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Juni 2008

29. Juni 08

【トークショーのお知らせ】竹藤佳世監督×井上リサ(7月17日(木)池袋・シネマ・ロサ)

7月5日より公開される映画『半身反義』(公式サイトhttp://www.hanshinhangi.com/)の竹藤佳世監督と,映画の公開に合わせたトークショーを下記の通り開催します。皆様ふるってご来場下さい。

「竹藤佳世×井上リサ」トークショー
日時●7月17日(木)
    21:00~ 映画『半身反義』上映
    22:30~ トークショー
場所●池袋シネマ・ロサ
    http://www.cinemarosa.net/index.htm

 竹藤佳世監督は,8mmによるインディーズ作品の時代から,一貫して身体性やそれに基づく不条理な世界を,主に女性が抱える身体論の断片として描いてきた。これまでの作品の中でも『骨肉思考』(1998)や『殻家KARAYA』(2000)などがその代表的な作品である。
 今回初めて上映される作品『半身反義』は,脳疾患で半身麻痺になり,現在も療養中の演出家・山岸達児の半生を追ったドキュメンタリーである。

【作品紹介】再掲
 竹藤佳世監督の最新作『半身反義』をTCC試写室で見る。監督の作品を見るのは2002年の『彼方此方』以来だ。
 今回の作品『半身反義』は、『東京オリンピック』(1964)、『大阪万国博』(1971)などの演出を手掛けた演出家・山岸達児へのインタビューを中心に構成されたドキュメンタリー作品である。

 山岸達児は1929年に上野で生まれ、日大芸術学部を卒業した後に毎日映画社に入り、そこで数多くの展示映像の演出を手掛けてきたパイオニア的存在である。特に、展示映像や映画の世界に「企画」という概念を持ち込んだのは当時としては非常に画期的なことであり、それが当時はただちにビジネスモデルとして成り得なかったとしても、後の映画界や、また映像表現を志すものに対して多大な影響を与えていったことは間違いないであろう。その山岸は、2003年に脳梗塞で倒れ、一命は取り留めたものの半身不随となり、現在も施設で療養中である。そこで山岸と以前から個人的に親交のあった監督の竹藤は、ほぼ寝たきりになってしまった山岸の病床へと通い続け、4年かけてこのドキュメンタリーを完成させた。

 試写の前に、監督から次のような舞台挨拶があった。
 まず、この作品を撮ろうと思った経緯について、自分が今まで生きてこれたのはいろいろな人々との出会い、支えがあったからであって、創作活動を通して出会った人々にも“縁”のようなものを感じている。自分は山岸達児の世代が作ってきた戦後、昭和の日本というものの上に立って生きてきたことは否定できないことであり、自分とは縁も所縁もなさそうな山岸の世代の人々とも、“縁”やつながりのようなものを感じている。戦後の日本を作ってきた人々への感謝の気持ちも込めて、自分は何ができるだろうかと考えた時に、今回の作品の構想が生まれたそうである。

 私は監督のこのコメントに多々共感する部分があった。特に、何かの“縁”により自分の日々の営みが続いているということや、昭和という時代へのこだわりや自分との関わりである。
 監督の竹藤のこういったコメントからも現れるように、今回の作品『半身反義』は、山岸へのインタビューを中心に昭和の断片を映像で切り取りながら、山岸が見てきた昭和と、竹藤の見聞きした昭和という時代が、まるで今まで深い地層の中に埋もれていたかのように、その巨体を持ち上げてくる。
 まず冒頭では、山岸の少年時代と思われる役の人物が、場所が明らかでない海岸を彷徨っており、やがて穴の明いたポリタンク様の漂着物を見つけ、その中を覗き込むシーンから病床の山岸へのシーンへと移行していく。冒頭の海岸のシーンはラストにも登場する重要なシーンで、人が誰もいない海岸に放置されて朽ちた家電等の廃棄物、あるいは漂着物は、まさに「高度経済成長時代」という地層の中から顔を出した匿名の堆積物に他ならない。あるいは、老いて朽ちていく、今ではかつての著名なクリエイターから一個人となった山岸達児の骨格にも見える。
 私があえて、一時代を築いてきたクリエイター、山岸達児に対して「一個人」という言葉を使ったかと言えば、それは、竹藤がこの作品の中で掲げる「老い」というもう一つのテーマを受けてのことである。

