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2007年3月 6日 (火)

【再掲】点滴史を築いた人びと(1)~トーマス.A.ラッタ

(このテキストは,難治性大腸疾患情報誌「CC JAPAN」に2001年4月から2003年2月にかけて連載した評伝を再掲したものです。ここに登場する歴史上の医学者たちは,輸液(点滴)の発達に大きく寄与した人物たちであり,その中で,リンガーの仕事はどのように位置づけられるかを改めて考察するものです。)

点滴史を築いた人びと 第1回

トーマス.A.ラッタ(Thomas Aichison Latta, 1833年没)

 医学史において,生理学,小児科学,内科学,外科学などそのあらゆる領域の中を,まるで血脈のように巡る輸液史注1)――つまり点滴の歴史の誕生は,今から170年ほど前にまでさかのぼる事ができる。実際に今日のような器具が登場するのはもっと後だが,点滴を,広義の意味で水・電解質の補正を目的とする静脈注射の技法の一つとして捉えた場合,1831年のある歴史的出来事へと行きつくのだ。
 ヒトの静脈内への水分,血液またはその他の液体の注入についての最も古い公式の報告は,1667年にJ.B.ドニー(Jean Baptiste Denys, 1625-1704)によって羊の血液を少年の静脈に注入した例が記録として残っている。これ以前にも,C.レン(Christopher Wren, 1632-1723)や,J.ウィルキンズ(John Wilkins, 1614-1672)による動物実験の記録も残っているが,いずれも臨床学的な効果を得るまでには至っていない。
 静脈への注射でその効果が初めて認められたのは,1831年にリースの開業医トーマス・ラッタが脱水状態にあるコレラ患者に対して塩化ナトリウムと重炭酸ナトリウムの水溶液を静脈に注射したという報告である。
 時は1817年,ガンジス川のデルタ地帯を汚染していたコレラはやがてインドからペルシャへとわたり,ヨーロッパにも侵攻を開始した。そしてついに1831年にはイギリスに上陸。イギリスではコレラ流行を食い止めるべく,医師たちが連携をして予防法や治療法をランセット誌(Lancet)へ送っていた。その中で,アイルランドの内科医オショーネシー(W.B.O'Shaughnessy, 1809-1889)は,コレラ患者は激しい下痢と嘔吐により脱水を起こし,血液からは塩分が失われることまでをつきとめるが,具体的な治療法を試みるまでには至らなかった。(図1)
 オショーネシーがランセットに送った書簡から示唆をうけて,彼のイメージする脱水の治療法――すなわち静脈から水・電解質を補給するという現在の点滴の理論にも通じる方法を実際に試みたのがラッタ医師である。(図2)
 トーマス・ラッタはエジンバラで医学を学んだスコットランドの開業医で,1819年に壊血病に関する論文で学位を得たのち,1822年にリースで開業医を始める。
 ラッタはすぐれた科学者であると同時に臨床家としても強い信念を持った人であった。そのことは,彼が患者の治療の様子を綴ったロンドン衛生部宛の書簡の中にも表れている。(図3)
 実は,ラッタは最初,死にかけた患者に対し,この新しい治療法を試すのを少し躊躇していたことを告白している。なぜなら,患者が死んだ場合,その治療法そのものにも非難が集中する事を恐れたからだ。しかしラッタは苦しむ患者を目の前にして,自らの保身を捨てて治療を行うことを決意する。彼の書簡の中には,患者たちが回復していく様子が喜びにみちた表現で綴られているのがわかる。
 そこの箇所を少し引用してみよう。
「死の兆しがみえていた青白く冷たい表情の顔に,生気がみなぎってきた。しばらく弱かった脈も力強いものとなった。(中略)彼女はしっかりとした声で,楽になった事を私に告げると,少し眠りたいといった」
 これが今日の輸液療法,すなわち点滴のさきがけとなった歴史的一頁である。
 ラッタの勇気ある試みによって多くの患者が救われ,これを機に点滴の歴史がいよいよ開花していくに思われたが,不幸にもこの時代はリスターによる消毒法の概念が登場する以前であり注2),脱水と電解質異常は改善されても,静脈からの細菌感染で死ぬ患者も数多くいた。そのため以後60年間,この画期的な治療法は闇の中で途絶えてしまうのである。
 しかし,ある一人の男の登場によって,点滴の歴史に再び幕が開くのだ。
 その男の名は,誰でも一度は耳にしたことがあるであろう,“リンゲル液”。その発明者,シドニー・リンガーその人である。
(井上リサ, e-mail:lisalabo@t3.rim.or.jp, CC JAPAN, Vol.1, pp.66-67, 2001)

Latta01_2

図1
オショーネシーが1831年12月29日付けでランセットへ送った書簡。
この書簡の中で彼は,コレラ患者の血中から遊離アルカリが欠乏することに触れている。

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図2
ラッタがコレラ患者の治療に用いた注入器。
管の先端を静脈に入れ,上からシリンダーを押して注入する。この方法で,0.5%塩化ナトリウムと0.2%重炭酸ナトリウムの水溶液が患者の静脈に注入された。現在の点滴の器具のような大量投与はできないので,1回の投与量を3.0~3.6リットルに定め,数回に分割して注入された。

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図3
ラッタが1832年5月23日付でロンドン衛生部宛に送った書簡。

注釈
注1)今日では医療現場で定着した「点滴」という語句は,医学用語でいう"intravenouse drip infusion",すなわち「静脈内点滴注入法」の略語である。
 「点滴」という語句は,もともとは中国大陸から伝わった言葉(たとえば前漢時代に書かれた漢書『枚乗伝』など)であり,その本来の意味は断続的に滴る「しずく」や「あまだれ」を示すものである。
 これに対し,医師らにより専門的に使われる「輸液」という言葉が,俗称として医学的に使われる「点滴」の本来の意味をなす。

注2)ラッタの時代は,医師や患者の身体だけではなく器具そのものに対しても殺菌する,という概念が普及していなかった。手術や注射が滅菌状態で安全に行われるようになるのは,パスツール(L.Pasteur, 1822-1895)による細菌学の確立(1861年),そしてリスター(J.Lister, 1827-1912)による消毒法の普及(1867年)以降である。

参考文献
Latta, T.A. Malignant Cholera. documents communicated by the Central Board of Health, London, relative to the treatment of cholera by the copious injection of aqueous and saline fluids into the veins. Lancet, 1831-1832, 2, 274.
O'Shaughnessy, W.B. Proposal of a new method of treating the blue epidemic cholera by the injection of highly oxygenised salts into the venous system. Lancet, 1831-1832, 1, 336.
O'Shaughnessy, W.B. Experiments on the blood in chorela. Lancet, 1, 490.
Duma, R.J. Thomas Latta, what have we done?-The Hazards of intravenous therapy. N Engl J Med. 1976 May 20; 294 (21): 1178-1180.
Masson, A.H.B. Latta-pioneer in saline infusion. Br J Anaesth, 1971 Jul; 43 (7): 681-686.
Keynes, Sir G.L. The history of blood transfusion. Brit. J.Surg., 1943, xxxi, 38-50.
Astrup, P. and Severinghaus, J. W. The history of bood gases, asids and bases. 1986, Radiometer A/S, Copenhagen.
C.Singer and E.A.Underwood. A short history of medicine, 1962, Oxford Univ. Press.

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