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Februar 2009

19. Februar 09

【アート】瀬田哲司個展 『蟻と心臓』(2月23日~3月7日)

瀬田哲司個展 『蟻と心臓』

W3m W4m

1日1蟻、約600匹の蟻がいます。

会期◎2月23日より3月7日まで
場所◎「Galleria Finarte」
   名古屋市中区大須4-6-24成田ビル上前津B1F
   TEL 052-242-8864

瀬田哲司webページ
作品の制作工程などがご覧いただけます。
http://homepage.mac.com/seetan/Menu6.html
こちらは展覧会出品作品の画像がご覧いただけます。
http://homepage.mac.com/seetan/2009finarte/Menu191.html

2月24日、火曜日夜6時頃よりオープニングパーティがあります。(初日ではありません)

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17. Februar 09

【名古屋芸術大学・芸術療法講座】学生のレポートを読む~『マイアミ美容整形外科』

 私が現在講義を行っている名古屋芸術大学の芸術療法講座では、芸術療法の歴史や理論とならんで、西洋医学史、西洋美術史なども学生に学ばせている。毎回の講義では、前半はだいだい歴史の講義、そして後半はそれに関連する具体的なトピックスをあげて、学生には授業内でミニ・レポートを書かせている。
 私が講義を受け持つクラスは一般大学の美学や教養課程などとは異なり、将来は何らかのかたちでクリエイターとして仕事にかかわっていくような学生たちのクラスで、他の学生たちとは異なり、いわば「アート」における当事者である。
 その当事者として、アートが社会とどのような関係を保ってきたのか、もっと専門的にいえば、ひところの「癒し」ブームで「アート」と「癒し」の関係が注目されだした時に、当事者として感じた違和感は無かったのだろうか、ということを同時に考えていくことも、講義の重要なテーマである。そのうえで、医学と芸術の双方の長い歴史の中で、そこに何か美学的接点を見いだせれば、それを探っていくものである。遠回りをするようだが、これらの行為を経てようやく、「アート」と「癒し」についての関係性を考えるスタートラインにたどりつけるのである。
 私の講義ではさまざまなワークショップを行い、またそれの動機づけとなるような映像資料もたくさん使用している。AC(公共広告機構)から借りた短い広告や、時には上映時間90分ほどの長いドキュメンタリー作品を上映する場合もある。その映像資料の中で、昨年特に学生たちから反響が高かったのが、海外ドキュメンタリー専門局のディスカバリー・チャンネルが制作した『マイアミ美容整形外科』というドキュメンタリー作品である。
 ひとつ補足しておくが、この作品は、全米で放送されている同名のTVドラマとは異なり、実際にマイアミで美容クリニックを開業している3人の美容外科医たちの日常を追ったドキュメンタリーである。
 このドキュメンタリー作品を見た学生たちが、なかなか興味深い問題提起などもしているので、作品の内容にふれながら、学生たちのレポートも少し振り返る。

