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10. August 08

【コラム】恐怖映画は高い知性と想像力で生成される

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 画家ギーガーがデザインを手掛けた映画『エイリアン』第1作が公開された時,ギーガーが描いたそのグロテスクなフォルムや,見てて飽きない細部にわたる複雑なデッサンもインパクトを与えたようで,映画自体も『ターミネーター』,『バットマン』,『プレデター』などと並び,外国産のSF作品として不動のジャンルを確立していったように思う。
 映画『エイリアン』シリーズが人々に圧倒的にインパクトを与えたのは,ストーリーや登場人物,そしてエイリアンの謎だらけのフォルムもさることながら,そのエイリアン自体のライフサイクルの描き方である。この映画は,見方を変えれば,自然界におけるエイリアンの生活誌をヒト目線で描いたものといえる。そしてその自然界=すなわち宇宙の生態系の中に我々人間も組み込まれて,“エサ”となってしまうことである。
 我々人間がエイリアンのエサとなる場合,例えば地球上のジャングルで猛獣に喰われるのとはわけが違う。そこに「寄生」という要素が加わることによって,生理的にも嫌悪感や恐怖感が増すのである。「寄生」という食物連鎖のシステムは,もちろん実際の地球上にも存在していて人間も対象になることも多分にあるので,このシステム自体は珍しくもなんともない。実際に,人間がなんらかの寄生虫に寄生された時には,それがまず内臓疾患として分類され,第一に内科的治療が施され,症例によっては外科的治療が選択される場合もある。それに比べてエイリアンに寄生された場合はどうか。まず身体各部に及ぼす影響があまりにも甚大である。しかもそれは成長過程の骨や筋肉に好発する悪性の肉腫のように人間の骨格を無視して体内で成長を続ける。つまりエイリアンに寄生された段階で,根治がほぼ不可能な外科的,または形成外科的疾患であるということである。このことがこの映画の恐怖をかきたてる見事な演出になっている。
 エイリアンの寄生が,地球上の実際の様々な寄生虫疾患と異なるところは,自分やあるいは他の人間が寄生される瞬間も目の当たりにしてしまうことである。2作目の『エイリアン2』で,海兵隊がエイリアンの巣に遭難者を救出しにいくところで,すでに自分はエイリアンに寄生されていることを知っている女性が,助けに来た海兵隊に“自分を殺してくれ”と懇願するシーンがあるが,あのシーンは見ていて本当に絶望感が漂うシーンであった。
 しかしこんな思いをするのはエイリアンに寄生されて,もうすぐその寄生体に肺と肋骨を食い破られて苦しみながら死んでいくのを待つばかりの人間だけかというと,そうでもない。エイリアンの話題でしばしばい引き合いに出されるカマキリに寄生をするハリガネムシや,あるいはモンシロチョウの幼虫に好んで寄生をするコマユバチの幼虫やヒグラシに好んで寄生するセミヤドリガの幼虫も,同じような状況を作り出している。ハリガネムシはカマキリの体内で成虫になるとカマキリの腹腔を突き破り,飛び出してくる。たいていの場合は肛門付近から出てくるので,カマキリにはそんなにダメージはないのではないかと思いがちだが,激しくうねりながら出てくれば,当然周囲の臓器にも甚大な影響がでるだろう。特に昆虫類にとっては腎臓の役目をはたしている重要な臓器の一つであるマルピーギ管を傷めてしまっては,いずれ死んでしまうだろう。コマユバチに寄生されたアオムシは,体内に産み付けられた卵から幼虫がかえり,肉を中から食べられるのだからたまったものではない。だが人間よりまだましだと思うことがひとつだけある。彼らは自分に身の危険が及んだ時,本能でそれが自分の生命を脅かすであろうものとして回避を試みるが,人間ほどの高等で複雑な知性がないおかげで,この先自分がどうなるかといったことを想像して気が狂いそうになることもないだろう,ということである。
 エイリアンで描いている恐怖とは,まさに我々人間が,人間スケールのハリガネムシやコマユバチに寄生されてしまった状況で,その救いようのなさからおこってくる絶望感である。しかもコマユバチやセミヤドリガに寄生される場合は,寄生される瞬間も自分で見ているのである。そしてそれがやがてどういう事態を招くかを知っているし,そのことを想像すれば,もう正気でいろというのは無理であろう。
 いわゆる“スプラッター”といわれる血しぶきが飛び散るようなかつての恐怖映画から,近年は,心理的,生理的領域にアプローチしてくる恐怖映画も増えてきたが,エイリアン・シリーズは,その双方を取り入れた秀作といってよい。我々がそんな恐怖映画を楽しめるのは,人間特有の複雑な知性と想像力があるからである。もしそういうものを持ち合わせていなければ,セミヤドリガの幼虫に寄生されたヒグラシのように,自分の体に幼虫をぶら下げたまま飛翔する時に,“重くてじゃまだな”程度にしか思わないかもしれないのである。しかし我々人間の場合に限りそうはいかない。そもそも自分の体に幼虫がたくさんぶら下がっていること自体がまず尋常でないことを認識し,それが生理的にも到底受け入れがたいことであることも同時に認識する。そしてこれにより起こり得る様々な事態を想像して恐怖とともに絶望感が襲ってくるだろう。この時多くの人は死を待たずして気が狂ってしまうに違いない。恐怖映画の面白いところは,我々を一瞬だけこういった起こり得ないような非日常的空間に誘ってくれることである。それはまさにクリエイターと受け手側の我々双方が,人間であるがゆえに複雑な知性と感情を持ち合わせているからなせる技なのである。

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