10. Juli 09

【アート】 中野にマイケル・ジャクソン参上!

M1
M2
M3

 偉大なミュージシャン,M.ジャクソンがこの世を去ってからすでに1週間ほどが経過したが,全米のテレビ局でも,まだまだ彼を追悼する雰囲気は止むことはない。彼はアメリカ社会が生んだ国民的ヒーローであると同時に,現代アメリカが抱える様々な「病」を内包しているともいえる存在であった。それゆえに,彼のことはすべてのアメリカ人にとって他人事ではなく,彼の音楽をどのように評価するかに関わらず,皆,何らかのかたちで彼との関係性を持っている。だから,アメリカ社会全体が国葬級のモードになるのは当たり前である。
 翻ってわが国の場合,今までは何ら,マイケルとは関わりを持ってこなかったようなタレント,御用学者,雛壇電波コメンテーターが,各局で朝から夕刻まで垂れ流されるワイドショーで,我先にとコメントを述べているのには朝から失笑した。今本当に彼の死を悼んでいる人たちは,家やクラブで音楽をかけて,静かに喪に服しているのである。ソウルの神様JBが死んだ時もそうであったが,あの時にテレビでコメントを述べる資格があったのは,わが国を代表するブルース・シンガーである和田アキ子ぐらいだ。

 さてそんな,世の中の事象になんでもかんでも便乗して,知識人たる己を世に知らしめるのに必死な電波芸者や偽装インテリゲンチャな方々は放っておくとして,これぞまさにポップ魂炸裂!というようなものを町で偶然に見かけたので,写真を撮ってきた。
 上の写真は,JR中野駅近くの,ある民間の集合住宅風建物の外壁にペイントされていたものである。これを最初に見たのはもう先週のことになるが,JR中央線の車内でのことである。電車が中野駅を出発して下り方面へと走り出した瞬間に,突然目に入ってきたものである。遠くから見ても,それはマイケルを描いているのがすぐわかる。この日は電車から通り過ぎるだけであったが,消されはしないかと気になっていたので,昨日他に用事はないものの,わざわざ中野の現場まで出かけて撮影してきたのである。
 ここに描かれたアートは,俗に言うグラフィティと言われるものだ。グラフィティの発祥はアメリカで,その精神はヒップホップ音楽とも大いに関わっている。また,バスキアやキース・ヘリングなどのアメリカのモダンアートの作家にも影響を与えたほどのストリート・アートの一角を占めるものである。グラフィティの定義には,アカデミックなアートほどの明確な様式のルールはないが,町の公共物や共有空間にペイントしたものをこのように呼ぶ。つまるところ「落書き」なのだが,これがもし公共機関の許可をとって描かれたものであれば,それはパブリック・アートとなるわけである。
 グラフィティは,もともとヒップホップ文化と連動しているものなので,基本的に「反制度」,「反体制」的要素も内包されている。法律的に解釈すれば,公共物に落書きをした場合には器物破損ということになり,法の解釈とアートをめぐって,日本の自治体でも何度か問題が持ち上がったことがある。そもそもグラフィティの面白さとは,そのゲリラ性,メッセージ性にあるのであり,それが例え屋外の公共機関であっても最初からアートのために用意された予定調和的な空間でこのようなものを制作しても,何ら面白くない。意外なところに出現するからこそ,グラフィティというアートの存在意義があるのである。
 JR中央線の車内から見える,このマイケルの死を惜しむ作品は,どういった意図で,誰によって制作されたのかは分からないが,このようなかたちで彼の死を惜しむほうが,まさしくマイケル的であるのだ。いつまでこの作品が残っているのかわからないが,これを描いた名も無きアーティストに“ありがとう”と言いたい。

| | Kommentare (0) | TrackBack (0)

07. Juli 09

【プロ野球】 幻の球団・仙台LDフェニックス~プロ野球オールスターゲームに寄せて

Ld02

Ld01

 もう間もなくすると,1年に一度のお祭り,プロ野球オールスターゲームがやってくる。毎年ファン投票で選ばれた12球団のスターたちが一堂に顔をそろえる夢の球宴である。こんなスターたちの姿を毎年見ていると,我々は,プロ野球というものが未来永劫無くならないであろうと勝手に思い込んでいるのではないか。
 かつてプロ野球で近鉄球団の合併騒動が起こった時のことは,もうはるか昔のことにも感じられるが,つい5年前のことである。球団経営が苦しくなった近鉄球団が,突然他球団との合併構想をぶち上げて,プロ野球界が騒然としたあの時のことである。なんとか近鉄球団を残そうと願うプロ野球ファンと選手たちが一つとなり,プロ野球史上初めてとなる,選手会によるストライキまで行われた。この前年,即ち2003年は阪神タイガースが久しぶりに優勝をして,球界だけではなく世の中全体が盛り上がったのに,この落差は一体どうしたことかとプロ野球ファンも思ったであろう。
 この時に,近鉄球団の新しいオーナーになると最初に手を上げてくれたのが,当時ライブドアのCEOだった堀江貴文氏であった。彼は,他球団と合併して1球団減るよりも,それだったら自分がオーナーになって近鉄球団を存続させると言ってくれた。しかし近鉄球団やプロ野球オーナー機構は堀江氏の申し出を認めず,近鉄球団は他球団と合併してしまったのである。バファローズと名前は残ったものの,それはもう皆がかつて愛した近鉄球団の姿ではなかった。巨匠・岡本太郎がデザインした猛牛のエンブレムのついたユニフォームはもう無くなったのである。
 しかしプロ野球の一連の騒動はこれにとどまることはなかった。パリーグで1球団消滅するとなると,やはり新球団が必要なのではないかという声がファンの間からもあがり,この時に最初に新球団を作ると言って手を上げてくれたのも,ライブドアの堀江氏であった。堀江氏が構想したのは東北というプロ野球不毛の土地に市民に愛される地域密着型の市民球団を作ることであった。これはファンにも受け入れられて,いよいよ球団発足かという時に,同じ東北の地に新球団を作るという構想を持って後から乗り込んできた企業があった。この企業はライブドアと同じIT企業であり,いわば商売敵のような企業ともいえる。
 この2つの球団の処遇をめぐってオーナー会議が開かれ,先に手をあげた堀江氏の球団は落選し,後から乗り込んできた企業の球団がオーナー会議に受け入れられた。その球団が現在の野村監督率いる楽天イーグルスである。
 そして本当ならば,仙台に誕生していたかもしれない球団とは,仙台LDフェニックスのことである。

 長いプロ野球の歴史の中で,今は無き東京セネターズや東映フライヤーズの存在は知っていても,仙台LDフェニックスのことを覚えているプロ野球ファンははたしてどれほどいるのであろうか。他球団と合併したバファローズも,新規参入のイーグルスも,今ではそれなりにファンに受け入れられ,パリーグの一角を担っている。それはそれで良いことである。しかし,あと一歩で誕生するはずだった仙台LDフェニックスという球団が,日本プロ野球の正史にも存在しないような状況は,一プロ野球ファンとして少し寂しい。
 今となっては,堀江氏のプロ野球構想は単なる金儲けの道具であったと思う人もいるであろう。また,堀江氏のあのユニークなキャラクターに嫌悪感を抱く人がいるのも理解できる。しかしそれが例え金儲けだとしても,火中の栗を最初に拾ってくれたのは間違いなく堀江氏なのであり,そのことは評価すべきであろう。そしてもうひとつ忘れてはならないのは,フェニックス創立に向けて,球団スタッフとして手を上げてくれた方々が,元横浜ベイスターズの球団関係者の方々であった。
 ベイスターズは,サッカーのJリーグ構想が立ち上がる以前から,地域密着ということを全面に掲げようとした球団であり,その前身である大洋ホエールズからベイスターズへと球団名が変わる時に,自らの球団名から企業名を外し,その企業名の代わりに「横浜」という地域名を入れた最初の球団である。またそればかりではなく,ベイスターズ傘下にある二軍チームの本拠地を横須賀にして,二軍チームながら独立採算型の湘南シーレックスという育成チームも作った。これも日本プロ野球史上実に画期的なことであった。今日では,このようなベイスターズに影響されるかたちで地域と球団とのつながりを意識してなのか,球団名にフランチャイズ地域名を入れる球団が増えてきている。
 このような今日的な発想を持ったベイスターズの関係者が,世論は味方についてもプロ野球機構は敵に回っているようなフェニックスに対して手を挙げるということは,非常に勇気がいることであったと思う。
 しかし我々は,ほんの一時ではあったが,その方々のおかげで一つの新しい球団が立ち上がっていく過程に“夢”を見ることができたのである。堀江氏によってネットを通して次々に発表されていく球団ユニフォーム,球団名,球場設計図を毎日見ながら,ファンたちは日本プロ野球の夜明けを見たのではなかったのか。

 上の写真は,仙台LDフェニックスが幻の球団に終わったことで落胆した当時の“フェニックス・ファン”に向けて,堀江氏とライブドアが限定販売してくれた球団ロゴ入りのTシャツとジャンパーである。黒いジャンパーの裏側には仙台の「仙」の文字をモティーフにしたフェニックスのロゴがプリントされている。
 このユニフォームは二度とフィールドに立つことはないが,本当にプロ野球を愛するものならば,今は無き往年の名球団とともに人々の記憶の中で生き続けるであろう。

Ld03

| | Kommentare (2) | TrackBack (0)

