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November 2008

23. November 08

【格闘技】ドッグレッグス第77回興業「self」~D1トーナメント2008(新木場1st RING)

Dscf1000  今回で実に77回目を迎えるドッグレッグスの試合会場になったのは,新木場にある1st RINGである。ドッグレッグスは今までにもさまざまな会場で試合を行ってきたが,今回のリングは正真正銘,格闘技専門の空間である。試合会場の壁には週刊『ゴング』やジムの広告が並び,プレハブ小屋に敷設されたトイレの中には大仁田厚のポスターも貼ってある。
 かつて障害者らのボランティア活動の一環で立ち上げられたドッグレッグスの当初の試合会場は,もっぱら養護学校の体育館や公民館などであった。破天荒な彼らがそこから追放されてから6,7年ほどが経過して,ついにはプロの格闘技団体として正式な格闘技会場で試合をやるようになったことは,驚きでもあり,当時彼らをいわゆるボランティア組織から追放した者たちへの痛快な意趣返しであろう。
 いまさら説明するまでもないがドッグレッグスは障害者プロレス団体である。設立当時から彼ら自らがそう呼んでいる。ここに集う格闘家たちは,身体障害者はもとより,知的障害,ひきこもり,ワープア,鬱,ロリコン,癌患者と実に様々で,世間一般でいうところのloserな人々である。団体名のドッグレッグス自体が米語のスラングでは「役立たず」「ダメ」を意味する。そういう彼らが“ここで死んでもいい”と思って神聖なるリングの上に上がって戦うのがドッグレッグスのスタイルである。
 “ここで死んでもいい”というのは,彼らにとってはけしてきれいごとではすまされない。先天的に重度の障害を持って生まれてきたものが,身体各部位に必要以上に負荷のかかる危険なことをすれば,既存の障害を悪化させたり,あるいはそれが原因で別の所に障害がでてしまう「二次障害」の危険性もある。もし私が彼らの主治医ならば,とりあえずは辞めさせるであろう。しかしそれは私の中にある古びた道徳的態度が一瞬そうさせるのであって,彼らの格闘家としての実際の姿を見せられたら,迷うことなくリングへ送り出すであろう。

 ドッグレッグスの試合に私が興味を持つようになったのは,天願大介監督の長編ドキュメント・フィルムがきっかけである。(詳しくはレビュー記事を参照)
 天願監督の作品を見て,彼らの存在を知り,さらに創立当時からの中心レスラーであるアンチテーゼ北島の著書で,日本の福祉団体のある種の保守性・閉鎖性の狭間で苦しむ異能の障害者たちの姿を知ることとなった。それ以来こうして実際に試合を見るようになって,今まで知り得なかった未知の身体性を認識することになる。
 たとえば,ドッグレッグスにもレスラーによっていろいろと階級分けがなされている。私の知る限りの一番上の階級が“ミラクルヘビー級”である。ただしこれは他の格闘技のような重量別の階級分けではない。ドッグレッグスでいうところの“ミラクルヘビー級”とはもっとも重度の高い障害をもったレスラーたちの階級である。つまり障害の重度が“ミラクルヘビー級”ということである。そのことを大学の学生や友人,知人に言うと,「ひどい!」「障害者を笑い物にしている」と不快感を示されることがあるが,私はけしてそうだとは思わない。彼らは二次障害のリスクとも闘いながら日々トレーニングに励み,ボランティア団体や自治体からではなく一般の観客から料金をとって興業を行っているプロである。彼らが目指すのはリングの上で勝つことであり,観客席から同情の声をもらうことではない。
 とは言ってもなかなかそれが実感できない人は,ぜひ一度リングの上で戦う彼らの姿を見ることをおすすめする。

