« 【コラム】麻生太郎の内科身体的修辞法(自由民主党総裁選)   | Start | 【上映会】 映像でメコンを渉る 第3回 『水の恵みと人々、カンボジア』(メコン・ウォッチ事務所・御徒町) »

18. September 08

【映画】井口昇監督 『片腕マシンガール』 (2008年)

Photo_3    ヤクザ一家に家族や友人を皆殺しにされた少女が,マン・マシーンとなって敵どもを豪快に処刑していく『キルビル』みたいなカッコ良い映画。
 脚本・監督を務める井口昇は,長らくAV業界でキャリアを積んできたつわものである。その昔は,にっかつロマンポルノの現場から,優れた映画人を輩出していったように,現在はアダルト業界からも異色のクリエイターが生まれてくる時代である。また一方で,アダルト作品の制作の現場にも,一級のクリエイターが集まることも珍しいことではない。例えば,海外でも評価が高かった前田俊夫原作のアニメ『超神伝説うろつき童子』の制作スタッフなどがそうで,特に作画スタッフには日本アニメの世界で数々の実績を積んできたクリエイターたちが集まり,第1作から音楽を手懸けている天野正道も,現代音楽や吹奏楽の分野で非常に高く評価を受けているわが国を代表する現代作曲家のひとりである。また,アダルトレーベルで有名なKUKI(九鬼)のスタッフの中にも,昔から暗黒舞踏や現代アートに興味を持っている人もいて,そんな噂を聞きつけて,だいぶ前になるが私もKUKIの制作現場を訪ねたことがある。
 当時(1990年初頭)はちょうど,現代アートのジャンルにインタラクティブ(双方向性)やヴァーチャル(仮想現実)という新しいインスタレーションの概念が台頭してきた頃で,ネットがまだ無かったあの時代では,誰もがそのような事を簡単に出来るわけでもなく,その表現スキルは目新しい表現としてもてはやされた。しかしすでにゲーム業界などではこのインタラクティブや特にヴァーチャルという概念は,技術的にも現代アートとは比較にならないほどはるかに進んでいて,その中でも新しい試みを牽引していたのは,間違いなくアダルトゲーム業界である。当時私がKUKIのスタッフルームで見せてもらったのは,パソコンのマウスの動きに連動して画面の中の男性の下半身が動くという極めてシンプルなシステムのものであった。これを体験した時の印象は,世間一般でいうところの卑猥なもの,あるいはいかがわしいものというよりも,例えば,メディアを介して分断された有機端末としての身体の在り様を突き付けられた感じである。そしてマニュピレータの役割を担うマウスをつかんだ瞬間に,自分と,それから画面の中に存在する仮想の身体が一つにつながり,ついには身体の境界が曖昧になっていく。こういった身体感覚は,日常で普通に暮らしているだけではなかなか感じることはできない。これはまさにクリエイターの創造の産物であり,アダルト作品の制作スタッフが常にこんな面白いことを考えていることに,私は非常に新鮮な感覚を得たのを覚えている。
 彼らに共通して言えることは,飽くなき新たな身体性の追求である。仮想の世界で新たな身体を創ることであり,それが芸術表現であるのか否かの問題ではない。
 こういう状況の現場を実際に見てきた私にとっては,井口昇という一人の映画クリエイターがAV業界出身であっても,何ら驚かない。むしろ,そこでどのような身体表現を培ってきたのかに興味がわく。
 『片腕マシンガール』もまさにそんな作品である。この映画は全編を通して,日常生活を送っている人間の想像をはるかに超えた,あらゆるパターンの外傷性侵襲に見舞われた身体を体感することができる。主人公のアミの左腕が煮えたぎった油で天婦羅に揚げられたり,背後から包丁でさされた人間の喉から血液とともに未消化の胃の内容物が吐き出されるシーンなど,斬新な猟奇的表現が実に多い。これらの画面から伝わる鈍痛,穿孔痛,圧迫痛,刺激痛などを想像しているうちに,人間の身体とは別の見方をすれば,身体各部に高性能のセンサーをネットワークさせた有機端末でもあることがわかってくる。そしてその有機端末が壊れる瞬間,つまり死ぬ瞬間に起こる,まるでケンシロウに経絡秘孔を突かれた時のような無機質な脊髄反射が時に滑稽にうつるのである。
 この作品を見て,このようなある意味,身体というものを突き放して遊べる感覚に陥るのには理由がある。それは惜しみないスプラッター・シーンや身体崩壊シーンが続出するにもかかわらず,その「場」の空気というか,例えばコンクリートの廃墟があったり,いかにも今日的なニュータウンの核家族や,人の気配がまったくない寂れた北関東のようなロケーションが,実に乾いた空気を作り出しているからである。本来ならばもっと湿度の高い空間でこそ,このような作品の生々しさやエロスは伝わってくるものだが,あえてそれをやらずにクールな空間におさめたことに,この作品の明るさと楽しさがある。