01. Juli 09

【映画】 古波津 陽監督 『築城せよ!』

Photo

 築城の夢を果たせなかった戦国武将がこの世に蘇り,過疎地に住む住民と一緒になってダンボールで城を建てるという馬鹿馬鹿しい物語。しかしその馬鹿馬鹿しさの中に,コメディの王道を行くような様式がたくさん仕掛けられており,それを江守徹と片岡愛之助という実力ある二大俳優が演じることで,泣きどころと笑いどころを外すことはない。
 この類の荒唐無稽な物語の場合,演じるものが真剣になるほどに,こちらはその虚構の世界に引き込まれていくものである。今からかなり前のことになるが,1983年に日生劇場で公演が行われた『アマデウス』では,江守徹が歌舞伎俳優の松本幸四郎とともに舞台に立った。この時から,江守徹というもともとは現代劇の役者が,実は歌舞伎俳優との相性も非常に良いことはわかっていたので,今回起用された片岡愛之助とのからみも安心して見ていられる。

 本作『築城せよ!』は,広告を打った東京FMでも,戦国エンターテインメントとして売り出していたが,むしろこれは,現在岐路に立たされている自治体行政を痛烈に風刺したものでもあり,今全国の自治体でブームとなっている,いわゆる「町興し」のヒントが随所に隠されているのである。それをRPGの隠しアイテムのように探しながら見るのもまた楽しいであろう。
 この映画を撮るにあたって全面協力した猿投町は,実は実名のまま物語の舞台になっており,愛知工業大学の学生らもエキストラで参加している。パンフレットをめくれば,愛知県・神田真秋知事,豊田市・鈴木公平市長,衆議院議員の平沢勝栄氏らが作品についてコメントを寄せるほどの熱の入れようで,まさに映画というスケールの大きな「町興し」広告を作ってしまったという感じである。
 中でも興味深いのは,この物語の核になる猿投町の設定である。猿投町は,実際には愛知県豊田市の中にあり,天然ラドンの素晴らしい温泉や,糖度の高い桃や梨などの特産品が名物の風光明媚な里山を擁する豊かな集落である。しかし映画の中では寂れた限界集落のような地区として登場する。
 このような場合,見ている人間からは明らかにどこの町を題材にしたか分かるような仕掛けを作りつつも,その町はあくまでも架空の町として登場させるという方法もある。それを見る我々も,そこで起こることは物語上の世界でのことであるというルールを結び,そこで広がる世界観を楽しむのである。文学においては筒井康隆が得意としたフォーマットであり,近年の映画では,ヒグチンスキー監督の『うずまき』に登場した「黒渦町」,デイヴィッド・リンチの『ツインピークス』の世界がそうだ。
 しかし猿投町のように,実在の場所をそのまま登場させる場合には,これとはまた異なった不思議な感覚が余韻として残るであろう。例えば,猿投町へ行ったことのない人間にとってはすでに映画の世界での猿投町が存在していて,その下にレイヤーとして実在の猿投町があるといった構造である。この多重構造から受ける感覚は,シミュラクルなフィクションとも違うし,実在の良く名の知れた都市が怪獣に壊される特撮映画とも異なる。また,地方都市といっても例えば熱海のようにすでにイメージが出来上がっている場所でもこのような感覚は呼び起こされないであろう。
 猿投町という空間が,里山と隣接する地方都市の総称を表し,その箱根ほどは観光地として知られていないという適度なマイナー性が,実際には行ったことのない場所なのに特異なリアリズムを生んでいるのである。それは,アサヒカメラのような写真誌に投稿される集落の風景を見て,日本人としての土着的な郷愁を感じるのにも似ている。例えば,パロディ作家のマッド・アマノや詩人の坂井のぶこも,しばしばこのような,「場」を意識した様式を使う。
 マッド・アマノは1995年に起こった阪神・淡路大震災を題材にした作品をいくつか制作していて,その中で,東京23区の地図の上に,地震で最も被害が大きかった神戸市の長田区,須磨区,東灘区の地図をトレースした作品がある。これは,他人事のようにテレビ画面越しに地震の映像を見ている東京都民に対する強烈なメッセージであろう。また詩人の坂井のぶこは,その長大な作品『有明戦記』を書くにあたり,作品の題材となった信州の有明地区はあえて一度も訪れず,その代り部屋一面に有明の地図を広げ,その中心に自分が立って創作のイメージを掘り下げていったのである。
 猿投町にレイヤーとして存在する多重構造からは,このようにフラットに距離が縮まったような不思議な感覚を受けるのである。
 
 物語のプロットは,戦国エンターテインメントの名の通り,基本的には後半の大仕掛けで一気に盛り上がる勧善懲悪な内容である。この中で,西松建設みたいな土建業者とずぶずぶで,利益誘導型の行政を推進するのが江守徹扮する猿投町町長の馬場虎兵衛である。時代劇に例えれば,まさに悪代官の役どころだ。そして彼を取り巻く地元業者が山吹色のお菓子を届けに来るお馴染みの“越後屋”といったところである。
 そもそも城を建てるという行為自体,原初的身体性に基づく力学を象徴しているのである。それは城に限らず,近,現代の巨大建造物から地方都市に建立される地元名士の銅像にいたるまで同様である。時として田中角栄や小沢一郎を象徴とする利権誘導型の前時代的な地方政治家が,橋やダムなどの公共施設を作りたがるのも,権力者に顕著に発現するその原初的身体性が欲望となって現れたかたちだ。別の言い方をすれば,世間ではこれを“男のロマン”ともいう。
 江守徹扮する馬場町長はまさにそのような人物であり,彼は自分の“城”として重文級の城跡のある場所に工場を建設しようとする。一方,かつてその場所で築城の夢破れて散っていった戦国武将・恩大寺隼人将が蘇り,双方が築城合戦を繰り広げるのである。この築城合戦で町民たちの心を捉えたのは工場という近代建築ではなく,戦国ロマンあふれる猿投城である。この城は,今や寂れてしまった猿投町の威信をかけた象徴的なものであり,それは町民の郷土愛に再び火を着けるようなものだ。

 現在わが国の地方都市には,この物語に登場する猿投町のような地方自治体が数多く存在する。高齢化と人口減少に加え,近隣の交通の便が良くなりすぎたために,そこにわざわざ立ち寄るものもいなくなり,文字通り“陸の孤島”となってしまったような場所である。このような自治体はかつて都会から人を呼ぶために,いわゆる“箱物”といわれる音楽ホールや観光博物館をこぞって建ててみたものの,数年でそっぽを向かれ,限界集落への道を進んでいったのである。
 これに懲りた自治体では,今度は東京の広告代理店のようなやり方でさまざまなイベントを仕掛けることで集客を図ったわけである。これには一定の集客効果と経済効果は確かにあったが,一律に東京的なそれらのものからは郷土性が失われていった。実はこのことこそが,地元住民の気持ちをいたく傷つけているのである。「町興し」ブームに乗じて起業塾から派遣された東京のアントレプレナーや広告代理店のマーケッターたちに,自分たちの住んでいる町のあれこれをダメ出しされて,町の人たちはプライドも何もずたずたである。
 そのうえ,これは物語の中での話だが,猿投町に伝わる猿投玉という伝統民芸品を,金にならないという理由で小バカにする役場職員までいる始末である。こういう無知で善良な役場の公務員こそ指弾されるべき存在であり,かつて新潟や岩手の辺境の地で郷土愛を醜く異形化させてしまった小沢一郎のような人間のほうがまだ正体がわかりやすい。
 このような愛憎まみれる猿投町で展開される築城合戦は住民をも巻き込んで大仕掛けのイベントと化していく。町の人々の身体を借りて現代に蘇った恩大寺は,城を完成させることで成仏できるのだ。それに対して自分の先祖が恩大寺と因縁深い馬場町長によって派遣された全国の城郭マニアたちが城を攻め落としに来るのである。ここが物語の一番のクライマックスシーンだが,まるでTVチャンピオンの職人みたいにダンボールのパーツから柱を作っていくところなども丁寧に描き込んでいるので,見ているこちらもカタルシスが頂点に達するシーンである。
 そしてこの合戦の中で,単なる土建屋町長だとばかり思っていた馬場町長に,実に人間的で暖かい一面が見えることがこの物語の救いになっている。自分の思いを貫徹させて,あの世に帰っていく恩大寺もまた,猿投町の人々に大きな置きみやげをしていくのである。

 近年,「町興し」の一環でフィルムコミッションに参加する自治体が増えてきたが,実在の町の名や風景までも架空の物語の中核に据えたこのような手法は実に斬新である。これはかつての箱物行政でもなく,また広告代理店のような東京的「町興し」でもない。そこに昔から住んでいる人々が,あらためて自分の郷土の歴史や伝統に目を向けて,そこで誇りを持って生きていくために作られた城なのである。
 猿投城はもちろん歴史的にも存在した痕跡もない架空の城である。いってみれば熱海城のようなものだ。学術的に城や城跡を定義した場合,歴史的に築城の事実があったものだけが「城」と呼ぶことを許される。それ以外のものは,見かけは城でも城のような造作物でしかない。しかしたとえそうであったとしても,猿投町の人々は,未来永劫にわたって記憶に残る城を建てたのである。わが国において長らく続いている戦国ブームのロマンの原点は,このようなものにあるかもしれない。
(2009年6月27日,かつて熱海城のことを“あれは城ではない”と言って小バカにしたことのある城郭マニアの友人と,新宿ピカデリーで鑑賞)

■『築城せよ!』公式サイト■
http://aitech.ac.jp/~tikujo/

■猿投町観光案内■
豊田市観光協会 
http://www.citytoyota-kankou-jp.org/
あいち豊田農業協同組合 http://www.ja-aichitoyota.com/

 
 

| | Kommentare (0) | TrackBack (0)

30. Juni 09

【演奏会】 東京ブラスソサエティ第33回定期演奏会 『金管バンドで贈るスウェアリンジェンの世界』(2009.6.28,ティアラこうとう)