 先ほども少し述べたが,ここに集うレスラーたちは,身体の様々な部位に障害を負っている。普段は街中などの日常空間で彼らを見かけた時には,衣服に覆われた彼らの身体が,一体どのような状態になっているかは想像はできないであろう。ドッグレッグスの試合では,多くのレスラーたちが格闘技スタイルのコスチュームで現れるので,彼らの生身の身体がむき出しになる。そこに露呈された身体とは,障害によって身体機能を失って,もはや退化した部位に対する,トレーニングによって強化された残存する健常部位の強いコントラストである。私は今までにこんな様態の身体というものをあまり見たことがない。下肢に重度の障害がある鶴園誠の上腕などは,その圧倒的な腕力と瞬発力でもはや人間凶器と化している。高速で振り下ろされるその上腕にヒットを食らった肉塊は,鈍い音を会場に響かせるのである。鶴園のほかにもさまざまな障害を持ったレスラーが登場するが,どのレスラーもみな,必要以上にビルドアップされた残存健常部位そのものが凶器となっているのである。
 またドッグレッグスは,このようなレギュラー・レスラーに加えて,新入団のレスラーも時々登場する。公開入団テストのスパーリング相手はこの世で初めてと言っても過言ではない「障害者VS健常者」という異種格闘技戦を提唱したアンチテーゼ北島が務めることが多い。
 こんなことを言っては少し不謹慎であろうか。私はドッグレッグスのリングにどんな新しいレスラーが登場してくるのかも楽しみなのである。この気持の表れはどこにあるのかを考えていたら,ある学生のレポートの内容がヒントになった。私が「芸術療法」の講義を行っている名古屋芸術大学で,前出の天願監督のドッグレッグスのドキュメント・フィルムを上映した時に,多くの学生がこれをどう受け取っていいのか戸惑っている中,ある学生が“ドッグレッグスに登場するレスラーは,自分の障害をキャラクター化して活かしている”という前向きの内容のレポートを書いてきたのである。これを見て,ああなるほどなと思った。やや語弊があるかもしれないが,この感覚,即ち“今度はどんなレスラーが登場してくるのだろう”と心待ちに思う感覚とは,例えれば,われわれが子供のころによく見ていた特撮ヒーロー番組で,“次はどんな怪獣が出てくるのだろう”と楽しみに思った気持と同様であることを私は白状する。かつて社会正義の名のもとに活躍するヒーローたちに果敢に闘いを挑んで豪快に散っていった怪獣・怪人といわれる異形たちも,正義の裏返しとしてのヒーローでもあった。人間とは姿が異なる異能の異形たちはたしかに格好がよかったのである。
 私がドッグレッグスにあまり偏見を持たずに見れたのは,おそらく子ども時代に多く見た多くの特撮ヒーロー番組の原風景があったからであると勝手に分析している。「ハッスル」の小川や高田モンスター軍が提唱する“ファイティング・オペラ”というコンセプトも,私の中では少なからずつながってくるのである。

