14. Mai 08

【上映会】「佐藤真の映像民俗学の世界を見る」(日本映像民俗学の会)

【上映会のお知らせ】

●佐藤真の映像民俗学の世界を見る●

~昨年夏に自死した映画作家の作品を鑑賞し、考察し、霊を悼む~

日 時:5月31日(土曜)午後5時30分~9時45分       

場 所:四谷区民センター内、四谷地域センター11階 集会室4 

会場借用費:一般学生共500円  

今回は、昨年急死された佐藤真さんの映画を中心におこないます。

彼は映像民俗の世界に近づいていきた…、というよりも彼の代表する映画「阿賀に生きる」は、映像民俗学そのものの作品といっていいと思います。

彼自身の思考回路を論理化するさなかに亡くなったことは無念であります。

今回は「阿賀の記憶」と彼の自死の原因ともなった映画の2本を上映します。

興味のある方のお声をかけてください。

日本映像民俗学の会

〒160-0014

 東京都新宿区内藤町1-10テラス大黒201

 03-3352-2291 [F]03-3352-2293

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05. Mai 08

【展覧会】『病と医療 江戸から明治へ』(国立公文書館)

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 江戸から明治にかけてのわが国の医学史料の一般公開である。史料の説明は、音声ガイドも含めて医学史という学問に初めてふれる初心者向けに作成されているが、史料そのものは貴重なものばかりで見ごたえ十分であり、メモを取りながら1点1点じっくりと見ていたら、2時間近くもかかってしまった。

 ここで公開史料の中から特に興味をひいたもの、貴重なものをいくつかピックアップする。

『官府御沙汰略記』(延享2年~安永2年)
 文京区小石川にあった幕臣小野家の隠居が書いた日記で、本来は幕府内の人事異動などを主に記録したものであるが、その一部に家庭医学書のような民間医療について書かれた項目もしばしば登場するので面白い。
 例えば、肌荒れのひどかった若い娘に対し、クチナシの煎じ汁に塩を入れて炊いた米を食べさせると良い、という記述がある。クチナシの抽出成分は、現在でも美容液に配合されることはしばしばあり、その効能はメラニンコントロールであると言われているが、肌荒れに対して果たして経口摂取で効能があったのかどうかは定かではない。
 また、幕臣の平坂孫二郎が、梅毒の治療のために草津温泉に湯治へ行った記録も記されている。しかしあまり効果はなかったようで、幕臣付きの医者も、もっと長期に滞在して治療する必要があると言っている。
 この当時はまだまだ西洋医療が入ってくる前であるから、疾病の概念も現在とは相当に異なる。すでにコレラ、赤痢、インフルエンザなどが一般的な内科的疾患と異なる伝染病であるとは認識されていたが、後に東京医学校(現、東京大学医学部)にベルツやミュレルが来るまでは、病理学という概念が明確にはなかったので、病気の原因を正確に突き止めることは困難であったのがうかがえる。ヨーロッパでさえ、リスターが登場するまでは「消毒」や「殺菌」という概念がなかったのである。
 それにしても、この頃からすでに温泉の有効性が認められているのが面白い。そして庶民は行楽で楽しむものであったようだが、特権階級のものにとっては、すでに長期滞在型の施設として存在していたようである。
 その温泉の効能については、後に薬学者として来日したオランダ人のゲールツが、日本各地の温泉地をフィールドワークした本を出版している。
 その資料が下記の『日本温泉独案内』である。

『日本温泉独案内』(明治12年)
 薬学者ゲールツが、日本全国の温泉をフィールドワークして、その効能をまとめたもの。タイトルだけを見ると、まるで“お一人様”の独身OL向けに編集した『るるぶ』別冊みたいだが、内容はいたって科学的なものである。
 当時、民間医療の間では、温泉ならどんな病でも効く、というような温泉万能主義が大勢を占めていたようだが、当然温泉成分はそれぞれ異なり、実際にはその効能を知らずに温泉に浸かると、かえって病気を悪くしてしまう場合もあった。そのために薬学者のゲールツが、全国各地の温泉を巡り、その成分と効能を分析したのである。(しかし、彼の文献を読むと、私にはまったり温泉巡りの旅をしているようにしか見えない)
 この文献の中には、熱海、湯河原、修善寺、草津といった現在でも有名どころの温泉の名がたくさんでてくるので面白い。例えば熱海の温泉については、「第4種含塩泉」と正確に分析している。
 この時代にこのような書物が刊行されたのは、長らくわが国では科学的根拠に基づかない民間療法が何の疑問を持たれることなく広がっていたためで、それをあらためて科学的に検証していくことは、医学の近代化においては絶対に必要なことであったといえる。何にしても、すべてに対して「万能」である薬や治療法は霊感商法でもないかぎり存在しないわけで、今日の健康情報番組のひどさをあらためて上げるまでもなく、「万能」という言葉に安易に飛びついてしまう大衆が、いつの時代にもたくさんいたのであろうことを容易に想像できる。

『養生訓』(生徳3年)
 江戸時代に貝原益軒によって書かれた養生のための手引き書。今風に言えば、出せばベストセラーになる「健康マニュアル」本に相当するが、内容そのものは日々の質素なライフスタイルを体現し、それが結果的に養生につながるといった、いわば老子などの道教的な考えに近いものがある。
 その中で、現代の我々がもっとも見習わなければならないと思った一節を書き出す。

   万の事一時心に快き事ハ
   必後にわざわいとなる

 つまり、その時は一時的に快楽を得られることでも、節度を超えるとかえって病気になる、ということを言っているのである。これは、後に『養生訓』の影響を受けて多くの医師や学者が執筆したこの類の書物の中にもしばしば出てくる。
 例えば、幕府の医師だった多紀元徳が書いた『養生大意抄』(天明8年)には次のようなことが書いてある。

  凡(およそ)何事をせしにも 節(ほど)あり
  切なく苦しきを強いてはなせバ
  神気を傷(やぶ)り 又は筋骨を傷める 

 これも、何をやるにもほどほどが良いということを言っていて、その中でも特に飲酒や夜遊びや食事について言及しているものと思われるが、いずれの共通点も、適度に体を休めるのが良い、と言っているわけである。