Photo

 2009年6月28日に,わが国では前代未聞といっても過言ではないほどの実験的な演奏会が開かれた。この演奏会を行ったのは,金管楽器のアンサンブルで現代吹奏楽の様々な実験的な試みをしている東京ブラスソサエティである。
 今回の演奏会でプログラムとして取り上げられたのは,吹奏楽コンクール経験者には非常に馴染みの深いスウェアリンジェンの楽曲である。第1部と第2部で構成されたプログラムは,いずれも全曲スウェアリンジェンの作品であり,おそらくこのような試みは最初で最後であろう。

 スウェアリンジェンは,アメリカの現代吹奏楽の著名な作曲家で,吹奏楽の普及のためにかつて日本にも来日したことがあるほどに,親しまれている作曲家である。その楽曲の多くは「急-緩-急」を基本とする複合三部形式で,中でも“スウェアリンジェン節”と言われるほどに中間部のハーモニーが美しいのが特徴である。そして総じて明朗かつ華やかで,大編成バンド向けなのである。毎年行われる吹奏楽コンクールでは自由曲に彼の華やかな,言ってみればコンクール栄えする楽曲を選ぶバンドも多いと聞く。
 今回はその華やかなスウェアリンジェンの曲を,彼と個人的に親交の深い作曲家の戸田顕が英国スタイルの金管アンサンブル用に編曲をして,全13曲が演奏された。冒頭で“実験的”と書いたのは,まさにこの試みのことなのである。
 吹奏楽は通常,木管楽器,金管楽器,打楽器で編成される。管弦楽と異なり弦楽器が欠けるので,その分,管楽器による様々な音色の違いで色彩を作り,奥行の深いオーケストレーションにしていくことが必要なのである。その中から木管楽器を省くということはつまり,フルート,オーボエ,クラリネット,サックスといった実に多彩な音色を持っている楽器群を編成から全て省くことを意味し,編曲にあたった戸田顕も,大編成用に書かれた楽曲を,どうやって金管バンドのアンサンブルで色彩や奥行きを豊かなものにしていくのかで相当の苦労をしたことを語っている。
 具体的には,フルートやオーボエなどの特徴的な楽器のパートを金管でリライトする時に,どの楽器に割り振るのか,そして音の高さはどうかなどといったことで困難を極めたそうである。ましてやスウェアリンジェンという吹奏楽の中で非常に著名な作曲家の作品であることに加えて,多くの吹奏楽ファンが大編成のウインドオーケストラで聴き慣れているといった状況の中で,果たして金管アンサンブルだけでスウェアリンジェンの世界が作れるのか否かということである。
 この点について指揮者の山本武雄は,実に明快な解説をしてくれた。普段大編成で聴いている楽曲は色彩豊かな絵画だとすると,編成が限定された金管バンドによるアンサンブルは,いわば墨絵,水墨画のようなものとして楽しんでいただきたいということだそうだ。つまりどういう事かというと,金管バンドとはまさにモノクロームのデッサンであるわけだが,そこに色がまったく存在しないというのではなく,墨絵や水墨画もそうであるように,そのモノクロームの空間から色彩や質感を想像して欲しいということなのである。私はこのコメントを聞いた時,あの明朗で華やかで,いかにもハッピーエンドのハリウッド映画のような快活さをもったスウェアリンジェンの作品を,このように解釈して演奏することが可能なのかと,感動を覚えるとともに,非常に新鮮な気持ちに駆り立てられたのである。
 東京ブラスソサエティは,楽団名のソサエティが示すとおり,単なる演奏会というのではなく,教育的,および研究的要素からも吹奏楽の楽しみや奥深さなどをアプローチしている。この日も1曲演奏されるごとに指揮者の山本武雄の楽曲解説が入り,どんな意図で演奏されているのか,そしてこの楽団が,いかに実験的で困難な試みをしているのかが非常に良く伝わってくる。
 現代音楽の演奏会では,作曲家自らが楽曲解説だけで相当の時間をかけることは多々あるが,吹奏楽の演奏会でこのような試みを見たのは今回が初めてである。満員の客席を見渡せば,学生の姿も散見され,7月から8月にかけて行われる全日本吹奏楽コンクールに向けての研究で来ているということもわかるのである。こんな吹奏楽演奏家に向けてのメッセージであろうか,山本武雄の語りからは時折,吹奏楽の世界で偏見のもとで誤って認識されている事柄についての問題提起のようなものも感じられた。

 山本武雄の語りで面白かったのは,「皆さん,もうお腹一杯ですか?(スウェアリンジェンの曲ばかりで(笑))」,「第二部も全部スウェアリンジェンです」,「今日はスウェアリンジェンしかやりません」というものである。このコメントを聞くたびに観客たちは大きな笑いとともに拍手をする。これはどういうことかというと,スウェアリンジェンという作曲家が,なんとなくインテリ層の偏見により,評価の低い作曲家とされてきた経緯があり,そのことに大きな違和感を覚えていた客たちが,山本の伝えたいことに共感したということである。
 そして山本武雄は,「世の中には,“スウェアリンジェンは教育的な作曲家だから名曲は作れない。”,“ベートーベンとスウェアリンジェンを同列に語るな”なんて言う人がいるが,自分はそうは思わない」,さらに「ベートーベンを演奏したから格調が高い演奏会で,スウェアリンジェンはレベルが低いなどと思うのは間違いで,どんな楽曲でもそれをどのように解釈して演奏したかが大事である」とまで言ったのである。この言葉に私はまったくもって異論はない。
 今回,スウェアリンジェンの作品だけでプログラムを組んだという試みは,単に技術的な試みにとどまらず,吹奏楽界において根強く蔓延するつまらない偏見に対する大いなるクリティークなのである。山本武雄の言葉からにじみ出てくるスウェアリンジェンという作曲家に対する愛情と敬意あるれる態度は,満員の観客にも共感を得た。このような一体感のある演奏会は久しく聴いていない。そして,全曲スウェアリンジェンの演奏会などというものは,今後再び聴く機会はなかなかないであろう。
 またいつかこのような演奏会が開かれた時には,演奏会の冒頭でぜひ「全国1億2000万人のスウェアリンジェン・ファンの皆様こんにちは!」と言って欲しいのである。

 尚,今回は全曲スウェアリンジェンの演奏会ということで,アンコールの楽曲は用意されていなかった。しかし席を立たずに拍手を続ける観客に応えるかたちで,『ロマネスク』が再び演奏された。

■演奏曲目
(第一部)
シルバークレスト
狂詩曲ノヴェナ
河ながれるところ
センチュリア
レット・ザ・スピリット・ソア
語りつがれる栄光
勝利の時

(第二部)
管楽器と打楽器の為のセレブレーション
ロマネスク
インヴィクタ序曲
新しい日が明ける
栄光のすべてに
不滅の光

■井上リサによるスウェアリンジェン関連記事
【演奏会案内】 金管バンドで贈るスウェアリンジェンの世界(東京ブラスソサエティ第33回定期演奏会)
【コラム】スウェアリンジェンは,なぜインテリ・サヨクから小バカにされるのか?

| | Kommentare (0) | TrackBack (0)

29. Juni 09

【現代詩】 詩人・三須康司さんを偲ぶ会が開催される(6月28日,東京銀座・藍画廊)

 6月28日,小雨の降る中,東京・銀座の藍画廊で「三須康司さんを偲ぶ会」が開かれた。詩人であり,蒲田にあった二人称画廊のオーナーであった三須康司に所縁の詩人,評論家,美術作家,画廊オーナーなどが花や飲み物,食べ物を持ち寄って集まり,夜遅くまで三須康司との思い出を語り合う催しとなった。
 午後1時から始まった「偲ぶ会」には,各界から大勢の人が入れ替わり立ち替わり訪れ,終始客足が途絶えることはなかった。ここに集まった実に多彩な面々は,皆何らかの形で三須康司と交流のあった人たちである。詩人,画家はもとより,ダンサー,演出家,パフォーマー,音楽家などの面々をみると,三須康司という人の交遊関係が実に多岐にわたっていたことがわかる。その多くは1960年代後期からの付き合いであり,わが国のかつての前衛芸術のムーブメントはもとより,60年安保,全共闘運動をも駆け抜けた時代の生き証人のような人たちである。
 また会場では,特に三須康司と交流の深かった作家の平岡ふみをが編集をした「三須康司遺稿集(序)」が配布された。この冊子は今回の「三須康司さんを偲ぶ会」のために特別に編集されたものであり,この後さらに資料を充実させて,本格的な遺稿集と,三須康司の詩を収録した「三須康司詩集」の出版が予定されている。
 「三須康司遺稿集(序)」をまとめるにあたって困難を極めたのは,二人称画廊で開催された展覧会リストの作成である。この時代は今のようにネット上のアーカイブがなかった時代であり,三須康司も亡き今は,彼に尋ねるわけにもいかず,平岡ふみをの記憶にあった作家ひとりひとりに電話をかけ,一件ずつリストアップしていくというたいへんな作業が行われたのである。その中でも現住所が分からずに連絡を取れなかった作家もいるなど,まだまだ正確なアーカイブは完成していない。
 この平岡ふみをの行為で見えてきたのは,マスなマディアとネットメディアに両極化された現代では,その双方ともに,三須康司が求めていたような「二人称」の関係はもはや存在しないということである。実際に,ネット上に広がる膨大なアーカイブの中から,過去の二人称画廊の記録はサルベージできなかったわけであるし,また一方で,60年代から美術批評のジャーナリズムを担ってきたはずの美術手帖をはじめとする美術誌も,今はその役割を担っていない。では新聞などのマスなメディアについてはどうであるかというと,当時,学芸部にいたような三須康司と同時代の記者たちはもうすでに引退しているのである。
 そもそも新聞という巨大なメディア自体が,世の中の表層の情況だけを見ることで,世の中を分かっていたような顔をしていただけで,このようなメディアが,60年代,70年代の大きなムーブメントの総体は捉えたとしても,例えば地方で散発的,ゲリラ的に興っていた芸術運動のことなど知るよしもない。これらの事柄は,唯一それに実際に関わった美術作家の頭の中に記憶としてあるだけである。少なくても三須康司や,同じく今は亡き真木画廊の山岸信郎がいた時代には,彼らとの「二人称」の関係で,その現場の記憶を共有できたのである。
 今やその共有ファイルを持ってる人間自体が少なくなり,それが過去の出来事どころか,日本の現代美術の歴史の中ですでに“無かったこと”として削除されつつあるのである。この事実を突きつけられると,三須康司の存在がいかに特異であったのかを我々はあらためて思い知るのである。
 

| | Kommentare (0) | TrackBack (0)

