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2007年6月19日 (火)

【再掲】点滴史を築いた人びと(9)~高津忠夫(前編)

(このテキストは,難治性大腸疾患情報誌「CC JAPAN」に2001年4月から2003年2月にかけて連載した評伝を再掲したものです。ここに登場する歴史上の医学者たちは,輸液(点滴)の発達に大きく寄与した人物たちであり,その中で,リンガーの仕事はどのように位置づけられるかを改めて考察するものです。)

点滴史を築いた人びと 第9回

高津忠夫(前編)(Tadao Takatsu)

Prof_takatsu_1 敗戦、暗黒の時代
 日本が戦争に負けたことは、政治経済といった国力や民族としてのプライドはもとより、文化、思想、芸術にまでも精神的ダメージをもたらしたのはいうまでもない。
 医学も例外ではなく、かつて日本が明治維新の政策によってドイツ人医学者ベルツを帝大(東京大学の前身)に招き★注1)、戦前・戦中ともにドイツ医学を基礎として構築されてきた技術体系も、アメリカ医学にとってかわり、ここで日本は大きな遅れをとることになる。
 かつてオショーネシー★注2)、トーマス・ラッタ★注3)、リンガー★注4)といった医学者たちの研究によりイギリス生理学および臨床学から発祥した輸液が、ギャンブル★注5)という“巨人”の登場で、最新の輸液概論はアメリカ医学へとシフトされていく中で、日本はというと、かつてドイツ経由で輸入されたリンゲル液の知識で急場をしのいでいたのが現状であった。
 このような、当時、一歩遅れをとった状況の中で、高津忠夫という一人の小児科医の登場は、まさに日本近代輸液史の夜明けを伝えるにふさわしい出来事であったのだ。

日本近代輸液史の夜明け
 日本における輸液療法(いわゆる「点滴」)が明確な記録として登場するのがようやくといってもいい1930年代である。そして欧米と同じく小児科学の分野で発達していくのだ。そのキーパーソンとなるのは石橋長英、泉仙助、高津忠夫らである。例えば石橋は、当時長時間にわたり点滴をするための適当な器具がなかったことから、かつてトーマス・ラッタがコレラ患者の治療に試みた時のように静脈切開をし、そこに定期的にリンゲル液や生理食塩水を流し込むという方法を試みている。しかし現在のような持続的な注入ではないので、その効果はまだ充分ではなかった。
 この時すでにアメリカでは生理食塩水、リンゲル液の他にも小児科医たちが独自に多種の輸液剤を開発し、しかもギャンブルを中心として体液平衡学の観点から輸液許容量についても研究を始めていたことを考えると、日本の輸液技術がいかに古典的であり、アメリカから遅れをとっていたかがわかるであろう。
 この遅れの原因はいろいろと考えられるが、例えば、輸液は今から150年以上も前のトーマス・ラッタもカルテに記録しているように、時として患者に対して視覚的にも劇的な回復を表わすことから、急場で威力を発揮するような起死回生的な切り札としての認識があったのも事実である。そのことが、さらに汎用性のある技術として発展していくのを遅らせたともいえよう。
 このような流れにあって、輸液を文字どおり汎用性のある技術へと広げていったのが高津忠夫である。