 『マイアミ美容整形外科』を訪れる患者たちはさまざまである。わが国では、美容外科といえば若年層が中心的ターゲットであるという印象が長らく持たれてきた。しかし、専門的には形成外科という領域になるこの診療科目は、本来は美容だけに特化されたものではない。例えば乳癌で乳房を切除した女性のために行う乳房再建術や、軟部肉腫や大きな怪我などで顔を損傷した場合の顔面再建術も形成外科の領域である。また近年では、中高年富裕層がアンチエイジングのために形成外科を訪れることも珍しくはない。
 形成外科は、もともとは中世イタリアの医師、タリアコッツィ(Gaspare Tagliacozzi, 1545-99)によって、損傷した鼻や口唇を復元、再生させるために施術された当時としては前衛的な試みであったが、後にカール・ティールシュ(Karl Thiershe, 1822-95)らによって外科学の中に体系づけられていくことで、今日のように発展してきたわけで、基本的には身体部位の復元、再生という意味合いをもっている。
 この『マイアミ美容整形外科』のドキュメンタリーは、ここを訪れる患者たちの人生模様と、医師たちへの長いインタビューで構成されている。先ほども述べたが、ここを訪れるのは若年層とは限らない。私がもっとも印象に強く残ったのは、乳癌で乳房を失った中高年女性が、アンチエイジングのカウンセリングに訪れた場面である。この女性はまず自分のこれまでの人生を医師に語り始める。医師も黙ってその話を聞いている。要約すると、女性が医師に語っはことは、自分の今までの人生とは、子育てと夫に尽くす毎日を送ってきて、それが終わると今度は癌との闘病の日々。いつの間にか年だけをとっていた。つまり、今までの自分の人生には自分の時間も自分の自己実現もなかったと語っているのである。そして、今までの自分とは区切りをつけて新しい残りの人生を歩んでみたいとの理由で、顔面の若返り手術を望んでいるのである。しかしこの女性には若干の躊躇があって、それを医師にまた相談をする。
 彼女が抱いていた躊躇とは、癌患者が乳房再建術の他にも顔の美容整形をするなんておかしいのではないか、ということである。それに対して担当の医師は、どんな人間にだって幸せになる権利と資格があるのだから、過去の病気のことで負い目を感じることなんてまったくないよと声をかけてやるのである。
 また別のケースでは、身体のある部分に強いコンプレックスを持っている若い女性が訪れた時、その担当医師は、自分は必ずしもあなたにすぐに整形を勧めるものではない。何度も良く考えて、まず自分の思い込みが原因で辛くなっていることも理解したほうがいいとアドバイスする。
 これを見てもわかるとおり、マイアミ・クリニックの美容整形外科医たちは、患者の精神的な領域にまでふみ込んでサポートしているのがわかる。基本的にはクライアントの要求に応えるのがここの医師たちの役目ではあるが、外見を修正することはひとつの方法でしかなく、後の自分の人生をいかに充実させていくかは自分次第であることも患者に説明するのである。
 このような医師たちの態度には、最初は美容整形というものに若干の偏見を持っていた学生たちも、好感を持ったようである。多くの学生が、「マイアミのドクターたちは、一見すると患者の体を治しているようでいて、実際には心を治療している」、「安易に整形を勧めるのではなく、そのリスクについても説明している」、「患者の人生に丁寧に耳を傾けている」と、診療に臨む態度については好評価である。
 その一方で、学生からも異論が噴き出たのは、クリニックの医師たちがインタビューにおいて、自分が担当した患者のことをさかんに自分の「作品」であると言い、医師自らが自分はクリエイターだと思っているというくだりである。やはりアートにおける当事者である芸術大学の学生たちには、ここの部分が相当の違和感をもって浮かび上がったようである。