『老人必用養草』(正徳6年)
 江戸の世でも、現在と同様の老人問題があったようである。これは老人向けに、老人はどう暮すべきかを説いた養生書のひとつである。その項目は健康はもとより、衣服、住まい、色情までにいたっている。そしてこの中の健康に関する項目でも、身体的な健康だけではなく、精神的健康についても「七情」(喜・怒・憂・思・悲・恐・驚)という項目で扱っていて、近年やっとわが国の医療現場でもQOLの向上や、患者や患者の家族の精神的サポートについても言及されだしたことも考えると、実に先見の明があると思った。しかも、高齢者の「色情」については障害者のそれと同じく、介護の現場でも長らくタブーになっていたことでもあり、江戸の医師たちのアヴァン・ギャルドな感性に興味をそそられる。
 その中で思わず笑ってしまったのは、「隠居僻みの原因」という項目だ。これは、若者と高齢者の世代間闘争にもつながることだが、『老人必用養草』の中では、老人が若者の言うことに従わず頑固になる原因は、老人は自分の生きてきた考えに固執し、視野が狭くなるからだと記されている。だから時には庭の片隅に草木でも植えて、心の余裕を持て、などと言っている。
 たしかに、近年の団塊高齢者もこぞって田舎に引っ込み、ロハスやスローライフ志向に移行しようとしている状況をみると、ストレスフルな都会生活の中で、始終若者に八つ当たりするよりも、このほうがよほど心身の養生になる。

『和蘭医事問答』(寛政7年)
 蘭学医の杉田玄白と建部清庵が交わした往復書簡である。その中で清庵が杉田へと宛てた書簡の中で、来日するオランダの医師は外科医ばかりだが、オランダには内科医はいないのか?、と尋ねているものがある。もともと奥羽藩の藩医で和漢医療に携わっていた清庵がこのような質問をしたのは、来日する蘭学医や蘭学に学んだ医師たちが、塗り薬でも済みそうな場合でも、何かと外科的処置をすることに驚いたからである。これに対して杉田は、オランダには内科医も当然いるが、わが国に最初に来日した蘭学医がたまたま外科医だったので、そのような印象がひろまってしまったのだと思う、と清庵に宛てて書いている。

『広恵済急方』(寛政2年)
 江戸で庶民の間に伝承していた民間療法を、多紀元徳が改めて編纂したもの。当時の10代将軍・家治は、都会(江戸)と田舎、そして武士と農民などの身分によって広がった医療格差を是正しようと、誰にでも速やかに役立つであろう家庭医学書のようなものの編纂を元徳に依頼していた。そして各地に伝わる民間療法、とりわけ産中産後の処置、中毒、怪我、嘔吐、発熱などの緊急を要するものを重点にしてまとめられたのが『広恵済急方』である。
 読んでみると、いろいろと面白いことが書かれているが、中には目を疑うものも多々あるのも民間療法のご愛敬である。
 ここでひとつ書き出してみる。

【喉に物が詰まった時】
鼻の中に強い酢を注ぎこめば、むせて吐き出す。

 これを見た時に、私は思わず往年の漫才コンビ「ツービート」のテイストを感じてしまった。「ツービート」のネタの中に民間療法をテーマにしたものがあって、例えば、歯が痛い時にはどうしたらいいか? ということだが、この時には目に釘を刺せばいい、というものである。なぜなら、目の痛さで歯の痛さを忘れるから、というオチが付く。
 これは本当にナンセンスというしかないが、私の個人的記憶を辿ると、小学校の予防接種の時、注射の痛みと恐怖をこらえるために、注射の時に友人に自分の足を踏んでもらっていたことをふと思い出した。これはまさしく、足の痛さを意識することで注射の痛さを忘れるためである。これが意外に効果があったと記憶している。
 『広恵済急方』の中にある民間療法には、このようなばかばかしいとしか思えないようなものも多々あるが、けしてそれが荒唐無稽というわけではなく、誰かによる何らかの成功体験から民間の間で伝承されたものであろう。それは現代の科学のように再現性が認められるものばかりではないが、時には江戸の庶民の命を救ったものもあるのだろう。

『龍驤艦脚気病調査書』(明治18年)
 大日本帝国海軍軍医の高木兼寛が演習中に海軍兵の中で起こった脚気(ビタミンB1欠乏)について詳細に報告したもの。周知の事であるが、わが国明治政府は、学問、技術、教育などをドイツに学んだ経緯があり、当然陸軍もドイツ式を導入していた。しかし海軍だけは例外で、軍医の高木兼寛がイギリスのセント・トーマス病院医学校に学んだことでもわかるように、伝統的に英国式を採用していた。このことは後に昭和に入っても何かと海軍対陸軍という構造を生じる原因にもなるが、海軍と陸軍が対立したのは単なる権力闘争だけではなく、そこには当然のことながら学問的対立も存在した。具体的に言うと、ドイツ病理学対イギリス臨床学の戦いである。
 海軍軍医の高木がイギリスで臨床医学を学んだのに対し、陸軍軍医の森鴎外(森林太郎)はドイツでコッホらの病理学を学んで帰ってきた。このことは、診断学というフィールドにおいて後々さまざまな対立をすることになるが、その最たるものが、脚気の診断と治療法をめぐる高木と鴎外の対立である。
 脚気の原因は、ビタミンB1欠乏によるものであることは現在は広く知られているが、明治に国民的病として脚気が蔓延した時には、なかなかその原因がわからなかったのである。ビタミンB1を含まない白飯が主食となった軍隊の中でも当然のことながら脚気が蔓延して、明治政府は軍医にその原因を突き止めるように命じた。
 ドイツでコッホ流の病理学を学んできた鴎外は、脚気の原因を病原菌説に求めて、“脚気菌”の特定とそれの同定を試みたがうまくいかなかった。それに対して高木は、かねてから鴎外の病原菌説を否定し、イギリスで学んだ臨床医学にのっとり、脚気にかかった海軍兵士たちの食習慣、生活習慣などを詳細に調査した結果、脚気の原因はやはり食事と生活習慣にあると仮説を立てた。そこで高木は、練習艦「龍驤」での反省をもとに、兵食に従来の白飯だけではなく麦、パンなどを取り入れてみたのだ。その結果、ビタミンを多く含む麦飯でビタミン欠乏が改善されて、脚気に罹る兵士が格段と少なくなったのである。高木のすごいところは、医学史上でまだビタミンの存在が発見されていない時代にこれをやったことではないだろうか。因みにビタミンの存在が発見されるのはずっと後になってからで、1911年にロンドンのリスター研究所にいたフンクによって、初めてビタミンが物質として同定されている。
 しかし、高木が正しく脚気の原因を突き止めても陸軍兵士の脚気の蔓延はしばらく止められなかった。これは、ドイツ医学に学んだ鴎外が、愚かにも最後まで高木の説を否定し続けたからである。そのため陸軍は日露戦争にいたっても相変わらずの白飯主義で、陸軍は戦闘以外にも多くの脚気患者で兵士を失っている。一方、練習艦「龍驤」での教訓を生かした海軍の兵食は戦艦「筑波」にも引き継がれ、脚気患者は激減しているのだ。
 昭和に入っても、兵食が充実していたのは海軍であり、例えば戦艦「大和」の中で食べられていた肉じゃがやカレーは、栄養学的にも理にかなったものである。