27. Juni 09

【格闘技】 ドッグレッグス第79回大会「きっと生きている」の対戦カード第一弾が発表される

79

 今年8月1日に成城大学の向かいにある成城ホールで開催されるドッグレッグス第79回大会「きっと生きている」の対戦カード第一弾が発表された。
 前売りチケット購入者,及びドッグレッグスの常連客向けに先日送られてきた案内ハガキを見ると,今回もいろいろと工夫を凝らしたカードが組まれている模様だ。
 それに触れる前に,まず今回の興行タイトル「きっと生きている」であるが,これはおおよそ格闘技興行には相応しくないような,どこか牧歌的で,しかも中高生や市民劇団のやる昔懐かしい反戦劇のようなイメージのするタイトルである。だがドッグレッグスの場合,“きっと生きている”というのは,誰かに対して無事を祈るとかそういう次元の問題ではなく,ただただ自分自身の無事を祈るようなものなのである。
 つまり,重度の障害者や,癌患者,鬱病患者などの病者がプロの格闘家としてリングに上がるドッグレッグスでは,そのような彼らが万全を期してもリングの上で危険な状況になる時もあるであろう。また,難治性疾患を抱えているものならば,まことに言い難いことであるが,次の興行まで存命しているか否かという問題もある。そうでなくても,ひっそりと引退していくレスラーもいるのである。
 だから私は,ドッグレッグスの試合で我々の前に現れたレスラーとは基本的に一期一会の関係として,試合を見届けているのである。そして,彼らが確かにリングの上に立って戦っていたという事実をしっかりと脳裏に焼き付けて帰るのだ。
 「きっと生きている」というのは,そういう意味では非常に奥深い興行タイトルなのである。

 次に今回発表となった対戦カードについて触れたい。
 以下が今回第一弾として発表になったカードである。ドッグレッグスの試合は,いつもだいたい7,8カードほど行われるので,これからどんどんと追加カードが発表されていくであろう。

■ドッグレッグス第79回大会「きっと生きている」対戦カード■
(6月末日現在)

結婚記念日記念3WAYマッチ
愛人(夫)VSミセス愛人(妻)VSプチ愛人(息子)

世界障害者プロレス無差別級選手権試合
王者・鶴園 誠VS挑戦者・陽ノ道

世界障害者プロレスヘビー級選手権試合
王者・天才まるボンVSサンボ慎太郎

 まず愛人一家の変則3WAYマッチに注目。これは凄い。この異形の格闘家一家の生き様を見て,思わず『超人機メタルダー』に登場したヘドグロス,ウィズダム,ヘドグロスJr.一家を彷彿とさせる情念のようなものが見えてきてしまったではないか。
 大相撲の世界では,あの横綱・若貴対決でさえ,“同じ部屋同士の兄弟対決は残酷で見ていられない”という声が相撲ファンからも起こったというのに,こんなカードをいきなり持ってこられて,私はまたそこで“踏み絵”を踏まされることになるのか。
 ここで注目なのはプチ愛人選手であろう。父・母の格闘家としてのDNAを受け継いだプチ愛人選手は,普段は母のミセス愛人選手とともに父・愛人選手のセコンドにもついているのをリングサイドから何回か見かけたことがある。子供時代からこのような場を踏むことによって,将来は父・母を踏み越えて,すごいレスラーになっていくのだな。
 格闘技に限らずともスポーツの世界では,とかく兄弟対決,親子対決,子弟対決といったものが,不条理な劇画的空間を作ってきたが,
それはわれわれ人間の知性で理解しようとするから不条理なのであって,われわれが仮に肉食獣のような野生の目でこれを見た場合には,また別のものが見えてくるであろう。つまり,社会通念上は,「弱者」というある種差別的な言葉で括られて,その存在すらも社会からは見えないような存在として不本意な隔離をされてきたような者たちが,今度は,ただただ強い者だけが生き残るという最も野性的な世界に放たれて,そこで文字通りの「弱肉強食」を体現するということなのである。

 鶴園と陽ノ道の試合は,ドッグレッグス現役レスラーの中の,事実上の最強対決かもしれない。特に鶴園については,ここ近年彼がリングの上に沈んだところを見た記憶がないのである。下肢に重度の障害がある鶴園だが,健常部位として残存した上腕は,まるで古代ローマ兵が繰り出す斧のようにビルドアップされており,これを至近距離で振り下ろされると,相手はひとたまりもない。鶴園の場合,武器を持ったグラディエーターというよりも,鶴園の身体そのものが人間凶器なのである。
 その鶴園に挑む陽ノ道は聴覚障害者であり,彼の試合ではいつも選手入場曲もリングサイドの実況もあえて無くして,サイレントの世界で試合を観戦するような演出がなされている。鶴園との試合も至近距離での肉弾戦が予想されるので,われわれも普段以上に骨や肉の当たる鈍い音に耳を傾けながらの観戦となるだろう。
 このような状況を見せつけられると,しばしば刑事事件関連で登場するお馴染みの文言,即ち,“鈍器で人を殴ったような”という表現を連想してしまうが,そもそも鶴園の上腕自体が,鋭い刃物というよりは,斧やハンマーといった重量級の武器のイメージがするわけである。上から相手を叩き潰す鶴園のファイトスタイルがまさにそれで,何度も相手の肉体に向かって振り下ろされたその“斧”は,肉と脂で次第に歯こぼれをおこしながらも,反復的に相手に致命傷を与えていくようなものだ。“鈍器で人を殴る”ということはこういうことなのである。

 バーリトゥードの様式をとるドッグレッグスの中でも,両者とも不安定な姿勢ながらも自分の足で立ったまま行われる天才まるボンVSサンボ慎太郎の試合が,一番オーソドックスなスタイルであろう。天才まるボンは,今やドッグレッグスの看板レスラーであり,対するサンボ慎太郎は,ドッグレッグスが,まだ福祉団体の枠の中で“余興”としてレスリング興行を続けていた時代,即ちドッグレッグス黎明期を支えてきたレスラーである。ドッグレッグスがアマレス時代からプロの格闘技団体へと転身するまでを追ったドキュメンタリー『無敵のハンディキャップ』(天願大介監督作品)に収録されているアンチテーゼ北島との無制限3本勝負は,今もファンの間で語り継がれるほどの伝説のファイトである。あれから約10年の時が経った今も,サンボ慎太郎がリングの上に立っているのは奇跡に近い。なぜなら,心身に何らかの障害を持ったドッグレッグスのレスラーたちは,二次障害というリスクを負いながら,それを承知でリングに上がるからである。そしてそのために,われわれが想像を絶するような厳しいトレーニングをこなしているのである。こんな状況で10年近くもリングの上に立てること自体が常軌を逸している。

 今回の大会は8月という真夏の最中に行われる。これから1か月,選手にとってはこの時期には非常にきついトレーニングが続くであろう。各選手のポテンシャルに加えて,体力消耗が激しいこの時期に,どれだけより良いコンディションで仕上げられるかが勝負のポイントとなろう。

■ドッグレッグス第79回大会「きっと生きている」■
2009年8月1日(土)
会場:成城ホール
開場17:30 試合開始18:00
入場料:3000円

【ドッグレッグス公式ページ】

http://homepage3.nifty.com/doglegs/

【井上リサによるドッグレッグス関連記事】
ドッグレッグス第78回興行 「ここまで生きる」~究極のバーリトゥード~(4・25 北沢タウンホール)

「【格闘技】ドッグレッグス第78回興行の対戦カードが決まる」
「ドッグレッグス第77回興行レビュー」
「ドッグレッグス第76回興行レビュー」
「映画批評:天願大介監督『無敵のハンディキャップ~障害者プロレス・ドッグレッグス」

| | Kommentare (0) | TrackBack (0)

24. Juni 09

【書評】 三橋貴明著 『新世紀のビッグブラザーへ』(PHP研究所)

Photo

 そう遠くはない未来の日本に,国家解体と日本人弾圧を合法的に企てる「民主人権党」なる独裁政党が反日連邦の傀儡として台頭し,それによって“第三市民”(いわゆる植民地時代で言う三等市民のこと)にまで地位が転落した日本国民の若者が,様々な弾圧を受けながらも抵抗して戦いぬいていく物語である。
 日夜いわれなき弾圧に苦しむ若者たちが暮らすこの社会は,「大アジア人権主義市民連邦」によって分割統治され,「人権警察」や「九条教」なるカルト教団が跋扈するような,まことにおぞましい世界である。実在の時事をトレースしたようなその刺激的な内容は,文科省ならぬ,まさに,「ショッカー日本支部推薦図書」といったところだ。

