「表現病理」の問題とも深く関わる作品であり、その部分が学生たちにも相当のインパクトをあたえたようである。

 まず、このACの広告を観てのレポートとして一番多かったのが、自分が子供のころに学校で同じような嫌な思いや経験をしたことを例に挙げて、心理学や精神医療からのアートへのアプローチに対して疑問を呈したものである。具体的には、他の多くの児童とは異なった色合い、題材などの図画を描いて担任から偏見を持たれたり、また、学内・学外の絵画コンクールで“お手本”として選ばれる作品は、大人が喜びそうな、どこか定型化したものばかりで、それが非常に不愉快であったことなどである。
 学生から話を聞いてみても、自分の進路に芸術系の大学を選択した学生は、子どもの頃に、少なからずこのような思いをしたものが多く、それゆえに、心理テストや精神分析学の分野で絵画をツールとして使用することについて、否定的意見を持つ学生もいる。つまり彼ら、クリエイターの立場からして見れば、心理テストや精神分析は過去の統計に過ぎず、自分の制作したものまでそれによって規定化されるのを拒むわけである。しかも性格診断や病理診断に利用されるとなれば、それはクリエイションという行為に対する最大の屈辱ということになるわけだ。
 ACの広告をみて、過去のこのような嫌な体験を思い出してしまった学生は、無意識ながらもアートにおける「表現」と、そこに病理を見出す「病跡学」という学問の意義、あるいはやや踏み込んで、それらの是非について問題提起したといえる。そのことが、この分野に対する疑いと、「反精神医学」的な精神医学批判につながってくるのである。そして、学生の中には、この広告の途中までは自分も精神科医と同様の視点で、画用紙を黒く塗っている児童のことを「異常」であると固定観念で見てしまったことを強く自己批判しているものも多い。それらの学生のレポートの中には、心理学や精神医学は誰もが信頼できる「科学」ではなく、あれは「文学」にすぎない、という批判も出てくるのである。

 また別の視点で学生が注目したのは、映像学から見た高い技術である。学生の中には、将来は広告クリエイターを目指しているものも多数いるので、彼らからしてみれば、1分30秒という短い時間に、あれだけ明快なメッセージが込められている点や、無駄のないカメラワークに感心したようである。しかし同時に、映像による広告が、紙媒体の広告よりも数段にインパクトが高いことに注目して、時と場合によって、それがプロパガンダとなり得る危うさにも言及している。このことは、テレビや新聞といった近代的マスメディアに見られる情動的な報道よりも、スーパーフラットなネットのストレートニュースに真理を見出そうとするネット世代のリテラシーなどが垣間見えて、この点も非常に興味深かった。(2008年9月27日の講義レポートより)

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15. März 09

【書評】 麻生太郎著 『とてつもない日本』(新潮新書)