 学生たちからはこのような意見が寄せられた。まず多かったのが、「患者の身体を作品に例えるのは医師としていかがなものか」という意見である。この意見の背景には、「患者の身体が、まるで彫塑などの素材みたいに扱われている」という嫌悪感と、「作品」というからには医師と患者の共同作業でなければならないのに、医師自身はその「作品」についてリクスを負っていないではないか、という制作態度についての疑問である。一方でこれに対して、「美を追求することにおいてはアートも医学も関係ないのではないか」という意見もある。また、テレビドラマなどで、医師が手術時間の短さや、出血量の少なさをゲームのように競う事例をあげて、「医師にももともと自己顕示欲が強い人たちもいて、その気持ちが自然に言葉になって表れただけで、けして患者のことをモノ扱いしているわけではない」といった意見や、「自分の仕事に自信があるから作品と言うことができる。」、「職人に近いプロフェッショナルである」という意見も寄せられた。
 どのレポートも、このマイアミ・クリニックの医師たちの日常や患者の人生模様をとおして、人間の「美」の本質について考察されたものだが、この中で非常に興味深かったのが、「人間の美しさは若さだけでなない」、「年を重ねた女性の美しさもある」といった意見である。これは実に少数派の意見であったが、20歳前後の、まだ世の中でいろいろなことを経験していない学生たちからこのような意見が出てくる理由にも注目したい。これは、アンチエイジングという潮流に対して、老齢学のような学問が台頭してきたことも多少の影響はあるであろう。例えば数年前にベストセラーになった赤瀬川源平の『老人力』や、五木寛之のエッセイ集『不安の力』などは、老いてく身体、弱い自分をとことん容認していくような内容である。詩人で英米文学者の加島祥造訳による自由律による『老子』が今もってロングセラーとなっているのは、この世の中は、強くて美しいアスリートのような人間たちだけが暮らしているのではない、ということを気づかせてくれるからである。
 最後に、自分なら美容整形をしてみたいかと学生に尋ねたところ、やはり自分のこととなると抵抗があるようである。その理由は、「病気ではないところにメスを入れるのに抵抗がある」というものであった。医療とは本来、健康を害した部分に施しをして、健全な身体にもどす、ということならば、人よりも劣ると見える顔や身体は、果たして「病」なのかという問いもここで生まれてくるのである。だから、“病気ではないところにメスを入れる”という言葉にはなかなか重みがあると思った。(2008年10月18日の講義レポートより)
 
 

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15. Februar 09

【試写会】田口清隆監督 『長髪大怪獣ゲハラ』(2009年・NHK制作)

Photo

 一昨年あたりからであろうか、インディーズ映画界では怪獣映画ブームのようなものが起こっているようだ。昨年公開された林家しん平監督の『深海獣レイゴー』や、田口清隆監督の『G』は、ゴジラやガメラ以外の久しぶりの新怪獣の登場ということもあってか、怪獣ファンたちも大喜びした。
 そんな中で、ついにNHKまでも怪獣映画を作ったと噂を聞きつけて、永田町の千代田放送会館まで試写会へ行ってきた。
 今回上映された作品は、昭和テイスト満載の『長髪大怪獣ゲハラ』という作品である。製作総指揮は平成ガメラ3部作でおなじみの樋口真嗣、そして監督は『G』の田口清隆である。また脚本にはみうらじゅんの名を連ねている。
 この作品が制作された経緯は、NHKの『テレ遊びパフォー!』という、クリエイター発掘番組の怪獣デザイン画コンテストが予想以上に盛り上がり、いっそうの事、怪獣映画まで作ってしまおう、というところからスタートしている。
 今回登場するゲハラなる怪獣は、全身がマンモスのような硬くて長い毛髪に覆われた実に不気味な黒い怪獣で、70年代の後期ウルトラ・シリーズでしばしば見られた、一連の民話シリーズに相当するような雰囲気を漂わせている。今回映画の舞台となるのも能登半島であり、これまでの大作怪獣映画が太平洋側の大都市に集中していたことを考えると、かつては産業・経済の発展が太平洋側より遅れていたことで、「裏日本」というある意味蔑称で呼ばれていたエリアに大怪獣が現れるという点もなかなかローカルな味わいがある。
 ポスターを見ても分かるとおりだが、この映画の製作者や出演者もみな、昭和の怪獣映画のテイストというものを非常に良く理解している。
 ポスターを描いたのはイラストレーターの開田裕治。もう15年以上も前のことになるが、画家で彫刻家の故・成田亨の個展会場でたまたま開田氏とお会いした時、“成田亨のデッサンで一番すごいのは、雲や海や水回りの質感の書き分けだよ!”という話題で盛り上がったと記憶している。その他にもいろいろと怪獣談義で盛り上がったと思うのだが、残念ながらそちらのほうは断片的にしか覚えていない。確か、ビラ星人などについて話した記憶はあるのだが。
 しかしいずれにしても、開田氏ほど“怪獣魂”あふれる絵描きはいないであろう。ゲハラのポスターを会場入り口で初めて見た時、子どもの頃、父に連れられて、フィンガー・ファイブの映画などと2本立てのゴジラ映画を見に行った時の、懐かしい記憶が蘇ったのもこのポスターのおかげである。あの頃はネットという環境もなく、現在のように公開前の映画情報がたくさん得られるわけではなかった。怪獣映画を楽しみにしている子供たちの情報源は、少年雑誌のカラー見開きの特集ページや封切直前になって流れるテレビCMだけである。そして新聞の映画広告欄や近くの映画館に掲示してあるポスターを見ていろいろと想像をめぐらせながら、封切を楽しみにしたものである。それゆえに、ポスターの役割は今以上に大きかったのである。
 まずこのポスターのキャッチコピーが凄い! “怖い! 凄い! 黒い長髪で人間を襲うゲハラあらはる!”である。そして“総天然色”という文字。下の方には「製作 日本放送協会」とある。このキャッチコピーにあるように、昭和の怪獣たちの多くは、ただ格好が良いだけではなく、本当に怖かったのである。なぜかというと、人を襲うからである。
 平成以降の今日の怪獣たちも確かに格好は良いのだが、人を直接襲うというよりは、都市が破壊される時の二次災害に市民が巻き込まれるケースの方が圧倒的に多い。したがって、怪獣と人間との関係性には若干の距離感があり、怪獣の方も、人間に対しての直接的な怨念を持っているというわけではなく、ただただ本能的に街を破壊して歩くという印象がある。それに対して昭和の多くの怪獣たちは、本能だけではなく、明らかに意味を理解した上で人を襲うからこそ恐ろしいのである。つまり、本来は荒唐無稽であるはずの怪獣の世界に、それを見ている我々にも当事者感が生まれるのである。
 その中でも例外として、平成ガメラ3部作の金子修介監督が撮ったゴジラは、あえてゴジラにはこれまでになかった怨念という要素を与え、ゴジラを、人知を超えた大怪獣というよりは、その土着性、因習に基づいたムラ的社会で展開される「祟り」の象徴として描いたことは、数多あるゴジラ映画の中でも異彩を放っている。