 竹藤がインタビューのために通いつめた山岸の病室は、著名人らがしばしば利用する差額ベッド代がかかるような個室ではなく、一般病棟の大部屋であった。したがって、竹藤が山岸に対して回しているカメラの中にも、当然のことながら他の患者の見舞客の声、遠方で響く医療スタッフの声なども入っている。また、おそらく竹藤や周囲の関係者から話を聞かない限り、他の入院患者や見舞客、そして医療スタッフまでも、かつて日本で「東京オリンピック」や「万国博覧会」があったことは知っていても、山岸達児がどんな人物かを知らないであろう。つまり医療スタッフからみれば、山岸が過去にどんなに偉大な功績をあげようとも、その一線を離脱してしまった後、今は医療空間にいるのだから、「一患者」として均一化されてしまうのは当然である。もちろんこれは、「生・老・病・死」という宿命を等分に持って生まれてきた我々にもいつか必ず訪れることではあるのだが、山岸のようにかつて栄華を極め、市井の市民とは異なった華やかな人生を送ってきたように見える人間であればあるほど、一人になって「老い」を迎えた時の落差は、あまりにも大きい。
 竹藤もそのようなことを感じてなのか、映像の中では病床の山岸との対話と並行して、山岸に所縁のある人物を訪ね歩くフィールドワークの様子も出てくる。ここで竹藤が訪れたのは、毎日映画時代の同僚や大学関係者、『東京オリンピック』や『万国博覧会』の制作に一緒に関わった当時のスタッフなどである。そして彼らの話の断片から山岸達児像を構築していく。ここで興味深かったのは、山岸を語る人々よりも、むしろ山岸が現役時代に残した膨大な資料の数々である。その資料を竹藤自ら倉庫から出すシーンがあるが、軽く1000は超えるであろう蔵書、自著、台本、コンテ等の数々は、竹藤が「1人の人間の(もちろん山岸のことを言っている)のキャパシティーを超えている」と感嘆の声を上げたように、それは圧倒的な質量である。
 また、竹藤のフィールドワークはこれに留まらず、山岸が1964年、つまり「東京オリンピック」の年から住まいにしていた松原団地の部屋なども訪れている。かつての空間はほぼ空き部屋状態となっているが、それでも、膨大な資料や蔵書で底が抜けかけていた床や、部屋の随所に残る生活臭のあるシミなどは、その時代から生きてきた山岸の痕跡などがはっきりとうかがえる。そしてもうひとつ重要なのは、この団地に今も住んでいる壮年の夫婦が登場することである。彼らはいわば市井の市民として山岸と関わってきた人々であり、したがって、クリエイターとしての山岸のことはよく知らなくても、そのかわりに山岸の日常と等身大でつきあってきたような人々である。言いかえれば、このような名も無き人々も山岸とともに戦後の昭和を作ってきた人々ともいえる。冒頭で監督がコメントした一連のメッセージは、このようなところからも良く伝わってくるのだ。

 それにしても、山岸の一番の代表作といえる『東京オリンピック』が、人類の肉体の究極的表現の場であり、それに相応しいアスリートの姿をフィルムに焼き付けた山岸の肉体は今、「老い」と「病」で自由を失い、さらにそれは、「人類の調和と進歩」というテーマを掲げた『万国博覧会』からすでに30年以上経過した現在でも、その「老い」と「病」から救われることはない科学の限界を見せつけられる思いである。
 1981年の『ポートピア81』でマルチビジョンのブースを手掛けた山岸は、来るべき情報化社会とそれに象徴されるマルチメディアの台頭をすでに予見していた。その14年後に、その人工の埋め立て地が阪神淡路大震災で液状化現象を起こす。美しく舗装されたフィールドの下からは、まるで内臓のように、あるいは地層の堆積物のように泥や液体が染み出し、かつての未来都市が脆くも崩壊していった。
 山岸の一連の仕事を時系列で見ていくと、この未来都市の足元に露出したものは、今まで地下に封印されていた昭和の身体の一部そのものではないかと思えてくる。映像でもそれを感じさせるように、山岸のインタビューとともに、「東京オリンピック」、「マンモス団地」、「新幹線」、「万博」、「高層ビル」、「モノレール」といった昭和の象徴が次々と挿入され、その映像の彼方に、これらのものを作ってきた名も無き昭和の人々の姿が群像になって浮かんでくる。それに対し我々は、何事もなかったように「平成」を迎え、そこで“失われた10年”に行き詰まるのだが、私はむしろ、山岸達児のように戦後の昭和を作ってきた人々の姿を胸に刻みながら、“失われなかった10年”の中に、「昭和」との“縁”を求めてみたい、と思える作品であった。(井上リサ)


 

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24. Juni 08

【プロ野球】JFKはプロ野球におけるポストモダン

 プロ野球・楽天の野村監督が興味深いことを言っている。
「野球のルールが変わったね。9イニングじゃないのか、野球は。6イニング?」

 これはプロ野球セ・パ交流戦で阪神タイガースと対戦した後に,思わず野村監督の口から出た言葉である。当たり前のことを言うが,野球というスポーツは9回の攻防を戦うスポーツである。ではなぜ野村監督からこんな言葉が出たかと言えば,それは,プロ野球ファンならば誰でも知っているとおり,JFKの存在を指してのことである。
 野球にあまり詳しくない方に少し説明すると,JFKとはジェフ・ウィリアムス=J,藤川球児=F,久保田智之=Kの球界屈指の3人のリリーフエースを表した記号である。この3人の投手が,阪神がリード,または同点の場合,7回からは1イニングずつ登場してくるので,相手チームにとってはそれが大きなビハインドとなる。野村監督が「野球は。6イニング?」と言ったのはまさにそれで,つまり,阪神に勝つためには6回までにリードしていないとまず勝てないということを意味しているのだ。また例え同点かもしくは1,2点のリードをしていても,阪神はJFKに次ぐ強力な中継ぎ陣のEXA(江草)や渡辺を出してきて,試合の好機をうかがい,同点になればずるずると延長戦へと引きずり込まれる。そうしているうちに相手チームは壮絶な消耗戦の後に,自滅するのである。先般の西武やソフトバンクもこれで阪神に敗れたのである。