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麻生太郎著
『とてつもない日本』

新潮新書
2007年


 現内閣総理大臣の麻生太郎氏が外務大臣時代に書いた国家論である。この本の面白いところは、政治家の著書でありながら、単に抽象的な政策ではなく、美学、日本文化論的視座からわが国の国家の形を提言したところである。その内容は、産業、工業、芸術、ポップカルチャーなど多岐に及ぶ。
 特に興味深いのが、第二章『日本の底力』の中で論じられている「日本がロボット大国である理由」というくだりである。ここで麻生氏が批評の中心的な俎上にあげているのが、『鉄腕アトム』と『モダンタイムズ』である。そして、欧米文化におけるロボットの存在は、その誕生自体がもともとは強制労働的な要素を含んでおり、先天的に人間社会とは対立せざるを得ない存在であると分析している。それに対してわが国の場合は、ロボットは人間の友達であるという文化が早くから根付いており、対立よりもまずは人間社会での融和が描かれてきた。麻生氏は、その文化的素地を作ってきたのが『鉄腕アトム』をはじめとする日本の優れたマンガやSFアニメーションであるとしている。それによって、例えば欧米が人間の形を成さない工業用ロボットの技術が発達していったのに対してわが国の場合は、介護ロボット、接客ロボット、そして「アイボ」や「アシモ」のようなペットロボットのように、人間の実生活の中で直接関わる存在として、新たなロボット技術が開発される契機となったと指摘している。そして当然のことながら、その技術は単なる実験レベルで終わることなく、近年では、身障者や高齢者用に開発が進むパワードスーツの研究などにも応用されている。麻生氏は、それらの思想の源流は『鉄腕アトム』などにあるという。
 実は私もまったく同じような考えを持っていて、欧米の友人ともこの話題がしばしば上がるのである。彼らは最初、日本の漫画やSFアニメに多く見られる“擬人化”されたロボットに非常に違和感を抱くそうだが、日本の文化を理解するようになると、その違和感が次第になくなるらしい。その時に彼らがしばしば相対的に俎上に上げてくるのが日本の仏像なのである。何もない1本の無垢の木から像が掘り起こされ、そこに魂が注入されていく様は、彼らからすると、『鉄腕アトム』の誕生シーンと同様のものを感じるそうである。また、『鳥獣戯画』についていろいろと調べていくと、日本にはなぜ「怪獣文化」や「妖怪文化」が生まれたのかも理解できるという。
 一方で、麻生氏も著書の中でも指摘しているとおり、もともとは人間の代替的労働力として誕生したロボットという概念は、近年のSF作品でも顕著ではないだろうか。例えば私はここで欧米の有名SF作品に登場する2人のアンドロイド、ビショップ(『エイリアン2』ほか)と、データ少佐(『スタートレックTNG』)を取り上げたい。
 ビショップとデータ少佐は、人間の男性に似せて精巧に作られたアンドロイドである。前者は明らかに工業製品として、後者は宇宙艦隊の士官幹部として人間社会で暮らしている。そして両者は共に、人間の為に自己犠牲的な死を遂げる。もちろんだがロボットやアンドロイドが人間の為に自己犠牲的な死を遂げる作品ならば、日本の作品にもいくらでもある。まず『鉄腕アトム』がそうであるし、『ジャイアントロボ』や、あるいはロボットではないが日本人が非常に感情移入してやまない『宇宙戦艦ヤマト』もまた同様である。
 ではここで、欧米とわが国ではその“人間以外の者”の「死」にいかなる差異があるのかを捉えるには、何をみればよいのかといえば、それは、その“人間以外の者”の「死」を、周囲の人間がどのように受け止めたかをみればよいのである。「死」と「生」というものは本来、シェイクスピアも戯曲に書いているとおり、非常に孤独な個人的作業である。そこに何か社会的意味が付加されるとすれば、それは周囲の人間によるクリティークしかないわけである。
 まずはビショップであるが、彼は例え企業から派遣された工業製品だからとはいえ、人間のために誠実に働き、仲間に対しても思いやりのあるアンドロイドであった。しかし彼がエイリアンとの闘いで致命傷を負って機能停止、即ち「死」を迎えた後の扱いは、あまりにもかわいそうであった。彼の周囲にいたほぼすべての人間は一度たりとも彼に労りの言葉もかけず、いつも彼ともっとも近い場所にいたリプリーでさえ、彼を拒絶することはあっても、仲間の一人として心を開くことはなかったように思う。この様子をみるかぎり、やはりビショップは、トヨタのような一介の企業が量産した工業製品でしかないというのを物語を見ていて目の当たりにしたのである。もしこれが手塚アニメのような日本の作品であったなら、機能停止したビショップの“遺体”にすがって涙を流す仲間もいたであろう。
 このように、同じ自己犠牲的な死であっても、周囲の人間によってそれがどのように認知され、評価されるかによって、「死」の意味がまるでかわってくるのである。その点データ少佐は、遺体こそ消滅したものの、仲間のクルーからも告別式も開いてもらって、若干は人間らしい死に方ができている。
 しかしいずれにしても、人間と彼ら機械による生命体との間には、非常に大きな隔たりが感じられる。これは麻生氏も指摘しているとおり、もともとは代替的労働力として生まれたものと、人間の友達として生まれたものの差異であろう。そして麻生氏は、後者のような感性が、日本の文化的豊かさを育んでいると指摘している。私もこの考えにまったく異論はない。
 それからもう一つ、欧米文化の中で、工業技術として人間型のロボットがなかなか開発されなかった理由として宗教的背景もあげられるであろう。欧米の保守的なキリスト教的世界観では、「神」以外が人間の形をした新たな生命を創造することは禁忌的行為である。このような背景から、ホンダがアシモのプレゼンテーションを開催した時に、欧米メディアは日本の先端技術の素晴らしさを認めると同時に、ある種の恐ろしさも感じたのである。もしもアシモが人間の成人並の大きさであったならば、その受け取られ方は大分変ったであろう。