 『長髪大怪獣ゲハラ』は、上映時間が15分の短編作品だが、見終わった後は、なぜか東宝の大作映画を見たような気分になるから不思議である。それはおそらく、昭和の怪獣映画における様式美が、余すことなくテンポ良く盛り込まれているからであろう。例えば、遠洋から帰る途中の小型漁船が何者かに襲われるシーンである。まず船が不自然な動きで揺れだしたり、船底で軋む音が聞こえたりする。船室にぶら下がった裸電球も揺れだして、いよいよ異変に気がついて外へ出た船員が大怪獣に襲われるという、もう何度も怪獣映画に登場しているお馴染みのパターンである。また生き残った第一発見者が収容されている病院にマスコミや旧帝あがりだがなぜか在野にいる博士などが詰めかけるシーンもよくみられる。この時に、今でいえば怪獣に襲われたことが原因でPTSDを発症した被害者が、怪獣の名前を呼びながら意味不明に叫びだす、といった一連のシークエンスも、怪獣映画にはなくてはならない様式美なのである。
 この作品には他にも昭和の怪獣映画ファンが見たら喜びそうなシーンが満載である。音楽も伊福部昭の作品をなんとそのまま拝借している。“伊福部風”の書き下ろしではなく、あくまで伊福部昭の作品をそのまま挿入しているところも、いい大人たちがこの映画で何がやりたかったのかが非常に良く理解できる。しかしだからといって、この作品が単なる昭和テイストのオマージュだけで終わっているかと言えば、そうではない。
 田口監督もこの映画を撮るにあたって、昭和テイストを意識しながらも、新しい試みもしたと語っているとおり、怪獣と自衛隊の市街戦では、『G』で見せたような白兵戦も見せてくれる。平成怪獣のような光線技のないゲハラに対する自衛隊も近代火器で応戦するが、建物の影に隠れて小銃を構える隊員の様子でその火器の射程距離を連想し、怪獣が思いのほか近くにいることが分かるのである。怪獣対人間の白兵戦は、建物や怪獣自体が巨大化してしまった今日の怪獣映画では、なかなか見ることのできない斬新なシーンだ。

