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Januar 2009

18. Januar 09

【映画】瀬々敬久監督 『感染列島』

 人類が体験したことがない未知のウイルスの感染拡大の恐怖を描いたパニック・ムービーである。映画の告知では,その未知のウイルスが,あたかも新型インフルエンザであるかのように編集されてはいるが,実際には野生のコウモリが宿主の出血性ウイルスの一種であるエボラ・ザイールと同族のフィロ・ウイルスであることは映画本編を見ればわかる(野良ウイルス学者の鈴木が感染者から発見したウイルスの顕微鏡写真から私はそのように判断した)。しかし,映画予告を見た人の多くが,新型インフルエンザがあたかもエボラ・ザイールと同様の溶血性の失血死をするような印象を持ってしまうことは必至であり,映画の宣伝とはいえ,いたずらに新型インフルエンザの恐怖をミスリードさせるのはいかがなものかと思った。
 近年,様々な映画で題材とされているエボラウイルスは,ヒトとの接触がなかった森林の中で古くから存在していたもので,これがヒトの体内に入った場合,まず初めにマクロファージの中へと入り込み,内部から免疫機構を破壊していく。そしてウイルスに破壊される時に大量に生産されるサイトカインは肝臓その他の臓器にダメージを与えて,次第に多臓器不全へと病状が進行していく。つまり,ヒトの免疫機構は,敵と戦う前に一瞬で殲滅させられてしまうのがこのウイルスの恐ろしいところである。
 例えばこれから新型インフルエンザがヒトからヒトへと感染拡大していく過程で変異を繰り返したとしても,感染力は保持したままエボラ・ザイールに代表されるようなフィロ・ウイルスに変異していくことは果たしてありえるのか,というのが私の考えである。したがって,例えば『L change the word』の中に登場した,エボラ×インフルエンザのキメラ・ウイルスのように,あくまでも空想上のウイルスとして設定するか,もしくは正攻法で新型インフルエンザそのものを詳細に描いた方が物語のエッジも,もっとハードになったのではないか。既存の抗生物質が一切効かない重篤な肺炎症状,脳炎症状を起こすとされる新型インフルエンザだけでも十分に恐ろしいのである。
 ウイルスの感染拡大を制圧するには,感染源の特定,ウイルス標本の同定とならびに,正しい情報の公開が必要不可欠である。映画本編では,ここに登場する医師や厚労省のウイルス対策チームが,その初動を誤ったことで,大惨事へと発展していく。1つの未確定情報に固執した結果,誰もがそのベクトルに向かって怒涛のように流れていく集団心理の恐ろしさを描ききった前半は,なかなか見事な展開であった。
 残念であったのは後半である。主役俳優陣のロマンスを必要以上に挿入しすぎたために,前半の緊張感が一気になくなってしまった。特に,主役級の俳優陣に気を遣いすぎたのだろうか,一般市民が全身のあらゆる粘膜から大量出血をして死んでいくのにもかかわらず,どういうわけか,このエボラ・ザイールと同族の未知のウイルスは,主役級の俳優陣(美男美女)には手加減するようである。そんな中でも,全身血まみれで死んでいった佐藤浩市や嶋田久作には役者魂を感じる。
 他の登場人物にも魅力的な面々がいた。その一人がカンニング竹山が扮するウイルスハンターの鈴木浩介である。鈴木の存在は,前半と後半を結ぶ重要な役柄なので,後半は鈴木の視点でウイルスが同定されていく過程を詳細に描いたほうが,前半の流れの緊張感を失わずにうまく繋げたのではないだろうか。まるで腐肉に群がるハイエナのようなウイルスハンターの存在は,密林に潜むウイルスと同様に野性的である。あの野獣のような容貌は,獰猛なフィロ・ウイルスに戦いを挑むのに相応しい。本来ならば,この竹山の役柄こそが,物語のコアになるはずなので,少々残念ではある。
 もう一人印象深かったのが,藤竜也が扮する仁志教授である。すでに自ら癌を患っている教授は,感染地帯に赴く時も軽装で,しかも汚泥や感染源かもしれない野良犬を素手で触るという荒業にでるが,それは癌を患ったことで自らの人生を達観している教授の人格を理解する上では重要な演出である。仁志教授がウイルスの宿主の特定のために感染地帯に居残る際に,自らを蝕む癌すらも味方につけるような物言いは最後まで印象に残る。たった一人で感染地帯に居残る仁志教授にとっては,もはや体内の癌細胞も同志であり,敵のウイルスを殲滅するために雇った傭兵のような存在なのか。
 瀬々監督は,この作品を通して“魂のバトンタッチ”を描きたかったと言っている。肉体は滅びても,その人間の意志が継承されていくということを言っているのだと思うが,その点では,ウイルスと戦うために文字通り人柱となっていく仁志教授やWHOオフィサーの小林栄子(檀れい)の存在は重要である。また救命救急現場を描いた前半では,トリアージの原則に従って,まだ息はあるが助かる見込みのない重篤な心疾患を抱えた男児の人工呼吸器を外し(直後に男児は心停止),感染初期の急患に呼吸器を移し替える非情な場面にも,監督のメッセージは生きていると言える。
 また,もっとも象徴的なのは,この“ブレイム”(神の裁き)と名付けられたウイルスの制圧に,ウイルス感染から生き延びた登場人物の血液から血清が作られることである。この血清は,現場の反対を押し切って,まず小林に試験投与される。その姿は,かつて教会の反発を承知で,呪術ではなく医術として,ヒトからヒトへの全血輸血を医学史上初めて成功させた,ガイ病院の産科医J. ブランデルや,その道筋をつけたクリストファー・レン卿の姿とも重なってくるのである。そのような意味で,殉教者のような小林の死に,もう少し目に見えるほどの悲劇性があってもよかったのではないか。

