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Juni 2007

07. Juni 07

ラジオドラマ『Die geheimnisvolle Frau(謎の女)』-再び

 NHKラジオ・ドイツ語講座『Die geheimnisvolle Frau(謎の女)』から相変わらず目が離せない。ヒトの脳神経細胞を活性化させ、コンピュータ並の演算能力と超人的な運動能力をもたらす新薬「ジェニーマハー」の開発に関わる薬学者カールが主人公の物語だ。現在のところ、この新薬開発を何かよからぬことに利用しようとする勢力と、新薬開発を妨害しようとする勢力がだんだんと顔を現しつつある。おまけに、やはりカールの命を狙っている者もいるようだ。まさに人間の欲望のるつぼの中にカールはいる。
 ところで、この新薬開発をめぐる物語の中で、私はある2つのSF作品をすぐに思い浮かべた。ひとつは、SF文学賞でもっとも権威のあるとされるネビュラ賞を受賞したダニエル・キイスの名作『アルジャーノンに花束を』と、1970年代の日本の特撮作品『スペクトルマン』(ピー・プロ)の第48話「ボビーよ怪獣になるな!!」、第49話「悲しき天才怪獣ノーマン」である。 
 『アルジャーノンに花束を』は、わが国でもドラマ化・舞台化をされるなど、ファンが多い作品だ。知的障害の青年が動物実験を経て脳の改造手術を受けることで、高い知能を獲得するのだが、それによって青年が得たものと失ったもの、人間にとっての真の幸福とは何かを鮮烈に訴えかける作品である。一方、この作品の邦訳ともいえる『スペクトルマン』第48話「ボビーよ怪獣になるな!!」、第49話「悲しき天才怪獣ノーマン」も同様に、大脳生理学者から脳手術を受けて高い知能を得た青年が、次第に人間の姿ではなくなっていく様子を恐怖と悲哀にみちた表現で描き、青年は、自分の死と引き換えに自分の中にわずかながら残された人間としての良心によってのみ救われるというような、実際にはほとんど救いようのない最期を迎える。
 このような物語で設定されるのは、人間が何を得る替わりに何を失うのか、という神との取り引きであり、多くの場合、失ったものの方の大きさに気づいたりする。
 物語の中盤にさしかかってきた『Die geheimnisvolle Frau(謎の女)』も、主人公のカールが、その神との取り引きの中で、どのような選択をするのか興味深い。また彼の同僚で友達以上恋人未満といったところのリーザも、どんな行動をとるのだろうか。いずれにしてもシュミット博士にだけは気をつけろ。

