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19. Juli 08

【新刊本】多賀茂・三脇康生編『医療環境を変える「制度を使った精神療法」の実践と思想』(京都大学学術出版会)

<京都大学学術出版会から新刊本のお知らせ>
多賀 茂・三脇康生編
『医療環境を変える「制度を使った精神療法」の実践と思想』

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(京都大学学術出版会)
A5上製・400頁・税込 約5,700円
ISBN: 9784876987511
発行年月: 2008/08


【紹介文】
 病を癒すには、まず医療をめぐる環境を癒してからでなければならない――。「制度を使った精神医療」をめぐる日本とフランスを中心としたの医療実践を紹介し、それらのバックボーンたる現代思想を解説する。
 病院機能評価によってますます硬直しつつある現在の医療・社会システムに風穴をあけ、「ひと」が癒える場をとりもどすために集結した、医療実務者と思想研究者による熱気あふれる論陣。

【目次】
第一部 実践編
第1章 制度を使った精神療法の実践
ラ・ボルド病院 多賀 茂、三脇康生
ラ・ボルド病院の日常  ジャン・ウリ、ラ・ボルド病院スタッフ
セクター制度   ティロ・ヘルド、和田 央

第2章 日本の精神医療現場での試み
四つの例
横浜市民団体の運動について 菅原道哉、
京都府南部の救急精神科医療について 和田 央、波床将材、
制度を使った音楽療法 高江洲義英
病院の外から病院を看る制度について 平田豊明、ミシェル・オラシウス、三脇康生 

第3章 身近なところから制度に取り組むために
医師という制度を分析する 菅原道哉、三脇康生、
看護師という制度を分析する ジャン・ウリ、吉浜文洋
デザインという制度を使う 蓮見 孝
写真という制度を使う 田村尚子
建築という制度を使う 高崎正治

第4章 日本の精神医療がなぜ「制度を使った精神療法」を使えなかったのか
三脇康生 

中間部 対話編 制度という論点をめぐって
野沢典子、看護師という制度を分析する
上山和樹 、ひきこもり問題から制度を使うことを考える

第二部 思想編
第5章 制度を使った精神療法の思想
ジャン・ウリ、制度を使った精神療法の思想
三脇康生、ウリとガタリの差異
合田正人、ラカン、マルディネ、トスカイェス
多賀 茂、フーコーとガタリ 

