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Oktober 2007

28. Oktober 07

【書籍】前田富士男編「心の探究者としてのパウル・クレー」

Klee
 この論集は、2006年2月10日に、慶応義塾大学三田キャンパスで開催された国際シンポジウム「心の探究者としてのパウル・クレー」における、内外の研究者らの研究発表をまとめたものだ。このシンポジウムを主催したのは、慶応義塾大学の「心の統合的研究センター」である。これは文科省による「21世紀COEプログラム」に選定されたプロジェクトの1つである。
 慶応義塾大学は、このほかにもアートセンターや、特に近年では森下隆氏らがすすめている土方巽アーカイヴなどの活動を見てもわかるように、“開かれたキャンパス”づくりに力をいれている。これは、大学に帰属する知的財産は誰のものか? ということを考えた時に、それを前世紀の大学のように、自分たちだけでありがたがって独占するのではなく、“知的共有財産”として、内外、在野のすべての研究者らに門戸を開く、という学問的理念から立ち上がった結果であると思う。
 最近では、電車や駅の構内で、大学のオープンキャンパスのポスターを見かけるのは珍しくもなくなったが、慶応の場合、まだアーカイヴやその専門職であるアーキビストという言葉や概念が一般的に認知される以前から、このようなことに一貫して試みてきたわけで、10余年を経て、それがようやく少しずづ形になりつつあるのではないか。
 さて、この論集の内容だが、まず巻頭からカラー図版が豊富である。次いで、各論者の論文が続くが、論文は、そのほとんどが和文と独文併記である。ドイツ語学習者中級程度なら、楽しんで読むことができる。特に、クレーの評伝から彼の魂の領域まで迫ったケルステンの論文は、独文の原著で読むことをお勧めする。

前田富士男編「心の探究者としてのパウル・クレー」(慶応義塾大学 心の統合的研究センター)
【目次】
1)前田富士男 ゲシュタルトと連想-「心の探究者としてのパウル・クレー」のためのスケッチ」
2)行場次朗 心のデザイン」モデルに基づくクレー作品の考察
3)真壁宏幹 パウル・クレーと児童画-共感覚と“シンボルの受胎”
4)三脇康生 アート・戦争・精神医療-クレーの教えるもの
5)Reto Sorg Von der pathetischen zur kühlen Romantik.  Die Kunst der >Bewegung bei Aby Warburg, Carl Einstein und Paul Klee.
6)野口 薫 ゲシュタルティストとしてのパウル・クレー
7)奥田 修 「超次元的な根源の映出」としての芸術-パウル・クレーのオカルティズム
8)Wolfgang Kersten Paul Klee-Bilder der Seele

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27. Oktober 07

【学会】第39回 日本芸術療法学会

Art_therapy
 関東地方に台風が接近するなか、午後から日本芸術療法学会の会合にでかける。今年で39回目を迎えるこの学会は、精神科医や臨床心理士と、アートセラピー関係で医療や介護の現場に携わっているスタッフらとが交流できる、またとない貴重な場である。
 私の目的は、精神医療の現場で実際に臨床にあたられている精神科の先生方から、できるだけ現場での生の声をいただくことと、私が今年から名古屋芸大の芸術療法講座で試みていること、たとえば、いきなりセラピーへといくのではなく、美術史と医学史をギリシャ時代あたりから同軸で俯瞰しながら、人間の「病」や「癒し」について考察していくという試みについて、忌憚ないご意見をいただくことである。
 それからもうひとつ、今回は慶応大学アートセンターのアーカイヴズの中から、土方巽の「疱瘡譚」の一部が上映されるので、それがどうしても見たくて、台風の中、白金台の明治学院大学まで出かけた次第である。
 土方については国内外で多くの研究者がいるわりには、土方の出生、生涯については逸話も含めて諸説さまざまであり、評伝として正史といえるものは未だにないのではないか。
 また、晩年に舞踏を再開した矢先に急逝したことによって、土方の舞踏家としてのトータルな評価をどうするべきか、私自身もいまだ方向性が定まらないままである。実際に、土方の作品を、彼の故郷の東北の土着性に根ざしたものだと批評するものがいる一方で、ドイツ表現主義の影響化からの一連の流れとして見るものもいて、人によって評価がいろいろと異なるところが、土方の多面体的な面白さではある。私のように、もともとが独文圏文化に浸かって生きている人間にとっては、もちろんドイツ表現主義と土方は、非常にイメージが繋がりやすい。
 それにしても、あの横たわっていても、立っていても、常に不安定な身体は、たった1Gという重力の中でもその重力と気圧に今にも押しつぶされそうな様相で、昆虫のキチン質のような骨格が、辛うじて身体内部の内容物が外に放出されるのを防いでいるようにも見えて、緊張感極まりない。「病身」とはそういうものであろう。
 本編のディレクターズカット版は90分の作品になるそうで、機会があれば、ぜひ慶応の土方アーカイヴで拝見したいと思った。

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26. Oktober 07

【ドラマ】「医龍-2」(フジテレビ)

 病院建築や美術セットの面白さから、毎週「医龍-2」を見ている。
 このドラマの中には明真大学病院と北洋病院という、対照的な空間が登場する。どちらも大都市の中核医療を担う総合病院という設定であるが、細かな演出やカメラワークなどで、明真のほうがよりコンテンポラりーに見えるのに対して、一方の北洋の方はというと、明らかに一世代前の医療空間であるのがよくわかる。物語上、もちろんこれは重要だ。
 まず、暗めの照明。これはけしてホスピタリティーを重視するようになった現代の病院が、患者に配慮して“落ち着く”照明設備に気を配っているのではない。設計の段階で患者のための採光という発想がそもそも無いのである。そして雑然とした廊下。これにしてもそうだが、患者やその見舞客のことに配慮していないから、自然とこういう状況になる。このような状況は本来、プロとしての医療者の仕事の楽屋内をさらけ出していることになるので、非常にみっともないことである。スタッフを含めて、そのいかにも発展途上の部分をうまく演出で見せている。
 こういった患者やその家族への配慮が感じられない医療空間は、古い時代の闘病ドラマや病院ドラマを見れば多くみつかるだろう。
 私は以前から、古い時代の(たとえそれが10年程度の古さでも)闘病ドラマを見た時にしばしば感じる絶望感は、その時代よりもはるかに進んだ現代の最新の医療技術を自分が知っていて、その目線で過去の時代を俯瞰してしまうことが原因でおこるのだと思い込んでいた。
 すでに故人となった著名人の伝記をドラマにする際、よく番組の最後で「この疾患は、現在は必ずしも不治の病ではなく、現在は新しい治療法で完治できるようになりました」というようなテロップが流れたりする。これからもわかるように、私はドラマを見ながら、もっとああすればいいのに、こうすればいいのに、しまいには、このステージの癌であれば、抗がん剤はアレとアレを3クールで、あとは段階的に放射線治療に移ればいいのにな! と、まるで自分が主人公の主治医になったつもりで見てしまう。だからどうすることも出来ない歯がゆさと絶望感に襲われるのだと思っていた。これは、あらゆる昔の闘病ドラマに言えることだ。できることならば、タイムマシンに乗って過去の時代に戻り、医師や主人公に新しい治療法や診断術を伝えたり、新薬を渡したりできるのにな、という思いである。
 しかし、「医龍-2」を見ていて、ことはそんな表層的なことではなく、実はその空間に滞留しているコンプライアンスの低さを連想し、今度は自分が患者となった立場で底知れぬ孤独感に襲われるのだということに気づいた。
 つまり、ドラマの中で、一世代前のような設備や空間を見せられた場合、その時代背景から推測すると、その病院がどういう体制の下、患者と接していたかがわかるのである。
 だから、難病に冒された主人公が手を尽くしたかいもなく亡くなっていくのに不安感を感じるのではなく、おそらく医師-患者間でのインフォームドコンセントがいまだ確立されていない医療空間、そしてそれにともなう患者のQOLの低下、こんな中で主治医に対してセカンドオピニオンの申請さえ許可してもらえない患者や患者の姿に、医療空間の中で取り残された孤独感を感じてしまうのである。しかも患者の個人情報もきちんと管理されておらず、なぜか他の面識のない患者やヘルパーなどまで自分の病気の名前を知っていたりして、プライバシーも守られない。今度は患者の立場で、もし自分がこんな医療空間に放り込まれたらどうしたものかと思ってしまうのである。
 「医龍-2」でハゲタカファンドの餌食になった北洋病院も、朝田たちが来る前は、このような空間になる可能性があった。現在のところ最安値更新中の北洋が、限られた設備、限られた人材で立ち上がっていく様子が、このドラマの前半の見どころであろう。 