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06. Juni 07

名古屋ボストン美術館『アメリカ絵画 子どもの世界』

 現在、名古屋ボストン美術館では『アメリカ絵画 子どもの世界』展が開催中である。この展覧会がスタートしたのが今年の3月17日で、開催期間は8月19日までと長く、場所も名鉄「金山」駅前とアクセスもたいへんに良い。
 一般に、アメリカ絵画、またはアメリカ美術という言葉から連想されるのは、まず第一にウォーホルを筆頭とするポップアートであろう。普段からアートにはあまり関心のない人でも彼の作品や、あるいは彼の作品の亜流といえるような広告ならば、どこかで一度は目にしているであろう。工業製品から食品にいたるまでマス・プロデュースされたアメリカの断片──社会学者ジョージ・リッツァーの言葉を借りるならば“マクドナライゼーション”された社会の断片を切り取る彼の作品は、今もって今日的でもある。一方で、アートに多少の関心のある人ならば、スーパー・リアリズムや現代アートの作家たちの名前が浮かんでくるかもしれない。たとえば、1985年にアメリカ大使館などの後援で新宿・伊勢丹美術館で開催された『スーパーリアリズム展』は、当時わが国のイラストレーション・シーンにおいてエアー・ブラシによるスーパーリアリズム(あるいはハイパーリアリズム)的技法が流行していた状況下で、絵筆も駆使したその技法に多くの興味が注がれた。しかしそのために、作品の重要な社会的背景、いわゆるベトナム戦争を経て生成された「アメリカの病」という成分は濾過されたかたちで、新しいアメリカン・リアリズムとして見た人の記憶に焼き付いている。
 現在名古屋ボストン美術館で展示されている絵画は、そのいずれでもない。ここに展示される作品は、南北戦争を経たアメリカの近代である。このような作品がアメリカ絵画という単体として一堂に集まるのは稀であり、それだけでも貴重な上に、作品のテーマを「子ども」としたこともユニークである。
 ここに描かれた子どもたちは実に様々な顔を持っている。近代という時代は、まさにアメリカという国がフォスターのフォークソングによって体現されていた農業国家から徐々に工業国家へと移行する時代であり、近代という夜明けに夢や希望を抱きつつも、現実には歴然とした格差が存在している。画家たちは、このような混沌とした状況の中で、見た目には、健康状態、発育状態ともに良好に映る子どもたちを多く描いている。技法はクリザイユなどの西洋絵画古典技法がベースになっており、画風としてはヨーロッパ中流階級のポートレイトにも見えなくもないが、実に不自然な面も見ることができる。それは、本来もっと悲惨な姿をさらけ出すはずの貧しい子どもたちも、他の中産階級の家庭の子どもたちと同様に健康的に描かれていることだ。
 たとえば、ジョン・ジョージ・ブラウンの『疲れ切った靴磨きの少年』という作品だが、暗い背景には確かにほころびのある服を着た少年が、一日の過酷な労働の後に疲れきって壁に寄りかかるようにして休んでいる。しかしその少年の身体の発育状態は良好で、顔色も良く、このような状況から、貧困層の子どもにみられる貧血やビタミン欠乏といった様子は見て取れない。これは、当時の画家たちが、富裕層からパトロンを得るために、彼らに気を使い、彼らが目を向けたくない現実──つまりは、子どもたちの間には悲惨な格差が存在し、それが長らく放置されている状況をあえて描かなかったのだという。同じリアリズム絵画でも、たとえばスーパー・リアリズム絵画がすべてのアメリカの現実・日常を公平かつ冷静に平面化することで、アメリカ社会を批評したのとは対照的である。
 当時の子どもたちの置かれた状況を医学史、公衆衛生学の点から考察するともっと分かりやすい。この時代の子どもたちを健康的に苦しめていたのはポリオなどを始めとした伝染病などである。これにより、高熱による脱水や下痢などで多くの乳幼児が死んだ。これを食い止めようと、内科ではなく小児科の分野で輸液療法(点滴)が発達していったのは必然である。現代の輸液療法の基礎を築いたアレクシス・ハルトマン、ダニエル・ダロウ、アラン・マーシー・バトラーらの代表的なアメリカ人医学者たちは、全員小児科医出身であり、彼らの祖先がこの南北戦争時代に欧州、おもにドイツ、イギリスから入植したのだ。また彼らは、小児科という診療分野に「養育」という概念も体系的に入れて、小児の発育格差の是正にも取り組んだのだが、それは困難を極めた。
 このように見ていくと、アメリカ近代絵画に描かれた世界や時代背景は、アメリカ近代医学が急速に加速しながら格差を生み、それが現在に至ってもいまだ解決されていない現実とも強く結び付いているように思う。

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01. Juni 07

ラジオドラマ『Die geheimnisvolle Frau(謎の女)』(ラジオ・ドイツ語講座)