第6章 制度を使った精神療法とその周辺
江口重幸、精神療法の誕生
立木康介、ラカン派の応用精神分析
松嶋 健、イタリアのバザーリア

第7章 根を枯らさないために
多賀 茂

【著者による解説】
本書の表題にある「制度を使った精神療法」と訳された精神療法はフランスで50年以上前に始められ、現在も存続している。三脇は「制度を使った精神療法」について精神医療·保健·福祉·看護の領域で多くの紹介を行ってきた。その切っ掛けとなったのは『精神の管理社会をどう超えるか』(フェリックス·ガタリ他著、松籟社、2000年)という本を編集し論文を書くためにフランスと日本で精神医療の戦後の歴史を調べたことである。しかしその本においては、制度論的精神療法という訳語を三脇は共同編者と相談して用いた。しかしその後、三脇は再度、訳語を変更していた。制度論と言っても、治療の前提として制度を論じることではなく、精神療法のベースになる制度を改編しながら行う精神療法、つまり制度改変がそのまま治療に到達するという意味があるのだから、それがストレートに出るように変換したいと考えたため、制度改編的精神療法と訳を改めていたこともある。しかしこの本ではさらに「制度」に対して積極的で具体的な意味を込めるために「制度を使った精神療法」と改めることにした。
 精神医療の現場では芸術療法や作業療法という名前の療法が存在しているが、それには「芸術を使って」療法を行うとか「作業を使って」療法を行うという意味がある。それと同じように、まさに「制度を使って」精神の病を治していこうという方法が「制度を使った精神療法」である。しかし「制度を使って」ということは、「芸術を使って」とか「作業を使って」ということとはかなり異なった意味を持つ。なぜなら「制度」とは療法が行われる環境それ自体であり、単なる道具としてそれを使うことは決してできないからである。この療法の基本的な考え方は、「病んだ環境では病気を治すことはできない」ということであり、したがって医師や看護師や患者がその中で仕事をして生きている環境がどのような病気に冒されているのかということを、自ら明らかにしていくことがこの療法の中身になる。制度(治療環境)の分析は、常に治療へとフィード·バックされ、両者は常に循環的関係の中にあるとも言えよう。
 この「制度を使った精神療法」がなぜそれほど重要なのだろうか。答えは明確である。精神医療の対象である病の原因は目ではっきりと見えることは少なく、正常と以上の線引きの根拠は科学的には明確にしにくく、症状への知識の蓄積からしてこのような薬を飲んだりこのような休み方をしたりこのような入院の仕方をした方が患者にとっては良いのではないかとほぼ考えられるような、言わば東洋医学的な発想も含み得るものだからである。精神医学全体に科学性が他科と比べて少ないとも言えるだろう。精神医学の科学性を高める必要があるのも事実だろうと思われる。しかし現状では患者にしたら病名を告げられても納得できないことも多いはずである。であるから、病名を告げる側、医療者側が前提にしている思考の枠組みをどの程度柔らかくするのか、つまりどこは再検討しどこは再検討しないままで置くのか、一々判断していかなければ治療が始まらないからである。
 そういうことなら、すべてを柔らかくし遂には枠組みをなくしてしまえば良いと言われるかもしれない。そういう考え方は反精神医学ともよばれたことがある。日本にも政治運動の広がりの中で反精神医学の考え方は(幅はあっただろうが)存在していた。しかしすべてを柔らかくして社会全体で幻覚妄想状態に入ることはできない。しかしすべて固くしてしまうこともできない。このような精神医学と反精神医学の対決状態は、日本にもどこの国にも存在したのだが、フランスはその対立を超えるものとして「制度を使った精神療法」を維持していた感が強い。一方、日本ではその対立の着地点は明確には存在して来なかったと言えるだろう。もちろんそれぞれの素晴らしい試みは存在したのだが、枠組みを制度のどこを緩めてどこを緩めないのか、その判断を明確にしてこなかったのだ。本書では、既に日本に存在している試みも「制度を使った精神療法」という枠組みでとらえ直してみたいと思う。
 ここで精神科医として私の経験した臨床例をあげよう。私の担当していた患者の通うディケア施設に、レベルの高いサッカー経験を持つ若いケースワーカーが働き始め、自然とサッカーチームが作られていった。主に統合失調症の患者22歳から36歳が参加し、常時参加していたのは8人であった。半年ほどたつと、調子が良くなった患者から就労支援を受けたり、作業所に抜けて行った。私の担当した患者は、熱心にサッカーをしていた間に調子の良さを訴えたので薬を減らした。すると丁度、サッカーに参加していたメンバーが社会復帰に向け動き出したことから、人数の面からサッカーを十分には出来なくなり、この患者も仕事を探し始めるようになった。すると幻聴に支配されて2年ぶり再度の入院となった。入院後は、なぜ幻聴にふりまわされたのか考えてもらった。患者は「サッカーこそ生き甲斐という気持ちがした。今までにしたことの無い玉運びをケースワーカーに教えてもらい、ゴールが決まった時はかなりすっきりした。生きていること全てであると思えた」と言う。私は「そのような喜びを働くことや余暇に見つけようとしたのですか?」と聞いた。患者は「そうだと思う。」と振り返った。そこで私は、次のような類別をこの患者に示してみた。「生活·社会の方へ復帰した患者はサッカーの面白みにある程度距離を取れた患者ではないか。むしろ復帰を焦って病状悪化した患者はむしろサッカーの面白みに酔った患者ではないか。」するとその患者は「全くその通りだと思う」と言うのだった。それから薬を増やすと2ヶ月で退院となった。