 著者の三橋貴明は,中小企業診断士という肩書を持つ異色の作家である。
 近年,医療小説,経済小説といわれる類の小説の作家は,もともとこれらの業界に属していた人間にたまたま文才があって,現代小説や社会評論の世界へと転身したケースも多々見受けられる。著者の三橋貴明もそのうちの一人であろう。普段は冷徹な数字のデータを提示し,論拠もなくイデオロギーだけを振りかざす文系御用学者たちを片っ端から粉砕するような痛快な経済専門書を数多く書いている。
 ネットとのメディアミックスで生まれた三橋の作品などをみていると,昔の昭和風情の現代小説の作家たちが,自分の門外漢のジャンルに手を出す時には,取材だけでも相当の年数の時間をかけていた時代が何か懐かしいような気がする。これができたのは多分にその時代に流れている時間のスピードが現在とは大きく異なったのと,そして,いわゆる“有識者”と言われる文化人や記者だけが「言葉」と「文字」を特権的に扱うことができた時代の,選民的ジャーナリズムが君臨していたからだとも言えるのである。
 それに対して現在では,旧態依然たるマスメディアやジャーナリズムが特権的に保守していた権威というものはすでに崩れつつある。その原因は言うまでもなくネットという新たなメディアが台頭してきたことに加え,そのネットを既存メディアに対するカウンター・ツールとして使いこなし,メディア・リテラシーを獲得することの必要性に気がつきだした国民が増えてきているからである。
 ひと昔前までは,新聞やテレビの言うことが間違っていると疑うものはいなかったのであろう。情報の一方的な「受け手」にすぎなかった国民は,社会に相対化された権威などまったく持ち合わせていなかった。あるいは情報の発信側,つまりメディア側も,「受け手」にすぎない国民のことなどこの程度にしか思っていなかったともいえる。しかしこの感覚こそがナンセンスであった。彼らが言う“愚民”よりもパラダイム・シフトに乗り遅れたマスメディアは,完全に,三橋貴明が言うところの“レガシーメディア”として取り残されたのである。
 反対に我々は,このような状況の中でネットというメディアが台頭してきたことで,マスメディア側から編集権を行使して投げられた情報を,今度は第一次ソースをもとに「受け手」側が情報の精査と並列化を行うスキルを手に入れたのである。これは新聞・テレビといった旧来のメディアにしてみれば,非常に脅威なことである。

 長い歴史を紐解けば,いつの時代にも翼賛的なメディアは存在していた。その時それらの勢力と常に闘ってきたのは,アヴァンギャルド=<前衛>の位置にいた言論人や芸術家たちなのである。それは過去の歴史の中だけの話ではない。三橋貴明も,この作品を書くにあたっては,ジョージ・オーウェルの『1984』へのオマージュを込めていると告白している。
 そして,本作品 『新世紀のビッグブラザーへ』の中では,そのアヴァンギャルドの役割は,ススムという一人の日本人青年が担うこととなる。
 三橋貴明が今回加筆して書き下ろしたこの作品は,単に近未来のエンターテインメント小説という域に収まるだけではなく,マスメディアやジャーナリズムのあり方,「政治」と「情報」の関わり方といった実に今日的なテーマを内包している作品なのである。

●ビッグブラザーとは何者か?
 タイトルになっている“ビッグブラザー”とは一体何者なのか。米語のくだけた言い回しでは,マフィアのボスを表すことが多い。広義の意味では絶大な権力者のことである。
 『新世紀のビッグブラザーへ』の中では,なかなか正体を現さないビッグブラザーの威を借りて,「民主人権党」なる独裁政党が日本に誕生する。
 この「民主人権党」の醜悪さといったら,さながら『20世紀少年』に登場する「友だち民主党」をも彷彿とさせる。
 「民主人権党」は,「人権擁護法案」,「外国人参政権」,「東アジア共同体」,「無防備都市宣言」,「沖縄一国二制度」といった,人間の倫理や良心に情動的に働きかけるような文言で埋め尽くされたマニフェストを掲げ,新聞やテレビでしか情報源を得る事が出来ない情報弱者の国民の中に,まるで癌が血管新生で領土を拡大していくかのごとく浸潤していくのである。
 「民主人権党」のやり口にどこか暗黒臭漂う懐かしさを感じるのは,これはわが国特撮ヒーロー文化が連綿と紡いできた歴史の中で,まさに悪の組織として輝いていたショッカー(『仮面ライダー』),死ね死ね団(『愛の戦士レインボーマン』,ヤプール(『ウルトラマンA』)などとそっくりだからなのである。
 これらの悪の組織は,女,子供,病者などを手玉に取り,工作活動を仕掛けるのが得意である。例えば,「○○基地の場所を教えれば,お前をショッカー少年隊のリーダーにしてやるよ」,「うちの組織に入れば誰にも負けない無敵な体を与えてやるよ」,「テストで100点取らせてやるよ」という具合にである。
 「民主人権党」とはまさに,「選挙でわが党を応援すれば,外国人の君にも選挙権をやるよ」,「女性が結婚をしなくても,もっと楽して遊んで暮らせるイケイケな法案をつくるよ」,「財源なんて後から適当に考えるから今は心配するな」などと口当たりの良いことを言って,ウイルスのように国民の中に浸潤してくるような独裁政党である。
 しかしここで考えてみてほしい。あのショッカーをはじめとする悪の組織に騙された人たちはどうなったのかというと,結局は勢力拡大のための捨て駒に使われただけである。ショッカーが国民のために約束を守ったためしなどない。少年少女時代にこれらの物語を見た子どもたちは,自分の夢というのは,結局は自分の力で成し遂げるしかないのだ,ということを学習したはずである。そして弱者たる人たちの心の隙に入り込んで日本を侵略しようとしたブラックスターのブラック指令(『ウルトラマンレオ』)は,“自分たちの未来は自分たちで守ろう!”と悟った子どもたちの手で倒されたではないか。本来はこれこそが健全な世の中であるはずなのだが,大人になると,どうやら歴戦のヒーローたちが身を呈してわれわれに送ってくれたありがたいメッセージをすっかり忘れてしまっているようだ。この平和ボケした日本国民が「民主人権党」なる翼賛的な独裁政党の餌食なるのは納得できるのだ。

●「民主人権党」は,異形化したショッカーである
 いわゆる歴代の悪の組織や侵略者たちが行ってきた工作戦術の中で,特に秀逸と思われるのは,地球人同士の中に猜疑心を芽生えさせ,お互いが争い合うように仕向けることである。それをやったのがメトロン星人(『ウルトラセブン』)だ。メトロン星人の場合は,個人の人間関係における工作活動をしたわけであるが,この他にも,国家に向けた大規模な工作戦術を試みた侵略者や悪の組織もたくさんいる。
 ショッカーなどの秘密結社や,ヤプールなどの宇宙からの侵略者たちは,国家や防衛隊に対して国民が憎悪を抱くような工作をたびたび仕掛けている。
 例えば,数多のヒーロー作品で見られるニセモノのヒーローの存在がそうである。ニセモノのヒーローに町を破壊させたりする姿をメディアを通して国民に晒し,“実はあいつは悪いヤツだ”というプロパガンダを仕掛けるのである。さらに高等な戦術になると,ゴリ博士(『スペクトルマン』)のように公害をまき散らす怪獣を日本に送り込み,公害で苦しむ国民に対して無策な日本政府の姿を露呈させ,国民の憎悪を次第に日本政府に向けさせることも可能なのである。
 特撮ヒーロー番組の中でも非常に社会性が強いことで強烈に脳裏に残る『コンドールマン』に登場したキングモンスターは,公害だけではなく,アラブのオイルマネーや政治家の食肉利権をも利用して,日本を乗っ取ろうとした。『超人機メタルダー』に登場した桐原コンツェルンのゴッドネロスに至っては,『ハゲタカ』の鷲津もびっくりな地下銀行で世界の為替と株価をコントロールしていたのである。
 いずれもこれは特撮ヒーローの子供向け番組の中での出来事であり,われわれはその馬鹿馬鹿しさを笑って見ていられるが,実はこれらの悪の組織の方法論を周到に実行すれば,平和ボケした現代の日本国民など簡単に工作できるかもしれないから恐ろしいのである。
 その際最初にやることは新聞,テレビのメディアを懐柔することである。そして毎日毎日国民が暗い気持ちになるような悪いニュースばかりをエキセントリックに流し,今の世の中が何となくだが悪い時代であるかと思わせるような世論を形成していくのである。そうすると国民の不満や憎悪は必然的に政府与党に刃のように向い,悪いことが起これば何でも政府与党や国のリーダーのせいにするようになる。そして,日本のことを悪く言うことで自称“インテリ”のキャラを立ててきた御用学者たちをコメンテーターとしてテレビスタジオの雛壇に並べ,朝から晩までありとあらゆる日本の悪口を言わせるのである。
 このような電波を毎日浴びせられた国民の多くは,日本人としての尊厳を次第に失い,だんだんと日本という国が嫌いになっていくだろう。それに追い打ちをかけるように,本来は国民に伝えなければならないことまで,“報道しない自由”を盾にとり,メディアは正しい情報を遮断してしまえばいいのである。
 そこで,我らが「民主人権党」の出番である。我らが“ヒーロー”「民主人権党」が燦然と輝くマニフェストを掲げ,例えば,“政権交代をすれば株価3倍”,“政権交代すれば癌も治る”,“政権交代すればベイスターズ優勝!”などと実現不可能な空手形を国民に切り,懐柔していけばいいのである。しかも尚且つ国民にとって不幸なのは,『新世紀のビッグブラザーへ』の世界では,このショッカーみたいな「民主人権党」と戦ってくれるヒーローや防衛隊もいないので,まさに「民主人権党」の思いのままだ。
 実際に,「イントラネット大アジア」というネット遮断システムで情報封鎖された第三地域(旧日本国)に隔離された第三市民(旧日本国民)は,「民主人権党」によって完全に管理されてしまったのである。