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23. Oktober 07

【名古屋芸術大学・芸術療法講座】学生のレポートを読む~画家の自画像について

 先週放送した「3年B組金八先生」は、私にとって実にタイムリーな内容であった。この回のエピソードは、今社会問題化しているバカ親、いわゆるモンスターペアレントの執拗な過干渉により、担任やクラスメイトとの人間関係がうまくいかなくなってしまった児童が主人公であった。彼の父親は地元の有力な政治家で、母親も、自分自身は何のスキルもステイタスもないのにもかかわらず夫の権威にただぶら下がり、そのことでしかIDを得ることができない自己顕示欲の強い主婦である。昔なら教育評論家の阿部進が、こういったバカ親のことを“ママゴン”と怪獣のように呼んだものだ。
 さて、バカ親の話はこのへんにして、物語の中核は、バカ親の圧政に苦しんでいる1人の児童が、ある美術教師との関わりの中で、次第に親からのプレッシャーから解放されて、強い精神を獲得していくというプロセスにある。
 その美術教師が用意したワークショップがクラス全員に自画像を描かせることである。そこでクラスの他の児童たちは鏡で自分の顔を興味深く凝視しながら、楽しそうに自画像を描くのだが、先ほどのバカ親の子だけはなかなか描くことができない。しまいには自分の姿を直視できなくなり泣き出してしまう。そして、自分の親に向かって、「本当の自分の姿はどうなのだ」と詰め寄るのだ。これが彼にとっての初めての「主張」であったと思われる。
 この美術教師のねらいとは、普段は一番よくわかっているはすの自分の姿を、改めて客観的に見つめてみる、ということだ。
 折しも、私も直近の名古屋芸大での「芸術療法講座」の講義の中で、自画像について取り上げたばかりなので、実にタイムリーである。

 私は「芸術療法講座」の第9回講義の中で、精神を病んだ画家の一例としてゴッホとムンクを取り上げた。
1889_2
ゴッホ「自画像」(1889)

1919
ムンク「スペイン風邪の後の自画像」(1919)

 そして、学生に対し、次のような設問を投げかけた。

【設問】
印象派の代表的な画家・ゴッホ、表現主義に影響を与えた画家・ムンクは、ともに精神を病みながら、その病んだ自分の姿をモティーフにして多くの作品を制作した。
画家にとって、病んだ自分の姿を自画像として描くという行為には、どんな意味があるのか考えて下さい。

 この設問に対してのレポートを、今あらためて読んでいる。その中で興味深いのは、「病気の自分を描くことで、自分の病の本質を客観的にとらえることができる」それにより、「病というものの偏見や恐怖を克服する」という解答や、「自分の病を描くことによって、自分が抱える病が外に放出されて楽になる」という解答もあった。この「病を放出する」ということについては、「自分の作品の中に病を転写する」、あるいは「作品の中に病を封じ込める」という具体的な方法論に言及したものもあった。
 実はこういった方法論は、実際にアート・セラピーや、癌などの難治性疾患の終末期医療の現場では、「イメージ療法」という形式で行われているものだ。特に後者の「病を外に放出する」という行為は、身体を使ったダンスセラピーや、熱中しながら造形作品を作らせる絵画療法と大いに共通する部分がある。
 私はこの設問を設定するにあたり、学生らに対しては、あえてアート・セラピーの現場でのこういった予備知識を与えなかった。それは、心理学における定型的な知識からではなく、芸大生なのだがら、日頃の作品制作をとおしてのアプローチから、クリエイターとしてこの問題を考えてもらいたかったのである。結果、偶然にも実践的なアート・セラピーと大いに共通する帰結点をみたわけだが、ここにこそ、医療におけるアートの役割の可能性を垣間見たきがしてならない。
 他にもこの回のレポートは、いろいろと読みどころ満載なので、後日また詳しく書きたいと思う。

 

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22. Oktober 07

【名古屋芸術大学・芸術療法講座】学生のレポートを読む~スペクトルマンについて

 先日の名古屋芸大での芸術療法講座第14回講義の中で上映した「スペクトルマン」についての学生のレポートがとても興味深い内容である。(この作品の内容についての詳細は、10月20日付けの記事を参照)
 私はこの作品について、以下のような設問を設定した。

【設問】
知的障害者である三吉青年は、他の人間と同様に暮したいという思いから、一つの選択をしましたが、彼が人間らしく幸せに生きていくためには、他にどんな選択の可能性があったと思いますか?