 同じチームに,しかも同時期に,球界を代表するようなリリーフエースが3人もいるということは,一体どういうことであろうか。これは偶然の産物なのか,あるいは周到に計画されて出来上がったものなのか。しばしばJFKについて語る時,野球ファンの間では,西武黄金時代の「杉山-塩崎-鹿取」の継投と比較をされるが,この両者ではまったくコンセプトが異なる。「杉山-塩崎-鹿取」が(中継ぎ)-(中継ぎ)-(抑え)なのに対してJFKは(抑え)-(抑え)-(抑え)なのである。つまり例えれば,往年の佐々木が同じチームに3人もいるような異常な状況であり,こんなことは近代野球ではあり得ないことなのである。
 ではJFKの前身はどこにあるのかといえば,それは星野阪神時代に完成した「リガン-安藤-ウィリアムス」という継投に求めることができる。この時はリガン,安藤が中継ぎであり,ウィリアムスが抑えという,近代的役割分担をしていたのだ。その後に,藤川と久保田というまさに化け物が加わり,現在のJFKが成立したのである。それによって,先発投手こそがエースであるというこれまでの近代的価値観がそこでいったん解体された。しかしその源流は意外にも,いわゆる「阪神後期暗黒時代」の中で指揮をとった経験のある野村監督自身ではないだろうか。
 星野阪神以降の強い阪神しか知らない人は,阪神が万年最下位の弱小球団であったことなど想像できないであろうが,その長い暗黒時代,いわば中世の時代に,時の指揮官たちはいろいろとユニークな戦略を打ち出していた。その中でやはり秀でていたのは野村監督である。野村監督が9人のスターティングメンバーの中に投手を2人入れ,打順が進むごとに守備位置を変えていった「遠山-葛西-遠山」の継投は,まさに球界に残る妙手である。勝負所の重心を後半に置き,何とか苦しい戦いをしのいでいくという考え方は,例えば今日の「阪神×中日」戦のような強いチーム同士の対戦ほど,これぞプロ野球というような面白い勝負を見れるのである。

 JFKの登場は,スポーツジャーナリズムも喜ばしている。この劇画的な出来事は,スポーツジャーナリズムの恰好の題材となるからだ。忘れもしない2006年のオールスターゲームの時に,マウンドに立った藤川球児が,パリーグの強打者に向かってストレートの握りのボールを見せてアピールした,いわゆる“予告ストレート”は,まさしく我々が少年少女時代に見てきた野球漫画の世界そのものなのである。現在の阪神にはそんな劇画的雰囲気を持つ選手が何人かいる。現在ファームで育成中の前田大和もその一人だ。この野手は登録名を自ら「大和」にしてしまった。近い将来「大和」が一軍に上がり,日本シリーズなどで西武の守護神グラマンと対決する時のことを考えると,翌日のスポーツ紙の見出しのタイトルを考えるだけでにやにやしてしまう。デイリースポーツなどは,「トラトラトラ! 大和,グラマン撃墜!」とか絶対にやるだろう。

 かつての暗黒時代から近代を迎え,現在の強いタイガースを作ってきた源流は,間違いなく野村阪神にある。その野村監督に「野球の神髄。近代野球の新しいスタイル」と言わしめたJKFは,その近代的投手起用法から“脱構築”を果たしたポストモダン的存在なのである。

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18. Juni 08

【DVD】『28週後』(2007年 イギリス・スペイン作品)

 未知のウイルスの感染の恐怖を描いたパニック・ホラー作品。話題を呼んだ前作『28日後』の続編ともいうべき作品である。
 この作品に登場するレイジ・ウイルスなる病原体は,もちろん物語上で設定された架空の病原体である。潜伏期間が非常に短く,感染者の血液,体液と接触した瞬間に体内でウイルスが爆発的に増殖して,たちまち発症する。その間約数分あるいは数秒である。実際にこのような性急な症状をあらわす病原体は地球上には存在しない。
 ウイルスの存在意義,またはその目的───つまりは自分をより広範囲に拡散・伝播させるということを考えた場合,そのウイルスの乗り物,あるいは容器である人間の身体は,潜伏期間中はある程度の堅牢さがなければならない。 したがって,治療法や診断法も確立されてない未知のウイルスは,潜伏期間が長ければ長いほど彼らにとっては有利であり,広範囲に拡散してからではウイルスを制圧することはより困難になる。その点を考えると,レイジ・ウイルスの場合は,初動さえ誤らなければ,広範囲に伝播する前に制圧することは容易である。(ただし,多くの犠牲者を出すことにはなるが)
 このように公衆衛生学的観点から『28週後』を見た場合,ウイルスの存在には些かリアリティに欠けるのだが,それとは別に,人間が想定外の事態や未知の恐怖にさらされた場合に起こりうる一種のパニック状態については,未知の病原体という記号を効果的に使いながらうまく描けていたように思う。

 『28週後』を見ていて,実在の病原体の恐怖を描いたある2つの作品を思い出した。ひとつは狂犬病ウイルスを題材としたスティーブン・キング原作の『クジョー』(1984年・アメリカ)と,もう一作品は破傷風を題材とした『震える舌』(1980年・松竹)である。この2作品は,実在する病原体の特徴を臨床学的にも非常に正確に描いており,単なる恐怖映画を越えてしまった恐ろしささえある。わが国においては,戦後直後からの防疫によって,今日では狂犬病については完全制圧したことになっている。しかし破傷風についてだが,この病原菌は我々が日常的に目にするごくありふれた土壌の中にもともと生息している菌であり,この病原菌自体を自然界において完全制圧するのは不可能である。言いかえれば,誰でも破傷風菌に感染する可能性はあり,実際に,年に数例の発症報告もある。
 レイジ・ウイルス,狂犬病ウイルス,破傷風菌には,それらによって体内で生産されるのが神経毒素であるということに共通点がある。神経毒素は末梢神経だけではなく,最終的には脳も冒されるので,死の間際の人間は見た目にも激烈な症状を表す。『クジョー』では,野生のコウモリから狂犬病に感染した犬が,その容貌とともに次第に凶暴になっていく様子が克明に描かれ,また『震える舌』では,河で泥遊びをしていた少女が破傷風菌に感染し,その神経毒素によって全身が痙攣,硬直し,光を見せることで発狂していく様子は,まるでエクソシストで見せた悪魔の姿ものものである。レイジ・ウイルスの恐怖は,このように狂犬病ウイルスや破傷風菌と同様に神経毒素に冒されて凶暴化した感染者が,愛する家族も含めてまるで悪魔の形相でせまってくるところに,救いようのない怖さがある。
 また,人間の身体がウイルスや病原体にとっての乗り物や容器であると理解するならば,猛毒のウイルスを全身に貯留した感染者たちは,「患者」というよりも,むしろ生きた生物兵器ともいえる。彼らが生存者めがけて突進してくる様は,宛ら自爆テロの様相さえ呈している。特に,主人公たちが逃げ込んだ車に凶暴な感染者たちが押し寄せ,フロントガラスに感染者の血液,体液,分泌液が生々しく付着するシーンは,前出の『クジョー』でも出てきたもっとも恐ろしいシーンでもある。