 この戦後60余年の間に,日本という身体の筋層に潜り込んで根を張っていた巨大な腫瘍の塊が,腐臭漂う分泌液を垂れ流しながら国民の前に姿を現したのが「民主人権党」である。その姿はあまりにも醜い。少なくてもショッカーにはショッカーなりの「悪の美学」や「悪の仁義」があったはずだが,「民主人権党」は,確固たる形も成さず,ただただ増殖を続けるだけの癌細胞のようである。しかも「民主人権党」の始末におえないのは,“民主”や“人権”という良心的な言葉で正体を偽装しているところだ。第四代「民主人権党」党首ハトカワは,“友愛”などという言葉を巧みに操り,第三市民を懐柔したのである。
 この点については,ショッカーやデストロン(『仮面ライダーV3』)といった悪の組織は,見るからに悪の組織と分かるような名称がついていたりして,堂々としていてまだ気持ちがいい。自然界において,猛毒を持った昆虫や爬虫類が極彩色の姿を見せることによって,“オレたちは危ないぞ”と警告を発しているのと同じだ。
 しかし「民主人権党」ときたら,そんなそぶりもまるで見せないので,最初は美味しそうなカレーだと思って一口食べたら,実はウンコだったという最悪なケースになるのである。
 「民主人権党」が掲げるマニフェストも実に胡散臭いものばかりである。どれもこれも,女,子供,病者といった社会的弱者の琴線に触れるようなものなのだが,その中で,例えば「女性差別禁止」と今の日本で言われても,女性の私ですらリアリティがない。
 私事で恐縮であるが,私はこれまで仕事や学問や,その他世間のコミュニティの中において,女性だからという理由で差別されたことは一度たりともない。自分の力不足で達成できなかったことはたくさんあるが,それは女性だから出来なかったのではなく,単にその時の自分自身の実力が足りなかっただけである。ましてそれは,社会のせいでもなく,政府の政策のせいでもなく,もちろん悪の帝国・読売巨人軍のせいでもなければ自民党のせいでもない。すべて自分の実力不足である。人間誰しもこれを認めるのは辛いもので,この辛い気持ち,悔しい気持ちで悶々としている時に,「民主人権党」のような翼賛政党が現れたならば,一気にそちらになびくであろう。これはどうしようもないポピュリズムたる「病」に冒されている日本の末期症状を暗喩しているのである。

●巨大イントラネットで展開される終端抵抗と有機端末との闘い
 「大アジア人権主義市民連邦」に統治された第三地域は,バーティカル・フィルタリングによって外部からの情報が全てターミネートされている。いわば末梢血管が壊死して多臓器不全を起こしているような状態である。そのまま放置すればやがて腐敗するであろう。こんな恒常的に循環不全を起こしたような世界に住んでいる第三地域の住民だけは,デモも集会も容易ではない。ネットというツールを取り上げられた彼らは,お互いの信頼の上に成り立っていたコミュミティも失ったのである。
 青空すらも,作り物の「美」に見えてしまうこの殺伐とした世界は,円盤生物来襲後の地球(『ウルトラマンレオ』後期シリーズ)にもそっくりなのである。この時ブラック指令は,直ちにみさかいなく町を壊すのではなく,防衛隊基地や,市民と防衛隊員の交流の場であった市民スポーツクラブを全滅させることで,市民からコミュニティを奪ったのである。「大アジア人権主義市民連邦」がやろうとしたことがまさにこれで,ウェブ上のコミュニティを失った第三市民たちは,一人一人が単なるばらけた点でしかなくなったのである。
 青空から射す光を見て,まるでテタノスパスミンに冒された破傷風患者のように発狂しかけるススムの姿は,究極の孤独を前に,初めて「死」というもののリアリティを感じた時に表れる裸体としての人間の姿である。しかし別の言い方をすれば,まだその行動できる「身体」がある限り,われわれ自身が終端抵抗に対抗するべく有機端末となり得るのである。そしてその,有機端末たる人間の身体の耐用年数は有限であるが,可能性は無限なのである。それには第三市民一人一人が行動を起こさねばなるまい。これは,今の世の中にも大いに言えることなのである。

 この物語のラストを読んで,これをバッドエンドととらえるか否かは人それぞれである。
 少なくても私は,ラストで青空のもと一歩ずつ歩くことを決意したススムの姿に,たった一人で何千匹ものギャオスと戦いを挑むガメラが空に向かって咆哮を轟かせた『ガメラ3-邪神イリス覚醒』(金子修介監督)のエンディングを思い出してしまったのである。

(余談であるが,「民主人権党」のやり口や,メディアを使った世論誘導の方法論が手に取る様に分かってしまう私こそ,スガ・イチロウやハトカワなんかよりも「民主人権党」初代党首に相応しいのではないかと思った次第である。)

| | Kommentare (2) | TrackBack (0)

22. Juni 09

【現代詩】 「詩人・三須康司さんを偲ぶ会」のお知らせ(6月28日,銀座・藍画廊)

■「三須康司さんを偲ぶ会」■
2009年6月28日(日)
午後1時~夜まで(入場無料)
場所:藍画廊
〒104-0061 東京都中央区銀座1-5-2西勢ビル2F  
Phone/FAX. 03-3567-8777
http://homepage.mac.com/mfukuda2/index.html
*各自,飲み物,食べ物差し入れ歓迎
*会場では「三須康司遺稿集(序)」が配布される予定

 昨年の6月28日に,詩人で二人称画廊の主人だった三須康司氏が無くなってから,もう間もなく一周忌を迎える。東京銀座の藍画廊では,ちょうど命日にあたる28日の午後1時から,三須康司氏と関わりの深かった美術作家,評論家,詩人,画廊オーナーなどが集まって,ささやかながら三須康司氏を偲ぶ会が開かれる。
 また会場では,この日のために三須康司氏と関わりの深かった作家の平岡ふみおらがまとめた「三須康司遺稿集(序)」も配布される。この「遺稿集(序)」は,三須康司氏が主宰していた二人称画廊で開催された展覧会リスト,三須康司氏と関わりの深かった人物によるテキストに加え,三須康司氏が生前に書き残した作品などで構成される貴重なものである。今後はさらに,今回の「遺稿集(序)」に漏れたものも新たに加え,より充実した「遺稿集」の発行準備がすすめられる。(なお,今回藍画廊で来場者に配布される「遺稿集(序)」には,井上リサにより書かれたテキストも収録されている)
*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *


 詩人・三須康司のことをよく知っている人がいるとすれば,その多くは1960年代あたりから,公募美術団体には属すことなく活動をしていたキャリアの長い美術作家か,あるいは70年代あたりから,銀座,神田界隈の画廊を中心に作家活動を行ってきた美術作家であろうと想像する。別の言い方をすれば,三須康司という人物は,日本のマスなアート・シーンとは離れた所から,作家の作品を個別に見続けてきた人である。そしてこの行為は昨年6月に亡くなるまで続けられた。
 この空間でかつて三須康司と出会った美術作家たちは,必ずしも日本の現代美術のメイン・ストリームを歩いてきた作家とは限らない。なぜなら,三須康司は,自らが画廊の名前に採用するほどに“二人称”という問題にこだわっているのであって,批評対象である作家がどのセクトに属するのか,また,無名であるのか有名であるのかといったことは一切関係ない。三須康司にとって重要なのは,「私」(三須)と「あなた」(美術作家)との間にある「二人称」の関係なのである。「二人称」の関係を結んでこそ,「批評」という行為が始まるというのが三須康司の考え方だ。ゆえに,三須康司にいったんつかまったら,なかなか逃れることはできないのである。
 しかし,当時から三須康司のこの批評スタイルを理解しなかった人間も多くいて,70年代の血気盛んな作家たちとはしばしば大喧嘩になり,出入り禁止となった画廊もあると聞くが,今となってはどれもこれも懐かしい逸話である。
 80年代になり,単館上映映画や欧州の辺境の家具や建築などとともに,物珍しいスノップなスタイルとして一時もてはやされた“アートブーム”によって,現代アートを取り巻く情況も次第に様変わりしていくこととなる。これまで銀座界隈の貸し画廊で個展を行ってきたような作家たちが,欧米から流入してきたコマーシャルギャラリーやオルタネイティブ・スペースで個展やコンペに参加するようになり,かつてアートシーンの中心的な場所であった銀座からは老舗画廊が次々と店じまいして,より「人」と「カネ」が集まる六本木,青山界隈へと人もアートシーンも移っていった。
 そこで,あたかも広告代理店の“仕掛け”のように,新興のアート・メディアによってカタログ化されたアート・ムーブメントの中で,アートも美術作家も消費されていったわけである。
 その結果,まるでハゲタカ・ファンドに食い荒らされた日本経済のように,アートそのものが枯渇して,だんだんと先細っていったように見えるのは私だけではないはずだ。そして僅かに発行される美術誌も,批評誌という役割を自ら放棄してしまったように思える。
 こんな状況になっても,三須康司の批評スタイルは変わらなかった。三須康司は,彼の目指すこの世界における最小限の社会単位である二人称という関係性も存在しないような私小説的な作品を作って自閉する病者としてのアーティストが増えていっても,二人称の関係を求めて根気よく画廊巡りを続けたのである。
 そして現在,三須康司と同時代を生きてきた作家たちや友人たちも次第に鬼籍に入り,美術業界の中でも三須康司のことをオン・タイムで知る人は少なくなってきたのだ。しかし今だからこそ,われわれは三須康司の仕事を振り返らなければならない時がきているのではないか。
 今一度,三須康司が生きた時代,見てきた世界を掘り起こし,マスなアート・シーンの中でいったんリセットされて,現在はもう無かったこととされている様々な情況の痕跡をアーカイヴしていくことが,残された我々に課せられた仕事であろう。(三須康司さん一周忌に寄せて,井上リサ)

| | Kommentare (0) | TrackBack (0)

21. Juni 09

【アート】 詩人・加島祥造トークショー 『伊那谷からバリへ』(2009.6.20,文化クイントサロン)