 これについて様々な意見が寄せられた。一番多かったのは、三吉君は天才になる脳外科手術を受けないで、今のままでも十分に幸せなのだから、地域のコミュニティの中であたたかく見守られながら暮らしていくほうが良かった、という意見である。では、どうして他者から見ると幸せそうに見える三吉君が、脳外科手術を選択せざるを得なかったのかというと、周囲の人間や子供たちから「バカは死ななきゃ治らない~」と馬鹿にされるのに耐えられなかったわけで、地域の中から彼を追いやり、究極の選択をせざるを得ない精神状態にまで追い詰めてしまった周囲の人間にこそ問題があると、実際の障害者医療の現場での事例を引用して、我々周囲の人間の方を厳しく断罪する内容のレポートも散見された。またその一方で、三吉の周囲の人間の中でも、いつも昼食時にそばを注文してくれるGメンの人々や、孤児である三吉をそれなりにかわいがっているそば屋の店主などは、三吉に対して口は悪いが愛情を持って接しているのだから、三吉君も自分が周囲の人間から大切にされていることに気づくべきであったという意見もあった。
 一方で、三吉に対する厳しい意見も寄せられた。それは、彼の当初の希望であったはずの「人並に利口になりたい」という欲求に満足せず、最終的には「天才になりたい」といった具合に欲望が際限なく肥大化した結果、悲劇が起ったというものである。そして、たとえ天才になるにしても、天才になったら何をしたいかというモティベーションがなく、ただ、今まで自分のことをバカと罵っていた周囲の人間を見返してやりたいという思いだけだったのではいか、という意見もある。
 それから少し異なった角度からの意見であるが、三吉君は「人並み」の知能を獲得した後、それからはフェアに他の人と同じ方法で競争して大学に入るなり、博士になるべきであった、という意見である。この意見はわりと重いメッセージを含んでいるといえる。それは、障害者医療の現場でもしばしば議論される「機会の平等」という問題だ。障害者の周囲にいる人間は、彼らのことを先天的に社会的弱者であると規定している側面があるので、彼らにとっても不本意である不要な特別扱いをしてしまうことがある。その心理の根底にあるのは、我々が誰しも隠し持っている欺瞞性や道徳心なのである。
 またこの他にも、三吉君の地域での自立の可能性について模索したものもあった。例えば、同程度の障害者だけ集まってグループホームのようなところに住めばよかった、という意見や、日常のかわりばえしない生活の中に、幸せを見つけていく努力をすれば良かったという意見もあった。その中で新しい方向として、三吉君はそば屋の出前だけではなく、自分でそば職人になり職人技を身につけて自立せよ、という意見である。そばの出前だけを一生やっていてもなんらスキルが身に付かないので、三吉君にも自分で生きていくためには何かスキルが必要であるという意見だ。この意見は、今現在、社会問題化している「ニート」、「ひきこもり」、「ワーキングプア」の社会病理とも意外に符号するのではないか。つまり三吉君に必要なのは、ある分野での突出したスキルなのであり、例えば彼の場合ならば「カリスマそば職人」になることも一つの方法だが、そのようなものを獲得すれば、他に劣ることが多少あったとしても人間としてのプライドは持っていられるだろう、ということである。どんな分野でもよいのでプロフェッショナルになることが、ニート脱出の第一歩であるのと同様に、障害者がプロフェッショナルとしてそれにふさわしい対価を得て地域で自立していくことの必要性を投げかけていると思えた。
 レポートをひととおり読み返して思ったことだが、議論百出なところ、そして悲劇的に死んだ主人公・三吉をも厳しく断罪する態度に健全性を感じる。また原作のプロットにはない今日我々が多く抱える社会病理の側面から出てきた意見も多く、非常に面白かった。
 毎回学生らのレポートを読んでいて思うことだが、こちらの方も彼らから多大な刺激を与えられているということである。これには毎回のごとく感謝している。

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21. Oktober 07

【名古屋芸術大学・芸術療法講座】第14回「スペクトルマン48話・49話」上映

 名古屋芸大での芸術療法講座の第14回は、「スペクトルマン」の中から第48話・第49話を上映した。
 「スペクトルマン」は1971年から72年にかけてピープロダクションによって制作された当時の子供向けの特撮怪獣番組である。この時代の特撮作品の本流は、「ウルトラマン」などで著名な円谷プロであるが、それと一線を画して異色の作品を制作していたのが漫画家でもあったうしおそうじ率いるピープロである。その中でも「スペクトルマン」は、当時の70年代のわが国が抱える様々な社会病理をプロットのみならず登場キャラクターにまでも反映させているところが興味深い。
 当初、この第14回目の講義で上映する予定の作品は、「スペクトルマン」のほかに候補として、寺山修司、三島由紀夫の作品も実は用意していた。最終的に「スペクトルマン」を選んだ理由はいろいろあるが、まず、寺山や三島の作品は、芸術作品として一定の評価を得ている作品であるし、今後も十分に寺山や三島の映像作品にはふれる機会が多々あると思った。
 一方で、今回上映した「スペクトルマン」の第48話・49話は、知的障害者の社会的差別や自立の困難さをテーマとしたものであり、本講座「芸術療法」で最初に掲げた、“人間にとって「病」とは何か”、“人が「病む」こととはどういうことなのか”といった医学概論的な視座に立った大きなテーマと深く関わる内容であること、またこのような内容から考えて、現在の放送倫理規程においては地上波では放映できないであろう内容であることも含めて、この機会にこの作品の上映を決定した。
 私が興味深かったのは、本作品の主人公である知的障害者の三吉君が自分のために選択した方法を学生らがどう判断するのか、ということはもとより、すでに幼少時代から洗練されたCG映像などに見慣れている、いわばある意味で目のこえた彼らがこの作品を初めて見た時、今よりも格段に技術が劣る30年以上も前のテレビ特撮のチープさをどう受け入れるのか、ということであった。
 上映が始まると、人間が中心のドラマパートでは静かであったが、主人公が苦しみながら怪獣になってしまうシーンや、スペクトルマンに倒されるシーンでは、本来悲しいパートのはずであるが爆笑が起こった。やはり怪獣造形の滑稽さが喜劇にしてしまった模様であるが、一方で、主人公と仲良くしていた犬が巨大化して犬怪獣になり、スペクトルマンに両腕を切断されて鮮血を画面いっぱいに吹き出しながら絶命するシーンには、一部悲鳴も起こったりもした。ここの部分で、円谷作品と一線を画したピープロの毒気が多少は伝わったであろうか。
 しかし、上映後のこの作品の感想についてのレポートに目を通すと、学生の間にこの作品に対する微妙な温度差、感じ方の差異があるのがわかって非常に興味深い。レポートの内容は後日詳しく触れるとして、以下に上映の前に学生に配布した作品解説を添付する。

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名古屋芸術大学 芸術療法講座
「美術史から読み解く疾病論・医学概論」第14回