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11. Januar 09

【建築】古代ローマ風呂はサイロンの再生船か?(熱海・ホテル大野屋)

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 昨今の原油高,不況が原因で,わが国の観光客も安くて近場の観光地を求めているようで,最近は伊豆界隈が人気である。その中でも何かと熱海が注目されているらしい。温泉地のネームバリューでは箱根と双璧の熱海であるが,70年代の歓楽街のイメージがまだところどころに残っており,箱根よりも大衆的である。
 最近は,その“70年代の歓楽街”のイメージを一掃しようと,古いホテルや旅館を改装したり,新たに建て直したりして,若い女性客や富裕層を取り込むことで,熱海のイメージの刷新と,地域経済の再生を試みていることがうかがえる。
 現在の熱海は,このような状況からか,昭和の歓楽街と,平成のポストモダニズムが混在したような混沌とした街の様相を呈している。私はこのような熱海はどこかダダ的で面白く見ているが,辛口コラムニスト諸氏からはこてんぱんに書かれている。
 例えば文芸評論家の野田宇太郎は,『伊豆の國』という文芸誌に収録された「熱海と文学」というコラムでこんなことを書いている。

「今日の熱海は毒々しい人工美の都会である。」
「大自然の恩恵である筈の温泉さえ、今日では悪どい享楽者のみの占有物化している観がある。」
「心ある人々から熱海がかえって嫌われるのもそのためで、熱海には自然の破壊があっても保護する心がないし、従って文化がない。」
「とくに戦後にひどくなった享楽本意でいたずらに騒々しいこの市街の人工化だけをみていると、こんなところによくも文化人らしい人物が住むものだと思ったりする。」(野田宇太郎「熱海と文学」より)