158


 現在,季刊『銀花』第158号で60ページにわたって詩人で英米文学者の加島祥造さんの特集がくまれている。今回はこの特集に併せて,新宿の文化クイントサロンで加島さんのトークショーが行われた。
 150名ほどの来場者でうまった会場では,トークショーまでの間がある時間に,今年加島さんが滞在したバリでの生活風景や創作の様子が紹介された。今回「加島祥造 お話の会」と銘打たれたこのトークショーは,いつもならもっと広い会場で1000人,2000人は余裕で集まる普段の加島さんの講演会とは趣が異なり,まるで加島さんの信州・伊那谷のアトリエにおじゃましたような雰囲気の,まさに午後の“茶話会”に相応しいトークショーであった。

●「求めない」から「受け入れる」
 一昨年に加島さんが出版した詩集『求めない』(小学館)は,現代の詩人による詩集では異例の40万部を超えるロングセラーとなっている。この詩集の草稿が書かれだしたのは,ちょうど加島さんが老子の道徳径81章の自由律による訳や,その後に続く老荘思想についての仕事を一区切り終えた辺りであろう。この頃から,加島さんが読者のために個人で発行している詩誌『晩晴館通信』の中で,「求めない」と題する散文的な詩が断片的に載るようになった。
 「求めない」という新たな創作のテーマについて加島さんが初めて読者に向けて言及したのが,2005年10月発行の『晩晴館通信』第51号の中でのことである。この時伊那谷から私のもとに送られてきた『晩晴館通信』の表紙には,大中寺の芋のスケッチとともに,次のような短い詩が寄せられていた。

 求めない―
 すると
 しっかりした顔になる

 そしてページをめくると『「求めない」の話』というエッセイが初めに載っている。それによると,去年の夏(すなわち2004年の夏),突然に「求めない―」で始まる語群が次々と湧き出てきたことについて書かれている。それはアトリエにいる時,歩く時,時には食事を作っている時にも出てきたそうである。そして,4か月ほどかけてこれを毎日メモをしていたら,短い断片が150篇ほど,それから詩が13篇ほどにまとまったとのことである。それを整理して後に2007年に出版されたのが,ベストセラーとなった詩集『求めない』なのである。
 今これを見ると,この時の『晩晴館通信』の中で,すでに「求めない」というテーマはかなり明確なものとなっていたように思う。

 求めない―
 すると
 「自分」の時間が生まれるんだ

 求めない―
 すると
 無意識に捜していたものに気づく。

 求めない―
 すると
 人にきがねしなくなる

 実際の詩集『求めない』でも,このような散文詩が続いていく。これは老子の思想の中の「知足」(足るを知る)というものに必然的に繋がるものである。人間は基本的にいろいろなものを求めずにはいられない存在なのだが,そのことを認識したうえで,あえて「求めない」で生きてみよう。そうしたら自分の周りで何が見えてくるだろうという興味深い試みなのである。
 そしてしばらくしたら,今度は「受け入れる」という発想が加島さんの中には生まれてきたそうだ。これについて加島さんが初めて具体的に言及されたのは,2008年1月に発行された『晩晴館通信』第56号でのことである。この中の「偽正月の記」というエッセイで次のような散文が初めて出てくる。

 受け入れる
 すると
 ほんとに楽になるんだ
 信じなくともいいよ,ただ
 ぼくの言うことを
 受け入れると
 少し違うかもしれない

 私は初めてこれを読んだ時, 「求めない」から「受け入れる」へとどのように繋がるのかよく分からなかったのだが,この年の夏に,加島さんと個人的に親しい出版社,芸術家,友人ら100人ほどが伊那谷の加島さんのアトリエに集まって,庭でプライベートな「蕎麦と花火」の会が催された際,加島さんが突然思い立って始めた予定には無かったトークショーの席での話を聞いて,ようやく分かるようになってきた。
(実はこの時の模様は,加島さんのトークも含めて唯一私だけが映像を記録している。それもそのはずで,予定には無い“ゲリラ的”トークショーだったので,大勢のマスコミ関係者がいながらビデオカメラを用意している方が誰もいなかったのである。私は伊那の美しい風景や花火を動画に収めようと思って,たまたまビデオカメラを持っていたので,急きょそれを回すことになったのである。この時私が撮影した映像は,朝日新聞出版部と加島事務所の方へ送ってあるので,今後何らかのかたちで公開される機会もあるであろう。)

 「受け入れる」とは,自分が「求めない」ものが来てしまった時に,それをなんとか「受け入れる」心境ではないだろうか。加島さんが自由律で訳した老子の道徳径の中の第39章「五郎太石でいればいい」も「受け入れる」極意のようなものが書かれている。ようするに人間はみな,何らかの役割を持って生まれてきており,国のリーダーになるものもいれば,河原に転がる五郎太石のような人間もいる。でもそれでいいじゃないか,ということである。自分が今やっていることが自分に課せられた役割なのだから,そのことを世の中に相対化してみじめになるなよ,ということのようだ。
 加島さんは「蕎麦と花火」の会のトークショーでは,“自分はもうすぐ,人生でもっとも大きなものを受け入れなければならないところに来ているんだよ”と語っていたことが印象的である。これはまさしく「老い」や「病」や「死」を意味することである。

●伊那谷からバリへ
 加島さんがバリで休暇を過ごすようになったのは80歳になったころからだそうだ。冬の伊那谷が独居生活をするのにはあまりにも厳しい環境なので,暖かいところへ逃げたくなって,毎年2月~3月のもっとも厳しい時期にはバリで過ごされている。最初はご覧のとおり,寒さ凌ぎのためのバリ滞在であったのだが,バリで毎年生活しているうちに,そこで60年前の日本の原風景を見るきっかけになったそうだ。そのことが,近年の創作のテーマである「求めない」や「受け入れる」の世界を広げることにも繋がっている。
 加島さんが毎年休暇をとる場所は,観光客がツアーで押し寄せてくるような騒がしい場所ではなく,奥まった農村部や,漁民が暮らす静かな集落である。そこにある安価なバンガローを1ヵ月ほど借り切って,地元住民とも飲食をともにしたりする。
 東京と比べて信州の伊那谷がいくら自然が多いからといって,年々舗装された道路が増え,近くには国道も通り,高い電線も張り巡らされている。東京と伊那との比較ではそれほど気にならなかったこれらのことが,バリへ毎年行くようになって気になるようになったそうだ。バリ農村部の集落に比べると,伊那も都会だなと。
 そしてバリで過ごし,地元の人たちとの交流で,自分が子どもだった時に親から聞かされた日本の童謡や民謡,それから電線の見えない風景が身体感覚として蘇ってきたとのことである。これはバリで過ごして初めて自分の中から出てきた感覚で,人間が子ども時代に享受する様々なものから受ける身体感覚こそが,老いてきた時に大切になってくると語ってくれた。それはおそらくその民族,故郷における土着性のことを加島さんは言っているのだと思われる。土の上や草むらを裸足で歩く感覚,虫を捕まえてそれを手に持った時の感覚,そしてそこの土地で親や兄弟から聞かされた民話や民謡など。こういった情緒的なものが,いよいよ「老い」を迎えた時に蘇ってくるというのだ。そこでいろいろなものを「受け入れる」ことができて,楽しくなるのだそうだ。
 何でも早々と結果ばかりを求めたがる今のわれわれには,このダイナミズムはまさに刺激的なのである。これを聞いたすべての人間が,加島さんの言うようなことを実践できるとは到底思わないが,子ども時代に土のある道で遊んだ経験があるのか,あるいは,物心ついた時にはすでに舗装された道路しか歩いた記憶がないのかで,一つの分岐点が生まれるであろう。 
 かつて神田,横浜と都会に住み,それから信州・伊那谷,そしてバリへと繋がる加島さんの道筋は,次第に失われつつある身体性を取り戻すための壮大な旅に思えてならない。その身体性を取り戻すという行為は同時に,人間が生まれ持った「生老病死」という「苦」と身体の不自由さをあらためて認識することにも繋がるが,そこで初めて「受け入れる」という心境に達することができるかもしれないと思うのだ。

 今回の「お話の会」では,トークの他に,加島さんを囲んでの歓談の場ももうけられた。会場では冷たいお茶と,名古屋の老舗和菓子店「両口屋」さん提供の菓子もふるまわれた。「旅まくら」,「信濃路」と銘のついた小さなお茶菓子は,今回のトークショーに因んで選ばれたものである。
 また現在,銀座のBar Kajimaでは6月27日まで,主にバリ滞在中に制作された加島さんの作品展が開催されている。

■加島祥造展 「伊那谷からバリへ」
2009年6月8日(月)~27日(土)
場所: Bar Kajima
    中央区銀座7-2-20 山城ビル2階
    電話 03-3574-8720
時間: 月曜~金曜(18:00~24:00)
    日曜日(15:00~21:00)

| | Kommentare (0) | TrackBack (0)

20. Juni 09

【映画】 マイケル・ベイ監督 『トランスフォーマー/リベンジ』 世界最速先行上映へ行く (6月19日)

