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Dezember 2007

23. Dezember 07

【名古屋芸術大学・芸術療法講座】最終レポート「疾病論」 研究対象作品リストアップ

 名古屋芸術大学芸術療法講座 最終レポート「疾病論」で学生が研究対象とした作品をリストアップする。
 尚これは順不同であり、カテゴリー分けは後日行うこととする。

『MOTHER 2』(任天堂)
『家なき子』(日本テレビ)
『70年代カルト・ヒーロー』(『シルバー仮面』、『レッドバロン』など)
『真夜中の弥次さん喜多さん』(しりあがり寿)
『医龍 Team Medical Dragon 2』(乃木坂太郎/林 宏司)
『マラソン』(寺田敏雄)
『ハウルの動く城』(宮崎 駿)
『I am Sam』(ジェシー・ネルソン)
『蟲師』(漆原友紀)
『新世紀エヴァンゲリオン』(GAINAX)
(*この作品については複数の学生が研究対象に選んだ)
『AKIRA』(大友克洋)
『ビーン』
『リリィ・シュシュのすべて』(岩井俊二)
『にじいろのさかな』(マーカス・フィスター)
『ガシェ医師の肖像』ほか(ゴッホ)
『妹の恋人』(ジュレマイア・チェチック)
『死ぬまでにしたい10のこと』(イザベル・コヘット)
『鉄コン筋クリート』(松本大洋/マイケル・アリアス)
(*この作品については複数の学生が研究対象に選んだ)
『Buttons』(エリザベス・レイトン)
『解夏』
『エディット・ピアフ 愛の賛歌』
『タイヨウのうた』(渡邉睦月)
『サトラレ』(佐藤マコト/本広克行
『SILENT HILL』(コナミ)
『エルの楽園』(Sound Horizon)
『BLACK JACK』(手塚治虫)
『CHRONO CROSS』
『Dolls』(北野武)
『月に照らされて』(はりたつお)
『筒井町天皇祭』
『さよなら絶望先生』(久米田康治)
『博士の愛した数式』(小川洋子)
『バガボンド』(井上雄彦)
『箪笥』(キム・ジウン)
『零~紅い蝶』(柴田誠)
『ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン』(ヨーゼフ・シュティーラー)
『光の帝国』(ルネ・マグリット)
『トイレへ逃げこむ人』(石田徹也)
『TRIADIC MEMORIES』(モートン・フェルドマン)
『世界中の子と友達になれる』(松井冬子)
『アンダルシアの犬』(ルイス・ブニュエル/サルバドール・ダリ)
『からくりサーカス』(藤田和日郎)
『私の頭の中の消しゴム』
『ブレイブ・ストーリー』(宮部みゆき)
『LEON』
『漂流教室』(楳図かずお)
『COLLATERAL』(マイケル・マン)
『NHKにようこそ』(滝本竜彦)
『怪~ayakashi~ JAPANESE CLASSIC HORROR化猫』(中村健治)
『ゆめにっき』(ききやま)
『叫び』(ムンク)
(*この作品については複数の学生が研究対象に選んだ)
『ポケットモンスター』(テレビ東京)
『我が子を食らうサトゥルヌス』(ゴヤ)
『2ちゃんねる掲示板』(ひろゆき)
『火垂るの墓』(高畑勲)
『インストール』(綿矢りさ)
『二人のフリーダ』(フリーダ・カーロ)
『<長崎>熱線とその後の火災で溶解変形した瓶』(東松照明)
『DEATH NOTE』(大場つぐみ/小畑健)
『TAXI DRIVER』(マーティン・スコセッシ)
『Serial experiments lain』(小中千昭/安倍吉俊)
『シザー・ハンズ』(ティム・バートン)
『es[エス]』(オリバー・ヒルシュビーゲル)
『妄想代理人』(今敏)
『十二国記』(小野不由美)
『カウントダウン(PV)』(Cocco)
『マルコビッチの穴』(スパイク・ジョーンズ)
『自画像』(ゴッホ)

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【名古屋芸術大学・芸術療法講座】2007年度最終レポート「疾病論」