【上映作品解説】 
「スペクトルマン」第48話・第49話(1971年・ピープロダクション制作)
 「スペクトルマン」は、1971年から1972年にかけて、ピープロダクションにより制作された特撮怪獣番組である。
 当時の日本において特撮作品をリードしていたのは円谷プロであり、円谷プロは「ウルトラQ」に始まり、その後に「ウルトラマン」、「ウルトラセブン」と続いていく、いわゆるウルトラシリーズによって怪獣特撮というわが国独自の様式を完成しつつあった。円谷英二によってその概念が確立された「怪獣」たちは、生物ではあるけれども、動物などとは異なる超自然的な存在として描かれ、倒される時も、流血するような生々しい描写は円谷の考えによって極力避けられた。それに対抗する形で現れた作品が「スペクトルマン」であり、円谷の怪獣が超自然的であるならば、スペクトルマンは徹底したリアリズムにこだわったのである。
 たとえば、怪獣を倒す防衛チームであるが、ウルトラシリーズの場合、「科学特捜隊」、「ウルトラ警備隊」、「MAT」、「ZAT」といった防衛チームは、官僚組織を中核にしたエリート集団であるのに対し、スペクトルマンにはそのような防衛組織は登場せず、その代わりに東京都公害調査局分室の「公害Gメン」(後に「怪獣Gメン」に改変)という都の職員たちが防衛にあたる。登場する怪獣たちも、当時のわが国の世相を反映し、公害怪獣、ゴミ怪獣、地震怪獣、そして物語のプロットの中には臓器移植問題、受験戦争、交通戦争、オイルショックといった70年代のわが国が抱えていた社会問題が随所に挿入されている。ここにおける怪獣の姿とは、まさしく時代・世相の「病」をメタファーにして生まれたものであり、その異形の身体が、病んだ我々の「心」と「身体」を投影しているともいえる。
 その中で、本作エピソードの第48話「ボビーよ怪獣になるな!」・第49話「悲しき天才怪獣ノーマン」は、SF文学で最も権威のあるネヴュラ賞を受賞したダニエル・キイス原作「アルジャーノンに花束を」をオマージュした傑作である。
 知的障害者の青年と彼のペットであるネズミとの友情を描いた「アルジャーノンに花束を」は、近年舞台やTVドラマで多くリメイクされているが、本作の場合、原作にはない悲劇性を持たせることによって、障害者医療におけるQOL(Quality of Life)の問題に、より深く肉薄しているといえよう。
 物語は、小さな町のコミュニティで住民とともに共生して生活している知的障害者の三吉青年が、人並みに生活したいと願ったことから知能を向上させるための脳外科手術を受けるところから始まる。そして、人並み以上の能力を獲得した三吉青年は、彼をとりまく環境や人間関係の変化や、致命的な副作用という大きなリスクを負うこととなる。
 本作は、知的障害者の置かれた立場やそれにまつわる差別というナイーブな問題をテーマとし、実際にストーリーの構成上、知的障害者に対する差別的表現があるために、今では地上波では放送される機会が失われた。だが当時の子供向け番組とはいえ、後世に残る名作である。(「芸術療法講座」講義内で配布)

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20. Oktober 07

【名古屋芸術大学・芸術療法講座】第13回講義 モダニズムにおける新しい「死」と「病」の概念(2)

美術史から読み解く疾病論・医学概論 第13回講義
モダニズムにおける新しい「死」と「病」の概念(2)
~近代腫瘍学との関わり

【医学年表】
1942年 マスタードガスの誘導体であるナイトロジェンマスタードが、悪性リンパ腫
      に有効であることが示され、抗癌剤の第一号となった。 (アメリカ)
1944年 スプレプトマイシンを開発(アメリカ)
1948年 クロロマイセチンを開発(アメリカ)
1949年 リドリーにより、眼内レンズの最初の移植が実施された。 (イギリス)
1950年 日本で胃カメラを開発(オリンパス工業)
1952年 ソークは、最初の小児麻痺(ポリオ)ワクチンを開発。 (アメリカ)
1953年 シャーマン・ブンケにより凍結精子で初の人工授精児誕生 (アメリカ)
1957年 ウォルターは、脳波測定法を開発。 (イギリス)
     エリック・アイザックスら、インターフェロンを発見・命名。(イギリス)
1964年 麻疹の最初のワクチンが開発された。(アメリカ)
1965年 パントリッジは、最初の携帯用の細動除去器を導入。 (イギリス)
1967年 バーナード、世界初の心臓移植を行う。(南ア共和国)
1968年 アメリカでX線CT装置が開発される。
1970年 風疹の最初のワクチンが開発。 (アメリカ)
1973年 ラウターバー、核磁気共鳴画像法(MRI)の研究を発表。 (アメリカ)
1978年 世界初の体外授精児誕生 (イギリス)
1982年 HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の発見。
1996年 体細胞クローンの子羊ドリー誕生 (イギリス)
1998年 ウィスコンシン大学、ヒトES細胞株の樹立に成功(アメリカ)

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15. Oktober 07

【名古屋芸術大学・芸術療法講座】第12回講義 モダニズムにおける新しい「死」と「病」の概念(1)

名古屋芸術大学・芸術療法講座

美術史から読み解く疾病論・医学概論 第12回講義
モダニズムにおける新しい「死」と「病」の概念(1)
~心理学、近代精神医学との関わり

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14. Oktober 07

【名古屋芸術大学・芸術療法講座】第11回講義 「国家」、「都市」と「身体」におけるインサイド/アウトサイド

名古屋芸術大学・芸術療法講座

美術史から読み解く疾病論・医学概論 第11回講義
「国家」、「都市」と「身体」におけるインサイド/アウトサイド
アウトサイダー・アート(アール・ブリュット)の台頭

 今回の要点は、20世紀に入って国民国家主義が台頭してきたことと、それにともなう公衆衛生概念の変化が、人間の「健康な身体」に対する意識形成にどう影響したかということの考察である。
 まず、国家がめざす「健全な身体」像が国民に提示されたことによって、人々は、より好ましいスタンダードな身体=「健全な身体」を希求するようになる。そして、健全なるもの(正常)と、そうでないもの(異常)とを区別するようになるわけだが、はたしてこの「正常」「異常」の線引きは、明確な根拠や基準があって、きっちりと分けられるものなのかどうか、まず疑いをもつことから講義はスタートする。
 最初に私は、自身のドック検診のデータを学生に提示した。検査データの横には、WHOが提示している標準値(正常値)を併記した。私の身体データはすべて正常値に納まっているが、これがもし、5ポイントか6ポイント、わずかではあるが正常値から外れた場合、こいれを「異常」と捉えるのか否か、という問題について考えた。例えば、もしこのままこの数値が今後も動かなければ、これは誤差の範囲内での被験者の「体質」ともいえるわけで、昨今、テレビでの健康情報番組などの影響なのか、あまりにも検査結果の数値をストイックにとらえてしまうことによって、かえってストレスを感じてしまい、そちらのほうで体を壊すというナンセンスさを例示してみた。
 次に具体的な例として、おもに西アフリカ系民族が持っている「鎌状赤血球遺伝子」の話をする。これは医療人類学でもしばしば取り上げられる事例であるが、鎌状赤血球遺伝子を持った人は、赤血球が三日月状に変異する「鎌状赤血球貧血」を発症すると、貧血や血栓などの症状が出て、体に害を及ぼすが、一方で、ヒトの赤血球に寄生するマラリア原虫は、この鎌状赤血球遺伝子を持った赤血球に寄生しても、壊れやすい赤血球の組織と一緒に潰されてしまい、マラリアが発症しない。
 言い換えると、ある限定された地域の人たちは、この遺伝子を持っているおかげで、マラリアには罹らず、結果的に「種の保存」という大原則でみた場合、単に劣性遺伝子とはいえない、ということである。
 ようするに、われわれが、固定観念のもとに判断してしまう「正常」「異常」とは、実はその境界線は微妙なものであり、そんなにすっきりとは区別できないものである。
 以上のようなことを踏まえてから、今回は、何らかの理由で先天的または後天的に心身に異常を持っているアーティストが制作した芸術作品、いわゆる世間ではアウトサイダー・アート、またはアール・ブリュットと呼ばれているものを数点見たあと、東京にある障害者プロレス団体「ドッグレッグス」の試合の動画の一部を上映した。
Doglegs
天願大介監督「無敵のハンディキャップ」