 現在NHKラジオ第2放送で放送中のドラマ『Die geheimnisvolle Frau(謎の女)』がなかなか面白い内容である。実はこれ、ラジオ・ドイツ語講座で放送中のプログラムなのだが、あえて“ドラマ”と書いたとおり、単なる語学学習という領域を超えて、1つのストーリーとしても楽しむこともできる。
 物語は、製薬会社で脳神経細胞を活性化させる新薬を開発しているカール・リュープナーという主人公の薬学者が、列車の中で正体不明の女と相席になるところから始まる。カールはこの女が何者なのか不審に思い、いろいろなことを質問するが、女は一向に正体を明らかにする様子がない。そうこうしているうちにカールは車内で注文したコーヒーに薬物を入れられたようで、眠っている間にこの女にカバンを盗まれてしまうのだ。まずこのイントロ部分だけでも、語学講座としてのいろいろな工夫がみられる。
 会話を中心とした語学講座の場合、どことなく取ってつけたような挨拶や自己紹介文などが凡例として挿入される場合が多い。多くの人が中学・高校時代に英語を楽しめなくなってしまうのは、こういったつまらないテキストにも問題があるのではないか。その点、今回のドイツ語講座は、なかなか工夫していて、例えば、物語の初回で一番最初に登場する言葉は、やはり「Guten Tag !」ではあるが、これはある目的を持って主人公カールに近づこうとしているこの「謎の女」が、カールの空いている隣の席に座るために、初対面の彼に向ってかけた最初の言葉であるから、ストーリーの上に載せても違和感はない。次いで、2人の会話の中に、「Wohin fahren Sie ?」(どちらへ?)、「Was sind Sie von Beruf ?」(ご職業は?)といった初級会話で必ず目にするものが多く登場するが、これにしても、主人公カールが正体不明の女に対して言うセリフであったり、また女がさりげなくカールをプロファイルするために聞いてきているのがわかるので、まったくストーリーの邪魔にならない。しかも女がカールに言い放った「Ich bin niemand.」(私は何者でもない)などというセリフは構文的にはシンプルだが、このストーリーにおいては非常に象徴的なセリフなのが後になってわかるのである。
 このようにリスナーは、毎回流れる短いスキットで違和感なくストーリーの展開を追いかけながら、その副産物としてドイツ語特有の人称変化、格支配、話法の助動詞、接続法、副文構造などの複雑な独文法を知らず知らずのうちに習得している、という狙いがあるようだ。
 ところで、この『Die geheimnisvolle Frau(謎の女)』は、ストーリー自体も今日的内容であるといえる。このストーリーではジェニーマハー(Geniemacher)という夢の新薬の開発競争がテーマの重要な骨子の一部となっている。この新薬はヒトの脳神経細胞を活性化させ、それによって記憶力が超人的にアップするらしい。たとえば、語学が短期間で習得できたり、複雑な計算が瞬時にできたりと、つまりヒトの脳がコンピュータ並の演算能力を獲得してしまうということだ。また、演算能力のみならず運動能力も格段にアップするらしい。この点についてはテストステロンなどの強力なホルモンの活性化も促すというのか。
 このことで思い出すのが、2002年に新宿の京王プラザで開催された国際経腸栄養学会のモーニング・カンファレンスでDr.ダドリックと会って話したときのことだ。彼は言わずと知れたIVH(中心静脈の高カロリー輸液)の発案者なので、輸液が未来に向けてどんな技術として発達していくと思うか? とSF的仮説を立てて私が彼に質問したところ、彼から、「これまで輸液の歴史の中で、脱水改善、循環改善、カロリー制御などを達成してきて、次に目指すのはホルモンの完全なる代謝制御だ」という答えが返ってきて面白かった。なぜなら、その先にあるのは、間違いなくターミネータのようなサイバネティクス的世界だからだ。
 話を『Die geheimnisvolle Frau(謎の女)』にもどすが、どうやら主人公のカールは、Dr.ダドリックもまだできないことをやってしまったようだ。しかしサルでの臨床実験では神経細胞が極度の活性化に耐えられずに1週間で死滅するという副作用もあるらしい。カールはそのことをすでに知っていて、この新薬のヒトへの治験を躊躇しているようなのだが、彼の上司のシュミットは、新薬開発の競合相手であるファルマックス社の幹部とも内通しているようで、何かを企んでいるのは間違いない。しかも列車の中でカールのフラッシュメモリーをカバンごと盗んだ「謎の女」もカールの命を狙っていそうな雰囲気だ。
 放送が始まってまだ2か月なのだが、怒濤の展開である。新薬開発をめぐる人間模様や、科学技術の進歩によってもたらされる人間のQOLの変容など、『Die geheimnisvolle Frau(謎の女)』は多くの今日的なテーマを含みながらも、新薬の秘密を知ったカールが早くも上司のシュミットに消されそうな勢いなので、私は心配である。

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