 本日、芸術療法講座2007年度の最終レポートが大学から郵送で届く。
 因みに2007年度の最終レポートは以下の通りである。

名古屋芸術大学芸術療法講座 「美術史から読み解く疾病論・医学概論」
【2007年度 成績評定用レポートテーマ】
「疾病論」
【概要】
視覚表現を主体とした芸術作品を1点選び、その作品の中に内在している「病」について論じて下さい。
批評対象は、美術、映画、建築、映像表現(CG、ミュージック・クリップ)、広告、デザイン、アニメーション、漫画など、視覚表現を主体とするものならば可。
【文字数】
所定の400字詰め原稿用紙×10枚

 当初、レポート・テーマの研究対象は、美術作品に限定していた。芸術療法の講義の中では、古代ギリシャ時代からポストモダンまでの西洋美術史と医学史を同時に学びながら、美術と医学、あるいはアートと医療(セラピー)の歴史的関わり、「病」の見え方、いわゆる「癒し」という行為における社会学的認識やそこに生じる差異などについて考察していくというものなので、その総括をこめて、西洋哲学、心理学、精神医学などとも関わっている「美術」に限定したわけである。
 しかし考えてみれば、今日の時代において「病」というものは、我々の身体を離れていたるところで多様な形で内在しているわけで、当然のことながら、美術という視覚表現以外にも多様な影響をもたらしているのも事実である。そのような理由から、上記のように視覚表現に限って批評範囲を広げてみたのである。
 レポートを見ると、おおよそ「病」とは結びつきそうもない作品や、すでに定型的な評価を得ている著名な作品を研究対象とした学生もいるが、実はそのような作品とあえて向き合い、異なった「読み方」を探るという方法論は、臨床学ともおおいに共通する部分もある。
 また、私はまったく予想もしていなかったのだが、インターネット巨大掲示板「2ちゃんねる」を研究対象にした学生が1名いた。「2ちゃんねる」は基本的にはテキストが集積されたメディアであり、視覚よりテキストに重心が置かれたものと理解するのが常識的だ。したがって、これを果たして「視覚表現」として定義できるかどうかは難しいところであるが、中には文字や記号の集積によって「像」を作るアスキー・アートなるものも存在し、また例えば、「2ちゃんねる」に集積されたテキストが、映画『マトリックス』のオープニング・イメージで見せたテキストのビジュアル化や、『新世紀エヴァンゲリオン』にしばしば登場する象徴的なタイトル文字のカットインの例を引用すれば、PCの画面上で展開される「2ちゃんねる」も、webメディアの視覚的コングロマリットと言えなくはないので、この「2ちゃんねる」を研究対象としたレポートも、メディア論におけるひとつの問題提起として受け取ることにした。
 それからもう一つ非常にユニークであったのが、地元の夏祭り『筒井町天王祭』についてのレポートである。このような研究対象が出てくるのもまったく予想できなかったが、これも広義の上では視覚的身体表現といっても良いであろう。しかも、この祭自体、古くから疫病退散を祈願するという目的があり、この部分に古来人々は「病」をどうとらえ、「病」とどう対峙してきたのかを民俗学的に考察する契機にもなる。
 関連することと言えば、芸術療法講座第2回の古代ギリシャ医学の「病の起源」についての講義の中で、これと対比するかたちで日本古来の人々の「病」のとらえ方について、ダニが媒介となるリケッチアの一種、「ツツガムシ」病についての説話・伝承も同時に取り上げた。そこで私は戯画で擬人化された「ツツガムシ」や、山形の農村地帯に「病除け」のために建立された祠の写真も見せたりしたので、もしそのことの意図が多少でも伝わった結果、展開されたものであるなら興味深い。