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26. April 08

【映画】市川崑監督『東京オリンピック(1964)』ディレクターズ・カット版

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 折しも、長野で北京五輪の聖火リレーが行われるこの日に、少々へそ曲がりの私はあえて、市川崑監督の『東京オリンピック(1964)』ディレクターズ・カット版をDVDで見る。
 この作品を見ようと思ったきっかけは、先日、試写で演出家・山岸達児の半生を追った竹藤佳世監督の『半身反義』(7月5日より、シネマ・ロサにて公開)を見たことがもともとの発端である。すでに先日の最新レビューでも内容にもふれたが、山岸達児は「東京五輪」(1964)や「大阪万博」(1970)、「神戸ポートピア博」(1981)などの演出を手掛けた草分け的存在で、特に博覧会や企業展などの映像展示、つまり今日的にいうと、マルチメディアや映像インスタレーションの分野で、斬新な仕事を次々に手掛けてきた人物である。
 実際に、『半身反義』の本編中にも、市川崑が撮影した『東京オリンピック(1964)』の映像が随所に挿入されている。そこで、2016年に再び五輪を迎える(かもしれない)に当たり、改めて『東京オリンピック(1964)』を見てみようと思ったわけである。

 『東京オリンピック(1964)』は、単なるスポーツ記録映画ではない。監督の市川があえて後からディレクターズ・カット版をDVDに焼き直したことも考えると、これは、「国民体育」としての象徴の昭和のスポーツ──即ち、力道山、読売巨人軍、大相撲などをポピュリズムの頂点として──の集大成と、日本の復興と来るべき産業大国・ニッポンへの夜明けを明示した映画であると言ってよい。その意味でも1964年という年は、新幹線やモノレールが開通し、また、当時日本人向けの住宅としては初めて「LDK」という概念を取り入れたマンモス団地も登場したという象徴的な年なのである。

 まずイントロで、朝焼けを背景に、やや半円の昇りかけた太陽が映り、次のカットでそのイメージは解体工事用の鉄球に引き継がれる。この鉄球を見た時に、年代によって何を想像するかは様々であろうと思う。この場面では、古い建物を破壊する様が映し出され、そこで戦後の焼け野原から復興していく日本の姿を演出していることがすぐに理解できる。そして、タイトル・カットインの後、日本へ聖火が到着して、各地を縦断していく聖火リレーパートへと向かう。
 『東京オリンピック(1964)』は、男子マラソンの円谷、女子バレーの東洋の魔女、体操ニッポンなど、競技パートでも見どころが盛りだくさんであるが、一番印象に残ったのは、実は聖火リレーなのである。
 この聖火リレーは静かなナレーションとともに、日本の名所を通過し、最後は“聖地”国立競技場の聖火台へと向かう。この中で非常に興味深かったのが、聖火ランナーが日本の名所だけではなく、古い木造の民家の路地を駆け抜けるシーンである。そこには、「式典」といった厳かな雰囲気とは対極をなす、日常の普段着の日本人の姿があった。つまり、このような市井の市民もフィルムに焼きこむことで、日本という国が、戦後、底辺からも確実に復興していく姿を表現しているのだ。
 そして、この聖火リレーでもっとも印象的だったのは、被爆地ヒロシマを背景にして駆け抜ける聖火ランナーの姿である。ヒロシマの原爆ドームに到着した聖火は、ランナーとともにドームの広場から直線通路を駆け抜けるが、この時にはドーム前の広場だけではなく沿道にも数千、あるいは数万人の群衆がいて、時折、小さな日の丸や五輪旗もはためいている。その代わりに視界を遮る政治的横断幕は一切ない。しかも聖火ランナーと沿道の群衆は至近距離であるのだが、コースを誘導する警備人員以外は、ランナーをガードするような警備は行っていない。聖火リレーを見るために集まった人々も、適度に遠慮がちな距離を保ちながら、聖火ランナーに近づくといった程度で、外国人観光客も含めて皆とても楽しそうである。聖火に集まる群衆の表情も含めて撮影されたこのような演出には、あえて政治的メッセージなど必要ないということか。
 このようなシーンを原爆ドームを背景にして俯瞰で撮影していて、群衆の中を割って入る聖火ランナーが、画面下方へと駆け抜けていくシーンが実に壮観である。手に持った聖火の燃え具合も良く、ほど良い白煙をたなびかせている。その白煙が聖火ランナーの軌跡を描いていくのも実に美しい。こんな素晴らしい映像を見てしまうと、本日長野で行われた北京五輪の聖火リレーの滑稽さがより際立つ。こちらの方はというと、沿道で起こっている流血の騒乱も画面から意図的にフレームアウトさせているばかりか、メディア総出で白々しい虚構の友好ムードを演出していて、まるで茶番劇にしか見えないのである。画面からトリミング処理でデリートされた日本人やチベット人たちも、それぞれ言いたいことはたくさんあっただろう。これは民主主義のジャーナリズムのやることではない。

 五輪が商業的スポーツイベントとなり、それによって優れたアスリートの育成のために運動生理学などが発展したのは喜ばしいことではあるが、同時に五輪ビジネスモデルの構築による企業スポンサーのグローバル的展開が、本来はアスリートと市民のためにあったはずの五輪を、どこか遠くへ持って行ってしまたようにこの頃は感じるのである。