 作品の舞台がロンドンというのも象徴的だ。なぜならばロンドンは,近代生理学がもっとも栄えた場所であり,臨床医学の歴史もここからスタートする。そして中世から19世紀にかけて,様々な疫病と戦ってきたのもロンドン衛生局である。その様子は,中世から近世にかけてのヨーロッパの宗教絵画をみれば一目瞭然である。例えば,グリューネヴァルト作の『聖アントニウスの誘惑』(1515)はあまりにも有名だ。これは当時ヨーロッパ全土で蔓延した「聖アントニウスの火」といわれる疫病を題材にした作品である。この作品の表題にある聖アントニウスとは、かつての修道院制度の創始者の名前だ。後のリシェ(Charles Richet, 1859-1935)をはじめとする研究者たちは、画面の中で悶え苦しむ人々を苦しめている病は、その聖人から名をとった「聖アントニウスの火」という疫病であると分析している。
 「聖アントニウスの火」とは、麦に麦角菌(エルゴット菌)が寄生して発生する食物病虫害の一種で、この疫病に冒された麦や麦製品を食べると、幻覚をともなう激しい中毒症状を起こして死にいたる。画面の中で多くの化け物が病人に執拗に群がる様は、LSDと似た幻覚作用をもたらすエルゴット菌の毒素で神経を冒された人々が幻覚として見る地獄絵図なのである。この光景は、古くから西洋の写本などで表わされてきた「死の舞踏」のような寓話や戯画的要素を感じ取れるが、実は、この光景は、画家の空想上のものではなく,グリューネヴァルトが実際に疫病で死んだ病人を遺体安置所で描いたデッサンが下敷きになっているのである。当時,わけもわからず得体の知れない疫病に冒されて死んでいった者は,それを悪魔の仕業であると思いこんでも何ら不思議ではない。また同時にキリスト教社会であるならば,神経毒素で冒されて錯乱する疫病患者を見て,悪魔が乗りうつったとして「病」のみならず,その患者そのものに穢れや恐怖を感じ,彼らから本能的に逃げ惑うのも理解できる。
 このように,『28週後』の作り出している世界観とは,中世から近世にかけてのキリスト教社会における「病」をめぐる恐怖の所存をより視覚的に煮詰めたものであろう。そこにロンドンという街を設定することで,この町の持つ独特の空気の重さと密度が閉塞感を産んでいる。ここで展開される地獄絵図は,守護聖人すら制圧できなかった,まさに現代に蘇った『聖アントニウスの誘惑』である。

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15. Juni 08

【テレビON AIR】フジテレビ『いただき+(プラス)』に生理学者シドニー・リンガーの番組資料を提供(6月2日放送分)

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 フジテレビで毎週月曜19時54分~20時で放送中の情報番組『いただき+(プラス)』でカルシウムの特集があり,その際に,私が医学史の分野で長年にわたり研究をしている生理学者シドニー・リンガーの資料が必要ということでフジテレビから問い合わせがあった。そこで,私が研究のために以前からリンガーのご親族であるアン・リンガーさんなどから頂いている資料の一部を番組に提供させていただいた。
(尚,私のリンガーに関する研究については以下のwebを参照に)
 生理学者シドニー・リンガー研究ブログ
http://ringer.cocolog-nifty.com/blog/
 生理学者シドニー・リンガー研究ブログ(英語版)
http://ringer.cocolog-nifty.com/biography/
 生理学者シドニー・リンガー研究Web
http://www.t3.rim.or.jp/~lisalabo/Ringer-J/SydneyRinger-(J).html
 生理学者シドニー・リンガー研究Web(英語版)
http://www.t3.rim.or.jp/~lisalabo/Ringer/S.Ringer.html