 ここで私が問いたかったのは、同じ障害者の行為であっても、なんで音楽や美術や詩などのたぐいの芸術活動は、世間一般の目に触れる機会が多いのに、プロレスやお笑いはダメなのか、という問題である。
 ドッグレッグスの試合についても学生にレポートを書いてもらったが、やはりほとんどの学生がこんな障害者たちがいることを知らなかった模様である。レポートについては後日詳しくふれるが、ここで少し補足すると、たとえば、

“障害者というと、作業所などで軽作業をしたりするイメージがあったので、衝撃的だった”

 という内容のレポートを書いてきた学生が多くいた。その一方で、身近に障害者がいるらしき学生が、障害者というと世間からは前者のように見られがちだが、むしろそのことに違和感を覚える、という趣旨のレポートを書いてきている。
 ようするに、芸術活動や食品製造などで自立自助をしている障害者の姿は、一般的にみて好ましく見えるようがだ、まずそこに疑いをもたなければいけない。われわれは彼らと接するときに、実は常に「世間」というものがつくった「道徳」とか「良識」という踏み絵を踏まされているということだ。
 われわれが、“芸術活動は素晴らしい行為だ。プロレスやお笑いは見世物だ。”と思った瞬間に、障害者に対する実に定型的な認識とともに、われわれの心の奥底に潜んでいる欺瞞性があぶりだされるのである。

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13. Oktober 07

【名古屋芸術大学・芸術療法講座】第10回講義 「表現主義からシュルレアリズムへ」

名古屋芸術大学・芸術療法講座

美術史から読み解く疾病論・医学概論 第10回講義
1.表現主義からシュルレアリズムへ
~肥大する「こころ」と「身体」~
2.「異形」をめぐるメタファーとしての病

【医学年表】
1885年 パスツール、狂犬病ワクチンの製造に成功する。 (フランス)
1890年 エミール・フォン・ベーリング(ドイツ)と北里柴三郎、抗毒素を発見し、
      破傷風ならびにジフテリアのワクチンを開発した。
      コッホ、ツベルクリンを製造する。(ドイツ)
1895年 ヴィルヘルム・レントゲン、X線を発見。(ドイツ)
1897年 ホフマンによりアセチルサリチル酸が合成される。(ドイツ)
1898年 キュリー、ラジウムを発見(フランス)
1901年 ランドシュタイナー、血液型を発見。 (オーストリア)
      ノーベル賞創設(スウェーデン)
1906年 ワッセルマン、梅毒の血清反応を考案(ドイツ)
1907年 エールリッヒは、眠り病に対する化学療法を発見。 (ドイツ)
1908年 ホースレー、脳手術の定位固定法を確立。 (イギリス)
1910年 パウル・エールリッヒと秦佐八郎がサルバルサンを合成。
1921年 エドワード・メランビー、ビタミンDを発見。 (イギリス)
1928年 アレクサンダー・フレミングがペニシリンを発見。 (イギリス)
      ベンゲル、脳波を発見(ドイツ)
1932年 ゲアハルト・ドーマク 、連鎖球菌に対する化学療法を発見。 (ドイツ)
1933年 マンフレッド・サケル、精神病治療にインシュリン・ショック療法。
1934年 ルスカ、電子顕微鏡を発明(ドイツ)
1935年 メドナ、精神病治療に痙攣療法を提唱した。 (ハンガリー)
1936年 アントニオ・エガス、ロボトミー手術を提唱した。 (ポルトガル)

(日本)
1889年 北里柴三郎、破傷風菌の培養に成功する。
1894年 北里柴三郎、エルザン(フランス)、ペスト菌を発見する。
1897年 滋賀 潔、赤痢菌を発見する。
1900年 高峰譲吉ら、アドレナリンの純粋分離に成功する。
1906年 田原 淳、心臓の伝導系(田原氏結節)を発見
1911年 鈴木梅太郎、オリザニンを創製。
1913年 野口英世、梅毒スピロヘータを発見する。
1915年 山極勝三郎、市川厚一、人工タール癌の発生に成功
      稲田竜吉・井戸 泰、レストスピラを発見する。
1926年 三宅 速、胃癌における「ボールマン分類法」を日本に伝える。
1932年 吉田富三、佐々木隆興、肝臓癌の人工発生に成功する。

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09. Oktober 07

【名古屋芸術大学・芸術療法講座】第9回講義 「狂気の原風景」~印象派に投影された精神と身体の変容~

名古屋芸術大学・芸術療法講座

美術史から読み解く疾病論・医学概論 第9回講義
 「狂気の原風景」~印象派に投影された精神と身体の変容~

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08. Oktober 07

【名古屋芸術大学・芸術療法講座】第8回講義 西洋戯画の中の「生・老・病・死」~「死」と「舞踏」

名古屋芸術大学・芸術療法講座

美術史から読み解く疾病論・医学概論 第8回講義
西洋戯画の中の「生・老・病・死」~「死」と「舞踏」

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07. Oktober 07

【名古屋芸術大学・芸術療法講座】第7回講義 「ラファエル前派に描かれた恍惚の女性像」~「卒倒」「昏睡」の美学と麻酔学の関わり

名古屋芸術大学・芸術療法講座

美術史から読み解く疾病論・医学概論 第7回講義
「ラファエル前派に描かれた恍惚の女性像」~「卒倒」「昏睡」の美学と麻酔学の関わり

【医学年表】
1816年 ラエネック、聴診器を発明する
1831年  トーマス・ラッタ、ヒトの静脈内への生理的電解質溶液の注入に成功
      輸液療法(点滴)の夜明け(イギリス)
1833年 ミュラー、「人体生理学提要」を出版(ドイツ)
1846年 モートン、エーテル麻酔に成功(アメリカ)
1855年 ベルナール、肝臓のグリコーゲン生成機能を発見(フランス)
1858年 ウィルヒョウ、細胞病理学説を唱える(ドイツ)
1859年 ダーウィン、「種の起源」を発表(イギリス)
1860年 ゼンメルワイス、産褥熱の予防に消毒の必要を主張(ハンガリー)
1865年 メンデル、遺伝法則を発表(オーストリア)
1867年 リスター、石炭酸殺菌法を発明(イギリス)
1876年 コッホ、炭疽病菌の培養に成功(ドイツ)
1879年 ナイセル、淋菌を発見(ドイツ)
      ハンセン、らい菌を発見(ノルウェー)
1882年 コッホ、結核菌を発見(ドイツ)
      リンガー、リンゲル液を発明(イギリス)
1883年 クレプス、レフネル、ジフテリア菌を発見(ドイツ)
1884年 ニコライエル、破傷風菌を発見(ドイツ)