 キャラクターもとても魅力的で印象に残る人たちばかりである。その中でもやはり良い味を出しているのは,町工場で働く善良なスグルさんだ。彼はヤクザ一味の抗争に巻き込まれるまでは,妻とともに小さな町工場を細々と経営し,一人娘とともにつつましく暮らしてきたような人だ。その彼が娘を殺されたことを機に,静かに復讐の炎を燃やしていく複線が,のちに拍手喝采でもって現れる怒涛のカタルシスを補強しているのである。
 いつもは都会の片隅でひっそりと生きている小市民のスグルさんが,娘の死を機に復讐を決意し,ただ黙々と工場の片隅で必殺兵器を作っている姿を見るにつけ,その兵器が一発目の咆哮をあげる瞬間が非常に待ち遠しい。このような気持ちになったのは,塚本晋也監督の『バレットバレエ』以来である。しかもここに至るまでに随所に古き良き日活時代を思わせる人情的シークエンスが散りばめられている。それゆえに,これから始まる残忍な処刑さえも,興奮と拍手のうちに共感を得る仕組みになっているのだ。まさに,我慢に我慢を重ねて耐えてきた状況から,ついに“やっちまいな!”という場面が訪れるのである。
 善良なスグルさんが作った必殺兵器とは,非常に殺傷能力が高い身体装着型のマシンガンとチェーンソーである。それは自分の命と引き替えにアミと妻のミキに託される。そしてそれはヤクザのリンチで片腕を切り落とされたアミの身体と一体化して最初の咆哮をあげるのである。切り落とされた片腕の代わりにマシンガンという新たな身体を獲得したアミは,狩りを楽しむプレデターのように敏捷に動き回ったかと思えば,サイコガンを持ったコブラのようにヤクザのボスの前で仁王立ちしてマシンガンを構える。この復讐のマン・マシーン化したアミのえじきになったヤクザたちは,ワルに相応しい最もむごい死に方をしていくのでカタルシス倍増なのである。
 この物語でもうひとつ面白いところが,アミのマシンガンに対抗して,非常にローテクな殺戮武器がでてくるところだ。これらの武器はマシンガンやチェーンソーほどの殺傷能力はなく愚鈍な印象なのだが,これがワルたちの手にかかると実に生々しく邪悪になる。スグルさんの妻のミキの脚を食い千切ったのも鉄で出来た虎ばさみのような武器である。ワルたちの手にする武器の数々は,「投げる」「振り回す」「突き刺す」「叩きつける」といった古代ギリシャ時代の兵士の野蛮な武器の面影がある。アミのマシンガンやミキのチェーンソーが失った身体の一部だとしたら,ワルたちが繰り出すローテク武器は,人間の原初的な暴力性をその行為で象徴的に表したものである。
 人類が初めて手にした武器が「石」であったように,あの時代から人間の考える残虐な行為の数々は今も同じである。このような武器の中で,唯一アミのマシンガンに対抗できそうなのはヤクザのボス・木村の妻スミレが両胸に装着した乳輪様のドリルである。これを男性が装着するとすれば,塚本晋也監督の『鉄男』と同様に擬似的男根として局部に装着されるのだろう。どうやらこれは男性諸兄の,いわゆる永遠の“男のロマン”であるらしい。
 実はこの武器こそが,これはアミやミキがマン・マシーンとなって装着する兵器と唯一互角に戦えそうなのだが,前者は死んでいった身内の怨念や失った自分の身体を補遺する身体の一部であるという執念が宿っている。スミレのドリルが敗れた原因の理由を探せば,死者の怨念とそれを弔う者の執念が宿った兵器には勝てなかったということではないだろうか。
 それから,上映中に非常に象徴的だったのは,続々と登場するワルたちの処刑シーンに,会場から拍手や歓声が巻き起こったことである。この事態は,私が足を運んだシアターだけの特有のものなのか,それとも全国的にこのようなことが起こっているのかは定かではないが,日本のシアターでこのような光景を見たのは初めてなので,こちらの方も新鮮であった。
 近年このような作品は,わが国で猟奇事件が起こるたびに批判の対象とされてきた。そのたびに,どうみてもアートが何たるかを微塵も理解していないような社会学者や多少左翼がかった精神科医たちは,たちまちこのような作品に病根を求めようとしてきたわけだが,それはいささかナンセンスな考えである。ホラーやスプラッターというものは本来,辛気臭い空間で一人楽しむものではなく,こうやって大勢で盛り上がってカタルシスを感じながら楽しめるものであり,われわれはその健全性の中に,クリエイターの表現に内在する猟奇性をエンターテインメントとして味わうのである。

|

« 【コラム】麻生太郎の内科身体的修辞法(自由民主党総裁選)   | Start | 【上映会】 映像でメコンを渉る 第3回 『水の恵みと人々、カンボジア』(メコン・ウォッチ事務所・御徒町) »

映画・ドキュメンタリー」カテゴリの記事

Kommentare

Kommentar schreiben



(Wird nicht angezeigt.)




TrackBack


Folgende Weblogs beziehen sich auf 【映画】井口昇監督 『片腕マシンガール』 (2008年):

« 【コラム】麻生太郎の内科身体的修辞法(自由民主党総裁選)   | Start | 【上映会】 映像でメコンを渉る 第3回 『水の恵みと人々、カンボジア』(メコン・ウォッチ事務所・御徒町) »