 現在関東ローカルで放送中の『いただき+(プラス)』という番組は,全農が提供の番組で,小学生から中学生ぐらいを対象とした食育の情報番組である。放送時間は非常に短いのだが,毎回食べ物を通じて栄養素やその働きについて楽しく学ぶことができる番組だ。
 今回の特集は「カルシウム」ということで,番組ではカルシウムを多く含む食物の紹介とともに,そのカルシウムの働きを発見したことでも知られるリンガーの研究についても少しだが触れられることとなった。
 シドニー・リンガー(Sydney Ringer, 1835-1910)は,19世紀イギリスで主に生理学,内科学,小児科学の分野で活躍した人物で,彼の業績で一番有名なのは,点滴の際に輸液基本液として使用されるリンゲル液を発明したことである。多くの日本人は,リンゲル液をその名前の印象からドイツ医学由来のものだと思っているであろうが,実は発明者のリンガーはイギリスの生理学者なので,リンゲル液も本来はイギリス医学由来のものである。しかしわが国の場合は,時の明治政府が帝大(東京大学医学部)にベルツやミュレルを招聘し,近代医学の基礎はドイツ医学から学ぶという方針を決めたことで,わが国にはドイツ以外の由来の技術も多くはドイツ医学経由で入ってきた。そのような経緯から,本来は英語であるはずの“Ringer”も,「リンガー」とは発音せずに古いドイツ式発音で「リンゲル」といってきた慣例のようなものが医学界には存在している。(しかしながら,“er”の綴りを“エル”と発音するのはかなり古いドイツ語であり,現代ドイツ語による発音ならば,英語と同じく「リンガー」と発音するのが自然である。同じように,しばしば医学用語として登場する“Fieber”(発熱)も,「フィーベル」ではなく「フィーバー」とするのが現代ドイツ語では一般的である。)

 今回の番組ではリンガーのカルシウムに関する実験を取り上げることになった。リンガーがカルシウムの働きについて行った実験というのは,カエルから摘出した心臓にトノメータをつなぎ,生理食塩水を灌流させながら心筋におけるアルカリイオンの作用を詳しく分析するというものである。リンガーはこの実験を通して,カルシウムとカリウムが正しい割合で存在する事で心室の収縮がはじめて正常に維持でき,しかもカルシウムが少なすぎたり,カリウムが多すぎると収縮は不規則で弱まり,さらにカリウムを増やしすぎると心臓が止まってしまう,という歴史的大発見をするのである。
 この時に生理食塩水に偶然混入した多電解質でできた溶液がリンゲル液である。その後リンゲル液は,ヒト血漿用に多電解質が補正されて,現在医療現場で使用されているリンゲル液になった。
 また,リンガーのカルシウムを始めとする多電解質に関する実験とその成果は,現代の医科学にも延々と受け継がれている。例えば心臓外科手術の際、塩化カリウムを注入し一時的に心臓を停止させるという技法や、心室細動の除去などがそれであり,いずれもリンガーの研究がなければ産まれなかったであろうメソードである。
 以下は,Journal of Physiology(英国生理学雑誌)に掲載されているリンガーのカルシウムの研究と,リンゲル液誕生の記録である。
Ringer, S. Concerning the influence exerted by each of the constituents of the blood on the contraction of the ventricle. Journal of Physiology, 1882, 3:380-393.
Ringer, S. A further contribution regarding the influence of the different constituents of the blood on the contraction of the heart. Journal of Physiology, 1883, 4:29-42.
(因みに私の書斎には,リンガーが書いたこの2つの論文の表紙を額に入れて飾ってある)

 なお番組では,子どもたちに理解しやすいように,リンガーが研究する様子などがイラストでも登場した。イラストレーターの方が書いて下さったリンガーは,ポートレートに比べるとまだ若いころの印象だ。どことなく俳優の佐々木蔵之介さんにも似ていたりする。

番組Webページhttp://www.fujitv.co.jp/itadaki/

★BSフジで再放送(7月20日 20:55~21:00)

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13. Juni 08

【映画】林家しん平監督『深海獣レイゴー』(2008・インターメディア,於・北沢タウンホール)

 自主制作映画と銘打ちながら,約1億の製作費をかけ,しかも完成までに足かけ4年を要した作品である。一言申し上げると,こんなことをやらかして,まったくバカじゃないかと思うのは私だけではないだろう。しかし,バカにならなければ怪獣映画などは撮れないという今日の映画業界の情況を理解することで,この作品が紆余曲折の末,完成に至り,商業映画として公開へと踏み切った監督以下スタッフの方々にまず敬意を表したい。

 『深海獣レイゴー』の制作の話題がちらほら聞こえてきたのは,今から3年ほど前である。詳しくは以前のエントリー(http://ringer.cocolog-nifty.com/kunst_und_medizin/2008/03/index.html)でも書いたが,ちょうど東映の大ヒット作品『男たちの大和』の公開時期と重なっていたのである。そして,それを意識するかのごとく,この作品のタイトルも当初は『レイゴー対大和』であったと思う。今回完成した作品を改めて見ると,初期の原案どおり,『レイゴーVS大和』の体は成していた。つまり,我々が子供の頃,ゴジラやガメラの映画に強そうな新怪獣が登場するたびに,この“ゴジラVS─”または“ガメラVS─”という未知の対決に胸を躍らせた怪獣映画における期待値は十分に満たしているということである。
 今回,このレイゴーなる大怪獣が戦う相手は旧帝国海軍の最大にして最強の戦艦大和である。林家監督によると,このような奇想天外なプロットが出来上がった経緯は,もともとは自分が好きなゴジラ的世界観とガメラ的世界観のミッシングリンクを仕掛けることから広がっていったらしい。つまり,この2つの世界観に何らかの接点を持たせるとすれば,設定に様々な拘束がかけられるであろう現代や未来を舞台にするよりも,ゴジラ,ガメラがこの世に姿を現す以前の近代を舞台にすることで,その空洞の空間で自由に大怪獣を暴れさせることができるのである。