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16. Dezember 07

【論集】『慶応義塾大学アート・センター 年報14』2006/07

『慶応義塾大学アート・センター 年報14』2006/07
(全86ページ、附録資料『土方巽 舞踏譜の舞踏』DVD)
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 慶応義塾大学アート・センターが2006年から07年にかけて行なった事業を詳しい資料とともにまとめた論集と報告集である。内容は、現代美術作家のインスタレーションやアースワークスのためのエスキスのアーカイヴ化から、学内で所蔵する美術作品の修復プロジェクト、学外の主に美術館などのアート施設とのコラボレーション・プロジェクト、ワークショップの記録が詳細に採録されている。特筆すべきは、単に企業や大学などのいわゆる「事業計画・報告書」とは異なり、プロジェクトが進行していく過程で記録されたメモやスケッチなど、本来は完成されたステージでは目に触れることはないであろう資料も多数採録されていることである。
 近年、わが国の歴史・文化教育においては、例えば国会図書館のオンライン化に始まり、国文学研究資料館などがアーキヴィスト養成講座を毎年開講したりと、資料の保存・管理・修復に関する事業、すなわち「アーカイヴ」事業が徐々にではあるが浸透してきた印象があったが、芸術の分野、特にモダニズム以降の芸術作品、芸術表現のアーカイヴ化については前者と比べて大きく遅れをとってきたのも事実である。
 それにはいろいろと理由は考えられるが、芸術作品は、パーマネントに完成した「作品」が表に出るのであって、そこに至るまでの経緯のさまざまな痕跡は、せいぜいデッサンやエスキス、またはドローイングぐらいにしか価値を求めてこなかったという背景もある。だから例えば、作家が何かを着想してノートの切れ端に書いたメモや、作家が作品制作のために取材に行った際の宿や交通機関のオーダーの記録といったものは、作品とは直接関係のないものと見なして、資料から除外されるか知らぬ間に紛失している場合も多いのである。
 しかし、この論集の中でも各論者がたびたび主張しているように、アートという行為そのものがトータルでみた場合、アーカイヴそのものであり、アーティストそのものがアーキヴィストであるとするならば、作品や作家活動全てにかかわるあらゆる記録が構築されてこそ、その芸術作品の背景を初めて深く理解することができるのではいかと思うのである。
 このことを広く社会に向けて理解してもらうことはなかなか難しく、時間がかかるであろう。なぜならば、今まで完成された芸術作品だけを鑑賞してきた多くの人々は、その“完成された作品”という部分の時間だけを切り取って、そこに価値を集中して見る習慣がついているからである。しかし、その悪しき習慣から脱却して、より作品と深く付き合ってみようと思った時に必要になってくるのは、アーカイヴの理念を理解することと、そして実際の作品のアーカイヴなのである。
 この論集の附録であるDVD『土方巽 舞踏譜の舞踏』は、アーカイヴというものの存在、学問的意義を初めて理解するためには非常にコンパクトに編集された良い資料である。この資料は、舞踏家・土方巽の仕事のすべてを、1959年作品の『禁色』から追っていったものである。土方の舞踏メソッドはもちろんの事、作品を構想する過程で記録されたスケッチやエスキスも収録され、それを見れば土方がフランシス・ベーコンやベルメールの作品にいかに身体的に影響を受けてきたかも一目瞭然なのである。また、土方の仕事の歴史を追うことは、わが国における暗黒舞踏の歴史や、それらの芸術表現と深く関わっていた現代美術やパフォーミング・アーツの骨子を俯瞰することもできるであろう。そしてその一連の流れの中で、土方がいかにアンチ・モダニストであったかをあらためて理解することができると思う。