 このコラムが書かれたのが1958年だから,この頃にすでに“歓楽街”となっていく熱海を予見しているのである。ようするに,野田宇太郎から見て熱海という町は,昭和文学風情から安っぽい歓楽街へとなり下がった代物だということだ。例えば熱海城がそうである。あれは“城”と名がついてはいるが,実は城ではない。厳密に言えば,城の形状をした鉄筋コンクリート近代建築である。もし城と定義するならば,歴史上にそこに城が存在していなくてはならない。この点から考えると,わが国の歴史上,「熱海城」という城があった事実はない。たしかに桃山の上にある伊豆山神社の資料を読むと,いろいろな戦国武将が熱海を訪れている記録は残っている。しかし残念ながら,あの場所に築城したという事実はないのである。
 同じようなもので,熱海には古代ローマ帝国を模した大浴場がある。これは実際に「古代ローマ風呂」として観光名所になっている。劇場版クレヨンしんちゃん『嵐を呼ぶ!栄光のヤキニクロード』という作品にも登場する熱海でもっとも有名な大浴場で,老舗ホテル「大野屋」の中にある。
 ホテルのパンフレットや旅行ガイドを見る限りは,やはりどことなく熱海城と同じ匂いを感じてしまうのだが,実際に温泉入浴してみることで,この空間の面白さがわかるのである。

 「古代ローマ風呂」は,その名の通り,ローマの古代建築様式を模して,浴場は大きなアーチと支柱で構成されている。浴場の中には広大な浴槽が二つあり,一つは大人の膝上ほどの温泉で満たされ,もう一方の浴槽は大人の腰上ほどの温泉で満たされている。また浴槽の中央にはローマ皇帝の彫像があり,その他四隅にも女性像が置かれている。そこで問題なのだが,このローマ皇帝は一体誰なのかということである。わざわざ“古代”ローマ風呂と銘打っているのだから,ローマ帝国が誕生する紀元前27年から東西に分裂して滅亡するまでの395年までの間にローマを統治していた皇帝ということになり,初代皇帝ならオクタヴィアヌス,一番有名な皇帝ならばコンスタンティヌスあたりだろう。(今回は不覚にも,ホテルのチェックアウトの時に,ローマ風呂の皇帝の名前をフロントに聞くのを忘れてきてしまったが)
 この古代ローマ風呂は,実際に入ってみないと分からない不思議な感覚がある。時間によって男女入れ替え制になっている古代ローマ風呂は,当然のことながら男女混浴とは異なり裸体で入浴することができる。浴場全体は温泉の湯けむりで霞んでいるので,入浴中の女性客の身体も湯けむりの中で淡い乳白色の輪郭で認識できるのみである。そしてその女性の身体の質感が,ローマ彫刻や浴場の構造物とと同化して見えてくるから不思議である。しかも観光地の温泉の王道であるオーシャンビューの環境ではなく,窓のない完全に一つの空間に密閉されているのである。この空間がいろいろな空想を生むので何時間入っていてもまったく飽きることがない。
 例えば,巨大な浴槽の縁に同じようなポーズで腰かけて休憩をとっている多数の女性客を見ていると,まるでここはボーグシップ(『スタートレック』)かサイロンの再生船(『バトルスター・ギャラクティカ』)をイメージさせる。もっとも温泉を含めていずれも「休息」や「治癒」を目的とした空間であるから,それなりにイメージの共通点はあるのである。そして自分も裸体でこのような空間に長くいることで,次第にこの空間と同化していくような感覚すらおぼえる。腰上の位置まで満たされた濃度の高い温泉は,さながら太古の海か身体再生用の培養液である。
 このような感覚は実際にここに入ってみないと理解できない身体的感覚である。つまり何が言いたいのかというと,自分が知性で理解していることと,実際に身体で認識する感覚に,これほどまでに隔たりがあるということを最も明快に体験できるのが,「古代ローマ風呂」という空間なのである。
 熱海城と同様の,どことなくキッチュに感じてしまう空間なのだが,「脳」と「身体」の感覚の「差異」を体験するにはこれほど面白い空間はない。いい意味で期待を裏切る空間である。
 

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05. Januar 09

【座談会】1月9日 「若者で考える新JICA」(メコンウォッチ・インターン企画)


●座談会のお知らせ
東京大学、茨城大学の皆さんから座談会のご案内をいただきましたので、下記に詳細を掲載します。

メコンウォッチ・インターン企画
座談会 「若者で考える新JICA」


こんにちは!皆さんは、今年10月にJICAJBICが統合し、二国機関世界最大の援助新JICAが誕生したのをご存知ですか?メコンウォッチでは国際開発・メコン研究をしている学生の皆さんを対象に、新JICAで援助がどう変わったのかについて学習会を開催すると共に、これからの援助について学生の視点で考える座談会を行います。国際協力に興味のある学部生の皆さん、研究や提言に取り組んでいる院生の皆さん、日本の援助についてみんなで語り合いませんか!?
 