高津忠夫と東大小児科
 1955年、一人の医師が東京大学小児科に入局した。後に、わが国初の国産輸液剤「ソリタT」の開発にかかわることになる高津忠夫である。
 高津が小児科に入局した当時は、疫痢、赤痢により死亡する乳幼児が絶えなかった。高津はこれらの病気で脱水になった乳幼児の血清や尿を細かく分析して、脱水で失われる電解質の効果的な補給方法について試行錯誤を繰り返していた。
 現在われわれが目にする輸液セットはディスポーザブルで衛生的であるばかりか、とても使いやすく工夫されてきた。あらかじめ無菌状態で容器に基本液を密閉して出荷するという技術は、現場での基本液の調合というプロセスを一つ省略したのだ。それによって常に一定のコンディションの薬剤を容易に使用することが可能になったのだ。
 しかし当時は、東大といえども、重いガラス製のイルリゲーターの中に、1回ごとに基本液と薬剤を調合して入れるという方法をとっていた。しかもそこで使用されるものは、せいぜいリンゲル液、生理食塩水、そして0.5%ブドウ糖液などである。このわずかな種類の輸液剤で、様々な病態に対応しなければならなかったのだ。
 この状況に疑問を抱いたのが高津である。例えば、脱水という状況をひとつとってもその状態は様々に異なる。それにもかかわらず、単に電解質補給という目的で、いかなる症状の脱水にも一律の輸液剤を使うのは不適切であると唱えた高津は、リンゲル液や生理食塩水をアレンジして、いろいろな種類の輸液剤を作ることを試みるのである。それまで、量や速度を重点に考えられてきた輸液における新たな視点である。
 次に高津は、リンゲル液を基に独自に創製した輸液剤を用途別に分類し、「東大小児科液」というスタンダードを作るにいたるのだ。しかし手作業による調合では一定のクオリティを保つことや、無菌常温状態でストックを確保するのは困難である。そこで、高津はこの「東大小児科液」を生産ラインにのせ、広く治療薬として普及させることを思いつくのである。そしていよいよ国産初の輸液剤「ソリタT」が誕生していくのである。
(井上リサ, e-mail:lisalabo@t3.rim.or.jp, CC JAPAN, Vol.9, pp.40-41, 2002)

注1)1876(明治9)年、わが国は明治維新の教育政策として帝大医学部にドイツ人医学者ベルツを招いた。ベルツは以後25年間にわたり帝大で指導を続け、日本近代の医学の基礎を築いた。ベルツの研究でとりわけ有名なのは、長い間、日本の農村部で農民たちをを苦しめていた高熱をともなう風土病のひとつ「ツツガムシ病」のフィールドワークである。
注2)オショーネシー(W.B.O'Shaughnessy, 1809-1889)は、コレラ患者は激しい下痢と嘔吐により脱水を起こし、血液からは塩分が失われることをつきとめた。この報告は、ラッタの治療のアイディアになったといわれている。(詳しくは「CC JAPAN」Vol.1のコラムを参照)
注3)トーマス・ラッタ(Thomas Aichison Latta, 1833年没)は、1831年に脱水状態にあるコレラ患者に対して塩化ナトリウムと重炭酸ナトリウムの水溶液を静脈に注射するという画期的な治療を試みた。これは医学史上、臨床学的に初めて具体的な効果が認められた輸液療法である。(詳しくは「CC JAPAN」Vol.1のコラムを参照)
注4)リンガー(Sydney Ringer, 1835-1910)は、点滴の基本剤となるリンゲル液を発明したイギリス人生理学者。(詳しくは「CC JAPAN」Vol.2及びVol.3のコラムを参照)
注5)ハーバード大学のギャンブル(James L.Gamble, 1883-1959)は、著書Chemical Anatomy, Physiology and Pathology of Extra-Cellular Fluid(『細胞外液の化学的解剖学、生理学および病理学』)により、近代の輸液療法の理論的基礎を築いた人物。(詳しくは「CC JAPAN」Vol.7及びVol.8のコラムを参照)
注6)ラッタは1832年に、コレラ患者の克明な治療の記録をロンドン衛生局宛の書簡の中に記している。(Latta, T.A. Malignant Cholera. documents communicated by the Central Board of Health, London, relative to the treatment of cholera by the copious injection of aqueous and saline fluids into the veins. Lancet, 1831-1832, 2, 274.)

参考文献
A message of congratulations to Tadao Takatsu. On the occasion of age-imposed retirement. Am J Dis Child. 1971 Jan; 121(1): 84. No abstract available.
To our respected Professor Takatsu. Paediatr Univ Tokyo. 1970 Dec; 18: 1-9. No abstract available.
Gamble JL, Ross GS, Tisdall FF;The metabolism of fixed base in fasting. J Biol Chem, 1932, 57: 633-695
Gamble JL;Chemical anatomy, physiology and pathology of extracellular fluid. Harvard University Press. Cambridge, 1942
Latta, T.A. Malignant Cholera. documents communicated by the Central Board of Health, London, relative to the treatment of cholera by the copious injection of aqueous and saline fluids into the veins. Lancet, 1831-1832, 2, 274.
Mengoli LR;Excerpts from the history of postoperative fluid therapy. American Journal of Surgery, 1971, 121 (3): 311-321.

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