1_5   

 人類誕生よりもはるか大昔の時代から,宇宙の中で独自の文明を築いてきた知的生命体と,彼らが歴史の中で見守ってきた人類との友情の物語である。
 監督のマイケル・ベイはワールドプレミアの席で,“今回の作品には日本のサムライ魂を込めた”とコメントしたことで,公開前からかなり話題になっていた作品である。製作・総指揮にスピルバーグの名があるので,それも納得である。
 この物語の背景にあるのは,惑星サイバトロンにおけるオートボットとディセプティコンという2つの種族間の争いである。もともとこの惑星には,「知的生命体が存在する惑星は侵略してはならない」という協定があったのだが,それを片方のディセプティコン側が破ったことで,地球人類も巻き込む戦争へと発展していくのである。
 惑星サイバトロンから地球に入植してきた知的生命体は,われわれ人類や地球に生息するいかなる生物とも同根の起源を持たない機械生命体である。彼らは車や戦闘機等の乗り物や,金属性の日曜器具などに擬態する能力を持ち,普段はその擬態した姿で身を隠しているが,戦闘モードになった時には,日本のアニメや特撮ヒーロ番組にしばしば登場する,いわゆる超合金合体ロボのような姿に自由に変形することができる。映画タイトルにもなっている『トランスフォーマー』の由来はいうまでもなく彼らのその能力を表している。
 今回の『トランスフォーマー/リベンジ』は,前回にもましてCGによる映像表現が格段にスケールアップしている。SFXにCG映像が使われだした初期の頃の映画では,その質感やシュルレアリスティックな表現がいかにも新鮮に映ったが,それも見慣れた今日では,その技術を使ってどんな魅力的な「絵」が作れるのか,といったことにSFXにおけるCGというツールのあり方が求められている。そのような意味では,機械や乗り物が複雑に,しかもスピーディーに他の形態に変形していく過程をくまなく見せるというシークエンスの数々は,CGのもっとも得意とすることであり,自然界の生物の変態とは明らかに異なる演算的な動きは,われわれとは起源も文明もまったく異なる異種生命体としての彼らの特徴を良く表現しているのである。前回にも増して,これが一つの見せ場でもあるこの作品は,残念ながら人間ドラマのパートはやや凡庸で,70年代頃のベタなアメリカン・ファミリーという感じである。しかしこれは監督のマイケル・ベイが“良きアメリカ”の原風景として記憶にとどめるファミリーの典型なのであろう。

 トランスフォーマーに限らす,その他のSFX作品,そしてSF文学に至るまで,知性をもった機械生命体という存在はこれまで数多く登場してきた。それは大きく分類して,アンドロイドやサイボーグのように人類によって作られた人工生命体と,進化の過程で身体が機械化,あるいは何らかの理由で機械が知性や生殖能力を獲得して独自に進化していったものである。現在の科学の分野では,アンドロイドやサイボーグの実現がもっとも現実的だ。その他二つについては,それこそ人類が宇宙航海時代を迎え,戦艦大和に波動エンジンを搭載して銀河系の外へ出て行けるようにならなければ理解できない世界であろう。トランスフォーマーの世界観では,まだここの部分が謎であり,それは,“人類は神が創造したものならば,我々は誰によって生まれたのだろう”という問いかけが今後の大きなテーマとなりそうである。
 そもそも機械生命体,もしくは「機械が生きている」という状況は,なかなか想像しにくいが,見方を変えればお互い様である。つまりはサイバトロン星を故郷に持つ彼ら機械生命体にしてみれば,われわれ人類だって,たかだか4種の塩基配列と蛋白で合成された有機端末にすぎないわけで,なぜこんな脆弱な存在のものが長きにわたり文明を築いていたり,子孫を残せるのかが不思議であろう。
 これを考えると,生物,あるいは人間とそうでないものの定義が非常に曖昧なものとなってしまうのである。そこで数々のSF文学や映画では,人間ではないが限りなく人間に近い人工生命体を登場させて,あえて人間の定義を問うたのである。その方法論の一つとして,人間やあるいは完全な“生き物”になりたいと願う人工生命体の言葉を借りて,自分,すなわち人工生命体に無くて人間が持っているものに焦点を当てたわけである。そこで見えてきたのは,結局のところ文化や文明の構築と生殖能力の獲得なのである。
 例えば,『スタートレック・ネクスト・ジェネレーション』(以下TNG)では,アンドロイド士官のデータ少佐が,人間により近付くために,自分の電子頭脳のチップをコピーして娘を作ってみたり,猫を自分の子供のように世話したり,また,バイオリンの演奏や絵画作品の制作を通して,人工知能が苦手とする創造的なことにも果敢に試みたのである。TNGシリーズの中でも名作エピソードの一つである『人間の条件』は,データ少佐を機械としか認めていない艦隊司令部の幹部と,データ少佐を“人間”として扱っているピカード艦長以下エンタープライズ号のクルーたちが,データ少佐の処遇をめぐって法廷で争うというものである。ここでデータ少佐が人間なのか否かを問う裁判で決め手となったのは,データ少佐がいかに創造的な“人物”であり,クルーからも信頼されている誠実な“人柄”かということであった。これによりデータ少佐は,アンドロイドながら“人間”として認められたのである。
 トランスフォーマーの世界では,サイバトロンの機械生命体に,われわれ人類よりも長い歴史と文明を持たせることで,人工によるものではなく,自然進化の過程で誕生した可能性もある機械生命体ということに含みを持たせている。そして彼らに人間同様の感情も与えているのである。それについては今回は前回にも増して感情表現が豊かになっている。例えば,長い間戦闘機に擬態してスミソニアン博物館の中に隠れていたジュダイ・マスターのような年老いたディセプティコンが,遠い故郷に馳せる郷愁のような思いを吐露したり,人間に捕まったとたんに今度は人間にゴマをすり出したディセプティコンの手下などは,特に丁寧に描かれているキャラクターであり魅力的だ。そして彼らに「文字」の文化を持たせた発想も面白い。これにより,彼らが地球言語に帰属しない独自の文明を築いてきたことが証明されたわけである。

 機械に魂や生命が宿るという考え方にさほど抵抗なく同調できるのは,欧米諸国よりも,おそらくわが国日本であろう。この点について麻生太郎はその著書『とてつもない日本』(新潮新書)の中で,実に興味深い論を展開しているので一読の価値がある。特に興味深いのが、第二章「日本の底力」の中で論じられている「日本がロボット大国である理由」という章である。ここで麻生が批評の中心的な俎上にあげているのが、『鉄腕アトム』と『モダンタイムズ』だ。そして、欧米文化におけるロボットの存在は、その誕生自体がもともとは強制労働的な要素を含んでおり、先天的に人間社会とは対立せざるを得ない存在であると分析している。それに対してわが国の場合は、ロボットは人間の友達であるという文化が早くから根付いており、対立よりもまずは人間社会での融和が描かれてきた。
 麻生太郎は、その文化的素地を作ってきたのが『鉄腕アトム』をはじめとする日本の優れたマンガやSFアニメーションであるとしている。それによって、例えば欧米が人間の形を成さない工業用ロボットの技術が発達していったのに対してわが国の場合は、介護ロボット、接客ロボット、そして「アイボ」や「アシモ」のようなペットロボットのように、人間の実生活の中で直接関わる存在として、新たなロボット技術が開発される契機となったと指摘している。そして当然のことながら、その技術は単なる実験レベルで終わることなく、近年では、身障者や高齢者用に開発が進むパワードスーツの研究などにも応用されている。そしてそれらの思想の源流は『鉄腕アトム』などにあると麻生太郎は結論づけている。
 この考えに異論はない。それに加えて日本では,古来から神道が浸透しており,古代神道の世界観では「八百万神々(やおよろずのかみ)」といって,日本の中には800万ものカミサマがいることになっている。このカミサマたちは,動物を始め,山や川や海や森といった自然物に宿るカミサマだけではなく,人間が生活の中で身近に使っている道具や物にさえもカミサマが宿っていると考えるプリミティヴな世界観である。
 これらの文化的背景をベースに考えた場合,例えば農家の農具にカミサマが宿るならば,現代の道具である車や戦闘車両や戦闘機にもカミサマが宿っていてもまったく不思議ではない。
 マイケル・ベイ監督が,『トランスフォーマー/リベンジ』のプロモーションで一番力を入れたマーケットが実は日本で,ワールドプレミアの際の“日本のサムライ魂を込めた”という発言は,おそらくこの物語で展開される人間と機械生命体との間で取り交わされる自己犠牲の精神などを指しているのだとは思うがそれだけではなく,製作・総指揮にスピルバーグが名を連ねていることも考えると,わが国日本で連綿と続いてきたロボット文化やアニメ文化の中に内在する機械と人間との隔たりのなさのようなものも,ある程度の理解はしていると思えてならない。

 この作品は,文化的背景によって異なる生命倫理や人間存在の定義についても深く考察してみるのも面白いが,もちろん基本的にはエンターテインメント作品として十分に楽しめることができる。特に,様々な機械や日用品が実に複雑な過程を経て戦闘ロボットに変態していく様子は見ていて飽きない。昔,子どもの頃,手塚治虫原作の実写版『マグマ大使』を見た時に,あのロケットの形から,どうやって人間の形に変形するのだろうとずっと不思議に思っていたことが一気に解決した気分になる。『マグマ大使』の映像世界では,ロケットの翼から手が出たり,ジェットエンジン部分から足が出たりして人間の形になるのだが,変形時に肝心の全体を映さないものだから,どうやって人間の形に変形するのかが全く分からなかったのである。
 こんな話をすると大人になって建築家や物理学者になった友人も,子どもの頃からそれが不思議だったようで,何度も図面で展開図などを書いて考えた記憶があるそうだ。『トランスフォーマー/リベンジ』の最新技術によるSFXを見ても,どこか馴染みのある感じがするのは,日本人の映画ファンには少なからずこのような原風景があるからではないか。加えて,ここに登場するキャラクター自体が,その源流はかつて日本の玩具メーカーのタカラが海外マーケット向けにメディアミックスしたものである。それが数十年の時を経て,日本に凱旋帰国したようなものだ。
 言うなれば私は今,かつて英国によって世に送り出された「鉄道」が,わが国日本が誇る世界最高峰たる「新幹線」という技術を搭載されて母国へ戻り,今まさにそれが英国の大地を走っているのを見て感慨に耽る英国人のような心境である。(6月19日,アメリカ人の友人ら3人と新宿ピカデリーで鑑賞)

2

(迷彩柄のパッケージの中に収められた特製パンフレット 1600円)

| | Kommentare (0) | TrackBack (1)

«【アート】 銀座 Bar Kajimaで詩人・加島祥造さんの作品を展示中(6月27日まで)