 以下が今回の対戦カードである。
ミラクルヘビー級時間差バトルロイヤル(10分1本勝負)
ノーシンパシーVSハンマーシャーク芹田VS遠呂智VSよっこいしょVS愛人

D-1トーナメント2008 1回戦(3分3R)
福祉パワーVS鶴園誠

D-1トーナメント2008 1回戦(3分3R)
関口洋一郎VS真・大玉

世界障害者プロレスヘビー級選手権試合(3分3R)
第17代障害王 天才まるボンVS挑戦者 永野V明

ロリコンVS聴覚障害者(3分3R)
ロリろり太VS陽ノ道

タッグマッチ(15分1本勝負)
アンチテーゼ北島・サンボ慎太郎VS虫けらゴロー・柳下ミツル

D-1トーナメント2008 決勝戦(3分3R)
鶴園誠VS関口洋一郎

癌患者VS聴覚障害者
中嶋有木VS高王

 この中で今回非常に印象に残ったのはタッグマッチとメインイベントの試合である。
 まずタッグマッチでタッグを組んでいるアンチテーゼ北島とサンボ慎太郎は子弟関係にある。北島がまだ一介のボランティア青年として慎太郎に関わっている時代からこの関係は続いている。北島が“アンチテーゼ北島”としてリングに上がるきっかけをつくったのは実は慎太郎で,それまで北島はリングアナなどをやっていたにすぎなかった。対戦相手の柳下ミツルは,前回の試合で公開入団テストを受けた新人レスラーである。まず感じたのは,慎太郎の体がかつて福祉施設でボランティア興業をやっていた時代の全盛期と比べて,かなり衰えているように見えたことである。ドッグレッグスが格闘技団体として世に認められて,より優良なリングで試合を行える機会が増えていった時に,創立初期から関わってきたレスラーたちがひっそりと引退したり,衰えていったりするのを見るのは辛いものである。いつの時代も先駆者とはこうなるものなのか。
 本日のメインイベントには癌患者レスラーの中嶋有木が登場した。中嶋は現在大腸癌の経過観察中である。癌の原発部位は取り除けたようではあるが,その再発の恐怖が原因で重いうつ病にもなってしまい,体のいたるところに自ら鋭い刃物で傷つけたと思われる跡がたくさんある。中嶋にとってリングに上がる行為とは,まさに癌との闘病を身体で表現する行為といっていいであろう。中嶋の存在自体が,今日のわが国ではまだまだ経過観察中の癌患者を精神的にもケアする体制に大いに不備がある点を浮き彫りにさせている。医療現場でも,非公式な勉強会の中でようやくサイコ・オンコロジー(精神腫瘍学)という言葉が聞かれるようになってきたというのが現状である。
 癌患者の場合,まず術後は外科の手から離れ,一定期間再発・転移がなければ一応は完全治癒ということになって,いったんは主治医の手からも離れる。しかし癌患者自身の戦いはここでは終わらず,今度は再発・転移の恐怖に苦しんだり,世間の偏見の目からなのか,社会復帰も難しくしている。私の知る限り,精神科医でもこのような状況の癌患者をケアする専門医が日本にはいない。それを考えると,中嶋がドッグレッグスにたどり着いたのも必然性があったといえる。
 中嶋の姿を見ていると,戦うことで癌の再発,転移を抑制しているとしか思えない。中嶋の存在は,先月肺がんで亡くなったキャスターの筑紫哲也のライフワークであった「シリーズ・がんを生きる」というドキュメンタリーに登場するアクティヴな癌患者と同様に,これまでの癌患者のイメージ,あり方を変えていくのであろう。

Dscf1010_3
世界障害者プロレスヘビー級選手権試合(3分3R)
第17代障害王 天才まるボンVS挑戦者 永野V明


Dscf1014_2
タッグマッチ(15分1本勝負)
アンチテーゼ北島・サンボ慎太郎VS虫けらゴロー・柳下ミツル


Dscf1020_2
癌患者VS聴覚障害者
中嶋有木VS高王

【ドッグレッグス関連レビュー】
http://ringer.cocolog-nifty.com/kunst_und_medizin/2008/05/76517face_3d5c.html
http://ringer.cocolog-nifty.com/kunst_und_medizin/2008/05/1993_b9a7.html