(日本)
1804年 華岡青洲、全身麻酔法を用いて、乳癌の手術を行う。
1815年 杉田玄白、「蘭学事始」
1823年 シーボルト、蘭学医として来日。鳴滝塾を開く
1838年 緒方洪庵、適塾を開く
1843年 佐藤泰然、佐倉に順天堂を開く
1848年 蘭学医モーニッケが聴診器、エーテル麻酔法を伝える
1849年 長崎で牛痘接種が始まる
1858年 幕府、江戸に種痘所を開く
      コレラ大流行
1861年 長崎養生所設立
1868年 明治政府、医学校を敷設
1869年 明治政府、医学の規範をドイツにとる方針を決める
1871年 ドイツ人医師ミュレル、ホフマンが来日
1874年 医制制定
1867年 ドイツ人医師ベルツ来日。
1877年 東京大学創立。

 医学と芸術の間に、何か共通する座標軸のようなものがあるとすれば、それは素描的視点、つまりデッサンという行為と臨床学的眼差しであると、私は著書「アート×セラピー潮流」の中でも一貫して主張してきた。
 それは、表層に表れた微量の変数に気づき、それを正確に写し取る能力であり、アートならば、それが質感・量感・パースペクティヴの認識へとつながり、臨床学ならば、それは身体の些細な生命活動の変動もすくいあげていくという根気と忍耐力のいる作業でもある。
 私は著書「アート×セラピー潮流」の中では、スコットランドの医師トーマス・ラッタがコレラの治療に関して1832年に書いた論文と、イギリスの生理学者シドニー・リンガーが点滴のリンゲル液を発明中に書いた1883年の論文(詳しくはリンガー研究ブログを参照http://ringer.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_920a.html)を取り上げ、彼らの論文が、いかにデッサン的であるかを示した。(ラッタの詳しい評伝は、以前CC Japan誌に発表した内容を要参照http://ringer.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/a_b615.html) その一方で、イギリスで興った芸術運動「ラファエル前派」の画家たちの作品を取り上げ、そこに描かれた愁いのある表情の女性像の中に、どんな生命活動が読み取れるであろうか、という事を、臨床学に置き換えてアプローチしてみた。

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ミレー「オフェーリア」(1852)

 例えば、有名なミレー作「オフェーリア」であるが、この湖に身を投じた女性の表情を見るかぎり、それが死んでいるのか昏睡なのかわからないのだが、魅惑的な表情の表層に表れた、極めて微量な生命の兆しがまだ残っていることを認識できる。ロセッティの多くの作品に登場する女性像もそうだ。
 彼女たちは、限りなく死に近い状態にいながら、「屍」として存在しているのではない。この状態ともっとも共通するのが、19世紀にイギリスで開花した全身麻酔下の身体である。 全身麻酔下の身体とは、意識下の能動的な生命活動がすべて沈黙した状態だ。そして全身麻酔を施されたような病的な表情で誘惑する女性像には、古典文学的な闘病記に登場する結核の病者と共通する退廃的なエロスが存在する。
 麻酔という行為にエロスを感じるのは理由があって、それは、人間がヒステリー状態になった時に起こす「卒倒」や「失神」という心身ともに無防備な行為が、当時のイギリスでは女性特有の神経症状であると認識されていたのが原因の一つにあげられる。
 芸術療法講座では、ラファエル前派のこのような時代背景に重点を置き、学生らには、スライドでオフェーリアの作品を観察しながらそれをデッサンし、その次にオフェーリアのカルテを作成してもらうというワークショップを試みた。

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ロセッティ「ベアータ・ベアトリクス」(1864-70)

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ロセッティ「ベアトリーチェの死のときのダンテの夢」(1871)

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ロセッティ「受胎告知」(1850)

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06. Oktober 07

【名古屋芸術大学・芸術療法講座】第6回l講義 「戦争群像画におけるカタルシス」~回復装置として機能する解毒空間~

名古屋芸術大学・芸術療法講座

美術史から読み解く疾病論・医学概論 第6回講義
 「戦争群像画におけるカタルシス」~回復装置として機能する解毒空間~

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アルトドルファー「イッソスの戦い」(1528-29)

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ダヴィッド「サビーニの女たち」(1799)

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ダヴィット「テルモピュライのレオニダス」(1814)

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ドラクロワ「ポワティエの戦い」(1830)

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ヤン・マティコ「グルンヴァルトの戦い」 

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05. Oktober 07

【名古屋芸術大学・芸術療法講座】第5回講義~キリスト教絵画における「病」と「手当」の概念

名古屋芸術大学・芸術療法講座

美術史から読み解く疾病論・医学概論 第5回 「キリスト教絵画における「病」と「手当」の概念」

 今回の講義は要点は2つ。
 まず1つは、近代的ホスピタルの形成とそれに寄与した修道院看護。それから2つ目は、宗教絵画の中で「病」はいかなるメタファーをもって描かれてきたかを学生らとともに考察することである。
 最初に修道院看護についてであるが、まず、今日では「看護」の意を表す“Nursing”という言葉が、実は「看護」の他にも「養護」「養育」という意味も持っていたことを説明した。つまり、中世の看護は、今日の病院医療のように病人に対してだけ特化して行われていたわけではなく、たとえば孤児、貧民、障害者、老人といった、いわゆる社会的弱者全般に対して向けられていたことの重要性に触れた。
 その制度の中でナーシングの役割を担っていたのが教会の修道女たちであり、彼らの衣・食・住すべての生活空間、すなわち修道院が近代的なホスピタルの前身である。そこで代表的なサン・マルコ修道院、サン・ガレン修道院の見取り図を提示し、そこの中での修道女たちの実際の生活風景を、私がロンドンから資料として持ち帰った20点ほどの写本で見せた。
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修道院での薬草摘み(16世紀中期)

