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2007年5月31日 (木)

【再掲】点滴史を築いた人びと(5)~アラン・M・バトラー

(このテキストは,難治性大腸疾患情報誌「CC JAPAN」に2001年4月から2003年2月にかけて連載した評伝を再掲したものです。ここに登場する歴史上の医学者たちは,輸液(点滴)の発達に大きく寄与した人物たちであり,その中で,リンガーの仕事はどのように位置づけられるかを改めて考察するものです。)

点滴史を築いた人びと 第5回

アラン・マーシー・バトラー(Allan Macy Butler, 1894-1986)

Butler  医療現場で現在使われている点滴の輸液剤の原形には開発者の名のついたものがいくつも存在する。
 例えばリンゲル液(Sydney Ringer, 1835-1910)、ハルトマン液(Alexis Frank Hartmann, 1898-1964)、ダロウ液(Daniel C.Darrow, 1895-1965)などが代表的なものであるが、今回登場する英国系アメリカ人医学者アラン・マーシー・バトラーにもその名をいただく輸液剤がある。実際に医療現場で使用されている「KN2A」(大塚)、「ソリタT2」(清水)などがこのバトラー液を各社でアレンジしたものだ。そしてリンガー、ハルトマン、ダロウ、バトラーら、彼ら19世紀から20世紀初頭にかけての輸液史に登場する医学者たちは、その多くはみな小児科医なのである。

 アラン・マーシー・バトラーはニューヨーク南東部、マンハッタン北部郊外の住宅地ヨンカーズに生まれ育った。父はウォール街で働く証券マンで、叔父はイギリスでも中堅どころの汽船会社のチェアマンである。これらのバックボーンからはあたかも彼自身が裕福な環境に育ったように想像できるが、実は彼こそ激動の近代史の中を駆け抜けてきた一人に違いないのだ。
 バトラーが生まれた1894年という年は、アメリカではかつてない不況が悪化の一途をたどっていった年であった。シカゴにあった大手鉄道車輌会社プルマン社(注1)が大規模なストライキに突入したのもこの年である。バトラーはこんな時代に生まれ、その後医学者になってからも二つの大きな戦争を経験する事になる。
 バトラーが医学者としてスタートをきったのは1916年にプリンストン大学を卒業してからだ。しかしこの時期に不幸にもアメリカは第一次世界大戦に突入してしまう。当然のごとくバトラーも兵役にかり出され、イギリス軍歩兵隊に参加した後、米軍砲術将校としても戦った。戦争が終わってもすぐに医学の道へもどる事はできず、しばらくは父と同じく株式のセールスマンとして働く日々が続いたのだ。それでも医学の道をあきらめられなかったバトラーは、1922年に今度はハーバード大学へ進学し、再び医学の道にもどるのである。時にバトラーが28才の頃である。
 ハーバードで彼がもっとも幸運だったのは同じく小児科医であったギャンブル(James L.Gamble, 1883-1959)(注2)とヘンダーソン(Lawrence J.Henderson, 1878-1942)(注3)に出会った事であろう。
 大学を卒業したバトラーの最初の働き場所は『生体の水』(Body Water; the Exchange of Fluids in Man. Springfield: Thomas, 1935)の著者であるジョン・ピータース(John P.Peters, 1887-1955)(注4)と、血液ガス測定装置(図1)の発明で知られるヴァン・スライク(Donald Dexter Van Slyke, 1883-1971)(注5)のいるロックフェラー医学研究所であった。ここで彼はピータースやヴァン・スライクの研究にも刺激されて、自らも水・電解質代謝、血液における酸・塩基平衡の研究を始めるようになる。これらの研究において特にヴァン・スライクは自分の弟子の指導には非常に厳しく、論文についても細かく添削をするほどであった。バトラーはここで築いた基礎をもって1928年にはボストン小児科病院へと移り、ギャンブルとともに水・電解質代謝の研究を本格的に開始する。そして当時もっともモダンであった輸液療法を乳幼児の治療に積極的に導入していくのだ。
 当時、ポリオと並び乳幼児の病気でもっとも恐れられていたのは胃腸炎とそれに伴う下痢、脱水である。そのことが乳幼児の死亡率を非常に高いものにしていた。その上に乳幼児の体は成人よりもデリケートなので、治療にはより慎重さが必要である。そこでバトラーが注目したのは単にアシドーシスの改善だけに目を向けるのではなく、水・電解質投与の許容限度を正確に知る事である。これは小児科医ならではの緻密な発想であり、長い輸液の歴史の中で、その発展期に彼ら小児科医たちが名を連ねる理由がここにあるのだ。実際、彼らの活躍によって1930年代には乳幼児の胃腸炎の死亡率が15~35%であったところを5%以下にまで引き下げることに成功したのである。
 1950年、二つめの大きな戦争をくぐりぬけたバトラーは、マサチューセッツ総合病院で小児科医として仕事をするが、ここで起きたある事件で彼の医師としてのラディカルな生き方が明確になる。
 当時、大学病院では医師に対して謝礼を行なうのは慣例になっていたが、これに疑問を唱えたのがバトラーである。彼はこのような会計上不透明な謝礼制度を廃止しようとした。それは当然病院側の反発を招き、一時は大学と病院側の圧力によって彼の解任騒動にまで発展するが、彼に賛同する同僚の医師たちの団結は固く、彼もこの圧力には決して屈することはなかった。そして1969年にはアメリカ小児科界において最も権威があるホーランド・アワードを受賞し、彼の地位は確固たるものとなる。その他にもバトラーは予防医学の重要性を啓発するなど、常にコンテンポラリーな視点で医学というものを見つめていった。
 1986年、バトラーはマサチューセッツ州東南部、ケイプコッドの南にある小島マーサズヴィニヤードで92才の生涯を閉じる。それは激動の世紀を生きた一人の小児科医の静かな死であった。
(井上リサ, e-mail:lisalabo@t3.rim.or.jp, CC JAPAN, Vol.5, pp.16-17, 2001)