 ではなぜこんなにも人々から愛され続けてきた怪獣映画が、昔のように商業ベースで見られなくなってしまったのだろうか。いろいろと理由をあげればきりがないが、まず怪獣映画を撮るには莫大な資金が必要になる。これは特撮映画の宿命でもある。そして今の時代、確実に興行収入で利益が出ると予測できる映画でもない限り、なかなかスポンサーも現れない。特撮映画における資金繰りの困難さについては、今年に新作の『深海獣雷牙』が公開予定の林家しん平監督からもたびたびうかがっているが、怪獣映画を撮るには、例えそれがインディーズであっても、家族も捨てて、家一軒を売る覚悟で臨まないとできないのである。
 また、運よく制作、公開にこぎつけても、今度はそれを誰が見てくれるのか、という問題が残っている。その点、昭和の怪獣映画は家族そろって見ることができる映画だったのも好運であった。しかし娯楽が多様化、個人化した現在では、それは困難である。それに加えて、怪獣映画という荒唐無稽なものを楽しめるだけの心の余裕というものを無くした大人も多いのは事実である。例えば、現在公開中で大ヒットしている『20世紀少年』を見た50代以上の大人たちの評価は総じて厳しい。「荒唐無稽だ」、「子供だましな映画だ」と切り捨てる大人たちの多いことに私は驚いた。本来、そういう「荒唐無稽」で「子供だまし」のような物語を、自分が子供になったつもりで楽しむのがこの種の映画ではないのか。近い将来、孫の手を引いて映画館に足を運ぶことになるこの世代の大人たちがこれでは先が思いやられる。映画を見る時ぐらいはバカになれないのだろうか。
 ゲハラ本編の後、メイキング映像も少し流れたが、そこで、“怪獣に追いかけられるのが夢だったんです!”と語ったエキストラの男性の言葉が印象に残った。我々は、今はたぶん極めてマイノリティーとして時代の趨勢から隅に追いやられてしまっているであろうこのような人たちの存在を、もっと大切にしなければならない。それには、世界同時不況が起こっている最中でも、居酒屋で平然とマタンゴの話に熱中できる、みうらじゅんのような師匠の存在はありがたいことである。このような人たちのおかげで我々は、毎年新作の怪獣映画を楽しめるという至福の時を過ごすことができるのである。

(なおこの作品は、2009年2月24日(火) 24時10分から「NHK総合」で放送予定)