 一方、東京五輪の聖火はやがて国立競技場へと向かう。近年ではサッカー日本代表の聖地となっているこの場所が、長い祭壇状に設けられた聖火台と並んで、あんなにも奥行きのある空間であったのかとあらためて気が付かされる。それはおそらく、東京五輪の点火式、および開会式が夜ではなく日中の開催であったこと。これによって、普段はサッカーの試合で夜の風景の方が見慣れている空間のディテイルが、日中の方がよく見えること、そして、会場に入った各国の群衆の顔やしぐさを一人一人克明にフレームに収めていることが、空間の奥行きを生んでいる。また意外にも観客席が急勾配なのも確認できた。これも山岸の演出の妙なのか、ランナーが一段一段駆け上がりながら聖火台へと向かうシーンは、ロス五輪以降、過剰で奇をてらった演出が主流となった点火式を見慣れているせいなのか、非常に臨場感あふれるものとなっている。つまり、クライマックスに向けての“タメ”が十二分にあるのである。
 そして聖火が点火されると昭和天皇の開会宣言があり、そのあと鳩が空へと放たれる。柔らかい日差しの中で会場では日の丸や五輪旗に加えて、各国の万国旗が一斉に振られている。この万国旗の中には当時もそして現在も、わが国との関係があまりよくない国々もあるのだが、この世界との一瞬の一体感が、当時の日本人たちの万感の思いを表しているようでならない。
 来るべき2016年、聖火が再びこの地へやってくることを願う。
 

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19. April 08

【試写会】竹藤佳世監督『半身反義』(7月5日より池袋シネマ・ロサで公開予定)

 竹藤佳世監督の最新作『半身反義』をTCC試写室で見る。監督の作品を見るのは2002年の『彼方此方』以来だ。
 今回の作品『半身反義』は、『東京オリンピック』(1964)、『大阪万国博』(1971)などの演出を手掛けた演出家・山岸達児へのインタビューを中心に構成されたドキュメンタリー作品である。

 山岸達児は1929年に上野で生まれ、日大芸術学部を卒業した後に毎日映画社に入り、そこで数多くの展示映像の演出を手掛けてきたパイオニア的存在である。特に、展示映像や映画の世界に「企画」という概念を持ち込んだのは当時としては非常に画期的なことであり、それが当時はただちにビジネスモデルとして成り得なかったとしても、後の映画界や、また映像表現を志すものに対して多大な影響を与えていったことは間違いないであろう。その山岸は、2003年に脳梗塞で倒れ、一命は取り留めたものの半身不随となり、現在も施設で療養中である。そこで山岸と以前から個人的に親交のあった監督の竹藤は、ほぼ寝たきりになってしまった山岸の病床へと通い続け、4年かけてこのドキュメンタリーを完成させた。

 試写の前に、監督から次のような舞台挨拶があった。
 まず、この作品を撮ろうと思った経緯について、自分が今まで生きてこれたのはいろいろな人々との出会い、支えがあったからであって、創作活動を通して出会った人々にも“縁”のようなものを感じている。自分は山岸達児の世代が作ってきた戦後、昭和の日本というものの上に立って生きてきたことは否定できないことであり、自分とは縁も所縁もなさそうな山岸の世代の人々とも、“縁”やつながりのようなものを感じている。戦後の日本を作ってきた人々への感謝の気持ちも込めて、自分は何ができるだろうかと考えた時に、今回の作品の構想が生まれたそうである。

 私は監督のこのコメントに多々共感する部分があった。特に、何かの“縁”により自分の日々の営みが続いているということや、昭和という時代へのこだわりや自分との関わりである。
 監督の竹藤のこういったコメントからも現れるように、今回の作品『半身反義』は、山岸へのインタビューを中心に昭和の断片を映像で切り取りながら、山岸が見てきた昭和と、竹藤の見聞きした昭和という時代が、まるで今まで深い地層の中に埋もれていたかのように、その巨体を持ち上げてくる。
 まず冒頭では、山岸の少年時代と思われる役の人物が、場所が明らかでない海岸を彷徨っており、やがて穴の明いたポリタンク様の漂着物を見つけ、その中を覗き込むシーンから病床の山岸へのシーンへと移行していく。冒頭の海岸のシーンはラストにも登場する重要なシーンで、人が誰もいない海岸に放置されて朽ちた家電等の廃棄物、あるいは漂着物は、まさに「高度経済成長時代」という地層の中から顔を出した匿名の堆積物に他ならない。あるいは、老いて朽ちていく、今ではかつての著名なクリエイターから一個人となった山岸達児の骨格にも見える。
 私があえて、一時代を築いてきたクリエイター、山岸達児に対して「一個人」という言葉を使ったかと言えば、それは、竹藤がこの作品の中で掲げる「老い」というもう一つのテーマを受けてのことである。

 竹藤がインタビューのために通いつめた山岸の病室は、著名人らがしばしば利用する差額ベッド代がかかるような個室ではなく、一般病棟の大部屋であった。したがって、竹藤が山岸に対して回しているカメラの中にも、当然のことながら他の患者の見舞客の声、遠方で響く医療スタッフの声なども入っている。また、おそらく竹藤や周囲の関係者から話を聞かない限り、他の入院患者や見舞客、そして医療スタッフまでも、かつて日本で「東京オリンピック」や「万国博覧会」があったことは知っていても、山岸達児がどんな人物かを知らないであろう。つまり医療スタッフからみれば、山岸が過去にどんなに偉大な功績をあげようとも、その一線を離脱してしまった後、今は医療空間にいるのだから、「一患者」として均一化されてしまうのは当然である。もちろんこれは、「生・老・病・死」という宿命を等分に持って生まれてきた我々にもいつか必ず訪れることではあるのだが、山岸のようにかつて栄華を極め、市井の市民とは異なった華やかな人生を送ってきたように見える人間であればあるほど、一人になって「老い」を迎えた時の落差は、あまりにも大きい。
 竹藤もそのようなことを感じてなのか、映像の中では病床の山岸との対話と並行して、山岸に所縁のある人物を訪ね歩くフィールドワークの様子も出てくる。ここで竹藤が訪れたのは、毎日映画時代の同僚や大学関係者、『東京オリンピック』や『万国博覧会』の制作に一緒に関わった当時のスタッフなどである。そして彼らの話の断片から山岸達児像を構築していく。ここで興味深かったのは、山岸を語る人々よりも、むしろ山岸が現役時代に残した膨大な資料の数々である。その資料を竹藤自ら倉庫から出すシーンがあるが、軽く1000は超えるであろう蔵書、自著、台本、コンテ等の数々は、竹藤が「1人の人間の(もちろん山岸のことを言っている)のキャパシティーを超えている」と感嘆の声を上げたように、それは圧倒的な質量である。
 また、竹藤のフィールドワークはこれに留まらず、山岸が1964年、つまり「東京オリンピック」の年から住まいにしていた松原団地の部屋なども訪れている。かつての空間はほぼ空き部屋状態となっているが、それでも、膨大な資料や蔵書で底が抜けかけていた床や、部屋の随所に残る生活臭のあるシミなどは、その時代から生きてきた山岸の痕跡などがはっきりとうかがえる。そしてもうひとつ重要なのは、この団地に今も住んでいる壮年の夫婦が登場することである。彼らはいわば市井の市民として山岸と関わってきた人々であり、したがって、クリエイターとしての山岸のことはよく知らなくても、そのかわりに山岸の日常と等身大でつきあってきたような人々である。言いかえれば、このような名も無き人々も山岸とともに戦後の昭和を作ってきた人々ともいえる。冒頭で監督がコメントした一連のメッセージは、このようなところからも良く伝わってくるのだ。