 『とてつもない日本』の中では、わが国独特の漫画文化についても触れられている。麻生氏が漫画文化の源流として求めているのが『源氏物語絵巻』や『過去現在因果経』などである。これも、私がわが国独自の怪獣文化の源流を『鳥獣戯画』に求めるのと共通していてたいへんに興味深い。つまり、世界に名だたるポップカルチャーのクリエイターたちは、何らかの形で日本古来の文化的源流のDNAを内包していて、それが各世代でもって豊かに開花していっているというふうに、麻生氏は指摘しているのである。それはまさにそのとおりであろう。私とほぼ同世代の雨宮慶太監督など、その最たる存在である。
 ここで例えば昭和の前衛彫刻で活躍した成田亨の作品なども思わず取り上げたくなる。かつて新制作協会彫刻部で小田襄や堀内正和らとともに若手作家として活躍していた成田は、円谷プロのウルトラシリーズをはじめとする数々の特撮作品で、怪獣、星人などのクリーチャー・デザインを手がけてきた。私は生前の成田亨とは何度も会って、熱い芸術論を交わしたことが何度もあるが、その中でも、成田亨が創造する「異形」たちは、ウルトラマンが全宇宙の秩序<コスモス>を象徴するならば、怪獣たちは混沌<カオス>であるという話を何度も伺った記憶がある。そしてその「異形」たちの源流となっているのは日本古来に伝わる「鬼」にあるという。
 その話のとおり、特撮デザインの仕事から離れた晩年の成田亨は、各地に伝わる説話・民話の中の「鬼」をフィールドワークして、それを形にすることをライフワークとしていた。そしてそこで形造られた「鬼」の表情を見れば、世の中に対して睨みを利かせているその目の中に、往年のネロンガやゴモラの姿が浮かぶであろう。
 一連のこのようなものを見ていると、現代のクリエイターやポップカルチャーに対して、単に同時代性を感じるばかりか、はるか昔の連綿と続くわが国独自の文化の源流も同時に感じることができる。『とてつもない日本』は、そのことをまだ知らない日本人が、ポップカルチャーをも含めた日本文化のダイナミズムについて気づくきっかけになるような本である。これは、複雑に細分化していった「近代の病」を克服するものといっても過言ではない。ただしかし残念なのは、私が知る限りでは、海外向けには翻訳本が出版されていないことである。少なくてもこの本の英訳が海外でも出版されれば、現役の総理大臣の著書ということも相まって、今世界で注目を集めている日本文化について知識を深めたい多くの人たちが、間違いなく手に取るだろう(独訳、英訳ならば私がやってもいいですよ、新潮社のみなさん!)

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08. März 09

【アート】浅野庚一展(ギャルリー志門・銀座)

浅野庚一、自作を語る(2009年3月2日、ギャルリー志門にて)
 