 生命感を求め過ぎて生命感にのみ込まれてしまったこの患者に対応する時にこそ、制度分析(analyse d’institution)が行われているかが問われることにある。患者との自由な交流に基づくすばらしい治療などを私は求めていたのではない。患者が居心地の良さを感じたのは良いとして、それからどのような着地をしてもらうのか考えねばならないかった。入り口を作れば出口を作らなければならない。
それにこの症例の運営は失敗しているのだ。こんなことが起きないようにまさしく制度を使った精神療法のメッカであるラ·ボルド病院で多くの活動が維持されている。それにより、患者は生命感に飲み込まれるのではなく、生命感を適度に味あう。はっきりこの事例に適応するなら、サッカー以外の活動という制度をこの患者に使ってもらい、複数の活動の間でバランスをとるべきだったということになる。そのために私はスタッフと十分話し合う時間を持つことができなかった。あるいは主治医の私も含めて病院がこのような制度分析を行う体制になかったのだとも言える。このように組織内のミクロな制度使用は、それに応じた制度分析を伴っていなければならず、制度分析の有無は治療の首尾に直結する。それはこの症例でも明らかだろう。
 本書では、まず「制度を使った精神療法」の流派の考え方を十分に知ってもらうことを目指し、それに基づいて、いかにしたら日本というフランスとは全く異なった文化的·政治的風土の中で、「制度を使った精神療法」を日本の精神医療へ導入できるのかを考察したいと思う(本書では、そうした意味で広く理解する場合には「制度を使った精神医療」という言い方をしている)。
 そして、はじめにどうしても言っておかなければならないことが、もう一つある。それはこの流派の考え方が、制度(環境)について議論しながら分析し工夫することを根本とすることから帰結することとして、おそらくこのこともまたフランス文化の独自性ということになるのかもしれないが、単なる実践上のノウ·ハウだけではなく、きわめて哲学的·思想的な志向をもっているということである。現象学、ゲシュタルト理論、ラカン派の精神分析などに由来する様々な概念が、この流派の議論では駆使される。もちろんそれは衒学的な欲求からのものではない。制度という論点を、現場の組織論にしろ、抽象的な哲学にしろ、単一の観点からだけ見てしまうこと自体が、制度の病を生む(例えば<疎外>という重要な用語が指し示しているのはこのことである)ということをこの流派の人々が知りぬいているからである。そして、そうした議論を経た制度についての分析は、精神医療という枠組みを越えて一般的な社会環境に対する療法ともなるだろう。現代社会が私たちにとって「病んでいない」環境であるなどと言えるひとはおそらく一人もいないはずだからである。「制度を使った精神療法」は病院だけの問題ではない。これだけ社会の中でメンタルヘルスの問題が大きく取り上げられ、スクールカウンセリングや産業カウンセリングの重要性が叫ばれている現状がある以上、それは容易に理解していただけるだろう。しかし実は現在の社会構造では、この肝心のカウンセリングが機能しなくなっているのだ。それは結局のところ「制度を使う」ということを日本の組織が試行できないでいるからではないだろうか。
 本書は大きく実践編·思想編という二部構成をとることになった。実践編では、ラ·ボルド病院というフランスの一病院の例と、それと深く関わるセクター制度というフランス独特の地域精神医療制度とをまず詳しく紹介し、次に日本の精神医療の現場での問題点とそれに対する試みを紹介したのち、日本の精神医療の現場で制度分析がどんな形を取りうるのか、身近な制度をとりあげて検討する。思想編では、まず精神療法そのものの歴史やラカン派における試み、そしてイタリアの例など「制度を使った精神療法」の周辺にある問題を取り上げたのち、最後に「制度を使った精神療法」が思想的にどのような問題と繋がっているのかを考察しておきたい

京都大学学術出版会  〒606-8305 京都市左京区吉田河原町15-9 京大会館内
電話 075-761-6182 FAX 075-761-6190 email
sales@kyoto-up.or.jp

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