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2007年3月 9日 (金)

【再掲】点滴史を築いた人びと(4)~アレクシス・ハルトマン

(このテキストは,難治性大腸疾患情報誌「CC JAPAN」に2001年4月から2003年2月にかけて連載した評伝を再掲したものです。ここに登場する歴史上の医学者たちは,輸液(点滴)の発達に大きく寄与した人物たちであり,その中で,リンガーの仕事はどのように位置づけられるかを改めて考察するものです。)

点滴史を築いた人びと 第4回

アレクシス・フランク・ハルトマン(Alexis Frank Hartmann,1898-1964)

Hartmann  アレクシス・フランク・ハルトマン、ミズーリ州セントルイス生まれ。テニスと庭いじりが唯一の趣味の頑固な小児科医。あるいは“ノーベル賞を取りそこねた男”。
 入院経験のある人ならよく目にする点滴の輸液剤、たとえば「ラクテック」(大塚)などは、前回紹介したシドニー・リンガーによって創られたリンゲル液に乳酸ナトリウムを加えたもの、つまり「乳酸リンゲル液」注1)である。この溶液を考案し初めて臨床の場に用いたのがアメリカ人小児科医のハルトマンである。
 ハルトマンはその名前からもわかるとおり、一族はみなドイツ移民だ。アメリカへのドイツ人の入植がもっとも多かったのが1840年代である。他の移民たちが単身アメリカへ渡るのが多かったのに比べて、ドイツ移民たちは家族単位で渡米するのが一般的であった。ハルトマン家も例外ではなく、代々続く名門の医家系一族としてセントルイスにわたったのだ。
 当時、特にドイツ移民が多かった地域では、移民同士の交流の場であるターンフェライン注2)と呼ばれる社交組織が幾つもあり、ドイツ移民たちは異国の中でもドイツ文化を守りながら生活をしていた。このような移民社会の中で開業医として仕事をしていたハルトマンの父は、彼を名門のワシントン大学へと進学させる。
 大学へ進学したハルトマンはここで、フィリップ・アンダーソン・シェーファー(生化学)注3)、ウィリアム・マッキム・マリオット(小児科)注4)、エヴァーツ・グラハム(外科)注5)らと出会い、そののち小児科学と生化学の分野で多大な業績を残した。
 ハルトマンの研究テーマは小児科領域を中心とした低酸素症、低血糖症、腎機能障害など多伎にわたるが、中でも有名なのは自ら考案した乳酸リンゲル液を代謝性アシドーシスの治療に試みた事である(図1)。これを機に彼は一躍小児科界のスターダムにのし上がるのだが、これだけでは満足しなかった。今も語り継がれる面白い逸話だが、ハルトマンは、リンガーがそうであったように、自ら考案した輸液剤に自分の名前を献呈して歴史に名を残したかったのである。つまりリンゲル液と肩を並べる“ハルトマン液”の誕生だ。しかしこれは彼が思うほどに普及はせず、多くの場合「乳酸リンゲル液」と呼ばれるこの溶液を、自分では“ハルトマン液”と呼んでいたそうだ。
 彼のこんな一面に、少々屈折した虚栄心も感じるが、かつて彼は膵臓の内分泌作用の研究でノーベル賞まであと一歩という悔しい経験をしているで、必要以上に名声にこだわる彼の気持ちも理解できる。
 医学史では膵臓の内分泌作用の研究で真っ先に名を挙げられるのは、インシュリンの抽出に成功し1923年にノーベル賞を獲ったバンティングとマックロードであるが、実はハルトマンもほぼ同時期にシェーファーとともに血糖分析についての論文を発表し、さらに恩師マリオットの協力で彼の得たインシュリンのサンプルで糖尿病児の治療も試みているのだ。1922年の事である。つまり実戦においてはハルトマンが一歩リードだった。だからバンティングらがノーベル賞を獲った事はハルトマンにとっては刺激的な出来事であったに違いない。
 しかし彼は名誉と権威を重んじる野心家の医学者という一面の他に、献身的な臨床医としての姿もある。小児科医でもあった彼は、貧困のため下層階級に蔓延していたポリオの子どもたちを治療する際、黒人の子どもたちにも率先して手を差し伸べたのだ。そればかりか一般の小児科病棟に黒人の子どもたちも受け入れようとした。彼のこのような行動は、自分自身がドイツ移民としてアメリカ社会で苦労した経験があるからであろう。
 1964年、彼は66才の若さにもかかわらず癌でこの世を去るが、息子と孫が彼の後を継ぎ小児科医になっている。また、その他の小児科医たち――タルボット、ダロウ、バトラー、そしてわが国では高津忠夫らにも影響を与えていく事になる。
 ここから輸液史は、リンガーの生理学の時代からハルトマン以降の小児科学の時代へと切り開かれていくのである。
(井上リサ, e-mail:lisalabo@t3.rim.or.jp, CC JAPAN, Vol.4, pp.36-37, 2001)

Hartmanns_paper
図1 ハルトマンが1932年に発表したもっとも有名な論文
この論文でハルトマンは乳酸リンゲル液が代謝性アシドーシスの治療に何らかの効果がある事を初めて報告している。
(Hartmann AF, Senn MJE;Studies in the metabolism of sodium r-lactate (1). Journal of Clinical Investigation, 1932, 11: 327-335.)

注1)
乳酸リンゲル液(ハルトマン液)は、リンゲル液中に含まれる塩化ナトリウムの一部を乳酸ナトリウムで代用し、塩素イオン濃度をヒト血漿中のイオン濃度とほぼ等しくしたものである。

注2)
ターンフェラインはドイツならではの社交組織であり、その活動内容は文科系、理系、体育会系のすべての要素を併せ持っていた。ここでは当然医者にも文武両道の精神が求められる。

注3)
フィリップ・アンダーソン・シェーファー(Philip Anderson Shaffer)はハルトマンに影響を与えた生化学者の一人。1921年にハルトマンと共同執筆で血糖分析についての論文を発表している。

注4)
ウィリアム・マッキム・マリオット(William McKim Marriott)は、ハルトマンに対し小児の糖尿病の血糖コントロールにインシュリンを用いる事を助言した人物。

注5)
エヴァーツ・グラハム(Evarts Graham)は、生化学の立場からしばしばハルトマンの助言をあおぎ、低血糖症の治療に膵臓切除術などを試みた。

参考文献
Hartmann AF, Senn MJE;Studies in the metabolism of sodium r-lactate (1). Journal of Clinical Investigation, 1932, 11: 327-335.
Hartmann AF, Senn MJE;Studies in the metabolism of sodium r-lactate (2). Journal of Clinical Investigation, 1932, 11: 337-344.
Hartmann AF, Senn MJE;Studies in the metabolism of sodium r-lactate (3). Journal of Clinical Investigation, 1932, 11: 345-355.
Shaffer PA, Hartmann AF, The iodometric determination of copper and its use in sugar analysis. Journal of Biological Chemistry, 1921, 45:349-364.
Mengoli LR;Excerpts from the history of postoperative fluid therapy. American Journal of Surgery, 1971, 121 (3): 311-321.
Lee JA;Sydney Ringer (1835-1910) and Alexis Hartmann (1989-1964). Anaesthesia (London), Journal of the Association of Great Britain and Ireland, 1981, 36 (12): 1115-1121.
In Memorium Alexis F. Hartmann, The Turkish Journal of Pediatrics, 1964, 6 (4).

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