『慶応義塾大学アート・センター 年報14』2006/07
目次
序文「アーカイヴをアーカイヴする」前田富士男
論考「建築アート・アーカイヴの可能性」渡部葉子
論考「舞踏の形式についてⅣ.1976方法」森下 隆
論考「エスノ・アートの交錯再帰的変化とオーストラリア先住民系アートの一局面」宮坂敬造
年次企画 新入生歓迎行事「舞踏公演《記憶の海》」
年次企画 研究講演会「〈わが最良の友〉たる芸術家-バックミンスター・フラーとイサム・ノグチ」
年次企画 アート・アーカイヴ資料展「ノートする四人-土方、瀧口、ノグチ、油井」
年次企画 レクチャー&ディスカッション「アーティストはアーキヴィスト!」
受託/共同事業 港区アート・マネジメント実践講座「入門編+ワークショップ」
共同事業 横浜美術館との協同プロジェクト「美術館広報ワークショップ」
講座 「アート・マネジメント・エキスパート・セミナー
    フォローアップ・セミナー2006」
研究会 アート・マネジメント教育研究会
研究会 感の生成研究会
研究会 トランス文化の位相研究会
調査 慶応義塾所蔵作品調査・保存活動
1.朝倉文夫《藤原銀次郎胸像》設置改善処置
2.岩田 健《少年像》の洗浄保存処置・移設
3.北村四海《手古奈》の修復
プロジェクト ORC
アーカイヴ 土方巽アーカイヴ/瀧口修造アーカイヴ/ノグチ・ルーム・アーカイヴ/油井正一アーカイヴ
記録 受贈資料一覧
記録 所管資料貸出一覧
記録 活動実績
記録 刊行物/人事
記録 会議
記録 研究・教育活動業績

附録DVD『土方巽 舞踏譜の舞踏』(日英バイリンガル版)
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第1章「土方巽と舞踏」
第2章「舞踏譜の舞踏の始まり」
第3章「舞踏譜の舞踏の完成」
第4章「舞踏譜と舞踏世界」
*土方巽の貴重な舞踏資料の他に、作品の構想のためのスケッチ集「なだれ飴」、「神経」、「花」なども収録されている。

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15. Dezember 07

【映画】松本人志監督『大日本人』(2007年・松竹)

 この作品は国内での試写がなかったので、封切後のスクリーンで1回、そして今回DVDでもう一度見る。初見の時に感想を上げておくつもりであったが、この作品についてはいろいろと考え込んでしまい、これまで保留となっていた。
 今あらためてこの作品について考えた場合、まず、「面白かったか?」、「面白くなかったか?」と問われれば、「面白かった」と私は答える。では、松本監督の意図が作品の中で十分に理解できたか? と言われれば、「理解できなかった」と答えるしかない。
 この作品は公開当初、私の周囲の映画関係者(プロの脚本家、演出家、映像作家など)からは総じて不評であった。もっと言えば、不評どころか、「映画」とすら認めていない。皆怒っていた。だが、それほどひどいと言われる作品ならば怖いもの見たさで逆に興味がわくのが人間のサガというものである。
 『大日本人』に対して、プロと自負する映画屋たちが怒るのも無理はない。『大日本人』は、映画専門学校やシナリオライター養成学校などで映画を学んだオーソドキシーたちからすれば、映画のセオリーをまったく無視しているからである。これは、松本自身が一つの表現として意図的にそうやっているのか、編集、演出、脚本の未熟さから結果的にそうなってしまったのかは、次の作品を見ないかぎり、私には分らないので、この時点で、『大日本人』は新しいアヴァン・ギャルドであると言ってしまうのは早計であると思う。
 さて、私が『大日本人』を見て感じたことは、この作品はある一定の年齢層には非常にツボにはまる映画ではないかということである。一定の年齢層とはつまり、松本監督と同世代ということだ。この同世代ということを意識した時に、『大日本人』は、実は彼が子供時代から様々な場面で感じてきた日常の不条理な出来事のアーカイヴであることに気づくのではないか。
 その不条理のアーカイヴをもっとも明確に、かつ鮮明に体現しているのが60年代から70年代にかけての特撮ヒーロー番組である。『大日本人』も、基本的には、ここでは「獣」と呼ばれる、いわゆる“怪獣”に相当する異形と、それを退治する巨大ヒーロー・大日本人、そしてその人間体である大佐藤との間に起こる数々の不条理劇である。
 ここで描かれる不条理とは、例えば、市街地に突然巨大怪獣が現れているのに、いつもと変わらない人々の暮らしや風景がそこに同時に存在していたり、誰もが応援してくれているはずだと疑いを持たないヒーローに、実は内心迷惑している人が大勢いたり、毎回「獣」を無惨に駆逐するヒーローは、実はあまり好かれていなかったりする状況である。
 しかしこういった状況は何も今始ったわけではない。我々が子供の頃に見ていた特撮ヒーロー番組の中でも多々でてきた状況ではある。ではなぜあの時、今ほどまでにその不条理さを感じなかったかといえば、それは、当時の才能あるクリエイターたちによって作られた秀逸な怪獣造形やヒーローのかっこ良さに日常の不条理が「中和」されていたからである。例えば我々は、ウルトラマンの「八つ裂き光輪」やウルトラセブンの「アイ・スラッガー」で文字通り“惨殺”される怪獣を見ても、死んでいく怪獣よりもヒーローの繰り出すそのかっこ良い必殺技に魅了されていたふしもある。だからこそ、『大日本人』で巨大化した大佐藤が、子供の「獣」を誤って殺してしまう場面で、こころの底にチクリとくるような忘却の彼方から蘇ってくる罪悪感に襲われたりもするのである。 『大日本人』には、随所にそういう場面があり、見ているこちらは常に「踏み絵」を踏まされるような、居心地の悪さを感じるのである。この居心地の悪さを「不快」と受け取るか、あるいはこれらを含めて一連の不条理劇として見るかは受け手による。
 一方で、特撮をプロットの重要な部分に入れているという点からみて、何か興味深い構成なり演出なりがあるとしたら、私は「獣」を退治する「大日本人」という存在そのものにもっとも興味を抱いた。物語の冒頭では、単に巨大化するヒーローとしてしか描かれていないが、それが実は一つの家系に代々継承されていく、いわば職業的“業”を負った孤独なヒーローであることが少しずつだが描かれていく。これをわが国の民俗的な歴史に例えれば、それはサンカやマタギのような存在と言えるかもしれない。だから大佐藤一族は、ウルトラの星から来たヒーローのように事件が解決したら地球から離れるというようなことはけしてできない。あくまで地縁、血縁のしがらみの中で、“「獣」を殺す”という「穢レ」を背負って生きていくしかないのである。私はこの部分に大佐藤の悲哀を感じることができた。
 では「獣」の造形についてはどうであろう。思いのほかCGが不自然なく合成されていて、それが一層シュールさを際立たせていた。我々はこれまで、たとえば成田亨、池谷仙克らといった秀逸なクリエイターたちの繰り出す、かっこ良い怪獣に見慣れていたわけだが、実際に「獣」が現れたら、意外に不可解で意味不明な姿をしているものも中にはいるかも知れないと思える演出はなされていた。特に、冒頭に登場する「締ルノ獣」の雄叫びや造形のシュールさは、私の個人的な記憶の中では「ダコーダ」に匹敵する。
 ラストの実写パートは、冒頭に書いたような松本監督個人の歴史の中で蓄積されてきた、特撮ヒーロー番組の物語世界で長らく展開されてきた日常に対する壮大なアイロニーとして受け取っておくことにする。