 ゴジラ,ガメラは文字通りわが国を代表する二大怪獣であり,その人気も二分している。そこで2つの世界観にニアミスが起これば,必然的にゴジラとガメラは戦いざるを得なくなり,そこで展開されるであろう“ゴジラとガメラはどちらが強いのか”といった論争は,例えば「エイリアンVSプレデター」のように大人の思惑もからんだ不毛な結果になることは目に見えているわけである。そこであえてゴジラもガメラもまだ姿を表わさない近代に舞台を設定したのは正解である。しかも,全編を通して,ゴジラ,ガメラはそこにはいないが,いずれ我々の前に現れるであろうことをによわせる演出が随所になされ,この二大怪獣をあえて登場させることなく,ゴジラ的世界観とガメラ的世界観の融合を果たしている。例えば,怪獣が現れる予兆として,最初にその怪獣の餌である別の生物が現れたり,怪獣と思われる未確認生物の目撃が特定の人物に限られたりする。また,土着の住民に警告をされたり,別の場所で被害にあった人物と偶然に接触したりといったシークエンスは,怪獣映画の伝統的な様式美である。この作品でも,レイゴーに自分の艦がやられたとされる敵国の水兵が大和に救助されるという重要なシーンがある。ただ一点だけ残念なのは,この敵国の水兵からは被害にあった自分の艦や僚艦の名前が具体的には出てこないことである。ここでもし敵国の艦の名にアイオワ級戦艦の名でも上がれば,それだけでもレイゴーという未知の大怪獣がいかに強大であるのかを印象づけられたであろう。また同時に,そのレイゴーに対し,航空兵力ではなく艦に搭載された重火器のみで迎え撃つ大和が文字通り史上最強戦艦であることを揺るぎない事実として描けたであろう。

 では,今回登場するレイゴーなる大怪獣は一体いかなるものかといえば,それは監督に言わせると,“ゴジラになる前のゴジラ”である。円谷監督の初代ゴジラの設定を踏襲するとすれば,ゴジラは中生代の生物が放射性物質によって変異をきたして誕生した怪獣であるから,当然ゴジラ以前の何者かがそこに存在していたはずである。実はこの“ゴジラになる前のゴジラ”という着想は,以前にも大森一樹監督の『ゴジラVSキングギドラ』でも出てくるが,ここでは南方に展開していたはずの連合艦隊と,島に生息していたゴジラ以前の巨大な爬虫類が戦うことはなかった。そのかわりにその巨大な爬虫類は米帝の艦砲射撃によってあっけなく倒されるのである。それに比べてもレイゴーは,例え“ゴジラ以前のゴジラ”であるとしてもいささか強暴である。人を好んで喰うあたり,捕食動物として食物連鎖の最頂点に君臨している様子がうかがえる。これに対する大和も,スペック上は世界最強戦艦である。史実ではそのスペックを活かす場がなかったが,そのことがかえって,大和亡き後の今日でも,様々な所謂「架空戦記」といわれるものに幾度となく登場する経緯となっている。
 レイゴーと大和との戦いで面白いのは,大和は史実に沿った姿で忠実に登場することである。したがって巨大怪獣と対する時には当然のことながら94式三連装46サンチ砲をはじめとする重火器で戦う。ゴジラやガメラでは自衛隊のオーバーテクノロジーによる超兵器に見慣れているせいか,これは非常に新鮮であるとともに,大和に搭載された重火器の威力をあらためて感じさせるアイディアだ。
 また,この作品においておそらくは議論の俎上に上がるであろうと思われる“これは「怪獣映画」なのか「戦争映画」なのか”という問題提起であるが,私は個人的にそのどちらにも当てはまらない,まったく新しいジャンルの作品であると位置づけることにする。なぜならばこれは,一見すると怪獣映画や戦争映画に見えそうなのだが,実はその両者に通底している伝統的様式美により「日本」というものの強さと美を再構築することを試みた作品だからである。監督自身はこれをジャパネスク怪獣ロマンと呼ぶ。強いものにも“ものの哀れ”が存在するわが国独自の世界観である。
 昨今,わが国に古くからある怪獣映画にインスパイアされたと思われる外国産の怪獣映画を見る機会が多々あるが,そこに登場するものは,怪獣ではなくただの化け物である。生物的リアリズムを求めすぎるあまり,単なる嫌悪感に満ちた「魂」のない物体がそこに存在するだけだ。翻って,林家監督が作り出した世界観は,怪獣にも「魂」が宿るという世界観である。この主題は,監督がインスパイアされたという金子修介監督の平成ガメラ3部作や,また大森一樹監督の『ゴジラVSキングギドラ』にも一貫して通底している。レイゴーと大和の戦いでも,主砲で一撃を喰らわしたレイゴーに向かってなおも銃座から一斉掃射をする水兵に対し,それを制止した大和の艦長もまた,そんな美意識を持った人物に描かれている。駆逐艦の円陣の中で展開されるこのシーンが非常に凄惨であるだけに,日本海軍の伝統的なシーマンシップがより際立つ。
 ラストは,死闘の末,大和以下連合艦隊が,再び昭和20年4月7日の史実世界へと戻ってい行くという演出が違和感なくなされている。その後大和がどういう運命をたどったかということは,我々日本人なら誰でも知っているだけに,大和という艦が持つもう一つの側面,つまり悲劇性が怒涛の海に展開されていくのである。この部分はそれを感じさせるのに十分なシークエンスなので,賛否両論あると思うが歌舞伎パートの演出は,やや過剰ではないかと思った。

『深海獣レイゴー』公式web
http://www.reigo.jp/

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02. Juni 08

【論文紹介】松嶋 健「フランコ・バザーリアと「文化」──イタリアにおける脱制度化と民族精神医学──」

松嶋 健「フランコ・バザーリアと「文化」──イタリアにおける脱制度化と民族精神医学──」
(『こころと文化』第7巻第1号,2008,2)

