« 【再掲】点滴史を築いた人びと(6)~ダニエル・ダロウ | トップページ | 【再掲】点滴史を築いた人びと(8)~ジェームス・ローダー・ギャンブル(後編) »

2007年6月17日 (日)

【再掲】点滴史を築いた人びと(7)~ジェームス・ローダー・ギャンブル(前編)

(このテキストは,難治性大腸疾患情報誌「CC JAPAN」に2001年4月から2003年2月にかけて連載した評伝を再掲したものです。ここに登場する歴史上の医学者たちは,輸液(点滴)の発達に大きく寄与した人物たちであり,その中で,リンガーの仕事はどのように位置づけられるかを改めて考察するものです。)

点滴史を築いた人びと 第7回

ジェームス・ローダー・ギャンブル(前編)(James Lawder Gamble, 1883-1959)

Dr_gamble  全世界のあらゆる内科学の教科書にその名前が必ず載っているといっても過言ではないギャンブルとは、内科医や小児科医にとっては一体どんな存在なのであろうか。
 彼が作った緻密なメソッドの数々から連想するに、対位法や平均律を完成させたバッハのような存在か。あるいは、「水・電解質」テキスト、「酸塩基平衡」といったギャンブルを語るうえで避けては通れない医学生泣かせの超難度のコンテクストからは、12音技法のシェーンベルクさえも連想できてしまう。

生い立ち
 ギャンブルは、あのリンガー★注1)が苦心の末にリンゲル液を完成させた年と同じ、1883年にケンタッキー州のミラーズブルグという片田舎に三人兄弟の末っ子として生まれた。南北戦争でイギリス農業の影響が色濃く残るこの時代背景からは、フライドチキンのCMを想像する人も多くいるだろう。ひとたび大都市に出れば、大手鉄道会社や石油会社が一斉にストライキやトラスト運動をしていた不況の時代にあって、ここは同じ国とは思えないほどまったく異なった時が流れている。
 ギャンブルが生まれ育った故郷ケンタッキーとは、洗練されたジャズよりも、のどかなフォスターの音楽がもっともよく似合う場所なのだ。
 ギャンブルは幼年時代をここで過ごした後、家族とともにカリフォルニアに移り、そこから彼の医学者としての原点が開かれていく。

いざ、輸液史の大海原へ!
 点滴の歴史を中国4千年の大黄河の流れに例えてみよう。まず、臨床学的に静脈からの水・電解質投与に初めて成功したトーマス・ラッタ★注2)と、彼にアイディアを与えたと思われるオショーネシー★注3)という存在がある。彼らは美しい山脈に湧き出たわずかな清流だ。その清流がリンガーと交わり、やがてそうしてできたあらゆる支流がひとつに集まり黄河へと注がれていく。その支流をひとつに束ねたのがギャンブルという存在である。彼は、近代の輸液史の中でもっとも重要な人物たち、例えばハルトマン★注4)、バトラー★注5)、ダロウ★注6)といった医学者たちとすべてかかわりを持ち、個別に派生した彼らの研究、実験を系統だてて整理していくという役割を担っていた。ギャンブルこそ近代輸液史の中の最も重要なキーパーソンである。今読んでもまったく色あせない彼の有名な著書 "Chemical Anatomy, Physiology and Pathology of Extra-Cellular Fluid" (『細胞外液の化学的解剖学、生理学および病理学』)は、繁雑で混沌としていた当時の体液生理学の概念をひとつのメソッドとして初めて明確にしたものである。
 またギャンブルは、当時まだ実験的な生理学と実践的な臨床学との間に溝があった時代から、生理学で得た新たな発見をいちはやく実際の臨床の場へと移行するという、生理学と臨床学の橋渡しもしたのである。これは、近代から現代に移り、輸液の概念と技術が医学のあらゆる分野で文字どおりフレキシブルに発達していくきっかけもつくったのである。
 もし、近代にギャンブルのような巨人が現われなかったら、経腸栄養や高カロリー輸液の技術や応用も、現在から少なくても20年、30年と遅れをとっていたであろう。

