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22. Oktober 07

【名古屋芸術大学・芸術療法講座】学生のレポートを読む~スペクトルマンについて

 先日の名古屋芸大での芸術療法講座第14回講義の中で上映した「スペクトルマン」についての学生のレポートがとても興味深い内容である。(この作品の内容についての詳細は、10月20日付けの記事を参照)
 私はこの作品について、以下のような設問を設定した。

【設問】
知的障害者である三吉青年は、他の人間と同様に暮したいという思いから、一つの選択をしましたが、彼が人間らしく幸せに生きていくためには、他にどんな選択の可能性があったと思いますか?

 これについて様々な意見が寄せられた。一番多かったのは、三吉君は天才になる脳外科手術を受けないで、今のままでも十分に幸せなのだから、地域のコミュニティの中であたたかく見守られながら暮らしていくほうが良かった、という意見である。では、どうして他者から見ると幸せそうに見える三吉君が、脳外科手術を選択せざるを得なかったのかというと、周囲の人間や子供たちから「バカは死ななきゃ治らない~」と馬鹿にされるのに耐えられなかったわけで、地域の中から彼を追いやり、究極の選択をせざるを得ない精神状態にまで追い詰めてしまった周囲の人間にこそ問題があると、実際の障害者医療の現場での事例を引用して、我々周囲の人間の方を厳しく断罪する内容のレポートも散見された。またその一方で、三吉の周囲の人間の中でも、いつも昼食時にそばを注文してくれるGメンの人々や、孤児である三吉をそれなりにかわいがっているそば屋の店主などは、三吉に対して口は悪いが愛情を持って接しているのだから、三吉君も自分が周囲の人間から大切にされていることに気づくべきであったという意見もあった。
 一方で、三吉に対する厳しい意見も寄せられた。それは、彼の当初の希望であったはずの「人並に利口になりたい」という欲求に満足せず、最終的には「天才になりたい」といった具合に欲望が際限なく肥大化した結果、悲劇が起ったというものである。そして、たとえ天才になるにしても、天才になったら何をしたいかというモティベーションがなく、ただ、今まで自分のことをバカと罵っていた周囲の人間を見返してやりたいという思いだけだったのではいか、という意見もある。
 それから少し異なった角度からの意見であるが、三吉君は「人並み」の知能を獲得した後、それからはフェアに他の人と同じ方法で競争して大学に入るなり、博士になるべきであった、という意見である。この意見はわりと重いメッセージを含んでいるといえる。それは、障害者医療の現場でもしばしば議論される「機会の平等」という問題だ。障害者の周囲にいる人間は、彼らのことを先天的に社会的弱者であると規定している側面があるので、彼らにとっても不本意である不要な特別扱いをしてしまうことがある。その心理の根底にあるのは、我々が誰しも隠し持っている欺瞞性や道徳心なのである。
 またこの他にも、三吉君の地域での自立の可能性について模索したものもあった。例えば、同程度の障害者だけ集まってグループホームのようなところに住めばよかった、という意見や、日常のかわりばえしない生活の中に、幸せを見つけていく努力をすれば良かったという意見もあった。その中で新しい方向として、三吉君はそば屋の出前だけではなく、自分でそば職人になり職人技を身につけて自立せよ、という意見である。そばの出前だけを一生やっていてもなんらスキルが身に付かないので、三吉君にも自分で生きていくためには何かスキルが必要であるという意見だ。この意見は、今現在、社会問題化している「ニート」、「ひきこもり」、「ワーキングプア」の社会病理とも意外に符号するのではないか。つまり三吉君に必要なのは、ある分野での突出したスキルなのであり、例えば彼の場合ならば「カリスマそば職人」になることも一つの方法だが、そのようなものを獲得すれば、他に劣ることが多少あったとしても人間としてのプライドは持っていられるだろう、ということである。どんな分野でもよいのでプロフェッショナルになることが、ニート脱出の第一歩であるのと同様に、障害者がプロフェッショナルとしてそれにふさわしい対価を得て地域で自立していくことの必要性を投げかけていると思えた。
 レポートをひととおり読み返して思ったことだが、議論百出なところ、そして悲劇的に死んだ主人公・三吉をも厳しく断罪する態度に健全性を感じる。また原作のプロットにはない今日我々が多く抱える社会病理の側面から出てきた意見も多く、非常に面白かった。
 毎回学生らのレポートを読んでいて思うことだが、こちらの方も彼らから多大な刺激を与えられているということである。これには毎回のごとく感謝している。

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