 著者の松嶋は,これまでイタリア各地において,医療人類学的アプローチによる地域精神医学のフィールドワークを行ってきた文化人類学者である。今回の論文は,「バザーリア法」の名で知られるイタリアの精神科医フランコ・バザーリアの評伝を読み解きながら,彼の足跡をたどり,精神医療のグローバル化によって起こった様々な功罪を詳細に報告している。
 まず「バザーリア法」についてふれると,これは1978年にイタリアで制定された公衆衛生に基づく法律で,すなわちイタリア全土に存在する精神病院を閉鎖して,そのかわり,精神病者は地域にもどり,コミュニティの中で自律的なケアを受けて共生させていく,というものである。これは精神医学の歴史の中でも画期的な出来事ではある。しかしながら,そのことをもってこれが直ちに「反精神医療」,「反精神病棟」運動といった短絡的な政治的思想闘争と結びつけてしまえるほど,精神医療をとりまく情況は単純ではないことを松嶋も論文中で述べている。
 そのことの一つとして,まず地政学的にイタリアという国家をとらえた場合,その「国民国家」としての近代イタリアが生まれる過程において,実に複雑な民族問題を内包し,それにより地域における文化的差異が厳然として存在していることがあげられる。松嶋は自身のフィールドワークの中でこのことに特に注目し,「バザーリア法」制定以降,イタリアの精神医学において何が起こったのかに注目した。制度の中で,あるインパクトが絶大な改革が起こった場合,その改革の中心あるいは周辺にいるものは改革の主流となっていくのは言うまでもないことであるが,その「場」から少しでも離れたところに存在しているものは,切り離されるか,もしくは従属的に改革による新たな制度に編成されていくわけである。こういった状況下の中で何が起こるかといえば,従来,独自に存在していたはずの「文化的差異」が認められる機会はなくなり,それらはグローバリズムの中に埋没していくのである。
 これは,松嶋がフィールドとしている文化人類学において,旧来の,例えば「狂人」や第三世界の「未開人」を他者化していく見方にもしばしば現れることであるが,松嶋はその点を,患者サイドが苦しんでいる時に外部へとアプローチする方法論の中で,精神病患者が,必ずしも精神科医の助けだけを借りているのではなく,時には友人に話したり,酒を飲んだり,民間療法を試みたりと,精神の開放には多様なイレギュラーが存在していることを上げて,生物医学が民間療法や各地域で伝わる伝承医療などに対して投げかける優越的な眼差しにも疑問を提起している。
 公衆衛生制度のグローバル化の過程で,長らく医療人類学的なフィールドでやってきた松嶋が,このような疑問をなげかけるのは当然なことである。例えば,かつて欧米の文化人類学者が未開の地へ赴き,そこで遭遇した伝承医療などを生物医学的見地から「迷信」や奇異な「呪術」と規定し,そこの場の民俗の中でいかにそれが活き活きと根付いていたかをまったく見てこなかったのが旧来の所謂,“文化人類学”であり,そのことによって,本来は医学というものが古代から哲学,宗教,芸術,体育などと相互補完的に関わってきたというその回路を断絶させてしまったに等しい。その反省から立脚している今日の医療人類学に何か求めるものがあるとすれば,制度の外へとはみだしたもの,患者をとりまくグローバルではないもの,「制度」では計測できない微細なものにさらに注目していく必要があるのではないか。松嶋はそれを<出会い>という言葉で結んでいる。イタリアという土地はもともと,反グローバルから始まった「スローライフ」運動の発祥の地でもあり,近年の大学改革によって合理化が進んでいるとはいえ,医療人類学という学問が,地域精神医療に果たす役割はさらに大きなものになるであろう。

【著者経歴】
松嶋 健(まつしま・たけし)
京都大学大学院 人間・環境学研究科

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01. Juni 08

【映画】佐藤真監督『阿賀の記憶』(上映会場:四谷地域センター集会室)

 5月31日(土)、映像民俗学の会の主催で、故・佐藤真監督の代表的な2作品を観る機会を得た。
 今回の上映会は、一昨年、うつ病の悪化で入院する予定だった成増中央病院付近の団地屋上から投身自殺をしてこの世を去った佐藤監督を偲びながら、佐藤監督のドキュメンタリー映画における方法論などを検証するという趣旨のものである。
 その中から、ドキュメンタリー映画における様々な矛盾を問題提起した作品として、同『阿賀に生きる』と同様に、ドキュメンタリー映画界の中では“問題作”との称号を得ている『阿賀の記憶』についてふれる。