名著に隠れた珠玉の論文
 ギャンブルは数々の素晴らしい論文を世に残しているが、その中でひときわ異彩を放つ論文がひとつある。
 "Early History of Replacement Fluid Therapy"と題されたこの論文は、彼には、というよりも、当時、生理学、臨床学の最先端を走っていた医学者には珍しい医学史に関する論文である。この論文の中で彼は、あたかも輸液の歴史をたぐりよせるようにして、あのトーマス・ラッタが1831年に重症コレラ患者に対して行なった歴史的な治療について興味深く考察している。彼の持つこの独特のパースペクティブは、後々の研究や、そればかりではなく、いろいろな人々との出会いの中で、ますます開花していくのである。
(井上リサ, e-mail:lisalabo@t3.rim.or.jp, CC JAPAN, Vol.7, pp.66-67, 2002)

注1)
リンガー(Sydney Ringer, 1835-1910)は、点滴の基本剤となるリンゲル液を発明したイギリス人生理学者。(詳しくは「CC JAPAN」Vol.2及びVol.3のコラムを参照)
注2)
トーマス・ラッタ(Thomas Aichison Latta, 1833年没)は、1831年に脱水状態にあるコレラ患者に対して塩化ナトリウムと重炭酸ナトリウムの水溶液を静脈に注射するという画期的な治療を試みた。これは医学史上、臨床学的に初めて具体的な効果が認められた輸液療法である。(詳しくは「CC JAPAN」Vol.1のコラムを参照)
注3)
オショーネシー(W.B.O'Shaughnessy, 1809-1889)は、コレラ患者は激しい下痢と嘔吐により脱水を起こし、血液からは塩分が失われることをつきとめた。この報告は、ラッタの治療のアイディアになったといわれている。(詳しくは「CC JAPAN」Vol.1のコラムを参照)
注4)
ハルトマン(Alexis Frank Hartmann, 1898-1964)は乳酸リンゲル液を発明した人物。(詳しくは「CC JAPAN」Vol.4のコラムを参照)
注5)
バトラー(Allan Macy Butler, 1894-1986)はハルトマンと同じく、小児の下痢や嘔吐によるアシドーシスの研究、治療に尽力した小児科医。(詳しくは「CC JAPAN」Vol.5のコラムを参照)
注6)
ダロウ(Daniel Cady Darrow,1895-1965)は、乳酸リンゲル液にカリウム・イオンを加えた輸液剤、いわいる「ダロウ液」を発明した人物。ダロウ液は今でも低カリウム血症などの治療に使われている。

参考文献
Mengoli LR;Excerpts from the history of postoperative fluid therapy. American Journal of Surgery, 1971, 121 (3): 311-321.
Holliday MA.;Gamble and Darrow: pathfinders in body fluid physiology andfluid therapy for children, 1914-1964. Pediatr Nephrol. 2000 Dec;15(3-4):317-24.
Holliday MA.;James L. Gamble. J Pediatr. 1993 Jan;122(1):156-61.
Oehme J.;James L. Gamble (1883-1959). Kinderkrankenschwester. 1993 Sep;12(9):325. German.
Franklin CB.;James Lawder Gamble (1883-1959)A Biographical Sketch. J Nutr. 1981, 111 (2): 203-207.
Harvey AM.;Classics in Clinical Science: James L. Gamble and "Gamblegrams". Am J Med. 1979, 66 (6): 904-906.

|

« 【再掲】点滴史を築いた人びと(6)~ダニエル・ダロウ | トップページ | 【再掲】点滴史を築いた人びと(8)~ジェームス・ローダー・ギャンブル(後編) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/204825/15464257

この記事へのトラックバック一覧です: 【再掲】点滴史を築いた人びと(7)~ジェームス・ローダー・ギャンブル(前編):

« 【再掲】点滴史を築いた人びと(6)~ダニエル・ダロウ | トップページ | 【再掲】点滴史を築いた人びと(8)~ジェームス・ローダー・ギャンブル(後編) »