 これを見ると、修道院の中では、看護のほかに、薬草摘み、薬草の調合、家畜の飼育、食物の栽培、パンなどの製造はもとより、瀉血や入浴療法といったことが行われ、生活全般を賄うだけの施設として機能しており、修道女たちや僧医(教会付きの医師)の自給自足の生活空間として成立していたことが理解できるであろう。それは、現代に例えるならば、ライト・コレクティヴやグループホームといった居住形態と比較すると面白い。
 ここでどうしても触れなければならない人物がいる。それは近代看護に大きく寄与したと評価されているナイチンゲールという人物についてである。
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聖トーマス病院(ロンドン、井上撮影)

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ナイチンゲール博物館パンフレット(聖トーマス病院と隣接している)

 多くの学生も、ナイチンゲールについては伝記などで定型的なイメージを持っている。ここで私が特に強調しておきたかったのは、ナイチンゲールを従来のように博愛主義一辺倒では取り上げない、ということだった。
 確かに看護史というパラダイムから見れば、ナイチンゲールのさまざまな試みは評価できる点は多々あるのは事実だ。しかし一方で、ナイチンゲールが推奨した博愛精神というものに今一度疑いを持つことも必要である。その一つとして、例えばナイチンゲールの師匠である外科医パークスは、ナイチンゲールとともに様々な戦地に従軍したが、当時の彼ら、つまり大英帝国がやっていたのは資源や食糧をめぐる植民地戦争であるということから目を逸らしてはいけないのだ。とかく美談で語られることの多いクリミア戦争での戦績にしても、これはアヘンをめぐる利権争いの何物でもない。しかも、博愛精神を謳いながらもナイチンゲールは、自国の植民地戦争をある程度容認し、以後もそのことについて公式に自己批判することはほとんどなかったのである。少なくても、私が知る限り、そのようなアーカイブを公文書という形でいまだ見つけられないのである。
 おそらくわが国の看護大学で、ナイチンゲールについてこのようなアプローチから教えるところはないであろう。しかし、芸大生ならば、公平な目で歴史の事実を俯瞰できると考えたので、あえて私は定型的な伝記類で必要以上に美化され評価されてきたナイチンゲールのダークな部分にも言及した。普段から、「作品」というメディアを通してクリティカルな精神を磨いているはずの芸大生ならば、この意味がわかるだろう。

 講義の後半は宗教絵画で描かれたメタファーとしての「病」についてである。
 講義では、ウッチェロ、フィリッポ・リッピ、フラ・アンジェリコ、グリューネヴァルトらの作品を取り上げた。
 まずその中から、フラ・アンジェリコ作「助祭ユスティアヌスの治療」という作品である。
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フラ・アンジェリコ「助祭ユスティアヌスの治療」(1445)

 この作品については有名な逸話が残っている。まず、画面の中で描かれた空間は、アンジェリコが所属していたサン・マルコ修道院の一室である。そこに横たわるユスティアヌス王は、片方の足を脱疽に冒されており、それを見守るように聖コスマスと聖ダミアヌスの2人の守護聖人が寄り添っている。この2人の守護聖人が施そうとしているのは、ユスティアヌスの腐った片足を切断し、その切断面に戦争で死んだエチオピア人の足を新たに付け替える作業である。
 この時代に移植医療のような概念が登場するとは驚きではあるが、実際は移植という部分にこの作品の要点があるのではない(もっともこの時代の外科学に、血管縫合、神経縫合、感染症のケア、疫学的概念が成立していたわけもなく、これは物語の中の「奇跡」のメタファーとして捉えるほうが自然である)。この作品の要点は、「祈り」にもとずく奇跡を体現するための通過儀礼である。
 実際にこの作品に現れたエピソードとは、ユスティアヌスが夢の中で体験したことなのである。つまり、夢の中で病を克服することが、「癒える」ことへの「通過儀礼」として働いているのだ。
 これは、現代の芸術療法の現場で実践されているイメージ療法などと共通する部分がある。イメージ療法とは欧米由来の精神療法で、おもに癌をはじめとする難治性疾患のケアの現場で発展を重ねてきた。例えば、白血病の子供に自分の体内の白血病細胞と、それを攻撃するキラーT細胞が勇ましく戦う空想画などを描かせ、そこで、子供が自分の病と立ち向かうモティベーションを高めさせる、というものである。当初、この療法は精神療法の一つとして考えられていたが、その後の研究で、実際に免疫細胞が活性化する場合もあることが分かってきた。
 わが国では、大阪大学が、癌患者に「お笑い」を見せて、患者を明るい気持にさせることで、免疫細胞がどれだけ活性化されるか研究を始めている。

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グリューネヴァルト「聖アントニウスの誘惑」(1515)

 次に、グリューネヴァルト作「聖アントニウスの誘惑」という作品である。この題材は、これまで多くの画家が題材にした有名なモティーフである。
 この作品の表題にある聖アントニウスとは、かつての修道院制度の創始者である。後のリシェをはじめとする研究者たちは、画面の中で悶え苦しむ人々を苦しめている病は、その聖人から名をとった「聖アントニウスの火」という疫病であると分析している。
 「聖アントニウスの火」とは、麦に麦角菌(エルゴット菌)が寄生して発生する食物病虫害の一種で、この疫病に冒された麦や麦製品を食べると、幻覚をともなう激しい中毒症状を起こして死にいたる。画面の中で多くのクリーチャーが病人に執拗に群がる様は、LSDと似た幻覚作用をもたらすエルゴット菌の毒素で神経を冒された人々が幻覚として見る地獄絵図なのである。この光景は、古くから西洋の写本などで表わされてきた「死の舞踏」のような寓話や戯画的要素を感じ取れるが、実は、この光景は、グリューネヴァルトが実際に疫病で死んだ病人の遺体安置所で描いたデッサンが下敷きになっていることを知った時、この作品の見方もだいぶ変わってくるだろう。

 
 

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04. Oktober 07

【名古屋芸術大学・芸術療法講座】第4回講義「中世・ルネサンスで描かれた医師像と患者像」

名古屋芸術大学 芸術療法講座

美術史から読み解く疾病論・医学概論 第4回 「中世・ルネサンスで描かれた医師像と患者像」

 芸術療法講座の第4回は、中世からの主に写本を中心とした図版の中から、医師や患者について描かれたものを多く学生に見せた。今回のポイントは、医学の概念が古代ギリシャ時代からルネサンスにかけて、大きく転換していく様子を、年表だけではなくビジュアルで理解してもらうことである。
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「神」としての医師(16世紀オランダ)

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「人間」としての医師(16世紀オランダ)