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04. Dezember 07

井上眼科病院「目の歴史資料館」を訪ねる

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 御茶ノ水にある井上眼科病院内にある「目の歴史資料館」を訪ねる。
 ここの資料館について説明するにはまず、明治から代々続く井上眼科病院の歴史や、その創立者であり、わが国における近代眼科学の礎となった初代・井上達也という人物にも触れなくてはならない。
 井上達也は、1848年(嘉永元年)に、漢方医であった井上肇堂の四男として生まれた。この時代は欧米では、すでにルネサンス時代を経て医学が科学として多分野に細分化していった時代であり、大きな流れとしては、イギリスの臨床医学やドイツの病理学が繁栄を極めていた時代である。
 その中でわが国は、時の明治政府が国策として、西洋医学の基礎をドイツに学ぶという方針を決定し、後にベルツとミュルレルの2人のドイツ人医師を東京大学に招いた。そのミュルレルにドイツ医学を師事したのが井上達也である。また、そればかりではなく、井上達也は、眼科学の研究をとおして、わが国では視力検査の際の視力表の考案者としてなじみ深いフランスの眼科医ランドルトらとも交流があり、資料館にもその記録が残っている。
 つまり、井上達也が研究を通して関わった人物を順に辿っていくと、必然的にわが国における近代眼科学の歴史を俯瞰することになるのである。
 眼科学の歴史とは面白いもので、古代の多くの医学者たちも、「なぜ目で映像を見ることができるのか」ということにとても興味を持っていて、古代ギリシャの時代から、目の構造や機能についてはいろいろな考察が行われている。例えばガレノスは水晶体の存在をすでに確認しているし、ファブリキウスや後のヴェザリウスらは、その水晶体が眼球の中央にあることを認識している。
 また眼科学では、レンズを多く用いることから、光学の分野とも大きく関わっている。例えば、レンズを通過する時の光の軌道は天文学者のケプラーの実験によって明らかにされたわけであるし、また、ニュートンやヤングらによる一連の光学研究は、眼科医療でなくてはならないレンズの発達にも大きく寄与しているのである。
 この資料館では、当時の眼科学の臨床記録だけではなく、眼科領域の光学機器などの展示も見ることができるので、ここを訪れた人は、たぶん眼科学の裾野の広さをいろいろと認識するであろう。