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22. November 08

【ドラマ】倉本聡 『風のガーデン』~エロス/タナトスとしての“麻酔”という行為をめぐって~

 脚本家・倉本聡のドラマ『風のガーデン』が中盤にさしかかってきた。ドラマ開始当初は,『北の国から』のような富良野を舞台にした家族再生のドラマとして見ていたが,ここへきて,少し面白い展開になってきている。
 自分の職場不倫が主な原因で妻が自殺したことを理由に,家族から絶縁された独身の麻酔医・白鳥が富良野を追われて東京の病院で勤務医として働いている。しかもその白鳥はステージ4の膵臓癌に冒されており,何の因果が自分と同じ病気の二神というハゲタカ・ファンドマネージャーの男の主治医として癌性疼痛のケアにもあたっている。このようなバックボーンのある一人の麻酔医が,自分の死期が近いことを悟り,富良野に残した元・家族との和解を求めて,密かに再び富良野を訪れるというのがここまでの展開である。
 麻酔医というと,ひと昔前までは一般的には手術の際の麻酔の時だけ登場するイメージで描かれることが多かったが,近年の,例えば『ER』のような海外ドラマのように医事監修スタッフがしっかりと入り,脚本家もそれなりに勉強するようになってからは,かなり現実的な麻酔医の日常が描かれるようになった。それにより,この類の医療ドラマを楽しむ視聴者は,当然のことながら麻酔医の仕事は麻酔の導入だけではなく,術中の麻酔深度の管理,バイタルの管理はもとより,内科的領域では先ほど述べた癌性疼痛や神経痛のケアにおいても麻酔医の存在が欠かせないことをよく知っている。
 また,麻酔という医療技術の歴史をさかのぼっても,いろいろと興味深いことがたくさんある。麻酔の概念が西洋医療の歴史で本格的に登場してくるのは19世紀で,この時期に登場したエーテル麻酔法のモートン,クロロフォルム麻酔法のシンプソン,そして笑気ガスにも麻酔作用があることを発見したデヴィらによって,のちの近代的な麻酔学が確立していくわけだが,ビクトリア時代のこの時期が,ちょうどイギリスで興った芸術運動「ラファエル前派」の時代とも重なり,その「ラファエル前派」の画家たちの作風が,“麻酔”という行為,または状態と符号してみえるのである。
 それは,「ラファエル前派」の画家たちが描く女性像をみれば一目瞭然である。例えばミレーの『オフィリア』やロセッティの『ベアトリクス』に表れた恍惚とした表情は,意識レベルではすべての能動的な活動をいっさい停止して眠りに堕ちていく人間の表情であり,すなわちこれが全身麻酔を想起させるのである。またこの時代の精神・神経科医療では,女性の人権に対してまだまだ相当の偏見が存在していて,例えばヒステリーから起こる「卒倒」や「失神」といった意識症状も女性特有のものと思われていた。それは様々な古典的戯曲や歌劇の中でもしばしば描かれてきたモティーフである。つまりその無防備に脱力した状態こそが「死」と「エロス」を醸し出しているのであり,その表情が,まるで全身麻酔下におかれた人間の表情と類似するのである。
 だから,『風のガーデン』の中で倉本聡が設定した中井貴一が演じるやや中性的な男性医師が麻酔医であるのも自然と納得できるのである。私はこの中性的な男性医師に抱かれる恋人が,行為中や行為後に見せるであろう恍惚とした気だるい表情と,今まさに麻酔下に落ちていく患者の表情が同じようなものであるかのように連想するのである。
 もちろんこの医師が麻酔医であることは,自分の身にもやがてせまりくるであろう膵癌末期における壮絶な癌性疼痛との闘い,特に疼痛コントロールの切り札が次第になくなっていく状況まで描ききって癌という病の終末期のリアリズムを表現するとなれば,世の中に数多く存在するご都合主義のファンタジーな闘病ドラマとは一線を画すのに実に効果的な設定である。
 それからこのドラマでもうひとつに気になっているのは,ガーデンの先にある森の中に隠されているキャンピングカーの存在である。最新の医療設備が整った,まるで自治体の集団検診車のような外観のこの車は,富良野の自然の中にあってあきらかに異質である。しかし目下,富良野においては帰る所がない白鳥にとっては唯一の居場所であり,息子の岳の前では“大天使ガブリエル”の姿でガーデンに現れるという日課をこなした後,救いを求めるようにこの車の中に帰っていく。こんな白鳥の姿を見ていると,あたかもこの車自体が白鳥の身体の一部のようでもあり,状況に応じて白鳥の身体に接続される様々な機器のケーブルや輸液チューブが,まるで母体と白鳥を繋げるへその緒のようにも見えてくる。それを考えると,無機質なハイテク医療機器が搭載された自治体の検診車のような車が,森の中でとたんに有機性を帯びてくるのだから不思議である。
 脚本の倉本聡がこのキャンピングカーの存在をそこまで想起して書いたか否かはわからないが,これがもしSFドラマならば,その医療機器を統括する知性を持った医療コンピュータが現われて,白鳥とおそらくは「生命」の所存をめぐって禅問答でも始めるのであろう。このドラマでは,その役目を担うのはかつて白鳥を勘当した父と,白鳥のことを“大天使ガブリエル”だと思い込んでいる息子の岳のようである。
 いずれにしても,昨今,“闘病記”と謳っていながらその肝心の闘病の部分があまりにもファンタジーなドラマが多い中で,丁寧な脚本と映像の仕掛けが面白い作品である。