 古代ギリシャの医者たちは、科学よりも「神」に近い存在であり、その治療も呪術的な要素が含まれていた。人間の身体に対する認識も、後に登場するレオナルド・ダ・ヴィンチのように解剖という手法を使って論理的に理解するものではなく、それぞれの医師の観念に基づくものである。その最たる例が、ガレノス、アリストテレス、ヒポクラテスらが認識していた「四要素」・「四体液説」である。
 彼らの主な考えによると、人間の身体には例えば、血液・粘液・胆汁・黒胆汁の4種類の体液が存在していて、その4つの体液が調和することによって健康を保つことができるという考え方である。もちろんこれは現在の科学では誤りであり、それは後々の科学者たち、レオナルド・ダ・ヴィンチ、パラケルズス、ヴェザリウスらの科学的実証によって覆され、さらにハーヴェイが「血液循環」論を提唱したことで、ギリシャの医学の神々が言っていたことは闇に葬られたかたちになる。そして中世以降、「神」の座にいた超自然的存在であった医者たちが、人間社会の生活の中に降りてくるのである。
 授業内では、中世以降の人々の日常の生活の中で描かれた、多様な医師の姿と患者の姿の図像を30点ほどと、レオナルド・ダ・ヴィンチの代表的な解剖図を見せた。
 ここで補足しておきたいのは、古代ギリシャの医師たちが言っていたことが、全て誤りである、ということではない。彼らが提唱したこと、そして医学に対する理念の中で、今日の我々が学ぶべきものは多々あるのも事実である。あと付けの科学史で彼らを見ると、認識の誤りばかりに目がいってしまうが、彼らの理念を読み取ることのほうが大事なのである。
 例えば「四体液説」の中で考えられている「病」の発生事由の中で、彼らは「調和」を崩すということをしばしば言うが、これは東洋思想における例えば道教で老子らが言っている「陰・陽」の相関関係や、闇(玄)の領域に生命のエネルギーが存在していることなどとも繋がるが、これはわれわれが健やかに生きていくための知恵であり、ストレス社会で多様の社会病理を抱えた現代では、むしろ学ぶべきことも多い。
 また一方で、観念的な医学から、医学を「科学」へと牽引していったルネサンス時代の科学者たちの功績も大きいのである。なぜなら、彼らは人間の身体を正確に把握するだけではなく、「病」の領域にも科学のメスを入れたからだ。それによって人々が「病」に対して持っていた誤った迷信による固定観念や、それによって「ケガレ」の存在として捉えられていた「病人」に対して、差別や偏見を排除した正しい眼差しを向けるきっかけを作ったからである。
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「牽引治療」(16世紀ドイツ)

 例えば、1590年にヤンセンが複合顕微鏡を発明したことは、人類が初めて「細菌」という未知の病原体と出会うきっかけを与え、それによって、古代においては悪霊や悪い神の仕業であったはずの「病」というものが、科学の目で補足されるようになり、内科的な診断術も格段に進歩していくからである。この科学の目は、病んだ人に向けられていた偏見を是正する一定の役割を果たしているといえよう。

【医学年表】
1452年 レオナルド・ダ・ヴィンチ生誕(ガレノス解剖学の誤りを科学的に正す)
1492年 コロンブスがアメリカ大陸を発見する(梅毒がヨーロッパ全土に伝播する)
1493年 パラケルズス生誕(ガレノス、アリストテレスらの四体液説を否定する。
      また、皮膚疾患などに水銀製剤を用いる)
1543年 ヴェザリウスが解剖書「ファブリカ」を出版する(ベルギー)
1575年 外科医パレが外科学書「パレ全集」を出版する(フランス)
1590年 ヤンセン、複合顕微鏡を発明する(オランダ)
1628年 ハーヴェイ、「動物の心臓および血液の運動」を出版する。
      血液循環論を提唱(イギリス)
1665年 フック、細胞の存在を発見(イギリス)
1668年 グラーフ、卵胞の存在を発見(オランダ)
1676年 レーエンフック、細菌の存在を発見(オランダ)
1677年 ハム、ヒトの精子を発見(ドイツ)
1733年 リンネ、動物、植物、鉱物の分類をおこなう(イギリス)
1761年 モルガーニ、病理解剖学を樹立(イタリア)
1772年 シューレ、酸素の存在を発見(スウェーデン)
1796年 ジェンナー、牛痘接種に成功(イギリス)

(日本)
1302年 梶原性全、「頓医抄」を著す。わが国最古の医学全集
1528年 阿佐井宗瑞、「医書大全」を出版
1649年 蘭学医カスパル来日。西洋外科の始まり
1690年 蘭学医ケムペル来日。「日本誌」を著す。
1706年 樽林鎮山、「紅夷外科宗伝」を著す。(パレ外科全集と陳実功
      「外科宗伝」を参考にしたもの)
1710年 新井白石、「西洋紀聞」・「采覧異言」を著す
1713年 貝原益軒、「養生訓」を著す
1722年 徳川吉宗、小石川薬園内に養生所を設立
1729年 香川修徳、「一本堂薬選」を刊行
1754年 山脇東洋らがわが国で初めて人体解剖を行う
1765年 多紀元孝、私立医学校「躋寿館」を設立する
1766年 香川玄悦、「産論」を出版する
1774年 杉田玄白、「解体新書」を出版
1786年 大槻玄沢、蘭学塾「芝蘭堂」を開く

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03. Oktober 07

【名古屋芸術大学・芸術療法講座】第3回講義 「古代ギリシャ・ローマ美術とヒポクラテス医学」~ホスピタルの誕生~

名古屋芸術大学 芸術療法講座

美術史から読み解く疾病論・医学概論 第3回 「古代ギリシャ・ローマ美術とヒポクラテス医学」~ホスピタルの誕生~

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02. Oktober 07

【名古屋芸術大学・芸術療法講座】第2回講義 「古代ギリシャ・ローマ美術とヒポクラテス医学」~「病」の起源~

名古屋芸術大学 芸術療法講座

美術史から読み解く疾病論・医学概論 第2回 「古代ギリシャ・ローマ美術とヒポクラテス医学」~「病」の起源~

【医学年表】
BC1800 ハンムラビ法典制定
BC1570 パピルスに医術の記録が記される(エジプト)
BC600~500 ススルタ大医典(インド)
BC460 ヒポクラテス生まれる(ギリシャ・コス島)
BC200 中国最古の医学書「黄帝内経」
AD129 ガレノス生まれる(ガレノスの四体液説)

(東洋医学)
AD552 仏教伝来
AD608 遣隋使小野妹子に医生が随行
AD701 大宝律令
AD754 鑑真(唐)が来日
AD984 丹波康瀬「医心方」 

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Medicine man(呪術医)の魔除け(シカゴ自然史博物館所蔵)

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旧石器時代の頭頂部手術痕(コペンハーゲン国立博物館所蔵)

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治療具を持ったMedicine man(ダーレム民俗博物館所蔵)

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ギニア線虫のための魔除け(ウェルカム財団医学史研究所所蔵)

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供物用石像(メキシコ国立人類学博物館所蔵)

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クノッサス宮殿の蛇の化身(考古学博物館所蔵、クレタ島)

112000bc
ヒポクラテス像(2000BC.)(国立考古学博物館・アテネ)

13
ポンペイの外科器具(国立考古学博物館) 

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