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25. Mai 08

【映画】天願大介監督『無敵のハンディキャップ 障害者プロレス・ドッグレッグス』(1993年)

 今日では、他の中小ローカル・プロレス団体の人気にけして引けを取らない団体へと成長した障害者プロレス団体「ドッグレッグス」の、障害者自立ボランティア組織として結成された初期から、プロレス興業へと移行していくまでを描いたドキュメンタリー作品である。
 この作品は以前からぜひ見たかったのだが、絶版になっているようでなかなか良い映像素材が入手できず、先日やっと中古セルビデオ店から保存状態の最も良いものを入手できた。それに先立ち先週は新宿で実際にドッグレッグスの興行をリングサイドで観戦してきたので、それに合わせて映画の方もあらためて視聴してみた。

 監督の天願大介は、映画監督の今村昌平を父に持ち、寺山修司の『さらば箱舟』の美術スタッフに加わるなど、早い時期から映画製作の現場に関わってきた監督で、『無敵のハンディキャップ 障害者プロレス・ドッグレッグス』は、初の長編ドキュメンタリー作品である。作品の構成は、障害者レスラーとその家族、ボランティアへのインタビューを交えながら、実際にリングで戦う障害者レスラーの姿を描いている。
 特に、家族やボランティア関係者だけではなく、例えば障害者を客として迎い入れた経験のある風俗業の女性にもインタビューするなど、障害者を社会から切り離された存在ではなく、我々と同様の日常を生きる存在として描いているところは、事故で脊椎損傷を負った中途障害者が合気柔術の格闘家をめざすという後の作品『AIKI』(2002年)への布石にもなっていると考えられる。

 この作品が制作されたのは1993年で、ドッグレッグス結成の間もないころである。現在、ローカルなマット界でプロ格闘家として活躍を続けるドッグレッグスのレスラー達の姿しか知らない人々は、彼らがいかにして一般の客を対象にしたプロレス団体へと変わっていったのかを知ることとなろう。
 現在、ドッグレッグスの中心的レスラーとして活躍しているアンチテーゼ北島が、まだ北島行徳として障害者のボランティア活動に関わっていたころからドキュメンタリーはスタートする。その北島は、自らがレスラーになる以前から、障害者をとりまく環境の中で厳然として存在している、北島が言うところの“ボランティア業界”に対して、非常に厳しい目を持っていた。それは何かというと、まず閉鎖性と独善性である。具体的には、自分たちは社会福祉に貢献しているのだから、そのことについては他者からの批判は一切受け入れない、という頑なな態度などである。
 この問題は、音楽や美術が介在してくる芸術療法やアウトサイダー・アートをとりまく環境と実に良く似ていて、つまり彼らの行為はすべて尊いものであって、だから他者がそれを批評の俎上にのせて、それを作者と切り離された「作品」として批評を行うことを躊躇させてしまう、ある種の抑圧的なタブーを生んでいるのである。
 北島は、障害者と健常者が、社会の中でまったく対等になれるというのはウソであり、まやかしであるとも言う。そのことをまず、ボランティア団体に認識させることを一つの命題と考えたわけである。そして、北島が関わっていたボランティアグループの中で障害者同士がもめ事を起こし、しまいにはプロレス技まで繰り出すような本気のケンカをしている様子を見て、コイツらに本当にプロレスをやらせてみようと思ったのだ。
 障害者福祉という、北島の言うところの、どこか生暖かく欺瞞にみちた制度と、死者もでるかもしれない格闘技的空間は、当然のことながら共存できるものではない。北島はそれを、障害者福祉団体に対する“アンチテーゼ”だと言うのだ。言うまでもなくこの言葉は、後に北島自らがレスラーとなって障害者と闘う際のリングネームになったものだ。そして実際に、他の健常者も次々とリングに上げて、障害者相手に流血するまで殴る蹴るをやるのである。
 監督の天願はこの様子を見て、北島に対して露骨に嫌悪感を表している。しかし北島も、険悪な空気が漂う中で行われたインタビューでも、自分の考えを一歩も譲る気配がない。天願はその後も淡々と障害者レスラーの姿を撮っていく。もし天願と北島の間で何か考え方で接点を求めるとすれば、彼ら北島の下へ集まった障害者たちが、自らの意思でレスラーになることを選択したのを認めることであろう。

 ドッグレッグスが誕生したのは、もともとは先に述べたような、北島自身から湧いてきたアンチテーゼであるから、当初は観覧対象も、レスラーの家族や福祉団体関係者に限定されていて、試合会場も養護学校や福祉施設の体育館などである。それらはとても現在のような興行といえるものではなく、宛らボランティア団体の文化祭の余興といったところである。それでもインパクトは絶大で、賛否両論含めてボランティア業界の中では大きな話題となり、試合回数も増えていき、同時にドッグレッグスに加入するレスラーも充実してくるのである。
 しかし、ドッグレッグスの活動が軌道に乗り出したとき、これまで活動に協力的であった養護学校や福祉施設から、おそらくは道徳的見地からだとは思うが、会場の使用を拒否されて、突然締め出しをくらうのである。これにより、今までは作業所での軽作業や、パンやクッキーを焼いて安価で販売したりといった障害者を取り巻くありきたりの雛形からやっと脱却しかかった彼らの行き場がなくなってしまったのである。このシナリオは、どこまで北島が描いたものなのかは想像はつかないが、いずれにしても、これ以降、彼らがプロの格闘技団体として民間の小屋を借り、観覧者も一般格闘技ファンにまで拡大させたことについての必然性がここにあるのである。彼らは、言うなれば、所謂“ボランティア業界”から追放された正真正銘のアウトサイダーなのである。

 彼らの姿をプロの格闘家はどう見たのであろうか? その答えは、インタビューで本編の中にも登場する大仁田厚の言葉を借りれば理解できる。大仁田は、ドッグレッグスの試合のVTRを見ながら、“この子たちは、立てないのに何でプロレスなんてやるんだろう”と疑問を呈するが、自分がリングの世界でアウトサイダーとして生きてきたことも振り返りながら、“プロレスやらせてやりたいなあ”と一定の理解を示している。
 映画のクライマックスでは、これまではリングアナを務めていた北島が、いよいよアンチテーゼ北島となってリングに上がり、今も人気を誇る障害者レスラーのサンボ慎太郎と汗だくになって死闘を繰り広げる。この試合は、もともとはサンボ慎太郎の指名試合であった。北島もそれに応える形でリングに上がる。これは北島から慎太郎への“俺を越えて行け”というメッセージなのであろうか。

 かくしてプロの格闘技団体として認知され、興行を打つようにまでなったドッグレッグスのレスラーたちの夢は、聖地・後楽園ホールを満員にすることである。当時、エンドロールでこのメッセージを見た多くの人間は、それを荒唐無稽なことと揶揄したであろう。しかしあれから15年を経て、彼らの当初からの夢は、一歩また近づいたような気がする。

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