 それにしても、山岸の一番の代表作といえる『東京オリンピック』が、人類の肉体の究極的表現の場であり、それに相応しいアスリートの姿をフィルムに焼き付けた山岸の肉体は今、「老い」と「病」で自由を失い、さらにそれは、「人類の調和と進歩」というテーマを掲げた『万国博覧会』からすでに30年以上経過した現在でも、その「老い」と「病」から救われることはない科学の限界を見せつけられる思いである。
 1981年の『ポートピア81』でマルチビジョンのブースを手掛けた山岸は、来るべき情報化社会とそれに象徴されるマルチメディアの台頭をすでに予見していた。その14年後に、その人工の埋め立て地が阪神淡路大震災で液状化現象を起こす。美しく舗装されたフィールドの下からは、まるで内臓のように、あるいは地層の堆積物のように泥や液体が染み出し、かつての未来都市が脆くも崩壊していった。
 山岸の一連の仕事を時系列で見ていくと、この未来都市の足元に露出したものは、今まで地下に封印されていた昭和の身体の一部そのものではないかと思えてくる。映像でもそれを感じさせるように、山岸のインタビューとともに、「東京オリンピック」、「マンモス団地」、「新幹線」、「万博」、「高層ビル」、「モノレール」といった昭和の象徴が次々と挿入され、その映像の彼方に、これらのものを作ってきた名も無き昭和の人々の姿が群像になって浮かんでくる。それに対し我々は、何事もなかったように「平成」を迎え、そこで“失われた10年”に行き詰まるのだが、私はむしろ、山岸達児のように戦後の昭和を作ってきた人々の姿を胸に刻みながら、“失われなかった10年”の中に、「昭和」との“縁”を求めてみたい、と思える作品であった。

7月5日より「池袋シネマ・ロサ」にてレイトショー公開。

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12. April 08

【映画】『ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一髪』撮影快調!

 現在、『ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一髪』が7月の公開に向けて撮影中である。『ギララ』はもともと 1967年に松竹が制作した唯一の怪獣映画であり、表題になった宇宙怪獣ギララは、その秀逸なデザインからファンも多い。当時、東宝のゴジラ、そして大映のガメラが文字通り怪獣映画の二大看板であったが、ゴジラ、ガメラがその造形も含めて地球由来の生物である印象がするのに対して、一方のギララは、“宇宙怪獣”と別名が付く通り、ゴジラ、ガメラとは一線を画した地球外生物の雰囲気を放っている。
 まず全体のフォルムだが、尾があるので四ツ足の獣(けもの)のようでもあるにもかかわらず、大胸筋を意識した二足歩行型の堂々としたフォルムは、わが国における正統的な怪獣デザインの源流をいくものである。その上で、頭頚部にみられる鋭角的なデザインとセンサー状の突起物が、この時代(すなわち1960年代。つまりこの時代が近未来として描いた流線形の乗り物や透明アクリル・チューブのフリーウェイ、突起物が点滅する超高層ビルなども含めて象徴される世界観)が描いた宇宙、あるいは未来的イメージの一端を表している。そして近年、わが国の怪獣映画にインスパイアされたという触れ込みで多数公開されている諸外国のモンスター映画(ここでは怪獣映画という言葉は使わず、あえてモンスター映画と言うことにする)に登場する化け物たちと比較しても、それらよりも断然に優れて、既存の地球上のいかなる生物にもイメージを由来されることのない独創的なフォルムである。また、その昆虫のような眼は、血の通った生き物としての表情をうかがい知ることはできず、頭頂部の突起物からは何らかの破壊光線もしくは殺人光線などを発射するであろうことは容易に想像がつく。

 このギララを題材にして今リメイクされている、『ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一髪』は、設定も新たにして制作されているもので、前作がシリアスな特撮怪獣映画であるのに対してこちらはB級コメディ路線のようである。
 表題にあるように、今年北海道で開催されるG7サミット会場である洞爺湖にギララが上陸して、各国首脳が右往左往という賑やかな展開になりそうだが、ここでキャストの一覧に目を通してみると、正直のところ一抹の不安もつきまとう。その不安とは、賑やかで楽しいはずの怪獣映画が、もしやロートル・サヨクだけが喜びそうな小ぢんまりした場末の政治風刺戯画にスケールダウンしないかということである。しかし監督の名前を見てその不安も吹き飛んでしまった。監督は、この手の作品には定評のある河崎実監督である。そのバカっぷりはすでに『日本以外全部沈没』、『ヅラ刑事』、『電エース』などで証明済みだ。あらゆるイデオロギーの相対化も無効にしてしまうほどに、バカまっしぐらに暴れて欲しい。

 ギララが復活したのだから、願わくば次はガッパも復活させて欲しい。そして再び熱海の温泉街に上陸して、熱海城と駅前の第一ビル(※注)を、昭和の怪獣らしく豪快なタコ殴りでぶっ壊してほしいものである。もうひとつ個人的な希望を言えば、現場レポーター役にはあの温泉愛好家の筑紫哲也氏を起用してもらいたい。そして筑紫氏には、黒煙を上げて燃えさかる熱海の温泉街をバックに、例のあの決めゼリフを一発かましてほしいのである。

※「第一ビル」とは熱海駅前に昭和30年代から鎮座する三連装の商業ビルである。
近頃の駅ビルは、どれもこれも皆スタイリッシュでポストモダン的デザインになり、たとえ怪獣映画でこのような建物が登場しても、その奇抜なデザインのせいで怪獣より目立ってしまったり、重量感に欠けていたりするのであるが、「第一ビル」は、重量感のある昔ながらの直方体のビルで、まさに怪獣に壊されるためだけに生まれてきたような建物である。