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17. November 08

【医学史】カナダの医学史研究者からメールが届く

 カナダで現在,輸液史(点滴の歴史)に関わった医学者たちの評伝を編集しているというドクターからメールをいただく。その中でリンガー(Sydney Ringer, 1835-1910)についての資料と写真を借りたいとのこと。おそらく,私が医学史の研究者用に開設しているWebかブログ経由でメールを下さったようだ。

リンガーについては以下のwebページを参照

リンガー研究web日本語版

http://www.t3.rim.or.jp/~lisalabo/Ringer-J/SydneyRinger-(J).html
リンガー研究web英語版
http://www.t3.rim.or.jp/~lisalabo/Ringer/S.Ringer.html
リンガー研究ブログ日本語版
http://ringer.cocolog-nifty.com/blog/
リンガー研究ブログ英語版
http://ringer.cocolog-nifty.com/biography/

 リンガーは,点滴やその他,医療現場で実にいろいろな分野で汎用されているリンゲル液を発明したイギリスの生理学者である。リンガーについては医学史の分野における私の研究分野の一つであり,リンガーのフィールドワークを始めてからもう足かけ15年近くなる。近年ではネットの普及で,このように各国の研究者が私のwebページを見ていて,いろいろな大学の研究者からたくさんのメールをいただいている。
 私の長年の研究のために史料を提供して下さっているリンガー家のご親族の皆さんも,もともとは私のwebページをグーグルやYahooなどで偶然に見つけて,連絡を下さったのが出会いのきっかけであるから,ネットの創世記からネットに積極的に関わってきた私は,近年なにかと悪い部分が強調されているネットというツールに関しては,「悪い部分」以上の有用性をリアリティをもって感じている。なぜなら,今現在こうして私のwebページが,世界各地にいる輸液史やリンガー研究者らの窓口となりえているからである。これはネットがなかった時代には考えられなかったことであり,お互いの学術交流をワールドワイドにしてくれたのもネットというツールのおかげである。
 もちろん,学会などで渡欧した際に,そこで偶然出会った興味深い研究者たちもたくさんいるわけで,ネットがすべてとは言わないが,確率論的に,ネットを有用に使うことによって,本当に必要な人材や才能とダイレクトに繋がるようになったのも事実である。あとは運用する人間のバランスということだ。
 さて,今回連絡を下さったドクターは,カナダのウィニペグという所に勤務されている。私はまだ一度もカナダへは行ったことがないので,カナダの地理についてはとても疎い。興味があったのでついでにウィニペグについて調べてみると,これがけっこう日本にも馴染みのあるエピソードがあったりして,もし医学史関連で学会か何かが開かれれば,ちょっと行ってみたくなった。
 ウィニペグは,マニトバ州の州都で,ちょうど東部と西部を結ぶ起点にある。日本でもお馴染みの「クマのぷーさん」のモデルになったクマがいたそうである。それから東京の世田谷区と友好都市を結んでいる。またここの町にはテリー・フォックスというカナダの国民的英雄がいて,町に銅像まで建っている。このカナダの英雄テリー・フォックスの生い立ちは実に興味深い。彼は片足を癌のため切断するという不幸に見舞われたが,この癌の研究費を集めるために義足を装着してカナダ横断を試みた人である。残念ながら病気の進行により達成はできなかったが,全国から36億カナダドルの募金が集まったそうだ。テリー・フォックスの,後世の研究のために自らが人柱になるという行為が,多くの国民の共感を生んだのであろう。
 こんなウィニペグという町についての短い印象を添えてこのドクターには,資料の提供の快諾の意を伝えた。

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