 『阿賀の記憶』は、前作『阿賀に生きる』から10年後の作品で、前作と同様、新潟県阿賀野川流域で暮らす集落の人々の日常を記録した作品である。前作と異なる点は、高齢世帯が中心であった集落の人々の幾人かが、すでに物故者としてカメラから姿を消していることである。映画の構成は、阿賀野川流域の自然を映しながら、そこの住民の語りを入れるという手法をとっている。これは、前作『阿賀に生きる』でもドキュメンタリー映画が長らく抱えている矛盾を浮き彫りにしていく経緯にもなっている。
 そのドキュメンタリー映画が抱える矛盾は、その作品に史料的価値を求めるのか、あるいは映像という“芸術作品”としての美学的価値を求めるのかで常に揺れ動いていることである。またもし仮に、後者を求めるとするならば、監督とカメラマンとの間で起こってくる美学的闘争も、時には無視できなくなる。これは私事で大変恐縮だが、私の親類にあたる岩波映画の故・吉瀬昭生が、撮影現場を訪れる私に常々言っていた言葉、「自分は芸術家は嫌いだが、職人は好きだ」という言葉とも無関係ではない。つまり映画製作という、絵画や彫刻のなどの美術表現とは異なったいわば総合芸術においては、各セクトのクリエイターたちが勝手に作家性を主張しだしたら映画は成立しないわけであり、そこで求められるのはディレクターの構想を最高のパフォーマンスで提示できる技術なのである。しかしこれはあくまでも建前論であって、私も学生時代から、生前の吉瀬とは、ここの部分だけは常に意見が対立していたのを思い出した。佐藤の作品の中でも、しばしばメイキング映像が挿入されていて、撮影カメラマンとディレクターである佐藤との間で、雰囲気が一瞬険悪になるような場面もときおり登場している。このような経過を経て作られた映像という「作品」が、いったい誰のものであるのかといった著作人格権の問題は、佐藤の事実上の遺作となった『「映画監督って何だ?」メイキング版(ディレクターズカット)』で大いに語られていて興味深い。
 話を『阿賀の記憶』にもどすが、この作品ではもうひとつ、ドキュメンタリー映画が抱える矛盾について、いわば確信犯的に問題提起されている。それは、佐藤の著書の中でもしばしば語られていることだが、佐藤の撮った映画は、一瞬無垢なドキュメンタリーに見えてしまうが、実は巧妙でフィクショナルな仕掛けがしてあるということである。つまり、ドキュメンタリーとは日常を記録し編集していく行為に他ならないが、果たして撮影スタッフという異物が介入した空間に、「日常」など存在するのかという問題提起である。
 『阿賀の記憶』の冒頭のほうのカットで、阿賀野川でアユ漁をする漁師の姿が登場するが、この漁師のしぐさは、あきらかに自分の視界にいる撮影スタッフを意識しているのがわかる。目線もあきらかにカメラ目線であり、その行為ひとつひとつに一種の演技性なるものを感じるのである。また別のシーンでは、饒舌に話す村の住民の姿が出てくるが、ここでも同様のものを感じる。このようなものを見せられた時、われわれが共通言語としてこれまで認識してきたドキュメンタリーという様式そのものが、実は非常に疑わしいものになっていくのである。そしてそのことが、多くのドキュメンタリー映画関係者に対して違和感やいかがわしさを感じさせるきっかけになったのは言うまでもない。これはドキュメンタリー映画の根底を揺るがすような問題だからである。やや乱暴な言い方をすれば、映像表現におけるドキュメンタリーなどもはや幻想にすぎず、カメラが介入した空間にそもそも「日常」や「自然」などないとも言いきれてしまうのである。このような場合、例えば、“やらせ”と言われる民放の秘境探検番組(例えば『川口浩探検隊シリーズ』など)すら、ドキュメンタリーの立場からは一方的に批判できなくなるという実に面白い状況をつくりだしてしまうことになる。
 佐藤監督の一連のドキュメンタリーにおける方法論をみていると、そこにはドキュメンタリーにおける良心というものに対するささやかな悪意すらあり、そのことが、ドキュメンタリーとは単なるアーカイブズではなくて、そこには何らかのクリティークがなければならないという主張が強く感じられる。
 では、『阿賀の記憶』という作品を、ドキュメンタリーにおけるイデオロギー的対立項ではなく、映像芸術、つまり「作品」として見た場合、どんな風景が見えてくるのであろうか。当然のことながら、まず阿賀野川が象徴的存在として登場する。佐藤は様々な姿の阿賀野川を撮っているが、その中で印象的なのは遠方の町の灯を背景にした夕刻の阿賀野川である。この絵は、阿賀野川流域に点在する木造の集落を映すよりも日常的生活感にあふれている。それは、川という空間そのものが本来持っている有機性がそうさせるのである。川や水辺を象徴的に扱った作品といえば、野村芳太郎監督『震える舌』や坂野義光監督『ゴジラ対ヘドラ』がすぐに思い出されるが、川は、人間の生活排水、汚物はもとより、人間の情念、怨念、穢れまでも流れ込み、ある意味、人間の生活が作り出していく「病」をも抱えたまま流れていく存在である。『阿賀の記憶』の中に流れる阿賀野川は、そうした、かつて第二水俣病の発生地域でもあった流域集落のわずかな記憶を病の痕跡として、生活の中に横たわっているようにみえる。それはあえて社会問題的テーマを全面に出さなくても、川の持つ有機性や、そこで暮らす人間の生活を描いていけば、「絵」として病の痕跡を表現できることを佐藤は知っているようだ。
 演出的映像で面白かったのは、10年ぶりに訪れたこの場所で、前作『阿賀に生きる』を野外でインスタレーションするところである。林の中に大きな布を設置し、そこにプロジェクターで投影するのだが、その映像に登場する集落の人々の中には、すでに物故者となっているものもいるであろう。ここで佐藤監督が演出上に作りだしたメタイメージの中では、その人たちはいまだ日常をたんたんと生きているのである。このような、現代美術でしばしばみられる野外インスタレーションやアースワーク的映像展示は、本来その方法論そのものが、「日常/非日常」、「自然/身体」などの境界的表現に帰結していくわけで、この作品が、単なる記録映画ではなく、監督の主張をもってそこから一歩も二歩も前へ踏み出した作品なのではないかと思った。いずれにしても、今日まで続いているドキュメンタリーという方法論をめぐる論争に対し、何らかの問題を投げかけた作品であることは間違いないであろう。

 

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