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05. April 08

【名古屋芸術大学・芸術療法講座】2008年度シラバス

【名古屋芸術大学・芸術療法講座】2008年度シラバス

「美術史から考察する疾病論・医学概論」

 古代ギリシャにおいて芸術と医学は、アルスメディカという言葉が示すとおり、「人間への眼差し」という臨床学的な座標上では、互いが深く反響し合う関係にあったといえる。
このことを踏まえ、本講座では、西洋美術史と医学史のトピックを往来しながら、図像学の視点でそれぞれの時代の「病」像を抽出していく。また芸術というものが、人類史の中でいかに「病」と実践的に関わってきたかを再度考察し、今日の芸術療法の現場が抱える問題点や方向性についても模索する。
 今年度は,昨年の受講生から要望の多かった映画,映像作品についても多様な作品を取り上げ,最終講義では映像作品の上映を行う予定である。

【授業計画と内容】
1)ガイダンス 美術図像学から疾病論、医学概論を読み解くことの意義、今日の芸術療法との関わりについて
2)古代ギリシャ・ローマ美術とヒポクラテス医学(1)
  ~「病」の起源~
3)古代ギリシャ・ローマ美術とヒポクラテス医学(2)
  ~「ホスピタル」の登場~
4)ルネサンス絵画に描かれた医師像と患者像
5)キリスト教絵画における「病」と「手当て」の概念
  ~ナーシングの確立~
6)戦争群像画におけるカタルシス
  ~回復装置として機能する解毒療法~
7)ラファエル前派に描かれた恍惚の女性像
  ~「卒倒」「昏睡」の美学と麻酔学の関わり~
8)西洋カリカチュアの中の「生・老・病・死」
  ~「死の舞踏」をめぐる「病」観~
9)後期印象派と表現主義に投影された精神と身体の変容
10)アウトサイダー・アートをめぐる「表現」と「病」の境界線
11)モダニズムにおける新しい「病」の概念
12)映像表現におけるメタファーとしての「病」
  ~SF, 特撮、ホラー映画における異形の病理学的分析~
13)身体表現と「病」
  ~舞踏,パフォーミングアーツ,障害者プロレスから見えてくる「表現」としての「病」~
14)映像作品の上映
15)総論、レポート課題についての概説

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20. März 08

【映画】林家しん平監督『深海獣レイゴー』遂に公開決定

 長い間待たされた、林家しん平監督の『深海獣レイゴー』の公開がついに決まった。
 この作品の公開の話題が持ち上がったのは、そもそも今から2年ほども前の話である。「戦艦大和」とゴジラ級の大怪獣が南方の海で死闘を繰り広げるという、特撮ファンならずともわくわくするような内容に、カルト系映画マニアの間でも相当の話題になっていた。
 当時のブログを閲覧すると、当初林家監督は、2005年冬の公開にこだわっていたのがよくわかる。その理由は、この時期公開されて大ヒットした東映映画『男たちの大和』にぶつけたかったからだ。『男たちの大和』は製作費50億以上の大作で、しかも尾道に仮設した実寸大の「戦艦大和」のセットが度肝を抜き、また、呉に「大和」の博物館ができるなど、この年は何かと「大和」の話題がつきなかった。そのような流れの中で、同じ時期に、方や製作費50億の一大スペクタクル、そして方や職人的手作り感のある自主制作映画が、双方われわれ日本人にとってもっとも象徴的存在である「戦艦大和」をテーマにした作品として同時期に公開されたとしたら、それはそれで面白いと思った。
 この2つの作品は、当たり前だが製作費は比べ物にならない。そもそもロードショー作品と自主制作映画をスケールで比較しても無意味だ。ならばこの2つの作品を並べた時に比較されるべきものは、言うまでもなく、「大和」へのこだわり一点だけである。その点、『男たちの大和』は、史実をモティーフにしているわけだから、実寸大「大和」の荘厳な量感・質感を堪能できるかわりに、米帝にボコられる悲劇的な「大和」の姿ももれなくおまけに付いてくる。しかも、その後何100年もたってから未来の地球人にサルベージされ、おまけに波動エンジンを実装されて宇宙へ旅立つ、などということももちろんない。「大和」の悲惨なこの結末を知りつつも『男たちの大和』を見るという行為は、ある意味、「大和」や「大和」の乗組員への鎮魂の意を捧げる行為でもあるのだ。それに対し『レイゴー』の方は、「大和」に関する史実的設定はなされるものの、ストーリー自体は監督の創作であるから、どんな「大和」が登場して、どのように大怪獣と闘うのか、という楽しみが広がる。(荒巻義雄の架空戦記に出てくるような無敵の大和が登場するのか?)
 
 そんな待ちに待たされた『深海獣レイゴー』が公開される。作品を見る前からあまりいろいろと言えないが、俳優陣も味があり、クリエイターも秀逸な面々が集まっているので怪獣造形もある程度期待できる。ストーリーにしても、「戦艦大和」が南方の海で大怪獣と闘うという奇想天外なもので実に楽しい。だとすると、この作品の賛否が分かれるポイントは、「大和」の象徴である94式三連装46サンチ砲が豪快にカッコよく咆哮をあげるか否かの一点にある。これこそが、この作品の最終防衛ラインだ。

林家しん平監督『深海獣レイゴー』
6月12日(木)より公開(場所・北沢タウンホール)

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02. März 08

金子雅和監督×井上リサ トークショー(渋谷UPLINK X)

 先日、渋谷のUPLINK Xで行った金子雅和監督のトークショーの模様を少し報告したいと思う。
 現在UPLINK Xでは、先週も当ブログでレビューとして紹介した金子監督の『すみれ人形』がレイトショーで好評上映中である(3月7日まで)。上映と併せて連日各界から多彩なゲストを招いての金子監督のとのトークショーも好評のようで、『すみれ人形』という作品を様々な可能性から多面的に捉えていくというこの試みは、次の作品を制作する時のイメージの発露となるであろう。