 ところで、国の施設でもなく大学病院でもない民間のクリニックが、医学史についての史料を「資料館」という形式で広く一般公開することにはどんな意義があり、価値があるのだろうか。
 まず専門の研究者に向けてだが、もし内外で、眼科学の歴史を専門に研究している医史学者がいるならば、私ならまず、ここの資料館を最初に訪問することを勧めるだろう。そして、ここにある様々なアーカイヴに触れてもらえば、わが国における眼科医療の歴史が明快に俯瞰できるであろう。また当時、現在のように治療器具や診断器具が充実していなかった時代に、臨床現場にかかわる若い研究者たちが創意工夫で診断や治療に挑んだ姿には科学者の原点を感じることができ、彼らもまた“クリエイター”であったことを再認識させられるだろう。
 それを表す資料の一つが、克明にスケッチされた眼病のカルテや視力表である。これは現在の眼科医療の現場でのものと比較しても、その正確さや緻密さがまるで劣るとは思えないのがすごいところである。例えば、実に緻密にスケッチされた眼底のカルテを見ると、網膜剥離や眼底出血などの変性部位が正確に把握できる。
 これらの資料から見えてくるのは、私がかねがね大学の講義の中でも学生たちに言っている、臨床学の原点である。もし美大生がこれらの資料を見たならば、そのデッサンのように緻密なスケッチに興味を抱き、病変というものが冷静な空間で捕捉され、写実というかたちで写し取られていくというところに、タブローにおけるデッサンとの共通点を発見するであろう。
 また、医学生がこの資料を見た時には、先人たちの偉業をとおして、臨床とは何たるかを改めて問うきっかけにもなるのではないかと思う。地理的にも、周囲には医学部のキャンパスがいくつかあるので、まだ専門の勉強を始める前の教養課程にいる学生たちにもぜひ見てもらって、これから自分たちが学ぼうとしている臨床学というものがどういうものなのかをイメージしてもらいたい。
 では一方で、一般の人たちにとってこの資料館はどんな役割があるのだろうか。この資料館が敷設されている場所は、正面玄関を入ったところの左側である。ちょうど外来患者らが診察を待つ場所と対面する位置なので、当然、ここの場所に診療を目的として訪れた一般患者たちの目にも入る場所である。それで、彼らがそこの場に足を踏み入れた時に何を思うかに私はたいへん興味がある。
 ある人は、明治から眼科病院の歴史を築いてきた歴代の医師たちの評伝に触れてみることで、同門として何らかの関わりのあるここの医師たち-すなわち自分たちの主治医のことを、より身近に感じられるようになるであろうか。またあるいは、DVDに収録された昭和初期の木造時代の古い医院や御茶ノ水界隈の風景を見て、文教地区と言われたこの町の歴史の重みをしみじみと感じるのであろうか。それは私にはわからないことである。だが昨今、物事がいささか急速に進みすぎてしまって、歴史を振り返る余裕がないどころか、何か大切なものを置き忘れてしまったように感じる今日このごろ、わが国の学問の歴史と深い関わりのある街に、このような資料館が歴史散策スポットとして存在するならば、わが国の郷土や歴史を愛する心を育んでいく契機にもなるのではないだろうか。

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