また、このイベントの開催に合わせて、学生の方々が新JICAに聞きたいこと・望むことについてメッセージを募集しております。是非info@mekongwatch.orgまでお送りください。

■日時:200919日(金)18:30開場、19:00開始

■内容

・学習会「JICAの何が変わったの?」新旧援助体制の変化:19:00-19:30

・これからの援助を語り合う座談会:19:30-20:30

・交流会

■場所:メコン・ウォッチ事務所(JR御徒町駅より徒歩5分)

 台東区東上野1-20-6 丸幸ビル2F1Fがローソン)

 地図:http://www.mekongwatch.org/images/map.png

※会場の場所が少々わかりにくくなっております。地図をよくご確認の上お越しください。

■参加費:無料(ご参加の方には座談会を記事にした機関誌フォーラムメコン最新号を後日贈呈致します。)

■参加申込:事前にご連絡下さい。お申込みの際には、お名前、ご所属、連絡先、および新JICAについて知りたいことがあれば、お送りください。

■申し込み・問い合わせ:(特活)メコン・ウォッチ(担当:内山、大垣)

 Tel: 03-3832-5034 Fax: 03-3832-5039

 Eメール: event@mekongwatch.org

 Website: http://www.mekongwatch.org

皆様のご参加を心よりお待ちしております。

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04. Januar 09

【映画】林家しん平監督 『深海獣雷牙』 撮影快調!

 昨年の暮れに林家しん平監督から,レイゴー第2弾『深海獣雷牙』の制作の様子をお知らせいただいた。もともと,末広亭で開かれる制作発表記者会見に顔を出すつもりでいたのだが,所用のために行けず,制作の進行状況のことも気になっていたが,まずまず快調のようである。
 レイゴーの2作目のお話を具体的に聞いたのは,昨年の8月に新文芸坐で,金子修介監督,雨宮慶太監督,俳優の螢雪次朗さんを迎えてのトークショーの本番の時である。この日上映された前作『深海獣レイゴー』の上映の終わった後,エンドロールにさりげなく流れる“レイゴー2”という予告のような文字が気になってしまい,会場のお客さんもそのことを知りたがっていた様子なので,トークショーの本番でしん平監督に,“あのー,レイゴー2ってなんですか!?”と聞いてみたのだ。そうしたら,しん平監督の口から,“実はレイゴーの2作目を作ることが今日正式に決まりました!”と予想もしない答えが返ってきて,会場のお客さんからも驚きと歓声が上がったのであった。
 監督が,“今日正式に”と言ったのは,前作に引き続き雷牙でも,雨宮監督がモンスターデザインを手がけることが決まったからだと事情を説明していただいた。
 あれからおおよそ半年を経て,レイゴー第2弾の『雷牙』の全貌が,少しずつではあるが,明らかになってきた。昨年の24日午前0時に合わせてリニューアルされた公式webでは,雷牙が浅草の町を暴れまくる様子が少しだけだが見ることができる。

 前作『深海獣レイゴー』は,設定は太平洋戦争時代の南方の島で,そこで戦艦大和以下連合艦隊と,深海に棲む大怪獣レイゴーが死闘を繰り広げるという斬新な作品であった。この作品の面白いところの一つは,メーサー砲が存在しない世界で人類が近代火器だけで大怪獣と戦うというところである。
 昨今,ミレニアム・ゴジラ以降,どうも怪獣が巨大になり,しかも強くなりすぎたおかげで,それを迎え撃つ我が国自衛隊の装備も世界一最強で,もはやインフレ状態である。まるで恐ろしい耐性を持ったブドウ球菌と抗生物質の終わり無き戦いを見ているようでもある。そのうえ「日米安保」や「憲法9条」など絵に描いた餅状態だ。日頃“戦争はんたーい!”,“自衛隊は憲法違反!”などと叫んでいる「プロ市民」の方々も,怪獣に踏み潰されるのだからそれどころではない。

