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2007年3月 8日 (木)

【再掲】点滴史を築いた人びと(3)シドニー・リンガー(後編)

(このテキストは,難治性大腸疾患情報誌「CC JAPAN」に2001年4月から2003年2月にかけて連載した評伝を再掲したものです。ここに登場する歴史上の医学者たちは,輸液(点滴)の発達に大きく寄与した人物たちであり,その中で,リンガーの仕事はどのように位置づけられるかを改めて考察するものです。)

点滴史を築いた人びと 第3回

シドニー・リンガー(Sydney Ringer, 1835-1910)(後編)

 「リンゲル液」という奇跡のパーフェクト・ウォーターを発明し、またそれにともなう数々の生理学的研究で、リンガーの名と業績は国外にも次第に知れわたるようになったのだが、すぐさま学士院(Royal Society)会員にはなれず、その後3年も要している。
 リンガーの研究や発見が単なる偶然の産物ではないことを会員推薦の権利を持つ保守的な評議員に理解させるには、尚も精力的な研究発表が必要であったのだ。そこで彼の後押しをしたのが後にケンブリッジ大学の教授となる医学生時代からの旧友、ミヒャエル・フォスターだ(図1)。
 フォスターはリンガーと同世代の1836年生まれで、大学ではリンガーとともに生理学や臨床学を学んだ。彼はすでに学生時代からリンガーの並々ならぬ才能に気づいていた。そんな彼がリンガーのために最初にやったことは、「英国生理学誌」(Journal of Physiology)の発行と編集である。
 当時の医学界でもっとも権威があったジャーナルはランセット、サイエンスなどである。両ジャーナル誌上ではオックス・ブリッジの研究者たちがたった1本の論文を掲載するのにさえ凌ぎを削っていた。しかし、リンガーの研究スタイルは、論文を1本書いたからといってそれで終わるものではない。医学界のトレンドに左右されることなく、一つのテーマに根を下ろした彼の研究には、自分の研究成果をいわば連載のような形式で自由に発表できるメディアが必要であったのだ。また常に新鮮な記事を寄稿することで、読者とのインタラクティヴな関係も作っていける。
 「英国生理学誌」とリンガーとの関係は、現在の発想に置き換えればまさにメディア・タイアップといえるのだ。
 このような斬新な発想は、リンガーの思想の中に、医学だけではなく芸術の血も脈々と流れていることを物語っている。
 リンガーと芸術との深い関りについてふれておくと、彼が生涯とくに愛好したのが音楽と絵画である。たとえば日曜の午後には決まって妻とともにクイーンズホール(注1)へコンサートに出かけ、時間があればロンドン市内のギャラリーに出向き、若い画家や評論家たちと芸術論を戦わせた。医学以外の場でも鍛練されたリンガーの創造的な感性は、彼の後々の独創的な研究スタイルを作っていく上での充分な要素となったのはいうまでもない。
 彼の晩年もまるで一人の偉大な芸術家のようであった。1900年に大学を退官したリンガーは妻の実家があるヨークシャーに移り住んでからも、なお研究に対する意欲は衰えることはなく、自分の研究場所を求めて何回も方々の大学へと出向いている。リンガーがもっとも活躍したのはヴィクトリア時代である。その後エドワード時代に時がうつると同時に英国が次第に衰退していく様子は、あたかもリンガー自身に近づく「死」というものを暗示しているようにさえみえる。
 時は20世紀を迎え、医学界の第一線を退いたリンガーは、目まぐるしい世代交代の真っ只中にいた。しかし一人老いていくリンガーの偉大さを認識していた若い医学者たちもいたのだ。その中の一人であるバール医師は、グラスゴウ王立病院のオープニングの記事の中で、リンガーの業績を称える長い論文を書いている(図2)。病床でこの論文を読んだリンガーは、バール医師に向けて実に感動的な手紙を送っているのだ(図3)。事実上、これが彼の絶筆である。この手紙を出したあとリンガーの様態は急変し、1914年10月14日の早朝にこの世を去った。
 “Duty first, Pleasure after”。この言葉は、生前リンガーが医学生たちによく言っていた言葉である。医者が自分の患者の死に立ち会った時の心得を示した言葉だ。
 この言葉は彼の旧友であったウィリアム・オスラー(注2)の数々の名言とともに、英国の臨床の「魂」として今でも深く刻みこまれているのだ。
(井上リサ, e-mail:lisalabo@t3.rim.or.jp, CC JAPAN, Vol.3, pp.36-37, 2001)

M_foster
図1 ミヒャエル・フォスター(Sir Michael Foster, 1836-1907)
リンガーの医学生時代からの親友であったフォスターは,生涯にわたってリンガーの研究活動を支援する。

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図2 ジェームス・バール医師が1910年9月24日付の「ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル」誌(British Medical Journal)に寄稿した論文。
この論文の中で,これまでのリンガーの業績が数ページにわたり紹介されている。

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図3 リンガーが病床からバール医師に送った手紙。
この手紙は後にリンガーの次女・チャールズにより1910年10月29日付「ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル」誌上に公開された。
この時チャールズは,“父(リンガー)には多くの方々から激励の手紙を頂いたが,とうとう全員に返事を書く事ができなくて残念です。”と語っている。

謝辞
 前回、今回とリンガーの評伝を書くにあたり、リンガー家の一族の一人アン・リンガー氏(Mrs. Anne Ringer)より多大な協力と激励をいただきました事に深く感謝申し上げます。(I would like to express my deepest gratitude to Mrs. Anne Ringer who is a member of Ringers family.
She has supported and encouraged me greatly while I was writing the last two critical biographies of Sydney Ringer.)

注1)
クイーンズホールは英国でも由緒ある音楽ホールの一つであり,かつてエルガーの「ヴァイオリン協奏曲」や「交響曲第2番」なども初演された。残念ながら当時の建物はドイツ軍の空爆で破壊されて今は残っていない。

注2)
カナダ出身の偉大な“臨床の父”ウィリアム・オスラーはまだ若かった頃,一時期ロンドンに留学し,リンガーからは内科診断学などを学んだ経験がある。1872年のクリスマス休暇にはリンガーの生まれ故郷であるノーリッジも旅している。
なお,オスラーにつては日野原重明氏の著書「医の道を求めて ウィリアム・オスラー博士の生涯に学ぶ」(医学書院)でも詳しく知る事ができる。

参考文献
Ringer, S. Concerning the influence exerted by each of the constituents of the blood on the contraction of the ventricle. Journal of Physiology, 1882, 3:380-393.
Ringer, S. A further contribution regarding the influence of the different constituents of the blood on the contraction of the heart. Journal of Physiology, 1883, 4:29-42.
The Late Dr.Sydney Ringer. University College Hospital Magazine, 1910, 1:85-88.
Obituary. Dr.Sydney Ringer. Lancet, 1910, 2:1386-1387.
Obituary. Dr.Sydney Ringer. British Medical Journal, 1910, 2:1384-1386.
Obituary. Dr.Sydney Ringer. Nature, 1910, 84:540.
Merrington, W.R. University College Hospital and its medical school: a history. Heinemann, London, 1976.
Barr J;An address on the use and abuse of the lime salts in health and disease. British Medical Journal, Sept. 24th 1910, 829-835.
Geison GL;Michael Foster and the Cambridge School of Physiology.- The scientific enterprise in late Victorian society. 1978,  Princeton Univ. Press.
Letter; to Sir James Barr from Sydney Ringer. Sept. 26th. 1910.

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