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21. Oktober 07

【名古屋芸術大学・芸術療法講座】第14回「スペクトルマン48話・49話」上映

 名古屋芸大での芸術療法講座の第14回は、「スペクトルマン」の中から第48話・第49話を上映した。
 「スペクトルマン」は1971年から72年にかけてピープロダクションによって制作された当時の子供向けの特撮怪獣番組である。この時代の特撮作品の本流は、「ウルトラマン」などで著名な円谷プロであるが、それと一線を画して異色の作品を制作していたのが漫画家でもあったうしおそうじ率いるピープロである。その中でも「スペクトルマン」は、当時の70年代のわが国が抱える様々な社会病理をプロットのみならず登場キャラクターにまでも反映させているところが興味深い。
 当初、この第14回目の講義で上映する予定の作品は、「スペクトルマン」のほかに候補として、寺山修司、三島由紀夫の作品も実は用意していた。最終的に「スペクトルマン」を選んだ理由はいろいろあるが、まず、寺山や三島の作品は、芸術作品として一定の評価を得ている作品であるし、今後も十分に寺山や三島の映像作品にはふれる機会が多々あると思った。
 一方で、今回上映した「スペクトルマン」の第48話・49話は、知的障害者の社会的差別や自立の困難さをテーマとしたものであり、本講座「芸術療法」で最初に掲げた、“人間にとって「病」とは何か”、“人が「病む」こととはどういうことなのか”といった医学概論的な視座に立った大きなテーマと深く関わる内容であること、またこのような内容から考えて、現在の放送倫理規程においては地上波では放映できないであろう内容であることも含めて、この機会にこの作品の上映を決定した。
 私が興味深かったのは、本作品の主人公である知的障害者の三吉君が自分のために選択した方法を学生らがどう判断するのか、ということはもとより、すでに幼少時代から洗練されたCG映像などに見慣れている、いわばある意味で目のこえた彼らがこの作品を初めて見た時、今よりも格段に技術が劣る30年以上も前のテレビ特撮のチープさをどう受け入れるのか、ということであった。
 上映が始まると、人間が中心のドラマパートでは静かであったが、主人公が苦しみながら怪獣になってしまうシーンや、スペクトルマンに倒されるシーンでは、本来悲しいパートのはずであるが爆笑が起こった。やはり怪獣造形の滑稽さが喜劇にしてしまった模様であるが、一方で、主人公と仲良くしていた犬が巨大化して犬怪獣になり、スペクトルマンに両腕を切断されて鮮血を画面いっぱいに吹き出しながら絶命するシーンには、一部悲鳴も起こったりもした。ここの部分で、円谷作品と一線を画したピープロの毒気が多少は伝わったであろうか。
 しかし、上映後のこの作品の感想についてのレポートに目を通すと、学生の間にこの作品に対する微妙な温度差、感じ方の差異があるのがわかって非常に興味深い。レポートの内容は後日詳しく触れるとして、以下に上映の前に学生に配布した作品解説を添付する。

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名古屋芸術大学 芸術療法講座
「美術史から読み解く疾病論・医学概論」第14回

【上映作品解説】 
「スペクトルマン」第48話・第49話(1971年・ピープロダクション制作)
 「スペクトルマン」は、1971年から1972年にかけて、ピープロダクションにより制作された特撮怪獣番組である。
 当時の日本において特撮作品をリードしていたのは円谷プロであり、円谷プロは「ウルトラQ」に始まり、その後に「ウルトラマン」、「ウルトラセブン」と続いていく、いわゆるウルトラシリーズによって怪獣特撮というわが国独自の様式を完成しつつあった。円谷英二によってその概念が確立された「怪獣」たちは、生物ではあるけれども、動物などとは異なる超自然的な存在として描かれ、倒される時も、流血するような生々しい描写は円谷の考えによって極力避けられた。それに対抗する形で現れた作品が「スペクトルマン」であり、円谷の怪獣が超自然的であるならば、スペクトルマンは徹底したリアリズムにこだわったのである。
 たとえば、怪獣を倒す防衛チームであるが、ウルトラシリーズの場合、「科学特捜隊」、「ウルトラ警備隊」、「MAT」、「ZAT」といった防衛チームは、官僚組織を中核にしたエリート集団であるのに対し、スペクトルマンにはそのような防衛組織は登場せず、その代わりに東京都公害調査局分室の「公害Gメン」(後に「怪獣Gメン」に改変)という都の職員たちが防衛にあたる。登場する怪獣たちも、当時のわが国の世相を反映し、公害怪獣、ゴミ怪獣、地震怪獣、そして物語のプロットの中には臓器移植問題、受験戦争、交通戦争、オイルショックといった70年代のわが国が抱えていた社会問題が随所に挿入されている。ここにおける怪獣の姿とは、まさしく時代・世相の「病」をメタファーにして生まれたものであり、その異形の身体が、病んだ我々の「心」と「身体」を投影しているともいえる。
 その中で、本作エピソードの第48話「ボビーよ怪獣になるな!」・第49話「悲しき天才怪獣ノーマン」は、SF文学で最も権威のあるネヴュラ賞を受賞したダニエル・キイス原作「アルジャーノンに花束を」をオマージュした傑作である。
 知的障害者の青年と彼のペットであるネズミとの友情を描いた「アルジャーノンに花束を」は、近年舞台やTVドラマで多くリメイクされているが、本作の場合、原作にはない悲劇性を持たせることによって、障害者医療におけるQOL(Quality of Life)の問題に、より深く肉薄しているといえよう。
 物語は、小さな町のコミュニティで住民とともに共生して生活している知的障害者の三吉青年が、人並みに生活したいと願ったことから知能を向上させるための脳外科手術を受けるところから始まる。そして、人並み以上の能力を獲得した三吉青年は、彼をとりまく環境や人間関係の変化や、致命的な副作用という大きなリスクを負うこととなる。
 本作は、知的障害者の置かれた立場やそれにまつわる差別というナイーブな問題をテーマとし、実際にストーリーの構成上、知的障害者に対する差別的表現があるために、今では地上波では放送される機会が失われた。だが当時の子供向け番組とはいえ、後世に残る名作である。(「芸術療法講座」講義内で配布)

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