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18. November 07

【名古屋芸術大学・芸術療法講座】学生のレポートを読む~医療空間における芸術作品について

 ここ近年のことだが、知人、友人が医師として働く病院や医院から、臨床関係の勉強会以外でもさまざまなイベントの案内を頂くようになってきた。具体的には、病院受付ロビーを解放したお笑いや大道芸人の舞台、コンサート、美術展などである。このような行為はやはり物珍しいのか、後日かならずといっていいほど、地元新聞やタウン誌などで「地域のニュース」として記事となることが多い。
 しかし、よくよく考えてみれば、ホスピタルという空間の原型が、古くは古代ギリシャで生成され、後にそれが修道院により近代化されて今日に至る一連の流れをみれば、このような状況──即ち、療養空間に、臨床学的な医療の他に芸術や哲学などの多様な要素が入り込み、そこでそれぞれが補完し合いながら、一つの療養空間を形成しているというのは、奇異なことではなく、むしろきわめて人間的なことであり、こちらのほうが、ホスピタルという空間が持つ本来の原型に近いと言えるのである。
 例えば、療養空間と芸術作品(主に絵画)の結びつきを考えた場合、名古屋芸大の芸術療法講座でも取り上げたが、キリスト教絵画の中のマリア像や、病をメタファーにしたイコンなどを挙げることができる。これらの作品は、医学が科学として体系づけられていく以前の発展途上の時代に、病者の祈りの対象として存在したり、<奇跡的な治癒>を体験するための装置として機能していたわけだ。
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ウッチェロ「聖ゲオルギウスと竜」(1456-1460)

Photo
フラ・アンジェリコ「助祭ユスティアヌスの治療」(1445)

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グリューネヴァルト「聖アントニウスの誘惑」(1515)

 翻って、現代の療養空間ではどうか?
 例えば冒頭にあげた医療空間を利用したさまざまなイベントだが、これはあらかじめイベントとして広報し、このイベントそのものが、現代医療空間における<癒しの空間の体現>、または<ホスピタリティの体現>といった明確な達成目標があり、かつて修道院時代のホスピタルが自然発生的に備えていた、いわゆるホスピタリティとは若干性質が異なるものである。むしろ、空間的にこれに近いのが、病院の壁やロビーに何となく展示してある絵画を中心とした芸術作品の存在である。

 名古屋芸術大学・芸術療法講座の中では、これをテーマに以下の設問を学生らに与えた。

名古屋芸術大学 芸術療法講座
「美術史から読み解く疾病論・医学概論」第5回 レポート

【設問】
中世における傷病人の看護は、現代のような医療機関ではなく、その多くは修道院が担っていた。また、中世の看護とは、養育や養護という行為と一体化しており、キリスト教絵画で描かれるマリア像も、「癒し」のための祈りの対象として機能していた。
翻って、看護・医業が細分化、専門化されている現代の病院空間において、しばしば展示されている絵画や彫刻などの芸術作品は、患者にとってどのような役割を果たしているのか説明して下さい。

 この設問に対し、多くの学生が患者としての実体験から、いろいろと興味深いレポートを書いている。
 まずこのレポートの中で、ほとんどの学生が、医療空間に芸術作品が存在することを好意的にとらえている。その理由として、
「医療空間という無機的・無味乾燥な空間に芸術作品が存在することで、有機的な空間を作りだしている」
「患者にとって病院という閉鎖された空間の中で、芸術作品は外界とつながる唯一のものである。したがって、患者が感じる孤独感を緩和する作用がある」
「芸術作品は、“生きることの原初的な欲求”で生成されており、そのことが患者や医療スタッフのモティベーションを向上している」
「芸術作品を見ることで、病気などの気を紛らわすことができる」
などがあげられている。
 その中で実体験に基づく詳細な事例として、たとえば、自分が患者で待合室にいて何らかの作品を鑑賞する時に、その作品の制作者のプロフィール、作品の技法、テーマなどについて考えをめぐらすことで、暇つぶしや気分転換になったり、病気から離れることができる、という画学生らしい回答がある一方で、作品のディティルに目がいくことで、その作品の所有者、つまりは病院の院長あるいは理事長の権威主義的な人格を想像してしまい、かえって気分が悪くなる、という興味深い回答もあった。
 具体的には、展示されている作品がアマチュア画家や無名アーティスト(おそらく病院関係者の友人、知人からの寄贈と思われる)の作品ならばそれほど違和感がないが、美術年鑑で号の価格が掲載されているような作家や、公募美術展などである程度著名な作家の作品が展示されていた場合は、患者の気分を癒すというホスピタリティよりも、医者の権威主義を感じてしまう、というものである。また、展示されている作品がいかにも高価そうだったり、俗物的だったりした場合、やはりその病院の院長らの美意識のなさに気分が悪くなる、というものである。
 これは思いもよらない面白い回答だが、考えてみれば、山崎豊子作『白い巨塔』の中でも、主人公の財前が、教授選挙で自分に有利にはたらくように、医局内の有力者に心斎橋あたりの著名な画商がついていそうな画廊から絵画を購入し、それを賄賂として贈るという場面もあったわけで、芸術作品をいわゆる旧来の「洋画」マーケットでとらえた場合、例えば同じく山崎豊子作『華麗なる一族』に登場する錦鯉のショーグンと同じような、有力者の権威を象徴するものとして映るようである。
 また、もうひとつの問題提起として、「あたりさわりのない作品が展示してある」という回答もあったが、これはかなり重い意味を含んでいる。つまり、ここでの回答の<あたりさわりのない作品>とは、明らかに医療スタッフが認識している定型的な患者像を想定してのものであり、いたずらに「死」や「病」を連想させてしまう作品や、色調の暗い作品、あるいは激しいストロークの作品などは除外し、凡庸な静物画や風景画のことを意味するのであろう。つまり、このような<あたりさわりのない作品>は、医療スタッフ側からしてみれば、患者に余計な精神的ストレスを与えまいとする配慮なのであろうが、レポートの多様な事例を見ればわかるように、花が挿してある花瓶の悪趣味な模様から、医療スタッフの美意識や人格を想像してしまい気分が悪くなる場合があるように、医療スタッフ側が定型的に考えていると思われる<あたりさわりのない作品>というもの自体が、いかに曖昧な存在であるかがわかる。むしろ、「死」や「病」を意識させるような作品と対峙してこそ、自分の「生」を強いコントラストで認識することもできる場合もあるのではないか。そのような問題を提起してくれるレポートであった。

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verlinkt am: 13. Dezember 07 05:07 Uhr

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