 もちろん怪獣映画の醍醐味の一つは,大怪獣が暴れまわることである。ビルや話題のスポットが次々と破壊されることに我々はカタルシスを得ることができる。
 古代ギリシャの医聖ヒポクラテスの言うとおり,適度なカタルシスによって,我々人間は心身に滞留した“淀み”を体外に排出できるのである。例えば,古代ギリシャ医学から臨床医療として存在していた「瀉血」,「瀉下」という行為は,身体的カタルシスを表したものである。
 しかし一方で,近代火器しか持たない人類が英知を結集して,苦難の末に最後には大怪獣を倒すというのもそれなりの達成感がある。これは建物の破壊などで断続的に感じるカタルシスよりも,むしろ男性の身体に起こる射精の瞬間に感覚が近いかもい知れない。前作『深海獣レイゴー』では,ラストに火を噴く大和の「94式三連装46サンチ砲」の咆哮が,まさにそれである。
 レイゴーの第2弾と銘打っている『深海獣雷牙』では,深海の大怪獣であったレイゴーが陸棲の大怪獣に進化をとげて,今度は浅草の町で大暴れするというものである。『レイゴー』で近代火器VS大怪獣という近年稀に見る興味深いコンテクストで怪獣映画を撮ったしん平監督は,今度はどんな面白い「仕掛け」を作るのかが非常に楽しみである。
 ここで全部はまだ書けないが,公開情報だけを少し紹介すると,今回登場する雷牙なる大怪獣は,60年前に大和と戦ったレイゴー(零号)が陸棲大怪獣に進化したものである。同一個体か否かはいまだ不明。巨大化した身体の側面にはエネルギー・コアが昆虫の気門のように並び,そこを熱伝導元にして口から何らかの破壊光線を吐きそうなことだけは容易に想像できる。
 今回はこの雷牙が浅草の町で暴れまわるのである。しかしこの強そうな大怪獣を迎え撃つのは自衛隊ではなく,しん平監督の話によると,浅草防衛団(仮称)なるものらしい。一般商業映画のように大きな予算がつけば自衛隊の大部隊を展開したいところだが,それもできないので苦肉の策で生まれたのが浅草防衛団だそうである。しかし私はかえってこの浅草防衛団という存在自体がこの映画を面白くしそうな感じがする。なぜならそれは,“防衛団”という,どことなく町内の自警団や消防団を彷彿とさせるような小さな自治組織が浅草の町のスケールに似合っているからである。
 今までの怪獣映画では,我々は副都心のインテリジェンスビルからモニターごしの遠景として怪獣を眺めてきた。しかし『雷牙』の世界観では,風呂屋の2階や床屋の窓から怪獣の姿が見えるような距離感がある。そして祭が大好きな浅草の人々が,火事と花火と怪獣で賑わう中,狭い木造家屋の路地を縫うようにして逃げまどうのである。町中は文字通り“お祭り騒ぎ”になり,てんやわんやの状況が目に浮かぶ。この状況は,まるで神社に祭ってある祟り神が実際に姿を現して,なんとかその“神サマ”を鎮めようと奔走する江戸の人々のようだ。
 しん平監督は,怪獣映画における隙間の様な空間を見つけるのが実にうまい。前回は太平洋戦争時代の南方の島での連合艦隊の停泊期間。そして今回は,巨大インテリジェンス都市ではなく浅草の町内である。このような空間は怪獣空白地帯なのである。
 それから今回は,生命科学の分野でもいろいろとアプローチできそうだ。その一つがDNAは「感情」や「記憶」もアーカイヴできるのか? という問いである。これは現代アートの分野でも様々なアーティストたちが作品のテーマとしているものであり,例えばパフォーマーの浜田剛爾は,蜂蜜や自分の血液を他の生物に移植するパフォーマンスで,自分のDNA情報に書かれたものが生体情報だけではなく「記憶」「感情」も移動するのではないか,という問いを行った。
 映画では,大森一樹監督の『ゴジラ対キングギドラ』で,戦時中に南方の島原産の爬虫類だったゴジラが,戦後に繁栄をとげた日本によみがえり,大財閥の帝洋グループの会長となった日本兵の生き残りと高層ビルの窓ごしに再開し,ゴジラが米帝に対し共に戦った時の記憶を一瞬だが思い出すような演出がなされている。
 しん平監督とはこの点についてはもう何度も話しているのだが,欧米のいわゆる怪獣映画といわれるものが,醜い異形が暴れまわる「化け物映画」であるのに対して,日本の怪獣映画は怪獣自身が「怨念」,「執念」,「業」を背負ったものである。これをしん平監督は私と同様に「もののあわれ」と言っている。だから怪獣にも感情移入できるのだとしたら,雷牙がレイゴーの時の記憶を持っていた場合,浅草の人たちも,人間側にも背負わされたその大きな「業」に深く苦しむことになろう。果たして人間は,この大怪獣を倒して良いのだろうか,という問いかけのようなものも,この作品には生まれてくるかもしれない。
(林家しん平監督『深海獣雷牙』 2009年夏公開予定)