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11. Februar 09

【映画】 堤幸彦監督 『20世紀少年』 第一章、第二章

 この作品は、すでに原作漫画の方に絶大なファン層を形成しており、その登場人物や細かいディテイルに至るまで、それぞれにこだわりをもっている人が多いと聞いている。それゆえに、映画化されたこちらの作品に対しては厳しい評価もあるようである。キャスティングはうまくいっているか? あるいは、昭和30年代の子どもたちが未来に描いた世界観は、スケール通りに描かれているのか? といったことも、厳しい評価にもつながっているのだろう。
 しかし、私がこの映画を観た限りでは、十分に楽しめたのである。ここはひとつ、映画フリークの間では厳しい評価にさらされているこの作品について、あえて、なぜそれが面白かったのかを私なりに説明してみる。
 まずこの映画を観る場合、観る人間の属性によってある程度篩(ふるい)にかけられる。その“篩”とは具体的に言うと、昭和30年代中葉期から昭和40年代初頭に少年時代を過ごした者とそうでない者。そしてその時代に少年だった者の中でも、いわゆる「怪獣ごっこ」や「秘密基地遊び」をやった経験のある者とそうでない者とでは、この映画の中で随所に挿入される細かいアイテムや情景といったものに感じる同時代性や当事者意識に差異が出て当然なのである。
 その中でも、「怪獣ごっご」や「秘密基地遊び」といったものは、実際に経験したことがないと理解できない身体感覚がある。まだ東京のどの場所にも空き地や原っぱがあったあの時代に、ガラクタを集めて作った「秘密基地」は、子どもたちしか入ることが許されない聖域であり、その子どもたちの中でも中に入れてもらえる仲間とそうでない仲間とがいる。
 今となってはもはや死語であるが、いわゆる“ガリ勉”君といわれた優等生は、総じてクラスの人気者になることはできず、何か面白いことがあっても、いつも遠巻きに見ているだけであった。このような級友は思い出の中でも影が薄く、クラス会でも名前さえ思い出してもらえない存在である。その少年時代の疎外感を体現しているのが、後の「ともだち」であろう。だからこの物語は、仲間に入れてもらえなかった「ともだち」の、壮大な仕掛けの復讐劇として見ることもできる。思い出の中では“名無し”の「ともだち」が、その匿名性の象徴として身に付けるマスクも、他人からの借りものにすぎない。
 この「ともだち」が、唯一、かつての「秘密基地」の仲間たちと物語を共有する方法があるとすれば、まだ“空席”としてそこにあった「悪の組織」の首領の役に自ら名乗りを上げることなのである。これは、大人が見る勧善懲悪な時代劇とは多少異なり、悪者にもそれなりに大義があった1970年代の特撮ヒーロー作品の世界観そのままである。
 その「ともだち」が復讐のために奪おうとしたのは、成人したかつての仲間の地位や名誉や資産ではなく、仲間たちが同時代性の中で大切に共有してきた「思い出」ではないだろうか。例えば、「ともだち」が仮装のために被っている「ハットリくん」等のお面や、「ともだち」側の秘密兵器として登場する「ともだちの塔」(太陽の塔)などは、あの頃の子どもたちの共通の思い出であったはずだ。それをあたかも自分だけのもののように振る舞う「ともだち」の態度は、わが国の多くの特撮ヒーロー作品に登場した「悪の組織」が思い描くことと似ている。即ちそれは、圧倒的科学力で歴史改編を行い、自分こそが支配者であることを頑なに演出することと同義のもので、しばしばこれを「世界征服」ともいう。そして「ともだち」がシンボルとして使っているあのマークも、もともとは「秘密基地」仲間のみんなが『少年サンデー』に貼付されたノンブルマークをアレンジして作った独立旗なのであるが、それさえ奪われたケンヂたちは、自分らの拠り所を喪失した植民地の住民のようでもある
 この作品は、「ともだち」という“名無し”のキャラクターをこのように丁寧に描くことによって、「悪の組織」の上の立つものの、ある種の悲哀さも醸し出しているところが良い。
 また、当時の子どもたちが考えた未来の科学のアイテムも、それなりにリアリティを持って描かれている。例えばケンヂが持っていたレーザー銃のデザインがそうであるし、ラストに登場する巨大ロボットも、いかにも大田区あたりの町工場か、あるいは工科大学生がサークル活動で作ったような手作り感がある。現代のインテリジェンス都市・東京のど真ん中にあっては、70年代の最新テクノロジーももはや懐かしいレトロ・フーチャーのロー・テクと化すことへのオマージュである。そしてその巨大ロボから噴射される細菌兵器もまた、子供騙しである。だがそれがかえって良い。本来、ヒトと接触後、潜伏期間も経ずに数秒たらずで発病する細菌やウイルスなど実際には存在しないが、ヒーロー作品の世界ではむしろこれが定番である。我々は、数多の怪獣や怪人が口から吐く細菌や毒ガス兵器で、人間が一瞬にして溶けたり、白骨化したりする様子を見て知っている。「ともだち」が人類に差し向けた細菌兵器もまた、「ショッカー」や「死ね死ね団」のテクノロジーなのである。
 エンドロールでヒーローの必殺技のポーズを決めている9人の「秘密基地」仲間たちは、さながらウルトラ兄弟そのものであり、そのウルトラの兄弟たちが、盗まれた大切なものを取り戻すために新たな戦いを繰り広げる様子が、「第二章」に受け継がれていく。
 冒頭にも述べたが、この作品を素直に楽しめるのは、学校の勉強を放り出して「怪獣ごっご」や「秘密基地遊び」に明け暮れ、今まで一度も優等生と呼ばれることもなくいい大人になった現在も、心の中にその原風景を大切にしまってある人である。もちろん私もその一人である。