 今回は私は29日(金)の回に、ゲストとしてトークショーに招かれて、そこで「身体と心」というテーマで少し話させていただいた。
 私はこのトークショーがきっかけで、かなり突っ込んで、映画製作に対する金子監督の姿勢、そしてテーマなどについて話すことで、はっきりとわかったことがある。それは金子監督独特の映画方法論であり、前回(2002年)に拝見した8mmフィルムの作品『那美の瀬』とも大いに関連する。
 私はかねてから、金子監督の作品を見た後に、なおも強く印象に残っている自然の風景が、月日が経ても色あせずに残っているということが不思議でたまらなかった。例えば、『那美の瀬』に登場する郊外を流れる二級河川、ダム河口付近の道幅が極端に狭くなった林道、ほの暗い源流といった風景なのだが、これらの風景は、単に登場人物の心理の中にアーカイブされた、いわば“通り過ぎていく”忘却の景色ではなく、それとは反対に、登場人物の身体が、その五感をもって肉体的に記憶している風景なのである。
 私がここの部分を話に振ってみたところ、監督からは実に興味深い答が返ってきた。監督いわく、自分がシナリオの段階から映画を作りこんでいく過程で、シナリオのセオリーである登場人物の「心理」から描いていくのではなく、あくまでも出発点は「身体」にあるのだそうだ。そしてその「身体」そのものを、監督が自ら作品の恒久的テーマとしている「人間感情の発生の起源」の発露とし、「身体、肉体」→「精神」というベクトルで描いていくということだそうだ。
 『すみれ人形』には、随所に猟奇的な場面が多く挿入されているが、それが単に多くのサイコホラーと異なる点はここなのである。サイコホラーの場合、精神心理学、分析学、精神医学などの知識があれば、その展開が、例えばフロイトなどの既存のアーカイブのバリエーションであることに容易に気づくことができ、その物語で登場する風景や身体も、その展開を説明するツールでしかないことが理解できる。すなわちサイコホラーの場合、その秀逸にして職人技とも思えるバリエーションを楽しむことに価値を見出すことができるのである。だから映画に限らず昨今のホラーゲームなどは、それに特化したものが人気を得ているのは納得できるのである。
 では金子監督の作品はどうかというと、「人間感情の発生の起源」を身体に求めるというテーマのとおり、登場人物の猟奇的な行為は精神心理学的な「病」として帰結するのではなく、人間の身体が原初的に持っている感覚や機能、たとえば欠損組織の再生機能、自己治癒機能などが暴走した結果、猟奇的な事態が発生するということだ。金子監督がしばしばインスパイアされたという塚本晋也監督の作品や、舞踏家・土方巽の作品(特に、石井輝男監督による『恐怖奇形人間』)なども、たしかに共通するものがある。また、たとえば癌細胞の発生・増殖、そして増大に見られる血管新生という現象も、言うなれば大いに猟奇的な事態であり、ここには人間の意思という、いわば「精神」をコアにした秩序もないままに暴走していく身体の姿が存在する。

 次に、『すみれ人形』の登場人物たちについて話が及んだが、ここに登場する主要人物たちは、何らかの事情で、身体の一部を欠損しているのだ。まず主人公の文月はもともと腎疾患であり、妹・すみれから腎臓をドネーションされることで身体の欠損を補填した。当然のことながら、妹・すみれはそれによって片方の腎臓を失い、さらに猟奇殺人の被害者となり、右腕までも欠損する。見世物小屋のストリッパーも右腕が欠損しており、その治療のために義手を制作している螢介のもとへと通っている。この人間関係の中で共通して希求されるのが、失われた身体再生の物語である。しかし、この身体再生の物語には従来のヒューマニズムは存在するはずもなく、それぞれが肉体の赴くままに、猟奇的行為を繰り返していくのだ。この点について監督は、“切り離された身体へのいとおしさ”という言葉で表現してくれた。かくして秩序のないヒューマニズムの中で希求される「身体再生」は、結果的に美しい破滅を成し遂げるのであるが、これは精神心理学的「病」による仕業ではないことが明確に理解できるのである。

 後日監督からいただいたメールの中で、次回作はさらに「生命の機能」と「精神」の関係に深く関わった作品を撮りたいとのメッセージがあって、当然のことながら、その中で重要なテーマとなってくるのが「切り離された肉体に対しての執着」だそうである。次回作へのモティベーションも高まっており、ブログ読者の皆さんにも、随時トレーラー情報などをお伝えしたいと思う。

なお、上映最終日まで、連日イベントが盛りだくさんである。

3/2 日 本編上映後 山田キヌヲさん(女優)×綾野剛さん(俳優)×オガワシンジさん(キャスティングディレクター)によるトーク
3/3 月 ドラァグクイーン・ レイチェル・ダムールのステージを記録した短編ドキュメンタリー『La Nuit D'Amour』(16分)上映+ レイチェル・ダムールさんによるミニステージ 
3/4 火 古澤健監督×金子監督によるトーク 
3/5 水 竹久圏さん×山川冬樹さんミニライブ
(※この回のみ上映料金一律¥1,500となります) 前売り・他割引券をお持ちの方も受付にて+¥500お願いいたします。
3/6 木 柳下毅一郎さん(特殊翻訳家・映画評論家)×金子監督によるトーク
3/7 金 本編上映前 小谷建仁さん、山田キヌヲさん(予定)、松岡龍平さん、金子雅和監督による最終日舞台挨拶
     本編上映後 沢則行さん(人形劇作家)×金子監督によるミニトーク
詳しくは
http://www.sumireningyo.com/ (すみれ人形公式HP)
http://www.uplink.co.jp/x/log/002413.php (アップリンクHP)

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23. Februar 08

【トークショーのお知らせ】金子雅和×井上リサ(2月29日・渋谷UPLINK X)

【トークショーのお知らせ】

金子雅和(映画監督)×井上リサ(現代美術作家、医学史・医学概論研究者)
2月29日(金) PM10:00~ 渋谷・UPLINK X

 現在、渋谷UPLINK Xでロングラン上映中の『すみれ人形』に併せて、金子監督からトークショーのゲストとして呼んでいただくことになりました。
 皆様、お誘い合わせの上、ぜひご来場下さい。
 また、このトークショーのために、ブログ読者に向けて金子監督からコメントを頂いているので、紹介します。

『すみれ人形』は、"人間が人形になる”というイメージから端を発した作品です。
精神的な傷みを、ひたすら身体やモノに執着することで補おうとする男たちの物語によって、従来のヒューマニズムでは捉えられない人間存在の不可解さを描き出そうとした作品です。この機会に、ご高覧頂けましたら幸いです。」 
                       
 『すみれ人形』監督・金子雅和

http://www.sumireningyo.com/ (すみれ人形公式HP)
http://www.uplink.co.jp/x/log/002413.php (アップリンクHP)

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21. Februar 08

金子雅和第1回監督作品『すみれ人形』(2008年・kinone)