※怪獣から浅草を守る防衛団は「台東防衛隊」という名称に決まったようである。

『深海獣雷牙』公式web
http://d-raiga.jp/
『深海獣雷牙』公式ブログ
http://blog.d-raiga.jp/

『深海獣レイゴー』関連レビュー記事一覧
http://ringer.cocolog-nifty.com/kunst_und_medizin/2008/06/2008_9e74.html
http://ringer.cocolog-nifty.com/kunst_und_medizin/2008/03/post_0386.html
http://ringer.cocolog-nifty.com/kunst_und_medizin/2008/08/in_379f.html

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03. Januar 09

【公開セッション】生命という策略(2009・1・25 四谷アート・ステュディウム)

●公開セッションのお知らせ
パネラーの皆さんから公開セッションのご案内をいただきましたので,下記に詳細を掲載します。



【生命という策略】──時間あるいは空間(経済そして政治)のはじまりとしての

2009年1月25日(四谷アート・ステュディウム)



批評を問いつめていくと、結局、空間と時間の体制にぶつかってしまう。しかし、であるならば、批評とは(そして、それが対象とする芸術作品とは)すなわち経済の問題であり政治の問題にすぎないのではないか?
経済と政治という活動を根拠づけているのは、(アダム・スミスの想定した homo economicus というモデルが崩壊してもなお)どのみち主体という単位である。経済も政治も主体(それを体現する有機体、としての人間)を必要とし、その上でそれを操作し、また解決すべきだという問題を捏造しようとする。これらの議論はいずれ、彼らの措定する人間という問題、すなわち「人間の内と外をいかに線引きするか」という問題の変奏でしかない。
人間によらない経済、政治、あるいは空間、時間。別の有機体による(としての)空間・時間の体制の仮構。人間の問題でないのであれば、経済という問題はただちに解決(解体)もされるだろう。それらを考えることは、芸術が人間から離れる(ことを考える)よりはずっと簡単であり、有意義である。
芸術(あるいは批評)に関わる偽の問題を、生命科学、(反)精神分析の方法をもって、再考する(解体、解毒する)シンポジウム。

日程|2009年1月25日[日]
時間|13:30―16:30[13:00開場]
会場|東京国立近代美術館 講堂
定員|130名
参加費|1,500円
主催|近畿大学国際人文科学研究所


[出演]
大橋完太郎[表象文化論]
郡司ペギオ-幸夫[理論生命科学]
三脇康生[精神科医/美術批評家]
岡﨑乾二郎[造形作家/評論家]


[申し込み/問い合わせ先]
近畿大学国際人文科学研究所
東京コミュニティカレッジ 四谷アート・ステュディウム
〒160-0004 東京都新宿区四谷1-5
tel. 03-3351-0591(9:30-17:00、日曜・祭日 休)
●お電話でご予約ください。(※1月6日まで冬期休業中ですので、ご了承ください)


[会場案内]
東京国立近代美術館 講堂
〒102-8322 千代田区北の丸公園3-1(美術館地下1階)[地図]
東京メトロ東西線 竹橋駅1b出口より徒歩3分

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