 『20世紀少年』の第二章は、昭和の原風景と平成の世の中が、メタ構造の中で複雑に交差していく。このまったく色合い、手触りが異なる二つの時代の断層に、「ともだち」の姿が垣間見える。
 昭和の時代とは、そこを生きたそれぞれの世代ごとに、同時代性を感じられるものがたくさんあった。その大きなものといえば「東京オリンピック」や「大阪万博」になるが、もっと世代別にその時代を象徴しているもの、または原風景を感じられるものがあり、例えばそれが少年たちならば、間違いなく70年代のヒーロー作品や『少年サンデー』であり、その親世代だったものたちはグループサウンズ、家庭の主婦ならば米国ドラマなどである。この頃からわが国の近代住宅には、それまでにはなかった「LDK」という新しい間取りの概念が登場し、米国ドラマに出てくるシステムキッチンが日本の主婦たちのあこがれであった。近代的高層住宅として各地に建てられた「団地」がまさにそれの象徴であり(映画『東京オリンピック』の演出家だった山岸達児が松原団地に住んでいたのも実に象徴的)、子どもたちにとっても「団地」はなぜか恰好が良いものに映っていた。
 歌謡曲にも大ヒット曲があり、本では誰でも知っているベストセラーが生まれ、スポーツ選手にも圧倒的カリスマ・スターがいた。そして、昭和の時代ではこれらのものを総称して“国民的”といった。これはある種、国民国家的な結束や安心感もあったのは事実である。
 一方で、平成の世の中はというと、昭和の時代とうって変わって、個人主義、新自由主義、市場原理主義が台頭し、時代の価値観も「多様性」という名のもとに空中分解した。今や個性や特別な才能を持たない凡庸な人のほうが奇異な存在に見られ、多くの人間が“自分探し”という強迫観念に押しつぶされようとしているのが現在である。このような自分の足場を失った人間は実に脆く、「カルト」、「自己啓発セミナー」、「マルチビジネス」といった疑似家族的集団に吸引されていく。ここに用意周到にして再び現れたのが、あの「ともだち」である。
 この「第二章」では、次第に「ともだち」の過去や悲しみのようなものが明かされていく。その「ともだち」の過去や思いを知れば知るほどに、彼の本当にやりたかったことは「世界征服」や「人類滅亡」なのではなく、このようなものをかつて仲間に入れてもらえなかった仲間たちに見せつけて、ケンヂたちから一度も名前で呼んでもらえなかった“名無し”の自分の存在を知らしめることではないのか。いわばこれは、異形化した代理ミュンヒハウゼンである。
 この章では、当時の「ともだち」の家をそのまま残した「ともだち博物館」が登場する。その内部はごくありふれた昭和の家屋で、部屋にはケンヂたちが大好きだった『少年サンデー』や鉄人28号のフィギュアなどが並んでいる。これは、「ともだち」と、「ともだち」が仲間に入れてもらえなかった「秘密基地」仲間のケンヂたちとの違いは一体何であったのだろうかと、自問自答してしまう場面でもある。おそらくこのシーンを見て、自分の記憶の中にも今でも名前すら思い出せない、そして、あまり仲良く遊んであげられなかったあの友達のことを思い出した人もいるだろう。その友達に対して申し訳ないという気持ちにかられた人は、私だけではないはずである。
 「悪の組織」の首領がこのように、いろいろな形で自分の思いを独白してくれるようなシークエンスは、かつて少年少女たちを魅了した70年代のヒーロー作品にそのまま准えることができる。ヒーローも地球のために戦ったが、悪者には悪者の大義と美学があった。われわれは、遠い昔の正義のヒーローと「悪の組織」との戦いの記憶を手繰り寄せつつ、ケンヂたちと「ともだち」との最後の戦いを複雑な気分で見守ることとなるだろう。
 なお、第三弾の「最終章」は8月に公開予定である。