 現在、渋谷UPLINK Xで連日レイトショー上映している金子雅和監督の最新作である。
 タイトルにある“すみれ人形”とは、主人公の男性の妹の名から献呈されたものだ。そしてその妹は、ドナーとして兄への生体腎移植手術を終えた後、家路につく途中に森の中で猟奇殺人に巻き込まれて惨殺される。妹・すみれを殺した鬼畜は実は人間の右腕のコレクターで、当然のことながらすみれの右腕も無残にも切断されるのだが、どういうわけかすみれの遺体は右腕を残したまま鬼畜とともに深い森の中に消息を絶つ。
 この物語に登場する人物たちは、そのすべてがアウトサイダーであるといっていい。里山から少し離れた深い森と谷が横たわる風景が、たとえばリンチの『ツインピークス』のような閉じたスモールタウンを形成し、このスモールタウンの中で展開される無限ループの忘却の旅が、純正培養された狂気に拍車をかける。その狂気の中心モティーフとなっているのが、すみれの右腕なのである。そして、以後物語は、すみれの右腕と失われた身体を求めて展開されていく。
 ここに登場する人物たちは、先ほども述べたとおり、皆なんらかの理由で病んでおり、その「病み」の部分をお互いが補完し合うかたちでコミュニティを形成している。冒頭で象徴的に登場する妹・すみれから兄への生体腎移植は、その互いの補完関係と、“臓器”という単位で認識する身体のアイデンティティのあり様を、メタファとして描いているのだ。その中で例えば兄の文月は、すみれに見立てた腹話術人形を操り、毎晩のように見世物小屋の舞台に立っている。文月の静かな語りで展開される腹話術劇は、突然のすみれの身体と右腕の分断というシーンで暗転を迎え、客に向かって「誰かすみれの右腕を知りませんかー!」という叫びが舞台に響き渡り、客席に向かって突き刺さる文月のそのメッセージが、劇中劇の観客まで“すみれの失われた右腕探しの旅”へと誘ってしまう。
 一方、すみれの幼馴染だった螢介は、アトリエにしている植物に浸食された廃墟に引きこもり、森の木や枝を素材にして、すみれの右腕にそっくりな義手の制作に明け暮れている。そのうえ螢介は、この木や枝でできた義手がただの義手ではなく、人間の体に装着することで、木の組織と人間の組織、すなわち血管および神経系と、文字通り血管新生によって融合を果たすとかたく信じている。
 すみれをめぐるこの2人の行動は確かに正気の沙汰ではない。だがしかし、もし彼らの気持ちを心底理解できる人がいるとすれば、それは唯一、実際に事故や肉腫、その他の理由で身体の一部を失った人であろう。脳神経科学の観点から立っても、人間が、失われた身体の一部を執拗に求め、またそれによって通常ではあり得ない様々な身体感覚や神経症状を体験するのは何ら稀なことではない。アメリカの脳神経科医のラマチャンドラらは、たとえば、すでに切断されたはずの手や足の感覚を脳が記憶していることから起こる「幻肢」、そしてそれに伴う「幻肢痛」について非常に興味深い論文を書き(V. S. Ramachandran, Sandra Blakeslee, Phantoms in the Brain: Probing the Mysteries of the Human Mind, 1998, William Morrow & Co)、そのメソッドは実際に脳梗塞などの脳神経系疾患のリハビリにも応用されているほどである。つまりは、第三者ではなく、あくまで当事者視点に立って文月や螢介の行動をみた場合、それは“異常”であるとも言い難く、むしろ人間のアイデンティティを臓器という単位で認識した場合に新たに浮上してくる潜在的なヒューマニティの萌芽であると言える。この問題は、わが国で議論が続いて久しい脳死と臓器移植問題や、それに伴う「脳の死」と「身体の死」の間にある深い溝とも抵触し、場合によっては唯脳論へのアンチテーゼにもなるのではないだろうか。

 金子監督が創り出す、美しい映像美についても少しふれておく。
 これは依然の8mm作品『那美の瀬』とも共通することなのだが、狂気に満ちた人間たちを取り巻く深い森や源流、里山に広がる棚田などの風景が、けして人間の暗黒面に依ることなく超然としているのである。今回の『すみれ人形』ではなお一層そのコントラストが鮮明になったという印象を受けた。
 また、この作品の中でしばしば登場する人間の身体と植物の組織のエロティックな融合を匂わせるシークエンスは、緻密なライティングや美術によって秀逸に表現されている。例えば、廃墟の壁をつたう蔦や淡い光の中で生育する無数の観葉植物の姿などがそうであるが、私がもっとも印象に残ったのは、冒頭の病室の場面である。
 逆光の病室の中で、妹・すみれからの腎臓の移植手術を終えて療養している文月がベッドに横たわっている。ベッドサイドの医療設備を見る限り、すでに輸液(点滴)装置が末梢血管からの1筒だけしかないことから、体力は確実に回復して退院も間もなくという場面だ。
 この場面の輸液装置に注目。ここで使用されている輸液の器具は、現在のような合成樹脂バックではなく、一世代前のガラス製のバイアル・ボトルである。しかもそのホルダーがボトル本体を囲む形式のものではなく、上部から吊るす形になっている。そのことで、輸液のバイアル・ボトルが透明の美しいフォルムを作り出しているのである。そしてその中にはやや白濁した溶液がわずかながら充たされている。通常の場合、点滴に使用する輸液剤は透明であり、そこに追加する薬剤によって色が変わるが、混濁した溶液はIVH(高カロリー輸液)に使用するイントラリピッドなどの極めて特殊なものを省いては存在しない。わが国の近代小児科学の基礎を築いた高津忠夫(1910-1974)も、東大医局時代にリンゲル液に代わる国産の多電解質の輸液剤「ソリタ-T」シリーズの開発をしていた頃、配合に失敗して溶液が沈殿、混濁しないように相当の神経を使っていたことからもわかるように、本来、混濁した輸液剤はアブノーマルな状態なのである。
 しかしそれが、ここの場面では実に効果的に表現されている。淡い光源の中で周囲の風景と同化して見える輸液装置は、エアートラップ(滴注管)から降りた細い管も含めてまるで植物のように見えるのである。そしてこの容器にわずかに充たされた混濁液は、植物が分泌するホルモンか、あるいは根や茎から滲出してくる細胞液を想像するには十分である。

渋谷・UPLINK Xにて連日レイトショー上映中 21時~
http://www.sumireningyo.com/ (すみれ人形公式HP)
http://www.uplink.co.jp/x/log/002413.php (アップリンクHP)

★2月29日(金) PM10:00~ トークショー 「金子雅和×井上リサ」

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