Butlerfig_4

図1
ヴァン・スライク(Donald Dexter Van Slyke, 1883-1971)によって1917年に制作された血液ガス測定装置。
これはバトラー自身の研究にも大いに役立った。(Astrup, P. and Severinghaus, J. W. The history of bood gases, asids and bases. 1986, Radiometer A/S, Copenhagen.)

注1)
プルマン社は寝台車、食堂車、展望車などの鉄道車輌の製造を一手に引き受けていた大手鉄道車輌会社。1894年のストライキでは、アメリカ鉄道労働組合がプルマンの全車輌をボイコットした。
注2)
ハーバード大学のギャンブル(James L.Gamble, 1883-1959)は、著書Chemical Anatomy, Physiology and Pathology of Extra-Cellular Fluid(『細胞外液の化学的解剖学、生理学および病理学』)により、近代の輸液療法の理論的基礎を築いた人物。
注3)
ヘンダーソン(Lawrence J.Henderson, 1878-1942)は、ストラスブールの生理学研究所でホッペ-ザイラーの後継者であるホフマイスターのもとで血液における酸・塩基平衡の研究をした。
注4)
ジョン・ピータース(John P.Peters, 1887-1955)の著書『生体の水』(Body Water; the Exchange of Fluids in Man. Springfield: Thomas, 1935)は、ギャンブルにも大いに影響を与えた。
注5)
ヴァン・スライク(Donald Dexter Van Slyke, 1883-1971)は、長きにわたりロックフェラー医学研究所で酸・塩基に関する研究を行なった。これは第二次世界大戦後のアメリカ医学の発展に大いに寄与した。

参考文献
Schoen EJ. Allan Macy Butler (1894-1986). J Pediatr. 1996 Jul; 129(1): 171-173.
Crawford JD, Ganz RN. Allan Macy Butler 1894-1986. Harvard Medical Alumni Bulletin 1986;60:61-3.
Talbot NB. Presentation of Howland Award to Allan Macy Butler. Pediatr Res 1969; 3:471-4.
Butler AM, McKhann CF, Gamble JL. Intracellular fluid loss in diarrheal disease. J Pediatr 1993;3:84-92.
Butler AM, Talbot NB, Burnett CH, Stanbury JB, MacLachlan EA. Metabolic studies in diabetic coma. Trans Assoc Am Physicians 1947;60:102-9.
Butler AM. Parenteral fluid therapy in diabetic coma. Acta Pediatr 1949;38:59-70.
Butler AM. Chronic pyelonephritis and arterial hypertension. J Clin Invest 1937;16:889-97.
Mengoli LR;Excerpts from the history of postoperative fluid therapy. American Journal of Surgery, 1971, 121 (3): 311-321.

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