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(新宿ピカデリーで売っていたロゴ入りのスケッチブック)

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01. Februar 09

【京都大学】 宇野邦一 ドゥルーズ講義 『時間と身体』(京都大学吉田南キャンパス)

京都大学 科研費研究プロジェクトのみなさんから講義とシンポジウムのお知らせをいただきました。
下記に詳細を掲載します。
ブログ読者のみなさんも,ふるってご参加下さい。

宇野邦一 ドゥルーズ講義 『時間と身体』 のお知らせ

 2月2日から5日まで、総合人間学部では立教大学教授宇野邦一氏をお招きして、集中講義を行っていただきます。20世紀最大の哲学者の一人ジル・ドゥ ルーズについて、氏がこれまでに重ねられてきた論考が集大成される内容となるはずであり、関心のある学生は学部を問わず参加下さい。受講希望者は、2月 2日(月)午後1時に下記の教室へ集まって下さい。

講義内容:「ドゥルーズの哲学の大きな問題形を、主に時間と身体を焦点として考えてみたい。<身体>は、とりわけスピノザとニーチェの提案を受け、創造 的な生をいかに開放するか、というと問いとして追求される。<身体>は、ドゥルーズ独自の唯物論、権力論の主軸となる。<時間>は、映画論の大きなテー マである以上に、思考、歴史、集団のあり方を問う方向に、裂開してゆく。<身体>と<時間>の交点に、様々な形象や概念が結晶することになる。そこに思 考の創造性を、あらためて発見することが課題である。」
なお最終日5日の午後4時30分からは、吉田南キャンパス・大学院人間・環境学研究科棟地下B23講義室にて、下記のようなワークショップ+対談を開催 します。こちらもふるってご参加下さい。

場所:京都大学吉田南キャンパス・総合人間学部棟・1B07教室


フランス現代思想セミナー(第2回)
『器官なき身体(アントナン・アルトー)再考-ダンスと現代思想の立場から』

日時:2009年2月5日(木)午後4時30分から

(パネラー)
勅使川原三郎(Karas)、佐東利穂子(Karas)、宇野邦一
(司会)
多賀 茂

フランスの詩人・演劇家アントナン・アルトーによってはじめて語られた「器官なき身体」という言葉は、後にジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリに よって取り上げられ、現代における人間の存在を語るためにきわめて重要な言葉となった。日本を代表する舞踊家と思想家の出会い(勅使川原氏によるワー ク・ショップと勅使川原・宇野両氏による対談の2部構成)を通じて、この言葉が宿すさらなる意味を探ってみたい。

場所:京都大学吉田南キャンパス・吉田南総合館北棟共北23教室

主催:科研費研究プロジェクト「ひと概念の再構築をめざして ―人文科学・アート・医療をつなぐ問いかけ」
(代表者:京都大学大学院・人間・環境学研究科、多賀 茂)

問い合わせ:科研費研究プロジェクト「ひと概念の再構築をめざして ―人文科学・アート・医療をつなぐ問いかけ」
(代表者:京都大学大学院・人間・環境学研究科、多賀 茂
s.taga@hy5.ecs.kyoto-u.ac.jp

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