 銀座のギャルリー志門で浅野庚一展が開催された。浅野庚一は、これまで一貫してトレーシングペーパーなど、紙を素材にしたレリーフ、立体作品を制作してきた作家である。長い作家歴は今年で軽く40年を超える。その作品は常に精密に設計されたものであり、けして情動に走らない禁欲的な表現が、観る者に突き放すような緊張感を与えている。
 これは制作態度でも一貫しており、これまで有名、無名を問わず多くの内外での展覧会にも積極的に出品してきたが、唯一、浅野庚一が出品を好まなかったのが、極端にイデオロギー色の強い美術展である。それが何かはここでは一つ一つ具体的には名前を挙げないが、ようするに、左翼的なスローガンを掲げた美術展の類である。例えば、「イラク派兵反対!」とか「憲法9条守れ」といったスローガンをテーマに掲げて美術作品を募るような作品展といったら、たいていの人はイメージがわくであろう。そもそもこういうものが果たして「美術展」と言えるかどうか、あるいは「アート」と言えるのかどうか、私も甚だ疑問ではあるが、美術作家としての浅野庚一の態度もはっきりしている。
 浅野庚一は、団塊世代よりも一回り上の1932年東京生まれ。つまりこれをみてわかるとおり、先の大戦と戦後の日本を、イデオロギーではなく実生活の中で、非常にリアルに体験してきている世代である。いわば、戦後の日本の骨格を作ってきた世代なのだ。今の日本があるのは、間違いなく現在70代、80代になる人たちのおかげであろう。
 そんな浅野庚一が、最近もあるグループ展への出品を依頼されたそうだが、断ったそうである。その展覧会は、「反戦」をテーマにしたようなものであったそうだ。浅野庚一に出品を依頼した作家も浅野庚一とは古くからの知り合いであり、昨年の藍画廊のクロージングでも顔を合わせている。それぐらい気心が知れた作家仲間ではあるが、浅野庚一にしてみれば、そういった情動的な空間で作品を展示するという行為は、作品の方向性とはまったく別の方向を向くことであり、私も彼のこの判断に同意せざるを得なかった。そしてこの時に、浅野庚一から心の内を聞くこととなる。彼は私にこのように語ってくれた。「戦争については私も言いたいことはたくさんある。日本がやってきたことの全部を肯定しようとも否定しようとも思わない。ただそれをアートという表現の場に持ち出すことに違和感がある。私はファインアーツという現場で真剣に作品を作っている」
 このコメントは、浅野庚一のこれまでの作家活動や、作品そのものを見続けていると説得力がより増してくるのである。90年代初頭あたりから、現代アートはグローバル化と、一方で極端に私小説化した作家の日常性を切り売りしていくようなスタイルに二極化していって、そこに何でもありのポップという要素が加わっていったわけだが、こういった潮流の中でも、ファインアーツの本質を見極めながら作家活動を続けてきたのが浅野庚一のような作家である。浅野の作品は、メディアが飛びつきそうな大それた社会的テーマはあえて標ぼうしない。しかしその代わりに、見る側に対し、様々な批評性を投げかけているのである。浅野庚一が自ら語るように、ファインアーツの現場で真剣勝負をしているからこそ、こちらも迂闊にものを言えないという緊張感が生まれる。
 例えば、トレーシングペーパーで作られた多角形の柱の彫刻を見て、我々は何を感じるだろうか。それをただ美しいと感じるだけか。あるいは、遠くから見ると、一見堅牢そうな質感に見えるその立体に引き寄せられて、実際に近づいてみると、今度はその虚無感で不安にかられるのはなぜだろうか。また紙をくり抜いた下地に見える偏光ガラスのような面が、二重にぶれた周囲の風景を写し込むレリーフ作品の前に立った時、その精密な幾何学空間の中にイレギュラーとして補足された自分の身体が、どこか異質に感じて居心地が悪くなるといった感覚は、どこからくるのか。
 このように、浅野庚一の一連の作品は、人間の理性のみならず、その身体感覚にも強い印象を与えるものである。そこで得る感覚とは、時代時代によって各人が内心として感じてきた無意識が炙り出されたものであり、つまりはこれをもって我々も、作品同様に丸裸にされて、浅野庚一が言うところのファインアーツというリングに上げられるのである。そのようなことを考えると、今回の展示でギャラリー空間中央に高く垂直に立った柱の彫刻は、さながら映画『2001年』に登場する石版(モノリス)のように見えてならない。

浅野庚一展
2009年3月2日-3月7日
ギャルリー志門
http://www.g-simon.com/a_topics.html

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03. März 09

【アート】藍画廊リニューアル・パーティー(銀座)

 3月2日、京橋から銀座1丁目に移転してリニューアルした藍画廊の開廊パーティーが開かれた。夕方の5時から始まったオープニング・パーティーには、銀座1丁目での再スタートを心待ちにしていた美術作家やジャーナリスト、インデペンデント・キュレイターらがこの日を祝って遠方からたくさん駆けつけた。

