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18. Juni 08

【DVD】『28週後』(2007年 イギリス・スペイン作品)

 未知のウイルスの感染の恐怖を描いたパニック・ホラー作品。話題を呼んだ前作『28日後』の続編ともいうべき作品である。
 この作品に登場するレイジ・ウイルスなる病原体は,もちろん物語上で設定された架空の病原体である。潜伏期間が非常に短く,感染者の血液,体液と接触した瞬間に体内でウイルスが爆発的に増殖して,たちまち発症する。その間約数分あるいは数秒である。実際にこのような性急な症状をあらわす病原体は地球上には存在しない。
 ウイルスの存在意義,またはその目的───つまりは自分をより広範囲に拡散・伝播させるということを考えた場合,そのウイルスの乗り物,あるいは容器である人間の身体は,潜伏期間中はある程度の堅牢さがなければならない。 したがって,治療法や診断法も確立されてない未知のウイルスは,潜伏期間が長ければ長いほど彼らにとっては有利であり,広範囲に拡散してからではウイルスを制圧することはより困難になる。その点を考えると,レイジ・ウイルスの場合は,初動さえ誤らなければ,広範囲に伝播する前に制圧することは容易である。(ただし,多くの犠牲者を出すことにはなるが)
 このように公衆衛生学的観点から『28週後』を見た場合,ウイルスの存在には些かリアリティに欠けるのだが,それとは別に,人間が想定外の事態や未知の恐怖にさらされた場合に起こりうる一種のパニック状態については,未知の病原体という記号を効果的に使いながらうまく描けていたように思う。

 『28週後』を見ていて,実在の病原体の恐怖を描いたある2つの作品を思い出した。ひとつは狂犬病ウイルスを題材としたスティーブン・キング原作の『クジョー』(1984年・アメリカ)と,もう一作品は破傷風を題材とした『震える舌』(1980年・松竹)である。この2作品は,実在する病原体の特徴を臨床学的にも非常に正確に描いており,単なる恐怖映画を越えてしまった恐ろしささえある。わが国においては,戦後直後からの防疫によって,今日では狂犬病については完全制圧したことになっている。しかし破傷風についてだが,この病原菌は我々が日常的に目にするごくありふれた土壌の中にもともと生息している菌であり,この病原菌自体を自然界において完全制圧するのは不可能である。言いかえれば,誰でも破傷風菌に感染する可能性はあり,実際に,年に数例の発症報告もある。
 レイジ・ウイルス,狂犬病ウイルス,破傷風菌には,それらによって体内で生産されるのが神経毒素であるということに共通点がある。神経毒素は末梢神経だけではなく,最終的には脳も冒されるので,死の間際の人間は見た目にも激烈な症状を表す。『クジョー』では,野生のコウモリから狂犬病に感染した犬が,その容貌とともに次第に凶暴になっていく様子が克明に描かれ,また『震える舌』では,河で泥遊びをしていた少女が破傷風菌に感染し,その神経毒素によって全身が痙攣,硬直し,光を見せることで発狂していく様子は,まるでエクソシストで見せた悪魔の姿ものものである。レイジ・ウイルスの恐怖は,このように狂犬病ウイルスや破傷風菌と同様に神経毒素に冒されて凶暴化した感染者が,愛する家族も含めてまるで悪魔の形相でせまってくるところに,救いようのない怖さがある。
 また,人間の身体がウイルスや病原体にとっての乗り物や容器であると理解するならば,猛毒のウイルスを全身に貯留した感染者たちは,「患者」というよりも,むしろ生きた生物兵器ともいえる。彼らが生存者めがけて突進してくる様は,宛ら自爆テロの様相さえ呈している。特に,主人公たちが逃げ込んだ車に凶暴な感染者たちが押し寄せ,フロントガラスに感染者の血液,体液,分泌液が生々しく付着するシーンは,前出の『クジョー』でも出てきたもっとも恐ろしいシーンでもある。

 作品の舞台がロンドンというのも象徴的だ。なぜならばロンドンは,近代生理学がもっとも栄えた場所であり,臨床医学の歴史もここからスタートする。そして中世から19世紀にかけて,様々な疫病と戦ってきたのもロンドン衛生局である。その様子は,中世から近世にかけてのヨーロッパの宗教絵画をみれば一目瞭然である。例えば,グリューネヴァルト作の『聖アントニウスの誘惑』(1515)はあまりにも有名だ。これは当時ヨーロッパ全土で蔓延した「聖アントニウスの火」といわれる疫病を題材にした作品である。この作品の表題にある聖アントニウスとは、かつての修道院制度の創始者の名前だ。後のリシェ(Charles Richet, 1859-1935)をはじめとする研究者たちは、画面の中で悶え苦しむ人々を苦しめている病は、その聖人から名をとった「聖アントニウスの火」という疫病であると分析している。
 「聖アントニウスの火」とは、麦に麦角菌(エルゴット菌)が寄生して発生する食物病虫害の一種で、この疫病に冒された麦や麦製品を食べると、幻覚をともなう激しい中毒症状を起こして死にいたる。画面の中で多くの化け物が病人に執拗に群がる様は、LSDと似た幻覚作用をもたらすエルゴット菌の毒素で神経を冒された人々が幻覚として見る地獄絵図なのである。この光景は、古くから西洋の写本などで表わされてきた「死の舞踏」のような寓話や戯画的要素を感じ取れるが、実は、この光景は、画家の空想上のものではなく,グリューネヴァルトが実際に疫病で死んだ病人を遺体安置所で描いたデッサンが下敷きになっているのである。当時,わけもわからず得体の知れない疫病に冒されて死んでいった者は,それを悪魔の仕業であると思いこんでも何ら不思議ではない。また同時にキリスト教社会であるならば,神経毒素で冒されて錯乱する疫病患者を見て,悪魔が乗りうつったとして「病」のみならず,その患者そのものに穢れや恐怖を感じ,彼らから本能的に逃げ惑うのも理解できる。
 このように,『28週後』の作り出している世界観とは,中世から近世にかけてのキリスト教社会における「病」をめぐる恐怖の所存をより視覚的に煮詰めたものであろう。そこにロンドンという街を設定することで,この町の持つ独特の空気の重さと密度が閉塞感を産んでいる。ここで展開される地獄絵図は,守護聖人すら制圧できなかった,まさに現代に蘇った『聖アントニウスの誘惑』である。

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