リニューアル・パーティーの様子

 このたび藍画廊が移転先として選んだこの空間は、もともとは同じく現代アートの画廊であった「ギャラリー21+葉」があった空間である。「ギャラリー21+葉」も銀座では歴史のある現代アートの画廊で、その前身である「ギャラリー21」は、タブローからインスタレーションまで、あらゆる表現に対応した空間であった。また、展覧会だけではなく、毎月『ギャラリー21コンサート』と題して、オーナーの黒田さんの芸大時代の同窓生である都響のトップ・プレイヤーを招いての室内楽のコンサートを催すなど、多面的な活動で様々な年代層から支持を集めていた空間であった。
 その「ギャラリー21」が「ギャラリー葉」とコラボレーションをする形で「ギャラリー21+葉」の時代になってからも、長らく銀座界隈の現代アートシーンで中核的存在を担ってきたが、このたびオーナーの黒田さんのアトリエがある自由が丘へ移転することとなり、この空間は新生・藍画廊の空間として生まれ変わることとなったのである。
 このタイミングは、黒田さんと、そして藍画廊オーナーの倉品さんとの間にある信頼関係と、同時代をギャラリストとして生きてきたお互いの価値観によって生まれたレアケースなのである。
 ここ10年で、実に多くのギャラリーが移転、閉廊していった。その今は無くなったギャラリーの中にも、形を変えて再出発を試みたものも多数あったが、そのほとんどはその形を成すこともなく消えていったのである。
 アートというものが東京の商業メディアによって、“理解し難いモノ”から“ポップなパブリシティ”へと価値を変換させられたことによって、一見すると市民社会からも市民権を得たように思えるが、その極端に肥大化していくポピュリズムの中で、ギャラリスト自らが、一定の役割を終えたとしてギャラリーを閉じるといった状況も生まれたのも事実である。我々がこのような状況で失ったものは、ギャラリーという単なる「箱」ではなく、アートにとって必要不可欠であるはずの「批評空間」である。

 わが国の美術ギャラリーの歴史を振り返ると、欧米のギャラリーにはない、ある特異性があることに気付かされる。その特異性とは、長らくわが国の先鋭的な現代アートシーンは、いわゆる「貸し画廊」といわれるインデペンデントな空間が担ってきたということである。その歴史は、昭和の前衛運動から始まり、60年代、70年代の反芸術運動にいたるまで、画商が取り仕切る老舗画廊や公募美術展を頂点とする権威と対角を成す形で批評空間として存在し続けてきたものだ。
 これは、画商が個別に作家と契約し、その作家を育成していく従来型のコマーシャル・ギャラリーが大多数である欧米とは異なる。現代アートの黎明期から、わが国には多く存在していたインデペンデントな空間は、その厳しい批評空間で作家を鍛えて育成してきたのである。いわばそれは、無名のボードビリアンを育ててきたオフ・ブロードウェイのような空間といえば、さらに分かりやすいかもしれない。
 現在はというと、ここにメディア・リミックスが加わり、作家がこの“オフ・ブロードウェイ”を経ずに、いわゆる“世に出る”ということも比較的可能になってきた。作家活動におけるコストパフォーマンスを考えれば、多くの作家たちがこちらに流れていくのも理解できる。だがそのような状況にあっても、藍画廊のようなインデペンデントな空間を求める人間が多くいるということは、それが批評空間として存在していく意義をまだ持っているからである。
 我々はこの批評空間において、作家が同時代的に何を感じ、何をとらえようとしているのか、といった批評性の一端を垣間見ることができる。それが即ちコンテンポラリーということであり、知性を持った人間はそれを求めずにはいられないのである。

 記念すべき開廊第1回の展覧会は、平面作家、亀山尚子のタブローである。亀山尚子は、京橋時代の藍画廊でも何度も個展を行っている作家だ。一見すると植物や果物や真菌類の胞子を連想させるそのタブローは、特に具体的にモティーフがあるわけではなく、画面の中で自由奔放に走る情動的なストロークが、そのような不可思議なフォルムを生んでいるのである。言い換えるとこのフォルムは、絵筆を持つ作家の利き手関節の可動範囲や、靱帯の柔軟性、そしてその動きを精密に制御する随意運動、つまりは作家個別に与えられた身体性によって紡ぎ出されたものであり、あらためて、いろいろな作家が描くドローイングの面白さに気付かされる作品である。

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藍画廊オープニング企画
『亀山尚子』展
2009年3月2日(月)~14日(土)
http://homepage.mac.com/mfukuda2/index.html

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